日眼女造立釈迦仏供養事 第五章(日本国は女人の国)
弘安2年(ʼ79)2月2日 58歳 日眼女
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日本国と申すは女人の国と申す国なり、天照太神と申せし女神のつきいだし給える島なり、此の日本には男十九億九万四千八百二十八人・女は二十九億九万四千八百三十人なり、此の男女は皆念仏者にて候ぞ皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす現世の祈りも又是くの如し、設い釈迦仏をつくりかけども阿弥陀仏の浄土へゆかんと思いて本意の様には思い候はぬぞ、中中つくりかかぬには・をとり候なり。
今日眼女は今生の祈りのやうなれども教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば後生も疑なし、二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一なりとおぼしめすべし、委くは又又申すべく候、恐恐謹言。
弘安二年己卯二月二日 日 蓮 花 押
日眼女御返事
現代語訳
日本国というのは女人の国ともいえる国である。天照太神という女神が築かれた島である。この日本国には男1,994,828人・女は2,994,830人である。ところがこの男女は皆念仏者である。皆念仏者であるから阿弥陀仏を本尊として、未来の極楽往生を念ずるだけでなく、現世の祈りもまた阿弥陀仏にかけている。たとえ釈迦仏をつくり描いたとしても、いずれも弥陀の西方浄土へ往生するためであって、釈尊を本尊とはしていないのである。それ故、かえって木像を造り、像を画かないよりも劣っている。
今、日眼女は現世安穏を祈っておられるようであるけれど、教主釈尊を信仰して造立されたのであるから、未来の成仏も疑いない。したがって日眼女は日本国2,994,830人の女人の中の第一であると思っていきなさい。委しくはまた申し上げましょう。
恐恐謹言。
弘安二年己卯二月二日 日 蓮 花 押
日眼女御返事
語句の解説
天照太神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
阿弥陀仏
梵語アミターバ(Amitābha)の音写で、無量光仏、無量寿仏と訳す。娑婆世界には縁のない西方極楽世界の教主。
講義
大聖人が日眼女の釈迦仏造立をめでられているのは、日本国中が阿弥陀仏を尊崇しているなかにあって、釈迦を立てたということ、すなわち権実相対の上からであることが明らかである。
日本国と申すは女人の国と申す国なり
日本が女人の国であるということは、武士階級が支配していた鎌倉時代のわが国にあって、きわめて斬新的な発想であったと思われる。もとより、女神である天照太神が日本の祖先神であることは、古事記等を通して、知識人なら誰でも知っていることであったろうが、そこからこのように日本の本質をずばり言い切れる人はいなかったに違いない。この発想がふたたび世に出たのは、近代にはいって女性解放運動のなかでであったことを思うとき、日蓮大聖人の思考の自由闊達さと、物事の本質を捉える鋭さに驚くのである。
今日眼女は今生の祈りのやうなれども、教主釈尊をつくりまいらせ給い候へば、後生も疑なし
日眼女が釈迦仏を供養したのは、37の厄を除きたいという今生の祈りである。しかしその行為は、今生にとどまらず後生の絶対的幸福も確立させることは疑いないといわれているのである。
我々の祈り、願いはすべて今生のものであろう。後生を願って祈ることはほとんどないといってよい。現実の生活に触れて起こるさまざまな煩悩につき動かされた祈りである。そのような祈りであっても、それが妙法という現当二世の法を根本としている故に、成仏という永遠のものに結びついていくのである。現世利益のみを説いて永遠の普遍的理念を説かない宗教は低級であり、現実世界の変革から抽象の議論に逃避する宗教は力なき宗教である。日常の小さな、様々な積み重ねが、そのまま一生成仏という大目的に結びついてこそ、日常の努力が報われ、また大目的も現実のものとなるのである。
我々の目的は、個人にあっては一生成仏であり、社会的次元にあっては広宣流布である。この終局目的を忘れて「今生の祈り」すなわち眼前の小目的にのみとらわれてはならないと肝に銘ずべきでもあろう。「今生の祈り」またその実践はあくまでも手段である。手段であるからこそ、それを欠かしては目的を達することはできないのである。だが、その手段も目標をしっかりと見定めていって初めて有効な力を発揮することができるのである。