留難

仏道修行を妨げるさまざまな困難。

 

若善比丘見壊法者置不呵嘖

涅槃経の文。曾谷殿御返事には「「若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子 真の声聞なり」云云、此の文の中に 見壊法者の見と置不呵責の置とを能く能く心腑に染む可きなり、法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし」(1056:04)とある。

 

無間地獄

阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。

 

南岳大師

05150577)。中国・南北朝時代の北斉の僧。慧思のこと。天台大師智顗の師。後半生に南岳(湖南省衡山県)に住んだので南岳大師と通称される。慧文のもとで禅を修行し、法華経による禅定(法華三昧)の境地を体得する。その後、北地の戦乱を避け南岳衡山を目指し、大乗を講説して歩いたが、悪比丘に毒殺されそうになるなど度々生命にかかわる迫害を受けた。これを受け衆生救済の願いを強め、金字の大品般若経および法華経を造り、『立誓願文』を著した。この『立誓願文』には正法500年、像法1000年、末法1万年の三時説にたち、自身は末法の82年に生まれたと述べられており、これは末法思想を中国で最初に説いたものとされる。主著『法華経安楽行義』では、法華経安楽行品第14に基づく法華三昧を提唱した。天台大師は23歳で光州(河南省)の大蘇山に入って南岳大師の弟子となった。

 

四安楽行

法華経安楽行品第14に説かれる四つの行法。文殊菩薩が浅行初心の行者が濁悪世で安楽に妙法蓮華経を修行する方法を問い、釈尊がこれに対して身・口・意・誓願の4種の安楽行を説き、初心の人がこれによって妙法蓮華経を弘通し修行することを示した。①身安楽行。身を安定にして10種の誘惑を避け、静寂の処にあって修行すること。②口安楽行。仏の滅後にこの経を説く時、他人を軽蔑せず、その過失を暴かず、穏やかな心で口に宣べ説くこと。③意安楽行。末世になって法が滅びようとする時、この経を受持し読誦する者は、他の仏法を学ぶ者に対して嫉妬、そしり、争いの心を抱かないこと。④誓願安楽行。大慈大悲の心で一切衆生を救おうとの誓願を発すること。

 

将護

助け護り、かばうこと。

 

詐侮

詐は、いつわり・あざむむ。侮は、あなどり・軽んずるの意。

 

忍辱

妙法の弘通にあたって、さまざまな侮辱を浴びせられても、微塵も動揺せず、耐え忍んで、法を弘めていくこと。

 

十輪経

『大乗大集地蔵十輪経』の略。唐の玄奨訳。地蔵菩薩の功徳を讃歎している。

 

栴檀

インド原産の香木。経文にみえる栴檀とはビャクダン科の白檀のことで、センダン科の栴檀とは異なる。高さ約六㍍に達する常緑喬木で、心材は芳香があり、香料・細工物に用いられる。観仏三昧海経巻一には、香木である栴檀は、伊蘭の林の中から生じ、栴檀の葉が開くと、四十由旬にもおよぶ伊蘭の悪臭が消えるとある。

 

弘決

止観輔行伝弘決のこと。妙楽大師湛然による『摩訶止観』の注釈書。10巻(または40巻)。天台大師智顗による止観の法門の正統性を明らかにするとともに、天台宗内の異端や華厳宗・法相宗の主張を批判している。

 

王城九重の謗

王城九重とは、昔中国において、王城は門を九重につくったところから宮中、禁中をいい、国王、国主、為政者のこと。ここでは、当時の鎌倉幕府による謗法を指す。

 

宗廟社禝

宗廟とは、①」祖先のみたまや。祖先の位牌を置く所。②皇室の祖先を祭るみたまや。伊勢神宮などをいう。社稷とは、中国古来の祭祀の一つ。社は土地の神,稷は穀物の神で,この両者が結合し,周代に政治的な礼の制度に取入れられ,天下の土地を祭る国家的祭祀になった。そのため国家の代名詞としても用いられる。

 

五穀

五つの主要な穀物。時代・地域で異なるが、日本では、米・ムギ・アワ・キビ・豆をさすことが多い。

 

法味

法の味わい。仏法の教えは生命を潤し活力を与えるので、微細で滋味ある食物とみなされた。仏・菩薩や諸天善神は、これを唯一の食物として威光・勢力を増すとされる。万人成仏の法を説く法華経は、最高の法味であるので、牛乳の精製過程の最高段階で究極の食物である醍醐に譬えられ、醍醐味とされる。

 

四時

①春夏秋冬のこと。②朝・昼・夕・夜をいう。

 

五行

中国古代の説で万物を生ずる五元素をいう。木・火・土・金・水。

 

山家大師

伝教大師のこと。767年あるいは766~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。

 

七難

経典により異なるが、薬師経には①人衆疾疫難(人々が疫病に襲われる)②他国侵逼難(他国から侵略される)③自界叛逆難(国内で反乱が起こる)④星宿変怪難(星々の異変)⑤日月薄蝕難(太陽や月が翳ったり蝕したりする)⑥非時風雨難(季節外れの風雨)⑦過時不雨難(季節になっても雨が降らず干ばつになる)が説かれる(19㌻で引用)。仁王経には①日月失度難(太陽や月の異常現象)②星宿失度難(星の異常現象)③災火難(種々の火災)④雨水難(異常な降雨・降雪や洪水)⑤悪風難(異常な風)⑥亢陽難(干ばつ)⑦悪賊難(内外の賊による戦乱)が説かれる。日蓮大聖人は「立正安国論」で、三災七難が説かれる経文を引かれ、正法に帰依せず謗法を放置すれば、薬師経の七難のうちの他国侵逼難と自界叛逆難、大集経の三災のうちの兵革、仁王経の七難のうちの悪賊難が起こると予言されている。そして鎌倉幕府が大聖人の警告を無視したため、自界叛逆難が文永9年(1272年)2月の二月騒動として、他国侵逼難が蒙古襲来(文永の役・弘安の役)として現実のものとなった。

 

 講義

本抄は別名を「国家謗法之事」ともいわれ、国家の謗法について述べられたものである。お手紙をいただいた南部六郎とは、波木井六郎実長のことであるが、御述作の年次、場所は、明らかではない。

まずはじめに謗法を呵責していかなければ、今はよくても必ず無間地獄に堕ちていくことを強く述べられ、正法誹謗の者には、親近すべきでないことを、種々の経文をとりあげて論じられている。

つぎに、この謗法について、内外の二種類があること、すなわち国家社会全体の謗法と、国家の中心をなす為政者の謗法とがあり、この二つの謗法を断じて禁止しなかったならば、宗廟社禝の神々に捨てられ、国家が滅亡してしまうと述べられている。

終わりに、伝教大師の文を引かれ、国が謗法であるならば民の数が減り衰え、家に正法を受持する人があれば、その家は栄えると述べ、各自にもこれら内外二種の謗法がある旨を述べられている。

 

眠れる師子に手を付けざれば瞋らず流にさをを立てざれば浪立たず謗法を呵責せざれば留難なし

 

ここは、信心修行を志す者は謗法を呵責すべきことを、教示されるために説かれたところである。

冒頭の「師子」と「流」は、本抄の「謗法に内外あり」の内と外を譬えて説いたもので、「師子」は内の謗、「流」は外の謗にあたる。すなわち「師子」は為政者、権力者をいい、「流」は社会全体、さらには、宗教界全体ともいえよう。そして、師子の瞋りとは国家権力による弾圧・迫害、流れにたつ浪は、人々の悪口、罵詈、讒奏等をいうのである。

日蓮大聖人は立宗以来、次々と、私怨または権力による難を受けられ、一日として身の安泰な日はなかった。それは、末法正意の三大秘法の南無妙法蓮華経を唱え、他の宗派の誤りを破折されたがためである。もしも、既成の諸宗の誤りを知っていても、これを破折されなければ留難はなかったであろう。しかし、大聖人は未曾有の大法を流布するのであるから、難が起こるのはむしろ当然とされていたのである。

なぜこのような至難の道を選ばれたのか。このことについては本抄の「此の内外を禁制せずんば宗廟社禝の神に捨てられて必ず国家亡ぶべし」の御文から、大聖人の御心のうちをうかがい知るのである。初めて、国家諌暁のため、立正安国論を認め奏上された理由も、本抄と同意であることが、安国論御勘由来(三五㌻)より拝察される。「当世の高僧等謗法の者と同意の者なり復た自宗の玄底を知らざる者なり、定めて勅宣御教書を給いて此の凶悪を祈請するか、仏神弥よ瞋恚を作し国土を破壊せん事疑い無き者なり。日蓮復之を対治するの方、之を知る叡山を除いて日本国には但一人なり(中略)若し此の事妄言ならば日蓮が持つ所の法華経守護の十羅刹の治罰之を蒙らん、但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(0035:09)と。

日蓮大聖人は、この「国の為法の為人の為に」とのお心を、立宗以来、終生貫きとおされた。これこそ、末法出現の御本仏としての大確信に立たれてのお振舞いであり、そのお心は、末法の衆生を救い、さらに国土を安泰にされようとの仏の大慈悲心である。

本抄では、次に涅槃経の「若善比丘見壊法者置不呵責」の文を引いて、謗法呵責が経文によることを述べられている。このように大聖人は経文に照らして、ご自身の説、そして行動が真実であることを証拠づけられているが、これはあくまでも衆生を教化するため、外用の立ち場をとられ、身をもって教導されるためである。しかし、ご内証はあくまでも末法出現の御本仏であり、そのいっさいの振舞いは仏の内証よりおこるのである。

大聖人は信心修行のきびしさ、そしていかなる難に直面しても、それを避けずに戦いぬいてこそ、妙法を持つものの栄光の人生があることを、その生涯をとおして、末法万年の衆生に示された。

われわれは、いかなる困難に直面しようが大聖人の弟子であるとの自覚にたち、不退の信心を確立したい。そして、前進のないところに成長なく、戦いのないところに自己の宿命転換も、人間革命もないことを心に期して、勇気をもち、力のかぎり、広宣流布の戦いの中に生ききってゆきたいものである。

謗法を呵責するとは、折伏をいうのである。折伏は、相手の不幸の根源をたちきり、絶対の幸福境涯を確立させうる唯一の方法である。その行為は、人間生命の根本の哲理から、生命の尊厳を覚知させることであり、相手を主体的に敬い、尊重するものである。

 

凡そ謗法に内外あり国家の二是なり、外とは日本六十六ケ国の謗法是なり、内とは王城九重の謗是なり(中略)「国に謗法の声有るによつて万民数を減じ家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」と

 

国家における謗法について論ずるとき、内と外の二つがある。

まず内の謗法とは、「王城九重の謗是なり」とあるように、国王や国主など、一国の中心者が正法を誹謗し、迫害することである。また外の謗法とは、「日本六十六ケ国の謗法是なり」とあるように、一国全体の人びとの謗法をいうのである。

はじめに、内の謗法について述べる。

王城とは、帝王の居城のことであり、国主すなわち一国の指導者の居住するところである。この一国の指導者が、正法を謗じたとき、国土が乱れ、数々の災難が生じ、一国滅亡への道をたどっていくのである。

ここで国主とは、国家の主権を持つ者のことであり、一国の中心者のことである。すなわち鎌倉時代においては、北条執権であり、江戸時代は、徳川将軍家である。また明治時代以後太平洋戦争の終戦までは天皇にあたる。そして現代では主権在民の原理より、民衆一人一人が主権者であり、またその代表としての政府・政治家たちがこれにあたる。ともあれ、ともに国家の明日の動向を定め、国民ひとりひとりの幸福と安泰を守りぬくべき立ち場にある最高責任者であり、一国の最高首脳陣であるといえる。

さらにまた、せまい意味では、一家の中心者、また会社や組織の中心者なども、この原理に外れるものではないといえよう。

そして、これら一国の指導者によって、その国の運命は決まってゆくのである。洋の東西を問わず、一国の栄枯盛衰が、一人の主権者の手にゆだねられていたことは、幾多の歴史の上に明らかなことである。

すなわち、その指導的立ち場におかれた一人の主権者の判断によって、一国を、民族全体を、興隆させもしたし、はたまた苦悩のどん底へたたき落としもした。

現在は、国家の中心的指導者が、ともすれば自分のおかれた責任ある立ち場を真剣にかえりみることなく、まして宗教の善悪正邪をわきまえないことはもとよりのこと、わが身の栄達にのみ窮々とし、権力と見栄にふりまわされている姿は、国家の興亡・盛衰にもかかわることであり、誠に残念なことといわざるを得ない。

指導者が、民衆を忘れ名聞名利にとらわれたり、栄誉栄達主義にとらわれるときは、すでに指導者たるの責任を放棄していることになる。民衆はいつの時代にあっても、常に平和と幸福を願ってやまないものである。この民衆の胸奥からの願望に応えて、血と汗を流しながら、恒久平和建設の大目的に莞爾として進みゆく者こそ、真の指導者ではないだろうか。

次に外の謗法については、「日本六十六ケ国」とは、すべての国民大衆のことであり、庶民である。また民衆によって形成されるところの社会のことでもある。

仁王経にいわく「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る賊来つて国を刧かし百姓亡喪し臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん」と。

鬼神乱るとは、人間の思考・判断が乱れることである。このような思想の乱れが、万民を乱し、はたまた国土を混乱におとしいれていくのであるとの文である。すなわち、この個人個人の思考の乱れが、総じて、日本全体を、さらには全世界を謗法の国と化してしまうのである。

一人一人の誹謗正法の失は、ついには一国を失うことにもなる。しかしながら、個人個人が正法に帰依し、御本尊を拝し奉るならば、個人の覚醒が、一家の覚醒につながり、はたまた社会の、一国の覚醒とつながってゆくことは必定である。

すなわち「一人の人間の変革――一人の人間の尊厳、主体性の確立――一人の人間の大いなる生命力の涌現――これこそ一切の生活、文化、政治、科学、教育、社会を、大変革してゆく、最も近道の、しかも本源的な革命である」と。

大切なことは、一人一人の思考の乱れを直すことである。そして一人一人の胸中に偉大なる正法をうちたて、社会を、一国を正していかなくてはならないということである。

ここに内外の謗はともに一体のものである。内の謗は、外の謗を生み、外の謗は、内の謗の温床である。指導者も、民衆もともに覚醒させていかなくてはならない。

現代は、民衆も、指導者も、全くその根本指針となるべき哲学、宗教をもたない。それが、どれほど未来に恐るべき事態を招くことか。日蓮大聖人の偉大なる宗教こそ、社会を革命し、一国の宿命の転換をなしとげ、新しい人類文明への方向を決定づける唯一の宗教であることに、今こそ、万人が目を開くべきであろう。