妙法比丘尼御返事 第十七章(結語)

妙法比丘尼御返事 第十七章(結語)

 弘安元年(ʼ78)9月6日 57歳 妙法尼

———————————–(第十六章から続く)———————————————

さては又尾張の次郎兵衛尉殿の御事・見参に入りて候いし人なり、日蓮は此の法門を申し候へば他人にはにず多くの人に見て候へども・いとをしと申す人は千人に一人もありがたし、彼の人はよも心よせには思はれたらじなれども、自体人がらにくげなるふりなく・よろづの人に・なさけあらんと思いし人なれば、心の中は・うけずこそ・をぼしつらめども、見参の時はいつはりをろかにて有りし人なり、又女房の信じたるよしありしかば実とは思い候はざりしかども、又いたう法華経に背く事はよもをはせじなればたのもしきへんも候、されども法華経を失ふ念仏並びに念仏者を信じ我が身も多分は念仏者にて・をはせしかば後生はいかがと・をぼつかなし、譬えば国主はみやづかへのねんごろなるには恩のあるもあり又なきもあり、少しもをろかなる事候へば・とがになる事疑なし、法華経も又此くの如し、いかに信ずるやうなれども法華経の御かたきにも知れ知らざれ、まじはりぬれば無間地獄は疑なし。

  是はさてをき候ぬ、彼の女房の御歎いかがと・をしはかるに・あはれなり、たとへば・ふじのはなのさかんなるが松にかかりて思う事もなきに松のにはかにたふれ、つたのかきにかかれるが・かきの破れたるが如くに・をぼすらん、内へ入れば主なし・やぶれたる家の柱なきが如し、客人来れども外に出でて・あひしらうべき人もなし、夜のくらきには・ねやすさまじく・はかをみれば・しるしはあれども声もきこへず、又思いやる死出の山・三途の河をば誰とか越え給うらん只独り歎き給うらん、とどめをきし御前たち・いかに我をば・ひとりやるらん、さはちぎらざりとや歎かせ給うらん、かたがた秋の夜の・ふけゆくままに冬の嵐の・をとづるる声につけても弥弥御歎き重り候らん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

       弘安元年戊寅九月六日                  日蓮花押

     妙法尼御前 御かたへ

現代語訳

さて尾張次郎兵衛尉殿は御目にかかったことのある人です。日蓮はこの法門を弘めるので他の人とは比較にならないほど多くの人に会ったけれども、真にいとおしいと思った人は千人に一人もありませんでした。尾張次郎兵衛殿は、よもや日蓮に心を寄せていなかったでしょうけれども、その人柄はいばるところがなく、だれにでも情の深い人であったから、心のなかはどうであったか知りませんが、会った時は穏やかな人でした。

また女房が法華経を信じているということから、真実とは思わないまでも、またひどく法華経に背くことはよもやないであろうとたのもしいところもありました。しかし、法華経を誹謗している念仏並びに念仏者を信じ、我が身も多分に念仏者であったから、後生はどうであろうかと思っています。たとえば、国主が宮仕えの懇ろな者には恩賞を与えることもあり、また与えないことはあっても、それでも少しでもあやまちがあれば罰することは疑いないように、法華経もまた同じようなものです。いかに信ずるようでも、知ると知らないとにかかわらず、法華経の御敵と交われば無間地獄は疑いありません。

これはさておき、彼の女房の嘆きはいかばかりかと思うと、実に不憫なことです。たとえば藤の花が咲き誇って松に絡まっているのに、思いがけず松が倒れたようなもので、また、蔦が垣にかかっているのに、垣が壊れたような気持であられることでしょう。

内に入っても主人がいないのは、破れた家に柱のないようなものです。客人が来ても、外に出て応対する人もいない。夜は暗く、寝室は物寂しい。墓を見れば、標(しるし)はあっても声は聞こえない。また、亡くなった夫のことを思いやれば、死出の山、三途の河をだれとともに越えていることだろうか、ただ一人で嘆いておられるのか、後に残した御前達は、どうして自分を一人だけ冥途の旅にやるのか、そうした契りではなかったがと嘆いておられるのではないかなどと、秋の夜の更けゆくにつけ、冬の嵐の訪れる声を聞くにつけても、いよいよ嘆きが深くなっていくでしょう。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

弘安元年戊寅九月六日         日 蓮  花 押

妙法尼御前 御かたへ

語句の解説

死出の山

冥途にある山。十王経によると、死後、亡者が冥府において初七日の間に秦広王のところにいく途中にあるとされる険しい山のこと。高く険しい山で獄卒に追われて登るが剣のごとくとがった岩でできており、獄卒に鉄棒で打たれるという。

 

三途の河

十王経によると死出の山を越えた先にある河。浅瀬や深淵などの三つの瀬があり、生前の罪業によって渡る場所が異なるとされる。

講義

本抄全体の結びとして、第一章に述べられていた尾張次郎兵衛の死去のしらせに対して、日蓮大聖人の感懐を述べられ、その妻の悲しみを慰められている。

大聖人は生前の尾張殿に会ったことがあると仰せられ、その人柄の印象を述べられている。人柄はいいが、結局、念仏を捨てることはできなかったので、無間地獄は間違いないと仰せられ、残された妻の気持ちを察しられて慰められている。

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