妙法比丘尼御返事 第十五章(諸宗の人師等の大悪心を明かす)

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日本国の国主諸僧比丘比丘尼等も又是くの如し、たのむところの弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業と云うを聞き真言は亡国の法と云うを聞き持斎は天魔の所為と云うを聞いて念珠をくりながら歯をくひちがへ鈴をふるにくびをどりたり戒を持ちながら悪心をいだく極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす、是れ偏に法華経を読みてよまず聞いてきかず善導法然が千中無一と弘法慈覚達磨等の皆是戯論教外別伝のあまきふる酒にえはせ給いてさかぐるひにておはするなり、法華最第一の経文を見ながら大日経は法華経に勝れたり禅宗は最上の法なり律宗こそ貴けれ念仏こそ我等が分にはかなひたれと申すは酒に酔える人にあらずや星を見て月にすぐれたり石を見て金にまされり東を見て西と云い天を地と申す物ぐるひを本として月と金は星と石とには勝れたり東は東天は天なんど有りのままに申す者をばあだませ給はば勢の多きに付くべきか只物ぐるひの多く集まれるなり、されば此等を本とせし云うにかひなき男女の皆地獄に堕ちん事こそあはれに候へ涅槃経には仏説き給はく末法に入つて法華経を謗じて地獄に堕つる者は大地微塵よりも多く信じて仏になる者は爪の上の土よりも少しと説かれたり此れを以つて計らせ給うべし日本国の諸人は爪の上の土日蓮一人は十方の微塵にて候べきか、

 ———————————-(第十六章に続く)————————————————-

現代語訳

日本国の国主、僧侶、比丘・比丘尼等もまた同じです。たのみとしている弥陀念仏を、日蓮が無間地獄の業であるといい、真言は亡国の法であるといい、持斎は天魔の所為であるというのを聞いて、念珠を繰りながら歯をくいしばり、鈴を振りながら怒りのため頸はおどり、表面では戒律を持ちながら悪心を抱いています。

極楽寺の生き仏の良観上人は訴状を捧げて幕府に訴え、建長寺の道隆上人は輿に乗って奉行人に泣きつき、諸の五百戒を持つ尼御前等は進物を捧げて伝奏をします。これはひとえに法華経を読んで読まず、聞いて聞かず、善導、法然の「千中無一」、弘法・慈覚・達磨等の「皆これ戯論」「教外別伝」などといった甘い古酒に酔って酒狂いしてしまった結果にほかならないのです。すなわち、法華経最第一の経文を見ながら、大日経は法華経に勝れている、禅宗は最上の法である、律宗こそ貴いのである、念仏こそ我らの機にかなっているなどというのは、まさに酒に酔った人ではないでしょうか。星を見て月より勝れているといい、石を見て金より勝れているといい、東を見て西といい、天を地という顚倒を本として、月と金は星と石とには勝れ、東は東、天は天とありのままにいう者を怨んでいるのです。数の多いほうにつけばいいというものでしょうか。ただ物狂いが多く集まっているのにすぎないのです。このような顚倒を本としている、いうにかいなき男女が皆地獄に堕ちることこそ哀れに思われます。

涅槃経に仏は「末法に入って法華経を謗じて地獄に堕ちる者は大地微塵よりも多く、信じて仏になる者は爪の上の土よりも少ない」と説かれています。これらをもって考えられるがよいでしょう。日本国の諸人が爪の上の土、日蓮一人は十方の微塵でしょうか。

語句の解説

弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業

譬喩品に「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切、世間の仏種を断ぜん、……其の人命終して阿鼻獄に入らん」とあるように、法華経を誹謗する者は無間地獄に堕ちるとされている。したがって無間地獄は念仏宗に限らないが、大聖人は立宗以来、とくに念仏無間地獄と叫ばれている。

 

真言は亡国の法

真言宗は、国を亡ぼす邪法であるとの意。中国の真言宗の始祖は善無畏三蔵、日本における開祖は弘法である。真言宗では法華経は応身の釈迦仏が説法したものであり、大日経のみが法身の大日如来の説法で、これに比較すると、釈迦仏は無明の辺域であり、履物取りにも及ばぬといい、また法華経は一切経中の第三の劣であり、戯論である。また、大日経と法華経を比較すると、一念三千は大日経の教えであり、法華経にも説かれているから「理」は同じであるが、大日経には別に印と真言があるから「事」において勝れているという邪義をたてた。これに対して日蓮大聖人は真言亡国と破折されたのである。なぜなら、大日経は釈尊一代の権教であり、無量義経、および法華経方便品第二ではっきり「正直捨方便」と説かれている。しかも中国の真言宗は天台の一念三千の法を盗んで自宗の極理となし、日本の弘法は口をきわめて法華を罵っている。このように本主を突き倒して無縁の主である大日如来を立てるから亡国、亡家、亡人の法となると破折されたのである。

 

持斎は天魔の所為

持斎とはふつう律宗をさすが、この場合は禅宗をさす。禅宗が「教外別伝・不立文字」を教義として仏説を否定することは、仏法を破壊する天魔の所為であるとの意味。禅宗は仏の経典を否定し、経文は月をさす指であり、月にあたる成仏の性を見れば、指である経文には用はないという。釈尊は涅槃経のなかで「若し仏の所説に随わざる者有らば、是れ魔の眷属なり」と説いている。ゆえに大聖人は禅宗を仏法を破壊する天魔の所為と破折されたのである。

 

良観聖人

12171303)。鎌倉時代の律宗の僧。良観は法号で、名を忍性という。建保5年(1217)、大和国(奈良県)に生まれた。10歳で信貴山にのぼり、修行。24歳で奈良西大寺の叡尊の弟子となり、具足戒を受けた。のちに関東に下り、鎌倉で律宗を弘めた。北条時頼は光泉寺を創建して良観を開山とし、長時は極楽寺に良観を招いて開山とした。以来、鎌倉の人々の信頼を得、大きな力をもち、更に粗衣粗食と慈善事業によって聖人の名をほしいままにした。また文永8年(1271)に、大聖人と祈雨を競って敗れた後、大聖人を讒言して死罪にしようと画策し、竜の口の法難、佐渡流罪を引き起こした。建治元年(1275)に極楽寺から出火し、堂塔ことごとく灰燼に帰した。大聖人はこの現証を以て、良観を両火房と呼ばれた。「名と申す事は体を顕し候に両火房と申す謗法の聖人・鎌倉中の上下の師なり、一火は身に留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ、又一火は現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき先表なり」(1137:10)と。

 

折紙

料紙を横にして半折りして用いた文書。消息文や公用の通達文にも使用された。

 

道隆聖人

12131278)。鎌倉時代の臨済宗の僧。道隆は諱で、道号は蘭渓。中国南宋・西蜀(四川省)の人。姓は冉氏。13歳で出家し、陽山の無明慧性に禅を学んだ。33歳の時、日本渡航をこころざし、寛元4年(1246)に弟子を伴って日本に渡航し、はじめ筑前円覚寺、ついで京都の泉涌寺に入った。建長五5年(1253)に北条時頼が建長寺を建立すると、請われて開山となった。後に門下の讒言によって二度甲州(山梨県)に流されたが、赦されて建長寺に戻った。日蓮大聖人の御在世当時、鎌倉の人々から尊崇を集めていたが、大聖人は、立正安国論に予言した他国侵逼難が蒙古からの牒状到来で的中した旨を、十一通の書状に認めて北条時宗をはじめ時の権力者に諫暁をなされ、道隆にも書状を送り、法の正邪を決すべく公場対決を迫られたのである。しかし、道隆はこれに応ぜず、大聖人を讒言して、これが竜の口の法難の契機の一つとなった。道隆については一般に高僧とみられているが、実際は堕落僧であったことは、筑前在住時代に官位を金で買おうとして失敗し世人の嘲笑をかったことや、二度の告げ口が自分の門下から出たことから考えても明らかである。

 

奉行人

奉行の役人。鎌倉幕府以降に置かれた職名。安堵・評定・恩沢・問注などの総称。

 

五百戒

比丘尼の具足戒で、その戒数には諸説があり、四分律に説かれる三百四十八戒が一般的である。多数の意味で五百としたもの。

 

尼御前

在家でありながら剃髪した婦人のこと。御前は婦人に対する敬称。

 

はく

①ぬ・絹布のこと。②ぬさ。幣帛。神に捧げる礼物の帛。

 

達磨

禅宗の初祖。菩提多羅のこと。のちに般若多羅より法を受け、菩提達磨の名を授けられた。般若多羅は、かれの滅後67年に震旦に行って弘法せよと、達磨に游化を許したので、梁の普通元年、中国に入り、武帝に謁見したが受け入れられず、崇山少林寺に寓して壁に向かって坐禅したので、人々は彼を壁観婆羅門と呼んだ。大通2年に死去。唐の代宗は円覚大師とおくり名した。

 

戯論

児戯に類した無益な論議・言論のこと。

 

講義

日蓮大聖人から「無間地獄の業」と破折された念仏宗、「亡国の法」と断じられた真言宗、「天魔の所為」と喝破された持斎(禅宗)の僧侶達が、幕府権力にすがって大聖人を亡きものにしようとした様子を述べられている。

法義の破折に法論で答えることができず権力にすがるのは、経文の裏づけのない邪義に執着しているからであって、これは酒に酔っているのと同じであると指摘されている。

さらに、何も知らない庶民の男女が諸宗の僧侶のいうことにしたがって法華経を誹謗して地獄に堕ちることが哀れであると仰せられ、涅槃経において説かれた、法華経を謗じて地獄に堕ちる者は大地微塵よりも多く、信じて仏になる者は爪の上の土よりも少ないとの仏の予言どおりになっていることを明らかにされている。

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