妙法尼御前御返事(臨終一大事の事)第四章(妙法による成仏の確かな事を明かす)

————————————–(第三章から続く)——————————————-

白粉の力は、漆を変じて雪のごとく白くなす。須弥山に近づく衆色は、皆金色なり。法華経の名号を持つ人は、一生乃至過去遠々劫の黒業の漆変じて白業の大善となる。いおうや、無始の善根、皆変じて金色となり候なり。
 しかれば、故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経ととなえさせ給いしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給う。煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり。かかる人の縁の夫妻にならせ給えば、また女人成仏も疑いなかるべし。もしこのこと虚事ならば、釈迦・多宝・十方分身の諸仏は、妄語の人、大妄語の人、悪人なり。一切衆生をたぼらかして地獄におとす人なるべし。提婆達多は寂光浄土の主となり、教主釈尊は阿鼻大城のほのおにむせび給うべし。日月は地に落ち、大地はくつがえり、河は逆しまに流れ、須弥山はくだけおつべし。日蓮が妄語にはあらず、十方三世の諸仏の妄語なり。いかでか、その義候べきとこそおぼえ候え。委しくは見参の時申すべく候。
  七月十四日    日蓮 花押
 妙法尼御前申させ給え。

 

現代語訳

白粉の力は黒い漆を変えて雪のように白くします。須弥山に近づく諸々の色は、みな金色になります。法華経の題目を持つ人は一生ないし過去遠々劫の黒業の漆が変わって白業の大善となります。ましてや無始以来の善根はみな変じて金色となるのです。

それゆえ、故聖霊は最後臨終のときに南無妙法蓮華経と唱えられたのですから、一生ないし無始以来の悪業は変じて仏の種となっているのです。これが煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏という法門です。あなたはこのような人と夫妻の間柄となられたのですから、また女人成仏も疑いないでしょう。もしこのことが嘘であるならば釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏は嘘つきの人、大嘘つきの人、悪人であり、一切衆生をだまして地獄に堕とす人でしょう。逆に、提婆達多は寂光浄土の教主となり、教主釈尊は阿鼻地獄の炎におむせびになるでしょう。日月は地に落ち、大地は覆り、河はさかさまに流れ、須弥山は砕け落ちるでしょう。日蓮の妄語ではありません。十方三世の諸仏の妄語になるのです。どうしてそのようなわけがありましょうか。詳しくはお会いしたときに申し上げましょう。

七月十四日             日 蓮  花 押

妙法尼御前に申し上げてください。

語句の解説

須弥山

古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。

 

遠遠劫

長遠な時間。劫は梵語カルパ(Kalpa)の音写で、劫波、劫跛ともいい、長時・大時などと訳す。きわめて長い時間の意で、長遠の時間を示す単位として用いられる。

 

聖霊

使者の霊魂、なきたま、みたま。

 

煩悩即菩提

九界即仏界の哲理。煩悩がなければ悟りはない。人生に悩みがあるがその悩みがなくなったところが菩提ではなく、悩みそのものが菩提である。止観には「無明塵労は即菩提・生死は即涅槃なり」とあり、生死即涅槃の同意語。

 

生死即涅槃

生死とは迷い、涅槃とは悟り。この二つは一体のものであって不二であることをいう。止観には「無明塵労は即菩提・生死は即涅槃なり」とあり、煩悩即菩提の同意語。

 

即身成仏

凡夫が凡夫そのままの姿で成仏すること。法華経で説かれた法門である。爾前経では凡身を断ち、煩悩を断ってからでなくては成仏できぬとされ、悪人や女人は成仏できぬとされたが、法華経にきて提婆達多と竜女が即身成仏の現証を示したのである。この元意は法華経の根底に秘沈された文底の妙法・久遠元初の妙法を信じたがゆえの成仏であり、その妙法の本体は南無妙法蓮華経の当体、御本尊であり、題目を唱えることにより即身成仏するのである。凡夫即極・直達正観に通じる。

 

女人成仏

法華経以前の諸経では、女人は「地獄の使い」「永く成仏の期なし」等と不成仏が説かれ、また権大乗教には一応成仏も説かれているけれども、改転の成仏であり、即身成仏ではなかった。法華経提婆達多品第十二に至って、初めて女人成仏が説かれた。

 

多宝

多宝如来のこと。東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。

 

十方・分身の諸仏

中心となる仏が衆生教化のために、十方の世界に身を分かちあらわれた仏のこと。ここでは、虚空会座に集まった釈尊の分身仏をさす。

 

提婆達多

提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。

 

寂光浄土

仏法で説く四種類の国土の一つ。凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土である。たんに寂光土ともいう。仏の住む土、絶対的幸福境界の国土で妙法受持の行者の住処をいう。

 

阿鼻大城

阿鼻獄・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。

 

十方

十方は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。

 

三世

過去世・現在世・未来世のこと。三世の生命観に立つならば、生命の因果の法則は明らかである。開目抄には「心地観経に曰く『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』等云云」(0231:03)とあり、十法界明因果抄には「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり」(0432:12)とある。

講義

ここでは、妙法の力は過去遠々劫の悪業も転じて善業にするのであるから、妙法を唱えて亡くなっていった故聖霊すなわち妙法尼の夫の成仏は間違いないと断言されるとともに、その妻である妙法尼の成仏をも間違いないとされ、激励されているところである。

妙法尼の夫は、最後臨終のときの唱題の功徳によって、無始以来の宿業を転換して成仏の因とすることができたというのである。このように宿業がそのまま成仏の因となることを説いたのが煩悩即菩提・生死即涅槃の法門であり、今生においてその身のままで成仏することを即身成仏というのである。これらは、いずれも法華経において説き明かされた法門である。

そして、このような信心ある人と縁あって夫婦となった妙法尼もまた、法華経で説かれた女人成仏の法門に基づき、成仏は疑いないところであると述べられている。

大聖人が妙法尼の夫や尼の成仏の確かなことを述べられているのは法華経の法門に基づいての仰せであり、したがって、もしそうならないならば、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏は大嘘つきの人であり、悪人であり、一切衆生を騙して地獄に堕とす人である、とまでいわれている。それは、法華経を説いたのが釈迦仏であり、それを真実であると証明したのが多宝仏・十方分身の諸仏だからである。

そして、もしこのことが嘘であるなら、釈尊に敵対した提婆達多が仏の住する国土の主となり、釈尊は無間地獄に堕ちて炎にむせぶことになろう。また太陽や月が大地に落ち、大地が引っ繰り返って河がさかさまに流れて須弥山が砕け落ちることになる。そのようなことは絶対にありえないとされ、成仏の間違いないことの確信を促されている。

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