妙法尼御前御返事(臨終一大事の事)第三章(法理のうえから題目の功力を述べる)

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はたまた、「法華経の名号を臨終に二反となう」と云々。
法華経の第七の巻に云わく「我滅度して後において、応にこの経を受持すべし。この人は仏道において、決定して疑いあることなけん」云々。一代の聖教、いずれもいずれもおろかなることは候わず。皆、我らが親父・大聖・教主釈尊の金言なり。皆真実なり、皆実語なり。その中において、また小乗・大乗、顕教・密教、権大乗・実大乗あいわかれて候。仏説と申すは、二天三仙の外道、道士の経々にたいし候えば、これらは妄語、仏説は実語にて候。この実語の中に、妄語あり、実語あり、綺語も悪口もあり。その中に、法華経は実語の中の実語なり。真実の中の真実なり。真言宗と華厳宗と三論と法相と俱舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は、実語の中の妄語より立て出だせる宗々なり。法華宗は、これらの宗々にはにるべくもなき実語なり。法華経の実語なるのみならず、一代妄語の経々すら、法華経の大海に入りぬれば、法華経の御力にせめられて実語となり候。いおうや、法華経の題目をや。

————————————(第四章に続く)————————————————-

 

現代語訳

また、法華経の題目を臨終の時に二遍唱えたということですが、法華経の第七卷の如来神力品第二十一には「私の滅度の後にはこの経を受持すべきである。この人は仏道で必ず成仏することは疑いない」とあります。

釈尊一代の聖教はどれも疎略なことはありません。みな私達の父である大聖・教主釈尊の金言であり、みな真実であり、みな実語です。その中において、また小乗教・大乗教、顕教・密教、権大乗教・実大乗教と分かれています。仏説というのは二天・三仙・外道・道士の経々に対したときには、外道の経々は妄語で仏説は実語となります。この実語の仏説のなかにも妄語があり、実語があり、綺語もあり、悪口もあります。そのなかにあって法華経は実語のなかの実語であり、真実のなかの真実です。真言宗・華厳宗・三論宗・法相宗・倶舎宗・成実宗・律宗・念仏宗・禅宗等は実語の仏説のなかの妄語の教えに基づいて立てられた宗教です。

法華宗はこれらの諸宗とは比較にならない実語によるものです。法華経は実語であるだけでなく、釈尊一代の妄語の経々ですら法華経の大海に入ったときには法華経の御力によって実語となるのです。ましてや法華経の題目においてはなおさらです。

語句の解説

小乗

小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。

 

大乗

仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。

 

顕教

「けんきょう」「けんぎょう」とも読む。文字の上にあらわに説き示された教え。真言宗では応身の釈迦仏が説いた法華経を「顕教」とし、法身の大日如来が説いた教法を密教とするという邪義を立てている。

 

密教

呪術や儀礼、行者の憑依、現世肯定・性的要素の重視などを特徴とする神秘的宗教。インドにおいてヒンズー教の発展と密接な関係を持ち、大乗仏教と融合し、ネパール・チベット・中国・日本などに伝播していった。秘密仏教ともいう。真言宗の説く邪義がこれにあたる。

 

権大乗

大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。

 

実大乗

権大乗経に対する語。仏の真実の悟りをそのまま説き顕した経典。法華経のこと。

 

二天

もとはインドのバラモン教の神で、シヴァ(Śiva)とヴィシュヌ(Viṣṇu)のこと。シヴァは破壊の恐怖と万病を救う両面を兼ねた神とされ、ヴィシュヌは世界の維持を司る神とされていた。仏教では、シヴァ神は摩醯首羅天、梵語マヘシバラ(Maheśvara)と音写され、大自在天と訳され、ヴィシュヌ神は毘紐天と音写され、遍聞と訳されてあらわれた。摩訶止観輔行伝弘決巻第十によると、摩醯首羅天は色界の頂におり、三目八臂で天冠をいただき、白牛に乗り、白払を執る。大威力があり、よく世界を傾覆するというので、世を挙げてこれを尊敬したという。毘紐天については、大梵天王の父で、同時に一切衆生の親であるとされていた。

 

三仙

インドのバラモンの開祖といわれる迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆の三人をいう。迦毘羅は、インド六派哲学の一つ、数論学派、サーンキヤ学派(khya)の開祖。漚楼僧佉は、同じく六派哲学の一つ、勝論学派、バイシェーシカ学派(Vaiśeika)の開祖。勒娑婆は、尼乾子外道(ジャイナ教)の開祖であるといわれている。

 

外道

仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。

 

道士

①道教を修めてその道に練達した者。②神仙の術を行う者。③仏道を修業する者。

 

綺語

真実に反して巧みに飾り立てた言葉。十悪のひとつ。

 

真言宗

大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。

 

華厳宗

華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。南都六宗の一つ。一切経の中で華厳経が最高であるとし、万物の相関関係を説く法界縁起によって悟りの極致に達するとする。東晋代に華厳経が中国に伝訳され、杜順、智儼を経て賢首によって教義が大成された。賢首は五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に、唐僧の道璿が伝え、同12年(0740)に、新羅の僧・審祥が華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。

 

三論

三論宗のこと。竜樹の中論・十二門論、提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。日本には推古天皇33年(0625)、吉蔵の弟子の高句麗僧の慧灌が伝えたのを初伝とする。奈良時代には南都六宗の一派として興隆したが、以後、次第に衰え、聖宝が東大寺に東南院流を起こして命脈をたもったが、他は法相宗に吸収された。教義は、大乗の空理によって、自我を実有とする外道や法を実有とする小乗を破し、成実の偏空をも破している。究極の教旨として、八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道をとなえ

 

法相宗

解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。

 

倶舎

倶舎宗のこと。くわしくは「阿毘達磨倶舎」といい、薩婆多宗ともいう。訳して「対法蔵」。世親菩薩の倶舎論を所依とする小乗の宗派で、一切有部の教義を講究する宗派。わが国では法相宗の附宗として伝来し、東大寺を中心に倶舎論が研究された。

 

成実

四世紀頃のインドの学僧・訶梨跋摩の成実論を所依とする宗。教義は自我も法も空であるとの人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分別し煩悩から脱することを教えている。小乗教中では、最も進んだ教義とされる。五世紀初頭、鳩摩羅什によって成実論が漢訳されると、羅什門下によって盛んに研究された。しかし、天台大師や吉蔵によって小乗と断定されてから衰退した。

 

律宗

戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。

 

念仏宗

阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。

 

禅宗

禅定観法によって開悟に至ろうとする宗派。菩提達磨を初祖とするので達磨宗ともいう。仏法の真髄は教理の追及ではなく、坐禅入定の修行によって自ら体得するものであるとして、教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏などの義を説く。この法は釈尊が迦葉一人に付嘱し、阿難、商那和修を経て達磨に至ったとする。日本では大日能忍が始め、鎌倉時代初期に栄西が入宋し、中国禅宗五家のうちの臨済宗を伝え、次に道元が曹洞宗を伝えた。

講義

前の章では、白色ということから一往「此の人は天に生ぜるか」といわれたのであるが、妙法尼の夫が臨終の時に題目を二遍唱えたということからは、その功徳によって成仏は間違いないと述べられているところである。

題目の功徳を説かれた文証として、法華経如来神力品第二十一の末尾にある「我滅度の後に於いて応に此の経を受持すべし、是の人仏道に於いて決定して疑い有ること無けん」の文を挙げられている。この如来神力品は、釈尊から地涌の菩薩への付嘱が説かれている品である。滅後末法の正法を付嘱する、いわゆる結要付嘱の儀式が明かされているのである。その付嘱されたところの法こそ、三大秘法の南無妙法蓮華経である。したがって、この文にある「此の経」は、釈尊の法華経ではなく、南無妙法蓮華経のことなのである。

この文を挙げられた後、釈尊一代の聖教を簡潔に比較相対しながら、法華経が真実の教えであること、また妙法の開会の功力を説き示され、まして三大秘法の南無妙法蓮華経には更に偉大な力があると述べられている。

初めに、内外相対のうえから、釈尊の説いた教えはみな真実であり実語であるとされている。具体的には、古代インドのバラモン教で特に崇拝された摩醯首羅天・毘紐天の二天と迦毘羅・漚楼僧佉・勒沙婆の三仙、またバラモンの外道や神仙の術に通達した者達が説いた経々と比較相対するときは、仏説はいずれも実語ということができるのである。

しかし、その実語である仏説の中で比較相対したときには、妄語もあれば実語もある。そのなかで「法華経は実語のなかの実語」であり、他の諸経は「実語の中の妄語」であると述べられている。これは権実相対といえよう。

こうして相待妙という比較相対の視点から法華経こそ真実の実語であることを明かしたうえで、「法華経の実語なるのみならず一代妄語の経経すら法華経の大海に入りぬれば法華経の御力にせめられて実語となり候」と絶待妙という絶対開会の法華経の力用を示されている。絶待妙とは、法華経の妙理から判釈するとき、諸経に説かれた一切の教法は相対を絶して、すべてが法華経の真理を説き明かした真実の教えとなる、ということである。

この法華経よりも、南無妙法蓮華経の力用は、更に大きいとして「いわうや法華経の題目をや」と述べられているのである。

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