武蔵殿御消息
正元元年(ʼ59)7月17日 38歳 武蔵公
摂論三巻は給び候えども、釈論等の各疏候わざるあいだ、事ゆかず候。おなじくは給び候いて、みあわすべく候。見参のこと、いつにてか候べき。仰せをかぼり候わん。
八講は、いつにて候やらん。
七月十七日 日蓮 花押
武蔵殿御房
現代語訳
摂大乗論三巻はいただいたけれども、摂大乗論釈論等の各注釈書がないので事がすすまない。同じく送っていただいて、見合わせたいと思う。お目にかかれるのがいつになるか、お知らせいただきたい。法華八講はいつであろうか。
七月十七日 日蓮在御判
武蔵殿御房
語句の解説
摂論
摂大乗論のこと。漢訳に三種ある。①中国・北魏の仏陀扇多訳・二巻②中国・梁代の真諦訳・三巻③中国・唐代の玄奘訳・三巻。大乗阿毘達磨経の摂大乗品を解釈し、大乗の勝れている点を十種あげて論じたもの。
訳論
摂大乗論訳論のこと。摂大乗論の注釈書。天親の釈で、漢訳に三種ある。①中国・梁代の真諦訳・十五巻②中国・隋代の達磨笈多、行炬等訳10巻③中国・唐代の玄奘訳・十巻。また、天親の釈の他に無性の釈で、玄奘訳の十巻がある。なお、大智度論、釈摩訶衍論を「釈論」というばあいもある。
疏
障なく通ずること。そこから、経典などの文義の筋道を明確にし、わかりやすく説き分けること。また、その書をいう。
八講
法華八講のこと。法華経八巻を八座に分けて、一座に一巻ずつ講ずること。わが国では平安時代以降、中世にかけて盛んに行われた。金光明最勝王経を八座に分けて講ずるものをいうこともある。
講義
本抄は武蔵殿御房という人に摂大乗論釈論などを送ってくれるよう依頼されたお手紙である。武蔵殿は御書全集で本抄の前に収められている十住毘婆沙論尋出御書に出てくる「武蔵公御房」と同一人物であると考えられる。前出の御書では十住毘婆沙論を求められ、本抄では摂大乗論釈論を求められていることからも、同じ人である可能性が強く、また両書とも念仏の破折に欠かせない書であるので、守護国家論における念仏破折の資料と考えられ、本抄には御述作の年月日が「七月七日」の月日の記載しかないが、御述作年については守護国家論と同じ正元元年(1259)とされている。
本抄の御真筆はかつて身延にあったが、明治8年(1875)1月の火事で焼失している。
摂大乗論は無著の著で、大乗阿毘達磨経摂大乗品の釈論である。小乗に対して大乗が勝れている点を十種あげている。これを天親が注釈したものが摂大乗論釈論である。訳は真諦のものと玄奘のものとがある。
摂大乗論には四意趣が説かれている。四意趣とは、仏が説法するときに四つの意向があるということで、平等意趣・特別意趣・別義意趣・衆生意楽意趣である。そのなかの別時意趣では、多宝如来の名を誦する者は無上菩薩を得るのであり、ただ発願するのみで極楽世界に往生することができると説いている。この別時意趣の意義を摂大乗論釈論では次のように解説している。
「この意趣は嬾惰なる者をして、彼々の因に由りて彼々の法に於いて精勤修習せしめ、彼々の善根をして皆増長することを得しむ。此の中の意趣は多宝如来の名を誦するの因を顕す。是れ精進の因にして、唯名を誦するのみにて、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得るには非ず。説いて言える有るが如し、一の金銭に由りて千の金銭を得るには、豈一日に於いてならんや、意は別時に在り。一の金銭は是れ千を得る因なるに由るが故に此の説を作す。此も亦是の如し、唯発願するのみに由りて便ち極楽世界に往生するを得とは、当に知るべし亦爾前なり」と。
すなわち、摂大乗論で解釈している別時意趣で、多宝如来の名を唱えるだけで成仏するというのは、あくまでも仏道修行に怠惰な者を導くため、それだけで成仏できるかのように説いたものであって、真実は、それのみで成仏できるのではなく、仏の真意は別時にある。つまり、それによって仏道修行を積む心を起させ、将来に成道させることがねらいなのである。たとえば一の金銭で千の金銭を得ることができるといっても、たった一日で得られるわけではない。一の金銭が千の金銭を得る因となるという意味であって、あとあと得られるという「別時」が真意なのである。発願するのみで極楽世界に往生するというのも同じである、と。
この摂大乗論と摂大乗論釈論に依処にして立てられたのが摂論宗である。中国十三宗の一つであったが、法相宗に押されて勢いを失い、日本には伝えられていない。
この摂大乗論および同釈論の別時意趣と浄土の教えとは相容れない。浄土宗は阿弥陀を念ずるのみで往生世界に往生できると説くからである。摂論師達は、摂大乗論、及び同釈論の思想をもって浄土教の弥陀称名は別時意趣であると批判した。摂論師は法華経方便品にある「一称南無仏皆成仏道の文なども別時意趣であると批判し、一切経は別時意趣であり、諸行を積んで初めて往生できると説いた。
中国浄土宗の祖の一人・善導は、この摂論師を批判するのに、摂論師のいうごとく、諸行を行じて初めて往生できると説うのは、浄土教の順次往生の功徳を賊するので、雑行であり、浄土の教えは正行であると主張したのである。守護国家論で大聖人は次のように仰せである。
「善導和尚は亦浄土の三部経に依つて弥陀称名等の一行一願の往生を立つる時・梁・陳・隋・唐の四代の摂論師総じて一代聖教を以て別時意趣と定む、善導和尚の存念に違するが故に摂論師を破する時・彼の人を群賊等に譬う順次生の功徳を賊するが故に其の所行を難行と称することは必ず万行を以て往生の素懐を遂ぐる故に此の人を責むる時に千中無一と嫌えり、是の故に善導和尚も雑行の言の中に敢えて法華真言等を入れず」(0049:11)と。
すなわち、善導が仏道修行を雑行と正行に分けて雑行を千中無一と破折したのは、摂論師達の一切経別時意趣との非難に対して、摂論師の諸行往生では千人に一人も成道できないと主張したのであって、決して法華経などを雑行としたのではない。このことは、摂論師達との論争の経緯をみれば分かるのであり、法然が善導は法華経をも含めて雑行としたというのは、大変な邪義なのである。この事実を大聖人は、摂大乗論、同釈論の原典にかえって明らかにされようとしたのである。
先の十住毘婆娑論尋出御書で、大聖人は十住毘婆娑論を求められたが、これは同じく中国浄土教の祖である曇鸞・道綽が十住毘婆娑論によって雑行・易行・聖道門・浄土門を立てたが、そこは決して法華・涅槃を雑行・聖道門と批判していないことを原点にあたって証明され、法然の邪義を明らかにされるためであったとの軌を同じじくするものであり、その意味でも二つの御書は同一時期にあらわされたと考えられるのである。
こうしてみると、中国浄土教の三人の祖はそれぞれ浄土の教えを宣揚するにあたって雑行・易行・聖道門・浄土門・雑行・正行を立てたが、それらのいずれでも法華経を非難してはいないのである。にもかかわらず法華経を難行・聖道行・雑行に含めたものはすべて法然の我見であり、しかも、あたかも中国浄土教の祖がそう述べているかのように主張して、自己の邪説を正当化しようとしたのである。大聖人は守護国家論で各種文証を用いられて法然の我見を明快に破折されている。
大聖人が摂大乗論は受け取ったけれども、釈論等がないと事が進まない。それを見合わせたいとおおせになっているのは、このように守護国家論等の引用・主張を拝するとよく理解できるのである。
なお文末に法華八講がいつになるか問い合わせておられる。法華八講は、法華八巻を一座ずつ講ずるものであり、このことから武蔵殿は天台の学僧ではなかったかと推量される。