—————————————(第一章から続く)——————————————-
阿育大王と申せし王はこの天の日のめぐらせ給う一閻浮提を大体しろしめされ候いし王なり、此の王は昔徳勝とて五になる童にて候いしが釈迦仏にすなのもちゐをまいらせたりしゆへに かかる大王と生れさせ給う、此の童はさしも心ざしなし・たわふれなるやうにてこそ候いしかども仏のめでたくをはすればわづかの事も・ものとなりて・かかる・めでたき事候、まして法華経は仏にまさらせ給う事星と月とともしびと日とのごとし、又御心ざしもすぐれて候。
————————————-(第三章に続く)————————————————
現代語訳
阿育大王という王は、この太陽が照らす一閻浮提のほぼ全体を治めた王です。この王が昔、徳勝といっていた五歳の童子の時、釈迦仏に砂の餅を差し上げた功徳によりこのような大王と生まれたのです。この童子はそれほどの志もなく、戯れのように供養したのですが仏が尊かったので、わずかのことでもそれが因となって、そのようなめでたい果報を受けられたのです。まして、法華経が仏に勝れることは星と月と、燈と太陽のようです。また、御供養くださった尼御前の御心も徳勝童子に勝っています。
語句の解説
阿育大王
前3世紀頃の人。阿育は梵名アショーカ(Aśoka)の音写。阿輸迦とも書き、無憂と漢訳する。また天愛喜見王とも呼ばれる。インドのマウリア朝(前0317頃~前0180頃)第3代の王。祖父チャンドラグプタはナンダ朝を倒して、ほぼ全インドにわたる最初の大国家を建設し、阿育の時に全盛期を迎えた。阿育王は篤く仏教を信仰し、諸僧を供養するとともにその慈悲の精神を施政に反映した。さらに、八万四千の塔を造り、仏舎利を供養した。また、遠くギリシャ、エジプトの地にも使者を派遣し平和の精神を訴えた。
一閻浮提
閻浮提は梵語ジャンブードゥヴィーパ(Jumb-ūdvīpa)の音写。閻浮とは樹の名。堤は洲と訳す。古代インドの世界観では、世界の中央に須弥山があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとする。この南閻浮提の全体を一閻浮提といった。
徳勝
徳勝童子のこと。得勝童子とも書く。付法蔵経等によると、王舎城で乞食行をしていた釈尊に砂の餅を供養した二人の童子の一人。もう一人を無勝童子という。徳勝童子が供養し、無勝童子は横で合掌したという。その功徳によって釈尊滅後百年に徳勝童子は阿育大王と生まれ、無勝童子は阿育王の后、あるいは阿育王と同じ母のもとに生まれたという。
講義
御供養の志にちなんで、阿育大王の故事を引かれている。阿育大王がかつて得勝童子であった時に沙の餅を供養して阿育大王となったことはよく知られた説話である。ふつう、徳勝・無勝の故事が引かれるのは、たとえ貧しい物であっても、素直な信心の志で供養すれば大きな福徳となることを教えるためであるが、ここでは別の観点から引かれている。
本抄では、童子の志は「さしも心ざしなし・たわふれなるやうにて」と仰せのように、それほどの真心のこもったものではなかったが、供養した相手が仏という偉大な人であったから、大きな果報を生じたのだと仰せられている。童子の志は純粋ではあったが、仏道への深い志から発したものではなかった。五歳の童子とはいえ、土の餅が釈尊にも食べられないことは当然知っていたはずである。ゆえに「たわふれなるやうにて」と言われているのである。
しかし、その供養した相手が仏であった。その尊さゆえに、沙の餅を供養するという「わづかの事」であっても、大王と生まれる福徳を積んだと仰せになっているのである。
供養の志が純粋であることはもちろん大切である。しかし、供養する対象が何であるかということはもっと大事であり、それを誤ると、志が純粋であっても、功徳どころか大罰をも受けるのである。すなわち供養の対象の正邪というのは、供養するにあたって最も大切な要素であるといえよう。大聖人が阿育大王の故事でこのことを強調されたのは、尼の供養したのが、仏とは比べものにならない尊い法華経に対してであるから、功徳はさらに大きいことを教えられるためである。大聖人は御自分一身への供養として受けられるのではなく、法への供養として受領されたのである。
釈尊は尊いといっても、妙法蓮華経を修行して仏になったのであり、能生の根源である妙法蓮華経には遠く及ばない。したがって人は法に劣るのである。まさに「星と月とともしびと日とのごとし」である。末法の御本仏・日蓮大聖人は人法一箇の仏であられるが、ここでは大聖人の人の面は表に出さず、ひとまず法を表にされているのである。
このように、まず供養する対象の尊さを述べられて、次にその志について「又御心ざしもすぐれて候」と、信心の志も得勝童子の「たわふれなるやう」な志より、はるかに勝れていることを指摘され、次に、その功徳について述べられていくのである。
尼の供養は、徳勝に比較し、供養の対象、信心の志の、どちらについても、比べものにならないほど勝れている。かの徳勝童子でさえ阿育大王と生まれる果報を得たのであるから、尼の供養の功徳はどれほど大きいか計り知れないのである。