光日上人御返事 第一章(無間地獄の相貌を明かす)

光日上人御返事 第一章(無間地獄の相貌を明かす)

 弘安4年(ʼ81)8月8日 60歳 光日尼

 法華経二の巻に云わく「その人は命終して、阿鼻獄に入らん」云々。阿鼻地獄と申すは天竺の言、唐土・日本には無間と申す。無間はひまなしとかけり。一百三十六の地獄の中に、一百三十五はひま候。十二時の中に、あつけれども、またすずしきこともあり。たえがたけれども、またゆるくなる時もあり。この無間地獄と申すは、十二時に、一時かた時も大苦ならざることはなし。故に、無間地獄と申す。この地獄は、この我らが居て候大地の底二万由旬をすぎて、最下の処なり。これ、世間の法にも、かろき物は上に、重き物は下にあり。大地の上には水あり。地よりも水かろし。水の上には火あり。水よりも火かろし。火の上に風あり。火よりも風かろし。風の上に空あり。風よりも空かろし。人をもこの四大をもって造れり。悪人は、風と火とまず去り、地と水と留まる。故に、人死して後重きは、地獄へ堕つる相なり。善人は、地と水とまず去り、風・火留まる。重き物は去りぬ。軽き物は留まる。故に軽し。人天へ生まるる相なり。
 地獄の相、重きが中の重きは無間地獄の相なり。彼の無間地獄は縦横二万由旬なり。八方は八万由旬なり。彼の地獄に堕つる人々は、一人の身、大にして八万由旬なり。多人もまた、かくのごとし。身のやわらかなること、綿のごとし。火のこわきことは、大風の焼亡のごとし、鉄の火のごとし。詮を取って申さば、我が身より火の出ずること十三あり。二つの火あり。足より出でて頂をとおる。また二つの火あり。頂より出でて足をとおる。また二つの火あり。背より入って胸より出ず。また二つの火あり。胸より入って背へ出ず。また二つの火あり。左の脇より入って右の脇へ出ず。また二つの火あり。右の脇より入って左の脇へ出ず。また一つの火あり。首より下に向かって雲の山を巻くがごとくして下る。この地獄の罪人の身は、枯れたる草を焼くがごとし。東西南北に走れども、逃げ去る所なし。他の苦はしばらくこれを置く。大火の一苦なり。この大地獄の大苦を仏委しく説き給うならば、我ら衆生、聞いて皆死すべし。故に、仏委しくは説き給うことなしと見えて候。

 

現代語訳

法華経第二の巻の譬喩品にいわく「法華経誹謗の人は命終えて阿鼻地獄に入るであろう」と。阿鼻地獄というのは天竺の言葉で、阿鼻とは唐土および日本では無間という。無間は間断無しとの意である。地獄には百三十六の地獄があり、そのなかの百三十五は、苦しみに間断がある。十二時のほとんどが熱いといってもしばらくは涼しいこともある。その苦は堪え難いけれども、緩やかになるときもある。だがこの無間地獄というのは一日中で一時、片時も大苦でないことはない。故に無間地獄というのである。この無間地獄はわれわれの住んでいる大地の底・二万由旬をすぎて最も下の処にある。この世間の法則でも軽い物は上に重い物は下にある。大地の上には水がある。大地よりも水は軽いからである。水の上には火があり、水よりも火は軽い。火の上には風があり、火よりも風は軽い。風の上に空があり、風よりも空は軽いのである。人間もこの地水火風の四大で造られている。悪人は風と火とがまず去ってしまい地と水とが留まる故に、人が死んでのちに重いのは地獄へ堕ちた相である。善人は地と水とがまず去って風と火が留まる。重い物は去り軽い物が留まる故にその遺体は軽い。これは人界・天界へ生まれる相なのである。

地獄の相は重いが、そのなかでも最も重いのは無間地獄の相である。彼の無間地獄は縦横が二万由旬であり八方では八万由旬である。この無間地獄に堕ちた人々は身体が大きくなり八万由旬になる。多人数でも同じである。身体が柔らかくなることは綿のようなものであり、火が強いことは大風に吹かれて焼亡するようなものであり、鉄火のようなものである。詮じつめていえばわが身より火を出すことに十三ある。まず二つの火があり、この火は足から出て頭の頂を通り抜ける。また二つの火があって、この火は頭の頂から出て足へ通り抜ける。また二つの火があり、この火は背中から入って胸より出る。また二つの火があり、この火は胸から入り背中へ抜ける。また二つの火があり、この火は左の脇から入って右の脇へ抜ける。また二つの火があり、この火は右の脇から入って左の脇に出る。さらにまた一つの火があり、この火は頭から下へ向かって入り、雲が山を巻くようにおりる。そのためこの地獄の罪人の身体は枯れた草を焼くようなもので、罪人がこの猛火を避けようとして東へ西へ南へ北へと走るけれども逃げ去るところがない。以上はこの罪人の受ける他の苦をまず置いて大火の一苦だけを述べたものである。この阿鼻大地獄の大苦を仏が委しく説くならば、われわれ衆生は聞いて驚き皆死んでしまうゆえに、仏は委しく説くことはないとみえるのである。

 

語句の解説

一百三十六の地獄

長阿含経、倶舎論、正法念経等に説かれている。大小の地獄の全体の数で、八熱地獄は等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、大阿鼻地獄のおのおのに十六の別処があり、合わせて百二十八、これに八大地獄を加えて一百三十六の地獄となる。

 

十二時

一時は現在の二時間で、十二時で一昼夜、一日中のこと。十二時を二六時中ともいう。

 

二万由旬

由旬とは、里数をあらわす梵語。一由旬には諸説があるが、一般には大唐西域記の説を用い、帝王の一日の行軍里程で三十里(一里は600㍍)とも、四十里ともいわれている。したがって二万由旬は六十万里~八十万里。倶舎論の説によれば閻浮提の地下二万由旬のところに、たて、横、深さおのおの二万由旬の無間地獄があるといわれる。

 

四大

四大種の略称。地・水・火・風をいう。この地・水・火・風はともに空を依処としているのであり、五大と同意である。すなわち、妙法蓮華経を意味し、宇宙の根本を構成する要素であり、人間の五体もこの四大よりなっている。地は骨・肉・皮膚、水は血液、火は熱、風は呼吸をさす。

 

講義

タイトルとURLをコピーしました