諫暁八幡抄 第九章(世間の目を抉る大科を責む)

諫暁八幡抄 第九章(世間の目を抉る大科を責む)

 弘安3年(ʼ80)12月 59歳

法華経の第四に云く「仏滅度の後能く其の義を解せんは是れ諸の天人世間の眼なり」等云云、日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天・世間の眼にあらずや、眼には五あり所謂・肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり、此の五眼は法華経より出生せさせ給う故に普賢経に云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是れに因て五眼を具する事を得給う」等云云、此の方等経と申すは法華経を申すなり、又此の経に云く「人天の福田・応供の中の最なり」等云云、此等の経文のごとくば妙法蓮華経は人天の眼・二乗・菩薩の眼・諸仏の御眼なり、而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者なり、其の人を罰せざる守護神は一切の人天の眼をくじる者を結構し給う神なり、而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて法華経を無明の辺域にして明の分位に非ず後に望れば戯論と作る力者に及ばず履者とりにたらずと・かきつけて四百余年、日本国の上・一人より下・万民にいたるまで法華経をあなづらせ一切衆生の眼をくじる者を守護し給うはあに八幡大菩薩の結構にあらずや、去ぬる弘長と又去ぬる文永八年九月の十二日に日蓮一分の失なくして南無妙法蓮華経と申す大科に国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて一国の謗法の者どもに・わらわせ給いしは・あに八幡大菩薩の大科にあらずや、其のいましめとをぼしきは・ただどしうちばかりなり、日本国の賢王たりし上・第一第二の御神なれば八幡に勝れたる神はよもをはせじ、又偏頗はよも有らじとは・をもへども一切経並に法華経のをきてのごときんば・この神は大科の神なり、

 

現代語訳

法華経の第四に「仏の滅度の後に、能く其の義を解する人は諸の天人世間の眼である」等と説かれている。日蓮が法華経の肝心である題目を日本国に弘通しているのは、これすなわち「諸の天人世間の眼」ではないか。
 眼には五ある。すなわち肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼である。この五眼はみな法華経から生ずるのである。ゆえに観普賢菩薩行法経に「この方等経は、これ諸仏の眼である。諸仏はこれによって五眼を具えることができたのである」等と説かれている。このなかで「方等経」とあるのは法華経をいうのである。また同じく観普賢菩薩行法経に「人天の福田であり、応供のなかの最たるもの」等と説かれている。
 これらの経文のごとくであれば、妙法蓮華経は人天の眼であり、二乗や菩薩の眼であり、諸仏の御眼である。ゆえに、法華経の行者を怨む人は人天の眼をえぐる者であり、その人を罰しない守護神は一切の人天の眼をえぐる者の味方をしている神である。
 しかるに弘法、慈覚、智証等は、間違いなくその著書に「法華経は無明の分際で、明の分位ではない」「後の勝れた経に比べれば戯れの論である」「力者に及ばず、履物取りにも足りない」と書きつけている。それ以来四百余年、日本国中の上一人から下万民に至るまで法華経を侮らせ、一切衆生の眼をえぐる者を守護しているのは、八幡大菩薩ではないか。
 去る弘長元年と文永八年九月十二日に、日蓮にはいささかの失もないのに、ただ南無妙法蓮華経と唱えたことを大科に、国主の計らいであるとして八幡大菩薩の御前を引き回し、国中の謗法の者どもに日蓮を嘲笑させたのは、八幡大菩薩の大科でなくてなんであろうか。
 八幡大菩薩が謗法者を戒められたと思われるのは、ただ北条一門の同士討ちぐらいなものである。
 日本国の賢王であったうえ、第一、第二を争う神であるから、八幡大菩薩に勝れた神はよもやいない。また、偏頗であることはよもやあるまいと思うけれども、一切経ならびに法華経の文にある定めに照らせば、謗法の者を厳然と処罰しないこの神は、大科の神である。

 

語句の解説

普賢経
 中国・南北朝時代の宋の曇無蜜多訳。普賢経、観普賢経と略す。1巻。普賢経は法華経の教えをふまえた観法の実践を説くので、法華経の直後にその内容を承けて締めくくる経典(結経)と位置づけられた。無量義経(開経)と法華経(本経)と普賢経(結経)を合わせて法華三部経と呼ばれる。

方等経
 ❶大乗経典をさす。方等は広大な教えの意。❷方等部の経。❸十二部経。

人天
 人界と天界のこと、またその衆生。

福田
 仏は崇拝し供養した人に福徳をもたらすので、田畑に譬えられる。

応供
 サンスクリットのアルハトの訳、尊敬され供養を受けるのにふさわしい者の意。アルハトの主格アルハンを音写して阿羅漢と書く。如来の10の尊称である十号の一つ。部派仏教では、声聞の四つの位の最高位とされる。

二乗
 六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。

菩薩
 菩薩薩埵(bodhisattva)の 音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。

弘法
 (07740835)平安初期の僧。日本真言宗の開祖。空海ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。▷

慈覚
 (07940864)平安初期の天台宗の僧。第3代天台座主。円仁ともいう。伝教大師最澄に師事したのち唐に渡る。蘇悉地経など最新の密教を日本にもたらし、天台宗の密教(台密)を真言宗に匹敵するものとした。法華経と密教は理において同じだが事相においては密教が勝るという「理同事勝」の説に立った。また、五台山の念仏三昧を始めたことで、これが後の比叡山における浄土信仰の起源となった。主著に『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』など。唐滞在を記録した『入唐求法巡礼行記』は有名。日蓮大聖人は、円珍(智証)とともに伝教大師の正しい法義を破壊し人々を惑わせた悪師として厳しく破折されている。

智証
 (08140891)平安初期の天台宗の僧。第5代天台座主。円珍ともいう。空海(弘法)の甥(または姪の子)。唐に渡って密教を学び、円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。密教が理法・事相ともに法華経に勝るという「理事俱勝」の立場に立った。このことを日蓮大聖人は「報恩抄」などで、先師・伝教大師最澄に背く過ちとして糾弾されている。主著に『大日経指帰』『授決集』『法華論記』など。円珍の後、日本天台宗は円仁門下と円珍門下との対立が深まり、10世紀末に分裂し、それぞれ山門派、寺門派と呼ばれる。

戯論
 「言葉の上だけの空論」を意味する。特に空海(弘法)は『十住心論』『弁顕密二教論』で、真言の教えに対し他宗の教えを「戯論」と下しており、そのことを日蓮大聖人は「撰時抄」、「報恩抄」などで、法華経を誹謗するものとして追及されている。

力者
 こしかき。法師であって力仕事する人。

どしうち
 味方同士が相あらそうこと。

講義

日蓮大聖人自ら「諸天・世間の眼」であると宣示され、その大聖人を守護しない神は「大科の神なり」と、八幡大菩薩を責められている。
 最初に法華経見宝塔品第十一の「仏の滅度の後に、能く其の義を解せんは、是れ諸の天人、世間の眼なり」の文を引用され、「其の義」とは法華経の義であり、南無妙法蓮華経にほかならないことを述べられ、日蓮大聖人が法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を弘通されているのは、一切衆生の眼というべき立場であると断言されている。
 仏法では、物を見分け、認識する〝眼〟を五種類に立て分けている。「肉眼」とは、さえぎる物があれば見えなくなる我々凡夫の眼である。
 大智度論巻三十三には「近きを見て遠きを見ず、前を見て後を見ず、外をみて内を見ず、昼を見て夜を見ず、上を見て下を見ず」とある。
 「天眼」とは、天上界の衆生に具わっている眼とされ、肉眼の限界を破り、遠く、夜も見通す力をもつという。「遠近皆見て、前後、内外、昼夜、上下」ことごとく見ることができる眼である。俗にいう〝千里眼〟などはこの天眼の一分といえよう。
 「慧眼」とは、二乗界に具わる眼で、物事に固定した実体といったものはないという、生命の一実相を見抜く智慧の眼である。
 「法眼」とは、菩薩界の眼で、人々を救うため、世のすべてのことに通達した眼である。慈悲がその基盤にあるといえる。
 「仏眼」とは、仏が具えている眼で、時間的にいえば、過去世・現世・未来世の三世にわたり、空間的にいえば、十方すなわち全宇宙に至るまで、ことごとく見通す眼といえよう。大智度論に「事として聞かざるなく、事として見ざるなく、事として知らざるなく、事として難しと為すことなし」とある。
 この「五眼」が法華経から出生したことを、法華経の結経である仏説観普賢菩薩行法経には「此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏は是れに因って五眼を具することを得たまえり」と説かれている。
 更に同経の「人天の福田・応供の中の最なり」の文を示されている。「福田」は福徳を生ずる因のことで、全民衆に幸福を与えることであり、「応供」は仏の十号の一つで、人天の供養を受ける資格を有する者のことである。
 ゆえに、この法華経の肝心である妙法蓮華経を弘める「法華経の行者」を怨み迫害している人は「人天の眼をくじる者」であり、迫害者達を治罰しない神は「一切の人天の眼をくじる者」の味方をし、助けているのと同じである、と述べられている。
 そして、弘法・慈覚・智証等が法華経を「無明の辺域」「後に望れば戯論と作る」「力者に及ばず」「履者とりにたらず」等と誹謗していることを指摘され、彼らの邪義こそ、日本国の上一人から下万民に至るまで、こぞって法華経を侮らせた根源であり、「一切衆生の眼をくじ」いてきた元凶であって、彼らを八幡大菩薩が罰しないで逆に守護してきたことの罪を糾弾されている。
 その逆に、日蓮大聖人がなんの罪もなく、ただ南無妙法蓮華経を弘めているだけなのに、謗法の者達が二度にわたって流罪に処し、権力を動かして鎌倉八幡宮の前を引き回させ嘲笑したのを許したのも、八幡の大科でなくてなんであろうかと、厳しくただされている。
 わずかに謗法の者を戒めたと思われることは「ただどしうち」、つまり文永9年(12712月、執権・北条時宗とその異母兄・時輔との間の確執から起こった騒乱ぐらいのものだといわれている。
 八幡は日本では天照太神と並んで「第一第二の御神」であるから、八幡が遠慮しなければならない相手はいないはずであり、彼らのカタをもつべき義理もないはずであると、法華経守護の努力の足りなさを責められ、仏法に照らすならば、八幡大菩薩の罪は大きいと断じられている。

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