諫暁八幡抄 第四章(謗法責めぬ氏神を梵釈が治罰)
弘安3年(ʼ80)12月 59歳
今日本国を案ずるに代始まりて已に久しく成りぬ旧き守護の善神は定めて福も尽き寿も減じ威光勢力も衰えぬらん、仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに仏法の味は皆たがひぬ齢はたけぬ争でか国の災を払い氏子をも守護すべき、其の上謗法の国にて候を氏神なればとて大科をいましめずして守護し候へば仏前の起請を毀る神なり、しかれども氏子なれば愛子の失のやうに・すてずして守護し給いぬる程に法華経の行者をあだむ国主・国人等を対治を加えずして守護する失に依りて梵釈等のためには八幡等は罰せられ給いぬるか此事は一大事なり秘すべし秘すべし、有る経の中に仏・此の世界と他方の世界との梵釈・日月・四天・竜神等を集めて我が正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が人王・人民等の身に入りて悩乱せんを見乍ら聞き乍ら治罰せずして須臾もすごすならば必ず梵釈等の使をして四天王に仰せつけて治罰を加うべし、若し氏神・治罰を加えずば梵釈・四天等も守護神に治罰を加うべし梵釈又かくのごとし、梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし、若し然らずんば三世の諸仏の出世に漏れ永く梵釈等の位を失いて無間大城に沈むべしと釈迦多宝十方の諸仏の御前にして起請を書き置れたり。
現代語訳
今、日本国を考えてみるに、代が始まってから既に久しい時が経った。昔からの守護の善神は、きっと福運も尽き、寿命も減り、威光勢力も衰えているのであろう。
仏法の法味をなめてこそ威光勢力も増長するのに、仏法の法味は皆、違ったものとなってしまっている。歳はとってしまった。どうして、国の災いをはらい、氏子を守護することができよう。
そのうえ、謗法の国であるのを、氏神だからといって大罪を戒めずに守護したので、仏前の誓いを破る神となったのである。
それでも、氏子なので愛しい子の過ちのように見捨てずに守護してきたので、法華経の行者を怨む国主や国民等を対治を加えずに守護する罪によって、梵天や帝釈天等から八幡大菩薩等は罰せられたのであろうか。このことは一大事であり、秘すべきである、秘すべきである。
ある経のなかに「仏はこの世界と他方の世界の梵天・帝釈天や日天・月天や四天王や竜神等を集めて『我が正法・像法・末法の持戒や破戒や無戒等の弟子等を、第六天の魔王や悪鬼神等が人王や人民等の身に入って悩まし乱すのを、見ながら聞きながら治罰しないで、しばらくのあいだも過ごすならば、必ず梵天・帝釈天等が使いをやって四天王に命じて治罰を加えよ。もし氏神が治罰を加えないならば、梵天・帝釈天や四天王等も守護神に治罰を加えよ』と仰せられたところ、梵天・帝釈天等も同じく『必ず、この世界の梵天・帝釈天や日天・月天や四天等を治罰するであろう。もし、そうでなければ、三世の諸仏の出世に生まれ合うことなく、永く梵天・帝釈天等の位を失って無間地獄に沈むであろう』と釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏の御前で誓いを書き置かれた」とある。
語句の解説
氏子
氏神の子孫のこと。同じ氏神を祭る人々。
氏神
氏族が祖先の菩提と一族の繁栄を祈願するために建立し帰依した神社。
起請
神仏に誓いを立てて所願の成就を請い、背けば罰を受ける覚悟をすること。またその旨を記した文書をさす。「御成敗式目」の末尾には、誤った考えから法に背いた場合、「梵天帝釈、四大天王、惣じて日本国中六十余州の大小神祇、別して伊豆箱根両所権現、三島大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神、部類眷属」からの罰を受ける旨を記した起請文が付され、北条泰時ら式目の制定者たちが署名をしている。また同式目の起請文には「凡そ評定の間、理非に於ては親疎あるべからず。好悪あるべからず」などと、個人的な感情にとらわれず、道理を重んじなければならないことが記されている。
梵釈
梵天と帝釈天のこと。①梵天、サンスクリットのブラフマーの訳。①古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。②大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。②帝釈天、帝釈はシャクローデーヴァーナームインドラハの訳で、釈提桓因と音写する。古代インドの神話において、雷神で天帝とされるインドラのこと。帝釈天は「天帝である釈(シャクラ)という神」との意。仏教に取り入れられ、梵天とともに仏法の守護神とされた。欲界第2の忉利天の主として四天王を従えて須弥山の頂上にある善見城に住み、合わせて32の神々を統率している。
八幡
八幡宮の祭神。神仏習合の伝統から、正八幡大菩薩、八幡大菩薩ともいう。略して正八幡、八幡とも。古くは農耕の神とされていたが、豊前国(福岡県東部と大分県北部)宇佐に祭られてから付近で産出する銅産の神とされ、奈良時代に東大寺の大仏が建立された時にそれを助けたとして奈良の手向山に祭られた。その後、国家的神格として信仰を集め託宣神としても知られるようになった。平安時代の初めには朝廷から大菩薩の称号が贈られ、貞観元年(0859)に行教によって山城国(京都府南部)石清水に勧請された頃から、応神天皇の本地が八幡大菩薩であるとする説が広まり、朝廷の祖先神、京都の守護神として崇められた。鎌倉時代になると、八幡神は源氏の氏神として厚く尊崇され、また武士全体の守護神とされた。こうした古代・中世において、仏教が日本に普及する課程で、八幡神は梵天・帝釈天らインドの神々に次ぐ仏法の守護神と位置づけられた。御書には「八幡大菩薩は正法を力として王法を守護し給いけるなり」、「八幡大菩薩の御誓いは月氏にては法華経を説いて正直捨方便となのらせ給い、日本国にしては正直の頂に・やどらんと誓い給ふ」と仰せである。また本地垂迹説によって、八幡神の本地は釈尊とされるようになった。しかし一方で八幡神の本地を阿弥陀仏とする説も広まった(『神皇正統記』など)。これに対し「智妙房御返事」では「世間の人人は八幡大菩薩をば阿弥陀仏の化身と申ぞ、それも中古の人人の御言なればさもや、但し大隅の正八幡の石の銘には一方には八幡と申す二字・一方には昔霊鷲山に在って妙法蓮華経を説き今正宮の中に在って大菩薩と示現す等云云、月氏にては釈尊と顕れて法華経を説き給い・日本国にしては八幡大菩薩と示現して正直の二字を願いに立て給う、教主釈尊は住劫第九の減・人寿百歳の時・四月八日甲寅の日・中天竺に生れ給い・八十年を経て二月十五日壬申の日御入滅なり給う、八幡大菩薩は日本国・第十六代・応神天皇・四月八日甲寅の日生れさせ給いて・御年八十の二月の十五日壬申に隠れさせ給う、釈迦仏の化身と申す事は・たれの人か・あらそいをなすべき」と仰せになり、日蓮大聖人は、人々が阿弥陀仏を尊んで釈尊をないがしろにする誤りを糺されている。なお、大聖人は文永8年(1271年)9月、竜の口に連行される途中、若宮小路(鶴岡八幡宮の前の大通り)で馬から下り、八幡大菩薩に対して日本第一の法華経の行者を守護する誓いを今こそ果たすべきだと叱咤されている。現在、八幡神は豊前国宇佐、奈良の手向山、山城国(京都府南部)石清水、鎌倉の鶴岡、大隅国(鹿児島県東部)をはじめ全国各地に祭られている。
日月
日天と月天のこと。①日天、日天子とも。サンスクリットのスールヤの訳。インド神話では太陽を神格化したもの。仏教に取り入れられて仏法の守護神とされた。月天と併記されることが多い。日宮殿に住むとされる。②月天、月天子とも。サンスクリットのチャンドラの訳。インド神話では月を神格化したもの。仏教に取り入れられて仏法の守護神とされた。日天と併記されることが多い。長阿含経巻22では、月天子は月宮殿に住むとされる。基(慈恩)の『法華玄賛』巻2には「大勢至を宝吉祥と名づけ、月天子と作す。即ち此の名月なり」とあり、その本地は勢至菩薩とされる。法華経序品第には、釈提桓因(帝釈天)の眷属として名月天子の名が出ており、諸天善神の一つとされる。
四天
❶東西南北の四方。❷四天王の略。❸四天下の略。
竜神
八部衆(天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽)の2番目。金翅鳥、修羅、竜神とともに、地動を起こすといわれる。
持戒
戒を受け持つこと。
破戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。「破戒」とは戒を破る者の意。戒は小乗に五戒・八斉戒・十戒・二百五十戒・五百戒等、権大乗教に十重禁戒・四十八軽戒・三聚浄戒、法華経には衣座室の三軌・四安楽行・普賢四種の戒等がある。末法においては受持即持戒で、正法を受持し、信行に励むことが唯一の戒となる。ゆえに破戒の根本は、一闡堤、すなわち不信になるのである。
無戒
一度も戒を受けていないこと。
第六天の魔王
欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
悪鬼神
鬼神は中国では死者の霊魂をいう。混沌とした世にあって不思議な力を持つものをいうが、仏法では、仏道修行を妨げ、衆生を悩ます夜叉・羅刹等の総称。
須臾
時間の単位。①一昼夜の30分の1をさす場合と、②最も短い時間の単位(瞬時)をさす場合がある。
四天王
古代インドの世界観で、一つの世界の中心にある須弥山の中腹の四方(四王天)の主とされる4人の神々。帝釈天に仕える。仏教では仏法の守護神とされた。東方に持国天王、南方に増長天王、西方に広目天王、北方に毘沙門天王(多聞天王)がいる。法華経序品第1ではその眷属の1万の神々とともに連なり、陀羅尼品第26では毘沙門天王と持国天王が法華経の行者の守護を誓っている。日蓮大聖人が図顕された曼荼羅御本尊の四隅にしたためられている。
三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。小乗教では過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏を挙げている。
無間大城
無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
釈迦多宝
法華経を説いた釈尊と、その正しさを証明した多宝如来のこと。
十方の諸仏
四方(東・西・南・北)、四維(南東・南西・北西・北東)、上下の十方にいる仏。すなわち、すべての仏たち。法華経では、霊山浄土に集っていて法華経の行者を導き守ると説かれている。
講義
謗法の国と化した日本を諸天善神が戒めないのは、仏前の誓いを破ることであり、それゆえに八幡等の氏神は梵天・帝釈・四天王等によって治罰を被っているのであると述べられている。すなわち、古代から国を守護する八幡等の善神は、既に福も尽き、寿命も減り、威光勢力も衰えてきている。
しかも、善神の活力源たる法味を与える仏法は、ことごとく邪宗邪義と化しているため、守護する力を失っているのであるが、氏子であるということから、謗法を犯している日本国の人々を八幡は守ろうとしている。このため、梵天・帝釈等の治罰を受けたのであると言われている。
「此事は一大事なり秘すべし秘すべし」と仰せられているのは、神といえども仏法には従わなければならないことを示されているのであるが、八幡といえば、当時の武士にとって最も尊崇された神であるから、このように公言すると、必ず門下に大きな弾圧が加えられることを配慮されたのであろう。
諸天善神について
本抄で八幡大菩薩を氏神と呼ばれている。「氏神」とは地縁あるいは血縁集団が信仰する神のことであるが、もとは氏族による一族一門の先祖や英雄などを祀ったものである。「氏子」は氏神の子孫、また転じて同じ氏神を祀る人々をいう。
八幡大菩薩はもともと農耕神とされ、豊前国(大分県)宇佐に祀られていた。
奈良時代の東大寺大仏造立の時、宇佐付近で銅を産したことから、大仏造立を助けたとされ、奈良の手向山に祀られ、以来、仏教との関係を深め、また国家的神格として広い信仰を集めるようになり、託宣神としても知られるようになった。
平安時代初期には、朝廷から大菩薩号を贈られ、神仏習合の先駆となった。その結果、僧形八幡像なども造られた。
貞観元年(0859)に、行教という人により山城国(京都府)石清水に勧請されたころから、京都守護神として崇拝され、応神天皇の本地が八幡大菩薩であるとの説が広まった。
その後、清和源氏などから氏神として崇められ、とくに源氏の信仰を集めたことから、武神的性格を帯び、武士の守護神として弓矢八幡などが造られた。
源頼義(0988~1075)は京都の石清水八幡宮の分霊を鎌倉の由比郷に迎えて神社を建て、それをまた源頼朝(1147~1199)が鎌倉鶴岡の現在地に移し鎌倉幕府の守護神として崇められた。
以上のように八幡が日本国の氏神であるのに対し、この世界全体を統括し、善を守り悪を挫く神が梵天・帝釈・四天王等である。
梵天とは大梵天王のことで、色界の初禅天に住し、娑婆世界を統括する主神とされる。梵とは清浄、寂静、淨行の義である。
帝釈は釈提桓因、天帝釈ともいい、世界の中心とされる須弥山の山頂・喜見城に住み、四天王を従えて、三十三天を統領しているといわれる。
インド神話では最高神とされ、もともとは雷電の威力のすさまじさを擬人化したのが帝釈天の原形である。
梵天・帝釈は諸天善神の代表であり、仏の説法のときは仏の左右に列なり、法を守護する。
四天王とは、須弥山の四面の中腹にある四王天の主で、持国天、広目天、毘沙門天、増長天のことである。それぞれ一天下を獲ることから護世四王ともいい、帝釈天の外将である。
持国天は治国天ともいい、東方を守護する。他の西南北の三州をも兼ねて守護するので持国という。また「安民」の名もあり、文字どおり国土を平和に治め、民を安穏に守護する働きである。
広目天は西方を守護し、浄天眼をもって常に衆生を観察している。悪を見破り、悪人を懲らして仏心を起こさせる。
毘沙門天は多聞天ともいい、北方を守護する。財宝富貴を司って、その力で仏法を守護する。また、常に仏の説法を多く聞き、仏の道場、法座を守ることから多聞天の名がある。
増長天は南方を守護し、衆生の所業の善悪を検討し、帝釈天に報告する。また増長とは免離の意味で、煩悩や不孝を近づけない働きとされている。
すなわち、梵天・帝釈・四天王等のほうが天照大神や八幡よりはるかに上位にある諸天善神であり、八幡等が氏子への愛着から「愛子の失のやうに」謗法の大罪を罰しようとしない場合は、八幡等は梵天・帝釈・四天王等によって治罰を受けなければならない、とされるのである。
同様に「有る経の中に」として、この娑婆世界の梵天・帝釈等が謗法の衆生を罰しなければ、他の世界の梵天等から治罰を被ることになる。
そして、梵天・帝釈等は、正法を守り、謗法を罰するという責務を果たさなければ「三世の諸仏の出世に漏れ」で〝法味〟を味わうことができなくなり、諸天の位を失って「無間大城に沈む」ことになるのである。
言い換えると、諸天は天界の衆生としての寿命をもっているのであるが、正法守護の責任をないがしろにした場合は、その寿命を失い、ちょうど我々人間が人界の寿命が終わると、謗法の罪があれば無間地獄に堕ちなければならないように、彼ら天界の衆生も無間地獄に沈まなければならないのである。