諫暁八幡抄 第二章(権大乗は末法に無益)
弘安3年(ʼ80)12月 59歳
此の時仏出現し給いて仏教と申す薬を天と人と神とにあたへ給いしかば燈に油をそへ老人に杖をあたへたるがごとく天神等還つて威光をまし勢力を増長せし事成劫のごとし仏教に又五味のあぢわひ分れたり在世の衆生は成劫ほどこそなかりしかども果報いたうをとろへぬ衆生なれば五味の中に何の味をもなめて威光勢力をもまし候き、仏滅度の後正像二千年過て末法になりぬれば本の天も神も阿修羅・大竜等も年もかさなりて身もつかれ心もよはくなり又今生れ来る天・人・修羅等は或は小果報或は悪天人等なり、小乗・権大乗等の乳・酪・生蘇・熟蘇味を服すれども老人に麤食をあたへ高人に麦飯等を奉るがごとし、而るを当世此を弁えざる学人等古にならいて日本国の一切の諸神等の御前にして阿含経・方等・般若・華厳・大日経等を法楽し倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・浄土・禅等の僧を護持の僧とし給える唯老人に麤食を与へ小児に強飯をくくめるがごとし、
現代語訳
このときに仏が出現されて、仏教という薬を天と人と神に与えられると、燈に油を差し、老人に杖を与えたように、諸天善神等は再び威光を増し、成劫の時のように勢力を増長したのであった。
仏教は、また五種の味に分かれており、釈尊在世の衆生は成劫ほどではなかったけれども、果報がそれほど衰えていない衆生なので、五種の味のなかのどの味を嘗めても威光勢力を増した。
仏滅度の後、正法・像法の二千年が過ぎて末法になると、元の天も神も阿修羅や大竜等も年もとって、身も疲れ、心も弱くなり、また、今、生まれてくる天人や修羅等は小果報であるか、あるいは悪天人等であり、小乗教や権大乗教等の乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味を服しても、老人に粗末な食べ物を与え、高貴な人に麦飯等を差し上げるようなものである。
ところが、当今の世に、これをわきまえない学者等が昔に倣って、日本国の一切の諸神等の前で阿含経・方等経・般若経・華厳経・大日経等を奉納し、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・浄土宗・禅宗等の僧を護持僧としているのは、ちょうど老人に粗末な食べ物を与え、小児にかたい飯を食べさせるようなものである。
語句の解説
五味
もとは涅槃経にある教説で、釈尊の種々の教えを牛乳が精製される時に生じる5段階の味に譬え、位置づけたもの。①乳味(牛乳そのもの)②酪味(発酵乳、ヨーグルトの類)③生蘇味(サワークリームの類)④熟蘇味(発酵バターの類)⑤醍醐味(バターオイルの類)の五つをいう。乳味が一番低い教えにあたり、醍醐味が最高の教えにあたる。天台教学では、経典を釈尊が説いた順に整理して五つに分類し、5番目の時期、すなわち釈尊の真意を説いた法華経・涅槃経を説いた時期を最高の味である醍醐味に譬え、それ以前の華厳・阿含・方等・般若という四つの時期の教えをそれぞれ乳・酪・生蘇・熟蘇の四味に譬えた。
正像二千年
仏滅後、正法時代1000年間と像法時代1000年間のこと。正法とは仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。像法とは正法時代の次に到来する時代。像は似の義とされ、形式化して正しい教えが失われていく時代。
末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
阿修羅
①サンスクリットのアスラの音写。修羅と略す。古代インドの鬼神の一種。古くは善神だったが帝釈天らに敵対する悪神とされるようになった。後に、仏教で守護神に組み込まれた。②修羅界
大竜 仏法を守護する八部衆のひとつで、畜生類に属する。海や池などの水中に住し、天に昇って雲を起こし、雨などを自在にしはいするとされた。
修羅
阿修羅のこと。サンスクリットのアスラの音写。古代インドの鬼神の一種。古くは善神だったが帝釈天らに敵対する悪神とされるようになった。後に、仏教で守護神に組み込まれた。
小乗
乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。
権大乗
大乗のうち権教である教え、経典。
乳・酪・生蘇・熟蘇味
五味のうちの醍醐味をのぞいたもの。① 乳味 (搾ったままの牛乳の味)② 酪味 (牛乳を精製した最初の段階の味)③ 生蘇味(酪を精製したものの味④ 熟蘇味(生蘇を精製したものの味)⑤ 醍醐味(熟蘇を精製してできた最高の段階の味)。涅槃経第十四に「善男子、譬えば牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生穌を出し、生穌より熟穌を出し、熟穌より醍醐を出す。醍醐は最上なり。若し服する者有れば、衆病皆除く。有る諸薬は悉く其の中に入るが如し。善男子、仏も亦是くの如し。仏より十二部経を出生し、十二部経より修多羅を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅密を出し、般若波羅密より大涅槃経を出す。猶し醍醐の如し。醍醐と言うは仏性に喩う。仏性とは即ち是れ如来なり」とある。天台大師はこの五味を五時に配して、華厳時は乳味、阿含時は酪味、方等時は生蘇味、般若時は熟蘇味、法華涅槃時は醍醐味とし、教が順序次第に生ずること、また衆生の機が順序次第に熟することにたとえている。日蓮大聖人は、法門を五味にたとえれば、内外相対すると儒教の三千巻の書やバラモン教の主要な十八の経典は乳味に劣る衆味であり、それに対すれば小乗の阿含経は醍醐味にあたるとされている。更に仏教のなかでは、阿含経は乳味、観経等の方等部の経は酪味、般若経は生蘇味、華厳経は熟蘇味、無量義経と法華経と涅槃経は醍醐味にあたる、と述べられている。大聖人は、経典の内容、深さから法華経に次ぐ教理を説く華厳経を熟蘇味とされたものであろう。その他、五味は酸・苦・甘・辛・鹹の五種の味をさすこともある。
阿含経
阿含はサンスクリットのアーガマの音写で、「伝承された聖典」の意。各部派が伝承した釈尊の教説のこと。大きく五つの部(ニカーヤ)に分類される。歴史上の釈尊に比較的近い時代の伝承を伝えている。漢訳では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四つがある。中国や日本では、大乗との対比で、小乗の経典として位置づけられた。
方等
方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
般若
「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
華厳
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。
法楽
仏の覚りを享受する最高絶対の幸福のこと。妙法の功徳を自身で享受すること。「四条金吾殿御返事」には「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く『衆生所遊楽』云云、此の文・あに自受法楽にあらずや」と述べられている。
倶舎
倶舎宗のこと。くわしくは「阿毘達磨倶舎」といい、薩婆多宗ともいう。訳して「対法蔵」。世親菩薩の倶舎論を所依とする小乗の宗派で、一切有部の教義を講究する宗派。わが国では法相宗の附宗として伝来し、東大寺を中心に倶舎論が研究された。
成実
インドの訶梨跋摩(ハリーヴァルマン)の『成実論』に基づく学派。『成実論』は、経量部の立場から説一切有部の主張を批判し、大乗仏教に通じる主張も含んでいる。我も法も空であるという人法二空を説き、万物はすべて空であり無であるとする。この空観に基づいて修行の段階を27(二十七賢聖)に分別して煩悩から脱すると説いている。5世紀の初めに鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されると、弟子の僧叡・僧導らによって研究が盛んに行われた。しかし三論宗が興って『成実論』が小乗と断定されてから衰えた。日本では南都六宗の一つとされるが、三論宗に付随して学ばれる寓宗である。
律
❶戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。❷奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
法相
玄奘が唐に伝えた唯識思想に基づき、その弟子の慈恩(基)が確立した学派。法相とは、諸法(あらゆる事物・事象、万法とも)がそなえる真実の相のことで、この法相のあり方を明かすので法相宗という。また、あらゆる事物・事象は心の本体である識が変化して仮に現れたもので、ただ識のみがあるとする唯識思想を主張するので唯識宗ともいう。日本には4次にわたって伝来したが、653年に道昭が唐に渡って玄奘から学び、帰国して飛鳥の元興寺を拠点に弘通したのが初伝とされる。奈良時代には興福寺を拠点に隆盛した。
三論
竜樹(ナーガールジュナ)の『中論』『十二門論』と提婆(アーリヤデーヴァ)の『百論』の三つの論に基づく学派。鳩摩羅什が三論を訳して、門下の僧肇が研究し、隋に吉蔵(嘉祥)が大成した。日本には625年、吉蔵の弟子で高句麗僧の慧灌が伝え、奈良時代に興隆する。平安時代に聖宝が東大寺に東南院を建立して本拠とした。般若経の一切皆空無所得(あらゆるものに実体はなく、また実体として得られるものはない)の思想に基づき、八不中道(8種の否定を通じて明らかになる中道)を観ずることで、一切の偏見を排して真理を顕すとする。
華厳
華厳経に基づく学派。中国・唐の初めに杜順が一宗を開いたとされ、弟子の智儼が継承し、法蔵が大成した。日本では740年、審祥が初めて華厳経を講じ、日本華厳宗を開いたとされる。第2祖の良弁は聖武天皇の帰依を得て、東大寺を建立し別当になった。華厳の思想は時代や地域によって変容してきたが、鎌倉時代に華厳教学を体系化した凝然(1240年~1321年)によれば、五教十宗の教判によって華厳宗の教えを最高位の円教とし、その特徴を事事無礙法界(あらゆる事物・事象が互いに妨げることなく交流しあっているという世界観)とした。
浄土
念仏宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
禅
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
護持の僧
①弘教を護り持つ僧。②祈禱する僧。
強飯
固い飯。
くくめる
含める。含ませること。
講義
衆生の果報が衰滅したため天神等の威光勢力が弱くなったとき、これを増長させたのが仏教であった。しかし、仏の滅後、正像二千年過ぎて末法になると、小乗や権大乗の仏教では天神の威光勢力を増大させることができなくなったことを述べられている。
仏教に又五味のあぢわひ分れたり
仏教といっても、内容は「五味」に分かれ、勝劣・浅深・高低があるということである。
「五味」とは、牛乳が精製されるときに生じる五段階の味のことで、乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味をいう。
乳味は、牛から搾り取ったままの原乳の味である。「本草綱目」を参考にした研究によると、牛乳を加熱し放冷した後、上面にできる凝固物を生蘇、下層を酪とする。
この上層にできた生蘇を加熱し放冷してできる固形物が熟蘇にあたり、その熟蘇に穴をあけて滲みだしてくる液状のものを醍醐という。実験で得られた記録によれば、醍醐は、室温ではバタークッキーのような香りをもった、やや黄色みを帯びたクリーム状のかたまりで、温めると黄金色の液体となり、ほぼ純粋のバターオイルであったという。
また、味が最高というよりは、滋養が最高の栄養食品だったようである。この「醍醐」は牛乳100㌘から、わずか1㌘しか取れなかったという。
「五味の譬」は、釈尊が涅槃経巻十四で説いたものであるが、中国の天台大師は、釈尊の一代聖教を、華厳、阿含、方等、般若、法華・涅槃の「五時」に分け、その「五時」の教に「五味」を配し、教えが順序次第に生ずることにたとえ、また機が順序次第に熟することにたとえている。そして、その内容を比較して、法華・涅槃時を最も勝れた醍醐味の教えであるとしている。
日蓮大聖人も本段で、この「五味」を経の浅深・高下による判釈に用いられ、一代の諸経のなかで「阿含小乗経は乳味のごとし方等・大集経・阿弥陀経・深密経・楞伽経・大日経等は酪味のごとし、般若経等は生蘇味の如く華厳経等は熟蘇味の如く法華・涅槃経等は醍醐味の如し」と示されている。
それでは、法華経と涅槃経の関係はどうなるのかという疑問が生ずるが、この点について、天台大師は、両者は同じ醍醐味にあたるとはいえ、法華経は純円独妙の教えで、法華の会座での救済に漏れた人々を救うために涅槃経が説かれたとしている。
つまり、涅槃経では蔵・通・別・円の四教が繰り返し説かれたのであり、法華経と同じく円教であるとはいえ、権教を帯びた円、すなわち帯円であり、法華経を秋の収穫にたとえると、涅槃経はその後の落ち穂ひろいにたとえられるのである。
法華経法師品第十に説かれる「已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」という言葉において、〝当説〟のなかに、最後の説法である涅槃経が含まれることは明瞭であり、この文は、法華経が涅槃経より勝れるとの文証としてしばしば引かれる。
さて、釈尊在世の衆生は成劫ほどの果報はなかったが、それほど天神の衰えも甚だしくなかったので、「五味」のなかのどのような教えによっても、威光勢力を増長させることができた。しかし、釈尊の入滅後、正像二千年を過ぎて末法の時代に入ると、天神等の威光勢力は甚だしく衰えてくる。
また新たに生まれてくる天人・修羅等の衆生も、小果報の者か、悪い天人等であるから、小乗、権大乗の諸経によっては、一向に威光勢力を増すことができない。それはちょうど「老人に麤食をあたへ高人に麦飯等を奉る」ようなものだとたとえられている。
つまり、末法の衆生や天神等に威光勢力を与える仏の教えは、醍醐味である法華経以外にないということである。
それにもかかわらず、このことをわきまえない当世の学者らは、釈尊在世や正像時代と同じに考えて、日本国の諸神の前で、小乗・権大乗の諸経を法楽のために読誦し、また、これらを依経とした諸宗の僧らを諸神の「護持の僧」としているが、それはあたかも「老人に麤食を与へ小児に強飯をくくめる」ようなものだとたとえられている。