諫暁八幡抄 第十四章(諸宗破折に寄せる疑難を破す)
弘安3年(ʼ80)12月 59歳
我が弟子等が愚案にをもわく我が師は法華経を弘通し給うとてひろまらざる上大難の来れるは真言は国をほろぼす念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊との給うゆへなり、例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云、日蓮我が弟子に反詰して云く汝若し爾らば我が問を答えよ一切の真言師・一切の念仏者・一切の禅宗等に向て南無妙法蓮華経と唱え給えと勧進せば彼等の云く我が弘法大師は法華経と釈迦仏とを・戯論・無明の辺域・力者・はき物とりに及ばずと・かかせ給いて候、物の用にあわぬ法華経を読誦せんよりも其の口に我が小呪を一反も見つべし一切の在家の者の云く善導和尚は法華経をば千中無一・法然上人は捨閉閣抛・道綽禅師は未有一人得者と定めさせ給へり汝がすすむる南無妙法蓮華経は我が念仏の障りなり我等設い悪をつくるともよも唱えじ一切の禅宗の云く我が宗は教外別伝と申して一切経の外に伝へたる最上の法門なり一切経は指のごとし禅は月のごとし天台等の愚人は指をまほつて月を亡いたり法華経は指なり禅は月なり月を見て後は指は何のせんか有るべきなんど申す、かくのごとく申さん時はいかにとしてか南無妙法蓮華経の良薬をば彼れ等が口には入るべき
現代語訳
我が弟子のなかに愚かな思案をして「我が師が法華経を弘通しようとして広まらないうえ、かえって大難がきているのは『真言は国を亡ぼし、念仏は無間地獄に堕ち、禅は天魔の所為であり、律僧は国賊である』といわれるからである。たとえば当方に道理がある訴訟のなかに、わざわざ悪口雑言をまじえるようなものである」などという者がいる。
そうした弟子に反詰して日蓮がいう。「汝、もしそれならば我が問いに答えよ。一切の真言師、一切の念仏者、一切の禅宗等に向かって、南無妙法蓮華経と唱えよと勧めると、彼らのなかの真言師は『我が弘法大師は法華経を戯論といい、釈迦仏を無明の辺域で明の分際ではない、力者に及ばず、履物取りにも及ばないといわれている。そのような物の用に立たない法華経を読誦するよりも、それを唱える口で我が真言の小呪を一遍でも唱えた方がよい』と。一切の在家の者は『善導和尚は法華経を千中無一と下し、法然上人は捨閉閣抛、道綽禅師は未有一人得者と定め置かれた。汝が勧める南無妙法蓮華経は我が念仏の障りとなるから、我らはたとえ悪業をつくることがあっても題目だけは唱えない』といい、一切の禅宗は『我が宗は教外別伝といって、一切経の外に伝えられた最上の法門である。一切経は月をさす指のようなものであり、禅の法門は月そのものである。天台等の愚人は指にとらわれて月を見失っているようなものである。法華経は指であり、禅は月である。月を見て後、指はなんの用があるというのか』などという。このように申すときは、どのようにして南無妙法蓮華経の良薬を彼らの口に入れられるというのか」と。
語句の解説
問注
①問うて記録すること。②原告と被告を取り調べ、その陳述を記録すること。③訴訟して対決すること。
勧進
勧め、さそうこと。①人々に勧めて仏道に入らせ、善に向かわせること。②仏寺・仏像の建立・修善などのために、人々に功徳善根を勧めて寄付を募ること。また、それにたずさわる人。
小呪
短いわずかな呪。仏の教法を心にもって亡失させない能力。仏の本誓を示す秘密の語。
善導和尚
(0613~0681)中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
千中無一
「千人のうち一人も成仏する者はいない」との意。善導の『往生礼讃偈』の文。五種の正行(極楽に往生するための5種類の修行)以外の教えを修行しても、往生できる者は千人の中に一人もいないということ。
法然上人
(1133~1212)法然房源空のこと。平安末期から鎌倉初期の僧。日本浄土宗の開祖。天台宗の僧であったが、中国浄土教の善導の思想に傾倒し、他の一切の修行を排除し念仏口称をもっぱら行う専修念仏を創唱した。代表著作の『選択集(選択本願念仏集)』では、法華経をも含む一切の経典の教えを捨て閉じ閣き抛てと排除し、もっぱら念仏をとなえることによって往生を願うべきであると説いた。法然の専修念仏に対しては、当初、後白河法皇や摂政・関白を歴任した九条兼実ら有力者の支持を得たが、やがて諸宗派からの反発が強まる。朝廷・幕府も禁止の命令を出し、建永2年(1207)、法然らが流罪され、高弟が死罪に処せられた。その後も繰り返し禁圧が続くが、念仏は広がっていった。弟子に親鸞がいる。
捨閉閣抛
「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」を意味する。日本浄土宗の開祖・法然(源空)が著した『選択集(選択本願念仏集)』の趣意。同書の中に「弥いよ須く雑を捨て専を修すべし」「随自の後には還て定散の門を閉づ」「且く聖道門を閣いて選んで浄土門に入れ」「且く諸の雑行を抛て選んで応に正行に帰すべし」などとあり、これらから捨・閉・閣・抛の4字を選び、法然の主張が浄土宗以外のすべての仏教を否定するものであることを示した語。具体的な内容は「立正安国論」で引用されている。
道綽禅師
(0562~0645)中国・隋から唐にかけての浄土教の祖師。はじめ涅槃経に傾倒していたが、曇鸞の碑文を見て改心して浄土教に帰依した。釈尊の教えを浄土門とそれ以外の聖道門とに分け、聖道門を誹謗した。弟子に善導がいる。主著に『安楽集』がある。
未有一人得者
道綽の『安楽集』巻上の文。「未だ一人も得る者有らず」と読み、「まだ一人も成仏した者がいない」との意。本書では悪世末法において、真実に利益のある教えは、聖道門・浄土門のうち、ただ浄土門のみであり、他の一切の教えでは、いまだ一人として得道した者はないと説く。
教外別伝
禅宗の主張。大梵天王問仏決疑経に基づいて、釈尊の真意は言葉や文字による教えではなく心から心へ摩訶迦葉に伝承されたとする。
講義
日蓮大聖人の弟子門下のなかに、大聖人が「四箇の格言」をもって諸宗を厳しく破折するから大難にあうのだと疑難を抱く者があったのに対して答えられている。
すなわち、これらの諸宗は法華経を悪口し誹謗して、その教義を立てており、したがって、ただ「南無妙法蓮華経を唱えなさい」と勧めても、素直に聞き入れる道理がない。
むしろ、その法華経誹謗の悪業が生じる害悪を厳しく指摘し、破折しなければ、妙法を信受させることはできないからである、というのがこのお答えの骨子と拝される。
分かりやすいたとえでいうと、人々は口の中に毒を含んでいるのである。それをそのままにして薬を飲ませようとしても不可能である。
まず、今、口の中にある物が毒であることを教え、吐き出させることが先決であるということであろう。そこに四箇の格言に要約される破折を表に立てられた所以があると拝されるのである。
そこで、なぜ真言を亡国、念仏を無間地獄、禅を天魔、律を国賊とされたのか。それぞれの内容に即してみておきたい。
一、真言亡国
日本の開祖・弘法大師空海は、法華経は大日経に比べれば三重の劣、戯論の法であると誇り、釈迦仏を大日如来に比較すると無明の辺域であると悪口し、下している。
「力者」とは、昔、法師のように剃髪した者のことで、興をかき、馬の口を取り、長刀をもって貴人の供をすなど力仕事をした人のことをいうから、大日如来と相対して、釈尊を「力者」「はき物とり」にも及ばないと、蔑んだのである。
このように本来の教主である釈尊を倒して、理上にすぎない大日如来を立て、真言を説いた法華経を卑しめることは、本来の主人を差し置いて無縁の主を立てることであるから、「真言は国をほろぼす」悪法であると断じられたのである。
二、念仏無間
中国浄土宗の祖道綽は法華経を含む諸経を聖道門として、「末だ一人も得る者あらず」の教えであると排斥し、また道綽の弟子、善導は、念仏以外は雑行であるから、救われる者は千人のなかに一人もいないと主張した。
更に、これらの教えを受け継いで、日本浄土宗の開祖・法然は、法華経などの諸経は末法の衆生の機根に合わないとして「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と否定し、捨てるよう人々に勧めたのである。
ゆえに、法華経譬喩品第三に「若し人信ぜずして、此の経のを毀謗せば…其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と説かれているように阿鼻地獄に堕ちるとされたのである。
三、禅天魔
禅宗は釈尊が入滅の直前、黙ったまま花を拈って一座の大衆に示したとき、迦葉だけがその意味を悟って破顔顔微笑したといい、こうして言葉によらないで釈尊から迦葉へ法が伝えられたとする。
ゆえに「教外別伝・不立文字」と主張し「一切経の外に伝へたる法門」として、経は月をさす指であり、禅は月のごとくで、月を知れば法華経等の指は不要であるとする。
これは大梵天王問仏決疑経等を拠りどころとしたものであるが、この経自体、偽経説が有力であり、更には「不立文字」などといって、仏説である経文を捨てる行為は、涅槃経巻七に「若し所説に随わざる者有らば、是れ魔の眷属なり」とあるように、仏法を破壊する天魔の振る舞い以外のなにものでもない、ゆえに「禅は天魔の所為」といわれたのである。
四、律国賊
律宗は、極楽寺良観が戒律を持つ律宗に真言の祈禱と唱名念仏を加えた真言律宗を弘め、二百五十戒の戒律を持っていると自己宣伝していた。また、戒律を持つ人は国の宝といわれたのである。
末法今時では二百五十戒などの戒律を持って何の役にも立たないばかりか、かえって有害であり、世間を惑わすゆえに国宝であるどころか、国を破壊に導く賊、すなわち「律宗は国賊」であると破折されたのである。