諫暁八幡抄 第十章(真言による開眼供養を破す)
弘安3年(ʼ80)12月 59歳
日本六十六箇国二つの島一万一千三十七の寺寺の仏は皆或は画像或は木像或は真言已前の寺もあり或は已後の寺もあり、此等の仏は皆法華経より出生せり、法華経をもつて眼とすべし、所謂「此の方等経は是れ諸仏の眼なり」等云云、妙楽云く「然も此の経は常住仏性を以て咽喉と為し一乗の妙行を以て眼目と為し再生敗種を以て心腑と為し顕本遠寿を以て其の命と為す」等云云、而るを日本国の習い真言師にもかぎらず諸宗一同に仏眼の印をもつて開眼し大日の真言をもつて五智を具足すと云云 此等は法華経にして仏になれる衆生を真言の権経にて供養すれば還つて仏を死し眼をくじり寿命を断ち喉をさきなんどする人人なり、提婆が教主釈尊の身より血を出し阿闍世王の彼の人を師として現罰に値いしにいかでか・をとり候べき、八幡大菩薩は応神天皇・小国の王なり阿闍世王は摩竭大国の大主なり天と人と王と民との勝劣なり、而れども阿闍世王・猶釈迦仏に敵をなして悪瘡身に付き給いぬ、八幡大菩薩いかでか其の科を脱るべき、去ぬる文永十一年に大蒙古よりよせて日本国の兵を多くほろぼすのみならず八幡の宮殿すでにやかれぬ、其の時何ぞ彼の国の兵を罰し給はざるや、まさに知るべし彼の国の大王は此の国の神に勝れたる事あきらけし、襄王と申せし神は漢土の第一の神なれども沛公が利剣に切られ給いぬ。
現代語訳
日本六十六か国、二つの島にある一万一千三十七の寺々の仏は皆、画像であれ木像であれ、また真言宗以前からの寺であれ、それ以後の寺であれ、すべて、法華経から出生した仏であって、法華経をもって眼とするはずである。このことは「この方等経はこれ諸仏の眼である」等と観普賢菩薩行法経に説かれ、妙楽大師も「しかもこの経は、常住仏性をもって咽喉とし、一乗の妙行をもって眼目とし、再生敗種をもって心腑とし、顕本遠寿をもってその命となす」等といっているとおりである。
しかるに、日本国で、真言師だけでなく諸宗そろって、仏眼の印をもって開眼し、大日の真言をもって五智を具すとしているのは、法華経によって仏になった衆生を、真言の方便権経をもって供養するのであるから、かえって仏を殺し、眼をくじり、命を断ち、喉を裂いたりしている人々である。このことは提婆達多が教主釈尊の身から血を出し、阿闍世王が提婆達多を師として現罰を受けたのに比べても劣らないであろう。
八幡大菩薩は応神天皇で小国の王である。阿闍世王は摩竭陀国という大国の大王であり、天と人、王と民ほどの勝劣がある。しかるに、阿闍世王さえ釈迦仏に敵対して身に悪瘡を病んだのである。八幡大菩薩がどうしてその科をまぬかれることができようか。
去る文永十一年に、大蒙古国が寄せてきて日本国の兵を多数、攻め亡ぼしただけでなく、八幡大菩薩の宮殿も焼かれてしまった。そのときになぜ、蒙古国の兵を罰せられなかったのか。これらのことから推量して、彼の国の大王が日本国の神の力に勝っていたことは明らかである。襄王という神は漢土第一の神であったが、沛公の利剣によって切られてしまった。このことをもって考えるべきである。
語句の解説
六十六箇国
日本全国のこと。日蓮大聖人の時代には、全国が66カ国に分割されていた。
二つの島
壱岐島と対馬のこと。
一万一千三十七の寺寺
大聖人御在世当時、日本にあったとされる寺院の数。数字の出典は不明。
妙楽
(0711~0782)中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
常住仏性
常に存在して生滅変化のない、無始無終の仏の性分。
再生敗種
腐敗した種が再び生ずるということ。爾前経においては成仏することができないとされていた二乗が、法華経に至って成仏すると説かれたことをたとえていった語。二乗は無余涅槃を求めて修行し、灰身滅智するゆえに、権大乗経では決して成仏することはないとして二乗不作仏が説かれ、再び生ずることのない敗種にたとえられていた。その二乗が法華経に至って作仏が許されたので再生敗種という。
顕本遠寿
「本の遠寿を顕す」と読む。妙楽大師湛然の『法華文句記』巻10下の文。久遠の本地を開顕して、仏の寿命が長遠であると示すことをいう。発迹顕本、開近顕遠と同義。「本の遠寿」とは法華経如来寿量品第16に説かれる五百塵点劫成道以来の長遠な仏寿をいう。
真言師
密教によって、加持祈禱をする僧。密教によって、加持祈禱をする僧。
仏眼の印
仏眼尊の印のこと。仏眼尊は仏の五眼の徳をもって仏智を象徴した、密教の諸尊の一。その印相には五眼具足印、三眼具足印、一眼具足印など複雑な印の結び方がある。
大日の真言
大日如来の真言のこと。阿、毘、羅、吽、欠の五字で宇宙の構成要素である五大をあらわし、大日如来の内証をあらわすといわれ、五字真言、五字文殊ともいう。
五智
五種の智のこと。諸教に説かれている。①密教、法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智。②仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智。③成美論、法住智・泥洹智・無諍智・願智・辺際智。等。
提婆
サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。【提婆の成仏】法華経提婆達多品第12では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。【釈尊や仏弟子への迫害】①仏伝によれば、提婆達多は釈尊を殺そうとして耆闍崛山(霊鷲山)から大石を投げ落としたが、地神の手に触れたことで釈尊は石を避けることができた。しかし、破片が釈尊の足に当たり親指から血が出たという。これは五逆罪の一つ、出仏身血にあたる。②阿闍世王は、提婆達多を新たに仏にしようとして、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたという。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。③『大智度論』などによると、蓮華比丘尼(華色比丘尼)は、釈尊の弟子で、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
阿闍世王
釈尊在世から滅後にかけてのインドの大国・マガダ国の王。阿闍世はサンスクリットのアジャータシャトルの音写。未生怨と訳す。本来の意味は「敵対する者が生じない(無敵)」との意だが、中国・日本では「生まれる前からの敵」という解釈が広がった。釈尊に敵対していた提婆達多にそそのかされ、釈尊に帰依し外護していた父を幽閉して死亡させ、自ら王位についた。その後も、提婆達多にそそのかされて、象に酒を飲ませてけしかけさせ、釈尊や弟子たちを殺そうとしたが失敗した。後に父を殺した罪に悩み、全身に大悪瘡(悪いできもの)ができた。その際、大臣・耆婆の勧めによって釈尊のもとに赴き、その説法を聴聞し、釈尊が月愛三昧に入って放った光が阿闍世に届くと、彼をむしばんでいた大悪瘡はたちどころに癒えたという。釈尊入滅後、第1回の仏典結集を外護したと伝えられる。
摩謁大国
インド古代の王国、マガダ(Magadha)国のこと。現在のインド・ビハール州南部。仏教に関係の深い王舎城や霊鷲山はこの地にあった。
沛公
劉邦のこと。紀元前247年~前195年。前漢の初代皇帝。廟号は高祖。沛県の出身のため沛公と呼ばれる。項羽とともに秦を滅ぼしたが、その後の覇権を項羽と激しく争い、紀元前202年、垓下の戦いに勝利し天下を統一。漢を建国した。
講義
日本全国、一万一千三十七の寺々の仏には画像や木像など種々あり、寺も、真言宗興隆以前からの寺もあれば、それ以後にできた寺もあるが、いずれも真言の邪法をもって開眼しているゆえに、「仏を死し眼をくじり寿命を断ち喉をさく」振る舞いになっていると指摘されている。
これは、妙楽大師の「此の経は常住仏性を以て咽喉と為し、一乗の妙行を以って眼目と為し、再生敗種を以って心腑と為し、顕本遠寿を以って其の命と為す」との言葉に対応して言われたものである。すなわち、法華経こそ、あらゆる仏の命であり、眼であり、咽喉であるにもかかわらず、この法華経を誹謗して立てられた真言の邪法をもって開眼供養することは、仏を殺し、眼をくじり、寿命を断ち、咽喉を切り裂く行為となるのである。
かつて提婆達多は、釈尊を殺そうとして大石を投げ落とし、傷つけ血を流させた。阿闍世王は、この提婆達多を師として、同じく酔象をけしかけ、釈尊を殺そうとした。提婆達多は生きながら無間地獄に堕ち、阿闍世は全身に悪瘡を生じて苦しむという大罰を受けたのである。
したがって、あらゆる仏を殺し、眼をくじり等している真言師を治罰せずに、かえって助けている八幡大菩薩が、提婆を助けた阿闍世王と同じく大罰を受けない道理がない。そのあらわれが蒙古の軍兵によって八幡の宝殿が焼かれたことであり、八幡が、乱暴をはたらいた蒙古兵を罰しえなかったことは、八幡の宝殿焼失が、受けるべくして受けた罰にほかならないからであると指摘されている。