諌暁八幡抄 2015:05月号大白蓮華より、池田大作先生の講義
仏法西遷――全人類の幸福へ不惜の誓願を
きょうも、東天に太陽は昇ります。
毎朝、暁光は闇を破り、刻一刻と大地を明るく照らしていきます。その光と熱は万物の生命を目覚めさせ、豊かに育みます。
太陽は大いなる希望です。太陽は限りない情熱です。太陽は停滞を知らぬ活動体です。そして、一切を温かく包む慈愛の日輪です。
日蓮仏法は「太陽の仏法」です。
法華経の智慧と慈悲の大光を、世界に届けゆくのです。いまだ苦悩と悲惨の闇深き地上に、仏法の人間主義に光を贈り、民衆勝利の人華を晴れやかに広げていくのです。
「5・3」と「諌暁八幡抄」
5月3日――それは、恩師、戸田城聖先生が創価学会第2代会長に就任された日です。先生の不二の弟子である私が、第3代会長として立った日でもあります。
大難を乗り越え、戸田先生が、いよいよ会長に就任されることを決意された1951年(昭和26年)の春。その3月に、先生が私に、厳粛な面持で講義してくださった御書の一つが、「諌暁八幡抄」でありました。
当時世界は、韓・朝鮮半島を分断する残酷な戦争の渦中でした。第2次世界大戦に蹂躙されたアジアの民衆が、再び戦火に苦しめられている。恩師はその苦悩に同苦しながら、「今こそ広宣流布の時なりと叫び、決然と立ち上がられたのです。この時期「大白蓮華」に発表された論文「朝鮮動乱と広宣流布」に、「諌暁八幡抄」の一節がひかれているのも、決して偶然ではありません。
戦争の世紀から平和の世紀へ!そして、民衆が安穏で幸福に暮らせる世界を!
この恩師の闘争を継いだ、わが使命の法戦、55年、私は、いかなる時も、この誓いを忘れたことはありません。
「世界を照らす『太陽の仏法』の連載第1回は、「仏法西還」の未来記を明かされた「諌暁八幡抄」の掉尾を拝します。
この御文を拝するたび、日蓮大聖人の仏法の人間主義こそ、全地球を照らす太陽であり、いよいよその時代が到来していることを深く実感して、私は世界広宣流布への決意を新たにします。戦う勇気が涌き上がります。
本文
天竺国をば月氏国と申すは 仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり 月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり
現代語訳
天竺国を月氏国というのは、仏の出現し給うべき国名である。扶桑国を日本国という。どうして聖人が出現されないはずがあろうか。月は西より東に向かうものであるが、それは月氏の仏法の東方へ流布する相である。日は東より出る。日本の仏法の月氏国へ還るという瑞相である。
講義
一閻浮提広宣流布の時が到来」
「諌暁八幡抄」弘安3年(1280)12月、身延において認められ、門下全体に送られた意義深き御抄です。
再度蒙古襲来が切迫するなかで、前月の11月には、鎌倉幕府の守護神とされていた八幡大菩薩の社殿が焼亡するなど、物情騒然としていた時代です。一方、「熱原の法難」に見られるように、大聖人門下への迫害はやむことがありませんでした。その渦中にあって、大聖人は厳然と広宣流布の大闘争の指揮を執られていたのです。
本抄は、月と太陽の動きに寄せて、過去の「仏法東漸」と、 未来の「仏法西還」を譬えられています。
日没後、夜空に月が輝き始める位置は、毎日、同じ時刻でみると、一夜ごとに西から東へと移動していきます。すなわち、三日月は西の空で輝き始めるとすぐに沈み、上弦の月は南の空に現れ、満月になると東の空に皓々と輝きながら昇ってきます。
この「月は西より東に向へり」と言われた月の動きは、「仏法東漸」の歩みと象徴的にかさねられます。
日本のはるか西方にあり、「月氏国」とも呼ばれたインドに出現した釈尊の仏法は、中央アジアを経て、中国、朝鮮、日本へと伝来しました。ユーラシア大陸を舞台に、西から東へ伝わっていく大交流でした。
いわゆる正法・像法・末法の三時でいえば、正像時代の流伝といえます。
一方、末法においては、東天に昇った太陽が西へ移っていくように、大聖人の「太陽の仏法」が西に還っていくのです。
過去の「仏法東漸」から末法の「仏法西還」へ――この一閻浮提への広宣流布の展望について、大聖人は既に文永10年(1273)、佐渡の地で「顕仏未来記」に認められていました。「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」(0503:02)「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(0508:11)と仰せです。
娑婆世界の仏法流布を託す
まず、指摘しておきたいのは、大聖人が「諌暁八幡抄」の御文で、釈尊在世と滅後末法に寄せて日月に譬えられているのは、いずれも「法華経」であるということです。
法華経ほど、数ある大乗経典の中でも徹底して「娑婆世界」「一閻浮提」の衆生の救済をテーマにした経典はありません。
では、この娑婆世界とはいかなる世界か。「娑婆」とは「堪忍世界」、苦しみを耐え忍ぶ世界を意味しました。娑婆国の人々は、煩悩ゆえに、“悪い習わしが多く、慢心を抱き、功徳は浅く、瞋りや諂いで生命がひねくれ、心は不実である”とまで忌み嫌われる衆生です。
仏の異名を「能忍」というのは、まさしくこの苦悩多き世界で、忍耐強く、一切衆生の救済に邁進する勇者であるからです。そして、師匠・釈尊の後継者として、この娑婆世界で法華経を広宣流布する喜びに、勇んで躍り出た直弟子こそ「地涌の菩薩」です。
本抄には、娑婆世界の衆生のために、大聖人が立宗宣言されてから、妙法弘通一筋に戦われてきた御心境が明かされています。
「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(0585:01)
この御本仏の大慈大悲に連なる誓願に立ち、広宣流布を現実に進めてきた仏勅の教団が創価学会です。創立の父・牧口常三郎先生も、線を引かれていた一節です。
1961年(昭和36)の2月、私は、初めてインドを訪問し、釈尊成道の地ブッダガヤに「仏法西還」の足跡を留め、東洋広布、世界広布の誓いを新たにしました。以来、半世紀余――妙法は192ヵ国・地域に広がり、世界の民衆に慈光をそそいでおります。
インド文化国際アカデミーのロケッシュ・チャンドラ博士も、SGIによって、「『法華経』が日本から世界にひろまったのです!」「太陽が東から西へと移動するのと同じく、『法華経』も東から西へと“旅”をしている。世界の各国を旅している」と讃嘆されています。インドの最高峰の知性が、多宝の証明の如く、証言してくださっているのです。
本文
月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。
現代語訳
月はその光が明らかではない。それとおなじように仏の在世はただ八年である。日の光明は月に勝っている。これは五の五百歳・末法の長き闇らを照す瑞相である。
仏は法華経を謗法する者を治されることはなかった。それは在世に謗法の者がいなかったからである。末法には必ず一乗法華経の敵が充満するであろう。ゆえに不軽菩薩の折伏逆化によって利益するのである。おのおの我が弟子等、ますます信心に励まれるべきである。
講義
末法の長き闇を照らす
ここでは「仏が在世に法華経を説かれたのはただ8年である」として、月の光にたとえられています。一方、末法の「長き闇」を照らす太陽もまた法華経です。日月はともに法華経の譬喩であり、込められた願いも娑婆世界の一切衆生の救済で、その心は同じです。
そのうえで本抄に、日月の明るさの違いが提起されているのは、まず前提として、釈尊出世の国であり、法華経の故郷である月氏国において、残念ながら仏教が既に滅んでしまったという認識があります。
「顕仏未来記」では、中国の唐の時代に、インドに正しい仏法が失われていたので、中国に探し求めてきた話が紹介されています。また、その中国でも宋の時代に北方の異民族の侵入によって北栄の滅亡とともに仏法が衰退したことにも言及されています。
当時の世界観では、インド・中国・日本の三国が全世界でした。そのうち、インド・中国では既に仏教が失われていたと認識されていたのです。
だからこそ、太陽の如く一切衆生の苦悩の闇を破る法華経の智慧の大光を、再び中国、インドの大地に還していく。仏法の人間主義の生命を甦らせ、永遠に全民衆の心を潤していく。これを「仏法西還」というのです。
「人間不信」の無明を打ち破る
本抄では、悪世末法にあっては、「一乗の強敵」――法華経誹謗の敵人が充満していると断言されています。
いかなる人も本来、仏性、すなわち偉大な仏の生命を具えた存在であることを明かしたのが法華経です。誰もが尊極であり、誰もが尊貴なのです。この生命本有の輝きと無限の可能性を信じない無知こそが「法華経謗法」の本質です。
大聖人は、もしも、この真実を見ながら、知らぬふりをして黙って放置するなら、通常の罪業ではなく、謗法与同の大罪によって大阿鼻地獄を巡ることになるだろう、どうして身命を捨てて謗法を呵責せずにいられようか――と言われています。
そして一見、それぞれが異なる苦悩を受けているような人々が、根本的には、すべて「法華経誹謗」による「同一苦」であるとして、こう仰せです。
「涅槃経に云く『一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり』等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」(0587:08)
「法華経誹謗」という根源的な生命軽視、人間不信との戦いが、折伏です。根本の苦悩の因を取り除こうと誓った最高の慈悲の実践です。それは同時に、生命に巣くう無明を破るがゆえに、反動として三障四魔や三類の強敵を呼び起こします。
法華経において、この不惜の誓願を体現したのが不軽菩薩です。反発され、悪口罵詈や杖木瓦石の難を受けますが、仏法への縁を結ぶことで、迫害した人々を最後はすべて救うのです。
本抄には「不軽菩薩の利益」と仰せです。不軽の跡を継承した折伏によってこそ、末法の広宣流布も必ず実現するのです。
「対話の力」によって平和を実現
さらに、不軽菩薩の実践から学びたい。
不軽菩薩は、縁するすべての人々の生命に尊極の仏性を見て礼拝します。自他共の尊厳を信じた、最高の人間尊敬の修行です。
そして不軽菩薩は、どこまでも「非暴力」であり、徹して「対話」の実践を貫き通します。「杖木瓦石」という身体的暴力の迫害を受けても、決して暴力で返さない。
杖木瓦石の攻撃を受けそうになると、さっと身をかわし、それらが届かない距離をとって、また声高く「私はあなた方を軽んじません。あなた方は皆、必ず成仏するでしょう」と叫びます。暴力を聡明に回避しながら、粘り強く相手を目覚め触発し抜くのです。
「ノンキリングの社会を探究されてきた著名な平和学者ペイジ博士と、「非暴力」について語り合った際、私は不軽菩薩の実践を紹介しました。
“物理的暴力、言論の暴力の嵐に耐えながら、不軽菩薩は万人に仏性があることを信じ、誰人をも「軽んぜず」礼拝した”と。
ペイジ博士も、私どもの平和運動を高く評価し、期待されていました。
初期の仏典には、釈尊が「生きものを殺してはならぬ。また殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ」と説いたとあります。
自分だけでなく、他人にも殺生という悪業を積ませてはならないというのです。不軽菩薩の実践や、この釈尊の金言が示す仏法の思想は、現代社会における非暴力と平和の運動の大いなる光源となると思っております。
大聖人は仰せです。
「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(1174:14)
戸田先生は、私たちが推進する広宣流布の遠大な意義について、「人類の境涯を高める」戦いだと言われていました。まさにその基盤をつくっていくものです。
世界広布新時代へ勇んで前進を
いよいよ、本格的な世界広布新時代!――その意義は本当に大きい。
第一に「地涌の自覚」が全世界に広がったということです。各国のSGIメンバーが、わが国土の広宣流布、わが地域の広宣流布は、自分たちが責任をもって担うという自覚で、生き生きと立ち上がっています。
昨秋、私は総本部の「広宣流布大講堂」で各国の地涌のリーダーたちとお会いしました。
皆、希望に燃えていました。まぶしく輝くその顔には、「私たちの国の広宣流布は、私たちにお任せください!」との決意がみなぎっていました。国籍や民族、言語や文化の違いも超えて、地涌の菩薩の誇りが光っていました。こんなに嬉しいことはありません。
まさに、世界中に、師弟共戦で戦う勇者の陣列がそろいました。なかんずく青年たちが立ち上がっています。この目覚ましい地涌の自覚の拡大こそ、わがSGIの発迹顕本にほかなりません。
第二に、地球上のいずこの地域にあっても、同志がいて、宗教・宗派を超えた「人間主義のネットワーク」を創り広げています。人間の善性を開発しゆく連帯が築かれているのです。世界中の「ザダンカイ」の人華の集いは、そのまま法華経の通り、「生命の尊厳」「万人尊敬」の平和と調和の世界を21世紀に現出している会座そのものです。
一人の学会員の周囲に、どれだけ多くの人間尊厳の連帯が結ばれていることか。ここにこそ、確かな民衆の平和の砦がひとつ、また一つと、着実に築かれているのです。
そして第三に、SGIの運動は今、世界中に新たな希望を創造しているということです。私たちの住む地球は、悲惨と不幸が拡大し、世界中が濁劫悪世の様相を見せております。人間に対する根本的な不信が増長している現代は、いわば世界的規模で「末法」の実態が広がっているともいえる。
だからこそ、心ある人々は、いかなる困難に遭遇しても、蘇生と前進を促す希望の宗教を、そして、人間の内なる可能性を開く哲学を待望しているのです。
学会員が地涌の本領を発揮する時代を迎えました。末法の「長き闇を照らす」人間群が誕生することを、世界中が祝福して求めています。世界中でSGIメンバーが、はつらつと活躍し、新しい地球文明を創出する舞台が整いました。「仏法西還」の一大実証たる絢爛たる地涌の乱舞によって「太陽の仏法」が世界を照らす新時代が到来したのです。
壮大な未来記を受け継ぐ弟子へ
時代を創る要諦は、どこまでも行動です。
「太陽の仏法」といっても、その実像は、いかなる時、いかなる場所にあっても、そこに悩み苦しんでいる人間がいる限り、その人を励まし、蘇生させていく行動の中にあります。
法華経神力品第21には、上行菩薩をはじめ地涌の菩薩の行動の姿を、「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」と謳っています。牧口先生も戸田先生も深く拝された経文です。
「世間に行じて」は“地上を歩き回って”とも訳されます。地涌の菩薩は、この現実社会を駆け巡りながら、一人また一人と関わり続け、苦悩の闇を追い払い、生きる力を、また生きる喜びの光明を贈るのです。
壮大な「仏法西還」のビジョンを継承された日興上人は「西天の仏法東漸の時・既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は 亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(1613:17)と遺されました。御書を翻訳して、師匠の言葉を世界に伝えたい――不二の弟子の重大な悲願であると拝せます。
この師弟の魂を受け継いだのが創価学会です。戸田先生は、創価学会版の『日蓮大聖人御書全集』の発刊の辞に「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ流布していく事をひたすら祈念してやまぬものである」と記されました。
そして今、英語や中国語、スペイン語をはじめ各言語に翻訳されるとともに、各国に地涌の菩薩が躍り出て、それぞれの言語で仏法対話を広げる時代になりました。
あらためて今回の御文に戻れば「仏法西還」の未来記を締めくくるに際し、大聖人は「各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ」――わが弟子たちよ、いよいよ信心に励んでいきなさい、と語られています。
われらの使命は大きい。これからが大事です。
各人が「太陽の時代」の主人公に
「太陽の時代」の到来を提唱された、アメリカ未来学者ヘンダーソン博士は、「みなが勝者となる世界」の建設を展望し、「ただ連帯を広げていくだけでなく、その基盤に、目覚めた一人一人の『精神性の変革』がかかせません」と指摘されていました。
「その意味で、私は、人間精神の変革を基調にして平和・文化・教育の運動を進めるSGIに、大きな期待を寄せるものです」とも語られました。
未来を照らす光は、わが胸中にあります。一人一人が世界広布の主人公です。
「太陽の仏法」を持った私たちは、いやまして「人間革命の光」を社会へ、世界へ、未来へ放ちゆくことを決意し合って、師弟共戦の新たな広布の旅を力強く出発しようではありませんか。