日眼女造立釈迦仏供養事 第二章(除厄と加護)

日眼女造立釈迦仏供養事 第二章(除厄と加護)

 弘安2年(ʼ79)2月2日 58歳 日眼女

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今の日眼女は三十七のやくと云云、やくと申すは譬えばさいにはかどますにはすみ人にはつぎふし方には四維の如し、風は方よりふけばよはく・角より吹けばつよし・病は肉より起れば治しやすし節より起れば治しがたし、家にはかきなければ盗人いる・人には・とがあれば敵便をうく、やくと申すはふしぶしの如し、家にかきなく人に科あるがごとし、よきひやうじを以てまほらすれば盗人をからめとる、ふしの病をかねて治すれば命ながし、今教主釈尊を造立し奉れば下女が太子をうめるが如し国王・尚此の女を敬ひ給ふ何に況や大臣已下をや、大梵天王・釈提桓因王・日月等・此の女人を守り給ふ況や大小の神祇をや、

————————————-(第二章に続く)————————————————

 

現代語訳

日眼女は今年三十七の厄年ということである。厄というのは譬えていえばさいの角、升の隅、人の関節、方位の四方のようなものである。風は東・西・南・北の方向から吹けば弱いが、東北・南西・北西・東南といった角から吹けば強い。人の病気も筋肉から起きたものは治療しやすいが、関節から起きたものは治療しがたい。また家に垣がなければ盗人が入り、人に科があれば敵がつけ込むものである。

人の一生のなかで厄というのは、身体にたとえれば関節のようなものである。家に垣がなく人に科があるようなものだから油断はできないが、強い兵士に守護させればかえって盗人を絡めとることもできる。関節の病も早く治療すればかえって寿命はのびるのである。

この度、日眼女が教主釈尊を造立されたのは、下女が太子を産んだようなものである。国王さえ太子を産んだ女性を敬愛される。大臣以下が尊敬することはもちろんである。大梵天王・帝釈・日月等の諸天は釈尊を造立した女性を守護されるのである。いわんやその他の大小の神々が守護されることはいうまでもない。

 

語句の解説

三十七のやく

37歳の厄年のこと。厄年の本来の字義は役年である。神事の儀式の際に、心身を清め言動を慎しみ、無事役目を果たすよう物忌みに服する期間をいったが、その後期間が年齢に転じ、特定の年齢を厄年というようになったといわれる。厄年は、古くは1325374961738599歳とされていたが、厄年は諸説あり一定ではない。

講義

病は肉より起れば治しやすし、節より起れば治しがたし

 

この場合の節とは関節のふしであるが、それは人生における転換期をたとえているのである。つまり厄にあたる。厄については前述したように、人生における肉体的、精神的転換期に当たる。幼少期から青年期、青年期から壮年期、更に老年期へ移る「節」を厄年としたのであろうと考えられる。一年の内でも季節の変わり目は病を得がちである。厄は生涯における一種の「季節の変わり目」と考えられよう。肉体的に変調期であることは、同時に精神的不安定期でもある。こうした時、病気にかかるとなかなか治りにくい。

だが病気は生命力がついてくると治すことができる。そしてこの転換期を乗り越えれば「ふしの病をかねて治すれば命ながし」とあるように、かえって長生きすることができるのである。

御本尊は大良薬である。この良薬を服すということは題目を唱えることであり、これによってわれわれ自身のなかにある南無妙法蓮華経という本源的な生命力が躍動してくるのである。「肉より起れば」というのは、外的要因による病気であり「節より起れば」とは、生命内部からの変調である。そのような時期にこそ、生命内奥からのエネルギーを呼び起こす仏法の大良薬が必要といえよう。

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