妙一女御返事(事理成仏抄) 第二章(真言の即身成仏を破す)

 世間の学者の中に真言家に立てたる即身成仏は釈尊所説の四味三教に接入したる大日経等の三部経に・別教の菩薩の授職灌頂を至極の即身成仏等と思う、是は七位の中の十回向の菩薩の歓喜地を証得せる体為なり、全く円教の即身成仏の法門にあらず、仮令経文にあるよしを訇るとも歓喜行証得の上に得たるところの功徳を沙汰する分斉にてあるなり、是れ十地の菩薩の因分の所行にして十地等覚は果分を知らず、円教の心を以て奪つていへば六即の中の名字観行の一念に同じ、与えて云う時は観行即の事理和融にして理慧相応の観行に及ばず、或は菩提心論の文により・或は大日経の三部の文によれども即身成仏にこそ・あらざらめ・生身得忍にだにも云いよせざる法門なり。
  されば世間の人人は菩提心論の唯真言法中の文に落されて即身成仏は真言宗に限ると思へり、之に依つて正しく即身成仏を説き給いたる法華経をば戯論等云云、止観五に云く「設し世を厭う者も下劣の乗を翫んで枝葉に攀附す狗作務に狎れ獼猴を敬いて帝釈と為し瓦礫を崇めて是れ明珠とす此の黒闇の人豈道を論ず可けんや」等云云、此の意なるべし、歎かわしきかな華厳・真言・法相の学者・徒に・いとまをついやし・即身成仏の法門をたつる事よ、

 

現代語訳

世間の学者の中には、真言宗で説いている即身成仏の教えは、釈尊の説いた四味三教の範囲に入っている大日経・金剛頂経・蘇悉地教等の三部経に、別教の菩薩の授職潅頂をもって最高の即身成仏の法門だと思っている。しかしこれは別教の七位の中の、十回向の菩薩が十地の初位で歓喜地を悟った境涯であり、全く円教の即身成仏の法門ではない。たとえ、即身成仏の法門が大日経に説かれていることを主張しようと歓喜行の悟りの上で得た功徳を、あれこれといっているに過ぎない。これはあくまでも十地の菩薩の因としての修行にあたるのであり十地や等覚では妙覚という仏果の境涯はわからないのである。これを円教である法華経の立場から奪っていえば、六即の中の名字観行の一念と同じになる。もし与えていったとしても、単に観行即の中の事と理の和融を悟った程度のものであり、事と理が相応した観行には及ばないのである。あるいは菩提心論の文により、あるいは大日経の三部の文によっても、即身成仏でないことはもちろんである。生身得忍も得られない低い法門である。

しかるに世間の人々は菩提心論の中にある「唯真言法中」の文にだまされて、即身成仏は真言宗に限ると思っている。この邪見によって正しく即身成仏を説きあかしている法華経をかえって戯論であるといっている。摩訶止観五に云く「設し世を厭う者が、下劣のおしえを翫んで根本の本質を誤り、枝葉にとらわれているのは、ちょうど、犬が飼い主を忘れ、猿を帝釈のように敬ってしまい、瓦礫を明珠と崇めているようなものである。このように見る目を持たない人であるならば、どうして正道を論ずることができようか」等といっているが、世間の諸宗の者は、この意と同じである。歎かわしいことに華厳・真言・法相の学者達は、誤った即身成仏の法門を立て、これにいたずらに時間をかけているのである。

語句の解説

四味三教

四味とは五味のうち醍醐味を除く乳味・酪味・生酥味・熟酥味。三教は蔵・通・別教をいう。

 

大日経等の三部経

大日経・金剛頂経・蘇悉地経のこと。

 

別教の菩薩の授職潅頂

別教では菩薩のみを対象として、歴劫修行を説く。この教の意は52位に多年の修行を尽くして仏になると説き、ひとりとして一生の間に成仏する者はなく、一切の修法を積んで成仏すると説いている。授職とは法王が智水をもって菩薩の頂に注ぎ仏位を与えること。この別教の授職潅頂は等覚・妙覚に達したものでなく、十地の中の歓喜地にとどまっている。

 

円教の即身成仏

円教は化法の四教のひとつで、三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満な教えをいう。爾前の円教と法華の円教があり、爾前経でも、位の次第を経ないで、また煩悩を断じないでも成仏すると説いているが、実際に成仏した人はいない。真の即身成仏の法は法華経の円教、文底独一本門に限るのである。

 

六即の中の名字観行

六即は理即・名字即・観行即・相似即・分身即・究竟即をいい、である。名字即とは御本尊を受持し、信心した人。観行即とは信行具足して功徳を得ていく人をいう。

 

事理和融

六即位のなかの観行即の第四位、兼行六度品に説かれている。事は爾前経で説かれた五度であり、理は法華経で説かれた一念三千である。菩薩の修行が進んで観行即の第四位・兼行六度に進んで初めて五度が許され事理和融する。

 

理慧相応の観行

天台の立てた観行五品の最高位正行六度品をいう。

 

菩提心論

「金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」の略。竜樹菩薩著、不空三蔵の訳と伝えられている。精神統一によって菩提心を起こすべきことを説き、即身成仏の唯一の方法と強調する。顕密二教の勝劣を説くため、真言宗では所依の論としている。大聖人は御書の中で不空の偽作とされている。

 

生身得忍

父母から生じた肉体を生身といい、所生の肉体において、中道の無性法忍という境涯になったものを、生身得忍という。無性法忍とは三法忍の第三で、無相不相の法によって真理に契証するのをいう。忍とは、慧心の法に安住すること。父母所生の肉身を捨てて、実報土に生じ法性身を得たものを法身という。

 

戯論

児戯に類した無益な論議・言論のこと。

 

法相

法相宗の事。解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。

講義

この章では、諸宗の中では得に真言宗を取り上げて、真言宗で即身成仏と立てている法門が、別教における菩薩の修行の段階でやっと歓喜地を悟った程度のものであり、妙覚の仏の境涯に遠く及ばないことを説かれている。

しかし世間の人々は菩提心論の中の「唯真言法中」の文に惑わされて、即身成仏は真言宗にしかないと単純に信じこんで、正しく即身成仏の法門を説いた法華経を戯論とさげすんでいる。宗教の正邪を判別しえない世相の実態が述べられている。

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