慈覚大師事 第一章(法華経に出あえた悦びを述べる)
慈覚大師事 第一章(法華経に出あえた悦びを述べる)
弘安3年(ʼ80)1月27日 59歳 大田乗明
鵝眼三貫、絹の袈裟一帖、給び了わんぬ。
法門のことは、秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少々注して候。御覧あるべく候。
なによりも、受け難き人身、値い難き仏法に値って候に、五尺の身に一尺の面あり、その面の中に一寸の眼二つあり。一歳より六十に及んで多くの物を見る中に、悦ばしきことは「法華は最も第一なり」の経文なり。
現代語訳
銭三貫文および絹の袈裟一帖をいただいた。法門のことは秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少々記しておいた。御覧いただきたい。
なによりも受けるのが難しい人身を受け、あうのが難しい仏法にあった。五尺の身に一尺の顔がある。その顔のなかに三寸の眼が二つある。一歳から六十歳に及んで多くの物を見るなかで、悦ばしいことは法華最第一の経文である。
語句の解説
秋元太郎兵衛尉
日蓮大聖人御在世当時の門下。下総因幡郡白井庄(千葉市若葉区)の人。文応元年(1260)大聖人が松葉ケ谷法難を逃れて下総中山に行かれた時、化導されたと伝えられる。正応4年(1291)9月17日没。跡地は秋元寺となった。曾谷・太田・富木氏等と親交があった模様。
人身
人間の身体。
仏法
①仏の説いた教法。八万四千の法門・法蔵があるといわれる。②仏が証得した法③仏が知っている法。
五尺の身
昔の日本人の平均的身長をいう。五尺は152㌢にあたる。
一尺の面
日本人の平均的顔の長さ。30.3㌢にあたる。
三寸の眼
日本人の眼の長さ。3.03㌢にあたる。長すぎる感もあるが、一寸(1.01㌢)とする文献(こちらは短すぎる)もある。
法華最第一の経文
釈尊が説いてきたところのさまざまな経の中で法華経が第一であるということ。法華経を説くことこそ、仏の出世の本懐であるという宣言。
講義
本抄は、冒頭に「鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給い候い了んぬ」と御供養の品々への謝辞がのべられているように、下総の大田入道が身延におられる日蓮大聖人に御供養として銭三貫文と袈裟をお届けしたことに対して、返礼としてしたためられた御手紙である。系年は弘安3年(1280)1月27日で、大聖人59歳の御時に当たる。
その大意は、比叡山延暦寺の第三代座主・慈覚大師以来、真言密教化した日本天台宗の謗法を厳しく破折されている。なお、本抄の御真筆は下総の中山法華経寺に現存する。
まず、御供養の謝辞のあと「法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく候」と仰せられ、次に「なによりも受け難き人身値い難き仏法に値いて候に」と、人間としてこの世に生まれて何よりも喜ぶべきことは「法華第一の経文」を見ることができたことであり、その反対に、次章で述べるように「あさましき事」は、この仏の金言が慈覚の邪義によってないがしろにされていることであると、単刀直入に核心をえぐられていく。
法門の事は秋元太郎兵衛尉殿の御返事に少少注して候御覧有るべく候
ここで「秋元太郎兵衛尉殿の御返事」と仰せられているのは、本抄を著された弘安3年(1280)1月27日と本抄と同じ日に書かれた、秋元御書をおいて他にないと考えられる。
秋元御書の別名は筒御器抄というが、これは秋元氏が大聖人に筒御器30個などを御供養したことに対する返書の中で、筒御器に寄せて信心の在り方を教えられるとともに、謗法を訶責することの大事さを明かされているからである。
この中に「種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072:05)と仰せられ、しかるに念仏・禅・真言・律の諸宗は法華経を誹謗し正法をないがしろにしていること、法華経には「最第一」の文があるにもかかわらず、弘法は「第三」と主張し、慈覚・智証は「第二」と貶めていることを取り上げられ、厳しく破折されている。
本抄は、そうした諸宗の邪師の中でも、特に延暦寺第三代の座主慈覚について、その罪の大きさを指摘されているのである。