一代五時図 第二章2(第五時のうち、法華涅槃時を図示する)

語句の解説 

法華経

大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。

 

実大乗

大乗のうち実教である教え、経典。

 

八箇年

釈尊50年の説法中、最後の8ヵ年。法華経が説かれた期間。

 

顕露宗

釈尊が出世の本懐をすべて顕示し一仏乗という真実の教えを、はっきりと説き顕した法華経を依経としているところから、法華宗のことをいう。

 

最秘密宗

法華経は釈尊の教法の中でも最も秘密の教えを説いた経であることから、法華経を依経とする宗派のことをいう。

 

仏立宗

仏の立てた宗。法華宗のこと。

 

法華宗

法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。

 

天台宗

❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。

 

世尊

世に尊敬される仏を指す。仏の10号のひとつ。

 

正直

正しくまっすぐなこと。ひとえに仏の教える法を信じ広めていくさま。

 

方便

仏が衆生を教化するうえで、真実に導くために設ける巧みな手段、教えのこと。爾前経では、十界の境涯の差別を強調し、二乗や菩薩の覚りを得ることを修行の目的とする方便の教えを説いている。

 

無上道

種脱相対して、無上道とは文底下種の妙法であり、無上のなかの無上である。御義口伝には「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」(0749:第十三但惜無上道の事:02)「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」(0727:第五無上宝聚不求自得の事:05)等とある。

 

種種の道

様々な経。法華経が説かれるまでの、爾前・権教等に示されたさまなまな教法。

 

仏乗

一仏乗・一乗と同義。一切衆生を成仏させるための教えのこと。釈尊一代の聖教のすべては、総じては皆成仏道の教法といえるが、別しては法華経に限るのであり、南無妙法蓮華経に限るのである。

 

三界

仏教の世界観で、地獄から天界までの六道の迷いの衆生が住む世界。欲界・色界・無色界からなる。このうち色界・無色界は、修得した禅定の境地の報いとして生じる。①欲界とは、欲望にとらわれた衆生が住む世界。地獄界から人界までの五界と、天界のうち6層からなる六欲天が含まれる。その最高の第六天を他化自在天という。②色界は、欲望からは離れたが、物質的な制約がある衆生が住む世界。大きく4層の四禅天、詳しくは18層の十八天に分かれる。③無色界は、欲望も物質的な制約も離れた高度に精神的な世界、境地のこと。4種からなる。最高は非想非非想処。それに次ぐのが無所有処。仏伝によると、釈尊が出家後に師事したというウドラカラーマプトラは無所有処という境地であり、アーラーダカーラーマは非想非非想処という境地であったという。

 

仏の在世

釈尊がこの世に存在していること。釈尊が生きている間。

 

一切諸法の現象と本体をありのままに覚知し、究極の真理を自ら現し、他を導いて真理を悟らせていく覚者のこと。

 

滅度

①入滅・寂滅と同意。仏が涅槃にはいること。釈尊の入滅。②生死の苦しみを滅し涅槃・仏界を証得すること。③一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地。

 

阿鼻獄

阿鼻大城・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。

 

一劫

一つの劫のこと。劫は梵語のカルパ(Kalpa)で劫波・劫跛ともいい、分別時節・大時・長時などと訳す。きわめて長い時限の意で、仏法では時間を示す単位として用いられる。劫の長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を一小劫としている。

 

具足

具はそなえる・そなわる・うつわ。足はたる・たりる。①十分に具えること、円満具足の義。②器具の総称、甲冑をさすこともある。仏教では仏前に供する灯明・焼香・立華を三具足という。

 

展転

次々に移って続いていくこと。

 

無数劫

数えきれないほどの長い時間。阿僧祇劫ともいう。

 

蟒身

蟒はニシキヘビのような大きな蛇。蛇のような身。

 

一句

句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では、四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。

 

如来の使

如来より遣わされた者。仏の使者。仏の如く振舞い、折伏を行ずる者。

 

如来の所遣

如来に遣わされた人。地涌の菩薩。学会員。

 

如来の事

仏が行う事行。広宣流布。

 

如来

①「如々として来る」と訳す。仏のこと。②過来・如来・未来のなかの如来。瞬間瞬間の生命。

 

薬王

薬王菩薩のこと。法華経薬王菩薩本事品第二十三に説かれている。日月浄明徳仏の世に、一切衆生憙見菩薩といわれ、仏から法華経を聞き、現一切色身三昧を得た。そして身をもって供養しようと、身を焼いて法華経および日月浄明徳仏に供養した。そののち再び生まれて日月浄明徳仏から付嘱を受け、仏の涅槃に際しては、七万二千歳のあいだ臂を灯して供養した。

 

悪人

悪事をなす人。正法を誹謗する人。五逆罪を犯す人。

 

不善の心

不善は善でないこと。悪行をなすこと。正理に背き、道にはずれること。十悪・五逆者の心。

 

毀罵

誹謗し謗ること。

 

我が所説の諸経

釈尊が説いてきたところのさまざまな経。

 

法華最も第一なり

釈尊が説いてきたところのさまざまな経の中で法華経が第一であるということ。法華経を説くことこそ、仏の出世の本懐であるという宣言。

 

我が所説の経典無量千万億

釈尊が説いてきた経は計り知れないほど多くあるが、との意。

 

已に説き今説き当に説かん

已今当のこと。已は過去、今は現在、当は未来をさす。法華経法師品第10に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」とある。これについて、天台大師は『法華文句』で、過去の説法(已説)とは、法華経以前に説かれた、いわゆる爾前の諸経、現在の説法(今説)とは法華経と同時期の無量義経、未来の説法(当説)とは法華経より後に説かれた涅槃経などをさすと解釈している。

 

難信難解

「信じ難く、解し難し」と読む。易信易解に対する語。法華経法師品第10には、諸経の中で法華経が最も難信難解であると明かされている。信じ難く理解し難いこと。仏が自身の覚りを直ちに説いた教え(随自意)は凡夫にとって信じ難く理解し難い。それ故、難信難解は仏の真実の教えである証拠とされる。

 

菩薩の道を得ん

菩薩道を成就できる、成仏得道できる道。方途。

 

随順

仏の教えに従うこと。仏法を信受すること。

 

恒沙の仏

恒沙とはガンジス河の砂のことである。ガンジス河はヒマラヤ山脈を源とし、東へ流れてベンガル湾に注いでいる大河。インド三大河の一つで、昔から霊験に富んだ河として、人々から尊崇されていた。恒沙とは、ガンジス河の沙のように無数であることを譬える。無量無数の仏という意となる。

 

宝塔

宝物で飾られた塔。法華経見宝塔品第11では、釈尊の法華経の説法が真実であると保証するために、多宝如来が中に座す宝塔が、大地から出現して嘱累品第22まで虚空に浮かんでいた。この宝塔は高さ500由旬で、金・銀・瑠璃などの七宝で飾られていた。この塔の内に釈迦・多宝の二仏が並んで座り(二仏並坐)、聴衆も空中に浮かんで、虚空会の儀式が展開された。日蓮大聖人はこの虚空会の儀式を借りて曼荼羅を図顕され、末法の衆生が成仏のために受持すべき本尊とされた。そして曼荼羅御本尊の中央にしたためられた南無妙法蓮華経を宝塔と同一視されている。また妙法を信受する人は、南無妙法蓮華経そのものであるので、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝(七聖財)に飾られた宝塔であるとされている。

 

釈迦牟尼世尊

たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。

 

平等大慧

諸仏の実智のこと。諸法平等の理を悟り、一切衆生を平等に利益する仏の智慧をいう。宝塔品には「釈迦牟尼世尊、能く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経を以って、大衆の為に説きたもう」とあり、一切衆生を平等に、救済していく、広大な御本仏の智慧、大御本尊の智慧をいう。

 

教菩薩法

菩薩を教化するための法。妙法蓮華経の異名。宝塔品には「善い哉善い哉釈迦牟尼世尊、能く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経を以って、大衆の為に説きたまう」とある。

 

仏所護念

「仏の護念する所」と読む。妙法蓮華経は三世十方の諸仏が護り念じてきた所の教法であるとの意。

 

妙法華経

①鳩摩羅什訳の法華経28品。②法華経に説かれた法理。③所詮の法体。

 

大衆

①多数の僧のこと。主に小乗教でいう。②仏が説法する会座に連なり、その説法を聴聞する衆。③仏道を修める僧。学生と同意。④一般民衆のこと。

 

諸余の経典

釈尊が成道してから入涅槃するまでの間に説いた一切経のこと。

 

恒沙の如し

ガンジス河の沙の数ほど無数であるということ。

 

須弥

須弥山のこと。古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。

 

他方無数の仏土

他方は娑婆世界以外の国土・世界。無数は数えきれないほどの多くの意。娑婆世界以外の数えきれないほどの仏土。

 

滅度

①入滅・寂滅と同意。仏が涅槃にはいること。釈尊の入滅。②生死の苦しみを滅し涅槃・仏界を証得すること。③一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地。

 

悪世

闘諍堅固・白法隠没の五濁悪世のこと。末法の相をいう。

 

刀杖を加うる者

①勧持品第13に出てくる三類の強敵の第一類、俗衆増上慢が起こす難。②文永元年(1264年)11月11日、日蓮大聖人が安房国東条郡(千葉県鴨川市)天津に住む門下、工藤氏の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信の軍勢に襲撃された法難。東条松原の法難とも呼ばれる。門下が死亡し、大聖人御自身も額に傷を負い、左手を折られた。その時の模様は「南条兵衛七郎殿御書」に記されている。(小松原法難)。

 

悪世の中の比丘

法華経勧持品第13に「悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂い、我慢の心充満せん」とある。三類の強敵の第二類、道門増上慢を示す文。

 

阿練若

梵語(Aranya)阿蘭若・阿蘭那・阿練茹とも書く。訳して無諍声・無声所・遠離処・意楽処・無諍行・閑静・寂静処・空寂・無諍・空家等という。人里離れた静かな山寺のこと。

 

納衣

法衣の一種、人の捨てた布を拾い集めて選択し、これを繕って作った衣。納は繕うの意味。糞掃衣ともいう。

 

空閑

人里離れたしずかなところ。梵語で僧侶の修行に適した静かなところ。阿練若のこと。

 

軽賎

他人を軽蔑し卑しむこと。

 

利養

名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること。

 

貪著

貪り執着すること。人の欲を生き起こす五境に執着すること。三毒のひとつ。

 

白衣

在家の信者のこと。釈迦在世のインドでは俗人は白衣を着ていた。

 

恭敬

「きょうけい」とも読む。慎み敬うこと。五種の功徳の一つで、仏・菩薩が衆生を救うための振る舞い、説法などを慎み敬うこと。

 

六通の羅漢

六神通を習得した阿羅漢のこと。六神通のうち、宿命通までの五通は外道の仙人でも成就できるが、第六通(漏尽通)は阿羅漢位でなければ成就できない。法華経勧持品第13の二十行の偈では、僭聖増上慢が世間から敬われるさまは六通の羅漢のようであると説かれている。

 

国王

国土を統率し、臣民を治める元首。行いが仁義に合し、民の帰依するものをいう。功徳は帝に次ぎ、徳政を政治の主とする者ともいう。説文には「王は天下の帰往するところなり。董仲舒にいわく、古の文を作る者、三画して、三の中を連ね、これを王という。三は天・地・人なり、之を参通する者は王なり、孔子のいわく、一、三を貫くを王となす」とある。諌暁八幡抄には「王と申すは天・人・地の三を串くを王と名づく、天・人・地の三は横なりたつてんは縦なり、王と申すは黄帝・中央の名なり、天の主・人の主・地の主を王と申す」(0587)とあり、王となる原因の修行については、心地観経に「諸王の受くる所の諸の福楽は往昔曾つて三の浄戒を持し戒徳熏修して招き感ずる所人天の妙果・王の身を獲」とあり、安然和尚の広釈にも「菩薩の大戒は持して法王と成り犯して世王と成る」とある。これらの文を引いて十法界明因果抄に「小乗戒を持して破る者は六道の民と作り大乗戒を破する者は六道の王と成り持する者は仏と成る是なり。」(0432)と申されている。民主主義の社会においては、主権は国民にあり、王は国民によって選ばれた政治家である。

 

大臣

太政官の上官の長。

 

婆羅門

インド古来の四姓のひとつで、訳して浄行という。悪法を捨てて大梵天に奉持し、浄行を修するという意味からこの名がある。みずから、梵天の口から生じた四姓中の最勝最貴であると称している。これは、古代インドでは、戦勝も収穫も祈りによって決定されるという思想があったから最も尊ばれたのである。しかし、一部には王と戦士の階級であるクシャトリアの方が上であるとする文献もある。

 

居士

梵語で(grha-pati)といい、家長・長者と訳す。出家しないで仏門に帰依した男子。

 

比丘

ビクシュ(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。

 

誹謗

悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり」(1382)とある。

 

邪見

仏教以外の低級・邪悪な教え。総じて真理にそむく説のこと。外道の輩が仏教を誹謗していう言葉。

 

外道の論議

論議は経論などの文義に関する問答。仏教以外の道門である外道の論と義。

 

外道

仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。

 

濁劫

五濁に支配される時代。五濁とは①劫濁。時代の汚れ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること。②見濁。思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること。③煩悩濁。貪・瞋・痴等の煩悩が盛んになること。 ④衆生濁。衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること。⑤命濁。衆生の寿命が次第に短くなること。

 

悪世

闘諍堅固・白法隠没の五濁悪世のこと。末法の相をいう。

 

恐怖

恐るべきこと。

 

悪鬼其身に入つて

悪鬼入其身のこと。「悪鬼は其の身に入って」と読み下す。法華経勧持品第13の二十行の偈の文。三類の強敵の様相を説いた中の一句。三類の強敵には悪鬼が身に入り、正法を護持する者を迫害すると説かれる。人々が心の中の煩悩や邪見という悪に身を支配され、薬叉など鬼神の様相を示し、正法およびそれを護持する人に敵対・反発するさまを表現している。日蓮大聖人は、悪鬼の最も根本で手ごわい者を第六天の魔王(他化自在天)とみなされている。「治病大小権実違目」では、その第六天の魔王は、生命にそなわる根源的な煩悩である「元品の無明」の現れであると明かされている。

 

悪鬼

悪鬼とは奪命者、奪功徳者で、六道の中の餓鬼道に住する。鬼に善鬼と悪鬼がある。悪鬼は人の生命力を衰えさせ、思考の乱れを引き起こして、正法を行ずる者を妨げる。また国家・社会に対して天変地変や思想の混乱を起こす働きをする。法華経勧持品には「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん」とあり、この文について御義口伝には「悪鬼とは法然弘法等是なり入其身とは国王.大臣.万民等の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を怨むべしと云う事なり」とある。このことから、悪鬼とは、仏教を看板にかけた邪教の指導者のことである。

 

毀罵

誹謗し謗ること。

 

毀辱

毀謗と侮辱のこと。そしり、はずかしめること。

 

濁世

濁って乱れきった社会・世の中。五濁悪世・濁劫悪世のこと。

 

悪比丘

比丘とは梵語で、仏法に帰依して具足戒を受けた男子。悪比丘とは、名利のために形ばかり比丘となり、邪法を説く輩。出典は仁王般若波羅蜜経嘱累品。

 

方便随宜所説の法

方便として衆生の機根に随って説かれる教え。

 

大神力

神力品において、釈尊は地涌の菩薩に法を付属するにあたって、十種の神力を現ずる。十神力とは①出広長舌、「広長舌を出して上梵世に至らしめ」②通身放光、「一切の毛孔より、無量無数色の光を放って皆悉く徧くく十方世界を照したもう」③一時謦欬、「然して後に還って舌相を摂めて一時に謦欬し」④倶共弾指「倶共に弾指したもう」⑤地六種動、「是の二つの音声、徧く十方の諸仏の世界に至って、地皆六種に震動す」⑥普見大会、「其の中の衆生、天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等、仏の神力を以ての故に、皆此の娑婆世界、無量無辺百千万億の衆の宝樹下の師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し囲繞したてまつるを見る」⑦空中唱声、「即時に諸天、虚空の中に於いて、高声に唱えて言わく」⑧咸皆帰命、「彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向かって、是の如き言を作さく、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と」。⑨遙散諸物、「種々の華香、瓔珞、幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以って、皆共に遥かに娑婆世界に散ず」⑩十方通同、「時に十方世界通達無碍にして一仏土の如し」である。この神力というも妙法蓮華経の五字に含まれるのである。

 

広長舌

神力品に説かれる。法華経を付嘱するためにあらわした十種の神力の第一で広長舌相のこと。仏の三十二相の一つ。古代インドでは、言う所が真実であることを証明するのに舌を出す風習があり、舌が長ければ長いほど、その言説が真実であることの確かな証明とされた。ゆえに広長舌相は虚妄のないことを表す。

 

梵世

色界の諸天の総称。

 

諸仏

十方の諸仏のこと。十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。

 

涅槃経

大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。

 

一日一夜

天台大師の五時教判によると、涅槃経は一日一夜の説で、跋提河の辺とされている。

 

八十入滅

釈尊が80歳で入滅したこと。入滅は寂滅の意で、涅槃ともいい、仏の死を意味する。

 

依法不依人

涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され、「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(294㌻)と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。

 

文殊

文殊師利はサンスクリットのマンジュシュリーの音写。直訳すると、「うるわしい輝きをもつ者」。仏の智慧を象徴する菩薩で、仏像などでは獅子に乗った姿で釈尊の向かって左に配される。法華経では、弥勒菩薩・薬王菩薩とともに、菩薩の代表として登場する。

 

普賢

普賢はサンスクリットのサマンタバドラの訳。「あらゆる点で優れている」の意で、仏のもつ優れた特性(特に実践面)を人格化した菩薩。仏像などでは、白象に乗った姿で釈尊の向かって右に配される。法華経では普賢菩薩勧発品第28で登場し、法華経の修行者を守護する誓いを立てる。

 

観音

観音菩薩、観自在菩薩ともいう。「観世音」とは「世音を観ずる」ということで、慈悲をもって衆生を救済することを願う菩薩。大乗仏教を代表する菩薩の一人で、法華経観世音菩薩普門品第25などに説かれる。その名前をとなえる衆生の声を聞いて、あらゆる場所に現れ、さまざまな姿を示して、その衆生を苦難から救うとされる。浄土教でも信仰され勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇士とされる。

 

地蔵

インド神話における地神がその起源とされ、仏教においては衆生の苦を除いて成仏へ導く菩薩とされた。釈尊から忉利天の衆生の前で、釈尊滅後に弥勒菩薩が出現するまでの無仏の世界の導師として付嘱を受けたとされる。地蔵菩薩への信仰は、日本の平安時代に末法思想と結びついて広まった。

 

依義不依語

法の四依のひとつ。「義に依って語に依らざれ」と読む。仏説の実義・真義をよりどころとして、経文の表面上の語句にとらわれてはならないということ。

 

依智不依識

法の四依のひとつ。「智に依って識に依らざれ」と読む。仏の真の智慧をよりどころとして、人の浅い知識や経験則によってはならないこと。

 

依了義経不依不了義経

法の四依のひとつ。 「了義経に依って不了義経に依らざれ」と読む。仏の真実の経である法華経をよりどころとして、法華経以外の方便の諸経をよりどころとしてはならないこと。

 

観経

中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観無量寿経のこと。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。

 

大日経

大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐の善無畏・一行の共訳。7巻。最初のまとまった密教経典であり、曼荼羅(胎蔵曼荼羅)の作成法やそれに基づく修行法などを説く。

 

深密経

解深密経のこと。中国・唐の玄奘訳。5巻。唯識説(あらゆる事物・事象は心に立ち現れているもので固定的な実体はないという思想)を体系的に説き明かし、法相宗では根本経典とされた。

 

華厳経

大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。

 

般若経

「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。

 

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