兵衛志殿御返事(病平癒の事)

兵衛志殿御返事(病平癒の事)

 弘安元年(ʼ78)6月26日 57歳 池上宗長

 みそおけひとつ、給び了わんぬ。
 はらのけは、さえもん殿の御薬になおりて候。また、このみそをなめて、いよいよ心ちなおり候いぬ。
 あわれ、あわれ、今年御つつがなきことをこそ法華経に申し上げまいらせ候え。恐々謹言。
  六月二十六日    日蓮 花押
 兵衛志殿御返事

現代語訳

味噌一桶をいただきました。下痢は左衛門殿(四条金吾)のお薬で治りました、この味噌をなめて、いよいよ元気になりました。ありがたいことです。今年も、ご一家がつつがなく過ごせるように、御本尊に御祈念しております。恐恐謹言。

六月二十六日             日 蓮  花 押

兵衛志殿御返事

語句の解説

左衛門どの

「左衛門」は左衛門府の役人に対する総称。ここでは、四条中務三郎左衛門尉頼基(1230頃~1300)をいい、一般に四条金吾という。当時の慣例で衛門府の唐名である金吾と通称された。北条の支族江馬家の家臣で武道に通達、医術の心得もあった。

講義

本抄は日蓮大聖人が下痢で病まれ、四条金吾の薬で治されたことが述べられている。

日蓮大聖人の仏法は、合理性をもった宗教であって医学を否定するものでは決してない。されば、釈尊の大信者には名医耆婆が、また大聖人の御弟子には四条金吾がいたのである。

だが、医学は、あくまでも生命力回復の補助手段である。今日、医学はあたかも万能であるかのごとく信じている人は実に多い。しかし、少しでも医学の現状を知るならば、医学が万能でないことは、明確に理解できよう。健康な体力は健全な生命力によって保たれるのである。この生命力が弱まったり、不調和になったとき、病気は起こるのである。直接の起縁は、外部から与えられた状況の急変や、悪質な細菌の働きによることは事実である。だが根本の原因をたどっていくと、結局、生命力の減退にある。

たとえば、細菌が体内に入ったからといって、必ず病気になるとは限らない。もし、そうであるならば、われわれは年じゅう病気をしていなければならないはずである。また、同じ条件でありながら、病気をする人もあれば、元気で生活していける人もいる。それは、その人の生命力の違いによるのである。それゆえ、根本の治療法は、病気の軽重を問わず、内からの生命力を引き出すことである。それは医学の力ではなく、自然の治癒力、生命力の回復にほかならないのである。この生命力の根源的回復は、三大秘法の御本尊を信ずることにあるといいたい。

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