本尊問答抄(第五段第一 法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目)

本尊問答抄(第五段第一 法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目)

 弘安元年(ʼ78)9月 57歳 浄顕房

———————————–(第四段第一から続く)——————————————-

問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり、 

 ——————————–(第五段第二に続く)———————————————–

 

現代語訳

問うて云う。そうであればなぜあなたは釈迦を本尊としないで法華経の題目を本尊とするのか。

答えて言う。前に挙げた経釈を見なさい。法華経の題目を本尊とするのは、私が勝手に立てた義ではない。釈尊と天台大師とが法華経をもって本尊と定められたのである。末代今の日蓮も仏と天台大師と同じように、法華経をもって本尊とするのである。なぜなら、法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目であり、釈迦如来・大日如来をはじめとして、総じて十方の諸仏は法華経より出生されたからである。故に今、能生の法たる法華経をもって本尊とするのである。

講義

これまで示された大聖人の御指南を要約しておくと、次のようになる。

①法華経の題目を本尊とすべきである

②勝れたものを本尊とすべきである

③仏教においては、釈尊を本尊とすべきである

①は、妙法を本尊とすべきことを示されたものであり、③は、②を受けての結論である。ところが、この③の結論は、人を本尊とすることであるから、次に①との関係が問われたのである。つまり、妙法と仏の関係である。

これについて、大聖人は妙法こそ能生であり、仏は所生であることを明かされている。「法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり」との仰せは、そのことを示されたものである。

釈尊のみならず、大日如来・阿弥陀仏、一切の諸仏はことごとく妙法によって成道したからである。したがって②の観点を踏まえて、「今能生を以て本尊とするなり」と結論されたのである。

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