本尊問答抄(第十三段第一 大聖人を守った浄顕房・義城房)

本尊問答抄(第十三段第一 大聖人を守った浄顕房・義城房)

 弘安元年(ʼ78)9月 57歳 浄顕房

———————————–(第十二段第二から続く)——————————————

此の道理を存ぜる事は父母と師匠との御恩なれば父母はすでに過去し給い畢んぬ、故道善御房は師匠にておはしまししかども法華経の故に地頭におそれ給いて心中には不便とおぼしつらめども外にはかたきのやうににくみ給いぬ、後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども臨終にはいかにやおはしけむおぼつかなし地獄まではよもおはせじ又生死をはなるる事はあるべしともおぼへず中有にやただよひましますらむとなげかし、貴辺は地頭のいかりし時・義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして生死をはなれさせ給うべし。

 ——————————–(第十四段第一に続く)———————————————

 

現代語訳

この道理を知ることができたのは、父母と師匠との御恩であるが、父母はすでに死んでしまわれた。

故道善御房は師匠であったけれども、法華経故の地頭・東条景信に恐れをいだいて、大聖人のことを心中では気にかけておられたようだが、表面上はかたきのように憎んでいた。後に法華経を少し信じられたように聞いたけれども、臨終の時はどうであったろうか心配である。よもや地獄に堕ちたと思えないが、かといって生死の苦しみから離れたとも思われず、中有に漂っておられるかと思うと気の毒に思う。

あなたは東条景信が襲ってきた時、義城房と共に、私を案内して清澄寺から逃がしてくれた人であるから、何か特別なことをしなくてもこれを法華経の御奉公だと確信して生死の苦しみから逃れるようにしなさい。

講義

冒頭に仰せの「此の道理」とは、前段で仰せの、真言の教えが亡国をもたらす悪法であり、法華経こそ成仏の大道であることを指していよう。

しかし、その元意は末法において立てるべき御本尊を大聖人のみが御存知であることを仰せられたものと拝される。次の最後の段において、大聖人の顕される御本尊が正像末顕であることに言及される意味もそこにある。

大聖人がここで父母と師匠の恩であると言われているのは、ひとえに御自身をはぐくんでくれた両親と学問の手ほどきをしてくれた師がいたればこそ、このように仏法を覚えることができた、とその深い報恩感謝の一念をあらわされているのである。

父母の恩について四恩抄には「今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり、梵天・帝釈・四大天王転輪聖王の家に生まれて三界・四天をゆづられて人天・四衆に恭敬せられんよりも 恩重きは今の某が父母なるか」(0937:15)と仰せられている。

また「仏教を信ずれば先づ此の父と母との恩を報ずべし、父の恩の高き事・須弥山猶ひきし・母の恩の深き事大海還つて浅し」(1527:13)とも仰せられている。

しかし仏法の孝養間は儒教のそれとは根本的に違うことに注意しなければならない。この点については、次のように指摘されている。

「外典三千余巻は他事なし・ただ父母の孝養ばかりなり、しかれども現世をやしなひて後生をたすけず、父母の恩のおもき事は大海のごとし・現世をやしなひ後生をたすけざれば・一渧のごとし」(1563:07

つまり、外典でも孝養の大切さが説かれているが、その教えは父母の現世を養うに過ぎないのであって、後生を助けるものではない。そして、その次下の御文では、釈尊も成仏の法たる法華経を説いたことによって真実の孝養をなしたと述べられ、成仏に導くことこそ本当の孝養であり、報恩になることを御教示されている。

大聖人の御父は正嘉2年(1258)御母は文永4年(1276)に逝去されたが、共に立教開宗直後に正法に帰依されており、大聖人は御両親を成仏へ導いて、真実の孝養を果たされたのである。

それだけに、心の中では少しは法華経を信じていたようであったが、最後まで念仏を捨て切れなかった師・道善房の後生を思い、道善房のことに言及されたものと拝される。しかし、この道善房に対しても華果成就御書に「日蓮・法華経の行者となつて善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたはるる此の御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや、日蓮は草木の如く師匠は大地の如し、彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします、一名上行乃至四名安立行菩薩云云、 末法には上行・出世し給はば安立行菩薩も出現せさせ給うべきか、さればいねは華果成就すれども必ず米の精・大地にをさまる、故にひつぢおひいでて二度華果成就するなり、日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと、よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり」(0900:03)と述べられている。

また、本抄を与えられた浄顕房に対して、義浄房と共に、立教開宗の直後、東条景信が大聖人を亡き者にしようとした時、大聖人を守ったことをもって「法華経の御奉公」と思うよう仰せられ、兄弟子への報恩の真心を述べられている。

タイトルとURLをコピーしました