———————————–(第十段第一から続く)——————————————-
法相宗は源権大乗経の中の浅近の法門にてありけるが次第に増長して権実と並び結句は彼の宗宗を打ち破らんと存ぜり譬えば日本国の将軍将門・純友等のごとし下に居て上を破る、三論宗も又権大乗の空の一分なり此れも我は実大乗とおもへり、華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり譬えば摂政関白のごとし然而法華経を敵となして立てる宗なる故に臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし、浄土宗と申すも権大乗の一分なれども善導法然が・たばかりかしこくして諸経をば上げ観経をば下し正像の機をば上げ末法の機をば下して末法の機に相叶える念仏を取り出して機を以て経を打ち一代の聖教を失いて念仏の一門を立てたり譬えば心かしこくして身は卑しき者が身を上げて心はかなきものを敬いて賢人をうしなふがごとし、禅宗と申すは一代聖教の外に真実の法有りと云云譬えばをやを殺して子を用い主を殺せる所従のしかも其の位につけるがごとし、
——————————–(第十段第三に続く)———————————————–
現代語訳
法相宗は、初めは権大乗経のなかでも浅く低い法門であったが、次第に増長して、華厳・法華経等の権・実大乗教と肩を並べ、その結句にそれらの諸宗を打ち破ろうとしたのである。これを譬えると、日本の武将である平将門や藤原純友等のように下の身分の者が上の身分の者を破ろうとしたようなものである。三論宗もまた権大乗の空の一分を説いた教えであるが、これも自宗は実大乗だと思っている。華厳宗もまた権大乗の教えであるが、ほかの宗に勝っていることは、摂政・関白のようなものである。ところが、法華経を敵として立てた宗であるから、臣下の身分をもって大王に並ぼうとするようなものである。
浄土宗というのも権大乗の一分であるけれども善導や法然が企みだますことに巧妙で、諸経を誉め上げ、観無量寿経等の三部経を下し、また正法や像法の衆生の機根を上げ、末法時代の衆生の機根を下すことによって、末法の衆生の機根に相応するのは念仏であるとして、機根を中心にして三部経以外の釈尊の一代聖教を排斥し、念仏の一門を立てたのである。これを譬えれば、心がずるがしこくて身分の卑しいものが、身分を持ち上げて、心の愚かなものを敬い、真の賢人を失ってしまうようなものである。禅宗というのは、釈尊一代聖教の外に真実の法があるといっている。これを譬えれば、親を殺して子を用い、主人を殺した所従が、その主人の位につくようなものである。
講義
前段の小乗三宗に続いて、大乗の法相宗・三論宗・華厳宗・浄土宗・禅宗の五宗を取り上げ破折されているところである。
④法相宗
法相宗は、解深密教・瑜伽師地論・成唯識論などの六経十一論をよりどころとし、唐の玄奘が伝え、太宗皇帝の代に慈恩大師窺基が開いた宗派である。
撰時抄には「此の宗の心は仏教は機に随うべし一乗の機のためには三乗方便・一乗真実なり所謂法華経等なり、三乗の機のためには三乗真実・一乗方便・所謂深密経・勝鬘経等此れなり」(0262:07)と、その教義を要約されているように、法相宗の慈恩は、三乗の機の人々にとっては仏が衆生の機根に応じて説いた声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗の教えが真実の教えであり、法華経は一乗の機の人々のために説かれた経であるから、三乗の人々にとっては方便に過ぎないと唱えたのである。そして、所依の経典である解深密教は権大乗の中でも方等部に属する低い教えであるにもかかわらず「法華経は一切経には勝れたれども深密には劣る」(0301:03)という教判を立てた。こうしたことから、大聖人は下剋上の反乱を起こした平将門や藤原純友に譬えて「下に居て上を破る」宗であると喝破されている。
伝教大師は得一との法論を通じて法相宗を厳しく論破している。
⑤三論宗
三論宗は、竜樹の中論・十二門論と提婆の百論の三つの論をよりどころとし「空」を基本教義として立てられた宗派である。五時教判では般若部の権大乗に入るのであるが、自らは実大乗と思い込んでいることを指摘されている。
これは、中国の三論宗を大成させた嘉祥大師吉蔵が般若経の所依の経典と定めて、しかも法華経と般若経とは名は異なっても同じ一大乗蔵であると唱えたことを指しているものと思われる。
この点については、開目抄でも次のように仰せられている。
「三論の吉蔵等読んで云く『般若経と法華経とは名異体同・二経一法なり』三論の吉蔵等読んで云く『般若経と法華経とは名異体同・二経一法なり』」(0219:01)
吉蔵は後に天台大師に破折されて100余人の弟子を捨て、7年にわたって天台大師に仕えたという。
⑥華厳宗
華厳経は、釈尊の成道後、最初に説かれた経であるが、権大乗教の中では最も高度な法門である。
中国で華厳宗を大成したのは賢首大師法蔵である。法蔵は、大聖人が顕謗法抄で「華厳宗には五教を立て一代ををさめ其の中には華厳・法華を最勝とし華厳・法華の中に華厳経を以て第一とす」(0454:01)と指摘されているように、五教の教判を立てて、華厳と法華を同じ一乗円教としたうえで、法華経は三乗を開会するための円融の一乗を三乗教に同じて説いた「同教一乗」であるのに対して、華厳経は直ちに円融の法門を開示している故に三乗教とは別の教えの「別教一乗」であるとして、華厳経の方が法華経に勝れているとしたのである。
大聖人が本抄で「華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり譬えば摂政関白のごとし」と仰せられているのは、華厳経が権大乗の中でも法華経を除くほかの大乗教に勝っており、法華経を天子に譬えれば、華厳経は摂政・関白にあたることを指摘されたものである。しかし、法蔵のように法華経を下して華厳経を第一に立てていることから、華厳宗が「法華経を敵となして立てる宗」であるとして、臣下の身でありながら大王に並ぼうとする者に譬えられているのである。
⑦浄土宗
中国浄土宗の教義を作り上げたのは善導であり、日本浄土宗の開祖は法然である。本抄で「善導法然が・たばかりかしこくして」と仰せになっているのは、彼らが巧妙な理屈をつけて、浄土宗の依経である浄土三部経以外の諸経を斥けるということである。
つまり、浄土部以外の諸経は高く深い教えであり、正法・像法時代の衆生の機根は優れていたことから三部経以外の高い教えを理解できて救われたが、末法の衆生は機根が劣っている故に、高い教えでは衆生が理解することができず救われないとして、末法の衆生は弥陀の名号を称えることによってのみ西方極楽浄土に往生できると説いたのである。
これは衆生の機根を中心として立てた邪義であり、大聖人が撰時抄に「仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(0256:01)と仰せのように、仏法を学ぶうえで最も根本とすべきは時であり、機根は“従”になるのである。故に大聖人は「機に随つて法を説くと申すは大なる僻見なり」(0267:08)と破折されている。
⑧禅宗
禅宗は「教外別伝・不立文字」といって、仏法の真髄は文字に依らないで伝えられたと主張し、自ら座禅入定によって体得するものであるとした。これは、釈尊の説いた一代聖教を否定し排除するものであるから、本抄では「譬えばをやを殺して子を用い主を殺せる所従のしかも其の位につけるがごとし」と指摘されている。