- 本尊問答抄 序講 2
- 各段の概要
- 第一段 正しく末大悪世の本尊を定める(0306:01~0306:01)
- 第二段 経釈を挙げてその根拠を示す(0365:01~0365:07)
- 第三段 法華経の行者の正意を顕す(0365:08~0365:18)
- 第四段 勝れたるを本尊とする(0366:01~0366:11)
- 第五段 能生を以て本尊とする(0366:07~0366:15)
- 第六段 弘法等の三大師の帰依を責む(0366:16~0367:17)
- 第七段 三大師の事歴を挙げる(0367:14~0368:13)
- 第八段 仏法の伝来を略述す(0368:12~0370:01)
- 第九段 日本に法華経の行者なきを明かす(0370:02~0470:07)
- 第十段 大聖人の御事歴を示す(0370:08~0371:11)
- 第11段 亡国の現証を挙げる(0371:12~0372:18)
- 第12段 蒙古調伏を諌める(0372:18~0373:10)
- 第13段 有縁の人々の報恩を述べる(0373:11~0373;16)
- 第14段 未曾有の本尊の末法弘通を明かす(0373:17~0374:06)
- 各段の概要
本尊問答抄 序講 2
各段の概要
第一段 正しく末大悪世の本尊を定める(0306:01~0306:01)
第一段は、「標」「釈」「結」の三段に配した場合、「標」に位置づけられよう。
ここに、「標」「釈」「結」とは、文章の表現形式や論文の構成法のことをいう。このうち「標」とは標示、標出の意で文章全体の主題を示すこと、「釈」とは解釈で、標示された主題について具体的に論ずること、「結」とは結論で、所論全体を結ぶことである。
日応は弁惑観心抄で、要法寺の前住職・麒尾日守の著作、末法観心論における誤った本尊義を破折され、大聖人の正意を明かされているが、なかでも第一章の「本門の本尊を論ず」の第十九節では、日守が本尊問答抄の「法華経の題目を以て本尊とすべし」との御文をあくまで権実相対の法門としてとらえ、法本尊の依文とはならないと主張していることに対し論駁されている。
そのなかで次のように仰せられている個所がある。
「蓋し現文」は当抄、標釈結三段の中には標文なるが故に但末代悪世の凡夫は何物を以って本尊とすべき也との玉うといえども」
この仰せから、第一段は「標」に当たり、したがって本抄全体の主題がここに表されているといえると考えられている。
すでに述べたように、本抄は、大聖人御図顕の御本尊を賜った浄顕房が、釈迦・多宝が題目の脇士として認められている点について御質問し、それに対して大聖人がお答えになった御書である。
すなわち報恩抄における「教主釈尊を本尊とすべし」(0328:15)との御教示に関連したこの問いに対して大聖人は問答を設けて、冒頭、法華経の題目をもって本尊とすべきであると仰せられているのである。
日応上人によれば、この仰せは、たしかに附文の辺では、日守の言うように権実相対の法門であるが、元意の辺では、本門寿量文底独一本門の事の一念三千の御本尊を明示したものであり、本抄のなかでは「標」「釈」「結」の三段のうち「標」の文に当たるがゆえに、このように仰せられたのであって、「法華経の題目」は迹門・本門・観心の三段において拝さなくてはならないのである。
そして、この「法華経の題目」を主題として、所対の人に応じ、また所問の辺に従って縦横に釈されており、そのことが本抄全体を貫くテーマとなっていると拝される。
大聖人は、ここにおいて末法の本尊を「法本尊」として法の辺から明かされているのであるが、これは、大聖人御所持の法が、釈尊の法華経文上には説かれていないことを示されていることに元意がある。
これによって、当時、報恩抄に明かされた「本門の教主釈尊」の御文について、色相荘厳の釈尊にとらわれて、真義に惑っている浄顕房に対して、大聖人の仏法が末法における唯一の正法であり、またその弘通される法体は、法華経の肝心であり、文底の事の一念三千であることを御教示されているのである。
同時に、浄顕房は、すでに御本尊を授与されているので、報恩抄の御教示と本抄の標文とを合わせて拝すれば、大聖人の正意の本尊が、すでに授与さえた大聖人所顕の曼荼羅御本尊であることはもはや明確であろう。
第二段 経釈を挙げてその根拠を示す(0365:01~0365:07)
ここでは、仏法においては、「人」ではなく「法」を中心にしなければならないことを示す経釈を挙げて、前段の文証とされている。
ここに引かれている経釈の意味するところは、人法勝劣を示し、すべて「仏よりも法を中心とすべきである」との御教示を裏づけるものとなっている。これは一往、釈尊の説示に則って、仏像を本尊とすることを批判され、第一段で述べた法本尊の正しい所以を示されている。
大聖人がここで挙げられている経釈は、まず初めに法華経法師品の「仏の舎利を用いるのではなく、経巻を安置せよ」との文であり、次に涅槃経の「法は諸仏の師である。法が常住である故に諸仏も常住である」との文である。そして、天台大師の法華三昧懺義の「法華三昧においては、法華経を安置し、形像舎利、並びに他の経巻を置いてはならない」との文をひかれている。
第三段 法華経の行者の正意を顕す(0365:08~0365:18)
本段では、前段で引かれた経釈に対して起こりうる疑問に回答を与える形で、大聖人御図顕の本尊が、末法の衆生にとっての本尊であると同時に、釈尊を含む一切の諸仏が本尊としたものであることを明かされている。
まず「法華経を中心に安置せよ」との経釈に対して、二つの疑問が提出される。
第一は、天台大師が摩訶止観巻二に説かれている四種三昧の本尊は阿弥陀仏であること、第二に、不空三蔵の訳した観智儀軌は釈迦仏・多宝仏を本尊としていることである。
第一の疑いに対しては、四種三昧のうち常坐・常行・非行非坐の三種の修行において阿弥陀仏を本尊としたのは末顕真実の権教によったものであること、また半行半坐三昧のうち、方等三昧が方等経の七仏・八菩薩を本尊としているのも同じく権経を依処としたのであると述べられている。
そして半行半坐三昧のうち法華三昧が天台大師の正意であり、法華経を本尊として安置することが法華三昧懴儀の真意であるとされている。
第二の疑いに対しては、不空三蔵が法華経宝塔品によって釈迦・多宝の二仏を本尊としたのは、法華経の正意ではないと仰せである
最後に大聖人が御教示されている「法華経の題目」たる御本尊は、釈迦・多宝・十方の諸仏の本尊であり、これこそが法華経の行者の正意であると結ばれている。以上この段までは、末法の本尊が、大聖人の御図顕されている南無妙法蓮華経の曼荼羅本尊であることを明かされたと拝される。
第四段 勝れたるを本尊とする(0366:01~0366:11)
本段と次の第五段においては、末代悪世において本尊を決定すべき基準が述べられている。
ここではまず当時の日本国に存在していた十宗の本尊を挙げられ、それぞれの本尊がまちまちであることが示される。そして、仏、あるいは経を本尊として立てているなかで、天台宗のみが経を本尊としているのは何故かとの問いが発せられる。ここでは経と述べられ、法とされていないのは、天台大師が経巻としての法華経を本尊としたことを受けたものと拝せられる。
また、この質問以降、「法華経の題目」との語は使われず、おもに法華経と諸仏、特に法華経と大日如来という相対で論が展開されていく。
その問いに対し「本尊とは勝れたるを用うべし」との重要な意義を述べられている。そして、その例として、儒教においては三皇五帝、仏家においては釈尊を本尊と立てることを述べられている。これは、根本として尊敬するという本尊の字義から、最も勝れていると考えられたものを本尊としたのであり、この意味から、仏法においては、一往の辺では、八万法蔵の教主である釈尊を本尊とすべきことを仰せられているのである。
第五段 能生を以て本尊とする(0366:07~0366:15)
仏教においては、釈尊を本尊とすべきであるとの前段の結論を受けて、ではなぜ大聖人が「法華経の題目」を本尊とするのかとの問いがでてくる。
これに対して、このことは、大聖人の己義ではなく、釈尊・天台に準じたものであると述べられている。そして、その根拠として法華経が釈尊以下、十方の諸仏を出生せしめた「能生」の根源であることを示されている。ここから「能生を以て本尊とする」と仰せられている。
続いて、普賢経を依文として「仏は所生・法華経は能生・仏は身なり法華経は神なり」と、すべての仏は、この法華経を悟って成道したのであり、法華経が能生・たましいであると断ぜられている。
ここまでは、法華経の題目を本尊とすべきことを明かされた個所と拝することができる。すなわち、第三段において、末法の衆生が本尊とすべきことは「法華経の題目」であることを示されている。そして第四・第五段において、本尊の意義を示されることにより、最も勝れた当体であり、諸仏能生の根源が「法華経の題目」であることを明かされているのでる。
そして、次段より真言破折に入られるのであるが、その端緒として本段の末尾の真言法のうちもっとも仏法の本義に逆らっている象徴ともいうべき開眼供養の儀式を破折されている。
さてここで大聖人が能生の法をもって本尊とすべきことを仰せられていることに重々の意があると拝される。すなわち、日寛上人が「能生は即ちこれ種子の徳なり」と御教示されているように、下種の妙法を示されているからである。
それゆえに、日寛上人は、本段の「十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり」との御文について、「文の中に『法華経より出生し給えり』というのは、即ち是れ下種の法華経・妙法蓮華経の五字なり」と仰せられている。
そして、この元意から引証の普賢経の二文を読むならば、これらの文そのものが、久遠元初の三徳の具足の能生の徳を顕しているのである。すなわち、日寛上人によれば「此の大乗経典」とは、久遠元初の妙法を指している。「仏の宝蔵」とはすなわち主の徳、「十方三世の諸仏の眼目」とは師の徳、「三世諸仏の如来を出生する種」とは、父母の徳をそれぞれ顕している。
そして、次の「方等経」以下の文では、久遠元初の妙法を指して「方等経」と述べている。「是れ諸仏の眼」は師の徳であり、この師にまた能生の徳が具わっているが故に、「諸仏は是に因って五眼を具することを得たまえり」と説かれているのである。また、「仏の三種の身は方等より生ず」とは、父母能生の徳である。「是れ大宝の印」とは主の徳を顕している。この主の徳にまた能生の徳が具わっているが故に、「此くの如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず」と説いているのである。したがって、一体の三徳を顕している。
第六段 弘法等の三大師の帰依を責む(0366:16~0367:17)
これにより、真言破折に入るのであるが、まず初めに「問うて云く法華経を本尊とすると大日如来を本尊とするといづれか勝るや」との問いを立てられている。
これに対して、法華経より大日如来の方が勝れているとした弘法・慈覚・智証の三大師の義を挙げられている。すなわち、弘法の「法華経は大日経より三重の劣である」との義、台密の慈覚・智証の「大日経第一・法華経第二」との義がそれである。
次に大聖人御自身の義を法華経法師品の「已今当の一切経の中に法華経最為第一なり」との文をもって示されている。
そして、次の問答では、当時の世間の人々の見方からくる疑問を提示されている。
「問う今日本国中の天台・真言等の諸僧並びに王臣・万民疑つて云く日蓮法師めは弘法・慈覚・智証大師等に勝るべきか如何」(0367:02)
つまり、当時の人々にとって、弘法等の三大師は、大聖人よりはるかに勝れた聖僧であり、それゆえ、三大師の言い分のほうが正しいと思い込んでいるのである。
これに対して、大聖人は、
①三大師は、釈尊等の仏より勝っているのか
②「法華経第一」は、大聖人の己義ではなく、釈尊の遺誡である「依法不依人」の金言に基づいて“法”によって立てたものである
の二点から反論されている。
続いて、三大師も一往、一切経、法華経を読んでいるとはいえ、法華経に「法華最第一」と釈尊が明確に定めているにもかかわらず、弘法は「法華経第三」と読み、また慈覚・智証は「法華経最第二」と読んでいると述べ、まったくの誤りであることを指摘されている。そして、釈迦・多宝・十方の諸仏が説いたところの三大師の主張のいずれを本とすべきかと迫られている。
第七段 三大師の事歴を挙げる(0367:14~0368:13)
この段は、13からなる問答の最後に当たる。
前段の大聖人の破折に対して、弘法・慈覚・智証の三大師の事歴をもって反論を記されている。これは、世間の人々の見方を示されたものであることは言うまでもない。すなわち、三大師はそれぞれ智慧もすぐれ、仏法を深く究めた有徳の人たちである。この三大師に帰依することがどうして仏に背くことになるのかとの素朴な疑問である。
第八段 仏法の伝来を略述す(0368:12~0370:01)
前段の反問に対して、まずインド・中国における仏法流布の経緯を簡潔に記されている。とくに、中国に仏法が渡ってから600年後に、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の三三蔵がインドから中国に来て真言宗を立ててから、華厳経・法華経が見下されてしまったと仰せである。
そして、その後に出現した妙楽大師も法華経と真言との勝劣をはっきりわかっていたが、表立って言わなかったために、中国においてはその勝劣を弁える者はいなくなってしまったとも述べられている。
次に、日本における仏法の歴史に言及されている。伝教大師は法華経と大日経との勝劣を正しく弁え、大日経疏に天台宗の義、すなわち一念三千の法門が盗み取られていることも見抜いていたが、伝教大師以後、天台座主の慈覚・智証が師の教えに敵対して、弘法の邪義を取り入れたことにより、日本中に真言の邪義が広まってしまったのである。
そして、その後の日本国には、三大師を超える碩徳が現れなかったため、伝教大師から大聖人の時代に至るまでの400年余りの間、日本一同に真言が法華経より勝れていると信じ込んでしまったとされている。
第九段 日本に法華経の行者なきを明かす(0370:02~0470:07)
本段では、真言破折を総括されて、当時にあって、「法華経最第一」の義を身口意の三業にわたって主張したのは大聖人ただお一人であることを示され、大聖人こそが、末法の法華経の行者であることを明かされている。
そして、日本にある数十万の寺社はすべて真言宗であると仰せられている。それは、比叡山の座主等をはじめ、各寺の最高の地位にある高僧たちが一同に真言師となってしまったために、日本国中の僧侶が真言師になってしまったからである。また、たまに法華経を並べたり、法華・真言を兼学する人も心中は皆真言師であるとされている。
彼らは、口に法華経第一と読んでいても心は第二・第三であり、その修行はすべて真言宗の法であり、身口意三業相応して最第一と読む法華経の行者・能持此経の行者は、伝教大師より以後400余年の間一人もいなかったのであり、法華経法師品の「如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」との経文どおり、日本国の一切衆生は法華経の大怨敵となってしまったと述べられている。
そして、これまで述べられてきたように、日本国は、上一人より下万民に至るまで真言第一の邪義に陥り、真言が最も勝れているということが常識となっていた。ゆえに、それを真っ向から否定し法華経第一の義を唱えられる大聖人に強い反発が起きたのは当然であったといわなくてはならない。大聖人ただ一人が、この義を説かれたのであり、そのゆえに大聖人は法華経に予言された諸々の難を身をもって受けられたのである。
これを逆に見るなら、大聖人は身をもって法華経の予言が正しかったことを証明されたのであり、法華経を身口意の三業にわたって最第一と読み切られた末法の法華経の行者は、日蓮大聖人以外にはないということである。
第十段 大聖人の御事歴を示す(0370:08~0371:11)
ここからは、日蓮大聖人が、正像末の本尊を顕される未曾有の人であることを明かされていく。
まず、大聖人御自身の出自を示され、日本国の中でも辺国の安房に御誕生になったことを示されている。そして、修学の経緯を述べられつつ、そこでどのように十宗の誤りを見抜かれたかを述べられている。
日本の十宗が、大小・権実の雑乱に陥り、この仏法の乱れによって日本の王法も力が尽き、最後には、謗法の罪によって他国に攻められる亡国となることを述べられている。そして、このことは大聖人が早くから幕府要人に対して諌めてきたことであり、とくに、故最明寺入道に立正安国論を上呈して諌暁されたことを述べられている。
第11段 亡国の現証を挙げる(0371:12~0372:18)
ここでは、亡国の現証として「承久の乱」を挙げられている。
承久の乱における事件と、真言師が15檀の秘法を行じていった様子を時間的に詳しく対比して述べられ、真言亡国の現証を臨場感をもって描写されている。そして真言の邪法を信ずることが、結局、法華経の怨敵となるゆえに、亡国という現証があらわれるのであると結論されている。
第12段 蒙古調伏を諌める(0372:18~0373:10)
今や、亡国の法である真言が、鎌倉幕府にとり入り、蒙古襲来という災を招き、日本を亡国の悲運におとしいれようとしているのである。これは、先に承久の乱によって滅びた、隠岐の法皇と全く同じ道を辿っていると明言されている。
法華経において、梵王・帝釈等の諸天善神は、もし国王が法華経の怨敵となったなら、この国王を治罰することを誓っており、そこに亡国の現証が起きるのである。
この真言亡国の現証は、源平合戦の時、平清盛が叡山の天台真言をもって源頼朝を調伏しようとして、逆に平家一門も安徳帝も滅びたのを第一回の現証とし、承久の乱を第二回、そして今度の蒙古襲来は第三回の現証になってしまう恐れがあるとされ、もし大聖人の諌めを用いず真言による調伏を行うなら、法華経観世音菩薩普門品第二十五に「還著於本人」と説かれているように、かえって日本の方が調伏され滅びてしまうであろうと憂えられている。
以上のように、第11・12段では、現証をもって真言の邪法を破折され、真言破折の細目を述べられている。
第13段 有縁の人々の報恩を述べる(0373:11~0373;16)
冒頭の「此の道理を存ぜる事」との仰せは、直接的な意味では、真言の悪法による調伏は亡国の因となり、法華経こそ成仏の大道であることを大聖人ただ一人が知悉されていることと拝される。しかし、元意の辺では末法において立てるべき正しい本尊を知っていることを仰せられたと拝さなくてはならない。
したがって、ここでは、大聖人が末法の御本仏として未曾有の本尊を顕されるのもひとえに父母・師匠の恩によるとの深い報恩の一念を表されているのであり、それは本抄を与えられた浄顕房ならびに義浄房の二人に対しても同様であることは、立宗の際に地頭の東条景信に襲われた時、二人が大聖人を助けてくれたことを記されていることが明らかであろう。
第14段 未曾有の本尊の末法弘通を明かす(0373:17~0374:06)
この段は、本抄の結論に当たる段であり、大聖人御図顕の御本尊が正像末未曾有の御本尊であることを示されるとともに、大聖人が地涌の菩薩の上首・上行菩薩の再誕として末法にこの御本尊を弘通されることを示唆されている。そして、本抄の冒頭に標示された「法華経の題目を以て本尊とすべし」の仰せの御本尊が、まさに義浄房に授与された大聖人御図顕の御本尊にほかならないことがここで明らかになっているのである。