日眼女造立釈迦仏供養事 第四章(法華経と女人成仏)

日眼女造立釈迦仏供養事 第四章(法華経と女人成仏)

 弘安2年(ʼ79)2月2日 58歳 日眼女

————————————-(第三章から続く)———————————————

 抑女人は一代五千・七千余巻の経経に仏にならずと・きらはれまします、但法華経ばかりに女人・仏になると説かれて候、天台智者大師の釈に云く「女に記せず」等云云、釈の心は一切経には女人仏にならずと云云、次下に云く「今経は皆記す」と云云、今の法華経にこそ竜女仏になれりと云云、天台智者大師と申せし人は仏滅度の後一千五百年に漢土と申す国に出でさせ給いて一切経を十五返まで御覧あそばして候いしが法華経より外の経には女人仏にならずと云云、妙楽大師と申せし人の釈に云く「一代に絶えたる所なり」等云云、釈の心は一切経にたえたる法門なり、法華経と申すは星の中の月ぞかし人の中の王ぞかし山の中の須弥山・水の中の大海の如し、是れ程いみじき御経に女人仏になると説かれぬれば一切経に嫌はれたるに・なにか・くるしかるべき、譬えば盗人・夜打・強盗・乞食・渇体にきらはれたらんと国の大王に讃られたらんと何れかうれしかるべき、

————————————-(第五章に続く)————————————————

 

現代語訳

釈尊が一代に説かれた五千七千の経々では、いずれも女人は仏にならないとされているが、ひとり法華経だけには女人成仏が説かれている。天台大師は文句の中に、「法華経以外の諸経には、男の成仏を説く経はあっても、女人の成仏は説かれていない」といわれている。すなわち法華経以外の一切経には、女人は成仏できないと説かれているという意味である。その続きには「法華経では男も女も皆成仏する」とある。つまり法華経によってこそ、竜女が成仏できたのである。

天台大師という人は釈尊滅度ののち千五百年に中国にでて一切経を十五回も読んだのであるが、法華経より外の経では女人は成仏できないといわれている。その流れを汲んだ妙楽大師は、文句記の中に「女人が仏になるということは釈尊一代の説法の中で法華経以外にない」といっている。つまり、他の諸経にはまったくない法門であるという意味である。

法華経は星の中の月、人の中の王、山の中の須弥山、水の中の大海のように、諸経の中の王である。それほど尊い経に女人が成仏すると説かれているのだから、他の経々で成仏できないといわれても悲観することは全くない。たとえば盗人、夜打、強盗、乞食、渇体などに嫌われたのと、一国の王から讃められたのとどちらが嬉しいことか考えてごらんなさい。

 

語句の解説

竜女

竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。

 

妙楽大師

07110782)。中国の唐代の人。天台宗の第九祖。天台大師より六世の法孫。中興の祖として、大いに天台の教義を宣揚し、天台仏法を興隆した。伝によれば、0711年、中国の江蘇省に生まれる。諱は湛然。姓は戚氏。荊渓の出身であることから荊渓大師とも称せられる。20歳で左渓玄朗について天台の教観を学ぶ。天宝7年(074838歳で宿願を達して出家。研鑚に努めて、理の一念三千の深義を明らかにし、禅、真言、法相など諸宗の学者の謬義を打ち破る。また天台大師の三大部の注釈は、天台大師の幽旨を明快にしたものである。天宝の末、詔書を賜わり、宮中に参ずるようしきりに勧められたが、常に病と称し固辞して参内しなかった。その後の兵乱や飢饉のときも修行を怠らず、常に少欲知足であったという。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師という。後に天台山国清寺にはいり、0782年、唐の徳宗建中325日、仏隴道場で入寂した。年72歳。著書に天台三大部の注釈「法華玄義釈籖」「法華文句記」「止観輔行伝弘決」等多数ある。

 

「一代に絶えたる所なり」等云云

妙楽の法華文句記巻四下の文。「若し悩乱する者は頭破七分。供養する者は福十号に過ぐ。いわんや已今当説一代に絶えたる所なり」と。釈尊一代の経々の中で最高の法門であるという意味。

 

須弥山

古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。

 

夜打

夜、人家を襲って財宝を盗むこと。盗賊。

 

渇体

らい病患者。「かたい」の促音便。

講義

女人成仏が法華経のみに説かれ、爾前経では許されていないことについては、さまざまな理由が考えられている。当時の出家者を中心とした社会状況、あるいは釈迦個人の家庭、あるいは性向にまで原因を求める考えまであるが、ここでは男女の特質という面から、一つの視点を取り上げたい。

女性は出産・育児の役割りを担うところから、さまざまな社会体制の変遷はあったにせよ、どうしても現状維持、現実的なものの考え方に閉じこもりやすい。

しかるに、仏道修行というものは本来、最も革新的な行為である。既成の社会の日常性をいったん超越して、より高次の世界に生きるのが出家であり、現実世界の奥にある永遠常住の世界を求めた。そして悟りを得て、その英知をもとに再び現実社会の変革に取り組んだのである。とくに法華経以前の諸経においては、この現実世界を超越するということが、出家し、特別に仏道修行に専念するという形で実践化することが求められた。したがって現実生活、既成の機構の安穏を好む生命とは対極点にあるといえる。そうしたことから、女性は仏道修行という、世間を出でる行為は不可能であり、また男性のそうした決意を妨げる存在として排斥されたのかもしれない。

しかし、仏界といえども、すべての人の生命に本来内在しているのだと明かした法華経においては、そのような特別な形や行動をとることは必要なくなり、ここに竜女の即身成仏、あるいは耶輪陀羅女等への授記が説かれたのである。

竜女の成仏は、竜女が法華経をもって一切衆生を救おうという自覚に立ったからである。この提婆達多品の精神からいえば、女人が成仏を許されなかったのは、女人だからではなく、大乗を開くという姿勢のないことによる。したがって妙法の弘宣という根本の目的観に立ったならば、男女の本質的な差別など本来ないのである。仏性という面から考えれば全く平等であり、これが法華経の基本精神である。その故に、妙法をたもつ女性を大聖人は四条金吾殿女房御返事に「一切の男子にこえたりとみえて候」(1134:15)といわれているのである。

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