法華経題目抄(妙の三義の事)
文永3年(ʼ66)1月6日 45歳
はじめに
法華経題目抄の講義にあたり、まずその序講として、
第一に、本抄御述作の由来を明かし、
第二に、本抄の大意を述べ、
第三に、本抄の題号について、日寛上人の文段により詳論することとし、
第四に、「根本大師門人 日蓮撰」について同じく日寛上人の文段により論じ、
第五に、本抄冒頭の「南無妙法蓮華経」について論ずることとする。
第一 本抄御述作の由来
「法華経題目抄」は、日蓮大聖人が文永3年(1266)正月6日、聖寿四十五歳の時に認められた御書である。すなわち建長5年(1253)4月28日、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えられて、ちょうど13年目にあたっている。
本抄の対告衆については、古来から諸説があって定かではない。日寛上人は房州天津の伯母御前といわれている。その文段次下に「彼の人は念仏の執情甚重なる人なり」とある。それゆえこの女性の阿弥陀への執心を翻させることは容易なことではなく、大聖人の御苦心の程を本抄にて拝することができよう。
次に御正筆は各所に散在しており、現存する断簡は14片である。おそらく御正筆を所有していた寺主が、弟子に師資相承の証拠として御書を裁断して与え、現在のような断簡と化したのであろう。
この行為は、五老僧が御真筆を「先師の恥辱を顕す」としてスキカエシにしたり、焼却したのと同じ謗法、重罪行為であり、令法久住を妨げた魔の所為である。
なお古写本としては宮城県の妙境寺所蔵の日目上人御写本のみである。他に現存するものはいずれも後代のもので、正確さを欠き信ずるに値しない。
御述作の背景
建長5年(1253)遊学を終えられた日蓮大聖人は、釈迦一代の聖教のなかで法華経こそ最高の教えであること、しかも末法の今日においては、法華経寿量品の文底に秘沈されている南無妙法蓮華経によってのみ一切衆生が即身成仏するとの御確信に立たれた。
同年4月28日、日蓮大聖人が幼少のころに修学をつまれた安房の国・清澄寺の諸仏坊の持仏堂の南面にて、初めて三大秘法の南無妙法蓮華経を唱えられた。いわゆる立宗宣言であり、御年33の時である。
「清澄寺大衆中」にいわく「建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す」(0894:04)とあり、また、「聖人御難事」にいわく「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年」(1189:01)と。
この日蓮大聖人の立宗宣言は一座の大衆にとっては青天の霹靂であった。今まで、彼らが依りどころとしていた念仏宗や禅宗や真言宗を完膚なきまでに破折され、南無妙法蓮華経こそ成仏の直道であるとの説法を聞いた大衆にしてみれば無理からぬことであったろう。その驚きは次第に怒りとなり、大聖人に対する憎悪となっていった。道俗ともに大聖人を信ぜず、かえって迫害を加えたのである。なかでも念仏の強信者であった地頭東条景信の激怒はひとかたならぬものがあったと思われる。
文永元年(1264)の秋、伊豆流罪赦免の翌年に日蓮大聖人は御母の病気平癒祈願のため安房の国に帰られた。立宗宣言の時に清澄寺をおわれていらい、久しぶりに母と会われ、最大の孝養をつくされたのである。
「可延定業書」にいわく「されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり」(0985:14)と。
同年11月11日、花房蓮華寺にいる大聖人は、天津の工藤左近尉吉隆の招待をうけられた。
そして天津の工藤邸に向かわれる途次、小松原で東条景信の襲撃をうけたのである。
「聖人御難事」にいわく、
「文永元年甲子十一月十一日頭にきずをかほり左の手を打ちをらる」(1189:13)と。
また、この法難の約一ヵ月後に、駿河の南条平七郎に宛てられた御書には「今までもいきて候はふかしぎなり、今年も十一月十一日安房の国・東条の松原と申す大路にして、申酉の時・数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人・十人ばかり・ものの要にあふものは・わづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとし・うつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけん・うちもらされて・いままでいきてはべり」(1498:03)とある。
このように大聖人は御自身に刀傷を負われ左の手を骨折されるという大難に遭遇された。また、工藤吉隆と弟子の鏡忍房は討ち死にしてしまった。
東条景信も眉間に傷を受け、その傷がもとで日ならずして死んだといわれる。一説にはその微傷から破傷風を起こして七日の間に狂い死んだという。註画讃には「景信は十羅刹女の責を受け時節を経ずして死す」と。別頭高祖伝には「景信も亦日ならずして狂煩し斃れぬ」とある。
また別の説によると、東条の菩提寺永明寺に伝わった過去帳に正応4年(1291)に死んだとなっているというが、これは誤りである。なぜなら建治2年(1276)に御述作になられている報恩抄に「但一の冥加には景信と円智・実成とが・さきにゆきしこそ一のたすかりとは・をもへども」(0323:11)とあり、景信は建治2年(1276)以前に死んだことは間違いない。
日蓮大聖人はその後鎌倉へお帰りになったものと思われる。その後いやましにまして折伏活動を続けられたのである。しかして折伏御多端の中でこの法華経題目抄を著されたものと拝せられる。
当時は戦乱続きの後であり、加えて、安国論の御予言どおりに三災七難は並び現じ、このため、民衆は塗炭の苦しみに打ち拉がれたのである。
しかして、こうした犠牲はつねに女性なのである。その状況は、未亡人、身寄りを失った老女の姿に象徴される。そうした女性の多くは、悲しみや、苦しみを乗り越えるために宗教を求める。この現象はいつの時代も変わることはない。戦後の十数年における、不幸な女性の新興宗教への盲信も、大聖人御在世の念仏への執心と同じ原理によるものといえる。
翻って、大聖人がこうした時代相に生きた、一人の念仏執心の女性の救済を、本抄において平易ながらも、理を尽くして順々と説かれたのである。
この御化導こそ、再往は、宿命に泣く全ての女性を対告衆として、末法万年の世界に通ぜしめんがための重要な御教示であり、御著作と拝せられよう。
第二 本抄の大意
本抄の内容は大きく二つに分かれている。日寛上人は本抄文段で「当抄の大意は佐渡以前・文永3年丙寅・御年45歳の時の述作なり、故に文の面は権実相対の判釈なり、文は初め能唱の題目の功徳を明かし、次に所唱の妙法の具徳を明かす。是れ則ち能唱の功徳の広大なる所以は、良に所唱の具徳の無量なるに由る故なり」と述べられている。
すなわち、本文はじめから第四章までは、題目を唱えることにいかに絶大な功徳があるかが明かされ、第五章「問うて云く妙法蓮華経の五字」から、終わりまでは、所唱の法体たる御本尊に、十方三世のあらゆる仏、経典の功徳が具わっていることが明かされている。
ただし、本抄は、佐渡以前の御著作であるため、文面は権実相対を用いられている。
まず第一の能唱の題目の功徳を明かす段では、とくに信心が根本であることが示されている。信心なくば、いかなる行も浮き草に等しい。信心こそ末法成仏の要諦である。信心を根本として唱題していくならば、いかなる罪業も消し去り、無量の福徳を具えていくことが明示されている。
どれほど、御本尊が偉大であるとはいえ、その仏力・法力を顕現するのは、われらの信力・行力である。初めに、能唱の題目の功徳を明かされたのは、まさに、仏法は単なる理論や、観念ではなく、信心実践が根本であることを示されようとされたからであると拝する。
第二に、所唱の妙法の具徳を明かされたのは、日寛上人も仰せのごとく、御本尊に無量の福徳が具わればこそ、信心によってその至宝を開いていくことができるからである。
ここでは、御本尊の名目はないが、三世十方の諸仏の一切の功徳を包含した、大宇宙をも摂する妙法の法体、即御本尊の偉大さ、広大さが説かれている。妙法蓮華経とは、単なる名ではない。八万法蔵、否、全宇宙の一切を包摂した根本の法理である。これを、具体化されたのが御本尊である。
なかんずく、妙の題号については、妙の徳を大海の一滴、一つの如意宝珠に譬え、一切を包含する義(具の義、円満の義)から、決定性の二乗、一闡提人等、一切を救い切っていくことを明言されている。
御本尊は、一部の人々のためのものでも、一民族のためのものでもない。全民衆、全人類をば等しく救い切っていく偉大な法体である。その証拠として悪人成仏、女人成仏をあげ、とくに女人成仏は、絶対に妙法以外にありえないことを強調されている。婦人の実生活から遊離した爾前権経は、いたずらに女人を蔑視し、低い地位の中に閉じこめてきた。このような偏頗な宗教で、どうして全民衆の宗教、哲理といえるであろうか。このことを示さんとして最後に女人成仏をもって、妙法の偉大な功徳を結せられているのである。
第三 本抄の題号について
法華経題目抄とはまさしく法華経の題目である「妙法蓮華経」の五字の功徳甚深なることを証明されんがために題されたものである。
以下、日寛上人の文段に準じて述べることにする。
まず、この題号に附文と元意の二意がある。附文の辺にまた二意を含んでいる。
すなわち一には「法華」の二字は体を挙げ「題目」の二字は名を挙げている。これは名には必ず体が備わっているゆえである。
いわゆる妙法蓮華経とは法華経一部八巻二十八品という体の題目である。故に法華経題目抄というのである。
本抄にいわく「釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給いたりしかども四十二年が間は名をひしてかたりいださせ給わず仏の御年七十二と申せし時はじめて妙法蓮華経ととなえいでさせ給いたりき」と。
二には雙観経等の題目に簡ぶ故に「法華経題目抄」というのである。これは日本一国こぞって念仏を称えているがためである。
「撰時抄」にいわく「此の念仏と申すは雙観経・観経・阿弥陀経の題名なり権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや」(0284:03)と。
次に元意の辺は、この題号において三箇の秘法を含むのである。すなわち「法華」の二字は所信の体をあらわしており、これは法華経本門寿量品文底下種の本尊にほかならない。また「題目」の二字は能唱の行、これ本門寿量文底下種の題目をあらわしている。しかして所在の処は、すなわち久遠元初の本門の戒壇である。
問うていわく、何をもってこの事を知ることができるか。
答う、「当体義抄」にいわく、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(0512:10)と。
故に因果の果がすでに本門寿量の当体蓮華の仏であるから因も当然、本門寿量の妙法でないわけがない。よって能唱の行、すでに本門寿量の妙法である。したがって所信の体は当然、本門寿量の本尊である。
故に、「当体義抄」の「但法華経を信じ」とは法華経の本門寿量文底の本尊であり、今この題号の「法華」の二字は「但法華経を信じ」と同意である。
また「題目」の二字は「南無妙法蓮華経と唱うる」と同意である。
ここで「法華経題目抄」という題号は「但法華経の本門・寿量文底の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うる」という義である。故に「法華経題目抄」というのである。
これは日蓮大聖人の出世の本意に約する故に、元意の義を解了しなかったならば明らかにならない。
最後に、不受不施派の日講の邪義に対して破折されている。
問う、日講の啓蒙の23に、当抄の題号を釈していわく「本従り『法華の号は一門に専らにせずの』道理の故に本迹一致の題目なり三大秘法の中の本門の題目と名異義同なり」と。この義はどういうものか。
答う、日講は、天台家通途の法門である名通義別すら知らない。まして況んや日蓮大聖人の甚深の元意を知るわけがない。本来、「法華の号は一門を専らにせず」とは名通一往の辺であって義別の辺は勝劣分明である。
故に文句記の十にいわく「具聞の言は全く本迹を表す況んや法華の号は一門に専らにせずとは先ず迹を表して次に本を表す、迹中の顕実すら尚而も之を強毒す。況んや復・本は実なり能く即ち受けんや」略抄。このようにすでに迹門を挙げて本門を比較対照している。これをみても勝劣分明ではないか。これが第一。
次に、若し「本迹一致の題目なり、三箇秘法の中の本門の題目と名異義同なり」というならば、どうして日蓮大聖人が唱えられたごとく、本門寿量の南無妙法蓮華経と弘めないで、さらに本迹一致の題目などというのか。まさに、大聖人の教えに違背した謗法ではないか、これが第二である。
日蓮大聖人の御書のなかで、どこに本迹一致の南無妙法蓮華経と述べられているか。これが第三である。
第四 「根本大師門人 日蓮撰」について
本抄には「根本大師門人 日蓮撰」のご署名がある。根本大師とは伝教大師のことであり、その門人とのご署名をなされているのは本抄が佐渡以前の御書だからである。
「三沢抄」いわく「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」(1489:07)と。
このように佐渡御流罪以前にあらわされた法門は、日蓮大聖人の真意を尽くしたものではなく、外用の辺で説かれた。したがって、この「根本大師門人」も外用の辺で述べられているのである。
このことについて日寛上人の文段に準じて論じてみよう。
根本大師とは伝教大師の事である。これすなわち根本中堂建立の大師なるが故である。
問う、なぜ、根本中堂と名づけるのか。
答う、法華止観の観心を根本とするが故である。ゆえに具には一乗止観院根本中堂というのである。
また、「報恩抄」にいわく「日本の始第一の根本大師となり給う」(0310:07)と。この意は日本国の大師の根本なるが故に根本大師と名づけるのであろうか。
この「日本の始第一」の文について「報恩抄文段」には次のように釈されている。
「第一の言に就いて二義有り。一には最勝の極を第一と名づく、即最為第一の如し。二には衆次の首を第一と名づく、即序品第一の如し。今第一とは是れ衆次の首の義なり。当に知るべし、始第一とは是れ根本の二字の意を顕わすなり。謂く前に望むるに、日本元始の大師なり、故に根本大師と云う、後に望むるに第一の大師なり、故に根本大師と云う。故に前後に望みて其の意を顕わすなり」と。
問う、伝教は迹化の菩薩であり、日蓮大聖人は本化の菩薩であるのに、どうして伝教の門人と号するのか。
答う、本抄は佐渡以前の御書であるが故に、しばらく外相に準じてこのようにいったのである。しかし真実の姿は本化の菩薩であって、もし本抄で内証深秘の辺を明かすならば、どうして伝教の門人ということがあろうか。
およそ内証を論ずれば、
「聖人御難事」に「天台・伝教は余に肩を並べがたし」(1189:15)と。
「下山御消息」に「教主釈尊より大事なる行者……日蓮」(0363:01)と。
「百六箇抄」に「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり」(0863:05)と。
以上、日寛上人が明確に述べられているがこの点について若干補足したい。
このように日蓮大聖人は佐渡以前において、天台沙門ともおおせられたことがある。これは当時の仏教界の大勢が天台宗をもって最高とした時代であったからである。大聖人が宗旨を建立されても、末法の御本仏としての御内証をお説きになるには時が必要であった。
そのため大聖人は外用の立ち場で天台沙門と名のり、「立正安国論」にもそのように署名されたのである。また四箇の格言にあるごとく東密、台密は破したが、純天台宗を破されなかった。
日亨上人は富士日興上人詳伝に「建長五年、大聖清澄において宗旨建立の始めの四箇の格言のなかの真言亡国は、もっぱら東密を主とし、叡山よりこれに転向せる慈覚・智証以後の真言密教を併破せられたるも、伝教・義真の純天台叡山は破せられなかった。ゆえに「立正安国論」にも、天台沙門日蓮と署名して天台門徒と称せられた初期のいわゆる養利噉鈍の時代もあられたが、これは人の上で、所の上であって……」と述べられている。
しかし釈尊の予言のごとく、勧持品の二十行の偈を身業読誦され、竜の口の法難、佐渡流罪を以って発迹顕本されて、久遠元初の自受用報身如来の本地を顕わされた。発迹顕本された後は天台沙門でなく、本朝沙門、または釈子日蓮と申されているのである。もしこれらの点を見失ったならば、五老僧のごとく異解を生じてしまうのである。なぜならば、佐渡においては「天台過時」とはっきり破しておられるからである。
すなわち「富士一跡門徒存知の事」にいわく、
「一、五人一同に云く、日蓮聖人の法門は天台宗なり、仍って公所に捧ぐる状に云く天台沙門と云云、又云く先師日蓮聖人・天台の余流を汲むと云云、又云く桓武聖代の古風を扇いで伝教大師の余流を汲み法華宗を弘めんと欲す云云。
日興が云く、彼の天台・伝教所弘の法華は迹門なり今日蓮聖人の弘宣し給う法華は本門なり、此の旨具に状に載せ畢んぬ、此の相違に依って五人と日興と堅く以て義絶し畢んぬ」(1601:12)。
唯授一人の義によって、唯一人宗祖日蓮大聖人より血脈付法された日興上人の・正法正義を厳護せんとのご決意が脈々と流れているではないか。
そして結局、五老僧がこのような異解を生じたのは、日蓮大聖人の仏法の奥底を知らなかったためであり、御書も文上の義のみしか読み取ることができなかった故である。
第五 「南無妙法蓮華経」について
本抄は冒頭に「南無妙法蓮華経」とおしたためになっている。
このことについて、日寛上人は文段に、
「問う、始めに七字を置く、何の意ありや。答う、これ題中の題目及び入文に勧むるところの題目は倶にこれ口唱なることを顕すなり」と述べられている。
すなわち本抄の題号「法華経題目抄」の題目とは、唱題の義であり、本文に入って勧められている題目も唱題の義であり、このことをあらわさんがために、まずその根本の首題をここにおかれたのである。
第一章 信心口唱の功徳を挙げる
根本大師門人日蓮撰す。
南無妙法蓮華経
問うて云わく、法華経の意をもしらず、ただ南無妙法蓮華経とばかり、五字七字に限って一日に一遍、一月乃至一年・十年・一期生の間にただ一遍なんど唱えても、軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかず、ついに不退の位にいたるべしや。
答えて云わく、しかるべきなり。
現代語訳
根本大師門人 日蓮 撰
南無妙法蓮華経
問うていうには、法華経の意味も知らず、ただ南無妙法蓮華経とだけ五字七字の題目のみを、一日に一遍、一月あるいは一年、十年、一生の間に只一遍だけ唱えたとしても、軽重の悪業に引かれずに、四悪趣に堕ちないで、ついには不退転の位に到達することができるのか。
答えていうに、いかにもそのとおりである。
語釈
四悪趣
四悪・四趣・四悪道と同意。悪行によって趣くべき四種の苦悩の境涯。地獄・餓鬼・畜生・修羅界のこと。
不退の位
不退とは梵語(avivartika)。不退転のこと。仏道修行において、どんな誘惑や迫害があっても、退転しないで必ず成仏の境涯へ進むという位。天台大師は菩薩の五十二位のうち、初住をもって不退としている。
講義
御本尊を信じ、題目を唱える功徳が、いかに大きいかを述べられている段である。とくに、冒頭の「問うて云く法華経の意をもしらず」云々の問答は、たとえ、わずかの修行実践であっても、妙法に絶大なる仏力・法力があるから、地獄・餓鬼・畜生・修羅といった四悪趣に堕ちることを免れることができるとの意である。
涅槃経にいわく「若し善男子善女人、此の経名を聞くこと有らば四趣に生ずる者、是れ処り有ること無し」と。「此の経」とは、末法今時においては三大秘法の南無妙法蓮華経であり、「聞く」とは聞法であり、信受である。故に、この大仏法を人々に教え、受持させることは、人々を三悪道、四悪趣から救い出すことになると確信すべきである。
四悪趣すなわち地獄・餓鬼・畜生・修羅とは、まさに現在の世界の実態ではないか。修羅とは、あるいは民族間の対立、さらには国内における、さまざまの抗争の姿がそれである。畜生界とは、弱きをおどし、強きにへつらうといわれているが、大国と弱小国家の関係、巨大な国家権力のもとにおける民衆のみじめさは畜生界の現象といえよう。
また、アフリカ諸国等にひろがる深刻な食糧危機は、恐るべき餓鬼界を現出している。日本も含めて、先進諸国では、栄養過多による肥満が社会問題になっている一方、人類の大半が属するアジア・アフリカ諸国においては、数知れぬ人々が飢餓のために、どん底の苦しみにあえいでいる事実があるのである。地獄界も、決してこの地上から離れた、幽冥の世界のことではない。かつてのナチスによるユダヤ人虐殺、原爆を投下された広島・長崎、今日も跡を断たない戦禍、これらは、まさに地獄界の実相である。
いま、この大聖人の御文を拝するとき、われらの妙法広布の戦いこそ、これらの四悪趣を追放し、この地上より〝悲惨〟の二字を消滅させる根本の道であることを痛感せずにはいられない。
ところで、ここに題目を「一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたる」とあるところから、そんなわずかの信心実践でよいのかという疑問が湧くかも知れない。
これについて、日寛上人は、文段に「若し過去の謗法なき人は実に所問の如し遂に不退に到るべし」と答え、しかるにわれら衆生は過去に無量の謗法を犯し、深重の罪をつくってきているから、それを消滅するためには、なみなみならぬ信心修行の努力が必要であることを示されている。
およそ、無始の昔より生死生死と流転を繰り返してきているわれわれの生命に、謗法の罪が無いなどということはあり得ない。通途の仏法においては、蟻や蚊を殺すのも下殺といって殺生の罪になるし、そのほか、人の悪口をいったり、嘘をついたり、お世辞をいうのも、全て罪なのである。だが、これらは、法華経誹謗の罪に比べれば、ものの数ではない。法華経誹謗の罪とは、御本尊を疑い、御本尊を受持する人を憎み、苦しめる等である。これは、地獄のなかでも最も重い無間地獄に堕ちる罪であり、その罪障消滅のためには、御本尊を絶対に疑わず、身命を擲って妙法広布のために尽くす以外にないのである。
この決意、確信と実践によってはじめて、過去無量の罪は全部変毒為薬されて、無量の福運と転じ、生きていること自体が楽しいという自在無碍の幸福境涯に住することができるのである。
第二章 仏道に入る根本を示す
問うて云く火火といへども手にとらざればやけず水水といへども口にのまざれば水のほしさもやまず、只南無妙法蓮華経と題目計りを唱うとも義趣をさとらずば悪趣をまぬかれん事いかがあるべかるらん、答えて云く師子の筋を琴の絃として一度奏すれば余の絃悉くきれ梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう世間の不思議すら是くの如し況や法華経の不思議をや小乗の四諦の名計りをさやづる鸚鵡なを天に生ず三帰計りを持つ人大魚の難をまぬかる何に況や法華経の題目は八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり汝等此れを唱えて四悪趣をはなるべからずと疑うか、正直捨方便の法華経には「信を以て入ることを得」と云い雙林最後の涅槃経には「是の菩提の因は復無量なりと雖も若し信心を説けば則ち已に摂尽す」等云云。
夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす五十二位の中には十信を本とす十信の位には信心初めなりたとひさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたとひさとりあるとも信心なき者は誹謗闡提の者なり、善星比丘は二百五十戒を持ち四禅定を得十二部経を諳にせし者・提婆達多は六万八万の宝蔵をおぼへ十八変を現ぜしかども此等は有解無信の者今に阿鼻大城にありと聞く、迦葉舎利弗等は無解有信の者なり仏に授記を蒙りて華光如来光明如来といはれき・仏説いて云く「疑を生じて信ぜざらん者は即ち当に悪道に堕つべし」等云云、此等は有解無信の者を説き給う、
現代語訳
問うていわく、ただ口で火火といっても燃えているその火を手にして用いなければ実際に物を焼くことはできない。また水水といっても実際に飲まなければ水の欲しさもやまない。ただ南無妙法蓮華経と題目ばかりを唱えてもその義趣を理解しなければ、悪趣を免れることがどうしてできようか。答えていわく、師子の筋を琴の絃にしてひとたび弾けば、他の動物の筋で作った絃はことごとく断ち切れてしまう。梅の実の酢っぱい名を聞けばそれだけで口に唾液がたまる。世間通途の不思議ですらこのようではないか。ましてや法華経の不思議はなおさらのことである。小乗教の四諦の法門の名ばかりをさえずる鸚鵡でさえも天界に生じた。仏・法・僧の三宝に帰依しただけの人は大魚の難を免れた。まして法華経の題目は八万聖教の肝心・一切諸仏の眼目である。それでも汝等は、この題目を唱えても四悪趣を離れることができないなどと疑うのか。
正直に方便を捨てただ無上道を説く最極の法華経には「信を以って仏果に入ることができる」といい、雙林最後の涅槃経には「仏果に至る菩提の因行はまた無量であるが、若し信心を説けば、すでにそのなかに全ての菩提の因を摂め尽くすのである」等といっている。
このように抑も仏道に入る根本は信をもって本因とする。菩薩の五十二位のなかには十信位をその出発点とし、十信の位のなかでは信心が一番はじめなのである。故にたとえ理解はなくても信心のある者は、鈍根でも正見の者なのである。反対にたとえ理解はあっても、信心のない者は誹謗闡提の者なのである。
その証拠に、善星比丘は二百五十戒を持って、四禅定を得、十二部経を全部記憶した者である。提婆達多は外道の六万蔵・仏教の八万法蔵の経典を理解し、身に十八神通を現じさせたけれども、これらは有解無信の者であるために、今なお阿鼻大城にあると聞いている。一法、迦葉・舎利弗等は無解有信の者であるが、仏より授記されて華光如来、光明如来といわれたのである。仏が涌出品に説いていうには「疑いを生じて信じない者は、すなわち必ず悪道に堕ちる」等と。以上は有解無信の者について説かれたのである。
語釈
義趣
物事の根本的な意味。意義。文の義の帰着するところ。結論として帰り趣くところ。
師子の筋
百獣の王たる獅子からとった筋、弦のこと。
梅子のすき声をきけば口につたまり
梅の実と聞いただけで、口中に唾がたまるように、南無妙法蓮華経の題目には、義趣はわからなくても功徳があるということ。
小乗の四諦
小乗教で説かれる四諦のこと。四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦のことで、苦諦は世間の果報・集諦は世間苦果の因縁・滅諦は出世間涅槃の果、道諦は出世間の果を得る因をいう。
小乗の四諦の名計りをさやづる鸚鵡なを天に生ず
賢愚経二鸚鵡聞四諦品に説かれている。仏が舎衛城・祇園にいたとき、須達長者の家に、律堤・賖律堤という二羽の鸚鵡がいた。仏の弟子が来るたびに、家内の人にその来たことを告げる。阿難がこの鳥を愛して四諦の法を教え『豆佉・三牟堤耶・尼楼陀・末迦』と偈を授けて行った。鸚鵡は喜んで誦習し、門前の樹を七返上下してこれを誦読した。ある夜、樹上に止まっていたとき、タヌキに食われてしまった。しかしこの善心によって、四天に生まれた。そして七回往返して欲界の六天に生を受け、後に閻浮提に人となって生まれ、出家して四諦を誦持し、辟支仏となって、曇摩・修曇摩と名づけられたという。日寛上人の文段に「一遍の功・豈・虚しからんや」とある。
三帰計りを持つ人大魚の難をまぬかる
三帰とは、仏法に帰依する最初の門で、仏・法・僧の三宝に帰すること。すなわち南無仏・南無法・南無僧のこと。この故事は大悲経巻第三にある。「昔、大商主が有り、諸の商人と大海にあるとき、その船が摩竭大魚に呑まれんとした。その時、商主も商人も非常に驚き、恐れ、もはや救われないと、皆悲しみ号泣した。その時、商主は我に従えといって、一心に仏を念じ合掌し、高声に諸仏の慈悲を乞うて三唱した。商人も同時に合掌礼拝し、南無諸仏と三唱した。大魚は仏の名を聞き、殺す心を止めて、口を閉じ、商主、商人は大魚の難を免れた」と。日寛上人は大論を引いて次のように述べられている。「是の魚は先世に是れ仏の破戒の弟子にて宿命智を得る者なり、今案ずるに譬喩経に云く『昔・沙門有りて塔寺を造作す、未だ成らざるの頃・五百の沙門・遠方従り来たるに五百の賢者有りて各各・袈裟被服を給与す。寺主の沙門云く<我れ功徳を積みて須弥の如し而るに国人助けず但・近を賤み遠を貴むと便ち火を以って塔寺を焼き遂に三悪に入り後に大魚と作る、身長四十万里・眼は日月の如く・牙は長さ二万里白きこと雪山に似たり・舌は広さ四万里赤きこと火山に似たり・目は広さ五万里なり。時に五百人有り海に入りて宝を採る・正に是れ先身は五百の沙門に衣を給いし者なり、因縁宿りて対す』等云云。当に知るべし亦是れ非法の国主等・多く此の報を受くるなり、賢愚経に云く『諸王大臣自から勢力をたのみ枉げて百姓を尅め殺戮無辺なるは命終して多く摩竭大魚に堕つ』等云々」と。
八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり
法華経の題目は一切経の肝心・眼目・根本であるということ。八万は数ではなく多数を意味する。
正直捨方便
法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。
信を以て入ることを得
法華経譬喩品第3の「以信得入」の文。「汝舎利弗すら、尚此の経に於いては、信を以って得たり、況や余の声聞をや、其の余の声聞も、仏語を信ずるが故に、この経に随順す、己が智分に非ず」とある。智慧第一の舎利弗すら、信によって悟ったのである。
雙林最後の涅槃経
雙林とは拘尸那城跋堤河のほとりの沙羅雙樹の木のこと。沙羅とは梵語で樹名、釈迦は一木二双四方八株の沙羅雙樹に四方を囲まれた中において八十歳の年の二月十五日に入滅した。そのとき沙羅雙樹がことごとく白くなり、あたかも白鶴のように美しかったという。それで沙羅林を鶴林ともいう。釈迦の入涅槃の時と処を象徴して、雙林最後といい、そのときの説法である涅槃経を雙林最後の涅槃経というのである。涅槃経は法華経の流通分にあたる。
五十二位
菩薩の修行段階を 52に分けたもの。『瓔珞経』に説かれる。十信,十住,十行,十回向,十地,等覚,妙覚をいう。十回向までは凡夫で,それ以上から菩薩の位に入る。
鈍根
鈍い機根の意で、仏法を受容する理解力の鈍いこと。機根が劣っていて、仏道修行する力が乏しいものをいう。
正見の者
人生および世界の実相を正しく見ていくことのできる境涯。
誹謗闡提の者
正法を信じない不信謗法の一闡堤人。闡堤とは断善根のことで、三大秘法を信ぜず、御本尊に帰命しないこと。
善星比丘
釈尊が太子だったときの子。闡提比丘ともいう。出家して仏道修行に励み、十二部経を読誦し、第四禅定を得たが、これを真の涅槃の境涯と思って慢心を起こし、苦得外道に近づいて退転した。その上、仏法を否定する邪見を起こし、父である釈尊に悪心を懐いてしばしば殺そうとしたため、生身のまま阿鼻地獄に堕ちた。
二百五十戒
男性出家者(比丘)が守るべき250カ条の律(教団の規則)。『四分律』に説かれる。当時の日本ではこれを受けることで正式の僧と認定された。女性出家者(比丘尼)の律は正確には348カ条であるが、概数で五百戒という。『叡山大師伝』(伝教大師最澄の伝記)弘仁9年(818年)暮春(3月)条には「二百五十戒はたちまちに捨ててしまった」(趣意)とあり、伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は大乗戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。こうしたことも踏まえられ、日蓮大聖人は、末法における持戒は、一切の功徳が納められた南無妙法蓮華経を受持することに尽きるとされている。
四禅定
欲界を離れて色界の四禅天に生ずる初禅・二禅・三禅・四禅の四種類の禅定のこと。
十二部経
十二部とも十二分教ともいい、仏教の経文を内容、形式の上から十二に類別したもの。 一.修多羅。梵語スートラ(sūtra)の音写。契経という。長行のことで長短の字数にかかわらず義理にしたがって法相を説く。 二.祇夜。梵語ゲーヤ(geya)の音写。重頌・重頌偈といい、前の長行の文に応じて重ねてその義を韻文で述べる。 三.伽陀。梵語ガーター(gāthā)の音写。孤起頌・孤起偈といい、長行を頌せず偈句を説く。 四.尼陀那。梵語ニダーナ(nidāna)の音写。因縁としていっさいの根本縁起を説く。 五.伊帝目多。伊帝目多伽。梵語イティブッタカ(itivŗttaka)の音写。本事・如是語ともいう。諸菩薩、弟子の過去世の因縁を説く。 六.闍陀伽。梵語ジャータカ(jātaka)の音写。本生という。仏・菩薩の往昔の受生のことを説く。 七.阿浮達磨。梵語アッブタダンマ(adbhutadharma)の音写。未曾有とも希有ともいう。仏の神力不思議等の事実を説く。 八.婆陀。阿婆陀那の略称。梵語アバダーナ(avadāna)の音写。譬喩のこと。機根の劣れる者のために譬喩を借りて説く。 九.優婆提舎。梵語ウパデーシャ(upadeśa)の音写。論議のこと。問答論難して隠れたる義を表わす。 十.優陀那。梵語ウダーナ(udāna)の音写。無問自説のこと。人の問いを待たずに仏自ら説くこと。 十一.毘仏略。梵語ヴァーイプルヤ(vaipulya)の音写。方広・方等と訳す。大乗方等経典のその義広大にして虚空のごとくなるをいう。 十二.和伽羅。和伽羅那。梵語ベイヤーカラナ(vyākaraņa)の音写。授記のこと。弟子等に対して成仏の記別を授けることをいう。
提婆達多
提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
六万八万の宝蔵
外道の六万蔵と仏教の八幡法蔵の法門のこと。
十八変を現ぜし
18種の神通変化のこと。十八神変ともいう。1・右の脇より水を出す。2・左の脇より火を出す。3・左より水を出す。4・右より火を出す。5・身の上より水を出す。6・身の下より火を出す。7・身の下より水を出す。8・身の上より火を出す。9・水を履むこと地のごとく。10・地を履むこと水のごとく。11・空中より没して復・地上に現れ。12・地上に没して空中に現われ、13・空中を歩き。14・空中に住まり。15・空中に坐り。16・空中に臥し。17・大身を現じて虚空の中に満ち。18・大身から小身に変化する。ことをいう。
阿鼻大城
阿鼻獄・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
迦葉
釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある
舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
授記
仏が弟子等に対して、成仏の記別を授けること。記別とは、未来のことを予記分別することで、未来世の成仏に対する仏の印可である。「開目抄」に「劫・国・名号と申して二乗成仏の国をさだめ劫をしるし所化の弟子なんどを定めさせ給へば」(0193:18)とあり、劫・国・名号が与えられることである。たとえば授記品で、迦葉に対して劫を大荘厳、国を光徳、名号を光明如来と授記されている。
講義
有解無信と 無解有信とを相対し、仏法は信心が根本であり、たとえ解はあっても信がなければ、誹謗闡提であって、無間大城に堕ちると戒められている。
「諸法実相抄」にいわく「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361:11)と。
いうまでもなく、仏道修行の最も理想的なあり方は、有解有信である。なかんずく順縁広布、化儀の折伏の時代においては、人々を納得せしめうるだけの、勝れた教学力がなければならない。だが、あくまでも強い信心が根本であり、行学といっても信心より出発し、信心に帰着するのでなくてはならない。信心を忘れた行学はどんなに上達しようとも、堕地獄を免れないことを、深く肝に銘ずべきであろう。
「十八円満抄」にいわく「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき」(1367:12)と。
問うて云く火火といへども手にとらざればやけず云々
この問いは、義趣もわからないで、ただ題目を唱えるだけで、どうして功徳があるのかという意味であるが、この問いに対する答えが第四章までにいたる、約2㌻にわたって論じられているのである。
そのうち「汝等此れを唱えて四悪趣をはなるべからずと疑うか」までは、唱題の妙徳、すなわち題目を唱える功徳のいかに偉大であるかを示し、「正直捨方便」よりは、信心の勝徳、すなわち信ずることの勝れた徳を明かす。しかして第二段に入って「善星比丘」よりのちは、信と解を相対して、あくまでも仏法は信が根本であることを論じられている。
意味がわからなくとも、題目を唱えれば、苦しみを免れ、幸せになれるというのは、たしかに不可思議である。だが、理解できないからといって、そんなことはあり得ないというのは大なる誤りである。子供はテレビを見る。だが、その子供はテレビの原理を理解しているだろうか。子供に限らない。大部分の大人すら、原理はわからないままに、また理解しようとしないままに、テレビを見ているはずである。
人間の生命は、このテレビの何百倍、何千倍も不可思議な現象に満ちている。現代の最先端をゆく科学すら、いまだ解明できないでいるのである。しかし解明できないからといって、生命現象を否定することはできない。
仏法はこの生命原理の極致であり、もったいなくも、これを事実の上に具体化したのが御本尊であり、その実践が唱題である。
人間の生命活動のなかにおいて、理性で処理される範囲は、きわめて限られたものでしかない。理性と意識とは、水面のさざ波のようなものであり、その底には、測り知れない無意識の深淵が広がっている。西欧心理学において、近世初頭以来の主知主義から脱却して、深層心理の分野に科学的証明が当てられるようになったのは、ごく最近のことである。
題目を唱えることによって、三悪道、四悪趣の生命活動を克服し、強い、崩れざる自我と幸福生活を営んでいけるという原理も、こうした人間生命の奥底に起こる、いまの科学では解明できない問題に属する。あるいは、科学の進歩によって、いつの日か解明され、説明されるときが来るかもしれないが、少なくとも現在の時点では、眼前に存在するという動かすことのできない事実をもって、信ずる以外にないのである。
法華経の題目は八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり
この文は、人法の両面から題目が仏法の極理であることを示されている。「八万聖教の肝心」とは、法に約した立ち場であり、いっさいの仏の説法、あらゆる哲理の総要であり、肝心であるとの意である。これは、ただ日蓮大聖人のみの仰せではなく、天台大師の毎日行法日記にも「読誦し奉る一切経の総要・毎日一万遍」云々とあり、玄師伝の「一切経の総要とは所謂妙法蓮華経の五字なり」の文からも、仏法の正統学派においては、当然のこととされてきたことがわかる。
「一切諸仏の眼目」とは、人に約した立ち場であり、この妙法の題目が三世諸仏の所証の法であるとの意である。天台大師の法華玄義の一にいわく「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり……三世の如来の証得する所なり」と。
〝信〟の意義について
仏法では、信とは「随順して疑わない」ということである。
四教儀の九にいわく「信は順従を以て義と為す」と。天台大師、法華文句にいわく「疑い無きを信と曰う」と。随順とは、如来の金言に随順することであり、信順ともいう。「信ぜば則ち所聞の理・会し、順ぜば則ち師資の道成ず」と、これを深く想うべきである。
次に「疑い無きを信と曰う」の義に関しては、天台大師は摩訶止観に「三種の疑い」を明かし、それについて妙楽大師は弘決に、次のように述べている。
「疑い過・有りと雖も然も須く思択すべし、自身に於いては決して疑う可からず・師法の二は疑いて須く暁むべし、若し疑わざれば或いは当に復・邪師邪法に雑るべし、故に応に熟疑して善思し之を択ぶべし、疑いは解の律と為るとは此の謂いなり、師法已に正ならば依法修行せよ、爾の時は三疑は永く須く棄つべし」と。
ここに、三種の疑いとは、一に自身であり、二に師であり、三に法である。自身とは、わが生命の法性であり、汝自身の本質である。「自身に於いては決して疑う可からず」の文は、わがこの生命の実在は決して疑うことはできない、また疑ってはならないということである。
いま天台が「自身」というのは、たんなる理性ではなく、もっと奥深い法性であり、三身即一身の生命それ自体である。
「師法の二は疑いて須く暁むべし」とは、法に正邪あり、それを教える師に善師・悪師の別あるゆえである。
仏教を知らない無責任な学者には、山にたくさんの登り口があっても、行き着く頂上は一つである等の詭弁を弄して、宗教に対する批判を封じようとする者が多い。だが現代の宗教界の実態は、山そのものが余りにも沢山ありすぎ、しかも高低を競っている状態なのである。はたして、いずれの教えが釈尊の精神を正しく継承した成仏得道の教えであるかは、まず疑ってみて、冷静に批判し、それによって明らかにしなければならない。その批判の基準が、文・理・現の三証であり、五重の相対等である。
もし、誤った教えを盲目的に信じ、修行するならば、悪趣を増長し、無間地獄に堕ちると、釈尊自身が断言しているからである。無批判は、恐るべき堕地獄の道に通じていることを自覚しなければならない。
しかして、じっくり疑い、批判した上で、正法正師を得たならば、あとは疑いを捨てきってその正法を根幹としてひたすら信心強盛に修行し実践していくべきである。正法を知ってもなお実践しないのは、臆病であり、卑怯である。でなければ結局、自身の境涯も、生活も、前進、成長させていくことができず、社会のために貢献していくこともできず、最後まで弱々しい人生に終わってしまわなければならない。
日寛上人の文段にいわく「当に知るべし正法正師決定せば爾の時・疑い無きを信と云うなり」と。
「当体義抄」にいわく「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518:15)云云と。
翻って、この仏法の〝信〟による、各人の尊極無上なる生命の確立が、外典に説く人倫としての〝信〟を確固ならしめることを知るべきであろう。仏法を得る者は必ず世法をも得るのはこの道理による。
夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす五十二位の中には十信を本とす
五十二位とは別教の菩薩の修行の位である。十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚とあるこの五十二位も、十信が最も土台であり出発点になっている。十信の位とは「始めて次第の三諦を聞いて随順して疑わざる位」という。
摩訶止観第五にいわく「仏法は海の如し唯・信のみ能く入る、信は則ち道の源、功徳の母、一切の善法は之に由りて生ずるなり」と。
およそ仏法の極妙の理は竪に深く永遠の生命を究め、横には広く宇宙を包含するものである。したがって、インド第一の智慧を謳われた舎利弗すら、ただ信ずることによって入ることができたのである。いわんや愚癡蒙昧の凡夫が、自分の頭でこの仏法を理解し尽くすことなどできる道理がない。「唯・信のみ能く入る」のである。「信は則ち道の源」とは、人間として具えるべき、あらゆる道義、力、資格の源は、大仏法への信心にあるということである。
「功徳の母」とは、いっさいの福運、善根、幸福を生み出す母体もまた信心であるとの謂いである。
しかして「一切の善法は之に由りて生ず」とは、人生、社会のいっさいの道理、人間が人間らしくあるための法理、人間を幸せにしていく思想は、全てこの妙法の信心から生じたのであるとの意である。
したがって、妙法を信ずることこそ、一切の善法、人間としての力、福運を生み出す本源であると知るべきであろう。
第三章 重ねて唱題の妙用を顕す
而るに今の代に世間の学者の云く只信心計りにて解する心なく南無妙法蓮華経と唱うる計りにて争か悪趣をまぬかるべき等云云、此の人人は経文の如くならば阿鼻大城まぬかれがたし、さればさせる解りなくとも南無妙法蓮華経と唱うるならば悪道をまぬかるべし譬えば蓮華は日に随つて回る蓮に心なし芭蕉は雷によりて増長す此の草に耳なし、我等は蓮華と芭蕉との如く法華経の題目は日輪と雷との如し、犀の生角を身に帯して水に入りぬれば水五尺身に近づかず栴檀の一葉開きぬれば四十由旬の伊蘭を変ず我等が悪業は伊蘭と水との如く法華経の題目は犀の生角と栴檀の一葉との如し、金剛は堅固にして一切の物に破られずされども羊の角と亀の甲に破らる尼倶類樹は大鳥にも枝おれざれどもかのまつげに巣くうせうれう鳥にやぶらる、我等が悪業は金剛の如く尼倶類樹の如し法華経の題目は羊の角のごとくせうれう鳥の如し琥珀は塵をとり磁石は鉄をすう我等が悪業は塵と鉄との如く法華経の題目は琥珀と磁石との如し。
かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱うべし、法華経の第一の巻に云く「無量無数劫にも是の法を聞かんこと亦難し」第五の巻に云く「是の法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得可からず」等云云法華経の御名を聞く事はをぼろげにもありがたき事なり、されば須仙多仏多宝仏は世にいでさせ給いたりしかども法華経の御名をだにも説き給わず釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給いたりしかども四十二年が間は名をひしてかたりいださせ給わず仏の御年七十二と申せし時はじめて妙法蓮華経ととなえいでさせ給いたりき、しかりといえども摩訶尸那日本の辺国の者は御名をもきかざりき一千余年すぎて三百五十余年に及びてこそ纔に御名計りをば聞きたりしか、さればこの経に値いたてまつる事をば三千年に一度華さく優曇華・無量無辺劫に一度値うなる一眼の亀にもたとへたり、大地の上に針を立てて大梵天王宮より芥子をなぐるに針のさきに芥子の・つらぬかれたるよりも法華経の題目に値う事はかたし、此の須弥山に針を立ててかの須弥山より大風のつよく吹く日・いとをわたさんにいたりてはりの穴にいとのさきの・いりたらんよりも法華経の題目に値い奉る事かたし、さればこの経の題目を・となえさせ給はんにはをぼしめすべし、生盲の始めて眼あきて父母等を・みんよりも・うれしく・強き・かたきに・とられたる者の・ゆるされて妻子を見るよりも・めづらしとをぼすべし。
現代語訳
ところが今日の世間の学者がいうには「ただ信心ばかりで法門を理解する心がなく、南無妙法蓮華経と題目を唱えるばかりではどうして悪趣を免れることができようか」と。これらの世間の学者達は、経文に説かれているところによると阿鼻大城を免れがたい。それゆえ、そうした法門の理解はなくても南無妙法蓮華経とさえ唱えるならば自然に悪道を免れることができるのである。
譬えば蓮華は日照に随って順々に開花してゆくが別に蓮華に解心があるわけではない。芭蕉は雷鳴によって生長するが芭蕉に耳があるわけではない。われらは蓮華や芭蕉のようなもので、法華経の題目は太陽や雷鳴のようなものである。犀の生角を身につけて水の中に入るならば、水が身から五尺離れて近づかない。栴檀の一葉が開くならば、四十由旬の範囲にある全ての伊蘭の悪臭を芳しい薫へと変えてしまう。われらの悪業は伊蘭と水とのようなものであり、法華経の題目は犀の生角と栴檀の一葉とのようなものである。金剛石は堅固で、どんなものをもってしても破ることはできない。しかしながら羊の角と亀の甲にだけは破られる。尼倶類樹は大鳥にもその枝を折られないが、蚊の睫に巣をつくるという鷦鷯鳥にだけは破壊されるのである。われわれの悪業は金剛石や尼倶類樹のようなものである。法華経の題目は羊の角や鷦鷯鳥のようなものである。琥珀は塵を吸い取り、磁石は鉄を吸いつける。われらの悪業はこの塵と鉄とのようなもので、法華経の題目は琥珀と磁石とのようなものである。
このように考えて、深く信じて、つねに南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。
法華経第一の巻の方便品には「無量無数劫においてもこの経の題目を聞くことはさらにむずかしい」と、第五の巻の安楽行品には「この法華経は無量の国中において、すなわちその題名を聞くことができない」等と述べられているように、法華経の題名を聞くということは、並み大抵ではできないことである。さて、昔、須仙多仏や多宝仏は世に出現されたけれども、法華経の名前さえも説かれなかった。インド応誕の釈迦如来は、法華経を説く目的で世に出現されたのであったが、四十二年の間はその名を秘して語り出されず御年七十二歳のときに初めて妙法蓮華経と唱えだされたのであった。しかしながら当時は中国や日本のような辺国に住む者は、妙法蓮華経の名前さえも聞かなかったのである。中国では仏滅後一千余年過ぎてから、日本ではその後さらに三百五十余年もたってから、やっと妙法蓮華経という題名だけを聞いたのであった。そえゆえ、この法華経に値うことを三千年に一度華の咲く優曇華や無量無辺劫に一度栴檀の浮木に値う一眼の亀にもたとえている。また大地の上に針を立てて大梵天王宮から一粒の芥子を投げ落として、それが針のさきにあたって貫き通すよりも法華経の題目に値うことはむずかしい。またこちらの須弥山に針を立てて、向こうの須弥山から大風が強く吹く日に糸をわたすのに、正確にとどいて、その針の穴に糸の先が通るよりも、なお、法華経の題目に値うことは至難である。したがって、この経の題目を唱えるについては次のように信じなさい、生まれつき盲目の者が初めて眼があいて父母等を見るよりもなおうれしいことであり、また、強敵に捕らえられていた者が許されて妻子に再開するよりも、法華経の題目に値うことはきわめてまれであると思いなさい。
語釈
させる解りなくとも
大聖人の仏法においては、教学について深い理解はなかったとしても、題目を唱え抜くことによって、妙法の功徳は自然に涌現してくるということ。
蓮華は日に随つて回る
涅槃経には「譬えば蓮華の如きは日の照らす所に為りて開敷せざること無し、一切衆生も亦復斯くの如し未発心の者も皆悉く発心して菩薩の因と為る」と、また、賢愚経には「譬えば蓮華の日を見て則便・開敷するが如し」とあり、日に随って開き回るということである。すなわち、一つの蓮華の花が太陽の動きにつれて向きを変えるというのではなく、太陽の光りの当たった花から順に開いていくのである。
芭蕉は雷によりて増長す
暑い夏の日にしおれていた芭蕉が、夕立ちにあってしゃんとする光景はよく見受けられる。また、雷が空中の窒素を分離し、雨とともに大地に吸収させて植物の生長をたすけることは、今日では科学的に証明される現象である。
犀の生角
犀の角は皮膚の角化したもので、骨のしんはなく一生成長を続ける。本草綱目によると、夜露に濡れず、薬に入れると神験あらたかであるとのこと。通天といって、犀の角を魚の形に刻んで水のなかにいれると、水が三尺開くという伝説がある。昔はくりぬいた犀角形の木を連ねて浮き用具を作ったという。
栴檀
インド原産の香木。経文にみえる栴檀とはビャクダン科の白檀のことで、センダン科の栴檀とは異なる。高さ約六㍍に達する常緑喬木で、心材は芳香があり、香料・細工物に用いられる。観仏三昧海経巻一には、香木である栴檀は、伊蘭の林の中から生じ、栴檀の葉が開くと、四十由旬にもおよぶ伊蘭の悪臭が消えるとある。
由旬
梵語ヨージャナ(Yojana)の音写。旧訳で兪旬、由延、新訳で踰繕那、踰闍那とも書き、和、和合、応、限量、一程、駅などと訳す。インドにおける距離の単位で、帝王の一日に行軍する距離とされる。その長さは古代中国での40里、30里等諸説があり、大唐西域記巻二によると、仏典の場合、およそ16里にあたるとしている。その他、9マイル、およそ14.4㌔とする説があるが確定しがたい。
伊蘭
インドの高木。屍のような悪臭を放つ木。とうごまの一種といわれ、茎の高さは1.8㍍から2.4㍍、葉の直径は30㌢、色は緑色または赤色を帯び、楓のように7つに裂け、花は総状で雄蕊は上部、雌蕊は下部にある。実と種子には毒分があり、油をしぼって下剤として使われるという。香木たる栴檀は伊蘭の中から生じ、栴檀の一葉が開くと四十由旬の伊蘭の悪臭が消えるといわれる(観仏三昧海経巻一)。伊蘭を煩悩に、栴檀の妙香を菩提に譬える。
尼倶類樹
くわ科に属する無花果樹である。この樹木はビルマ、イラン、シンガポール、アンダマン島などに存在している。長大な木であり、高さは9㍍から15㍍に達し、枝葉はよく茂っていて、樹の陰は熱帯の日を避けるのに適している。
大鳥にも枝おれざれども
日寛上人の文段によえば「我等が悪業広大なれば権教の力用の断ずることに譬うなり」とある。大鳥は三類の強敵。枝をもつ樹木は我らの肉身。
せうれう鳥
ミソサザイのこと。全長約10センチで日本産で最小の鳥の一。全体に濃い茶色で細かい黒斑がある。日本では漂鳥で、渓流沿いに多く、活発に動き回り、短い尾を立てる。春先に張りのある声でさえずる。
琥珀
天然樹脂の化石であり、宝石である。半化石の琥珀はコーパル(英: Copal)、加熱圧縮成形した再生コハクはアンブロイド(英: ambroid)という。バルト海沿岸で多く産出するため、ヨーロッパでは古くから知られ、宝飾品として珍重されてきた。鉱物ではないが、硬度は鉱物に匹敵する。色は、黄色を帯びたあめ色のものが多い。
須仙多仏
須扇多仏のこと。大品般若経に説かれている過去の仏。須扇頭、須延頭ともいい、甚浄、極浄と訳する。菩薩を化導するために仏となり、半劫の間菩薩のために法を説き、以後受化の者がない故に記別を与え終わって滅度したといわれている。
多宝仏
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。
摩訶尸那
シナ・中国のこと。
優曇華
梵語ウドンバラ(Udumbara)の音写「優曇波羅」の略。霊瑞と訳す。①インドの想像上の植物。法華文句巻四上等に、三千年に一度開花するという希有な花で、この花が咲くと金輪王が出現し、また、金輪王が現れるときにはこの花が咲く、と説かれている。法華経妙荘厳王本事品第二十七に「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く」とあり、この花を譬喩として、仏の出世に値い難いことを説いている。②クワ科イチジク属の落葉喬木。ヒマラヤ地方やビルマやスリランカに分布する。③芭蕉の花の異名。④クサカゲロウの卵が草木等についたもの。
一眼の亀にもたとへたり
「松野殿後家尼御前御返事」(1391)に詳しい。大要述べると次のとおりである。大海のなか、八万由旬の底に一眼の亀がいた。この亀は手足も無く、ひれも無い。腹の熱さは鉄が焼けるようであり、背中の甲羅の寒さはまるで雪山のようであった。ところで赤栴檀という木があり、この栴檀の木は亀のあつい腹を冷やす力がある。この亀が昼夜朝暮に願っていることは「なんとか栴檀の木にのぼって腹を木の穴に入れて冷やし、甲羅を天の日にあてて暖めたいものだ」ということであった。ところがこの亀は千年に一度しか水面に出られない。大海は広く亀は小さい。浮木はまれである。たとえほかの浮木に値えても栴檀に値うことは難しい。また栴檀に値えても亀の腹にちょうど合うような、穴のあいた赤栴檀には値い難い。穴が大きすぎて、亀がその穴に入り込んでしまえば、甲羅を暖めることができない。またそこから抜け出ることができなくなる。また穴が小さくて腹を穴に入れることができなければ波に洗い落とされて大海に沈んでしまう。たとえ適当な栴檀の浮木にたまたま行き値えても、一眼のために浮木が西に流れていけば、東と見え、東に流れていけば西と見える。南北も同じで、南を北と見、北を南と見てしまう。このように無量無辺劫かかっても一眼の亀が浮木に値うことはむずかしいのである。このように、薄徳の衆生をこの亀に、浮木の穴を文底下種の妙法にたとえられて、衆生が妙法に値いがたきことを述べられている。
大梵天王宮
大梵天王の住処。大梵天王は梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。
此の須弥山に針を立てて~法華経の題目に値い奉る事かたし
六難九易のひとつ。
生盲
生まれながらの盲。
講義
而るに今の代に世間の学者の云く只信心計りにて解する心なく南無妙法蓮華経と唱うる計りにて争か悪趣をまぬかるべき等云云、此の人人は経文の如くならば阿鼻大城まぬかれがたし
解を重んじ、信心を軽んずる世間の学者は阿鼻大城まぬかれがたしと、厳しく責められている。ここで「今の代に」とは、たんに日蓮大聖人の御在世当時のみでなく、現代の世にも、そのまま通ずるお言葉である。むしろ現代の学者にこそ、ふさわしい、御本仏の師子吼なりと拝したい。未来もまた同じである。
解とは、理解することであり、あくまでも第三者として認識するのにほかならない。信心とは自ら主体者として、実践することである。仏法は、この信心、実践なくしては、なんの功徳利益もないことは当然で、正しい理解・認識を得ることも難しい。なぜなら、仏法は自己自身の生命の問題であるからである。
しかるに、世間の学者の多くが、仏法に対して、信心を無視し、客観的、第三者的に、これを理解しようとするのは、まことに愚かなことといわなければならない。こうした態度は、科学の探究において実験を拒み、実験の成果の実用を無視するのと同じであろう。
さらに憂うべきは、こうした仏法に対する姿勢が、全てに反映しており、そこに、現代科学の歪みを生じていることである。真理の探究は“解”である。人間としていかに生きるべきか、また、研究によって得た成果をいかに人間の生活に応用していくか、これは広義ではあるが“信心”の範疇に属する。この“信心”と“解”の健全なバランスがあってはじめて、科学の成果を正しく活かし、悪の面を最小限におさえ、かくして、人類の幸福と繁栄を増進することができるのである。
翻って、現代科学の実態をみると、原子の微小の世界の探求から、恐るべき巨大エネルギーが開発された。だが、その巨大エネルギーは何に使われているか。大部分が破壊と殺りくのための核兵器となっているのである。そして、これを発見した科学者自身も、人類絶滅の脅威にさらされている状態である。
例をあげれば核エネルギーの一例のみではない。その他の残忍な生物・化学兵器等や、あるいは今日のあらゆる企業に普及しているオートメーションの問題なども、恐怖や疎外感など、いわゆる人間性喪失の現象を生み出しているのである。
これらの悲劇も、つきつめていけば、現代の学者の“解”のみを重んじ“信心”を軽んずる一般的風潮に帰着するといえよう。
もちろん、これは、広義での“信心”と“解”から論じたわけであり、その“信心”の究極の実体を求めていくならば、三大秘法の南無妙法蓮華経に帰することはいうまでもない。
しかして、正法の信心を忘れ、観念的に仏法を考え、あるいは知識だけを追究する学者は無間大城をまぬかれがたしとの仰せは、あくまでも、自分自身の幸福を掴むことができないということである。だが、もう一歩すすんで考えるならば、そうした学者のもたらした学問の歪んだ発達が、人類絶滅という恐るべき地獄絵巻をこの地上に繰り広げようとしているのである。まさに「無間大城まぬかれがたし」ではないか。
われわれは、今こそ、世間のあらゆる学者の迷盲を打ち破り、正しい人生観、世界観をこの仏法によって教えていかなければならないのである。
譬えば蓮華は日に随つて回る
ここに示されているのは、正しく唱題の妙用を顕すところで、蓮蕉一双、角檀一双、金樹一双、琥磁一双の四つより成る。文の面においては、これらの四双・八句は、無解有信であっても唱題さえすれば、自然にこれらの功徳を得ることができるということである。日寛上人は、これをさらに掘りさげて、文底の意より、四悉壇を含むと教えられている。
四悉檀の悉檀とは、梵漢兼称すなわち、インド語と漢語を組み合わせたものである。「悉」は漢語で、あまねくとの意。「檀」はインド語で施すということである。仏があまねく一切衆生に法を施すために用いる法を悉壇というのである。
これに四種あり、世界悉檀、為人悉檀、対治悉檀、第一義悉檀という。世界悉檀には楽欲・歓喜の意を含むとし、仏が衆生の楽欲に随って「正しく因縁は隔別の法を生ず」と説いて歓喜を生ぜしめることである。善を生じ悪を滅するのは為人悉檀・対治悉檀である。実相の妙理に入らしむ、すなわち妙法を教えるのは第一義悉檀である。
いま、病人に譬えるならば、病人の欲するところにしたがって、勝れた医者を選び薬を与えて喜こばせるのは世界悉檀である。それによって病人が回復していくのは為人・対治悉檀である。病気がすっかり治り、もとの健康な身体になるのは第一義悉檀ということになる。
そこで、四双八句の譬えについてみると、蓮華が日に随って回るとは、題目を唱える妙用によって、われわれの菩提心の花が開くことであり、芭蕉の雷によって増長するとは、題目を唱えることによって、善根が増長することである。これは為人悉檀をあらわしている。
犀の生角が水を近づけないとは、われわれが題目を唱えることにより、悪業を遠離することであり、栴檀の一葉が伊蘭を変ずとは、悪業が転じて菩提の因となることである。これは善悪無差別の義である。このように善と悪とを論ずるのは世間悉檀であり、世界悉檀である。
金樹一双すなわち金剛石と尼倶類樹(にくるじゅ)の譬えは、これほど堅い、大きい悪業も、唱題の力によって折破することができることを示している。したがって、これは対治悉檀である。
最後に、琥珀が塵を吸い、磁石が鉄を吸引するのは、唱題の力によって、過去の悪業を吸いとり、清浄な妙法の生命をあらわすことを意味する。故に、これは第一義悉檀にあたるのである。そして一往は、世界・為人の二つは摂受、対治・第一義は折伏であるが、再往は前の三悉檀は、全てただ第一義悉檀のためのものである。
このように、御本尊に向かって唱える題目は、四悉檀を全て具えた偉大な妙用・妙能があることを確信して、つねに南無妙法蓮華経と唱うべきであると申されているのである。
次の段は法華経を受持することが、いかに希有であるかを歎ずるのである。はじめに、法華の名を聞くことすら難いことを示し、「さればこの経に値いたてまつる事」以下は値遇の難を示す。しかして、はじめの聞名難を示すにおいて、まず経を引いて、これを釈し、次に「されば須仙多仏」と事実をあげるのであるが、これも、過去の諸仏、現在の釈迦仏、未来の時代と、筋道を立てて示しておられるのである。
また、値遇の難を示す段においても、はじめに正釈、終わりに結勧、すなわち妙法受持の心構えを厳然と説かれていることを知るべきである。
釈迦在世当時、仏法が最もよく流布し、仏都といわれた舎衛城においてすら、仏を見、法を受持したのは三分の一、仏を見たが法を聞かなかった人が三分の一、残りの三分の一は仏を見たことも法を聞いたこともなかったと伝えられる。
いわんや、世界的に視野をひろげてみるに、人類誕生以来百万年というが、大御本尊が建立されてわずか七百年にすぎない。いま、われら創価学会員の膨大な数も、人類百万年の歴史のなかで、生まれては死んでいった何百億、何千億の数に比すれば、まことに微少といわなければならないであろう。学会出現以前をたどっても、大御本尊を正しく信じ、自行化他の題目を唱えた人はきわめてわずかなものである。
また、法華経第一の巻の「無量無数劫にも是の法を聞かんこと亦難し」とは、竪に時間に約しているのであり、同第五の巻の「是の法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得可からず」の文は、横に空間に約しておられるのである。
これほど、聞き難い妙法を聞き、値い難い大御本尊を受持した者の信心の心構えはいかにあるべきか。「生盲の始めて眼をあきて父母等を・みんよりも・うれしく・強き・かたきに・とられたる者の・ゆるされて妻子を見るよりも・めづらしとをぼすべし」と仰せである。
信心は歓喜である。これほどの値い難い大御本尊に値い、過去無量劫よりの罪障を消滅し、未来永劫の大福運を積む機会に巡りあうことができたのである。それを自覚すれば、どうして歓喜せずにいられようか。永遠の生命に比して、今の一生は、まことに一瞬でしかない。この貴重な時間をどうしてむだにできようか。自らの宿命転換のため、福運を積むため、瞬間瞬間を惜しんで、この生涯を悔いなく過ごしたいものである。
第四章 唱題の功力を論証
問うて云く題目計りを唱うる証文これありや、答えて云く妙法華経の第八に云く「法華の名を受持せん者・福量る可からず」正法華経に云く「若し此の経を聞いて名号を宣持せば徳量る可からず」添品法華経に云く「法華の名を受持せん者福量る可からず」等云云、此等の文は題目計りを唱うる福計るべからずとみへぬ、一部・八巻・二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、但一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり。
現代語訳
問うていわく、仏道修行として、題目だけを唱えるという証文はあるか。答えていわく、羅什三蔵の訳した妙法華経の第八陀羅尼品にいわく「法華経の名を受持する者の福は量り知ることはできない」と、また笠法護の訳した正法華経の総持品に「若しこの法華経を聞いて名号を宣持するならば、その功徳は量ることができないほどである」と、また闍那崛多と達磨笈多の共訳である添品法華経の陀羅尼品に「法華の名を受持する者のその福は量ることができない」等と、述べている。これらの経文には唯法華経だけを信じて題目ばかりを唱える福は計ることができないと説かれている。
さて法華経修行の仕方を分別してみると、一部・八巻・二十八品を受持、読誦し、随喜、護持等するのは広略要のうちの広の修行である。経中の要品である方便品・寿量品等を受持し、乃至、護持するのは、略の修行である。但一四句偈ないし五字七字の題目だけを唱え又唱える者を護持するのは要の修行である。結論として、広略要のなかで、五字七字の題目は要中の要であり、信行の唱題こそ最も肝要なのである。
語釈
正法華経
法華経の漢訳で現存する法華経の最古のもの。中国西晋の大康7年(0286)竺法蘭の訳、10巻。後の鳩摩羅什訳の妙法蓮華経にはない譬喩等を多く含んでいるが、27品からなり、提婆達多品を羅什訳の見宝塔品に相当する七宝塔品の後半に収めている。方便品第二を善権品第二、如来寿量品第十六を如来現寿品第十五としている。
添品法華経
七巻(または八巻)。中国・隋代の闍那崛多と達磨笈多の共訳。添品妙法蓮華経の略称。現存の漢訳三経の一つ。
受持読誦
五種の修行、五種の妙行(受持・読・誦・解説・書写)のうちの受持と読・誦。法師品に「若し復人あって、妙法華経の乃至一偈を受持、読誦し、解説、書写し、此の経巻に於いて、敬い視ること仏の如くにして(中略)是の諸人等、未来世に於いて、必ず作仏することを得ん」とある。法華経で説かれた仏道修行。このなかで受持が最も根本である。この五種の修行には、一字五種の修行、要法五種の修行、略品五種の修行の三義がある。末法においては受持即観心である。観心本尊抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)とある。自行化他に配すれば受持・読・誦・書写は自行、解説は化他である。
随喜護持
随喜は法を聞いて随順し、歓喜すること。護持は、その法を身命を賭して守ること。
方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり
この文について日寛上人の文段に「『略』は闕略に非ず即ちこれ存略なり、故に大覚抄に云く『余の二十六品は身に影の随い玉に財の備わるが如し、方便品・寿量品とを読み候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり』」とある。すなわち、方便・寿量を持つということは、他の二十六品を切り捨てるのではなく、全部、方便・寿量のなかに含まれてしまうのである。
一四句偈
経文等において四句をもって一つの偈をなすもの。経論等のなかで一段または全部の終わりを結ぶ韻文。偈とは仏の徳または教理を讃嘆する詩のこと。雪山童子の「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」などはその類いである。
講義
本抄全体の上から、この段は大きく二つに分けた「第一信心口唱の功徳」「第二妙法五字具徳」のうちの第一、そのなかでも「正釈」の次の「引証」の段である。すなわち、この段では信心口唱の功徳の大きいことを、法華経の文を引いて論証されている。前半は正引証であり、後半は広略要を判じて要を決する段である。
いうまでもなく、「題目計りを唱うる」とは、信じて唱えることであり、信心のない形だけの唱題をいうのではない。なぜかならば、本門の三箇の秘法、すなわち、三大秘法のうち、本門の題目は、信行を具するからである。信は行の始め、行は信の終わりであって、信と行とは、瞬時たりとも離れることのない関係にある。「諸法実相抄」の「行学は信心よりをこるべく候」(1361:12)との仰せも同じ意味である。
ただし、たとえ信心はなくとも、唱えないよりは唱えるほうがまだ勝れているがそれは「宝山空手に似る」と日寛上人は申されている。われわれの信心の過程において、ときには惰性に陥ったり、壁にぶつかることもあるのは当然である。題目を唱えていても、さまざまの雑念に心を奪われ、信心がなくなったのではないかと思われることもあろう。だが、そこで行学までも中断してしまったら、それは「心を師とする」の姿である。
信心は「心の師とはなるとも心を師とせざれ」の仏の金言を胸に、その弱い自己を乗り越えていくことが大切である。この態度さえあるならば、行学の実践によって、再び信心の歓喜を会得していけるのである。
行学は信心より起こるものであるが、逆にいえば、行学はまた信心に帰着するといえよう。われわれの日々の仏道修行は、確固たる不動の信心を体得することにこそ、究極の目標があるといっても過言ではない。信心とはわれわれ凡夫の唯一の仏界であり、確固不動の信心は即、成仏の境涯なのである。
なお、ここに、三種類の法華経が引証されているので、この点について触れておきたい。妙法蓮華経は、梵名を薩達摩・芬陀梨伽・蘇多覧といい、すでにインドにおいて、異本があったといわれる。そのためこれを中国で漢訳する段階では、訳者によって用いた原本が異なり、種々の漢訳本ができたと推察される。
こうしてできた漢訳本は、次の六種である。
① 法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳
② 薩芸分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳
③ 正法華経 十巻 西晋の竺法護訳
④ 方等法華経 五巻 東晋の支道根訳
⑤ 妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳
⑥ 添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨笈多の共訳
このうち、法華三昧経、薩芸分陀利経、方等法華経はすでに消失し、正法華経、妙法蓮華経、添品法華経の三本のみが現存しているので、六訳三存という。
現存する三本のうち、最も釈迦の精神を正しく捉え、法華経の真意を誤りなく伝えているのは鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」で、中国および日本の天台宗においても、一般の間でもこれが最もよく用いられ、読誦されてきた。日蓮大聖人も、読誦し、御書に引証されている法華経は、この羅什訳である。
いま本文で、妙法蓮華経のみでなく、正法華経、添品法華経の文も合わせて挙げられているのは、唱題の功徳が説かれているのは妙法蓮華経だけではないとの客観的裏付けを期されたものと拝される。
「法華取要抄」にいわく「日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(0336:08)と。
広とは法華経一部八巻二十八品、略とは方便品・寿量品、要とは南無妙法蓮華経の題目である。日蓮大聖人の仏法は、広略を捨てて、肝要たる南無妙法蓮華経を唱えることに尽きるのである。この南無妙法蓮華経は、文字は七字であるが、法華経二十八品はもとより八万法蔵のいっさいを包含するのである。なぜならば、この一法より無量義を生じ、最後には百千枝葉はこの一法の一根に帰趣するからである。なんと偉大な法ではないか。
要とは、一を挙げていっさいを括る義であり天台大師は法華文句に「総じて一切を括るを要と為す」、法華玄義には「云何なるを要と為さん、……綱維を提ぐるに目として動かざること無く、衣の一角を牽くに縷として来らざる無きが如し」と述べている。
唱法華題目抄には「其の上法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり」(0013:03)とあり、同じく「一切の諸仏菩薩十界の因果・十方の草木・瓦礫等・妙法の二字にあらずと云う事なし」(0013:08)と。
「曾谷入道殿御返事」には「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり」(1058:08)
同「所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計りと思へり、さにては候はず体なり体とは心にて候、章安云く『蓋し序王は経の玄意を叙し玄意は文の心を述す』と云云、此の釈の心は妙法蓮華経と申すは文にあらず義にあらず一経の心なりと釈せられて候、されば題目をはなれて法華経の心を尋ぬる者は猨をはなれて肝をたづねし・はかなき亀なり、山林をすてて菓を大海の辺にもとめし猨猴なり、はかなしはかなし」(1059:01)。
そのほか、類文をあげれば際限がないが、南無妙法蓮華経とは、たんに法華経二十八品の題目でもなければ、その意義を要約したものでもない。法華経それ自体の心であり実体なのである。
いいかえると、法華経二十八品があって、それに題をつけて妙法蓮華経と称したのではなく、まず南無妙法蓮華経という法体があって、それを説明したのが二十八品の法華経なのである。故に、本体である南無妙法蓮華経を離れて、法華経二十八品、あるいは要品たる方便・寿量を読もうとも、それは猿をはなれて肝を求め、薬を捨てて効能書を尊ぶようなものである。
それでは、本体であり、心である、妙法蓮華経とはなにか。これが具体化され、実体を顕わしたのが、三大秘法の御本尊である。したがって、日蓮大聖人が、この御本尊を顕わす唯一の資格ある久遠元初の自受用身如来として出現される以前においては、ただ心に観ずる以外になかったのである。天台が観念観法を修したのは、実にこのためにほかならない。
いま、末法のわれらにして初めて、この究竟の法体であり、仏法の真髄である三大秘法の御本尊を眼前に拝し、わが胸に抱くことができるのである。この御本尊を受持することこそ、要中の要であり、広略の修行は、全てここに含まれていることを知るべきである。
もし、この本末を転倒し、御本尊受持の要法を忘却したならば、いかに法華経を読もうとも「法華経を讃むると雖も還って法華の心を死す」類いとなり、大謗法の罪にあたるのである。
なお、この段までで、能信・能行の功徳が無量であることを説き終わり、その信行の対境である妙法の法体については、第五章以下に説き進められるのである。
第五章 妙法五字の具徳を示す
問うて云く妙法蓮華経の五字にはいくばくの功徳をかおさめたるや、答えて云く大海は衆流を納めたり大地は有情非情を持てり如意宝珠は万財を雨し梵王は三界を領す妙法蓮華経の五字また是くの如し一切の九界の衆生並に仏界を納む、十界を納むれば亦十界の依報の国土を収む、
現代語訳
問うていわく、その所信所行の妙法蓮華経の五字には一体どれほどの功徳を納めているのか。
答えていわく、大海はあらゆる河川の流水を納めており、大地は有情、非情にわたり全てを包み持っており、如意宝珠は、あらゆる財宝をふらし、大梵天王は欲界、色界、無色界の三界の全てを治領する。
妙法蓮華経の五字の妙体も全く同様であり、一切の九界の衆生も仏界もともに十界互具して妙法蓮華経に納めている。正報である十界の衆生が妙法蓮華経に納まっているならば、また十界の依報である国土も当然妙法に収まり、したがって三千の万法を全て収めているのである。
語釈
大海は衆流を納めたり
一切の河川の水は大海に流れ込み、同一鹹味になるように、南無妙法蓮華経の一法に一切の法が収まるということ。
有情
①梵語の薩埵、薩埵嚩、サットヴァ(sattva)の新訳。旧訳では衆生とする。感情や意識をもっている、生あるものの一切の総称。草木、山河、大地などの非情に対する語。②仏も有情のなかに含まれること。③九界の衆生をいう。④衆生の一身には有情と非情をそなえていること。⑤三世間の衆生・五蘊世間は有情・国土世間は非情。
非情
無心の草木・山河・大地などをいう。
如意宝珠
一珠から種々、無量の宝を意のままに取り出せる珠をいう。ここでは南無妙法蓮華経の功徳力を譬えられている。仏舎利変じて如意宝珠になるとか、竜王の脳中から出るとか、摩竭魚の脳中から出る等といわれた。摩訶止観巻第五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。「兄弟抄」には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087)と。また「御義口伝」(0747)には提婆達多品の有一宝珠を釈して「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」と述べられている。
三界
欲界・色界・無色界のこと。生死の迷いを流転する六道の衆生の境界を三種に分けたもの。欲界とは種々の欲望が渦巻く世界のことで、地獄界・餓鬼界・修羅界・畜生界・人界と天界の一部、六欲天をいう。色界とは欲望から離れた物質だけの世界のことで、天界の一部である四禅天をさす。無色界とは欲望と物質の制約を超越した純然たる精神の世界のことで、天界のうちの四空処天をいう。
講義
この問いの意味を日寛上人は「能信能行の功徳の無量なることは既に命を聞き畢んぬ、所信所行の妙法蓮華経の五字には幾の功徳を納むるや」と問うているのであると示されている。これより「妙法蓮華経の五字」の妙体すなわち三大秘法の御本尊に、どれほど偉大なる功徳が納められているかを論じられている。「法華経題目抄」全体を大きく分けた、第二段がここからである。もとより、本抄は文永3年(1266)の御著作で、発迹顕本される以前のことであるから、三大秘法の名目は使われていない。だが、ここで述べられんとしているその実体は、所信所行の法体であり、三大秘法の南無妙法蓮華経以外のなにものでもないといえる。
まず、この章においては「妙法蓮華経の五字」に十界の依正を納めることを示されている。大海・大地・如意宝珠・梵王は、その譬えとして挙げられているのであって、法説・譬説の関係になっている。
しかして、妙法蓮華経に十界の依正を納むとは、次の当体義抄の文と全く一致するのである。すなわち「妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」(0510:01)と。
十界の依正とは、いいかえると一念三千である。釈籤の依正不二門にいわく「三千の中・生陰の二を以って正と為し国土の一千を依に属す、依正既に一心に居す一心豈・能所を分かたん能所無しと雖も依正は宛然たり」と。
すなわち、一念三千のなかで、衆生世間、五陰世間は有情であり正報であるが、国土世間とは非情であり依報をいうのである。一念三千それ自体のなかに依正を含んでいるのである。
この原理は、逆にいえば、われらの信心修行の実践において、たんにわが身の幸福をめざすのみの活動であってはならないということに通ずる。一念三千の法理に適った正しい仏道修行は、わが身の幸福とともに、社会の繁栄、国土の平和をめざすものでなければならない。
その正しい実践活動の積み重ねがあってこそ、わが生命を事の一念三千の当体として輝かせていくことができるのである。ゆえに、王仏冥合というも、第三文明建設というも、所詮は一念三千の法理に納まるのであり、かつ一念三千の法理より出発するものなのである。
爾前権経にせよ、キリスト教等にせよ、その教義は、唯心主義であり、社会性に欠けている。たとえば、キリスト教では「神のものは神に、カイザルのものはカイザルに」と教え、本来、信仰と世俗とを明確に分離している。中世ローマ法王が、神の王国の地上における模写を唱え、信仰と世俗との融合を試みたが、元来、それはキリストの教えには反する行為であった。ルター等の宗教改革運動はこのローマ・カソリックの逸脱に対するプロテストだったのである。
端的にいうと、キリスト教は、本質的に現実遊離の思想であり、むしろ、現実を卑しみ天国に入ることのみを理想として憧憬する宗教なのである。そうした宗教に、この地上の現実世界をよくするための助力を求めること自体、大なる誤算というべきではなかろうか。
仏教においても、爾前権経は、いずれも、このキリスト教と共通した基盤に立っている。念仏の浄土思想などは、キリスト教の天国思想と全く同じといっても過言ではない。仏教が現実世界を変革する哲学的基盤を確立したのは、実に一念三千の哲理によって可能となったのである。
してみれば、戦乱と貧困や飢饉、権力の横行等のなかに三悪道、四悪趣の様相を呈している現代の世界を、根本的に変革し、衆生所遊楽の幸福世界としていく唯一の源泉は、ただ事の一念三千の大仏法にあるといっても過言ではないであろう。
第六章 通じて五字の具徳を明かす
先ず妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる事をいはば経の一字は諸経の中の王なり一切の群経を納む、仏世に出でさせ給いて五十余年の間八万聖教を説きをかせ給いき、仏は人寿・百歳の時・壬申の歳・二月十五日の夜半に御入滅あり、其の後四月八日より七月十五日に至るまで一夏九旬の間・一千人の阿羅漢・結集堂にあつまりて一切経をかきをかせ給いき、其の後正法一千年の間は五天竺に一切経ひろまらせ給いしかども震旦国には渡らず、像法に入つて一十五年と申せしに後漢の孝明皇帝・永平十年丁卯の歳・仏経始めて渡つて唐の玄宗皇帝・開元十八年庚午の歳に至るまで渡れる訳者・一百七十六人・持ち来る経律論一千七十六部・五千四十八巻・四百八十帙、是れ皆法華経の経の一字の眷属の修多羅なり。
先ず妙法蓮華経の以前・四十余年の間の経の中に大方広仏華厳経と申す経まします、竜宮城には三本あり上本は十三世界微塵数の品・中本は四十九万八千八百偈・下本は十万偈四十八品・此の三本の外に震旦・日本には僅に八十巻六十巻等あり、阿含小乗経・方等・般若の諸大乗経等、大日経は梵本には阿嚩囉訶佉の五字計りを三千五百の偈をもつてむすべり、況や余の諸尊の種子・尊形・三摩耶・其の数をしらず、而るに漢土には但纔に六巻七巻なり、涅槃経は雙林最後の説・漢土には但四十巻是も梵本之れ多し、此等の諸経は皆釈迦如来の所説の法華経の眷属の修多羅なり、此の外過去の七仏・千仏・遠遠劫の諸仏の所説・現在十方の諸仏の説経皆法華経の経の一字の眷属なり、されば薬王品に仏・宿王華菩薩に対して云く「譬えば一切の川流江河の諸水の中に海為れ第一なるが如く衆山の中に須弥山為れ第一・衆星の中に月天子最も為れ第一」等云云、妙楽大師の釈に云く「已今当説最為第一」等云云、此の経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり、譬えば如意宝珠の一切の財を納め虚空の万象を含めるが如し、経の一字は一代に勝る故に妙法蓮華の四字も又八万法蔵に超過するなり、
現代語訳
まず妙法蓮華経の五字の妙名にいっさいの法をことごとく納めている事を述べるならば、妙法蓮華経の経の一字は諸経のなかの王でありいっさいの群経を納めているのである。仏は世に出現して五十余年の間、八万聖教を説き遺されたのであった。そして人寿・百歳の時代の壬申の歳に八十歳で二月十五日の夜半に入滅されたのである。その後四月八日から七月十五日に至るまでの一夏九十日の間、一千人の阿羅漢が結集堂に集まって一切経を書き残したのであった。その後正法一千年の間は、五天竺に一切経がひろまったけれども震旦国には渡らなかった。その後像法に入って十五年、つまり釈迦滅後一千十五年、後漢の孝明皇帝の永平十年・丁卯の歳に仏像と経文が初めて中国に渡り、以来、唐の玄宗皇帝の開元十八年・庚午の歳に至るまで、両国の間を行き来した訳者は百七十六人、インド等から中国へ持ち来った経・律・論は一千七十六部・五千四十八巻・四百八十帙という。これらは皆法華経の経の一字の眷属である修多羅なのである。
まず妙法蓮華経の以前の四十余年の間に説かれた爾前経のなかに、大方広仏華厳経とという経がある。この経は竜宮城には上中下の三本あって上本は十三世界の微塵の数ほどの品数があり、中本は四十九万八千八百偈、下本は十万偈四十八品ある。この三本のほかに、中国・日本にはわずかに新訳八十巻、旧訳六十巻等があるのみである。また阿含の小乗経、方等・般若の諸大乗経等があり、そのなかで大日経は、梵本には阿バラ訶怯の五字の真言を三千五百の偈頌をもってむすんでおり、まして、このほか諸尊の種子・尊形三摩耶はその数を知らないほどである。しかしながら漢土・中国にはわずかに本経が六巻、供養経を加えて七巻である。また涅槃経は雙林最後の説で、漢土にはただ四十巻であるが、これも梵本では膨大なものである。これらの諸経は皆・釈迦如来の真実の所説たる法華経の眷属の経文なのである。このほか過去の七仏・千仏・遠遠劫の諸仏の所説の経々も、現在の十方世界の諸仏の説経も、皆法華経の経の一字の眷属なのである。
それゆえ薬王品で仏が宿王華菩薩に対していうのには「譬えばいっさいの川流江河の諸水に対すれば海が第一であり、衆山のなかでは須弥山が第一であり、衆星に対しては月が第一であるように、諸経のなかでは法華経が最もすぐれている」といっている。この意をうけて妙楽大師は「仏が已に説き、今説き、当に説く。そのなかで法華経が最も為れ第一」であると釈している。
この法華経の経の一字の徳のなかに十方法界の一切経が納まっている。譬えば如意宝珠がいっさいの財を納め、虚空がいっさいの万象を含んでいるようなものである。
妙法蓮華経の経の一字が一代聖教のなかで最も勝れている故に妙法蓮華の四字の徳もまた八万法蔵の徳に超過するのである。
語釈
人寿・百歳の時
人寿とは人間としての自然的平均寿命。三千年前、インドに釈迦が出現したときは、人寿百歳であったといわれている。釈迦在世から現在までの三千年は、減劫の時代であるので、百年で一歳を減じていく原理によって三十歳を減じて人寿七十歳となる。
壬申
干支の組み合わせの9番目で、前は辛未、次は癸酉である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の申は陽の金で、相生(金生水)である。
阿羅漢
羅漢のこと。無学・無生・殺賊・応供と訳し、小乗教を修行した声聞の四種の聖果の極位。一切を学び尽くして、さらに学ぶべきがないので無学、再び三界に生ずることができないので無生、見思の惑を断じ尽くすので殺賊、衆生から礼拝を受け、供養に応ずるので応供という。
結集堂
釈尊滅後、迦葉等の弟子たちが、一切経を結集した法堂。
震旦国
中国の歴史的呼称。梵名チーナ・スターナ(Cīna-sthān)の音写。真旦・真丹とも書く。中国人の住処の意。チーナ(Cīna)とは秦の音写。スターナ(sthān)とは地域・場所の意。古代インド人が秦(中国)をさした呼称。おもに仏典の中に用いられた。
孝明皇帝
後漢の2皇帝、明帝のこと。先武帝の第4子で、早くから頭角をあらわし、父に愛された。建武19年(0043)に皇太子、中元2年(0057)に即位。父の意志をつぎ、さらに人徳をみがき、国内を治め、外交にも力を尽くした。西域に仏と名のる聖人がいることを聞き、使者を天竺に派遣して、仏教を求めた。中国における仏教の伝来は、孝明皇帝によって行われたのである。また洛陽郡に白馬寺を建立して、仏法を流布した。教機時国抄に「仏の滅後一千一十五年に当つて震旦国に仏経渡る、後漢の孝明皇帝・永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝・開元十八年庚午に至る六百六十四歳の間に一切経渡り畢んぬ」(0438:02)とある。
玄宗皇帝
(0685~0762)。中国・唐朝第6代皇帝(在位0712~0756)。26歳で即位し、外征を抑えて政治の乱れを正し唐の繁栄に貢献した(開元の治)。しかし上野殿御返事に「漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う」(1509:16)とおおせの通り、真言を信じ、善無畏三蔵に師事したため、臣下の安禄山によって都を追われ、皇位を失った。これは真言亡国の現証である。
帙
書物を包むおおい。
修多羅
梵語シュタラ(sūtra)の音写。線・①経文。経典。契経 。②十二分経の一。散文で教理を説いたもの。契経。③ 袈裟 の装飾として垂らす、白赤4筋の組みひも。
大方広仏華厳経
華厳経のこと。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
竜宮城
竜王の住む宮殿。水底、または水上にありという。長阿含経巻十九に「大海水底に娑竭龍王宮あり。縦広八万由旬なり。宮牆七重にして、七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹あり。周匝厳飾皆七宝より成る」とある。
十三世界微塵数の品
13の三千大千世界を微塵にしたほどのたくさんの品。
八十巻六十巻
①新訳華厳経が80巻からなること。唐代・実叉難陀の訳。②旧訳華厳経は東晋代の仏駄跋陀羅の訳60巻38品からなるうちの第一離世間浄眼品のこと。現存の60華厳経には「離」の字はなく世間浄眼品第一となっている。
阿含
阿含とは、梵語アーマガの音写で、教・伝・法帰等と訳す。伝承された教えの意。釈尊の言行・説法を伝え集成した経蔵全体の総称をいう。ただし、大乗仏教が興ってからは小乗経典の意味に限ってつかわれる。北方系仏教では四阿含といって、増一阿含経・中阿含経・長阿含経・雑阿含経の四つに分類される。阿含経は声聞の最高位である阿羅漢に到ることを目的とするので、三乗の中でも二乗である声聞を正位として説かれた経といえる。
小乗経
仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
方等
方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
般若
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
阿縛羅訶佉
真言宗の教義。大日経に説かれた大日如来の真言で、真言宗で立てる大日如来の秘密真言のなかでは一番根本として大事にしている呪文。
種子・尊形三摩耶
種子は仏になる根本の原因、尊形は色相荘厳の仏の相貌、三摩耶は諸仏・諸菩薩・諸天などが手に持っている標識・大日如来の卒塔婆・不動明王の剣・観音の蓮華・薬師如来の薬壺等で、仏の本誓をあらわすもの。
六巻七巻
大日経の漢訳は本経が6巻・供養経を加えて7巻となる。
過去の七仏・千仏
過去の7仏は長阿含経にあり、過去荘厳劫の3仏は毘婆尸仏・尸棄仏・毘舎浮仏、現在賢劫の4仏は留孫仏・倶那含牟尼仏・迦葉仏、・釈迦牟尼仏で、いずれも入滅した仏であるので、過去仏という。
宿王華菩薩
薬王菩薩本事品第二十三にあらわれ、釈尊に薬王菩薩の因縁をたずねた菩薩。
已今当説最為第一
持妙法華問答抄には「設い此の経第一とも諸経の王とも申し候へ皆是れ権教なり其の語によるべからず、之に依つて仏は『了義経によりて不了義経によらざれ』と説き妙楽大師は『縦い経有りて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わざれば兼但対帯其の義知んぬ可し』と釈し給へり、此の釈の心は設ひ経ありて諸経の王とは云うとも前に説きつる経にも後に説かんずる経にも此の経はまされりと云はずば方便の経としれと云う釈なり、されば爾前の経の習として今説く経より後に又経を説くべき由を云はざるなり、唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ」(0462:08)とあり、法華経が「已今当説最為第一」の経であるとある。
十方法界
「十方」とは、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた方位で、全世界を意味する。仏教では十方に無数の三千大千世界があるとされる。
虚空の万象を含める
虚空とは宇宙、いっさいのものがすべて宇宙に含まれてしまうということ。
講義
先ず妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる事をいはば経の一字は諸経の中の王なり一切の群経を納む云々
妙法蓮華経の五字の妙名に十界の依正・三千の万法を納むる具徳を明かすにあたって、妙法蓮華経の経の一字に一切の群経を納める「経の一字の具徳」を説かれるのである。
はじめに、インドから中国へと伝来された一切の諸経が妙法蓮華経の眷属であることを明かし、次に「先ず妙法蓮華経の以前」云云は、通じて梵漢の諸経が法華経の眷属であることを明かし、「此の外過去の七仏・千仏」云云は、ひろく一切諸仏の諸経も皆、法華経の経の一字の眷属であることを明かしている。このように、狭きより広きへと説きすすめて一切経が法華経の眷属であることを示されているのである。
なぜ、このように説かれているかというと、インドから中国へと伝えられ、訳された経典は膨大なものであるが、インドだけにとどまり、中国へ伝えられなかったものもたくさんある。さらに、仏法は釈迦一仏だけではなく、過去七仏・千仏・の諸仏、また現在の十方の他方の諸仏と、無数の仏がいることも知らなければならない。とすれば、釈迦仏法の範囲だけでいえば、一切経は妙法蓮華経の眷属であるかもしれないが、過去および他方の諸仏の説いた経は、そうではないのではないかという疑問が生ずる。それに対して、大聖人は過去および他方の一切諸仏のあらゆる経といえども、すべて妙法蓮華経の眷属なのだと断言されているのである。
過去七仏、千仏あるいは遠々劫の諸仏とは、地球に人類が誕生して以来の歴史では説明できない問題である。現代の天文学によると、いま、われわれが見ている宇宙空間においても、崩壊の過程をたどっている天体があれば、まさに生成の途上にある天体もあることが明らかにされている。
おそらく、現在の地球を含む、この太陽系も、あるいは、この太陽系が含まれている銀河系宇宙も、壮大な生成流転の歴史を繰り返しているのに違いない。そう考えると、今日、太陽が輝き、地球に生物が栄えているこの姿も、永劫の宇宙の生成流転の歴史のなかにおける、ほんの一幕にすぎないのかも知れない。はるかな過去にも、これと同じような姿が現出されていたであろうことは、想像にかたくない。
そして、そこに仏があらわれ、説法をし、経典があらわされたということも、決してありえぬことではないと思われる。過去の七仏・千仏・遠々劫の諸仏とは、そうした悠久なる宇宙観、歴史観を前提としているのであり、それが、現代天文学の明らかにしはじめている宇宙観と見事に合致することに、改めて仏法の偉大さに驚嘆の念を禁じ得ないのである。
また、現在、天文学で知られている、こうした天体の生滅のドラマは、数千万光年、あるいは数億光年という、遠い世界の出来事であるが、そのことは、今崩壊していると見ているこれらのドラマが、実は数千万年、数億年の過去に属することを意味する。宇宙の出来事は、現在と思っていることが、実は、はるか遠い過去にほかならないのである。
宇宙の距離を測る〝光年〟という単位自体、「光が一年間に走る距離」であり、本来、時間の概念を応用したものである。このように、時間と空間とが微妙に交錯する世界、現在の一瞬に無限の過去を含む世界、それが、この宇宙であり、かつまた、それを認識し反映するわれわれの生命の不可思議なのである。「現在十方の諸仏」とは、現在、地球以外にも生物の生息する世界が存在し、そのなかには人間社会があり、やはり仏法が説かれている世界があるということである。
かつての天動説、すなわち地球だけが生物なかんずく人間の存在しうる唯一の世界であるとした考え方から比べても、天文学の発達が、このように「十方世界」を説く仏法を理解することを容易ならしめていることは、明らかに認められよう。
また、過去現在のいっさいの諸仏の経々とは、この地上の有史以前から今までのいっさいの教え、学説をも意味する。いかなる哲学、いかなる人文、物質科学の学説といえども、妙法蓮華経の経の一字の眷属に過ぎないということでもある。したがって、これらは日蓮大聖人の仏法の体外に置けば死の法門、体内に会入すれば活の法門となる。ここに、生命の世紀の第三文明建設の鍵があることを深く考えて、折伏に励むべきである。
人寿・百歳の時・壬申の歳云云
人寿百歳の時とは、仏法において、人間の平均寿命が百年に一歳ずつ減って十歳になると、今度は同じく百年で一歳ずつ増えて八万歳にまでなる。人寿八万歳に達すると、今度はまた減っていくというように、増減を繰り返すという考え方から来ている。
減っていく期間を減劫といい、増えていくのを増劫という。現在は減劫で、釈迦時代はちょうど平均寿命が百歳のときであったとされている。壬申の歳とは、中国の十干十二支の数え方で、年代でいうと、周の穆王52年、西暦紀元前0949年にあたる。生まれた年は周の昭王24年で、西紀前1029年である。
現在の西欧歴史学による年代編では、釈迦の生没年は、前0563年から0483年ころ、または前0463年から0383ころとされており、約500年のズレがある。
インドは世界でも稀なほど、年代を明記して歴史の事実を記した、確実な資料が欠乏した国なのである。中国民族が現実的であり、具体的歴史事実を尊ぶのに対して、インドは冥想と詩と夢幻に富む民族であるといわれる。したがってインドの歴史に関して、確定的な資料となるのは、インド人自身の記録はなく、西方からの旅行者や中国からの留学生などの記録によるのが大部分である。
最近は考古学的な発掘調査によって、新しい資料が発見されてはいるが、人物の生没年等については、まだまだ推測の域を出ない。釈迦の年代についても、西欧歴史学の説が絶対に正しいとは決していえないのである。周の昭王24年~穆王52年説は、古来東洋においては定説として用いられてきたのであって、大聖人もまた、この説を採用されているのである。
なおこの箇所は、日寛上人の文段によれば、「仏世に出でさせ給いて」云云は正説、「仏は人寿・百歳の時」云云は結集、「其の後正法一千年の間は五天竺に」云云は翻訳について述べられている。
また「先ず妙法蓮華経の以前」以下の文については、初めに華厳をあげ、次に阿含・方等・般若の三味をあげ、なかでも大日経を代表として他経を例し、最後に涅槃経をあげている。このように、順序を追った見事な構成になっていることを注意すべきであろう。
此の経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり云云
「御義口伝」にいわく「経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は三世常恒なるを経と云うなり」(0708:09)と。
南無妙法蓮華経の経の一字には如意宝珠がいっさいの宝物を納め、虚空がいっさいの物を含むように、十方世界のあらゆる経を納めるのであると申されている。
「虚空の万象を含む」とは、虚空すなわち、この宇宙空間にいっさいの物質とその運動とを含むとの意であり、所詮、全ての物体の形は、それが空間のなかでいかなる部分を占めるかという問題である。
その意味では、古代ギリシャのデモクリトスが、全ての存在の究極たる原子と真空とを想定した、あの古典物理学の考え方に通ずるといえよう。
さらに敷衍していえば、アインシュタイン以後の近代物理学では、空間は単なる真空ではなく、それ自体一つの場であり、さらにいえば、存在の可能性を含んでいるものだといえよう。虚空は、たんなる〝無〟の世界ではなく、そのなかから存在を生み出していく母体であるとさえいわれるようになっている。その意味でも「虚空は万象を含む」とのお言葉に、はかりしれない真理が含められているように思われるではないか。
第七章 別して妙の一字の具徳を明かす
妙とは法華経に云く「方便の門を開いて真実の相を示す」、章安大師の釈に云く「秘密の奥蔵を発く之を称して妙と為す」、妙楽大師此の文を受けて云く「発とは開なり」等云云、妙と申す事は開と云う事なり世間に財を積める蔵に鑰なければ開く事かたし開かざれば蔵の内の財を見ず、華厳経は仏説き給いたりしかども経を開く鑰をば仏・彼の経に説き給はず、阿含・方等・般若・観経等の四十余年の経経も仏説き給いたりしかども彼の経経の意をば開き給はず、門を閉じてをかせ給いたりしかば人・彼の経経をさとる者一人もなかりき、たとひ・さとれりとをもひしも僻見にてありしなり、而るに仏・法華経を説かせ給いて諸経の蔵を開かせ給いき、此の時に四十余年の九界の衆生始めて諸経の蔵の内の財をば見しりたりしなり、譬えば大地の上に人畜・草木等あれども日月の光なければ眼ある人も人畜・草木の色形をしらず、日月・出で給いてこそ始めてこれをば知る事なれ、爾前の諸経は長夜の闇の如く法華経の本迹二門は日月の如し、諸の菩薩の二目ある二乗の眇目なる凡夫の盲目なる闡提の生盲なる共に爾前の経経にてはいろかたちをばわきまへずありし程に、法華経の時・迹門の月輪始めて出で給いし時・菩薩の両眼先にさとり二乗の眇目次にさとり凡夫の盲目次に開き生盲の一闡提未来に眼の開くべき縁を結ぶ是れ偏に妙の一字の徳なり。
迹門十四品の一妙・本門十四品の一妙合せて二妙、迹門の十妙本門の十妙合せて二十妙、迹門の三十妙・本門の三十妙合せて六十妙、迹門の四十妙・本門の四十妙・観心の四十妙合せて百二十重の妙なり、六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字・一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり、譬えば大海の一渧の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し、
現代語訳
妙とは法華経の法師品にいうには「爾前方便の権門を開いて真実の相すなわち如来所証の本法を示すのである」と。章安大師は釈して「秘密の奥蔵を開いて法体法爾の本妙を顕示することを妙というのである」といい、妙楽大師はこの文を受けて玄義釈籖の第一に「発とは開くことである」といっている。すなわち妙ということは開くということである。
一般的にいうと財を積んである蔵も、鑰がなければ開くことはできない。開かなければ当然蔵の内の財を見ることはできない。はじめに、華厳経を仏は説いたけれども、その経蔵を開く鑰を仏は華厳経自体には説かなかったのである。次に阿含、方等、般若、観経等の四十余年の爾前の経々も仏は説いたけれども、これらの経々の本意を開かないで門を閉じたままにしておかれたので、衆生は彼の爾前経の真意を悟る者が一人もなかったのである。たとえ「われ悟れり」と思う者があってもそれは僻見にすぎなかった。ところが終わりに仏は法華経を説いて諸経の蔵を開いたのであった。このときに四十余年の九界の衆生は初めて諸経の蔵の内にある財を見、知ることができたのである。たとえていえば大地の上には人畜・草木などが生存するけれども太陽や月の光がなければ、眼のある人でも人畜・草木の色や形を知ることができない。太陽や月が出てこそ初めて万物の姿を知ることができる道理である。爾前の諸経は長夜の闇のようなもので法華経の本門と迹門の二門は太陽と月のようなものである。両眼のある諸の菩薩も眇目の二乗も盲目の凡夫も生盲の一闡提も共に爾前の経々では色も形も分別できずにいたが、法華経が説かれたとき、すなわち、迹門の月輪が初めて出たときに両眼の菩薩が先ず悟り、眇目の二乗が次に悟り、盲目の凡夫が次に開き、生盲の一闡提も未来に成仏の眼を開き得る縁を結んだのである。これは偏に妙法蓮華経の妙の一字の功徳によるのである。
さて、以上の妙の一字の徳を評論するならば、迹門十四品の一妙と本門十四品の一妙を合わせて二妙、迹門の十妙と本門の十妙と合わせて二十妙、迹門の三十妙と本門の三十妙とを合わせて六十妙、迹門の四十妙と本門の四十妙と観心の四十妙とを合わせて百二十重の妙である。
法華経の全文字・六万九千三百八十四字の一字一字の根底に各々一つの妙があり、総じて六万九千三百八十四の妙は、ことごとく妙の功徳、勝能を含んでいるのである。さて、妙とは天竺では薩といい、漢土では妙という。妙とは具足の義で、具足の具とは円満という意である。すなわち、法華経の一つ一つの文字に、六万九千三百八十四文字の徳が欠けることなく具わり納まっているのである。譬えば大海の一渧の水にはいっさいの河の水が納まり、芥子ほどの大きさのたった一つの如意宝珠が、いっさいの如意宝珠の財を降らすようなものである。
語釈
章安大師
(0561~0632)。中国天台宗第四祖(①北斉の慧文、②南岳慧思、③天台智顗、④章安灌頂)。天台大師の弟子で、師の論釈をことごとく聴取し、結集したといわれる。諱は灌頂。中国の浙江省臨海県章安の人で、七歳で摂静寺に入り、25歳で天台大師に謁して後、常随給仕して所説の法門をことごとく領解した。その聴受ののち編纂した天台三大部(「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」)をはじめ、大小部合わせて百余巻がある。師が亡くなってから「涅槃玄義」二巻、「涅槃経疏」20巻を著わす。その名声は高く、三論の嘉祥は章安の「義記」を借覧して天台に帰伏したという。唐の貞観6年8月7日、天台山国清寺で72歳で寂し、弟子智威(に法灯を伝えた。
秘密の奥蔵
爾前経においては、正しい仏法の究極の実体を説き顕されないで、奥に隠していた。これを秘密の奥蔵といった。
観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
四十余年の九界の衆生
爾前40余年の間は成仏の法が説かれなかったから、一切衆生は成仏できなかったということ。
爾前の諸経は長夜の闇の如く本迹二門は日月の如し
五重の相対の権実相対のこと。「闇」には世人の眼を閉ざす・人畜等の色形を失うの失があり、「日月」は爾前の失を明らかにする徳がある。
眇目
やぶにらみ・斜目。二乗は求道の方向が違っていることをいう。
迹門の十妙
天台大師智顗は『法華玄義』で、「妙法蓮華経」の「妙」の意義について、本門・迹門のそれぞれ10項目を挙げて論じている。迹門の十妙は、そのうち迹門における妙の意義を説いたもの。①境妙②智妙③行妙④位妙⑤三法妙⑥感応妙⑦神通妙⑧説法妙⑨眷属妙⑩功徳利益妙もこと。
本門の十妙
天台大師智顗は『法華玄義』で、「妙法蓮華経」の「妙」の意義について、本門・迹門のそれぞれ10項目を挙げて論じている。本門の十妙は、そのうち本門における妙の意義を説いたもの。①本因妙②本果妙③本国土妙④本感応妙⑤本神通妙⑥本説法妙⑦本眷属妙⑧本涅槃妙⑨本寿命妙⑩本利益妙のこと。
法華経の時・迹門の月輪
爾前の諸経と法華経の迹門の勝劣について、爾前の長夜の闇に譬えれば、迹門の勝ること月の光明の如く、また迹門の本門に劣ることを、日の光明に及ばないことに譬えてこのようにいう。
妙とは具の義なり具とは円満の義なり
妙とは具足の意味であり、具足とは円満という意味である。円満とはいささかの欠減もないこと。
講義
これより別して〝妙〟の一字の具徳について、あらゆる角度から詳細に論じられるのである。
法華経に云く「方便の門を開いて真実の相を示す」
方便の門とは爾前の方便権経である。真実の相とは、仏が証得したところの根本の法である。この爾前権経を開いて、仏の根本の法を示すということが妙法蓮華経の妙という意味であるとの仰せである。
日寛上人は文段に「今将にこの文の意を了せんとするに須く開顕の大旨を暁むべし」と申され、伝教大師の「『於一仏乗』とは根本法華経なり『分別説三』とは隠密法華経なり『唯有一乗』とは顕説法華経なり」の文を引いて示されている。すなわち「根本法華」とは如来所証の本法であり、「隠密法華」とは爾前の諸経である。「顕説法華」とは開顕の法華経である。したがって、これを月のたとえでいうと、如来所証の本法は天に輝く月であり、爾前の諸経は雲が月を隠しているようなものである。しかして、開顕の法華というのは、その雲を開いて月を顕すことにあたるわけである。
本文についてみると「方便の門」とは爾前経であり、「真実の相」は如来所証の本法である。したがって、法華経の開顕というのは、如来所証の本法を開顕して示すことであり、如来所証の本法とは、末法御図顕の三大秘法の大御本尊にほかならないのである。
章安大師の釈に云く「秘密の奥蔵を発く之を称して妙と為す」
秘密の奥蔵とは、爾前経においては隠秘されてきたことをいう。いま法華経にいたってこの奥蔵を開いて、根本の妙法を顕すが故に「之を称して妙と為す」というのである。
この秘密には三つの意味がある。第一は法体の真秘で、妙法それ自体の深遠さを秘密と称する。三大秘法抄に引かれている天台の「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す」(1022:10)との釈は、この場合に属する。
第二は在昔隠秘、すなわち法華経以前においては法体の真秘、甚深なる妙法を隠してきたが故に秘密というのである。「又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す」(1022:10)の釈がこれである。
第三は開顕の真秘といい、法華経にいたって法体の真秘を顕示するが故に、これを秘密というのである。「顕露彰灼なる故に真秘と云う」の釈がこれである。
いま本文の場合、「秘密の奥蔵」というのは、第二の在昔隠秘の例で、爾前経において妙法を隠してきたことをさす。この故に、「奥蔵」といって、財を隠す蔵にたとえているのである。法華経にいたって、はじめてこの秘密の奥蔵を開いて根本の妙法を顕わしたので「之を称して妙と為す」といったのである。
「発く」は「開く」と全く同じで、そこには必ず、本体をおおっているものを除くということと、除くことによって、見えるという現象が伴うものである。したがって「秘密の奥蔵を発く」というのも、発くこと自体に意義があるのではなく、それによって、隠されていた妙法を見させることに意義がある。「之を称して妙と為す」の文も、真意は、根本の妙法が顕われることにあると拝すべきである。
いいかえると、この章安大師の文は、法華経が説かれたこと自体を重要視しているのでなく、法華経によって明らかにされた根本の妙法、文底の南無妙法蓮華経こそ最も大事であることを述べているのである。
妙と申す事は開と云う事なり
御本尊を曼荼羅と申し上げるが、これは梵語で、訳すると功徳聚の意である。御本尊それ自体が宇宙大の宝の聚まりなのである。信心の目的は、この功徳聚であられる御本尊を開いて、身に大功徳をいただくことである。宇宙大の御本尊であられるから、どんなにいただいても、なくなるなどと心配する必要はない。功徳を受ければ受けるほど、それによって信心を増し、成仏の境涯を会得することができるのである。
この「開く」ということに、他の宗教とは全く違った深い哲理があることを知らなければならない。よく、この道理を知らない人は、仏法の利益というものを、タナからボタ餅が落ちてくるのを待っているように考えたり、弱い者が頼ったりするものであるかのごとく思うものである。これは大なる誤りである。
仏法の利益は、自己の強い信力・行力によって、自らの手で開き、自らの手で掴みとるものなのである。ちょうど、たとえてみれば、金鉱をみきわめて、そこを掘っているのが、この妙法の信心ある人の姿である。信心なき人は、無計画に、掘っていれば、なんとか金鉱を掘りあてるだろうと汗水を流しているようなものである。
なかには偶然、鉱脈にぶつかる場合もあろうが、わずかにかすった程度に終わってしまったり、横切ってしまって、たちまち、せっかく得たものも失って、あわてて迷ったりするのが大部分である。
鉱脈を正しく見きわめ、それを辿って合理的に堀り進んでいけば、百の努力が何倍にもなって返ってくる。むだをすれば、百の努力をしても、わが身に帰ってくるのは、その何分の一という結果になってしまうのである。
無量の宝を秘めた無限の鉱脈が御本尊であり、仏力・法力である。それを掘り出す、自分の力が信力・行力である。この仏力・法力と信力・行力の合致することによって、仏法の偉大な功徳が湧現するのである。したがって、正しい仏法は、たんなる他力本願でもなければ、たんなる自力本願でもない。自他の両方を含み、しかも超越した深い哲理であることが理解されよう。
鑰なければ開く事かたし
どんなにすばらしい宝の積まれた蔵が目の前にあっても、鑰がなければ、これを開いて宝を取り出すことはできない。信心に約していえば、この鑰とは、正しい信心である。ただし、本文で大聖人の示されんとしている点に即していえば、とは法華経である。一代聖教の蔵を開き、その奥蔵に秘められている妙法の無上宝珠を取り出すには、法華経の鑰によらねばならないと申されているのである。
なおこの文に関連して日寛上人の文段に「山門秘伝見聞」が紹介されているので、ここに掲載しておきたい。
「伝教大師比叡山建立の時・根本中堂の地を引き給いし時・地中より舌八つある鑰を引き出したり、此の鑰を以て入唐の時に天台大師より第七代・妙楽大師の御弟子・道邃和尚に値い奉りて天台の法門を伝え給いし時、天機秀発の人たりし間・道邃和尚・悦んで天台の造り給える十五の経蔵を開き見せしめ給いしに十四を開いて一の蔵を開かず、其の時伝教大師云く『師、此の一蔵を開き給え』と請い給いしに邃和尚云く『此の一蔵は開く可き鑰無し天台大師自ら出世して開き給う可し』と云云、其の時伝教大師・日本よりの鑰を以て開き給いしに此の経蔵開けたりしかば、経蔵の内より光・空に満ちたりき、其の光の本を尋ぬれば此の一念三千の文より光を放ちたりしなり、ありがたき事なり、其の時・道邃和尚は還って伝教大師を礼拝し給いき、天台大師の後身と云云」と。
而るに仏・法華経を説かせ給いて諸経の蔵を開かせ給いき
爾前権経の蔵を開く鑰は法華経であり、その鑰によって爾前経を開いたとき、なかよりあらわれる〝財〟とは法体の本妙である。
いいかえれば、法華経を会得した人のみが爾前経の蔵のなかより、自在に宝を取り出し、用いていくことができるのである。法華経を知らずして、爾前経を読んでも、なんの益もないことは、この道理からして明らかであろう。日蓮大聖人は立正安国論をはじめとして御書の各所で、仁王経、薬師経、大集経等の爾前権経を引用しておられるが、それは全て法華経の立ち場よりこれを読まれているのである。それが絶待妙であり、会入の義である。
諸の菩薩の二目ある二乗の眇目なる凡夫の盲目なる闡提の生盲なる
菩薩は、いわゆる両眼健在であったけれども、法華経以前においては、闇のなかと同じで、「いろかたち」を弁えることができなかった。「二乗の眇目なる」とは、めっかち、やぶにらみということである。二乗とは現代的に約すれば、学者、評論家、芸術家等である。これらの人々は、自分の専門分野に関したことであれば、その道のオーソリティとして一応の見識をもっているであろうが、往々にして、それで全てを知っていると思いがちである。そのため、物事を正しく判断することができないのを「眇目」というのである。まことに適切で、鋭い指摘ではないか。「凡夫の盲目なる」とは、宗教に無智な一般の民衆である。「闡提の生盲なる」とは、正法誹謗の輩である。ここで盲目と生盲の違いは、生盲とは、先天的で、絶対に治らない盲ということと思われる。
いずれにせよ、法華経迹門が説かれて、ちょうど月が出たような状態になったとき、まず万物の「いろかたち」を見ることができたのは「二目ある」菩薩が最初であった。次に「眇目」の二乗が悟り、さらにおくれて凡夫の目が開いた。最後の一闡提は未来に眼を開くであろうという縁を結ぶことができたのである。
ここで「法華経の時・迹門の月輪始めて出で」と申されているのは、あくまでも、日輪が出たのは本門であるからである。その前の「爾前の諸経は長夜の闇の如く法華経の本迹二門は日月の如し」というのも、同じく、本門を日、迹門を月とされているのである。
「人生は一寸先が闇である」とは、古来、ひろくいい習わされてきた言葉であるが、まさに、この爾前の諸経に執着する人、真実の仏法を持たない人の生活は、一寸先が闇であるといわなければならない。動きの激しい現代社会においては、ますます、その感を深くせずにはいられない。一分後に、どんな事故が待ち受けているか、誰人も確信をもっていうことはできない現状ではなかろうか。
われわれは、大御本尊を受持してはじめて太陽の光にさんさんと照らされた、わが人生街道をはっきりと見きわめ、確信をもって前進することができるのである。
迹門十四品の一妙云云
妙の一字の具徳を明かすについて、これまで名の義を釈されてきたのであるが、ここで正しく妙の一字の具徳を明かすのである。この段の前半は、本門と迹門の題号について妙の一字の具徳を明かし、後半の「六万九千……」以下は、入文について明かすのである。
いま、ここで挙げられている一妙、十妙、三十妙、四十妙について、概略、述べることにしたい。
まず、「迹門十四品の一妙」とは、開権顕実であり、「本門十四品の一妙」とは開迹顕本である。次の「迹門の十妙・本門の十妙」とは、天台が法華玄義に説いているもので、迹門の十妙は境・智・行・位・三法・感応・神通・説法・眷属・利益の各妙である。これは、方便品の諸法実相によって立てたもので、境妙とは諸法実相、智妙とは諸法実相に冥合する妙智である。行妙とは、この妙智に導かれておこす修行をいい、位妙とは、行によって証する位をいう。三法とは妙位によって立つ心・仏・衆生の三法をいい、感応とは衆生の感と仏の応とをいう。神通妙は仏の功力、説法妙は仏の説法、眷属妙は法を聞いて帰依すること、利益妙は他を益することである。
この迹の十妙があくまで始成正覚の生命観にとどまっているのに対し、本門寿量品の永遠の生命観を中心に立てたのが、本門の十妙である。すなわち、本因・本果・本国土・本感応・本神通・本説法・本眷属・本利益・本涅槃・本寿命の十妙である。
本因妙とは久遠の本因の修行をいい、本果妙は久遠の成道妙覚、本国土妙は久遠本地成道の国土をいう。本感応妙は久遠本地第一番の教化の弟子と仏をいう。本神通妙は、久遠本地の仏の神通力、本説法妙は久遠本地本仏の説法、本眷属妙は久遠本地第一番の弟子、本涅槃妙は久遠本仏の寂定の境地、本寿命妙は、久遠の本仏が証得した寿命をいい、しかして本利益妙とは、この久遠の本仏の利益をいうのである。
なお「迹門の三十妙・本門の三十妙」とは右の各十妙の上に、相待判麤の十妙と、絶待開麤の十妙を加える。「四十妙」の場合は、同じく各十妙の上に、心法の十妙と仏法の十妙、衆生法の十妙を加えるのである。「観心の四十妙」は、観心といっても天台家のそれで、右の四十妙の法に附して、もって己心を観ずるを観心の四十妙という。
以上のことから、われわれは、南無妙法蓮華経と唱える、その題目の妙の一字に、実にこれほどまでに深い、無量の哲理と力とが全て包含されていることを知らなければならない。それを日寛上人は文段に「故に一返口唱の功徳広大なり」と讃嘆されているのである。
妙とは具の義なり具とは円満の義なり
「観心本尊抄」に「無量義経に云く『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云、法華経に云く『具足の道を聞かんと欲す』等云云、涅槃経に云く『薩とは具足に名く』等云云、竜樹菩薩云く『薩とは六なり』等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり』吉蔵疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』天台大師云く『薩とは梵語なり此には妙と翻ず』等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:11)と。
上の観心本尊抄の御文にいっさいは尽くされているといっても過言ではない。妙の一字すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経はいっさいの功徳善根を円満に具足しているがゆえに、仏道修行はこの御本尊を受持することに尽きてしまうのである。
おそれおおい譬えであるが、機械は高度化すればするほど、操作は単純化するように、宗教もまた、高度であればあるほど、修行は単純となるのである。
ただ朝晩の勤行と題目、そして各々の力に応じて隋力弘通していくことでいっさいが具足される単純明快な日蓮大聖人の教えこそ、最も二十世紀の現代に叶った、しかも世界的普遍性を有する真の大宗教なりと声を大にして世に訴え通していこうではないか。
如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し
この如意宝珠の譬えに関連して、日寛上人は「既に妙法の宝珠を持つ故に内外に就いて用心あれ」と、二つの難に気をつけよと戒められている。
その一の難は焼亡、すなわち不信謗法の火であり、もう一つは盗難、すなわち、悪鬼魔王の障碍である。
まことにその通りであり、この御本尊を受持した者は、自己自身の内より起こる不信と、諸宗の輩による障碍とに心して警戒し、生涯この 御本尊を護持しきっていくことが肝要である。
もし、不信謗法の炎に焼失し、あるいは謗法の悪鬼にすかされて御本尊をはなしたときには、「九仭の功を一簣に虧き」、「千年のかるかやも一時にはひとなる」(1091:02、兵衛志殿御返事)の御金言のごとく、これまで積んだ福運も一瞬に水泡に帰することを覚悟すべきであろう。
第八章 変毒為薬の原理
譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉・華菓・出来するが如し、爾前の秋冬の草木の如くなる九界の衆生・法華経の妙の一字の春夏の日輪にあひたてまつりて菩提心の華さき成仏往生の菓なる、竜樹菩薩の大論に云く「譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」云云、此の文は大論に法華経の妙の徳を釈する文なり、妙楽大師の釈に云く「治し難きを能く治す所以に妙と称す」等云云、総じて成仏往生のなりがたき者・四人あり第一には決定性の二乗・第二には一闡提人・第三には空心の者・第四には謗法の者なり、此等を法華経にをいて仏になさせ給ふ故に法華経を妙とは云うなり。
現代語訳
さらに譬えていえば、秋冬のあいだ枯れていた草木が春夏になって太陽のあたたかい光を浴びて枝葉や花や実が出てくるようなものである。爾前四十余年のあいだは秋冬の草木のようであった九界の衆生が、法華経の妙の一字という春夏の太陽にあって、菩提心の花が咲いて成仏往生の実がなるのである。このことを竜樹菩薩の大智度論第百には「譬えば大薬師がじょうずに毒を用いて薬とするようなものである」と述べている。この文は、大智度論で法華経の妙の功徳を解釈した文なのである。妙楽大師は弘決に解釈して「爾前経で治し難い衆生をよく治して成仏させる、この理由によって法華経を妙というのである」と述べている。総じて成仏往生のでき難い者に四種類の人がいる。第一は決定性の二乗であり、第二は法華誹謗の一闡提の人であり、第三は外道の空心の者であり、第四は謗法の者である。これらの人々すら法華経においては成仏させたのである。この故に法華経を妙というのである。
語釈
菩提心の華さき成仏往生の菓なる
菩提心は菩提を求め成仏を志す心。草木の花を仏道修行、果実を成仏にたとえ、因果を説いている。衆生は法華経に至って成仏するのである。
竜樹菩薩
付法蔵の第十四。仏滅後700年ごろ、南インドに出て、おおいに大乗の教義を弘めた大論師。梵名はナーガールジュナ(Nāgārjuna)。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗経を学んでいたが、のちヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。南インドの国王が外道を信じていたので、これを破折するために、赤幡を持って王宮の前を七年間往来した。ついに王がこれを知り、外道と討論させた。竜樹は、ことごとく外道を論破し、国王の敬信をうけ、大乗経をひろめた。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
大論
大智度論の略称。智論ともいう。百巻。竜樹作と伝えられる。鳩摩羅什訳。大智度論の「智度」とは般若波羅蜜の意訳。「摩訶般若波羅蜜経釈論」ともいう。すなわち「摩訶般若波羅蜜経」(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)の注釈書。序品を三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。内容は法華経等の諸大乗教の思想を取り入れて解釈しているので、たんなる一経の注釈書というにとどまらず、一切の大乗思想の母体となった。
決定性の二乗
決定種性のこと。爾前経で声聞・縁覚の二乗は六道へも、菩薩・仏界へも絶対に出ることができないとした。この二乗をさして「決定性」とよんだ。法相宗ではとくにこれを強調し、法華経とは爾前と逆に、一乗方便・三乗真実と立てる。
空心の者
空理を観じ、空見に執着する外道の者。爾前の諸教においては不定仏と説かれた。日蓮大聖人は空心の者も法華経により成仏できると説かれている。
講義
本章から第11章までは、妙用の具徳を難治・能治に約して明かされる段である。本章はそのうち総じて明かす段である。妙の功徳を草木の蘇生に譬え、薬師の病を治するに譬えて説かれている。しかして秋冬の枯れた草木、治しがたき病人にあたるのが「成仏往生のなりがたき者」すなわち第一に「決定性の二乗」、第二に「一闡提人」、第三に「空心の者」、第四に「謗法の者」である。これらの人々をさえも成仏せしめるのが法華経の力であり、故に妙と称するのである。
「決定性の二乗」とは、語訳にあるように、法相宗の教義から出たもので、小乗の法に執着し、決定して二乗になる人々のことである。現代でいえば、自己の学問、芸術の完成のみを至上とし、人の不幸には心も動かさず、ときには、人の生命すらその目的のためには犠牲にするのもやむを得ないとするような人々である。
「一闡提人」とは不信の人である。涅槃経には「一闡を信と名づけ、提を不具と名づく、信を具せざる故に一闡提と名づく」とある。次に第三の「空心の者」とは、空理を観じ空見に執する者と釈し、仏法の因果の理法を信じない者である。第四の「謗法の者」とは、正法を誹謗する者である。有名な法華経譬喩品の「若し人は信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん(中略)其の人は命終して阿鼻獄に入らん」の「若し人は信ぜずして」とは一闡提であり、「此の経を毀謗せば」は謗法である。
以上のうち、仏法上、最も罪が重いのは、一闡提、謗法であるが、それをも救うのが妙法の功力なのである。
「法華取要抄」にいわく「涅槃経に云く『譬えば七子の如し父母平等ならざるに非ざれども然も病者に於て心則ち偏に重し』等云云、七子の中の第一第二は一闡提謗法の衆生なり諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり、諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり」(0335:06)と。
いわんや「決定性の二乗」、「空心の者」は、大御本尊の大慈悲の前には、まだまだ軽い罪である。ただし、この大慈悲をわが身に受けるか否かは、おのおのの信心の厚薄によることは勿論である。
第九章 悪人提婆の成仏を挙げる
提婆達多は斛飯王の第一の太子・浄飯王にはをひ・阿難尊者がこのかみ・教主釈尊にはいとこに当る・南閻浮提にかろからざる・人なり、須陀比丘を師として出家し阿難尊者に十八変をならひ外道の六万蔵・仏の八万蔵を胸にうかべ五法を行じて殆ど仏よりも尊きけしきなり、両頭を立てて破僧罪を犯さんために象頭山に戒壇を築き仏弟子を招き取り、阿闍世太子をかたらいて云く我は仏を殺して新仏となるべし太子は父の王を殺して新王となり給へ、阿闍世太子・すでに父の王を殺せしかば提婆達多は又仏をうかがい大石をもちて仏の御身より血をいだし阿羅漢たる華色比丘尼を打ちころし五逆の内たる三逆をつぶさにつくる、其の上瞿伽梨尊者を弟子とし阿闍世王を檀那とたのみ五天竺・十六の大国・五百の中国等の一逆・二逆・三逆等をつくれる者は皆提婆が一類にあらざる事これなし、譬えば大海の諸河をあつめ大山の草木をあつめたるがごとし、智慧の者は舎利弗にあつまり・神通の者は目連にしたがひ・悪人は提婆に・かたらいしなり、されば厚さ十六万八千由旬・其の下に金剛の風輪ある大地すでにわれて生身に無間大城に堕ちにき、第一の弟子瞿伽梨も又生身に地獄に入る旃遮婆羅門女も・おちにき・波瑠璃王もをちぬ善星比丘もおちぬ、又此等の人人の生身に堕ちしをば五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国の人人も皆これをみる、六欲・四禅・色・無色・梵王・帝釈・第六天の魔王も閻魔法王等も皆御覧ありき、三千大千世界・十方法界の衆生も皆聞きしなり、されば大地・微塵劫はすぐとも無間大城を出づべからず、劫石はひすらぐとも阿鼻大城の苦は・つきじとこそ思い合いたりしに、法華経の提婆品にして教主釈尊の昔の師・天王如来と記し給う事こそ不思議にをぼゆれ、爾前の経経・実ならば法華経は大妄語・法華経実ならば爾前の諸経は大虚誑罪なり、提婆が三逆を具に犯して其の外無量の重罪を作りし天王如来となる、況や二逆・一逆等の諸の悪人の得道疑いなき事譬えば大地をかへすに草木等のかへるがごとく堅石をわる者・輭草をわるが如し、故に此の経をば妙と云ふ。
現代語訳
提婆達多は斛飯王の第一の太子で、浄飯王には甥に、阿難には兄で、釈迦には従弟にあたり、南閻浮提においては決して軽い身分ではない人である。須陀比丘を師匠として出家し、阿難尊者から十八変の神術を習い、外道の六万蔵、仏の説く八万法蔵を胸にうかべ、五法の修行を行じて、ほとんど仏よりも尊いかにみえたのである。ところが仏と相対立して破僧罪を犯すことを企んで象頭山に戒壇を築き、仏弟子を招き味方にひき入れ、阿闍世太子をかたらっていうには「自分は釈迦を殺して新仏となろう。太子は父の頻婆舎羅王を殺して新王となり給え」と。その後阿闍世太子は父の王を殺したので、提婆達多もまた釈迦を殺そうとつけねらい、あるとき大石をもって釈迦の身体から血を出させた。また阿羅漢である華色比丘尼を打ち殺し、五逆罪のうちの三逆罪を犯したのである。そのうえ瞿伽梨を弟子とし、阿闍世王を檀那とたのんで勢を張ったので、五天竺、十六の大国、五百の中国等の一逆、二逆、三逆等を作った者はことごとく提婆達多の眷属でない者はなかった。そのありさまは、譬えば大海が諸河の水をあつめ、大山が草木をあつめたようなものであった。智慧ある者は智慧第一の舎利弗の下にあつまり、神通力を会得した者は神通第一の目連に従い、悪人は提婆達多の下にかたらうこととなったのである。その結果、厚さ十六万八千由旬もあり、その下には、最も堅い金剛の風輪さえある堅固な大地が裂けて、提婆は生きながら無間大城に堕ちてしまった。第一の弟子瞿伽梨もまた生身のまま地獄に入り、旃遮婆羅門女も地獄へ堕ち、波瑠璃王も善星比丘も堕ちたのである。一方これらの人々が生身のまま地獄に堕ちたのを五天竺、十六の大国、五百の中国、十千の小国の人々も皆これを見た。六欲天の者も、四禅天の者も、色界の者も、無色界の者も、梵王、帝釈、第六天の魔王も閻魔法王も皆これを御覧になったのである。三千大千世界の衆生も十方法界の衆生も皆この事件のことを聞いたのである。したがって、あらゆる人々が「これほどの逆罪を犯した提婆とその一類は、大地微塵劫という長い期間が過ぎても無間大城を出ることができるはずがない、天女の羽衣で磨り削って劫石が削られて薄くなるくらい長い期間が過ぎても阿鼻大城の苦しみは尽きるまい」と思い合っていたところが、法華経の提婆品において「提婆達多は釈尊の昔の師匠・阿私仙人で、未来には成仏して天王如来となるであろう」と授記された事こそ全く不思議なことであった。これを考えてみると、爾前の経々が真実であるなら法華経は大妄語の経であり、法華経が真実であるならば爾前の諸経は大虚誑罪にあたる。しかし法華の方が真実なのである。提婆達多がつぶさに三逆罪を犯し、そのほかに無量の重罪を作りながらも、天王如来となったのである。まして二逆や、一逆罪を犯した諸の悪人の成仏得道が疑いないことは、譬えていえば、大地を覆せば、その上の草木等も覆るように、また堅い石を割ることのできる力もちが輭かい草を破ることなど当然できるのと同じである。故にいっさいの悪人を成仏させるこの法華経の力用を妙というのである。
語釈
斛飯王
浄飯王の弟で、釈尊には叔父にあたる。したがって、提婆達多・阿難の兄弟たちは釈尊の従弟になるわけである。
浄飯王
梵語、シュッドーダナ(Śuddhodana)。インド迦毘羅衛の王で、釈尊の父。はじめ釈尊の出家に反対したが、後に釈尊の化導によって仏法に帰依した。夫人を摩耶という。
阿難尊者
梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
教主釈尊
一代聖教の教主である釈尊のこと。釈尊には六種、蔵教・通教・別教・法華迹門・法華本門・文底独一本門の釈尊があるが、釈尊教主は教法の主導の意で、法華文底独一本門の教主、日蓮大聖人のこと。ただし御文によってまれに、インド応誕の釈迦仏をさす場合もある。
南閻浮提
須弥山の南にある州。起世経巻一に「須弥山王の南面に州あり、閻浮提と名づく、其の地縦広七千由旬にして、北は闊く南は狭く、婆羅門車闊のごとし、その中の人面もまた地の形に似たり、須弥山王の南面は天晴瑠璃より成りて閻浮提州を照らせり。閻浮提州に一大樹あり、名づけてという、其の本は亦縦広七由旬にして」とあり、竜樹菩薩の大智度論三十五にも「閻浮は樹の名、その林茂盛、此の樹は林中において最も大なり、提は名づけて州となす、此の州上に樹林あり」等と述べられている。仏法有縁の人間の住する国土で、現代でいえば、地球全体、全世界を意味する。法華経普賢品に「閻浮提内広令流布」とあるのは、法華経本門寿量品の文底に秘沈された三大秘法が全世界に広宣流布との予言である。ゆえに、御義口伝に「当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり」とある。
須陀比丘
増一阿含経に出てくる。提婆達多の神通の師。
外道の六万蔵
インドのバラモン経典のすべて。
仏の八万蔵
仏教の典籍のこと。八万は数ではなく、多数・すべての典籍を意味する。
五法
弘決の婆沙説によれば、①糞掃衣(人の捨てた汚れた衣を洗って作り直して着る)。②常乞食(常に托鉢をする)。③一坐食(一日に一度しか食事をとらない)。④常露座(常に樹下石上に坐って、室宅で坐らない)。⑤塩および五味を受けず(塩および酸・苦・甘・辛・鹹の五味をとらない)。以上の五法を提婆は行じて、釈尊より優れていると見せ、人々の心をひきつけようとした。
両頭を立てて破僧罪を犯さんために
両頭とは、提婆が釈尊と対抗して教主になろう、サンガの首領となろうと野望をいだいて、釈尊への対抗勢力をつくろうとした意。破僧罪とは提婆が中心になって、釈尊から弟子を奪って、和合僧団を破ったこと。
象頭山
伽耶山のこと。伽耶城の西南にある山で、頂上の形が象の頭に似ているのでこの名がついた。提婆達多はこの象頭山に住し、釈尊に対抗するために戒壇をつくった。またある説によると、釈尊一行がこの山の麓にさしかかったときに大石を落とし、釈尊の小指より血を出したといわれる。
戒壇
受戒の儀式を行う場所。場内で高く築くので壇という。
阿闍世太子
阿闍世は梵語アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳される。釈尊在世における中インドのマガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿仏経疏によると、父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ、山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろうと予言した。そこで王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ、占い師は「男子が生まれるが、その子は王のとなるであろう」と予言したので、やがて生まれた男の子は未だ生まれないときから怨みをもっているというので未生怨と名づけられた。王はその子を恐れて夫人とともに高い建物の上から投げ捨てたが、一本の指を折っただけで無事だったので、阿闍世王を別名婆羅留枝ともいう。長じて提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って殺そうとするなどの悪逆を行った。後、身体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど、仏法のために尽くした。
仏の御身より血をいだし
提婆達多は釈尊を殺害するために耆闍崛山の上から大石を投下したが果たすことができなかった。「血を出だせし」とあるのは、その際、釈尊の足指から血が出たことをいう。
華色比丘尼
蓮華比丘尼ともいう。一説によると、はじめ淫女であったが、目連の化導により釈尊の弟子となり、ついに阿羅漢果を得た。提婆達多の謗法を大いに呵責したために、怒った提婆により拳で打ち殺された。
五逆
五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。
檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。
五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国
インドを構成している国のことで、東・西・南・北・中天竺を中心に、さらに細分化されていた。大国とは土地が広く人口の多い国。大きさによって大中小とわけた。仁王経受持品には十六の大国の名前を列記している。すなわち、「吾今三宝を汝等一切諸王に付嘱す。憍薩羅国、舎衛国、摩竭提国、波羅奈国、迦夷羅衛国、鳩尸那国、鳩腅弥国、鳩留国、罽賓国、弥提国、伽羅乾国、乾陀羅国、沙陀国、僧伽陀国、揵崛闍国、波提国、是のごとき一切の諸国王等、皆般若波羅蜜を受持すべし」と。一説には人口10,000人以上の国を大国、4,000~10,000人の国を中国、700~3,000人の国を小国という。
舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
神通
凡夫には計り知ることができない超人的な能力。
目連
梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahāmaudgalyāyana)といい、摩訶目犍連、目犍連とも書き、菜茯根、采叔氏などと訳す。釈尊十大弟子の一人。神通第一といわれた。仏本行集経巻四十七等によると、マカダ国の王舎城の近くのバラモンの出で、舎利弗と共に六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、更に真実の法を求めて釈尊の弟子になったという。法華経授記品第六で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。盂蘭盆経上によると、餓鬼道に堕ちた亡母を釈尊の教えに従って救ったといわれる。
旃遮婆羅門女
略して旃遮女という。腹の中に鉢を入れて釈尊の子をみごもったといい、釈尊を誹謗した業因によって、無間地獄に堕ちた。
波瑠璃王
梵名ヴィルーダカ(Virūḍhaka)の音写。毘瑠璃王・流離王とも書く。悪生王等と訳す。釈尊在世時の中インド・コーサラ国(舎衛国。現在のウッタルプラデーシュ州北東部)の王。大唐西域記巻六等には「父王波斯匿が位についたとき、釈迦族の種姓が尊高なので、カピラバストゥ(迦毘羅衛城)に妃を求めた。舎衛国は大国であり、波斯匿王が暴悪なので、この要求に応じないわけにはいかず、釈迦族の美しい婢の娘を選んで結婚させた。波瑠璃がある日、迦毘羅衛城に行ったとき、釈尊を迎えるために造り、だれにも踏ませなかった大講堂にふみこんだので、釈迦族の人々は怒って、卑賤の婢が波瑠璃を生んだ事実を話して辱(はず)かしめた。波瑠璃は、即位後は必ず釈迦族を滅ぼすといい、後に父王を放逐し、国王となり、ただちに釈迦族を全滅させた」とある。しかし、その後七日目に、釈尊の予言どおりに焼死して地獄へ堕ちた。
十千の小国
インドを構成している国のことで、東・西・南・北・中天竺を中心に、さらに細分化されていた。一説には人口700~3,000人の国を小国という。
六欲
欲界には六重の天がある。すなわち四王天・忉利天・夜摩天・兜率天・化楽天・他化自在天で、このうち四王天は須弥山の中腹にあり、忉利天は須弥山山頂にあるという。これを地居天また三十三天と名づけ、兜率天以上は空中にあるので、空居天と名づける。なお、欲界とは、下は地獄界から上は天上界の六欲天までのすべてを含み、食欲、性欲などの欲望の世界である。
四禅
四禅定のこと。欲界を離れて色界の四禅天に生ずる初禅・二禅・三禅・四禅の四種類の禅定のこと。
色
色界のこと。欲界の外の浄名の世界とされ、物質だけが存在する天上界の一部をいう。これに十八天がある。
無色
無色界のこと。仏質のない精神の世界で、最上の天上界をさす。色界は六欲天より高く、無色界は色界よりさらに高いところにあるとされる。
梵王
大梵天王のこと。仏教の守護神。色界の初禅天にあり、もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされたブラフマン(Brahman)を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
第六天の魔王
他化自在天王のこと。欲界の天は六重あり、他化自在天はその最頂・第六にあるので第六天といい、そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。三障四魔のなかの天子魔にあたる。
閻魔法王
閻魔は梵語ヤマ(Yama)の音写。炎魔・琰魔・閻魔羅とも書く。死者が迷い行く冥界の主である。一説によると、死者は五週間に閻魔法王のところに行く。王は猛悪忿怒の形相で、浄頬梨鏡に映った死者の生前の業を裁くという。
三千大千世界
古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
劫石
劫の長さを決める石のこと。天人が天衣をもって磨減らす大石のこと。石が衣によって磨滅し尽くしたときを一劫といい、無限の時間を表わしている。
提婆品
妙法蓮華経提婆達多品第12のこと。法師品と見宝塔品が功徳の深重をあげて流通を勧めたのに対し、かつての提婆の弘教と、釈尊の成道の両方を兼ね益した前例を引いて、功徳の深重を証し、流通を勧めるのである。まず前段に国王と阿私仙人の昔話をあげ、釈尊が「果を採り、水を汲み薪を拾い食を設けて」千年間給仕するところの苦行のありさまを説いている。その阿私仙人とは提婆達多のことであり、この大権の聖者が、業因感果の理を示すために、みずから五逆を作り、現身で地獄に堕ちたが、妙法の効力によって、天王如来の記別を受けたのである。迹門正宗八品では声聞の作仏の得記を明かし、流通分にはいって法師品では善人成仏を明かしたのに対して、この提婆品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色心が本有の境智を顕わしているので、すなわち、理性の即身成仏を説いたのであるが、この品では地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏をといたのであるから、事相の即身成仏が説かれたのである。
講義
悪人成仏
この章は、提婆達多の成仏をとおして、別して悪人成仏を明かし、もって治し難きものまでよく治する偉大な妙法の力用の徳を示しているところである。提婆達多の成仏は善悪不二、邪正不二、邪正一如の原理を示している。釈尊を宿世の敵とまで憎み、あらゆる陰謀をめぐらし、死に追いやること幾度という大逆罪の衆生であった。この提婆達多が法華経にて、天王如来の記別を受けたのである。しかも法華経提婆達多品に説くところによれば、提婆は無量劫の昔、阿私仙人という仙人であって法華経をもっていたとある。そのとき、釈尊の因位の修行の姿は壇王という国王であって、この阿私仙人を師匠として千歳の間、仕えきったのである。
実に不思議なことではないか。いままで、五逆罪と謗法の者は、永久に無間地獄の焔にむせび、絶対に救われないものとされていた。提婆達多は、五逆罪どころか、生涯かけて釈尊を徹底的に迫害し、謗法の限りを尽くしたのである。当時のサンガを拠点として活動していた新興宗教界の実情を研究してみると、既成の婆羅門教に反対する革新思想家群が興隆していたが、これがいわゆる六師外道である。提婆はそのなかで徹底して教条主義者で、それなりに確信をもっていたと考えられる。そのために釈尊を異端と見なして、仏を弾圧することを正しい行為と誤り、かつ頑固に信じこんでいたものと思われる。
その提婆達多が過去に阿私仙人という法華経の行者であったということ、かつ成仏の記別を与えられたということは、霊山会に参集した大衆にとっては青天の霹靂であったろう。過去に阿私仙人という法華経の行者であったのが、なぜ提婆達多の姿をとり、無間地獄に堕ちたかは、一つには業因業果の理を衆生に示さんがためであり、二つには、釈尊の大善を、いよいよ盛んならしめようとしたためである。これだけの事をなし遂げ得る者は、過去の師であり、かつ大きな生命力をもった法身の大士である提婆以外にはなかった訳である。
第一の業因業果の理については、第二代戸田会長が次のように述べている。
「再往この問題を考える時には、釈尊にしても大聖人にしても、およそ仏法を説かれるにあたっては、前世の業因が今世の業果と現われることを確信しているのである。また、それは生命の哲理なのである。現代の人々は過去に生き、現在も生き、未来もまた生命活動をなすのであるということを、なかなか信ずる者が少ない。しかし、われわれは皆、過去世の業因をもって現世に生まれてきているのである。されば阿私仙人が提婆達多と生まれてきて、釈尊の仏法を助け、業因業果を衆生に示したことは当然のことである。過去の師匠が今世の弟子となって現われたのである」と。
釈尊と提婆達多の関係は、今世だけでなく過去遠々劫よりの関係である。あるときは師匠となり、またあるときは悪人の姿をとって説法を助ける等、未来永劫にわたって連続しゆくものであることが明かされている。
第二に、釈尊の大善をいよいよ盛んならしめるためには、およそ悪がなければ、善をあらわすことはできない。ゆえに爾前経では「悪がなければ以って賢善を顕わすことができない。このゆえに提婆達多は無数劫以来、つねに釈尊とともにあって、釈尊は仏道を行じ、提婆は非道を行じてきた。しこうして、互いに啓発してきたものである」と。しかるに、対悪顕善が終われば、悪の全体は即これ善である。ゆえに法華経では善悪不二、邪正一如、逆即是順となるのである。この原理は爾前教には説かれなかった奥底の義である。
なお日寛上人の文段によれば「今日の提婆今に阿鼻大城に在らざらんや―これ展転無数劫の規則を示すなり―『法華経にて召し還して天王如来と記せらる』云云と、豈・相違に非ずや。答う、今文は外用に約する故に『今に在り』と云うなり、彼の文は内証に約する故に『召し還して』と云うなり、是れ則ち調達は実にはこれ法身の大士なり。故に内証に約すれば任運自在にして往還無碍なり云云」とある。
法華経で提婆達多が天王如来なりと説かれたことは、法華経の偉大さ、深さを示すものである。
七重の具縛によって絶対に脱出することのできない無間大城といえども、妙法の大力用によれば出られるのである。極悪の末法の衆生が立派に人間革命できるのは、ひとえにこの原理によるのである。その妙法の所詮の法体が御本尊なのである。
「呵責謗法滅罪抄」にいわく、
「提婆達多は仏の御敵・四十余年の経経にて捨てられ臨終悪くして大地破れて無間地獄に行きしかども法華経にて召し還して天王如来と記せらる」(1131:16)と。
地獄界所具の仏界
提婆達多の成仏を生命論からみれば、地獄界所具の仏界をあらわしているのである。
「観心本尊抄」にいわく「経に云く『提婆達多乃至天王如来』等云云地獄界所具の仏界なり」(0240:08)と。地獄界に仏界を具するならば、十界を具することが明らかであり、悪人提婆の成仏は十界互具の哲理を理解させるために事実の上から説き明かした文証の一つである。
提婆達多は三逆罪を犯し、大地がわれて地獄に堕ちたとされているが、これはあくまでも境涯論であって、地獄というも人間生命の一実相を説いているのである。地獄の地とは最低という義であり、獄とは拘束された不自由な境涯を意味する。併せて十界の最低であり、極苦不自由の境涯を地獄というのである。「顕謗法抄」等にも八大地獄の凄じい様相が説かれているが、それは、何もこの現実世界から離れた別世界にあることではない。われわれの日常生活で、病気、貧困、家庭の不和、子供の不良化等に苦しみ悩むすがたが、そのまま地獄ではないか。そして懊悩にさいなまされているときは、気力も失せ、下へ下へと引っぱられていく感じがするものである。
また、地獄の寿命についても、非常に長い時間論が説かれているが、これも苦しんで悩んでいるときには、時間の経つのが遅く長く感じられることと通ずるのである。このように、主体である人間が地獄の境涯になったとき、依正不二の原理で、その環境もまたその人にとっては地獄となる。苦悩のどん底にある人にとっては、他の人には楽しかるべきものであったとしても、苦痛を増すものでしかない。
この地獄界の生命は誰人といえども備えているのである。ここで妙法を信じない者は、地獄界に覆われた不幸な生活を解決する術を知らないで、六道輪廻の人生を歩んでいく。ところが、地獄界に覆われた生命といえども、一念三千の当体なるが故に、本来、尊厳極まりなき仏界の生命をも備えているのである。
「御義口伝」にいわく「如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり」(0753:第四如来如実知見三界之相無有生死の事:01)と。「如来」とは、最も清浄な、力強い、何ものにも左右されない金剛不壊の仏の生命である。
第十章 女人成仏を明かす
女人をば内外典に是をそしり三皇五帝の三墳五典に諂曲の者と定む、されば災は三女より起ると云へり国の亡び人の損ずる源は女人を本とす、内典の中には初成道の大法たる華厳経には「女人は地獄の使なり能く仏の種子を断つ外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」と云い、雙林最後の大涅槃経には「一切の江河必ず回曲有り一切の女人必ず諂曲有り」と、又云く「所有三千界の男子の諸の煩悩・合集して一人の女人の業障と為る」等云云、大華厳経の文に「能く仏の種子を断つ」と説かれて候は女人は仏になるべき種子をいれり、譬えば大旱颰の時・虚空の中に大雲をこり大雨を大地に下すに・かれたるが如くなる無量無辺の草木・花さき菓なる、然りと雖もいれる種はをひずして結句・雨しげければ・くちうするが如し、仏は大雲の如く・説教は大雨の如く・かれたるが如くなる草木を一切衆生に譬えたり、仏教の雨に潤い五戒十善禅定等の功徳を修するは花さき菓なるが如し、雨・ふれどもいりたる種のをひずかへりて・くちうするは女人の仏教にあひて生死を・はなれずして・かへりて仏法を失ひ悪道に堕つるに譬ふべし、是を「能く仏の種子を断つ」とは申すなり、涅槃経の文に一切の江河のまがれるが如く女人も又まがれりと説かれたるは、水はやわらかなる物なれば石山なんどの・こわき物にさへられて水のさき・ひるむゆへに・あれへ・これへ行くなり、女人も亦是くの如く女人の心をば水に譬えたり、心よわくして水の如くなり、道理と思う事も男のこわき心に値いぬればせかれて・よしなき方へをもむく、又水にゑがくに・とどまらざるが如し、女人は不信を体とするゆへに只今さあるべしと見る事も又しばらくあれば・あらぬさまになるなり、仏と申すは正直を本とす故に・まがれる女人は仏になるべからず五障三従と申して五つのさはり三つしたがふ事あり、されば銀色女経には「三世の諸仏の眼は大地に落つとも女人は仏になるべからず」と説かれ大論には「清風は・とると云えども女人の心はとりがたし」と云へり。
此くの如く諸経に嫌はれたりし女人を文殊師利菩薩の妙の一字を説き給いしかば忽に仏になりき、あまりに不審なりし故に宝浄世界の多宝仏の第一の弟子智積菩薩、釈迦如来の御弟子の智慧第一の舎利弗尊者、四十余年の大小乗経の経文をもつて竜女の仏になるまじき由を難ぜしかども終に叶はず仏になりにき、初成道の「能く仏の種子を断つ」雙林最後の「一切の江河必ず回曲有り」の文も破れぬ、銀色女経・並に大論の亀鏡も空しくなりぬ智積・舎利弗は舌を巻きて口を閉ぢ人天大会は歓喜せしあまりに掌を合せたりき、是れ偏に妙の一字の徳なり、此の南閻浮提の内に二千五百の河あり一一に皆まがれり、南閻浮提の女人の心のまがれるが如し、但し娑婆耶と申す河あり繩を引きはえたるが如くして直に西海に入る、法華経を信ずる女人亦復是くの如く直に西方浄土へ入るべし是れ妙の一字の徳なり、
現代語訳
女人は仏教でも外道の典籍においても嫌われ謗られている。中国の三皇五帝の徳行を記した三墳五典には「女人は諂曲の者」と定めている。故に古くから災いは三女より起こるといわれ、国が滅び人が亡びる源は女人に根本があるといっている。仏教のなかでは釈迦初成道の大法である華厳経には「女人は地獄の使いであり、よく仏になる種子を断つ。外面は菩薩に似ているが、内心は夜叉のようなものである」といい、雙林最後の大般涅槃経には「いっさいの江河は必ず曲がっている、同様に、いっさいの女人もまた必ず諂曲を懐いている」と説いている。また涅槃経には「あらゆる三千大千世界の男子の諸の煩悩が合集して、一人の女人の業障となっている」と述べている。大華厳経の文に「よく仏になる種子を断つ」と説かれているのは、女人は仏になるべき種子を焦ってしまったという意味である。譬えば大旱颰のときに空中に大雲ができて大雨を大地に降らすと、枯れたようになっていた無量無辺の草木が蘇り、花が咲き実がなる。しかしながら焦れる種は芽を出さないのみか、結局雨が繁くふれば、腐って無くなってしまうようなものである。この譬えでは、仏は大雲にあたり、説教は大雨、枯れていたような草木は一切衆生に譬えたのである。衆生が、仏教の雨に潤い、五戒、十善戒、禅定などの功徳を修める姿は花が咲き実がなるようなものである。ところがせっかくの慈雨が降っても焦った種子からは芽が出ないばかりかかえって朽ちうせるのは、女人が仏教に巡りあえても生死の果縛を離れず、逆に仏法を失い、悪道に堕ちていくことを譬えたのである。これを「よく仏になる種子を断つ」というのである。涅槃経の文に「いっさいの江河が曲がっているように女人の心もまた曲がっている」と説かれているのは、水はやわらかいものであるから、石や山などの堅い物に遮られて水のさきがひるむために、向こうへこちらへと曲がりくねって流れて行く。女人もまたこれと同じで、女人の心を水に譬えたのである。すなわち、心が弱くて水のようである。これが正しいと思ったことも男の強い心にあってしまうと、塞き止められて、自分の思ってもいない方向へと趣くのである。また水の上になにかを描いても、それが残り止まらないようなものである。女人は不信をもって心の本体とする故に、現在は、こうだと考えていることも、また、しばらくたつと全然ちがった状態に変わってしまうのである。仏は正直をその本体とする故に、曲がる心を持つ女人は仏になることができない。また女人には五障三従といって五つの障りと従わねばならぬ三つのことがある。それ故、銀色女経には「三世の諸仏の眼が大地に落ちるというあり得ないことが起ころうとも女人は絶対に仏になることはない」と説かれ、大智度論には「たとえ、吹いている風を捉えることができても女人の心は捉えがたい」といっている。このように諸経に嫌われた女人であるが、文殊師利菩薩が妙法蓮華経の妙の一字を説いたところ八歳の竜女は忽に仏になったのである。あまりに不審である故に宝浄世界に住する多宝仏の第一の弟子智積菩薩と釈迦十大弟子のうちの智慧第一の舎利弗尊者が、四十余年の大小乗経の経文の意をもって竜女が成仏するはずがないと論難したけれども、ついに疑難は叶わず仏になったのである。この事実によって、初成道の時の教えである華厳経の「よく仏になる種子を断つ」雙林最後の涅槃経の「いっさいの江河には必ず回曲が有り、女人の心も同じである」の経文は破れてしまった。銀色女経ならびに大智度論の女人不成仏の亀鏡もことごとく空文となってしまった。智積菩薩と舎利弗は舌を巻いて口を閉じ、霊鷲山に集まった人界、天界の衆生は歓喜のあまり合掌して拝んだ。これ偏に妙法蓮華経の妙の一字の偉大な徳用によるのである。この南閻浮提のなかには二千五百の河があり、一つ一つ、皆ことごとく曲がっている。ちょうど南閻浮提に住む女人の心が曲がっているようなものである。但し娑婆耶という河があり、この河だけは縄を引いて延ばしたようにまっすぐに西海に流れ込んでいる。法華経を信ずる女人だけはこの河と同じようにまっすぐに西方浄土・すなわち成仏の境涯に入ることができる。これこそ偏に妙法蓮華経の妙の一字の徳用によるのである。
語釈
内外典
内道と外道にわたる典籍や伝承。
三皇五帝
中国古代の伝説上の天子。「三皇」①伏羲・神農・黄帝②燧人・伏羲・神農③天皇・地皇・人皇(所説あり)「五帝」①少昊・顓頊・帝嚳・尭・舜②黄帝・顓頊・帝嚳・尭・舜(他説あり)。これらの人々によって、中国における人倫の道が確立され、理想郷が実現したとされている。
三墳五典
三皇・五帝が著わしたとされる書。尚書の序に「三皇の書を三墳といい、五帝の書を五典という」とある。三墳の墳とは〝大道〟を意味し、五典の典とは〝常道〟を意味する。しかし、いずれも現存しているわけではなく、内容も不明である。
諂曲
自分の意志を曲げて、相手に媚びへつらうこと。
三女
中国の伝説中の三女で、夏の妹喜、殷の姐己、周の褒姒をいう。それぞれ国を滅亡させた女性である。妹喜は夏の傑王を、姐己は殷の紂王を、褒姒は周の幽王を溺れさせ、国を滅亡させてしまった。
初成道
インド生誕の釈尊が、菩提樹下で初めて悟りを成じたこと。
夜叉
梵語ヤクシャ(Yakṣa)の音写で、薬叉とも書き、暴悪等と訳す。森林に棲む鬼神。地夜叉・虚空夜叉・天夜叉の三類あって、天・虚空の二夜叉は飛行するが、地夜叉は飛行しないといわれている。仏教では護法神となり、北方・多聞天王(毘沙門天)の眷属。
雙林最後の大涅槃経
雙林とは拘尸那城跋堤河のほとりの沙羅雙樹の木のこと。沙羅とは梵語で樹名、釈迦は一木二双四方八株の沙羅雙樹に四方を囲まれた中において八十歳の年の二月十五日に入滅した。そのとき沙羅雙樹がことごとく白くなり、あたかも白鶴のように美しかったという。それで沙羅林を鶴林ともいう。釈迦の入涅槃の時と処を象徴して、雙林最後といい、そのときの説法である涅槃経を雙林最後の涅槃経というのである。涅槃経は法華経の流通分にあたる。
煩悩
貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能。
業障
三障のひとつ。悪業によって生じた障害。
仏の種子
成仏の種子。衆生の仏性をいう。衆生の成仏の因種を草木の種子にたとえたもの。
五戒
小乗教で、八斎戒とともに俗男俗女のために説かれた戒。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少ない。死んでは、また人に生まれ、慶幸をうけることができるという。
十善
十善戒のこと。正法念処経巻二に説かれている十種の善。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。身・口・意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で、十善道ともいう。大乗在家の戒。十善戒を持った者は、天上に生じては梵天王となり、世間に生じては転輪聖王となる等と説かれている。
禅定
心を一処に定めて散乱させず、煩悩を断って深く思惟する境地に入ること。戒・定・慧の三学のひとつ。また六波羅蜜の一つ。禅定を得るために結跏趺坐することが最も安定した坐法として用いられている。
五障三従
五障とは女人の五つの障害をいう。五礙ともいう。法華経提婆達多品第十二の竜女成仏の段に、舎利弗が女人は法器に非ず等と歎じ、更に女人の五障を数えて成仏を難ずる文に「又た女人の身には猶お五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何んぞ女身は速かに成仏することを得ん」とある。三従とは五障と並べて女人の劣機を示すのに使われる。三従とは、女人が一生涯において三つの服従すべきことをいう。「少くしては父母に従ひ、盛にしては夫に従ひ、老いては子に従ふ」(0472:06、女人成仏抄)と。仏教典、儒教典に通じ説かれている。
銀色女経
詳しくは仏説銀色女経という。元魏の仏陀扇多の訳。釈尊が過去世に銀色女として乳を施した功徳で変成男子して銀色王となり、命終えてのち、わが身を鳥獣や飢えた虎に施したことをもって不施の功徳と果報を説いた。
文殊師利菩薩
文殊菩薩のこと。菩薩の中では智慧第一といわれる。法華経序品では過去の日月灯明仏のときに妙光菩薩として現われたと説かれている。迹化の菩薩の上首で、普賢菩薩と対で権大乗の釈尊の左に座した。文殊菩薩を生命論から約せば、普賢菩薩が学問を究め、真理を探究し、法理を生み出す智慧、不変真如の理、普遍性、抽象性の働きであるのに対し、文殊菩薩の生命は、より具体的な生活についての隨縁真如の智、特殊性、具象性の智慧の働きをいう。
宝浄世界
多宝如来が住む土。宝塔品に「過去に、東方の無量千万億阿僧祇の世界に、国を宝浄と名づく。彼の中に仏有す、号を多宝と曰う」とある。生命論からいうならば、母の胎内である。御義口伝には「其の宝浄世界の仏とは事相の義をば且らく之を置く、証道観心の時は母の胎内是なり故に父母は宝塔造作の番匠なり、宝塔とは我等が五輪・五大なり然るに詑胎の胎を宝浄世界と云う故に出胎する処を涌現と云うなり、凡そ衆生の涌現は地輪より出現するなり故に従地涌出と云うなり、妙法の宝浄世界なれば十界の衆生の胎内は皆是れ宝浄世界なり」(0797一宝塔品)とある。
智積菩薩
多宝如来に従って法華経の会座にきている。「時に下方の、多宝世尊の所従の菩薩、名を智積と曰う。多宝仏に啓さく、当に本土に還りたもうべし。釈迦牟尼仏、智積に告げて曰わく、善男子、且く須臾を待て。此に菩薩あり、文殊師利と名づく。与に相見るべし。妙法を論説して、本土に還るべし」とある。
竜女
竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。
人天大会
釈尊の説法の会座に、大衆が衆合したことを大会といい、別して出生の対告衆である人海・天界の衆生の名をあげてこれを人天大会という。
娑婆耶
須弥山の西方にある拘耶尼州の河の名。普通、河は曲がりくねっているが、この河は真直ぐに西海に入っているといわれる。涅槃経に「この三千大千世界において、渚あり、拘耶尼と名づく、其の渚に河あり、端直にして曲らず、娑婆耶と名づく、喩えば直縄の如くにして、直に西海に入る」とある。
西方浄土
阿弥陀仏の住む西方十万億土の極楽浄土のこと。ここでは鎌倉時代に阿弥陀信仰が盛んであったために、西方浄土にことよせて成仏の境涯に入ることを示されたのであり、当抄の本義は娑婆即寂光の即身成仏をいう。
講義
第九章と同じく難治とされてきた女人成仏を明かされた段である。すなわち、初めに内外典で女人を嫌うことを明かし、次に「此くの如く諸経に」の下は、諸経の女人不成仏の説を断破して、法華経による作仏を明かし、三に「此の南閻浮提の内に」の下で、本門寿量文底の本尊を信ずる女人は、ことごとく妙法の妙の一字の功徳により成仏できると結している。
女人成仏の原理
女人が成仏できると明かしたのは法華経である。すなわち、法華経提婆達多品において、八歳の畜身の竜女が文殊師利菩薩の教化により成仏の身を現じて、女人成仏の実証を顕したのであった。
「御義口伝」にいわく「竜女とは竜は父なり女は八歳の娘なり竜女の二字は父子同時の成仏なり……されば女の成仏は此の品にあり」(0746:07)と。
だが外典にあっては、つねに女人は忌み嫌い通されたのであった。儒教の三墳五典では、女性は諂曲の者と定めている。諂曲とは、自分の意志を曲げて、相手に媚へつらうことをいうのである。つまり正しい道理による確信ある生活を貫きとおせない本質的性格、これが女性の一大欠陥とされてきた。
中国周代の人・栄啓期は、この世で女性と生れなかったことを楽しみの一つとたてており、本章に「災は三女より起ると云へり国の亡び人の損ずる源は女人を本とす」とあるごとく、外典では全く女性を嫌悪したのである。
内典の仏教も同様である。釈尊の初説法たる華厳経では女人は地獄の使いと断定され、男子が仏道修行していく上で、その成仏の原因を摘む者が女人であり、その姿は、外形は菩薩のごとき立居振舞いであるが、内心は猛悪な夜叉であると説き、釈尊一代五十年、最後の涅槃経でも「所有三千界の男子の諸の煩悩・合集して一人の女人の業障と為る」と説いている。あるいは銀色女経では「三世の諸仏の眼は大地に落つとも女人は仏になるべからず」等々と徹底して女性を斥けたのであった。
儒教道徳の三従の思想も見逃せない。すなわち、女性として生まれた以上、幼き時は親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従うとの義である。
しかして、女性は、三従の苦しみに縛られ、さらに仏法においても仏種を断ずる永不成仏の者として虐げられて、つねに苦しみと諦めのなかに終始してきたのであった。もし妙法が説かれなかったならば、女性は永遠にこの宿命に泣かなければならなかったであろう。
だが、法華経において、竜女の成仏を明かし、挙一例諸として竜女一人の成仏で女人全体の成仏が明示されたのである。
「開目抄」に「竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす、法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず、諸の大乗経には成仏・往生をゆるすやうなれども或は改転の成仏にして一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生なり、挙一例諸と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」(0223:10)と。
かくして、爾前経において罪業深重とされた女人も、法華経によって成仏を許されたのである。
「諸法実相抄」に「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360:08)と。
「妙法曼陀羅供養事」に「妙法蓮華経の御本尊供養候いぬ、此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり・天には日月の如し・地には須弥山の如し・生死海の船なり成仏得道の導師なり」(1305:01)と。
すなわち末法の御本仏・日蓮大聖人の顕された三大秘法の生命哲学により、男女平等の大原理が明かされ、等しく真実の幸福境涯を得ることが顕わされたのである。
法華経提婆品の「当時の衆会は、皆な竜女の忽然の間に、変じて男子と成って、菩薩の行を具して、即ち南方の無垢世界に往きて、宝蓮華に坐して、等正覚を成じ……」がそれにあたるのである。これは、女人が男子に変化するということではなく、女人もまた、男子と同様に仏界を顕現することができることを示したものである。
ここに真実の生命論を基に、生命それ自体の解放が明かされ、真実の民主主義の根底が築かれたのである。
古今東西にわたり、これほどの大原理を解明した思想、哲学、宗教は他に求めることができない。われらは女人成仏の原理、女性の最高の幸福が日蓮大聖人によって説き明かされた以上、妙法を唱え抜き、妙法に輝く新時代の女性像を実証しなければならない。
女性解放の歴史
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。」とは、明治の女性解放の先駆者、平塚雷鳥の言葉である。
2000余年を経た日本の女性史は、平塚雷鳥の言葉のごとく、〝母権社会〟を基盤とした明るいスタートをきっている。しかし、社会が進むと、中心には男性が替わり氏族社会が確立し、中国から儒教・仏教が伝来したころからは、女性の位置は一段と低くなった。
もっとも、鎌倉初期には北条政子にみるように、政治力をもった女性も出現しており、女性が相当に発言力を有した時期もあったようではあるが、それは、ほんの特例であり、かつ短期間のものであった。
女人は三従ありとかや
親に始めは身を任せ
盛りはをとこに従ひて
老の末には子をたのむ
鎌倉初期の歌人がうたったものである。
このうたが示すように、当時すでに三従思想は広く社会を支配していたのである。
フランスにおいては一八九七年にいたるまで、刑法上では妻はつねに完全な人格者とみなされ、いっさいの重・軽罪犯行について夫と全く同じくその責任を問われたが、契約の締結、公正証書の作成等にさいしては証人となることもできないありさまであった。
1793年、国民公会が人権宣言をした。平民婦人の代弁者オランプ・ド・グージュは、その人権が男権であり女権ではないことを感知した。そこで十七条から成る女権を定めパリの革命自治体に申し入れを行なった。そのなかの発言に「婦人に対して断頭台にのぼる権利があるならば、議政壇上にのぼる権利もまたなければならない」と。このオランプ・ド・グージュの要求はついに入れられず、それのみか、反逆者として断頭台にかけられたのである。婦人の女権獲得運動は灼熱化した。
「女性たちこそわが革命の前衛に立ったのである。それはなんら不思議なことではない。女性のほうが男たちよりもはるかに苦しみを味わっているからである」と、ミシュレ―は当時の婦人たちの姿を記している。
同じ人間でありながら、女性がなぜにかくも虐げられなければならなかったのか。
ベーベルは「婦人論」に「両性をいつも引き離しておいて、一方に他方のことがわからないようにさせているのは、わけてもキリスト教に起因する両性間の反目であって、これが、両性間のいっそう自由な交際、相互不信、性格的特性の相互の補いあいをさまたげているのである」と、キリスト教に起源することを喝破している。
わが国における、女性を忍従の位置においた男尊女卑の思想は、儒教によるものであり、さらにみるならば、法華経以前の爾前の教説が強く支配していたのである。
このように洋の東西を問わず、女性史をふりかえって見るに、女性の地位を低いところに追いこんでいたものは、キリスト教、儒教、そして爾前の諸経等であったのである。いまさらのように宗教思想の持つ影響力のおそろしさを考えさせられる。おそるべきは誤れる宗教・低級な思想である。
新時代の女性解放
明治、大正、昭和と、近代史の中に、女性革命運動家達の手によって繰り広げられた、血みどろな女性解放運動は、一応その目的を達成したかのようだ。女性の社会進出はめざましくなり、今日ほど、女性が自由に、全ての社会に活躍するようになったのは、わが国の女性史上、未曾有のことであろう。
だが、こうした社会の変革によって与えられた女性の今日の立ち場が、はたして女性に真実の幸福をもたらしているであろうか。
先に述べたように、仏法の大原理に照らして見るとき、今日のごとき体制や環境による女性解放は、全く根無し草のようなものといわざるを得ない。人間生命を束縛するところの〝哲学〟という名の封建主義―また、生命に内在する〝宿命〟というものからは、少しも解放されていないのである。
いかに環境が変わろうとも、個人のもつ、生命に内在するところの宿命に、奴れいのごとくしばられ、苦しみと悲惨な人生に泣く女性の姿が現実ではないか。ところが、仏法においては、妙法においては、女性である前に人間であることを教えている。法華経における竜女の成仏も、女人成仏も、その原理なのである。すなわち、妙法による人間解放なくして、真実の女性解放もないのである。
女人成仏とは、正しい人生観、生活観、社会観を強くもちつづけて、家庭や、職場や、ひいては社会に対して、幸福への価値を創造していくことにほかならない。過去の因習を脱し、宿命を転じ、生活の中に、社会の中に、たくましく、清らかな生命を湧現して、新時代を築きあげていく女性こそ、理想の女性像なのである。
「御義口伝」に「求女とは世間の果報・求男とは出世の果報・仍つて現世安穏は求女の徳なり後生善処は求男の徳なり」(0777:01)とある。
すなわち、男性の本質たる未来への建設という力づよくたくましい生命力が、ともすると好戦的、破壊的なものになるのに対して、現世安穏すなわち保守的な女性の本能は、生命を守り育て維持していく本質・全くの平和主義者として顕われるのである。
ギリシャの詩人アリストファネスは「女の平和」や「女の議会」などの戯曲でもって、奇想天外といわれる舞台を描いたが、女性の本質が平和主義者であることを知っていたからこそ、その多くの喜劇をとおして戦争指導者を槍玉にあげ、平和への希望を託したのではなかろうか。
池田会長は「生命の尊厳を護るものへ」と題する詩において、女性の本質を次のようにうたっている。
自由と平和と尊厳と
この象徴の戦士が女性であった……
……団結と幸福と解放と
最も地道に もっとも迅速に
生命の尊厳を身をもって護るものよ
永遠の平和と繁栄は
いずこにあるものでもない
あなたたちの純粋と力ある胸中にこそあるのだ……と。
このように諸経に嫌われた女人であるが自らの人間革命が中心となって、家庭革命すなわち幸福で明るい健康な家庭の建設を実現するのである。その偉大な力は、やがて社会をも革命し、希望に満ちた平和と繁栄の新社会をも実現しゆくことができるのである。
一生成仏をめざす妙法の女性が、そのエゴイズムを乗り越え、大目的に立って大きく力を結集したときこそ、偉大なる社会への価値創造であり、しかも一大平和勢力となりうるのである。妙法に生きる女性こそが、平和建設への旗手であり、新しき女性解放への歴史を開くパイオニアなのである。
第十一章 妙とは蘇生の義と説く
妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり、譬えば黄鵠の子・死せるに鶴の母・子安となけば死せる子・還つて活り、鴆鳥・水に入れば魚蚌悉く死す犀の角これに・ふるれば死せる者皆よみがへるが如く爾前の経経にて仏種をいりて死せる二乗・闡提・女人等・妙の一字を持ちぬれば・いれる仏種も還つて生ずるが如し、天台云く「闡提は心有り猶作仏すべし二乗は智を滅す心生ず可からず法華能く治す復称して妙と為す」と、妙楽云く「但大と云いて妙と名づけざるは一には有心は治し易く無心は治し難し治し難きを能く治す所以に妙と称す」等云云、此等の文の心は大方広仏華厳経・大集経・大品経・大涅槃経等は題目に大の字のみありて妙の字なし、但生る者を治して死せる者をば治せず、法華経は死せる者をも治するが故に妙と云ふ釈なり、
現代語訳
妙とは蘇生の義である。蘇生とは蘇るということである。譬えば、黄鵠の子が死んだときに鶴の母が子安、子安と鳴くと、死んだ子が蘇るとか、鴆鳥が水に入れば魚介類はことごとく死んでしまうが、その場合、犀の角に触れれば、死んだその魚介類が皆蘇るといわれているのがそれである。同様に、四十余年の爾前の経々で仏になる種子を焦って死んだ声聞・縁覚の二乗も一闡提人も女人も、いずれも妙法蓮華経の妙の一字を受持するならば、焦って死んだ仏種が蘇って芽を生ずるのである。天台は止観の第六に「一闡提の者は心があるゆえにまだ菩提心を起こして仏になる可能性が残っている。爾前では二乗は灰身滅智して身も心も無に帰するので、菩提心の母体である心も生ずることができない。だが法華経は闡提の重病も二乗の病もよく治すのでこの力用を称して妙というのである」と。妙楽は天台のこの釈を敷衍して弘決の第六に「爾前の諸経を、ただ大といって決して妙とは名づけない理由は、一つには心のある者は治しやすく、心のないすなわち死んだ者は実に蘇生し難いものである。だが法華経は、この無心の者をさえよく治す。故に妙と称するのである」と。これらの文の心は大方広仏華厳経、大集経、大品経、大涅槃経等は経題に大の字のみがあって決して妙の字を用いていない。したがって、ただ生きている者を治すが死んだ者は治せない。法華経は死んだ者まで蘇らせる故に妙と名づけるのであるとの釈である。
語釈
黄鵠
「黄鵠」は大鳥の名で、年長のつるのこと。中国では古来仙人が乗り、一挙に千里を飛ぶといわれる。仙人が乗る鳥に黄鶴がおり、同じ鳥ともいわれている。
子安となけば
子安は仙人の名前。黄子安のこと。李白の詩に「白龍は陵陽に降り、黄鶴は子安を呼ぶ」とある。
鴆鳥
「鴆鳥」は毒鳥の名で、中国の商州靳州南方の山中に住む鳥。雄を運日、雌を陰諧とよぶ。形は鷹に似て、ふくろうより大きい。色は黒く、目は赤いとされている。猛毒をもった鳥でその肉を食べると、たちどころに死ぬ。羽を浸して毒を作ることもできる。したがって魚蚌は鴆鳥が水に入ればたちまちに皆死んでしまうという。
犀の角
犀の角は皮膚の角化したもので、骨のしんはなく一生成長を続ける。本草綱目によると、夜露に濡れず、薬に入れると神験あらたかであるとのこと。通天といって、犀の角を魚の形に刻んで水のなかにいれると、水が三尺開くという伝説がある。昔はくりぬいた犀角形の木を連ねて浮き用具を作ったという。
二乗
十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
有心
①有情の衆生。②二乗以外の衆生。
無心
①心の無い非情。②灰身滅智した二乗。
大方広仏華厳経
華厳経のこと。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
大集経
方等部に属する経典で、欲界と色界の中間・大宝坊等に広く十法の仏・菩薩を集めて、説かれた大乗教である。欲界とは、下は地獄界から上は天上界までのすべてを含み、食欲や物欲、性欲などの欲望の世界である。色界とは、欲界の外の浄妙の色法、すなわち色質だけが存在する天上界の一部、十八天をいう。これに対して、精神の世界で、天上界の最上である四天を無色界という。大宝坊は欲界と色界の中間にあるとされたのである。漢訳には六種ある。①大方等大集経三十巻、北涼の曇無識訳。②大乗方等日蔵経十巻、高斉の那連提耶舍訳。③大方等大集月蔵経十巻、高斉の邦連提耶舍訳④大乗大集経二巻、高斉の邦連提耶舍訳⑤仏説明度五十校計経二巻、後漢の安世高訳⑥無尽意菩薩経、宋の智厳・宝雲共訳.大聖人の引用は③大方等大集月蔵経。法滅尽品には仏滅後における仏法の推移を五箇の五百歳に分けて説いた予言がある。すなわち「わが滅後に於いて五百年の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固(已上一千年)、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固(已上二千年)、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とある。
大品経
大品般若経のこと。般若経は大品・光讃・金剛・天王問・摩訶の五般若があり、仁王般若経を結経とする。釈尊が方等部の後、法華経以前の14年(30年説もある)に説いた経文で、説法の地は鷲峯山・白露池。訳には鳩摩羅什の「大品般若経」40巻、玄奘三蔵の「大般若経」600巻などがあり、前者を旧訳・後者を新訳という。玄奘の「大般若経」には仁王を除く五般若の大部分を含んでいる。
大涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」二巻。大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」四十巻。栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」三十六巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
講義
本章は初めは妙の義を明かし、そのなかに法・譬・合を挙げ、次に「天台」の下は文を引いて釈して妙用の具徳の段として結んでいる。前章までに、難治の三類のうち悪人成仏と、女人成仏とが明かされた。すなわち、三逆罪を犯した提婆達多や、五障の女人は、爾前経においては、徹底的に弾呵され、成仏できえないとされていた。まさに死の宣告をうけたも同然であった。
それらの提婆や、女人が法華経によって、成仏した事実こそ、実に妙といえるのである。妙とは蘇生の義であり、法華経にきて一切はよみがえったのである。故に法華経を妙法というのである。
しかしながら、本章における正意は二乗作仏にあることを知るべきである。それは、天台の摩訶止観第六の「闡提は心有り猶作仏すべし二乗は智を滅す心生ず可からず法華能く治す復称して妙と為す」の文を引用されていることでも明らかである。
それでは、なぜ二乗のみを挙げないで、闡提・女人を挙げたかといえば、まず妙の義を説明するゆえに、通じて、蘇生の類をあげられているのである。爾前経にて仏種をいりて死せる二乗が、法華経にて成仏したことこそ、真によみがえった姿ということができよう。
二乗作仏について
ここで二乗作仏について概略述べてみたい。二乗とは、いうまでもなく、十界のなかの声聞、縁覚である。この二乗を生活にあてはめるならば、声聞とは学問をこころざし、研究に専念する学者階層がこれに該当する。縁覚とは、それぞれの専門において、いわゆるその道の真理に接した、大学者、思想家また、大芸術家等をさすと考えてよいだろう。
釈尊在世の舎利弗・迦葉・須菩提・迦旃延等の人々が、この二乗に相当していたのである。ところがこれらの人々は、爾前の諸経においては仏に徹底的に嫌われ、弾呵されたのである。
すなわち、大集経では「二種の人有り必ず死して活きず畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず、一には声聞二には縁覚なり、譬えば人有りて深坑に堕墜し是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く声聞・縁覚も亦復是くの如し、解脱の坑に堕して自ら利し及以び他を利すること能わず」と。自分では悟りを得たかのように錯覚し、独り高しとして他の不孝な人々を救おうとしない、ところが、結局は、自分自身さえも救うことができないというのである。
「開目抄」においては、このような二乗を不知恩の者と断定されている。
すなわち「父母の家を出て出家の身となるは必ず父母を・すくはんがためなり、二乗は自身は解脱と・をもえども利他の行かけぬ設い分分の利他ありといえども父母等を永不成仏の道に入るれば・かへりて不知恩の者となる」(0192:05)と仰せである。
その他の爾前経においても、たとえば、維摩経には「已に阿羅漢を得て応真と為る者は終に復道意を起して仏法を具すること能わざるなり、根敗の士・其の五楽に於て復利すること能わざるが如し」とある。
また、方等陀羅尼経では「文殊・舎利弗に語らく猶枯樹の如く更に華を生ずるや不や亦山水の如く本処に還るや不や折石還つて合うや不や焦種芽を生ずるや不や、舎利弗の言く不なり、文殊の言く若し得べからずんば云何ぞ我に菩提の記を得るを問うて心に歓喜を生ずるや」と、枯れてしまった木は花が咲かない。山水の流れは再び源に帰ることがない。割れた石は元に合わさることがない、また、焦った種は芽が出ない、それと同じように、二乗も仏種を焦り焼き尽くして、絶対に成仏できないというのである。
ところが、法華経迹門にきてこれほどまで永不成仏と弾呵されていた二乗の成仏が許された。
「開目抄」にいわく「而るを後八年の法華経に忽に悔還して二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに」(0193:16)と。
まず方便品の開三顕一、開示悟入の四仏智見、仏の一大事因縁を聞いて、上根の舎利弗が開悟し、譬喩品において華光如来の記別を受ける、いわゆる法説周である。
つづいて、中根の迦葉、須菩提、迦旃延等は、譬喩品の長者窮子等の喩説を聞いて開悟し、授記品で記別を受ける。これが、譬説周である。さらに下根の富楼那・阿難・羅睺羅等は「仏が宿世の因縁、吾れ今当に説くべし汝等善く聴け」と、化城喩品で三千塵点劫の結縁を説くことによって悟るのである。富楼那および千二百の人は五百弟子品で、阿難らおよび学無学の二千人は人記品で、それぞれ記を受ける。この下根の声聞を因縁周といい、三周の声聞の説法が終わるのである。
このように、二乗作仏が明かされたことは、悪人成仏とならんで、十界互具を顕わし、一念三千成立の基本となるのである。なぜなら、地獄から菩薩にいたる九界のうち、七界までは、仏性を具しても、声聞・縁覚に具さないとなれば、十界互具にならない。また、この七界および仏界に、声聞・縁覚を具していたならば、そのために成仏得道できないことになってしまう。二乗の成仏を許さない爾前経においては、十界互具はありえないわけである。故に、百界千如、三千世間になる道理がない。
また、五陰・衆生・国土の三世間は法華経本門に入らなければ、あらわれないから、迹門においてすら、百界・千如までであって、一念三千にならない。このゆえに、迹門は、一応、本門の立ち場より望んで、一念三千の名目を附するが、理の一念三千にすぎない。
しかも、迹門においては、未だ始成正覚の生命観が骨子となっていて、久遠の本地が明かされていない。したがって二乗が作仏したといえども、根源の種子を覚知しえないゆえに本無今有の二乗作仏であって、真実の二乗作仏ではない。
したがって「開目抄」にいわく「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににたり」(0197:12)と。
本門寿量品に至って、「我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」と久遠の本地を明かすのである。さらに「娑婆世界説法教化」と国土世間が説かれて、事の一念三千となり、二乗作仏も定まる。
しかしながら、日蓮大聖人の文底仏法からみれば、以上はあくまでも理である。釈尊の一代聖教といえども、また法華経というも、ことごとく日蓮大聖人の仏法のために説かれたのであり、これらのさまざまな哲理も、大聖人の仏法を根本として、初めて、生かされてくることを知るべきである。
「開目抄」にいわく「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(189:02)とあるごとく、事行の一念三千の南無妙法蓮華経は、寿量品の文底に秘沈されているのである。
日寛上人は、「三重秘伝抄」に「寿量品の文底」とは、さらに寿量品第十六のいずれの文底であるかという点に、言及されていわく、
「聞いて能く之を信ぜよ是れ憶度に非ず、師の曰く『本因初住の文底に久遠名字の妙法・事の一念三千を秘沈し給えり』云云、応に知るべし、後々の位に登るは前々の行に由るなり云云」と。このなかの「久遠名字の妙法・事の一念三千」とは、南無妙法蓮華経であり、事の一念三千の大御本尊にほかならない。
本因初住とは、本因妙の「我本行菩薩道」の文の一番最初の時点にあたる。すなわち、本因とは、本因、本果、本国土の三妙のうちの本因であり、仏となった本因ということである。
天台は、別教の菩薩の修行の位を五十二位に分けた、いわゆる十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚である。このうち、十住と等覚・妙覚の位は円教の法華経にも会入されている。
ところで、釈尊が成仏できた本因を求めていくと、どうしても、十住の最初の位である、初住位にまでさかのぼらざるを得ない。十信はまだ、初信の段階であり、安定しておらず、いつ退転するかわからない位である。初住にきて初めて、信心の住処が定まり、不退転の位となる。したがって初住位に登れば必然的に妙覚に達することができるのである。
ところが、日蓮大聖人は、一重立ち入って、久遠元初の本因妙を立て、名字凡夫位において、直達正観、事行の一念三千の南無妙法蓮華経を説かれたのである。すなわち、不退転の位たる初住位に登り得た根源力こそ、この南無妙法蓮華経であり、釈尊の成仏の根源は、実にこの南無妙法蓮華経を信受したからにほかならない。
いうまでもなく、衆生もまたことごとく、寿量品にいたり、たんに寿量品の文上の域にとどまらず、等覚一転して凡夫の下種の位に立ちかえって、そこに秘沈されている南無妙法蓮華経を信受して成仏することができたのである。すなわち、これが妙覚である。なかんずく、二乗が、南無妙法蓮華経によって成仏したことは、当流行事抄の次の文で明瞭である。
すななち「且く身子の如き鹿宛の断惑は只是れ当分の断惑にして跨節の断惑に非ず・是れ則ち種子を知らざる故なり、然るに法華に来至して大通の種子を覚知す此れ即ち跨節の断惑なり、然りと雖も若し本門に望むれば猶是れ当分の断惑にして跨節の断惑に非ず、未だ久遠下種を了せざるの故なり、而る後本門に至って久遠の下種を顕わす此れ即ち跨節の断惑なり、然りと雖も若し文底に望むれば猶是れ当分の断惑にして跨節の断惑に非ざるなり、若し文底の眼を開いて還って彼の得道を見れば実に久遠下種の位に還って名字妙覚の極位に至る・此れ即ち真実の跨節の断惑なり、故に経に云く『以信得入』等云云、以信・豈名字に非ずや、得入は即ち是れ妙覚なり、又云く『我等当信受仏語』云云、宗祖釈して云く『此の無作三は一字を以て得たり所謂信の一字なり』云云、信は即慧の因・名字即なり無作三身・豈妙覚に非ずや、身子既に爾り一切皆然らん云云」と。
舎利弗は、当時智慧第一とうたわれた大学者である。その舎利弗すら、南無妙法蓮華経を信受して成仏し得たのである。多少の知識をふりかざしてみたところで、妙法に帰着しなければ、絶対に成仏できないことは明々白々ではないか。
「御義口伝」にいわく「智者愚者をしなべて南無妙法蓮華経の記を説きて而強毒之するなり」(0735:第一学無学の事:04)と。
所詮、折伏していく以外に、知識階級の二乗を妙法に目覚めさせることはできない。
妙法を持った二乗の人々の振舞いは、利他主義となっていく。なぜならば、慈悲という生命の奥底に本然的に具わっている生命活動が妙法によって湧現するからである。そこで彼らは二乗所具の菩薩界を湧現して己れ自身のことだけでなく不幸な他人を、本源的に救い、幸せにしていくという、人間として最も偉大な行動をとるようになるのである。そこには、なんの作為もてらいもなく、喜々とした自由な振舞いがあるのみである。
かつては象牙の塔に閉じこもって、単に知識のための知識となっていたものが、一転してその知識が幸福への価値創造に生かされてくる。故に妙法を根本に団結した英知の結集は、人類の福祉に大きく寄与し、世界を破滅から建設へと導くであろう。実に三大秘法の南無妙法蓮華経こそ、真に蘇生の法門と決定されるのである。
蘇生の義について
二乗の永不成仏、悪人不成仏を説く経々、すなわち一念三千の義を説いていない爾前権経は死の法門であり、法華経は活の法門である。ところが、法華経を根本として、爾前権経を会入した上で用いていけば、死の法門であった爾前権経も活の法門になるのである。すなわちこれ蘇生の義である。
法華経は大綱であり、爾前権経は、網目であり部分観にすぎない。部分は部分として意味をもつのであって、部分と大綱とを混同し、部分観をもって全体観とするのは全くの誤りである。もし、部分を正しく部分とし、それを全体観に立脚して用いるならば、それは、ことごとく生きてくるのである。
故に、日寛上人は、「三重秘伝抄」に次のように述べている。
「問う昔の経経の中に一念三千を明さずんば天台何ぞ華厳心造の文を引いて一念三千を証するや、答う彼の経に記小久成を明さず何ぞ一念三千を明さんや、若し大師引用の意は浄覚の云く「今の引用は会入の後に従う」等云云、又古徳の云く「華厳は死の法門にして法華は活の法門なり」云云、彼の経の当分は有名無実なる故に死の法門と云う、楽天が云く「龍門原の上の土・骨を埋むとも名を埋めず」と、和泉式部の云く「諸共に苔の下には朽ちずして理もれぬ名を見るぞかなしき」云云、若し会入の後は猶蘇生の如し故に活の法門と云うなり」と。
ところで、末法今日においては、いうまでもなく、釈尊の法華経といえども、一代聖教ことごとく網目であり、死の法門である。日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の仏法こそ、活の法門である。
「御義口伝」にいわく「法華経一部は一往は在世の為なり再往は末法当今の為なり、其の故は妙法蓮華経の五字は三世の諸仏共に許して未来滅後の者の為なり、品品の法門は題目の用なり体の妙法・末法の用たらば何ぞ用の品品別ならむや、此の法門秘す可し秘す可し、天台の『綱維を提ぐるに目として動かざること無きが如し』等と釈する此の意なり、妙楽大師は『略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む』と、此等を心得ざる者は末法の弘通に足らざる者なり」(0766:第十五於如来滅後等の事:03)と。法華経二十八品は、南無妙法蓮華経の説明であり、大綱に対する網目である。
南無妙法蓮華経を根本として、会入していけば、法華経二十八品も、いっさいの経教もことごとく、偉大な仏法哲学として、生き生きとよみがえってくるのである。
この原理は、さらに、現在における思想、哲学、またいっさいの学問、さらには、社会制度にもあてはまるものである。すなわち、日蓮大聖人の仏法を根底にしない、いっさいの学問、制度等は「死の法門」である。ところが、それが妙法を根底としたとき、妙法の智水によって生き生きと輝き、いかなる学問も哲学もことごとく、広宣流布のために活動させていけるのである。
第十二章 妙法の具徳を結する
されば諸経にしては仏になる者も仏になるべからず其の故は法華は仏になりがたき者すら尚仏になりぬ、なりやすき者は云ふにや及ぶと云う道理立ちぬれば法華経をとかれて後は諸経にをもむく一人もあるべからず。
現代語訳
それゆえ諸経においては仏になれる者でも仏になることができない。それに対して法華経は仏になることが難しい者でさえも仏になった。ましてや仏になりやすい者はいうまでもないという道理が成り立つので、法華経が説かれてからのちは、いっさい衆生は、他の諸経を信ずる者が一人もあってはならないのである。
講義
この章は大段第二の第一の最後、妙法五字の具徳を結して、次の「重ねて今昔を挙げて誡勧する」部分の起分となる段である。すでに第11章までにおいて妙法蓮華経の御本尊の功徳がいかに偉大なものであるかは、理論的にも現象上からも明々白々である。すなわち、成仏できる人々―幸せになれる可能性を充分持っている人々でも、爾前の経々を信じては幸せにはなれない。反対に、成仏困難な人といえども法華経を信ずるならば必ず成仏し、幸せになれるのである。このことは、細分化した高度な科学によって育てられたために、かえってその知識が慢心の種になってしまっている現代人にとって、まさに「頂門の一針」ともいうべき厳しいご教訓ではあるまいか。
「なりやすき者は云ふにや及ぶ」以下は生である。成仏至難の者でも成仏する大法ならば、性質がよく、仏縁深く、成仏し易い人ならば、なお易々と幸福になれるのは理の当然であろう。この道理のゆえに、三大秘法の大御本尊が建立された以上、それに信順し奉るべきは当然のことである。
第十三章 重ねて女人成仏を説き誡勧する
而るに正像二千年過ぎて末法に入つて当世の衆生の・成仏往生のとげがたき事は在世の二乗闡提等にも百千万億倍すぎたる衆生の観経等の四十余年の経経によりて生死をはなれんと思うは・はかなし・はかなし、女人は在世・正像末総じて一切の諸仏の一切経の中に法華経を・はなれて仏になるべからず、霊山の聴衆道場開悟たる天台智者大師・定めて云く「他経は但男に記して女に記せず今経は皆記す」等云云、釈迦如来・多宝仏・十方諸仏の御前にして摩竭提国王舎城の艮・鷲の山と申す所にて八箇年の間・説き給いし法華経を智者大師まのあたり聞こしめしけるに我五十余年の一代聖教を説きをく事は皆衆生利益のためなり、但し其の中に四十二年の経経には女人・仏になるべからずと説きたまひしなり、今法華経にして女人仏に成ると・とくと・なのらせ給いしを仏滅後・一千五百余年に当つて鷲の山より東北・十万八千里の山海をへだてて摩訶尸那と申す国あり震旦国是なり、此の国に仏の御使に出でさせ給ひ天台智者大師となのりて女人は法華経を・はなれて仏になるべからずと定めさせ給いぬ。
尸那国より三千里をへだてて東方に国あり日本国となづけたり、天台大師・御入滅・二百余年と申せしに此の国に生れて伝教大師となのらせ給いて秀句と申す書を造り給いしに「能化・所化倶に歴劫無し妙法経の力にて即身に成仏す」と竜女が成仏を定め置き給いたり、而るに当世の女人は即身成仏こそ・かたからめ往生極楽は法華を憑まば疑いなし、譬えば江河の大海に入るよりもたやすく雨の空より落つるよりもはやくあるべき事なり、而るに日本国の一切の女人は南無妙法蓮華経とは唱へずして女人の往生成仏をとげざる雙観・観経等によりて弥陀の名号を一日に六万遍・十万遍なんどとなうるは、仏の名号なれば巧なるには似たれども女人不成仏・不往生の経によれるが故にいたずらに他の財を数えたる女人なり、これひとえに悪知識にたぼらかされたるなり、されば日本国の一切の女人の御かたきは虎狼よりも山賊・海賊よりも父母の敵・とわり等よりも法華経をばをしえずして念仏ををしゆるこそ一切の女人のかたきなれ。
南無妙法蓮華経と一日に六万・十万・千万等も唱えて後に暇あらば時時阿弥陀等の諸仏の名号をも口ずさみ・なるやうに申し給はんこそ法華経を信ずる女人にては・あるべきに当世の女人は一期の間・弥陀の名号をば・しきりに・となへ念仏の仏事をば・ひまなくをこなひ法華経をばつやつや唱へず供養せず或はわづかに法華経を持経者に・よますれども念仏者をば父母・兄弟なんどのやうに・をもひなし持経者をば所従眷属よりもかろくをもへり、かくして・しかも法華経を信ずる由を・なのるなり、抑も浄徳夫人は二人の太子の出家を許して法華経をひろめさせ竜女は「我闡大乗教・度脱苦衆生」とこそ誓ひしが全く他経計りを行じて此の経を行ぜじとは誓はず、今の女人は偏に他経を行じて法華経を行ずる方をしらず、とくとく心をひるがへすべし・心をひるがへすべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。。 日蓮花押
文永三年丙寅正月六日清澄寺に於て未の時書し畢んぬ。
現代語訳
それなのに仏滅後正像二千年が過ぎて末法に入ったため、現在の衆生が成仏往生を遂げ難いことは釈迦在世の二乗、一闡提よりも百千万億倍もすぎているのに、その末法の衆生が現に観無量寿経等の四十余年の爾前権経を頼って生死の果縛を離れようと思いこんでいるのは全くはかないことである。女人は釈迦在世も滅後の正像末も、総じていっさいの諸仏の一切経のなかで法華経を離れては絶対に仏になることができない。霊鷲山の聴衆で、その後中国の光州大蘇山の法華の道場で開悟した天台智者大師は、文句の七で諸経と法華経とを相対し決定して「他経は但男子だけに成仏の記別を説き女人には授記していない。だが法華経において全てに成仏の記別を説いている」といっている。釈迦如来が多宝仏と十方諸仏を前にして、摩竭提国の王舎城の艮・霊鷲山という処で八箇年の間説いた法華経を天台大師はまのあたりに聞いたのであるが、そのとき仏は「自分が五十余年の一代聖教を説き遺すことは皆衆生を利益するためである。但しそのなかの四十二年の経経では女人は仏になることができない」と説いた。そして「今こそ法華経で女人の成仏を説く」と宣言したのを、仏滅後千五百余年の後に、霊鷲山より東北の方・十万八千里の山や海をへだてて摩訶尸那という国があり、震旦国がこれであるが、この中国に仏の使いとして出現し、天台智者大師と名乗り、女人は法華経を離れて成仏はできないと定められたのである。
中国より三千里を隔てた東方に国があって日本国と名づけている。天台大師は、中国で入滅されてのち二百余年後にまたこの日本に生まれて、伝教大師と名乗られて法華秀句という書を造られた。そしてこのなかに「真実の教法には能化も所化も共に歴劫修行はない。妙法蓮華経の偉大な功徳力によって即身成仏するのである」と竜女の女人成仏を定め置かれたのである。しかしながら現在の世の女人は即身成仏こそ難しいであろうが、臨終のときの往生極楽は法華経の功徳力をたよりとすれば疑いないのである。譬えば江河の流れが大海にそそぐよりもたやすく、また雨が空から降ってくるよりも速やかに成仏できるのである。ところが日本のいっさいの女人は成仏の最直道である南無妙法蓮華経とは唱えないで、女人の往生成仏を遂げない無量寿経や観無量寿経などを信じて、阿弥陀仏の名号を一日に六万遍だの十万遍だのと唱えているのは、たしかに阿弥陀仏であっても仏の名号には違いないから、一見、いかにも善い修行のようには見えるけれども、実は女人不成仏、不往生の経によっているのであるから、無駄に他人の財を数えるようなもので自分の身につかない修行をしている女人なのである。これはひとえに女人が悪知識である邪師にたぼらかされているのである。それ故日本国のいっさいの女人の敵は、虎狼よりも、山賊や海賊よりも、父母の敵や夫の妾などよりも、肝心の法華経を教えないで念仏を教える者こそ、いっさいの女人の最も悪い敵ではないか。
南無妙法蓮華経と一日に六万遍・十万遍・千万遍等も唱えてから後に、もし余暇があるならばときどきは阿弥陀等の諸仏の名号であっても口ずさみのように軽い気持ちでとなえてこそ法華経を信ずる女人のあり方であるのに、当世の女人は一生の間、阿弥陀仏の名号だけをつねに唱えて念仏の仏事を暇なく行ない、法華経をいっこうに唱えず供養もしないありさまである。また、あるいはわずかに法華経を持経者に読ませはするけれども、念仏者の方をわが父母や兄弟のように親しみ大事にして、反対に、法華経の持経者に対しては、自分の所従や眷属よりも軽く考えている。それでいながら、それでも法華経を信じていると称しているありさまである。抑も女人成仏の手本である浄徳夫人は、淨蔵・淨眼の二人の太子の出家を許して法華経を弘めさせ、また同じく女人成仏の手本の竜女は提婆品に「我れ大乗の教えを闡いて、苦の衆生を度脱せん」とは誓ったが、二人とも全く法華経以外の経ばかりを修行して、この法華経を修行しないなどとは、誓ってはいない。ところが今の女人は一向に他の諸経だけを修行して、法華経を修行する正しい方法を知らない。これは大変なことである。往生成仏の最直道である法華経を信ずるよう、速やかに心を翻しなさい。心を翻しなさい。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 日 蓮 花 押
文永三年丙寅正月六日清澄寺に於て未の時書き畢りました。
語釈
正像二千年
仏滅後、正法時代1000年間と像法時代1000年間のこと。正法とは仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。像法とは正法時代の次に到来する時代。像は似の義とされ、形式化して正しい教えが失われていく時代。
霊山
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」(0757:06)とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
天台智者大師
(0538~0597)。中国天台宗の開祖。慧文、慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。18歳の時、湘州果願寺で出家し、次いで律を修し、方等の諸経を学んだ。陳の天嘉元年(0560)大蘇山に南岳大師を訪れ、修行の末、法華三昧を感得した。その後、おおいに法華経の深義を照了し、法華第一の義を説いて「法華玄義」十巻、「法華文句」十巻、「摩訶止観」十巻の法華三大部を完成した。摩訶止観では観心の法門を説き、十界互具・一念三千の法理と実践修行の方軌を明らかにしている。隋の煬帝より智者大師の号を与えられたが、天台山に住したので天台大師と呼ばれる。
十方諸仏
十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
摩竭提国王舎城の艮
艮とは東北の方角をいい、「鷲の山」すなわち霊鷲山はインド摩竭提国の都城・王舎城の東北に当たる。なお古来、一国の仏法の中心地は首都のうしとらに建てられている。「上野殿御返事」に「仏法の住処・鬼門の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし」(1558:04)と。また「文底秘沈抄」に「東北即ち是れ丑寅なり丑寅を鬼門と名づくるなり……類聚一の末五十三に云く『天竺の霊山は王舎城の丑寅なり震旦の天台山は漢陽宮の丑寅なり日本の比叡山は平安城の丑寅なり共に鎮護國家の道場なり』云云」とある。
一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
秀句
法華秀句三巻のこと。伝教大師最澄の著。天台法華宗が唯識・三論・華厳・真言などの諸宗よりも勝れていることを、十の観点から論証している。
能化
能く化導する人のこと。菩薩は人に対しての能化であり、仏は菩薩・一切衆生の能化である。
所化
能化に対する語。弟子のこと。能化を受ける人、化とは教化の義であり、教化する人を能化といい、教化される人を所化という。所とは能動に対して受け身の意味を持つ。仏に対して一切衆生を所化という。
悪知識
善知識に対する語。悪友と同語。仏道修行を妨げ、不幸に陥れる友人。唱法華題目抄には「悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん」(0001:08)とある。
阿弥陀
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
弥陀の名号
南無阿弥陀仏を口唱すること。浄土宗では娑婆世界を穢土としてきらい、南無阿弥陀仏の名号を唱えれば、西方極楽世界の阿弥陀仏の浄土に往生することができると説く。
念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
供養
梵語(Pújanā)の訳で、供施、供給、また略して供ともいう。供給奉養の意で、報恩謝徳のために、仏法僧の三宝に、真心と種々の物をささげて回向することである。これに、財と法の二供養、色と心の供養、亊と理の供養、さらに三種、三業、四事、四種、五種、六種、十種等の別がある。財供養とは飲食や香華等の財物、浄財を供養すること。法供養とは、仏の所説のごとく正法を弘め、民衆救済のために命をささげることで、末法の時に適った法供養は三類の強敵・三障四魔を恐れず、勇敢に折伏に励むことである。色心の供養は、この財法の供養と同じである。三業供養とは天台大師の文句に説かれており、身業供養とは礼拝、口業供養とは称賛、意業供養とは相好を想念することとされる。事理供養とは、一往は昔の聖人たちが生命を投げ出して仏道修行した亊供養と凡夫の観心の法門による供養を理供養とする。白米一俵御書には「ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すは・なに事ぞと委細にかんがへて候へば・観心の法門なり、観心の法門と申すは・なに事ぞとたづね候へば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が・身のかわをわぐにて候ぞ、うへたるよに・これはなしては・けうの命をつぐべき物もなきに・ただひとつ候ごれうを仏にまいらせ候が・身命を仏にまいらせ候にて候ぞ、これは薬王のひぢをやき・雪山童子の身を鬼にたびて候にも・あいをとらぬ功徳にて候へば・聖人の御ためには事供やう・凡夫のためには理くやう・止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり」(1596:14)とある。なおこの供養について最も肝心なことは、正法に対するくようでなければならず、邪法への供養は堕地獄の業因となる。
持経者
経典を受持・護持する者。正法を信じ、身口意の三業にわたって精進する者のこと。末法では三大秘法の南無妙法蓮華経を受持する者をさす。
所従眷属
所従は従者。家来。眷属は①一族・親族。②従者・家来・奴僕。③仏・菩薩の脇士。
浄徳夫人
妙荘厳王本事品第二十七に説かれている。妙荘厳王の夫人で淨蔵・淨眼の母。二子が婆羅門の父妙荘厳王を救うのを助けた。過去世においては妙荘厳王、浄徳夫人、淨蔵、淨眼は、共に仏道修行をしている友人同士であったが、うち一人が家事を行ない、他の三人は仏道修行に励んで成仏した。家事を行なった一人は成仏することはできなかったが、修行者をたすけた功徳により生まれ変わるたびに王となる果報を得た。成仏した三人のうち一人はその夫人、二人はその子供となり、父の妙荘厳王を救ったのである。
我闡大乗教・度脱苦衆生
法華経提婆達多品第12に「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」とある。竜女が自身の成仏を喜悦して、他の成仏を請願した文。
丙寅
干支の一つ。干支の組み合わせの3番目で、前は乙丑、次は丁卯である。陰陽五行では、十干の丙は陽の火、十二支の寅は陽の木で、相生(木生火)である。
清澄寺
くわしくは千光山清澄寺といい、金剛宝院と号する。安房五大寺随一で、東国第一の古霊場といわれる。千葉県鴨川市清澄山上にある。天尊鎮座の地として山頂には池があり、長雨の時にも濁水がたまることがない故に清澄という。池辺の柏樹が光りに反射するさまは千光を放つようであるということから千光山の名がある。宝亀2年(0771)ある法師が登山し、柏樹を伐り、虚空蔵菩薩の像を刻み、堂宇を建立してここに安置したのが始まりという。承和3年(0836)、慈覚大師が中興して天台宗の寺院とした。嘉保3年(1096)、雷火によって焼亡したが、国守源親元が再建し、承久年中には、北条政子が宝塔、輪蔵等を建立している。輪蔵には一切経が蔵されていたといわれる。天福元年(1233)5月12日、日蓮大聖人は12歳でこの寺に登山し、道善房の弟子となり、16歳の時に剃髪し是生房蓮長と号される。そののち、鎌倉、京都に遊学され、建長5年(1253)4月28日に立教開宗を宣せられる。
未の時
時刻の数え方で、現在の午後2時~4時を指す。24時間を十二支に割り当てたうちの第8番目。
講義
女人の成仏は、在世も正像も末法も、法華経を離れてはありえない。故にこの段では、前段第十二章の結前生後を受けて余経の修行・謗法を誡め、妙法の唱題の修行を勧めることを述べられている。則ち「而るに正像二千年」より「一切の女人のかたきなれ」までは誡。「南無妙法蓮華経と一日に六万」より「心をひるがへすべし」までは勧。二個の題目は誡勧を結して妙法に対する一層の結縁を祈念された大慈大悲の御心と拝すべきであろう。本文初頭の一個の題目と合わせて御本仏日蓮大聖人のご深意を拝察申し上げるべきである。
当世の衆生の・成仏往生のとげがたき事は在世の二乗闡提等にも百千万億倍すぎたる云云
釈尊在世において、成仏し難い衆生の代表は二乗と一闡提と女人であった。これらの衆生が、四十余年の権経によっては成仏することができず、法華経において初めて成仏を許されたことは、すでに述べた通りである。しかるに、末法の衆生は、この二乗、一闡提、女人の百千万倍も成仏し難い。にもかかわらず、この末法の衆生が、爾前権経の観経等によって成仏往生を願っているのは、まことに不合理であり、はかないことであるとの仰せである。
末法の衆生が、なぜ成仏し難いかといえば、本未有善だからである。すなわち、過去になんらの善根も積まず、いたずらに、邪法邪義を繰り返し、貪瞋癡の三毒強盛の、汚れきった生命に生まれついてきたのである。
在世の衆生は、舎利弗等の二乗にせよ、提婆等の一闡提にせよ、三千塵点、五百塵点劫下種の衆生であり、過去に仏道を修業してそれなりの功徳善根を積んでいる。従って、今世において、あるいは二乗の利己主義におちいり、あるいは仏に敵対したとはいえ、本質的には、善根をもった本已有善の衆生であり、それが薫発して成仏することは、きわめて、たやすいことといえる。
それに対して、なんの善根もなく、謗法の垢のみ厚く重なり、正法を聞いても信じようとせず、かえって、貪瞋癡が盛んでこれを誹謗さえするのが末法の衆生である。このような末法の衆生が、もともと成仏の法でない念仏等によって、いくら懸命に修行しようと、成仏できないことは、むしろ当然のことであろう。
本未有善の末法の衆生を成仏させる法は、下種仏法以外にない。釈迦仏法は熟脱の法で、過去に善根を積んだ衆生に対してしか効力をもたないのである。また、三毒強盛で、反対し誹謗する衆生を救うためには、順逆ともに救う力ある大仏法でなくてはならない。この資格をもった宗教は、唯一つ、日蓮大聖人の三大秘法の大白法なのである。
「他経は但男に記して女に記せず今経は皆記す」等云々
これは、天台大師が法華文句の第七で「他経は但菩薩に記して二乗に記せず・但善に記して悪に記せず・但男に記して女に記せず・但人天に記して畜に記せず」と述べているなかの一つである。ここは女人成仏のことを申されているので「男に記して女に記せず」だけを取りあげられ、ほかは「今経は皆記す」で結ばれたのである。
日寛上人は、文段に、爾前経にも悪人・女人・竜畜の授記はある。たとえば、普超経の闍王の授記、大集経の婆藪天子の授記は悪人の授記である。勝曼経の離垢施女、般若経の恒河天女は女人の授記である。海竜王経の竜女の授記、師子月経の獼猴の授記は竜畜の授記である。ところが「他経では授記せず」というのは、どういうことかとの問いを設けられて、次のように説かれている。
「東陽の忠尋の口伝に云く『他経にて悪人に記するとは実には善人に記すると習うなり、其の故は悪人の悪心を翻して善人と成る後に成仏す可き故に善人に記するの義なり』已上と、女人も例して爾なり、謂ゆる諂曲の心を改めて正直の心と成る後に成仏す可し、竜畜亦例なり謂ゆる心を改め身を転じて後に成仏す可きなり、故に皆是れ改転の成仏なり、故に知んぬ他経の悪人・女人・竜畜の授記は畢竟之れを論ずれば、善人・男子・人天の授記なり故に『悪に記せず・女に記せず』等と云うなり」と。
ところで、さらに進んで、では爾前経の善人・男子・人天の授記は、真実の授記かということが問題である。周知のように、爾前に二乗の成仏が全く説かれていないこと、むしろ二乗不作仏が徹底して貫かれていることは明らかである。しかるに、生命は十界互具、一念三千の当体であり、菩薩界にも二乗の生命が具されている。あくまで二乗不作仏であるならば、この二乗の生命を具している菩薩自体も成仏できないことになってしまう。
この故に、菩薩、男子、善人、人天に対する爾前の授記も、所詮は「虚妄の授記」にすぎないのである。天台自身も、それを知っていたが故に「但男に記して」と〝但〟の字を附したのである。
「十法界事」にいわく「菩薩に二乗を具す二乗成仏せずんば菩薩も成仏す可からざるなり、衆生無辺誓願度も満せず二乗の沈空尽滅は即ち是れ菩薩の沈空尽滅なり」(0421:09)と。
すなわち、一念三千の授記でなければ、真実の授記ではあり得ない。一念三千の授記とは法華経の授記であり、妙法の授記である。しかして、一念三千の授記においては、一人に対する授記が十界のあらゆる衆生に対する授記になる。一人の授記は、法界の成仏となるのである。これを妙楽は「故に成道の時には此の本理に称って一身一念法界に遍し」と述べたのである。
故に、爾前権経に成仏得道が説かれている男子も菩薩も、善人も人天も、それは名目のみであって、決して爾前権経では成仏できないことを知るべきである。
釈迦如来・多宝仏・十方諸仏の御前にして摩竭提国王舎城の艮・鷲の山と申す所にて云云
天台智者大師が法華経の説法をまのあたりに聞いたというのは、天台大師が薬王の後身なるが故である。すなわち、天台大師は薬王菩薩として、法華経の会座に列なり、法華経の説法をまのあたり聞いた。その薬王菩薩が仏滅後千五百余年、中国に生まれて天台智者大師と名のり、像法の法華経、理の一念三千の法門を説いたのである。さらにまた、その天台大師の後身が伝教大師で、次の章に「天台大師・御入滅・二百余年と申せしに此の国に生れて伝教大師となのらせ給いて」云々とあるのは、この意味である。
「能化・所化倶に歴劫無し妙法経の力にて即身に成仏す」
妙法の偉大なる功力によって、師も、弟子も、ともに即身成仏することができるのである。
釈迦仏法においては、五百塵点劫下種と説き、衆生はこの五百塵点劫の間、種々に調機調養を受けて、法華経本門にいたってようやく得脱することができた。すなわち、釈迦仏法は暦劫修行の教えなのである。この文は、伝教大師の言葉であるが、その説き示そうとしている実体は、たんなる文上の釈迦の法華経ではなく、文底に秘沈せられた三大秘法の南無妙法蓮華経であることが明白であろう。
「三大秘法抄」にいわく、
「されば此の秘法を説かせ給いし儀式は四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき、所居の土は寂光本有の国土なり能居の教主は本有無作の三身なり所化以て同体なり」(1021:05)と。
いま、伝教大師の文の意は、この三大秘法抄の御文と全く同じである。「即身に成仏す」とは、わが身が仏の三身とあらわれることである。しかして「妙法経の力」とは、三大秘法の大仏法以外のなにものでもない。
即身成仏とは、現在のこの身をなんら改めることなく、そのままで成仏する、仏の境涯に入るということである。仏の境涯とは、絶対に壊れることのない、最高の幸福生活である。第二代戸田会長は「生きていることそれ自体が楽しくてしようがないという状態である」と教えられている。
女性は女性として、男性は男性として、二乗は二乗として、さらに敢ていえば、悪人は悪人のまま、竜畜は竜畜のままで、それぞれに、金剛不壊の幸福境涯を確立することができるというのが即身成仏の原理である。
この即身成仏の法が三大秘法の仏法である。すなわち、日蓮大聖人の御建立あそばされた大御本尊を信じ、題目を唱え、折伏を行じていったとき、あらゆる煩悩は即菩提と転じて成仏するのである。悪人は悪人のままということは、精神修養のような、外からの矯正手段等は必要としない。ただ、大聖人の教えをまじめに信じ行じていくならば、それだけで生命の本質から、自然に偉大な人間革命がなされていくのである。大事なのは、信行であり、そこにいっさいが含まれていることを知らなくてはならない。
而るに当世の女人は即身成仏こそ・かたからめ往生極楽は法華を憑まば疑いなし
もとより、日蓮大聖人の本義は即身成仏であり、法華経の哲理は娑婆即寂光である。あえて、ここで「往生極楽」と申されたのは、本抄の対告衆である女性の往生極楽に対する執着が強かったからである。また娑婆即寂光、即身成仏といっても、それを理解させるには仏法哲学に関する深い探求が要求される。こうした哲理を論ずるのが、本抄の本意ではなく、対告衆の女性を法華経の信に入れることが目的だったからである。
あたかも、法華経化城喩品で、導師が衆生を宝処にまで導くために、途中に化城を設けて、まずそこまで誘引したのと同じ原理といえよう。いま、大聖人も即身成仏という宝処に導くために、極楽往生という化城を用いられたということもできよう。
当時の世は、念仏の全盛時代で、あらゆる人が念仏を称え、往生極楽を理想としていた。そのため、みずから往生極楽を願って、自殺した人があいついだという時勢だったのである。
仏法を知るものの目からすれば、当然、往生極楽などということは、爾前権経において仏が無智の衆生を導くために、かりに設けた架空の物語にほかならない。
だが、大切なことは、念仏を捨てて法華経を信ずることであり、衆生の願っている究極の理想が即身成仏か極楽往生かということは、その次の問題なのである。願うところは極楽往生であったとしても、法華経を純真に信ずることによって、自然のうちに、娑婆即寂光となり、即身成仏していくのである。「発心真実ならずとも正境に縁すれば功徳猶多し」とある通り、これが、仏の用いられる秘妙方便の原理である。
われわれの信心に約するならば、功徳と罰がそれである。たとえば、病人が病気を治したいと願って信心に励む。もとより、病気を治すことが仏法の究極の目的ではない。仏法の目的は成仏である。だが、病気を治したいと願って、一生懸命に題目をあげ、信心に励むことによって、病気も治るとともに、あらゆる福運を積み、さらには、成仏を遂げることができるのである。
これひとえに悪知識にたぼらかされたるなり云云
悪知識とは、ここでは、法然や極楽寺良観等の念仏の僧をさして申されている。総じて正しい仏道修行を妨げ、人々を不幸に陥れる者を悪知識というのである。
涅槃経には、次のように説かれている。
「菩薩摩訶薩、悪象等において心に怖畏することなく、悪知識においては怖畏の心を生ぜよ。何をもっての故に、この悪象等は唯よく身を壊りて心を壊るに能わず、悪知識は二倶に壊るゆえに、この悪象等は唯一身を壊り、悪知識は無量の善身無量の善心を壊る。この悪象等は唯よく不浄の臭き身を破壊す、悪知識はよく浄身および浄心を壊る。この悪象等はよく肉身を壊り、悪知識は法身を壊る。悪象のために殺されては三趣に至らず、悪友のために殺されては必ず三趣に至る。この悪象等は但身の怨となり、悪知識は善法の怨とならん。このゆえに菩薩、常にもろもろの悪知識を遠離すべし」
この文には、いかに悪知識を怖るべきかを明確に説かれている。なかんずく、念仏の教えは、無間地獄の邪法であり、人を念仏の信仰に入れることは、即、その人を無間地獄に突き堕とすことにほかならない。はっきりと姿にあらわれた形では知ることができないが、その人の生命の内に鋭い観察の眼を向け、また、その人の生活の全般と人生行路を英知をもって捉えるならば、不幸の姿は歴然たるものがある。たんに肉体を傷つけるのではない。精神と肉体との両方を切りさいなみ苦悩のどん底に叩きおとすのである。しかも世間からは、あたかも高徳の人格者であるかのごとく、うやまわれ、供養されて、祭り上げられているのが、こうした邪教の指導者なのである。これこそ、いかなる凶悪犯人の何千万憶倍も恐るべき魔物ではないか。まことに、誤れる思想、そしてその思想を人に教える者こそ、世に最も恐るべきものである。
南無妙法蓮華経と一日に六万・十万・千万等も唱えて云云
末法の正しい仏道修行は、あくまでも法華経の題目を根本とすべきことを示されて、本抄の結びとされている。
「南無妙法蓮華経と一日に六万・十万・千万等も唱えて後に暇あらば時時阿弥陀等の諸仏の名号をも口ずさみ・なるやうに申し給はんこそ」云々とは、相手の念仏に対する執着が強い点を考慮されて、このように申されたのである。
これについて日寛上人は文段で次のように述べておられる。
「問う、既に以上に判じて念仏を行ずるを以って他の宝を数うるに譬えまた之を勧むる人を以って悪知識と名づけて虎狼等に類す、今何んぞ時時は唱うべしと許すや。
答う、且く念仏執情の女人に対する故に一往台家の法門を以ってこれを誘引したもうなり、台家の法門とは十章抄三十に云く『されば円の行まちまちなり沙をかずへ大海をみるなを円の行なり、何に況や爾前の経をよみ弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや。但しこれらは時時の行なるべし、真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり』云云と、伝教大師云く『正には法華経に依り傍には一切説の円教に依る』等云云。況んや『心に存すべき事は一念三千の観法なり』と云云、故に知んぬ正しく台家の法門にして全く当家の法門に非ざるなり、況んや復究めて其の義を探るに正しく念仏制止の意なり、何んとなれば一日に一万返の後、尚暇有る可からず、況んや六万返の後をや何に況んや十万千万の後をや、故に知んぬ義意は究めてこれを制するなり」と。
すでに、念仏が「女人不成仏・不往生」の修行であり、これを幾ら称えても「他の財を数える」ようなものである。さらには、虎や狼、山賊や海賊に襲われるよりも恐ろしいことであると、前に説かれているのであるから、ここに「時時、口ずさみのように軽い気持ちでならばとなえてもよい」といわれているのも、決して、それを許されているのではないことは明らかであろう。
事実、一日に六万も十万も題目を唱えるとすれば、その暇に念仏を称えるなどということは不可能である。さらに、千万も唱えてというのは、事実上、無限ということであり、昼夜、朝暮に、南無妙法蓮華経の題目のみを唱えなさいとのおおせと拝すべきである。「正直捨方便」「不受余経一偈」の精神を、言葉の上ではなくとも、事実の上に教えられているのである。
浄徳夫人、竜女の例は、女人成仏の代表である。経王殿御返事にいわく「浄徳夫人・竜女の跡をつがせ給へ」(11025:02)と。
この女人成仏の代表たる浄徳夫人は法華経妙荘厳王本事品に説かれており、淨蔵・淨眼の二人の太子の出家を許したのは法華経を弘めさせんがためであった。みずからも、法華経を信仰し、また、淨蔵・淨眼と力を合わせて、夫の妙荘厳王にすすめて信仰させたのも法華経である。
竜女は、同じく法華経の提婆達多品に登場し、即身成仏を遂げて「我れ大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」と誓っている。この大乗経が法華経であることもいうまでもない。
このように、女人成仏の手本である浄徳夫人も竜女も、ともに法華経を根本としている。しかるに、今日の世の女人は女人不成仏の念仏を行じて、成仏往生を願っているのは、まことにかわいそうなことである、速やかに念仏の執情を翻しなさいとのおおせである。