刑部左衛門尉女房御返事 第一章(不孝の者の無間地獄を説く)

 今月飛来の雁書に云わく「この十月三日、母にて候もの十三年に相当たれり。銭二十貫文」等云々。
 夫れ、外典三千余巻には忠孝の二字を骨とし、内典五千余巻には孝養を眼とせり。不孝の者をば、日月も光をおしみ、地神も瞋りをなすと見えて候。
 ある経に云わく「六道の一切衆生、仏前に参り集まりたりしに、仏、彼らが身の上のことを一々に問い給いし中に、仏、地神に『汝、大地より重きものありや』と問い給いしかば、地神敬んで申さく『大地より重き物候』と申す。仏の曰わく『いかに地神、偏頗をば申すぞ。この三千大千世界の建立は皆大地の上にそなわれり。いわゆる須弥山の高さは十六万八千由旬、横は三百三十六万里なり。大海は縦横八万四千由旬なり。その外の一切衆生・草木等は、皆大地の上にそなわれり。これを持てるが大地より重き物有らんや』と問い給いしかば、地神答えて云わく『仏は知ろしめしながら、人に知らせんとて問い給うか。我、地神となること二十九劫なり。その間、大地を頂戴して候に、頸も腰も痛むことなし。虚空を東西南北へ馳走するにも重きこと候わず。ただし、不孝の者のすみ候所が、身にあまりて重く候なり。頸もいたく、腰もおれぬべく、膝もたゆく、足もひかれず、眼もくれ、魂もぬけべく候。あわれ、この人の住所の大地をばなげすてばやと思う心たびたび出来し候えば、不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり。されば、教主釈尊の御いとこ・提婆達多と申せし人は、閻浮提第一の上﨟、王種姓なり。しかれども、不孝の人なれば、我ら彼の下の大地を持つことなくして、大地破れて無間地獄に入り給いき。我らが力及ばざる故にて候』と、かくのごとく地神こまごまと仏に申し上げ候いしかば、仏は『げにも、げにも』と合点せさせ給いき。また仏歎いて云わく『我が滅後の衆生の不孝ならんこと、提婆にも過ぎ、瞿伽利にも超えたるべし』と」等云々〈取意〉。
 涅槃経に「末代悪世に不孝の者は大地微塵よりも多く、孝養の者は爪上の土よりもすくなからん」と云々。

 

現代語訳

今月とどいた手紙には「この十月三日は亡くなった母の十三年忌にあたるので、銭二十貫文を御供養いたします」等とある。

外典の三千余巻には忠孝の二字を骨髄としており、内典の五千余巻では孝養を眼目としている。故に不孝の者には、日月も光を惜しみ、地神も瞋りをなすと説かれている。

ある経にいうには六道の一切衆生が仏前に来集した時、仏は彼らの身の上のことをおのおのに問われた。その中に、仏が地神に「大地より重いものがあるか」と問われたところ、地神がつつしんで「大地よりも重いものがあります」と答えた。これに対して仏は「地神よ、どうして偏頗なことをいうのか。この三千大千世界は皆大地の上に建立されている。いわゆる、須弥山の高さは十六万八千由旬で横は三百三十六万里であり、大海は縦横八万四千由旬である。また、その外の一切衆生も、草木等も、みな大地の上に存在している。これらいっさいのものを持つ大地よりも重いものがあるであろうか」と問われたところが、地神がこたえていうには「仏はよくご存知でありながら、人々にそのことを知らせようとして問われるのであろうか。私は地神となってすでに二十九劫という長い時を経ており、その間ずっと大地をささげたもっていたが、頸も腰も痛んだことはない。また、大地をささげもったまま、虚空を東西南北に馳けまわっても重いことはない。ただ、不幸の者が住んでいるところは支えきれないほど重い。あまりの重さに頸は痛く、腰もおれそうで、膝も力がぬけ、足もひくことができず、眼もくらみ、魂もぬけてしまいそうである。ああ、こんな不孝者の住む大地を投げ捨ててしまおうと思う心が度々おこるので、これら不孝の者の住所は常に大地が揺れているのである。それゆえ教主釈尊の従弟、提婆達多という人は、世界第一の貴族、王族の生まれである。しかしながら不孝の者なので、私たちは提婆の下にあたる大地を支えきれず、ついに大地が破れて無間地獄に堕ちてしまった。これは私たちの力が及ばなかったためである」と。このように、地神はこまごまと仏に申し上げたので、仏はなるほど、なるほどとうなずかれたのである。また、仏が歎いていわれるには「わが滅後の衆生が不孝の者であることは、提婆にも、瞿伽利にも超過するであろう」といわれた。涅槃経には「末代の濁悪の世には、不孝の者が大地微塵よりも多く、孝養の者は、爪の上にのる土よりもすくないであろう」と説かれている。

語句の解説

雁書

消息文、手紙のこと。漢の「蘇武伝」の、蘇武が胡国に囚われて雁の足に書を結んで故郷へ音信したという故事から出ている。また、雁の飛行するさまを文字に譬えたものであるとの説もある。

 

外典三千余巻

中国の聖典3000巻余りのこと。『漢書』の芸文志では、その時代に伝わっていた書籍の数を「三千一百二十三篇」としている。また、『太平記』巻26では、秦の始皇帝の時代に焚書された書籍を「三千七百六十六巻」としている。

 

六道

十界のうち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界。古代インドの世界観で、衆生が生存する6種の領域をいう。凡夫は迷いに満ちたこの六道で生死を繰り返すとされる。これを六道輪廻という。輪廻からの脱却を解脱といい、これは古代インドの人々にとって最終的に達成すべき理想とされた。仏教では、古代インドの伝統思想であるバラモン教の教えや同時代の新興思想である六師外道などの教えでは、生死の因果について知悉しておらず、それどころか無知であるため、誤った行いとなり、したがって解脱は得られないとされる。そして、むしろ仏道を学び修行することによってこそ解脱できると説かれる。六道のうち地獄・餓鬼・畜生の三つを三悪道といい、これに対し修羅・人・天を三善道という。また、三悪道に修羅を加えて四悪趣という。修羅を除いて五趣という。

 

三千大千世界

古代インドの世界観・宇宙観を用いて説かれた仏教の世界観。須弥山を中心に、太陽・月・四洲を包含するものを小世界として、それが1000集まったものを小千世界、小千世界を1000倍したものを中千世界、中千世界を1000倍したものを大千世界と呼ぶ。小千・中千・大千の3種を総称して三千大千世界という。

 

須弥山

須弥はサンスクリットのスメールの音写。妙高山と訳される。古代インドの宇宙観で、一つの世界の中心にあると考えられている巨大な山。須弥山の麓の海の東西南北に四つの大陸があって、一つの世界を構成する。須弥山の頂上は六欲天のうち第二天の忉利天に位置しており、ここに帝釈天が忉利天の主として地上世界を支配して住んでいる。

 

由旬

サンスクリットのヨージャナの音写。由善那とも。インドの距離の単位。1由旬とは帝王が1日に行軍する道のりとされ、およそ10キロメートルほどと考えられている。

 

提婆達多

サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。

 

閻浮提第一

世界第一のこと。閻浮提は閻浮、南閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。

 

無間地獄

阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。

 

瞿伽梨

梵名コーカーリカ(Kokālika)の音写。倶伽利・仇伽離などとも書き、悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。雑阿含経巻四十八等によると、提婆達多の弟子であり、釈尊の制止も聞かず、舎利弗や目連を悪欲があると難じた。その報いによって、身に悪瘡を生じて大蓮華地獄に堕ちた。

 

涅槃経

大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。

 

爪上の土

ガンジス河の砂に対して、爪の上に乗るほどの土をいう。人間として生を受けることは稀であり、仏法に巡り合うこととむずかしさ、等にたとえる。

講義

本抄は年号が記されていないが、弘安3年(12801021日、尾張国高木郡刑部左衛門尉の妻に与えられたといわれている。この刑部左衛門尉については伊藤祐頼ではないかといわれるだけで詳細はわからないが、刑部左衛門尉という身分から、また、その夫人が銭20貫文という御供養をされている点から、相当に大身の武士であったことが想像される。

本抄は刑部左衛門尉女房から、その母の13年忌の御供養を奉ったことに対し、賜わった御書である。父母の恩の中にも母の恩の殊に重いことを明かされ、内外の経典には報恩の道が説かれているが、真実の報恩は法華経以外になく、大聖人の弟子として母の追善のため真心の御供養をされた夫人の孝養は、最高真実の孝養となることを御指導されている御文である。最後の「日蓮が母存生してをはせしに仰せ候し事をも・あまりにそむきまいらせて候いしかば、今をくれまいらせて候が・あながちにくやしく覚へて候へば(中略)あまりにうれしく思ひまいらせ候間あらあら・かきつけて申し候なり」(1401:04)の御文は大聖人の御心情が率直に吐露され、母を思われる万感の思いが込められている。御身に引き当てての孝養の御指導に如何ばかり夫人は感激をしたことであろう。

本章は供養の受納を報ぜられ、孝養について説かれるに当たり冒頭に内外典共に孝養を最大事としている事より説き起こされ、地神の話をとおして不孝の罪が重いこと、しかるに末代濁悪の世には不孝者が多く、その住所は無間地獄であることを説かれている。

 

夫れ外典三千余巻には忠孝の二字を骨とし内典五千余巻には孝養を眼とせり

 

仏教以外の、外道である儒家・道家の典籍三千余巻には、忠孝がその骨髄をなし、仏教の典籍五千余巻には孝養を眼目としていると、内外典共に孝養に最重点が置かれていることを述べている。

このことは、法蓮抄(にも「孝経と申すに二あり一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり、二には内典今の法華経是なり、内外異なれども其意は是れ同じ」(1046:04)とあるように、内外典共に孝養を大事としていることがわかるが、ここで外典と内典における孝について、その差を考えてみよう。

この孝経が中国の戦国末から前漢初期に出来上がったものとすると、孝の思想は上代中国において既にあったと考えられる。当時中国の人々の生活の場は大家族制度の中にあった。それゆえ、その内部における団結と秩序の維持のための規律として、外部の社会道徳に優先して家族道徳が説かれ、その中でも家長である父に対する孝が全てに優先して徳の本とされたのも当然と考えられる。家族共同体の秩序の原理である孝が、氏族共同体である国の秩序原理に拡大されたとき、君に対する忠となるわけで、忠孝は、同質の共同体的倫理であったと考えられる。開目抄の「忠も又孝の家よりいでたり」(0192:01)という言葉はそれを表わしている。

忠孝がこうした秩序維持のために働く治者被治者間の道徳であったとみる考え方に加え、仁・義・礼・智・信という古代中国の倫理の根本に、仁が置かれていることにも注目しなければなるまい。仁が人の心に宿る人間愛を基調とするものである以上「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始なり、身を立て道を行い名を後世に揚げ父母を顕すは孝の終りなり」という孝経の文に見るごとく、自己の生命を生み育ててくれた父母に対して、ヒューマニズムに根ざした恩愛の念をもつことは当然であろう。それゆえ、孝という思想は早くから市民意識に目ざめた西洋の個人主義的倫理とは異質的なものであったはずである。それゆえ農耕生活を基調とする東洋の、しかも大家族制度という生活共同体の中に、育まれた中国の人々の、生活と人間性から生まれたもので、自ずからその父母を畏敬し報恩するという徳義観に発展し、最高道徳として位置づけられているのである。

このように、一切の道徳の基本として説かれた孝であったが、あくまでもそれは現実の社会的制度的な徳目で、永遠の生命観に立った人間の救いは何かという、基本的立ち場からの、父母に対する真の孝養は説かれなかったのである。また、狭い家族共同体から生まれた忠孝という徳目の固定化は、さらに社会が発展するにつれて、新たに生ずる社会関係の変化には対応できず、単なる理想として形骸化してゆくものであったのである。共同体間の交流・闘争、そして征服・被征服の歴史がそれである。忠・孝という同質的な徳目も、そこではしばしば相克矛盾するものとなったのである。

これに対し仏教における孝養の思想を尋ねれば、極めてその基盤の深遠なことに驚くのである。爾前経にも種種、孝養の教えは説かれるが、これはさておき、日蓮大聖人の孝に対する考え方をみるに法蓮抄には、「六道四生の衆生に男女あり此の男女は皆我等が先生の父母なり……仏は法華経をさとらせ給いて六道・四生の父母・孝養の功徳を身に備へ給へり」(1046:11)とある。六道四生、すなわち、この世の中の一切の衆生は皆、われわれの過去世の父母であるといわれるのである。我々を生み出し、我々を育てたものは実に一切の生あるものであるという洞察がある。現在の肉身の父母のみを父母とする外典の考えを全く超越した父母観である。これは法華経に説かれる永遠の生命観、及び自己を生みだしたものとしての宇宙観、また、自己と環境との一体を説く依正不二の哲学が理解できなければ納得し得ぬ論理であろうが、それは単なる社会倫理の問題でなく人間の生命の根源的あり方の問題である。とするなら、真の孝養とは、それら一切の衆生を成仏させることでなければならない。ここに十界互具一念三千を説く法華経でなければ真の孝養はできないということが明らかになる。

開目抄には「儒家の孝養は今生にかぎる未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり……仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ」(0223:10)とある。所詮外典の孝養は現世だけの道徳に過ぎず、亡くなった先祖はもはやどうすることもできない。これに対し仏教の最高の経典である法華経を持つことによって、根源的な生命観に立って、滅後の先祖も、ひいては先生の父母といわれる一切衆生をも救うことのできることに注目しなければならない。ゆえに法華経を持つことが最高の善であり、これに反対することは不孝となる。また親に従うことは孝であるが、親が法華経に反対して地獄に落ちるなら、これに反対して諌めなければ真の孝ではないということになる。これを兄弟抄には「一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か」(1085:07)と説かれている。単に、親の意に叶うことをもって第一とする儒教の精神的・物質的奉仕とはだいぶ次元を異にするのである。

さらに一重深く観心の立ち場から孝養を考えてみよう。「逆則是順」ということで御義口伝に文句の文を引いて述べられている。

「観解は貪愛の母・無明の父・此れを害する故に逆と称す逆即順なり非道を行じて仏道に通達す」(0710:第三阿闍世王の事:08)と。

この場合の父母は貪愛無明という煩悩で、この煩悩こそが我々九界の衆生を生みだした父母であるというのである。この父母について大聖人はさらに「権教の愛を成す母・方便真実を明めざる父」(0710:第三阿闍世王の事:07)といわれているが、いずれも人間の真実の幸福を阻害しようという生命のマイナスの働きをいうのであり、法華経誹謗の生命はまさにこれである。この生命を父母に譬えたので、「害す」ということになって逆道のように見えるが、観解の力によって謗法の心を断ち切ることを意味するので順なりというのである。観解とは、末法今時では、御本尊を信じ題目を唱えることである。

このように内外典において同じく孝養を最も大事としながら、その内容においては天地雲泥の差のあることを理解しなければならない。

 

不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり

 

不孝者の住む大地はあまりにも重すぎて、地神はこれを支えきれずに投げだしてしまおうと度々思い迷うので、不孝者の住所は常に大地が揺れ動いているというのである。

そして、ついに大地がささえきれずに、無間地獄へ堕ちた不孝者の典型的な例として提婆達多をあげている。

提婆は破和合僧、出仏身血、殺阿羅漢の三逆罪を犯した上に、阿闍世太子をそそのかして、太子の父である頻婆婆羅王を殺させ、他人の親不孝をかり立てたのである。その罪によって、王舎城のなかで大地が自然に裂けて、生きながら地獄へ堕ちた。堕ちた地獄は無間地獄であるが、この無間地獄の無間とは間断のないことをいう。すなわち、いささかも安堵の瞬間がないことであり、一瞬一瞬が苦しみの連続であることをいうのである。大聖人は、法蓮抄において「八大地獄は重罪の者の住処なり、八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり、第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処なり」(1042:07)と説かれている。無間地獄に堕する業因を、五逆罪を犯したものと、正法誹謗の者と、親不幸の者であると仰せである。

「不孝の者の住所は常に大地ゆり候なり」は、法蓮抄に説かれたところからみるならば「不孝の者の住所は無間地獄なり」ということができる。

現代社会において親孝行ということは全く前時代的倫理として扱われ、孝不孝について論ぜられることはまれのようである。家族制度の崩壊・個人主義の流行にともなって、老境の親をもかえりみずひとり往く若者が現代的風潮とされる作今だからである。しかし仏法からみるなら孝養の思想は単なる封建思想ではない。時代と体制を超えた人間のあり方の問題である。しかも真の孝養とは、一切の衆生を成道せしめる法華経を持って、初めて孝子ということになるのであるから、法華経を持たぬ人の圧倒的に多い現代は、不孝者があまりにも多いということになる。法門申さるべき様の事にも、このことを「されば四十余年の経経をすてて法華経に入らざらん人人は世間の孝不孝はしらず仏法の中には第一の不孝の者なるべし」(1266:03)と述べられている。故に仏法上からいうならば現代人の殆どは不孝の者ということになり、その住所は無間地獄であるといえる。地球上にこれだけ多くの不孝者が住むのであるから、地神はこれをもてあまし、「大地がゆれる」ということになるだろう。

「大地がゆれる」とは、いわゆる地震は勿論のこと、戦争・公害等の人為による災害で、人々の棲息の基盤が危機に立っていることも含まれるということができよう。

近年の我が国に於ては経済の高度成長によって、豊かな社会を謳歌する歌声に幻惑されがちであるが、個々の人々の悩みは過去のどの時代より厳しいとともに、公害は地球そのものを汚染破壊し、人間の生命を確実に脅かしている現状である。このような状況は、再び人間に滅亡の深淵をのぞかせ、根本的に生存のあり方を反省させるに至っている。しかし、仏法以外のいずこにも、この根本問題に答えうる英知を発見できないことを痛感するのである。三大秘法の仏法を受持し、一切衆生の父母に孝養する道を見いだすとき、初めて、この地獄の苦悩から脱することができるというべきであろう。

また、大聖人の仏法では、地獄とは自己の外にあるのではなく、実に自己の生命自体の中にあるのである。観心本尊抄に「無間大城の大火炎等此等は皆我が一念の十界か己身の三千か」(0243:09)とあり、上野殿御家尼御返事には「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり」(1504:09)と説かれている。

我等の胸中の一念が現実の生活を地獄にもし、仏国土にもすると仰せである。逆にいえば自己の生活も国土も、楽土とするか地獄とするかは自己自身の一念の状態如何にかかっているといえよう。そしてその一念を浄化し、変革する道は三大秘法の御本尊に対する絶対の信心よりほとばしり出る題目以外にないというのが、大聖人の教えの究極である。

したがって大地が揺れ、社会が不安に満ちているということは、人心が動揺し、思想が混乱しているためであり、さらに、その根源は謗法による不孝者が充満していることにあるのである。この根源悪を除去することが折伏であり、広宣流布であることはいうまでもない。

 

涅槃経に末代悪世に不孝の者は大地微塵よりも多く孝養の者は爪上の土よりもすくなからんと云云

 

これは涅槃経の取意の文である。末世には不孝者のみ多く、孝養のものはきわめて少ないことを、涅槃経の文を用いて説かれているのである。しかし涅槃経では孝・不孝を論じているのでなく、末法に正法を持つ者がいかに少ないかを論じているのである。法門申さるべき様の事に「涅槃経の三十四に云く『人身を受けん事は爪上の土・三悪道に堕ちん事は十方世界の土・四重・五逆・乃至涅槃経を謗ずる事は十方世界の土・四重・五逆乃至涅槃経を信ずる事は爪の上の土』なんどととかれて候、末代には五逆の者と謗法の者は十方世界の土のごとしと・みへぬ」(1266:16)とあるのが涅槃経の原典により近い取意である。おそらくは大聖人は五逆謗法の者を不孝の者と取意されて本抄の如く述べられたのであろう。これは前項で述べたごとく、正法を信じない謗法の者は一切衆生のみならず、自分の親も救うことができない。故に不孝の者であるとの前提に立つからである。

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