義浄房御書
文永10年(ʼ73)5月28日 52歳 義浄房
第一章 法華経の功徳甚深を示す
本文
御法門の事委しく承はり候い畢んぬ、法華経の功徳と申すは唯仏与仏の境界・十方分身の智慧も及ぶか及ばざるかの内証なり、されば天台大師も妙の一字をば妙とは妙は不可思議と名くと釈し給いて候なるぞ前前御存知の如し、
現代語訳
御法門の事についてのお尋ねは、委しく承った。法華経の功徳というのは、唯仏と仏とのみ究められている境界であって、十方分身の諸仏の智慧でも及ぶか及ばないかといった仏の内心の悟りである。したがって天台大師も、妙法蓮華経の妙の一字を「妙とは妙は不可思議と名づける」と釈されているのである。前々から御存知のとおりである。
語釈
唯仏与仏
方便品の文。「唯、仏と仏と、乃し能く究尽したまえり」とある。諸仏の智慧のみが能く諸法の実相を究め尽くしており、菩薩・二乗の及び得ないものでああるということ。
十方分身
中心となる仏が衆生教化のために、十方の世界に身を分かちあらわれた仏のこと。
内証
生命の奥底の悟り。外用に対する。
天台大師
(0538~0597)。智者大師の別称。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。天台山に住んだのでこの名がある。中国南北朝・隋代の人で、天台宗第四祖、または第三祖と称されるが、事実上の開祖である。伝によれば、梁の武帝の大同4年(0538)、荊州に生まれ、梁末の戦乱で一族は離散した。18歳の時、果願寺の法緒のもとで出家し、20歳で具足戒を受け、律を学び、また陳の天嘉元年(0560)北地の難を避け南渡して大蘇山に仮寓していた南岳大師を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」と、その邂逅を喜んだという。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得した。これを大蘇開悟という。後世、薬王品で開悟したことから、薬王菩薩の再誕であるといわれるようになった。その後、大いに法華経の深義を照了し、のち金陵の瓦官寺に住んで大智度論、法華経等を講説した。陳の宣帝の太建7年(0575)、38歳の時に天台山に入り、仏隴峰に住んで修行したが、至徳3年(0585)詔によって再び金陵に出て、大智度論、法華経等を講ずる。禎明元年(0587)法華経を講じたが、これを章安が筆録したのが「法華文句」十巻である。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で法華玄義、摩訶止観を講じ、天台三大部を完成する。その間、南三北七の諸師を信伏させ、天台山に帰った翌年の隋の開皇17年(0597)、60歳で没した。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏」がある。
講義
本抄は文永10年(1273)5月28日、日蓮大聖人が52歳の御時、配流先の佐渡・一の谷から、房州(千葉県南部)清澄寺の義浄房に賜った書である。御真筆は現存していない。
本抄を述作される前年の2月には人本尊開顕の開目抄を、また一か月前のこの年の4月には法本尊開顕の観心本尊抄を著され、さらに諸法実相抄、如説修行抄、顕仏未来記、当体義抄など、日蓮大聖人の仏法の骨格をなす重要な法義を述べられた重書が当時続いてしたためられている。
この一連の御書と照合しつつ本抄を拝すると、御文は短いが、種脱相対に立っての甚深の法門が拝される。とくに観心本尊抄と前後し著されているところから、同抄の内容を簡潔に記された書ともなっている。
清澄寺はもともと天台宗の古刹であり、義浄房も永年の研学により、天台教学には少なからず通暁していたと思われる。本抄は、義浄房が寄せた法門に関する質問に答える形で、天台の行法よりも一重深い事行の一念三千の法門を明確にされている。
とくに寿量品自我偈の「一心欲見仏不自惜身命」の文によって「日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり」とされていることは、まさしくこの経文を身にあてて読まれた竜の口での発迹顕本を指していわれたものと拝せられる。
すでに久遠元初の自受用報身如来の御境界に立たれている故に、御一身の当体がそのまま寿量文底秘沈の三大秘法を成就されていることを述べられており、本抄を別名「己心仏界抄」と称するゆえんもここにある。
本抄をいただいた義浄房は、清澄寺の道善房の弟子である。日蓮大聖人は12歳で道善房を師として清澄山に登り、16歳で出家得度されたが、義浄房は兄弟子にあたる。
建長5年(1253)4月28日、大聖人が清澄寺で立教開宗された際、地頭・東条景信が早速迫害を加えてきたとき、浄顕房とともに一身を賭して大聖人をお守り申し上げた。
以来、身は謗法の清澄寺にありながら、心は深く大聖人に帰依し、つねに求道の交信を絶やさなかった。
建治2年(1276)7月には「御本尊図して進候」(0330:01)とあるので、浄顕房は御本尊を授与されており、義浄房もいただいていたものと推察される。
本抄では、最初に法華経の功徳について述べられている。功徳といっても修行があっての功徳である。しかもその修行は、末法の機法相応の如説修行でなければならない。
功徳とは功能福徳の意である。日蓮大聖人は「功は幸と云う事なり又は悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり、功徳とは即身成仏なり又六根清浄なり」(0762:第一法師功徳の事:02)と述べられている。
仏道修行の究極の目的は成仏であり、この成就こそ、最高最大の功徳である。現世における物心両面の一切の福徳も、すべて、ここに含まれることはいうまでもない。
この成仏を三世の諸仏は何によって成就したのか、その本源的な原動力は何であったのか。それが南無妙法蓮華経なのである。秋元御書に「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072:04)と説かれているとおりである。
この本地難思境智の妙法蓮華経を本種として成仏する功徳は、本文に「唯仏与仏の境界」とあるように、仏と仏のみが究め尽くしている甚深の境界である。十方分身の仏の智慧でさえ、及ぶか及ばないかというほどの深い内証の境界であるから、まして凡下の衆生には、とうてい知り難い境界といえる。まさに妙法であり、深遠微妙の法といわれるゆえんである。
それ故に像法の正師である天台大師は法華玄義の序王の中で「妙とは、妙は不可思議と名づく」と釈しているのである。不可思議とは、思義すべからずと読み、言語・思慮ではかることができないとの意である。
法華玄義では、妙法蓮華経について縦横に説き尽くしているが、とりわけ妙法については、そのほぼ三分の二の分量を尽くして論じている。さらに妙については詳細を極め、前代に比類のない法理を展開しているのである。
とはいっても、天台大師の法門はあくまで理観・理行である。立正観抄に「唯仏与仏・乃能究尽とは迹門の界如三千の法門をば迹門の仏が当分究竟の辺を説けるなり、本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず」(0531-05)と、おのずからそこに分限のあることを示されているのである。
ちなみに「唯仏与仏乃能究尽」は法華経方便品の文である。教相では「唯仏」の仏は釈尊であり、「与仏」の仏は多宝如来である。観心の立場では、究尽の体は三世諸仏能生の根源である事の一念三千の南無妙法蓮華経であり、それは日蓮大聖人のみ、よく知るところの深秘の法門となる。
第二章 (伝教所伝の今経の所詮を示す)
本文
然れども此の経に於て重重の修行分れたり天台・妙楽・伝教等計りしらせ給う法門なり、就中く伝教大師は天台の後身にて渡らせ給へども人の不審を晴さんとや思し食しけん大唐へ決をつかはし給ふ事多し、されば今経の所詮は十界互具・百界千如・一念三千と云ふ事こそゆゆしき大事にては候なれ、此の法門は摩訶止観と申す文にしるされて候、
現代語訳
しかしながら、この法華経においては幾重もの段階の修行が分かれている。天台大師、妙楽大師、伝教大師等の方々だけが、知られている法門である。なかでも伝教大師は天台大師の生まれかわりであられたけれども、人々の不審を晴らそうと思われたのであろう。中国へはっきりと決まった答えを得るために人を派遣されることが多かった。さて法華経に説かれた法門は十界互具・百界千如・一念三千ということこそ、非常に大事なのである。この法門は摩訶止観という書に記されている。
語釈
妙楽
(0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
伝教
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
後身
後の身のこと。生まれかわった身。伝教大師が天台大師の後身であるということについては道邃和尚付法文に「『昔、天台大師は弟子たちに、自分が死んで二百余年後、東国に生まれて仏法を興隆すると語ったと言われるが、今その言葉のとおり伝教大師に遇った』と道邃が伝教大師に告げた」(取意)とある。
大唐
隋に続く中国統一の王朝。隋末の群雄の一人、李淵が建てた王朝。都は長安。次の太宗の時に中国の統一が完成されて唐朝の基礎が築かれた。ただし、天台大師は唐朝成立前に亡くなっている。
決
決答の略。はっきりと決まった答の意。伝教大師等の法華三大部等に関する質問に唐の道邃などが答えたものを唐決といった。
所詮
言葉や文字によってあらわされるもの。
十界互具
地獄から仏界にいたる十界のおのおのに十界を具していること。方便品では、凡下の衆生に仏知見がそなわっていると説き、寿量品では三妙合論して仏界常住を説く。この十界互具・百界は、それぞれに十如是を具し、さらに三世間を具して、一念三千となる。ゆえに開目抄には「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(0189:04)と仰せである。ただし、末法における真実の十界互具については、われわれが唱える題目・御本尊を仏界として、唱え奉るわれら衆生は九界であり、この境智冥合をもって十界互具というのである。
百界千如
法華経迹門を与えていえば、理の一念三千であるが、奪っていえば百界千如に過ぎない。
一念三千
仏教の極理である。釈尊はこれを出世の本懐として、法華経方便品に「諸法実相」に約して、ほぼこれを説いた。ついで寿量品にいたり、因果国の三妙に約し、仏身の振舞の上からこれを説いた。これを受けて天台は、像法時代に出現して、摩訶止観で、次のように説いた。観の冒頭に「摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。『夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り』等云云或本に云く一界に三種の世間を具す」と。十界とは「地獄界・餓鬼界・畜生界 ・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」。十如とは「如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」。三世間とは五蘊世間・衆生世間・国土世間」。一念三千には理と事があり、迹門は理・本門は事となる。文底下種本門に対する時は、法華経の本迹二門ともに理の一念三千となり、真の一念三千の法門とは、寿量品文底秘沈の三大秘法である。
摩訶止観
天台三大部の一つ。天台教学の原典。天台大師が隋の開皇14年(0594)、一夏九旬にわたって講説したものを、章安が筆録し一部十巻になした書。内容は五略十広にわたっているが、そのなかに天台教学の極説一念三千が説かれている。
講義
本章では、先に述べられた「法華経の功徳」を得るための修行が重々に分かれていること、それを明らかに知っていたのは天台・妙楽・伝教大師等だけであったこと、その究極が摩訶止観に示されている十界互具・百界千如・一念三千であることを述べられている。
すなわち「法華経の功徳」である即身成仏は、まさに仏と仏とのみが知っておられる甚深の境界であって、そこへ到達するのは容易なことではない。一往、基本的に法華経に説かれている修行法は「受持・読・誦・解説・書写」の五種法師であるが、法華経の秘めている法が甚深微妙であるが故に、単純にこの五種法師を修すれば得道できるというものでもない。そこで、天台大師は、法華経の五種法師を根本としつつも、具五縁(持戒清浄・衣食具足・閑居静処・息諸縁務・近善知識の五縁を具する)、呵五欲(色・声・香・味・触の五欲を呵する)、棄五蓋(貪欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑の五蓋を棄てる)、調五事(飲食・眠・身・息・心の五事を調える)、行五法(欲・精進・念・巧慧・一心の五法を行ずる)という、いわゆる二十五法を示し、身心を調えることを教えた。
しかも、そのようにして、五種の修行で法華経を心肝に染め、身心を調えたうえで、観念観法をし、究極するところ、十界互具・百界千如・一念三千を悟ることを目的としたのである。「されば今経の所詮は十界互具・百界千如・一念三千と云ふ事こそゆゆしき大事にては候なれ」と仰せられているのは、観念観法によって、我が生命を一念三千の当体と覚知するところに、法華経修行の究極があったということである。
ただし、天台大師が説き明かした一念三千は、法華経方便品の「諸法実相・十如是」を根本とし、それに寿量品の三妙合論によって明らかになった三世間の法理を援用して立てられたもので、あくまで迹門が表で、本門は裏に用いられているにすぎない。
いいかえると、天台大師が立てた一念三千は、凡夫の生命に理として具わる三千の法を示したのであって、現実に仏の一身に体現されている「事の一念三千」ではない。それは天台大師自身、あくまでも釈尊という仏のもとでの菩薩・凡夫の立場であり、仏の内証の境地を事の上で説いた本門を中心に論ずることはできなかったということであろうと推察される。
ともあれ、天台大師の一念三千は、理論的には精緻を極めたものの、一念三千の体については示唆と説明だけにとどまったといわなければならない。日蓮大聖人が観心本尊抄に「一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて」(0253:12)と述べられているとおりである。しかも、前述したように、五種の修行、二十五法といった前段階的な複雑な修行を必要とするばかりでなく、観念観法によって悟るということ自体、よほど恵まれた思考能力の人でなければ不可能である。この甚深微妙な法を理解できる上根上機の限られた人々にしか効力を発揮しなかったのである。
これに対して、日蓮大聖人の仏法は次章にそれを示されるのであるが、本面迹裏である。本門を表とし、迹門を裏として、本地自行の法門を立てられたのである。
しかも、治病大小権実違目の「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり……彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなり」(0998:15)との御文に明白なように、日蓮大聖人の事の一念三千こそ真実の法門であり、それに対すれば、法華経文上の本迹二門は通じて〝迹門〟になるのである。
この御文に仰せの本門の一念三千こそ、三大秘法の南無妙法蓮華経であり、真の事の一念三千である。
日蓮大聖人は一切衆生救済のためその法体を御本尊として御図顕あそばされた。「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」(1339:草木成仏口決:13)の仰せが如実に示すとおりである。
そして、この御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉ることによって、直ちに三毒は三徳と顕れて即身成仏を遂げることができるのである。
末法今時において、この修行の選択を誤れば、成仏は思いもよらず、むしろ堕獄の因をつくってしまうことになるのである。
第三章 (寿量の文に己心の仏界を顕す)
本文
次に寿量品の法門は日蓮が身に取つてたのみあることぞかし、天台・伝教等も粗しらせ給へども言に出して宣べ給はず竜樹・天親等も亦是くの如し、寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、叡山の大師・渡唐して此の文の点を相伝し給う処なり、一とは一道清浄の義心とは諸法なり、されば天台大師心の字を釈して云く「一月三星・心果清浄」云云、日蓮云く一とは妙なり心とは法なり欲とは蓮なり見とは華なり仏とは経なり、此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり、一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり、無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり、
現代語訳
つぎに法華経如来寿量品第十六に説かれている法門は、日蓮の身にとって頼みになることである。天台大師・伝教大師等もあらあら知っておられたけれども、ことばに出しては述べられなかった。竜樹・天親等もまた同様である。如来寿量品第十六の自我偈に「一心に仏を拝見しようとして、自ら身命を惜しまない」とある。日蓮の己心の仏の境界を、この文によって顕すのである。そのわけは、寿量品に説かれている事の一念三千である三大秘法を成就しているのが、この経文だからである。このことは秘しておきなさい。
比叡山の伝教大師が唐(中国)に渡って、この経文の注釈を相伝されたところによると、「一心欲見仏」の「一」とは一道清浄の義であり、「心」とは諸法である、という。だから、天台大師は「心」の字を解釈して「一月三星・心果清浄」といっている。日蓮が解釈していうには、「一」とは妙であり、「心」とは法であり、「欲」とは蓮であり、「見」とは華であり、「仏」とは経である。この妙法蓮華経の五字を弘通しようとするためには身命も惜しまないというのが「不自惜身命」である。「一心欲見仏」とは「一心に仏を見る」「心を一にして仏を見る」「一心を見れば仏である」ということである。無作の三身という仏果を成就するということは、おそらくは天台大師・伝教大師にも越え、竜樹・迦葉にも勝れているのである。
語釈
竜樹
梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
天親
天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
自我偈
寿量品の自我得仏来から最後の速成就仏身にいたる偈文をいう。始めと終わりで自身となり、自我偈全体が、別しては日蓮大聖人御自身のことを説かれたものであり、総じては信心修行をする者の自身の生命をあらわしている。始めの自と終わりの身を除いた中間の文字は受用、すなわち活動であり、法・報・応の三身如来の所作、活動を説いているのである。
事の一念三千
文底独一本門の三大秘法の大御本尊のこと。理の一念三千に対する語。一念三千は生命の本質を十界互具・百界千如・三千世間と開いて、余すところなく説き明かした仏法の極理である。釈尊はこの哲理を法華経とし、天台は摩訶止観で一念三千を体系づけた故に理である。日蓮大聖人は法華経本門寿量品文底に秘沈した三大秘法の南無妙法蓮華経を説かれ、一切衆生成仏の大御本尊を建立されたがゆえに事である。
三大秘法
日蓮大聖人が建立された宗旨で、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇をいう。この本尊とは法華経の本門ではなく、文底独一本門の意味。したがって本門の本尊とは、文底独一本門・事の一念三千の妙法が顕された本門戒壇の御本尊をいう。本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経の題目、本門の戒壇とは、本門の本尊の御安置の場所をいう。
叡山の大師
伝教大師の伝教大師の伝教大師のこと。(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
一道清浄
一道とは衆生を悟りへおもむかせる唯一の真実の法理。清浄とは浄らかで煩悩の穢れをはなれているとの意で、あらゆるものの中に普遍的に存在している清浄無垢の仏性をさす。したがって一道清浄とはあらゆるものの中に清浄な生命の仏性があるという十界互具・一念三千の意義を含めた実相のこと。
一月三星・心果清浄
天台大師のいずれの文か明らかでない。一月三星とは「心」の字の下の一画を一月に、そして上の三点を三星に配したもので「心」の字形を示している。一月は一身、三星は三身に配せられ、一身即三身、三身即一身の義をあらわすと考えられる。心果清浄とは、久遠の本果に住せられている無作三身如来の境地が月と星の輝くように澄みわたって清浄であるとの意。
不自惜身命
寿量品に「(一心に仏を見たてまつらんと欲して)自ら身命を惜しまず」の文をさす。信心の基本姿勢を示す文である。勧持品に同意の文がある。「是の経を説かんが為の故に、此の諸の難事を忍ばん、我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」。
無作の三身
無作とは有作に対する語で、作為のないありのままの意。三身とは仏についての三つの身体で、法身(仏の理体)・報身(仏の智慧)・応身(仏の肉体)のこと。無作の三身とは、修行して仏になったというのではなく、ありのままの姿で本来おのずから法・報・応の三身を具えた仏のこと。
迦葉
釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある
講義
本章では、寿量品の法門をとおして事・理の一念三千を相対しながら「一心欲見仏不自惜身命」の文をもって、日蓮大聖人己心の仏界たる事の一念三千の南無妙法蓮華経の体を明らかにされている。
いうまでもなく寿量品は一切経の肝要である。寿量品得意抄にいわく「されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211:18)と。寿量品は釈尊一代五十年の生命であり、究極であり、眼目である。
寿量品がこれほどまでに重要なのは何故なのか。本因・本果・本国土の三妙合論して、仏の久遠常住が明かされたところに、その卓越性があるとされるが、それはまだ文上の領域である。より一重立ち入って論ずれば、この久遠の成道の本因として、事行の一念三千の南無妙法蓮華経がこの寿量品の文底に秘沈されているからである。
三大秘法抄に「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり」(1023:13)と。また開目抄には「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189:02)と説かれるとおりである。
本文で「寿量品の法門は日蓮が身に取つてたのみあることぞかし」と仰せられたのは、この寿量品の文底に秘沈された事行の一念三千の南無妙法蓮華経こそ、久遠元初の自受用報身である日蓮大聖人の御生命にほかならないからである。御義口伝巻下には「南無妙法蓮華経如来寿量品第十六」と記されて「此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり」(0752:04)また「無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752:06)と仰せである。
三大秘法といい、一念三千といっても、御本仏日蓮大聖人の己証の法体ゆえに、まことに「たのみあること」なのである。
また「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊」(0254:08)を明かされた観心本尊抄の送状にも「此の事日蓮身に当るの大事なり」(0255:観心本尊抄送状:01)とある。末法の御本仏日蓮大聖人の一身の当体が閻浮第一の本尊である故に「日蓮身に当るの大事」と仰せなのであり、本抄の御文と同意である。
天台大師も伝教大師も、また竜樹・天親も内心にはこの深秘の法門を覚知していたが、外面は時にかなった相対差別の法を説いたのである。いわゆる内鑑冷然であり、外適時宣(外には時の宣しきに適う)である。
その理由については、諸法実相抄など諸抄に明らかである。すなわち、一には自身堪えざる故に、二には所被の機なき故に、三には仏より譲り与えられざる故に、四には時の来たらざる故に、である。
寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し
法華経の身読、なかんずく寿量品を身読されたのは日蓮大聖人御一人であられる。その法華経の行者としての証明は、命におよんだ四度の大難である。
とりわけ、文永8年(1271)9月12日の竜の口の頸の座をもって、凡夫の迹を払い、久遠元初自受用報身如来としての本地を顕されたのであった。まさに「一心欲見仏不自惜身命」の経文の身業読誦である。故に「己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり」と仰せになっているのである。
その理由として、この経文には三大秘法を成就した深意を含んでいるからであると仰せであるが、この〝成就〟には二つの意味があると拝したい。
一には、先述した竜の口における発迹顕本である。開目抄に「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて」(0223:16)と。また上野殿御返事には「三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり」01558:04)とある。
すなわち、この久遠元初自受用報身如来の御内証を顕されたところに〝成就〟の意があるのである。
二には、日蓮大聖人が己心に証得せられた久遠元初自受用報身如来の御境界を、大曼荼羅として御図顕されることである。
本抄の御述作は文永10年(1273)であるから〝成就〟の意は前者にあるが、すでに発迹顕本された日蓮大聖人の色心は、そのまま本門の本尊であり、唱えられる題目は本門の題目であり、大聖人まします住処は本門の戒壇である。したがって、日蓮大聖人の御身において事の一念三千の三大秘法の〝成就〟は明々白々なのである。
日寛上人は、依義判文抄で「一心欲見仏不自惜身命」の文を、信行具足の本門の題目に約されて「日蓮が己心の仏果等とは、即ち是れ事の一念三千、三大秘法総在の本尊なり。此の本尊は本門の題目に依って顕るる故に、此の文に依って顕る等と釈し給えるなり。事の一念三千の三大秘法とは、日蓮が己心の仏果なり。久遠元初の自受用報身、報中論三の無作三身を成就せること、但是れ本門の題目なり、故に此の文と云うなり」と教示されているのである。
日蓮云く一とは妙なり心とは法なり欲とは蓮なり見とは華なり仏とは経なり、此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり
日蓮大聖人は「一心欲見仏」の五字を、御自身の観心の立場から、妙法蓮華経の五字に配されている。
この御境地は重々無尽、凡智の計りしるところではないが、時々念々作々発々の振る舞いのなかに、ひたすら仏を見んとする一心が仏(妙法蓮華経の当体)であると仰せられたものと拝せる。
この妙法の五字七字を弘通することは不自惜身命の信心と実践が不可欠であり、それは大聖人御自身の実践修行がおのずから示すところである。
また、ここで大事な点は「此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり」とされていることであろう。「一心欲見仏不自惜身命」の一句は、元来「仏を見る」すなわち己心の仏界を悟るために「不自惜身命」たれ、という意である。しかるに大聖人は「一心欲見仏」の心すなわち、御本尊を信じ受持するその信心がすでに「妙法蓮華経」であるとされ、「不自惜身命」は「此の五字を弘通せん」うえでの根本姿勢とされているのである。
因果俱時の妙法であるが故に「一心欲見仏」という因の中に果は俱時にあるのであって、その妙法を〝弘通〟するという自行化他のうえに「不自惜身命」の精神が肝要となるとの仰せと拝せられる。まさに、ここに事行の仏法たる所以があるといえよう。
無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり
前文において「日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり」、また「寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就」と仰せられたうえで、「無作の三身の仏果を成就」すると述べられたことは、日蓮大聖人がまさしく末法の御本仏であるとの明言である。
御義口伝に「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」(0752:寿量品廿七箇の大事:06)と。ここに説かれる「寿量品の事の三大事」とは三大秘法にほかならない。
さらに「無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり」(0752:寿量品廿七箇の大事:11)との仰せを思い合わせるとき、日蓮大聖人が真実究竟の無作三身であり、南無妙法蓮華経の御当体であること明々白々である。本文に「無作の三身の仏果を成就」と仰せられたのもそのためである。
無作の三身は自受用報身の一体三身の徳である。本因の四義との関連でいえば、智は能成の智で、無作の報身である。境は所成の境で、無作の法身である。境智妙合するとき生ずる慈悲の起用は、無作の応身である。位はいうまでもなく名字凡夫位である。
無作とは有作に対することばである。日蓮大聖人は無作について、働かさず、繕わず、本の儘の意であると説かれている。
御義口伝巻下に「無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の儘なり」(0759:第廿三 久遠の事:01)と、本地無作の三身の相貌について述べられている。
その仏の姿は色相荘厳の仏ではなく、尊形を出でた凡夫の当体、本有の姿で、そのまま究竟の真仏であるとの意である。したがって、無作の三身は真実の仏果であり、これよりほかに究竟の仏果はないのである。
この仏果を成就された御本仏日蓮大聖人の御境界は広大無辺、甚深無量であられる故に「天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり」と仰せになっているのである。
我々の信心に約するとき、この無作の三身の仏果の成就は、ただひとえに御本尊への信の一字に帰するのである。「此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり」(0753:03)の御金言を肝に銘じていきたい。
第四章 (不惜身命を勧む)
本文
相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり、法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
文永十年五月二十八日日蓮花押
義浄房御返事
現代語訳
かならず、心の師とはなっても心を師としてはならない、と釈尊は経文に記されている。法華経のためには身をも捨て、命をも惜しまないようにと強盛にいってきたのは、このことである。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
文永十年五月二十八日 日 蓮 花 押
義浄房御返事
語釈
心の師とはなるとも心を師とすべからず
涅槃経巻二十八、六波羅蜜多経巻七に説かれている。
講義
本章は不惜身命の信行を勧めて結ばれる段である。
まず「心の師とはなるとも心を師とすべからず」とは六波羅蜜経の文である。
凡夫の心は微妙であり、時に随って移り、外縁に随って動く。しかも内なる煩悩に支配されやすい。こうした揺れ動く心を「師」としていては、成長も前進もありえない。故に「心を師とすべからず」なのである。
この自分自身ではどうしようもない心を正しく位置づけるには、どうしても「師」が必要不可欠である。すなわち、仏の金言を「師」として仏道修行に励むことである。われわれの信心に約せば、御本尊を無二に信じ、そこに人生を帰していくことが「心の師」にあたる。
したがって、色(体)の行動面で妙法を師とし、大聖人の教えを実践していくとともに心も妙法を根本とし、大聖人の教えに信順していくのでなければならない。
義浄房をとりまく環境はことのほか厳しい。師の道善房は日蓮大聖人の教えが正しいと思いながらも、臆病で小心なところから、地頭の権威を怖れて、清澄寺住僧の保身にきゅうきゅうとし、念仏を捨てきれずにいた。自身の弱い心を師としたのである。
義浄房は大聖人の教えに帰依はしているものの、魔の重圧下にあるだけに、正信の心が動かないとも限らない。義浄房の今後を思いやられての御教示と拝するのである。
「法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれ」は、先の「一心欲見仏不自惜身命」を受けて仰せである。
日蓮大聖人の教えを受持し、正信を貫こうとすれば、三障四魔、三類の強敵が競い起こることは必定である。それ故に「ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(1193:02)と仰せのように、不自惜身命の強盛な信心が望まれるのである。
立宗の際の大聖人に対する地頭の迫害を目前にしている義浄房である。また、その後、相次ぐ大聖人の値難を伝聞して、法華経の持者に受難は当然と心得、覚悟もできていたことであろう。
そのうえで重ねて不惜身命の信心を強調されたことは、不惜の信心なくしては、即身成仏の大功徳は得られないからである。
われわれも日蓮大聖人の大仏法を持った以上、障魔との戦いに心がひるみ、広宣流布の道を進むのに臆したり目先の利欲に迷ったりしてはならない。「相構へ相構へて」と仰せのように、よくよく心して、妙法弘通のために自己を帰していく師子王の信心で、誉れの人生を歩んでいきたいものである。