あるいはくびをきり、あるいはながさればととかれて、この法門を涅槃経・守護経等の法華経の流通の御経にときつがせ給いて候は、この国をば、梵王・帝釈に仏おおせつけて、他国よりせめさせ給うべしととかれて候。されば、この国は法華経の大怨敵なれば、現世に無間地獄の大苦すこし心みさせ給うか。教主釈尊の、日蓮がかとうどをして、つみしらせ給うにや。よも、さるならば、天照太神・正八幡等は、この国のかとうどにはなり給わじ。「日蓮房のかたきなり、すすみてならわかし候わん」とぞ、はやり候らん。いのらば、いよいよあしかりなん、あしかりなん。恐々謹言。
二月十三日 日蓮 花押
御返事
現代語訳
「あるいは首を切られあるいは死罪にされる」と説かれて、この法門を法華経の流通分である涅槃経・守護経等の御経に、説き置かれていることは、この国を大梵天王・帝釈天王に仏が命じて、他国から攻めさせる、とある。したがって、この国は法華経の大怨敵であるから、現在世に無間地獄の大苦悩を少し試されたのであろうか。また、教主釈尊が法華経の行者である日蓮の味方をして厳しく知らされたものであろうか、もしそうであるならば、天照太神・八幡大菩薩等はこの日本国の味方にはなられないであろう。日蓮房の敵だ、と錫で湯を沸かすように勇み立っていることであろう。したがって邪法で祈るならば、ますます悪いことになるであろう、悪いことになるであろう。恐恐謹言。
二月十三日 日蓮在御判
御返事
語句の解説
或はくびをいり或はながされば
くびをきりは文永8年(1271)9月12日の竜の口法難。ながされは弘長元年(1261)5月12日~弘長3年(1263)2月22日での伊豆流罪、文永8年(1271)10月10日~文永11年(1274)3月13日までの佐渡流罪のこと。勧持品には「諸の無智の人、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者あらん」「悪口して顰蹙し、数数擯出せられん」とある。
涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。
小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」二巻
大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」四十巻
栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」三十六巻
「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
守護経
中国・唐代の般若と牟尼室利の共著。守護国界主陀羅尼経の略。密教部の経とされる。国主を守護することが、人民を守護することになるとの理を明かし、正法守護の功徳が説かれている。
流通
流通分のこと。流通とは流れ通わしめることで、流通の義をもって説かれた教説の部分をいう。経を釈する場合、一部を三分する三分科経の一つ。
梵王
梵王大梵天王のこと。梵はブラフマン(Brahman)の音写で、バラモン教では万物の生因たる根本原理の神格化されたものとし、宇宙の造物主として崇拝する。仏法では、娑婆世界を支配する善神で、仏が出世して法を説く時には、帝釈天とともに常に仏の左右にあって、仏法を守護するとしている。
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(?akra-dev?n?m-indra)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二?利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
現世
過去・現在・未来の三世のなかの現在。この世、娑婆世界のこと。
無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィの音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
かたうど
味方。加担者。「かた」は加わるの意。名詞形の「かたひと」の音便変化。
天照太神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日?貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
正八幡
天照太神とならんで日本古代の信仰を集めた神であるが、その信仰の歴史は、天照太神より新しい。おそらく農耕とくに稲作文化と関係があったと見られる。平城天皇の代に「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり、百王を守護せん誓願あり」と託宣があったと伝えられ皇室でも尊ばれたが、とくに武士階級が厚く信仰し、武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝の幕府創設以来、鎌倉に若宮八幡宮をその中心として祭ってきた。
すず
金属の一種。加工しやすく熱伝導がいいことから、台所用品などとして、古くから用いられていた。
講義
本抄は、前の方が欠けており、また、2月13日の日付のみで御述作の年は記されていないが、建治3年(1277)とされる。宛名は不明である。御真筆は京都・本能寺にある。
前の部分が欠けているために全体の内容は不明であるが、日本国が大聖人を迫害しているために他国から攻められて現世に無間地獄の大苦にあっていること、謗法で祈れば、いよいよその苦悩が増すことを明かされている。
「或はくびをきり或はながさればととかれて」と述べられているのは、まさに竜の口法難と佐渡流罪のことであり、それが説かれている経文とは法華経勧持品第十三の文を指していると思われる。
開目抄に「法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし、経に云く「諸の無智の人あつて・悪口罵詈等し・刀杖瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ、「悪世の中の比丘は・邪智にして心諂曲」又云く「白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如し」此等の経文は今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば世尊は又大妄語の人、常在大衆中・乃至向国王大臣婆羅門居士等、今の世の僧等・日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし、又云く「数数見擯出」等云云、日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん」(0202:11)と述べられているように、日蓮大聖人は勧持品に説かれている刀の難と流罪の難にあわれているのである。
そして、法華経の行者をそのように迫害し正法に背く国を、法華経の流通分である涅槃経や守護経には、仏が梵天・帝釈に命じて他国から攻めさせると説かれていると述べられてる。
涅槃経の文とは、第三の寿命品第一に「我涅槃し已りて、其の方面に随いて、持戒の比丘あり、威儀具足し、正法を護持して、法を壊す者を見て、即ち能く駆遣し呵責し徹治せば、当に知るべし、是の人福を得ること無量にして称計すべからず。善男子、譬えば王有りて専ら暴悪を行じ、会重病に遇うこと有らん。隣国の王有り、其の名声を聞きて、兵を興して来たり、規して殄滅せんと欲す。是の時、病王力勢無きが故に、方に乃ち恐怖して、心を改めて善を修す。而して是の隣王は、無量の福を得るが如し」とある文を指したものであろう。
守護経については、卷十の如来嘱累品第十一に「而の時に、護世四天王、倶に座より起って合掌して同声に仏に白して言さく、世尊、我、如来に対して、深重の願を発す。未来世に於いて、是の経及び諸の国王・大臣・長者一切人民の経を受持する者を擁護せんと。偈を説いて言わく『此の経を説く処、及び聴法の衆会に随って、我、諸の眷属とともに、皆当に之を守護すべし。若し勤めて受持し、及び菩提意を発することあらば、当に四方に於いて面り、擁護して常に離れざるべし』」等と、梵天・帝釈の諸天が正法及び護持の人を守護することを誓った文がある。
また瑞相御書に「守護国界経と申す経あり法華経以後の経なり阿闍世王・仏にまいりて云く我国に大早魃・大風・大水・飢饉・疫病・年年に起る上他国より我が国をせむ、而るに仏の出現し給える国なり・いかんと問いまいらせ候しかば・仏答えて云く善き哉・善き哉・大王能く此の問をなせり、汝には多くの逆罪あり其の中に父を殺し提婆を師として我を害せしむ、この二罪大なる故かかる大難来ることかくのごとく無量なり、其の中に我が滅後に末法に入つて提婆がやうなる僧・国中に充満せば正法の僧一人あるべし、彼の悪僧等・正法の人を流罪・死罪に行いて王の后・乃至万民の女を犯して謗法者の種子の国に充満せば国中に種種の大難をこり後には他国にせめらるべしと・とかれて候」(1142:05)と述べられているのと同趣旨と思われる。
なお、立正安国論には、金光明経、薬師経、仁王経などの文を引かれて、正法に背いた謗法の国土が他国から攻められることが明かされている。本抄では「法華経の流通の御経」として、法華経以後に説かれた経に文証を求められている。
当時の日本は、念仏・禅・真言などの邪義謗法を信ずるばかりか、大聖人を弾圧・迫害し、正法の大怨敵となっていたゆえに、蒙古の責めを招きよせたのである。蒙古襲来によって悲惨な被害にあった北九州地方の民衆だけでなく、日本一国が恐れおののいていたことなどを指して「無間地獄の大苦すこし心みさせ給うか」と仰せになっているのである。
兄弟抄に「かのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすてて・よしなき海をまほり雲の・みうればはたかと疑い・つりぶねの・みゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮するところは国主の法華経の・かたきと・なれるゆへなり、国主のかたきと・なる事は持斎等・念仏真言師等が謗法よりをこれり」(1084:01)と文永の役の後の人々の苦悩のありさまと、その原因があることを述べられている。
しかし、そうした世間の苦悩は、無間地獄の大苦の一分にしかすぎないのであり、これは教主釈尊が、日本の人々に反省を起こさせ、邪法邪義を捨てて正法に帰依させるために、日蓮大聖人を助けているであろうとされ、「教主釈尊の日蓮がかたうどをしてつみしらせ給うにや」と述べられているのである。
したがって、蒙古襲来にあって日本一国が天照太神や八幡大菩薩の加護を祈っても、諸天善神は正法に背く者を守らないわけがないのである。
そればかりでなく、諸天善神は“日蓮大聖人の敵となっている日本国の人々を処刑して目覚めさせよう”と、ちょうど錫の酒器で湯を沸かすと、すぐに湯が沸くように、ますます災いを激しくしてくるであろうと述べられている。当時、錫の酒器は土器の酒器よりも早く湯が沸くので重宝されていたのである。
したがって、邪義邪法によって蒙古調伏を祈るならば、かえって悪い結果になるであろうと、大聖人は厳しく指摘されて本抄を結ばれている。
当時、文永の役で一度は蒙古軍が撤退したものの、その後も蒙古からの服属を求める使者がたびたび派遣されてきており、蒙古の再度の襲来は必至とされていた。
大聖人は、そうした事態の本質を、謗法に祈っているところにこそ現世に無間地獄を招き寄せる根本原因があると指摘され、謗法で祈れば祈るほどかえって災禍を増すことを示して、諌められているのである。