富木殿御返事(願望仏国事)(2015:07大白蓮華より 池田大作先生の講義)
世界を照らす太陽の仏法
広布と人生――「大いなる理想」の実現を!
「広宣流布」は仏の願いであり、人類の希望の太陽です。
民衆の幸福と世界の平和――この「大いなる理想」に生きることを誓願する人生ほど、価値ある悔いなき一生はありません。
今年は終戦70年の節目です。
戦争が終結する直前、焦土と化した荒野に、ひとり立たれた恩師・戸田城聖先生は、この地上から悲惨と不幸を根絶することを強く願い、妙法流布の一歩を踏み出されました。
この恩師の誓願の姿が、一人また一人と、私たち青年の心に、平和の時代を創りゆく光を灯したのです。
師が切り開いた、大いなる理想の道に弟子が続いていく。今日の壮大なる広宣流布の前進が開始されたのです。
青年こそ新しき時代を創る主人公
7月は、青年部結成の月です。
1951年(昭和26)7月11日、男子部結成の折、戸田先生は語られました。
「広宣流布は、わたくしの絶待やり遂げねばならぬ使命であり、各自その尊い地位を自覚してもらいたい。近くは明治の革命をみても、原動力は青年であり、はるか日蓮大聖人御在世のときも、御弟子の方々は、みな青年であった」――つねに青年が時代を動かし、新しい時代を創っていくのだ、と。
さらに19日の女子部結成の時には、こう語られました。
「学会の女子部員は、一人残らず幸福になるんですよ。これまでの女性史というものは、一口で言えば、宿命に泣く女性の歴史といってよかった。皆さんは、若くして妙法を持った女性です。もはや宿命に泣く必要はない」と。
今、この誓願を、わが誓願として立ち上がる青年が、世界中に陸続と出現しています。地球を包む若き地涌の群舞を、恩師がどれほど喜ばれていることか。師匠の夢の実現へ、生涯をかけてきた私にとって、これほど嬉しいことはありません。
今回は、この地涌の若人たちと一緒に学ぶ思いで、私が青年時代から命に刻んできた御聖訓を拝していきます。
本文
已に眼前なり仏滅後二千二百余年に月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に天親・竜樹内鑑泠然外適時宜云云、天台・伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや。
前相已に顕れぬ去正嘉の大地震前代未聞の大瑞なり神世十二・人王九十代と仏滅後二千二百余年未曾有の大瑞なり神力品に云く「仏滅度の後に於て能く是の経を持つが故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現ず」等云云、「如来一切所有之法」云云、但此の大法弘まり給ならば爾前迹門の経教は一分も益なかるべし、伝教大師云く「日出て星隠る」云云、遵式の記に云く「末法の初西を照す」等云云、法已に顕れぬ、前相先代に超過せり日蓮粗之を勘うるに是時の然らしむる故なり経に云く「四導師有り一を上行と名く」云云又云く「悪世末法時能持是経者」又云く「若接須弥擲置他方」云云。
又貴辺に申付し一切経の要文智論の要文五帖一処に取り集め被る可く候、其外論釈の要文散在あるべからず候、又小僧達談義あるべしと仰らるべく候流罪の事痛く歎せ給ふべからず、勧持品に云く不軽品に云く、命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也
現代語訳
大法興隆はすでに眼前の事実なのである。仏滅後二千二百余年の間に、インド、中国、日本、そして一閻浮提の内で「天親、竜樹は内鑑冷然にして、外には時の宜しきに適う」とあり、天台大師、伝教大師は少しはこの大法を釈されたが、弘められなかった。こうした人々が弘通されずに残された一大事の秘法を、この日本国に初めて弘通するのである。日蓮こそ、その弘通の人ではないだろうか。
前相はすでに顕れている。正嘉元年(1257)の大地震は前代未聞の大瑞であった。それは神の世十二代、人王九十代、仏滅後二千二百余年の間にかつてなかった大瑞である。
法華経神力品第二十一には「仏の滅後に、能くこの妙法を持つが故に、諸仏は皆歓喜して無量の神力を現ずる」と説かれ、また「如来の一切の所有するところの妙法を上行菩薩に付嘱する」と説かれている。この大法が弘まったならば、爾前経や迹門の経教は一分も利益がなくなるのである。伝教大師は「日が出て星は隠れる」といい、遵式の南獄禅師止観序には「末法の初め西を照らす」と述べられている。
大白法はすでに顕れたのである。その仏法出現の瑞相は先代を超越している。日蓮このことを勘えるのに、大法が弘まる時がきたためである。従地涌出品第十五には「地涌の菩薩には四導師がいる。その第一を上行という」と、また分別功徳品第十七では「悪世末法の時、能くこの経を持つ者」とあり、見宝搭品第十一には「若し須弥山を接って他の世界に擲げ置くことより、この法華経を持つことは難しい」と説かれている。
また、あなたに頼んであった一切経の要文、大智度論の要文の五帖を一か処に取り集めておいてもらいたい。それ以外の論釈の要文も散失しないようにお願いしたい。
また小僧達の学問談義を怠らないように伝えてもらいたい。私の流罪のことはけっして歎いてはならない。勧持品や常不軽菩薩品にあるとおり、法華経の行者は大難にあうのである。命は限りあるものである。これを惜しんではならない。願うところは寂光土である。
講義
「難こそ誉れ」の誓願の大道を
「富木入道殿御返事」の一節です。
私は、この、「命限り有り惜しむ可からず」の一文のままに、恩師の大理想を実現するために、ありとあらゆる悪戦苦闘を尽き抜けて、広布に走り続けてきました。
この御文は、いかなる逆風も、仏の大願の火を消すことはできない。いな断じて消してはならないという毅然たる魂の叫びであると拝されます。
あらためて確認したいことは、本抄は、日蓮大聖人が、竜の口法難後、佐渡の塚原に到着されて間もなく、最大の逆境の中でご自身の戦う心境はいやまして盛んであり、いよいよこれからが広宣流布の大事な時であると門下に教えられた御文だということです。
ここで簡潔に経過を示せば、佐渡流罪の処分を受けた大聖人は、文永8年(1271)10月10日相模国依智(神奈川県厚木市依智町)を出て、12日間をかけて越後国寺泊(新潟県長岡市)に到着されました。この地で数日、風待って佐渡に渡られたのが10月28日。在所となる塚原三昧堂に入られたのは11月1日のことでした。
本抄は、同年11月23日のお手紙です。今の暦にすると12月26日にあたり、極寒の只中です。本抄の冒頭には、厳しい北国の様子がつづられています。
「佐渡の国に到着してからの2ヵ月は、寒風が吹きすさび、霜や雪が降らない日はあるけれども、日の光は見ることはない。八寒地獄の苦しみを生きながら感じている」と仰せです。身が裂かれるような寒さに苦しめられていたのです。さらに大聖人は、罪人として扱われ、十分な食料も与えられませんでした。また、仏法の正邪など弁えない人々には、“諸宗を批判する悪僧が流されてきた”と映っていたはずです。実際に絶え間なく命を狙われていました。
本抄の末尾には、「実際の厳しさは筆端に載せ難く候」と綴られ、帰したお供の者たちから聞いてほしいと記されています。お供の者たちを帰さざるを得ないほど、過酷な生活環境であったということです。
しかし大聖人のお心は、一点の曇りもなく、妙法のために生き抜く喜びにあふれていました。
その御境涯を弟子たちに理解させるため、大聖人は佐渡に渡る直前、寺泊から富木常忍に送られたお手紙の内容をよく考えていきなさいと言われています。
このお手紙には、大聖人こそ法華経の行者であり、諸々の菩薩の加護は絶対に間違いないことが明かされているのです。
大聖人は、「難こそ誉れ」との御自身のお振る舞いを通され、広宣流布の使命に断じて生き抜くよう呼びかけられ、真正の弟子を育成されていったのです。
「一大事の秘法」を初めて弘める
本抄では、仏教史を俯瞰され、正法・像法時代の竜樹・天親・天台・伝教たちが、それぞれ時に応じて正法を説き広めたものの、「一大事の秘法」、すなわち万人の成仏を実現する根源の法、南無妙法蓮華経を説き弘めることはなかったと記されています。
そのうえで、「一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや」と仰せです。大聖人こそが末法の衆生を根本的に救っていける大法を弘めた、との大宣言です。身は国法で縛られようとも、心は誰も縛ることはできません。まさしく師子王であり、生命の大王者です。
末法の御本仏として、大聖人が一人立ち上がり、弘教を開始された。そのことによって、未来の大法興隆の道が開かれたのです「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(0329:02)と、後に「報恩抄」で述べられている通りです。
この御境涯に触れた時、門下の心から、心配や不安の闇は打ち払われ、胸中に広宣流布の希望の太陽が赫々と輝き渡ったでしょう。大聖人に続いて、自らも一人立つ誓いが勇気凛々とみなぎったに違いありません。
大願に生きる時、生命が大きく開かれます。大きな生命境涯を得ることで、現実の課題や悩みを見下ろし、勝ち越えていくことができるのです。
だからこそ大聖人は本抄で、「痛く歎せ給ふべからず」と仰せです。これは、「千が九百九十九人は堕ちて候」(0907:07、新尼御前御返事)といわれる大迫害の渦中の門下へ、嘆いてはならないと呼びかけられた励ましでもあります。
さらに大聖人は「勧持品に云く法華経に云く」と、経文通りに三類の強敵による大難、杖木瓦石の難に遭っていることは、真実の法華経の行者の誉れであると示されています。
であるなら、その師と同様に難に遭っている弟子もまた、法華経の行者であると讃えられているのではないでしょうか。
信心のゆえに、不当な非難中傷に遭うこともあるでしょう。しかし、広宣流布のための一切の苦難は、法華経の通りに生きている証しである。すなわち、成仏の大直道を歩んでいる証明なのです。
今の現実の苦難は、自らの人間革命、成仏のためであり、一切が自身の生命を鍛え上げる仏道修行です。そう決めて祈れば、困難に向かっていく勇気が沸き起こります。その姿こそ、仏界の生命が涌現していく実像なのです。
広布に生ききる人生とは、人間としての最極の生き方そのものなのです。
法のために生ききる重要性
大聖人は、本抄の最後で、苦難の嵐の中で懸命に戦う門下に、「命限り有り惜しむ可からず遂に願う可きは仏国也」と結論されています。
師匠も弟子も、明日の命さえ危ぶまれる状況下にありました。
そのなかにあって、法のために生き抜け!身を惜しまず、永遠の仏を目指しゆけ!と仰せになったのです。しかし、だからと言って、決して命を粗末にせよと教えられているのではありません。
生を受けた以上、誰人も死を免れるわけにはいきません。だからこそ、かけがえのない、自分に与えられた命の時間を、どのように生きればよいのか。
「佐渡御書」には「世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし」(0956:15)と仰せです。
命よりも大切なものだからこそ、その最も大切な命を何のために使うのか。その生き方が問われるのです。
人間は必ず死に臨む時が来ます。この厳粛なる事実と正面から向き合う時、今の瞬間瞬間の生をいかに価値あるものにするのか。その大切さに気づくことができるのです。
「心の財」は永遠に輝く
「人身は受けがたし」「人身は持ちがたし」だからこそ、大聖人は、どう一日を意義あらしめるかを三種財宝を通して教えられています。「蔵の財」も「身の財」も、今世だけで消え去ってしまうのです。「心の財」があってこそ、真に崩れざる価値が生まれます。この命の価値を永遠ならしめるために、「心の財」を積むことがどうしても必要です。まさに、「心の財第一」なのです。
その「永遠」につながる確かな価値を見いだすことで、人間は、この「生」を最大に生ききることができます。それゆえにこそ、宗教が必要なのです。
永遠の中で、人間の一生は、一瞬のようなものかもしれません。しかし、真の宗教は、その一瞬に永遠の価値を創る道を示している。
「とにかくに死は一定なり」(1561:02、上野殿御返事)です。同じ一生を生きるのであれば、大願に生きて、わが露を大海に入れ、わが塵を大地に埋めるが如く、無量の価値を生み出す一生を送るべきです。
民衆のために、悪知識と戦え
大聖人は、この後にも、富木常忍に「万歳悔ゆること勿れ」(0970:15)と仰せです。
それが、「富木殿御書」の御金言です。
「我が門家は夜は眠りを断ち冬は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(0970:14)
牧口常三郎先生が御書に線を引かれていた一節です。
ここで大聖人は「我が門家」と、全門下に呼びかけられています。
すべての弟子が「止暇断眠」で常に案ずべき「之」とは何か。お手紙の趣旨を要約して述べれば次のようになります。
「持戒・我見の高僧等」、すなわち世間から立派な振る舞いをして尊敬を集めているが、仏法の根本をわきまえず、民衆をたぶらかしている悪知識の僧たちの正体を見破っていきなさい――。
そう呼びかけられているのです。
ここで、「持戒・邪見の高僧等」の例として挙げられているのは、弘法・慈覚・智証の3人であり、その末弟たちです。なかんずく、天台の座主であった慈覚・智証は、本来なら、師匠である伝教大師が伝え弘めた正法を護持し、弘通して、民衆を幸福に導くべき存在です。それが、師の没後、時を経ずして、正法を見失い、民衆を迷わせ、謗法を一国にはびこらせてしまったのです。
大聖人は、釈尊・天台・伝教という法華経の行者の系譜を踏まえ、正法が滅びるのを惜しまれて、護法のために、報恩のために、不惜身命の大闘争を貫かれました。
わが門下であるならば、この峻厳な事実をよく考えに入れて、どこまでも正義の心を受け継げとの師子吼が拝さえてなりません。
日蓮仏法を創価学会が継承
正法を守るために戦うべき人が戦わない。それが、法滅を招きます。
大聖人の仰せ通りに正義を叫び、軍部政府によって投獄されたのが、牧口先生であり戸田先生でした。
この時、よく知っているように、宗門は軍部政府の圧力に怯え、国家権力に迎合しようとしたのです。そのなかで、牧口先生は「一宗が滅びることではない。一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、恐れるのである。」と、断固、正法正義を守り抜かれた。この殉教・護法の精神を貫く創価の師弟にこそ、大聖人の魂が脈打っているのです。
先の「富木殿御書」の御文で厳しく戒められている「空しく」とは、根本の使命を忘れ去って、目先のことに流されて漫然と生きる人生を指しています。
「命限り有り惜む可からず」
「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」
この覚悟の深さが、人生の深さを決定づけます。
青年時代、私は医師から「30歳まで生きられないだろう」と告げられました。「命限り有り」を痛感する日々でした。それゆえにこそ、一日一日を真剣勝負で広布のために走り抜きました。いつ倒れてもいいように、“師弟不二の弟子の模範を後世に残そう”と覚悟を定め、真剣勝負で戦い切りました
私はこの心で信仰に生き抜いてきたゆえに、「更賜寿命」の妙法の果徳を頂戴したと確信しています。また、「更賜寿命」の勝利を語る同志の体験談は枚挙にいとまがありません。その一つ一つが御金言通りの人生のすばらしさを実証しています。慈折広布の誓願の使命に徹した人生は、雲一つない最高に晴れやかな境涯が約束されているのです。
古代ローマの哲人マルクス・アウレリウスは、こう言いました。「あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可通のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」
だからこそ、「今」を真剣に生きるのです。
ただ「身」を惜しむだけで何も行動しなければ、何も残りません。法を惜しんで、苦労をいとわず、広宣流布に邁進することです。1回限りの今世の人生を、広布に捧げることが「万歳悔ゆること勿れ」となるのです。
いうまでもありませんが「身を惜しまず」ということと、無理をすることは別です。「法」のために、わが身を使っていけるよう、賢く健康第一でいくことです。一日でも長生きして広布の人生を生き抜くことが最高の財宝となるのです。
所願満足の人生とは、妙法という最高の法のため、人々のため、社会のために、一日一日、完全燃焼していくことです。
「創価の連帯」を世界の各地で
恩師の後を継ぎ、第3代会長として戦いを開始してより55年、世界に妙法という平和の種を、久遠の同志と共に植えてきました。
同じ誓願を抱いた地涌の同志が、各地、各国で一人また一人と立ち上がり、今やSGIの平和と幸福のスクラムは、世界192ヵ国・地域に広がりました。
草創の友は、世界広布という夢を共有し、それこそ幾多の困難を乗り越え、共に歩んでくれました。今、その方々が「学会員でよかった」「こんなにすごい時代が自分の生きている間に来るとは思わなかった」「広布の戦いは一切無駄がないし、悔いはない」と口々に語っています。
先日SGI春期講習会で来日した方々の中にも、私が最初の世界歴訪の折、出会いを結んだ方のお子さん方が何人もいました。世界を超えて、広宣流布の誓願が受け継がれていることは、頼もしい限りです。
一人の人間の一生は限りがあります。しかし、広布の祈りも、誓願も、行動も、世代を超えて永遠に流れ、伝っていくのです。生命に積んだ福運も、そして、人々に仏法を弘めてきた功徳も、絶対に崩れません、「広布のため」「人々のため」との大願の行動は、即「自分自身のため」「自分の眷属のため」の大福徳となります。
「私は妙法に生ききった」――こう胸を張って言い切れる崇高なる生涯は、必ず周囲を照らし、照らし続けます。わが生命を燃え上がらせた闘争は、末法万年尽未来際に輝いていくのです。すなわち、広布に生きる人生は、三世永遠にわたる幸福境界を開くことができるのです。
私たちの広布の人生には、仏の生命の大歓喜があります。絢爛たる世界広布の大ロマンがあります。まだまだ、壮大な末法万年の序分です。希望の遠征は始まったばかりです。50年先、100年先と、未来への大潮流の思いをはせれば、胸が躍ります。
だからこそ、青年に申し上げたい。
断固として、現実の苦労に勇敢に忍耐強く勝利していただきたい。そのために、自身が今いる場所で勇んで、大法弘通の使命に立ち上がることです。
皆が広布大願の勝利の人生を
わが地涌の使命に目覚めた人生は、いくらでも深くなります。いくらでも強くなる。そして、自在に共感を広げ、永遠の価値を生み出していくことができます。
大事なことは青年時代に、「広宣流布こそわが人生」との誓いを決定しゆくことです。そして、わが理想を貫き通していくことです。そのなかで、絶対に悔いのない深き生涯を築き上げることができるのです。
青春時代の誓いが魂の光源となって、一生を照らします。ゆえに、どんなことがあっても、光を失ってはなりません。
講義を結ぶにあたって、世界の青年たちに、また青年と共に戦う全同志に呼びかけたい。
どこまでも共戦の前進を!
最高に価値のある広布と人生の旅を!
大いなる理想の一生を勝ち飾ろう!