現代語訳
もって全世界の人々の眼を抉ることになるだろう。釈迦仏の御名をば幼稚には日種といい、成道されてからは慧日という、この国を日本といい、主をば天照と申いう。
語句の解説
一閻浮提
閻浮提は梵語ジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮とは樹の名。堤は洲と訳す。古代インドの世界観では、世界の中央に須弥山があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとする。この南閻浮提の全体を一閻浮提といった。
日種
釈尊5姓のひとつで釈尊の幼名。撰時抄には「摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う、かるがゆへに仏のわらわなをば日種という」(0282:12)とある。
慧日
①仏の智慧を日にたとえた言葉。②釈尊の尊称の一つ、慧日大聖尊のこと。
天照
天照太神のこと。日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日?貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
講義
本抄は前後が欠落した御消息の断片で、御真筆の存在も不明である。そのため、御述作年代、本抄を与えられた人などは分からない。
最初の「もつて一閻浮提の者の眼を抉るべきか」との仰せは何を指摘された御言葉であるのか分からない。だれか邪義を唱える者の所行を破折されているのであろう。大聖人は諸御抄でこうした表現を用いられている。例えば次のような仰せもある「法華経は人天・二乗・菩薩・仏の眼目なり、此の眼目を弘むるは日蓮一人なり、此の眼には五眼あり、所謂肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり、此の眼をくじりて別に眼を入れたる人あり、所謂弘法大師是なり、法華経の一念三千・即身成仏・諸仏の開眼を止めて、真言経にありと云えり、是れ豈法華経の眼を抽れる人に非ずや、又此の眼をとじふさぐ人あり所謂法然上人是れなり」(0841:01)と。法華経の信仰を妨げて真言を勧めるのは眼をくじることであり、法華経を捨閉閣抛というのは眼を閉じることである。
そこでこの御文の後の仰せと関連のあるものとすると、撰時抄に類似の御文がある。
「師慈覚の伝に云く「大師二経の疏を造り功を成し已畢つて心中独り謂らく此の疏仏意に通ずるや否や若し仏意に通ぜざれば世に流伝せじ仍つて仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す五日の五更に至つて夢らく正午に当つて日輪を仰ぎ見弓を以て之を射る其の箭日輪に当つて日輪即転動す夢覚めての後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝うべし」等云云」(0281:06)
「修羅は帝釈と合戦の時まづ日月をいたてまつる、夏の桀・殷の紂と申せし悪王は常に日をいて身をほろぼし国をやぶる、摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う、かるがゆへに仏のわらわなをば 日種という、日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり、されば此のゆめは天照太神・伝教大師・釈迦仏・法華経をいたてまつれる矢にてこそ二部の疏は候なれ、日蓮は愚癡の者なれば経論もしらず但此の夢をもつて法華経に真言すぐれたりと申す人は今生には国をほろぼし家を失ひ後生にはあび地獄に入るべしとはしりて候」(0282:11)すなわち慈覚が金剛頂経の疏と蘇悉地経の疏をつくった際、それが仏意にかなうかどうかを判ずるのに、太陽を射た夢を見てそこで仏意にかなったと確信したという話であるが、大聖人は過去の例をあげながら、これこそ仏をないがしろにすることを示した夢であると破折されている。
本抄の仰せが慈覚を指すかどうかは分からないが、撰時抄の仰せと軌を同じくしているとすれば、慈覚の所行はまさに一閻浮提の衆生の眼を抉るものであることは疑いないといえよう。
なお、文中、日天を仏の代名詞であると教えられている。釈尊の幼名を日種というのは、撰時抄に摩耶夫人が日をはらんだ夢を見たゆえであると教えられている。ただし、釈迦氏譜には、日種は父の姓を指すとしている。釈尊は成道後は慧日大聖尊と呼ばれた。法華経方便品に「慧日大聖尊、久しくあって乃し是の法を説きたもう」等とある。
しかし、更にいうならば、日は末法の御本仏・日蓮大聖人の仏法をあらわすのである。釈尊の仏法は大聖人の仏法に対すれば、月にあたるのである。
まず、この国は日本国である。このことについて諌暁八幡抄には「天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり」(0588:18)と。
次いで、日本の主を天照太神であると仰せである。先に挙げた撰時抄の御文にもそのことを示されている。
しかし、本抄には触れられていないが、大聖人の「日蓮」の御名乗りこそ、大聖人の仏法の根本を示すものであることを想起しなければならない。大聖人はお手紙を与えられた信心によって、あえて触れなかったと思われる。大聖人の「日蓮」という宝号について、産湯相承事には、次のようにある。「国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり」(0879:10)「日蓮の日は即日神・昼なり蓮は即月神・夜なり」(0879:16)。