大果報御書
第一章(苦境の中の供養の志を賞される)
者どもをば少々はおいいだし、あるいはきしょうかかせて、ほうにすぎて候いつるが、七月の末・八月の始めに所領かわり、一万余束の作毛おさえかられて山やにまどい候ゆえに、日蓮房をぼうじつるゆえかとののしり候上、御かえりの後、七月十五日より已下、いしばいと申す虫ふりて、国大体三分のうえそんじ候いぬ。おおかた人のいくべしともみえず候。これまで候おもいたたせ給う上なに事もとおもい候えども、かさねての御心ざし、ほうにもすぎ候か。
なによりもおぼつかなく候いつることは、とののかみの御気色いかんがとおぼつかなく候いつるに、なに事もなきこと、申すばかりなし。
現代語訳
~の者どもをは少々追い出し、あるいは起請文を書かせて、法に過ぎた処置であったが、七月末から八月初めに所領がかわり、一万余束の作物さえも刈り取られて、山野に彷徨ったため、日蓮をなを誹謗しているからであると主君に言い切ったというが、貴殿が御帰りになった後、七月十五日から上も下も石灰という虫が降って、国の大体三分の一は飢饉に陥った。大方の人は生きていけるかどうかも分からない。これまで気をつかっていただいたうえは、もうどのようなものであっても不可能と思っていたけれども、かさねてのお志は法に過ぎることである。
日蓮がなによりも気掛かりなことは、貴殿の主君のご機嫌がどうであるかと気になっていたが、何事もなかったことは、大変喜ばしいことである。
語句の解説
きしよう
祈請文のこと。神仏に誓いを立てて、自分の行為、言説に偽りがないことを表明した文書・誓紙・厳守すべき事項を記した前書き部分と、もしこれに違背すれば神仏の罰を受ける旨を記した神文からなるもの。
いしはい
蝗など、稲を好んで食するバッタ科の害虫と思われるが、詳細は不明。
講義
本抄は前半が欠けており、ご述作年月日、宛名ともに明らかでない。一説では文永10年(1273)9月、四条金吾に与えられた御書ともいわれている。
文永10年(1273)9月御述作の根拠といわれるのは、本抄に「七月十五日より上下いしはいと申す虫ふりて」と述べられており、これは文永10年(1273)11月の御消息とされる土木殿御返事に「今年日本国一同に飢渇の上佐渡の国には七月七日已下天より忽ちに石灰虫と申す虫と雨等にて一時に稲穀損し」(0946:03)と述べられているのに符合することによる。したがって、石灰虫が降ったとされる文永10年(1273)8月に佐渡まで大聖人を訪れた信徒に与えられたものと考えられるからである。
初めの部分は、詳細は明らかではないが、大聖人の門下が迫害されたり、あるいは信心を捨てるとの起請文をかかせられたりといった迫害を受けたが、その迫害した人が7月末から8月末にかけて所領が代えられ、一万束という稲を刈り取られたために山野に迷う事態になった。と述べられているが、だれを指していたかは明らかではない。本抄をいただいたのが四条金吾とすれば江間氏ということになる。江間氏とすれば、前年の文永9年(1272)2月の北条時輔の乱の際、一族の名越教時・時章の一味として滅ぼされており、江間氏も一味かと疑われたことがあるので、それに関した処置とも思える。
「日蓮なを・ばうじつるゆへかと・ののしり候」と述べられている御文の意味はとくにわかりにくいが、大聖人を誹謗したから所領を代えられたと主君に対して言い切ったという意か。
大聖人のもとから帰った後、7月15日から、石灰虫が降って佐渡の国の三分の一以上の民が飢饉に陥ったと述べられているが。石灰虫の正体はよくわからない。一説ではいなご類が大量に飛来したものではないかとされている。そうだとすれば、佐渡だけでなく、日本の各地に大きな被害が出ていたと思われる。そこから「をもひ候へども・かさねての御心ざしはうにもすぎ候か」と述べられていたものであろう。
日本一国が飢饉の状態にあるとき、少しも変わらず大聖人へ御供養した志を「はうにもすぎて候か」と最大におほめになっているのである。
そして、何よりも心にかかることは、主君の機嫌がどうかと心配していたところ、何事もなかったと知ってこれ以上の喜びはないと仰せであり、信徒の身を思われる大慈悲の御心の一分をうかがうことができる。
大聖人が心配されたのは、主君を破折したことと、佐渡まで大聖人を訪れたことに対して主君がどう思ったかということであろう。
第二章(正法流布の必然を示す)
かうらいむこの事うけ給わり候ぬ、なにとなくとも釈迦如来・法華経を失い候いつる上は・大果報ならば三年はよもとをもひ候いつるに・いくさ・けかち・つづき候いぬ、国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし。
御母への御事・経をよみ候事に申し候なり、此の御使いそぎ候へば・くはしく申さず候、恐恐。
現代語訳
高麗や蒙古のことは承った。なにはなくとも釈迦如来・法華経を失ったからには、大果報があったとしても三年はよもやもつまいと思っていたが、戦争や飢饉が続いた。我が国がどのようになるかはとにかくとして、法華経の弘まることは疑いないことである。
御母のことは、法華経を読誦することにします。この御使いが急ぐので、詳しくは申し上げない。恐恐。
語句の解説
かうらい
能登半島の王朝(0918~1392)。開城の豪族・王建が弓裔を倒して朝鮮北部に建国、国を高麗と称した。さらに0953に新羅を併合し、翌年に後百済を滅ぼし、朝鮮を統一した。その後、蒙古の侵略を受けて属国となり、1392年に滅びた。
むこ
13世紀の初め、ジンギス汗によって統一されたモンゴル族の国家。東は中国・朝鮮から、西はロシアを包含する広大な地域を征服し、四子に領土を分与して、後に四汗国が成立した。本国の中国では五代フビライが1271年に国号を元と称し、1279に南宋を滅ぼして中国を統一した。日本には、文永5年(1268)1月以来、たびたび入貢を迫る国書を送ってきた。しかし要求を退ける日本に対して、蒙古は文永11年(1274)、弘安4年(1281)の2回にわたって大軍を送った。
大果報
大きい果報のこと。果報の果は過去世の善悪の業因による結果で、報はその業因に応じた報い。また果は受ける結果で、報は外形にあらわれる報い。
講義
この段で、蒙古軍の襲来が必然とみられていた当時の世情は、一国が正法に背いているからであり、そのために国が滅びることがあっても、正法が流布することは疑いないと大確信が述べられている。
「かうらいむこの事」とは文永9年(1272)5月に高麗の国使が蒙古の国書を携えてきており、文永10年(1273)3月には蒙古の使者・趙良弼が太宰府にきたが、いずれも返書を与えられずに帰国しているので、そのことを指したものと思われる。
趙良弼の携えた国書は「たびたびの国書に返書がなかったが、きたる11月を期限に兵船を準備するから、それまでに返書を請う」という内容の、最後通告ともいえるものだったのである。
蒙古の襲来が眼前に迫ったことを知らされた大聖人は、それを釈迦如来・法華経を失ったためであり、大果報があったとしても三年はよもやもつまいと思っていたところ、内乱や飢饉が続き、今や蒙古の責めにあって国が滅びようとしていると指摘されているのである。ここで「釈迦如来・法華経を失い候いつる」と述べられているのは、特に文永8年(1271)9月12日の竜の口で日蓮大聖人の頸を刎ねようとしたことを指すと考えられる。
竜の口の法難に際し、大聖人は平左衛門尉に対して「日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべしと」(0911:10)と厳しく諌めらあれたのである。
そして、その御予言のとおり、翌文永9年(1272)2月には執権北条時宗の異母兄で六波羅探題の北条時輔が謀叛の疑いで討伐されるという自界叛逆難、北条一族が殺し合う内乱が起こっている。「いくさ」とはこのことを指したものであろう。
「けかち」とは、旱魃による飢饉を指し、当時は毎年のように起きていた。それらはまさに一国の福運が尽きた姿だったのである。
しかも、蒙古が襲来するとすれば、世界最強の蒙古軍を撃退することはとうてい不可能と思われ、日本の亡国は目前と当時の人々は恐怖におののいていたのである。
しかし大聖人は、国がどのようになっても、法華経が広まることは疑いないであろう、と断言されている。これは、決して国が滅びることを願われたものでないことは言うまでもない。
異体同心事には「もうこの事すでにちかづきて候か、我が国のほろびん事はあさましけれども、これだにもそら事になるならば・日本国の人人いよいよ法華経を謗して万人無間地獄に堕つべし、かれだにもつよるならば国はほろぶとも謗法はうすくなりなん、譬へば灸治をしてやまいをいやし針治にて人をなをすがごとし、 当時はなげくとも後は悦びなり」(1463:11)と述べられている。
すなわち、他国侵逼難の予言が的中して蒙古の責めが起きないなら、日本国中の人々がますます正法を誹謗して地獄に堕ちることになる。蒙古が強く責めるならば、たとえ国が滅びることはあっても、謗法の罪は軽くなるであろう。たとえていえば、灸やハリは一時的に熱や痛みで苦しいが、それによって病気が治るのであるから、その時は苦しくても、後になってみれば喜びとなるのである。との意である。
蒙古襲来というのは日本にとっては未曾有の国難が、大聖人の立正安国論の御予言どおりに的中して起きたことによって、大きな動執生疑となり、一時的には日本の国土が蒙古に蹂躙されるようなことがあったとしても、それによって人々が正法に目覚めて、謗法を捨てることになれば、国は滅びても謗法の罪は軽くなり、正法を根本にした立正安国の国土が出現することになる。との御確信であると拝される。ゆえにこの異体同心事の御金言は、本抄と同じ趣旨と拝することができるのである。
最後に、あなたの母上のことは法華経を読経し申し上げておいたとされている。その内容については、本文だけでは不明である。