四条金吾殿御消息(竜口御書)(2015:09大白蓮華より 先生の講義)
世界を照らす 太陽の仏法
発迹顕本――真の自己の偉大な底力を示せ!
「怒涛の人生」――ある日ある時、私はこう書に認めたことがあります。
私が戸田先生の弟子となり68年。第3代会長に就任してからは55年――。それは、まさしく波乱万丈の歳月でした。一日片時の逡巡も停滞も許されぬ、怒濤また怒濤の人生を突き進んできました。
病弱で「30歳まで生きられない」とまで言われながらここまで生き、あらゆる大難を乗り越え、皆様方と共に滔々たる世界広宣流布の大河の流れを、晴れ晴れとひらくことができたのです。
「若人は進まねばならぬ」
思い起こせば、入信から1年を過ぎた1948年(昭和23)9月、戸田先生の広宣流布の信念と情熱が迸る法華経講義を受け、その感動を日記にとどめました。
「唯々、全民衆を成仏させんと、苦難と戦い、大悪世に、大曙光を、点じられた日蓮大聖人の大慈悲に感涙です。
若人は、進まねばならぬ、永遠に前へ。
若人は、進まねばならぬ。令法久住の為に」
戸田先生は、無名の一青年であった私に、崇高なる妙法流布に生きゆく師弟の道を自覚させてくださった。そしてわが学会員こそ地涌の菩薩であり、一人一人は「無限に可能性」を具えた尊極の仏にほかならないということを教えてくださったのです。
無明の雲を払えば、凡夫である普通の人間こそ、永遠にして宇宙大の底力を具えた存在であることが、明瞭にわかるのです。
人間には、尊極の力が秘められている。
人間はかくも偉大なり。荘厳なり。
その尊貴な生命は、万人に平等に存在している。
ゆえに仏法の教えは、生命尊厳の思想であり、人間尊敬の哲理です。
この大法を弘通する使命に目覚めた人間には、勇気と智慧が無限に開かれます。
日蓮大聖人は、御自身の不惜身命の大闘争を通して、末法の一切衆生に、その真実を示し切ってくださいました。一人を手本として万人の根源の境地を示した、この法理が「発迹顕本」です。
今回は、その甚深の意義を「竜口御書」との別名もある「四条金吾殿御消息」を拝して、共々に学んでいきましょう。
本文
さても去る十二日の難のとき貴辺たつのくちまで・つれさせ給い、しかのみならず腹を切らんと仰せられし事こそ不思議とも申すばかりなけれ、
現代語訳
全く去る十二日の難の時、あなたは竜口の刑場まで連れそって下さり、そればかりではなく、腹を切るといわれたことは、不思議という以外にいいあらわせないほどである。
本文
今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ、流罪は伊東・死罪はたつのくち・相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや、其の故は・すでに法華経の故なるがゆへなり、経に云く「十方仏土中唯有一乗法」と此の意なるべきか、此の経文に一乗法と説き給うは 法華経の事なり、十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり除仏方便説と見えたり、若し然らば日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば 寂光土ともいうべきか、神力品に云く「若於林中若於園中若山谷曠野是中乃至而般涅槃」とは是か。
現代語訳
今度、日蓮は、法華経の行者として流罪・死罪にまでなった。流罪は伊東、死罪は竜口。相州の竜口こそ日蓮が命を捨てた所である。したがって仏土に劣るものではない。そのわけは、すでに法華経の故に身命を捨てた所だからである。
法華経方便品第二に「十方仏土の中には唯一乗の法のみあり」とあるのは、この意であろうか。この経文に一乗の法と説かれてあるのは、法華経すなわち南無妙法蓮華経のことである。十方仏土の中には、この法華経より外の法は、全くないのである。これを法華経方便品第二には「仏の方便の説をば除く」と説かれている。もしそうであるならば、日蓮が難にあう所ごとに仏土となるのである。娑婆世界の中では日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中では竜口に、日蓮が命をとどめおくことは法華経の故であるから、その地は寂光土ともいうべきであろう。法華経神力品第二十一には「若しは林中においても若しは園中においても若しは山谷曠野においてもこの中に(中略)般涅槃したもう」と説かれているのはこの原理をいっているのである。
講義
不惜の弟子へ万感の激励
本抄は文永8年(1271)9月21日、竜の口法難の直後、大聖人が身柄を保護されていた相模国依智(神奈川県厚木市依智)の本間六郎左衛門尉重連邸から、四条金吾に送られた御書です。
斬首という絶体絶命の危機を越えられて、わずか9日後のことでした。
この法難に際して、知らせを聞いた四条金吾は、大聖人のもとへ馳せ参じ、竜の口までお供しました。
そして、金吾は師匠の頸の座に臨んでは、自らも腹を切る――すなわち師と共に殉ずると訴えたのです。
大聖人は、一緒に生死の境をくぐり抜けた金吾との師弟の縁を、「不思議とも申すばかりなけれ」と讃えられています。
悠然たる大聖人の大境涯
ここで、あらためて竜の口の法難の経過を振り返っておきましょう。
法難の背景には、大聖人に憎悪を募らせた真言宗の僧・極楽寺良観らの讒言がありました。さらに蒙古襲来の危機が迫る不安の中で統制を強める鎌倉幕府が、大聖人一門の存在を敵対視したことも見逃せません。
文永8年(1271)の9月12日――。
平左衛門尉頼綱以下、武装した大勢の兵士が、大聖人を捕縛するために、草庵を襲いました。大聖人は「あらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをす」(0912:05、種種御振舞御書)と痛烈に呵責されております。捕らわれた大聖人は、幕府の実力者である北条宣時の屋敷に移されました。宣時は佐渡の守護職でした。大聖人を「遠流」、すなわち佐渡流罪に処すると決まっていたようです。
ところが、深夜、馬に乗せられて連れ出されました。一部の幕府要人がひそかに斬首に処すと企てていたのです。
兵士に囲まれながら由比ヶ浜沿いに進む途次、大聖人は使いを送って四条金吾を呼ばれました。急報を聞いて素足で飛び出してきた金吾は、「今夜、頸を法華経に奉る」と語られる大聖人の馬の口に取り付いたのです。
やがて人目につかない浜辺に到着しました。鎌倉のはずれの竜の口です。時は丑寅の刻、あたりは静かな闇です。刀が抜かれました。金吾は「只今なり」と落涙します。ところが大聖人は、法華経の故に命を捨てる以上の喜びがあろうか、笑いなさいと、悠然と仰せになったのです。
奪命者たる魔性が大聖人を殺害せんとした、まさにその時、不思議な現象がありて、大聖人が虎口を脱せられたことは有名な史実です。本抄の最後の段には、法華経の行者を守護する諸天善神である「三光天子」のうち、月天子が「光物」として現れ、頸の座にある大聖人を厳然と守ったと示されています。
兵士らは恐れおののき、遂には処刑は取り止めとなりました。大聖人は依智に移送され、四条金吾も随行しています。
なお本抄には、依智に移ってから明星天子が現れたことも記されており、さらに今度は日天子の守護もあるだろうと仰せです。
現在、竜の口があったとされる地域内に位置する山腹に、「SGI教学会館」が立っています。庭から江の島が望め、大聖人の殉難を偲び、広宣流布の決意を新たにする場所となっています。SGIの多くの友も訪れ、地元の同志とうるわしい交流を重ねています。
本文
今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ、流罪は伊東・死罪はたつのくち・相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや、其の故は・すでに法華経の故なるがゆへなり、経に云く「十方仏土中唯有一乗法」と此の意なるべきか、此の経文に一乗法と説き給うは 法華経の事なり、十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり除仏方便説と見えたり、若し然らば 日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば 寂光土ともいうべきか、神力品に云く「若於林中若於園中若山谷曠野是中乃至而般涅槃」とは是か。
現代語訳
今度、日蓮は、法華経の行者として流罪・死罪にまでなった。流罪は伊東、死罪は竜口。相州の竜口こそ日蓮が命を捨てた所である。したがって仏土に劣るものではない。そのわけは、すでに法華経の故に身命を捨てた所だからである。
法華経方便品第二に「十方仏土の中には唯一乗の法のみあり」とあるのは、この意であろうか。この経文に一乗の法と説かれてあるのは、法華経すなわち南無妙法蓮華経のことである。十方仏土の中には、この法華経より外の法は、全くないのである。これを法華経方便品第二には「仏の方便の説をば除く」と説かれている。もしそうであるならば、日蓮が難にあう所ごとに仏土となるのである。娑婆世界の中では日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中では竜口に、日蓮が命をとどめおくことは法華経の故であるから、その地は寂光土ともいうべきであろう。法華経神力品第二十一には「若しは林中においても若しは園中においても若しは山谷曠野においてもこの中に(中略)般涅槃したもう」と説かれているのはこの原理をいっているのである。
講義
法華経ゆえの大難の地こそ仏国土
大聖人は、この御文の前に、自分は過去世におて、「妻子」「所領」「眷属」などのために多くの場所で身命を捨ててきたが、結局「法華経のゆへ」「題目の難」ではなかった。成仏のためでないゆえに、身命を捨てた場所は、いずれも仏国土とはならないと、まことに峻厳な省察をなされています。
これに対して、このたびの法難は「法華経の行者」として、そして「法華経の故」に流罪・死罪に及んだのであったと仰せです。
戦時中の弾圧で、当局に押収された戸田先生の御書には、この箇所に明確に印が付けられています。
この御文に記された「流罪」とは、弘長元年(1261)の伊豆の伊東への流罪を指し、「死罪」が竜の口の頸の座です。なかんずく、「相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ」とあるように、それまで幾度となく命を狙われる経験をされた大聖人にとっても、竜の口の法難は決定的な出来事でした。
「法華経の故」に命をすてるような大難に直面して微動だにしない。それは即、成仏の大境涯です。その御確信の上から、大聖人が耐え忍ばれた国土を、「仏土におとるべしや」と述べられたのでありましょう。
その場が仏土であるならば、そこにいる方は、仏にほかなりません。釈尊は伽耶城に遠からざる菩提樹下に坐して成道を遂げました。大聖人は、この「頸の座」において末法の御本仏の大境涯を顕されたのです。
本抄は、「十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり」と方便品の文を踏まえて仰せです。十方のいずこの世界であれ、成仏の法は法華経以外にない。その法華経ゆえの法難の場所は、仏がいる国土そのものなのです。
いずこの地も、常寂光土へ変革
この法理の上から、「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか」と洞察され、その中でも「日蓮が命を・とどめをく」ことになった場所こそ、「寂光土」すなわち永遠の仏土といえようかと言われているのです。
御文では、娑婆世界から日本国、相模国、片瀬、そして竜の口――と、大聖人御自身が壮絶なる仏と魔との激戦を刻まれた戦場を明確にされています。その竜の口は、法華経を行じる勇者がいなければ、ただの地上の一地点にすぎません。妙法に生ききる強盛な一念が、苦悩に満ちた娑婆世界の一国土を、妙法の永遠の功徳を顕す常寂光土へと開いたのです。「娑婆即寂光」です。
この文証として法華経神力品第21の文を引かれます。如来の滅後において、法華経の行者が「如説修行」する所は、いずこの地であれ――園林であれ、山谷や曠野であれ、そこはまさに、仏が覚り、仏が説法をし、仏が全てを成し遂げて般涅槃される場所であると説かれた一節です。
仏が入滅された後の時代では、仏の教え通り実践する人がいる所こそ、厳然と永遠の仏が常住する場所なのです。
宇宙大の境涯を開くための仏法
後日、佐渡の厳寒の中で認められた「開目抄」には、こう記されています。
「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて」(0223:16)
大聖人の御生涯における「発迹顕本」の宣言です。宿業や苦悩を抱えた凡夫という迹を開いて、凡夫の身に、永遠の妙法と一体になった自在の境地である久遠元初自受用如来という本来の境地を顕されたのです。
法華経寿量品において、釈尊は、始成正覚という迹の姿を発いて、久遠実成という真実の姿を顕しました。
その元意は、釈尊が九界の衆生から超越した永遠の仏の姿を顕したのではなく、むしろ反対に、「人間釈尊に帰れ!」というメッセージであったと、私たちは拝してきました。
言い換えれば、人間釈尊を手本として、いまだ人間自身が気づいていない生命本来の偉大さに目覚めよと、訴えているのです。
大聖人は御自身の発迹顕本をもって、事実の上で、凡夫の身に仏界の生命を顕す「即身成仏の道」を万人に開いてくださったのです。
自身の利己的な欲望に突き動かされ、宿業と苦悩に覆われていた凡夫の身が、久遠元初の生命に立ち返り、宿業の軛を断ち切り、万人成仏を願う慈悲と智慧に満ちあふれた仏の身となるのです。それは、人間としての最も本然の尊貴な姿です。
その姿を戸田先生は、「久遠の凡夫」と言われました。
この人間本来の生命こそ、久遠元初の自受用身という仏です。何万年もの闇に閉ざされた洞窟も、ひとたび太陽の光が注げば、ぱっと明るくなる。そのように万人の成仏の道を厳然と示してくださったのです。
一人の発迹顕本が万人の境涯開く
本抄末尾の段には、四条金吾が「かかる日蓮」――その久遠の境涯を顕された師匠のお供をして竜の口まで行き、「法華経の行者」として「日蓮とをなじく」自らも殉ずる覚悟であったことを重ねて賞讃されています。
四条金吾は、ただ一心に師匠に随行しました。竜の口の法難が大聖人自身にとって、どれほど甚深の意義を持っていたかは、およそ理解に及ばなかったでしょう。
しかし、この仰せは、「師匠」はどこまでも、「弟子」の道を開いてくださっていることを示されていると拝されます。
仏の願いは師弟不二です。師は弟子が「我が如く」不二なる仏の大境涯を会得することを祈っているのです。弟子が必ずそうなると信じ、待っているのです。
言うならば、大聖人は、まず自ら、人間が置かれたなかで、およそ考えうる最悪の状況にあって、揺るぎない金剛にして不壊なる生命境涯を厳然と実証されたのです。
そして、誰もが「日蓮が如く」、この十界互具の大法を自分の身の上に顕していける。
自身が「本来仏なり」と知ります。
発迹顕本とは、自他共に尊極の生命を開く“顕本”です。自分自身も仏、皆もまた仏です。発迹顕本は、この人間尊敬の行動を支える究極の根拠でもあるのです。
したがって、大聖人の発迹顕本は、大聖人ただお一人の発迹顕本ではありません。誰もが自身の胸中の無尽蔵の法蔵を、現実の人生のなかで開き切っていける。そのために、師弟不二の誓願で、厳しい現実に果敢に挑戦する本因妙の信心を教えてくださっているのです。
仏とは「戦い続ける人間」の異名
法華経の行者として広宣流布に生き抜く限り、三類の強敵、三障四魔、総じて「魔」の戦いに終わりはありません。
釈尊も、そうでした。釈尊は菩提樹下で魔の誘惑を斥けて成道したことから、「降魔成道」と言われますが、初期の経典が伝えるところ、成道後にも、魔は釈尊に近づいて、説法を思い止まらせようと、幾度となく誘惑や迫害を重ねています。
悟達したからといって、それでもう修行はいらない。精神の戦いもない。などということはありえない。
何のための覚りか――万人を幸福にするための覚りです。目覚めてからが本番です。戦いを開始した後こそ、いよいよ魔が競い起こる。むしろ、戦い続ける生命こそが「仏」なのです。
大聖人が竜の口法難に臨まれ、御身に成就された発迹顕本は、久遠の仏の生命を、現実の大難を勝ち越える姿を通して顕されたものです。そして、今度は仏の大難と一体である根本の誓願に立って自在に力を発揮し、自由にあらゆるところに向かい、また本来の生命に目覚めていない人々に、「自分自身に生きよ」と呼び掛ける。大聖人の発迹顕本は、その意義が成就するのです。
大聖人の御精神を創価学会が継承
この発迹顕本の精神を、真っすぐに受け継いだのが創価学会です。
牧口先生は戦時中、国家主義との戦いの最中、「学会は発迹顕本しなければならぬ」と、常に言われていました。先師と共に牢獄に入られた戸田先生もまた、生きて獄門を出た後、この学会の「発迹顕本」を――創価の師弟が心一つに広宣流布の久遠の誓いに立つことを深く期されていました。
そして今もまた、学会は発迹顕本していかなければならない。それは、学会員一人一人が、地涌の菩薩の自覚に立つこと、大聖人の本弟子としての誓いに生き抜くことです。
いくら言葉で、生命には「偉大な力」がある、「無限の可能性」があると言っても、それだけでは抽象論にすぎません。むしろ、最大の逆境の中で戦い鍛えられてこそ、人間の底力が顕われる。自分で気づいていなかった真実の姿が現出するのです。
創価学会が創立されて85年、今や世界中で地涌の同志が生き生きと躍動しています。
宿命に泣き続けた人生、自分は駄目だとあきらめていた人生に終止符を打ち、朗々と題目を唱えつつ、自他共の幸福を勝ちひらくために立ち上がっています。自分にしかできない使命があると自覚し、勇気と希望の人生を歩んでいます。その一つ一つの生命のドラマこそ、民衆一人一人の人間革命の大叙事詩こそ、「人間は本来偉大なり」と、久遠の生命力を開いた発迹顕本の勝鬨であると、私は宣言したいのです。
「人間の内なる富は無限」
40年前、私は、ローマクラブの創立者ペッチェイ博士と初めてお会いしました。
現代文明の行く末を憂え、新たな希望を探りゆく対話は、やがて一点に集約していきました。私が仏法の「人間革命」について語っていくと、博士は深く頷かれました。
「必要なのは『人間精神のルネッサンス』です。『人間自身の革命』です。
戦時中はファシズムに抵抗して投獄され、過酷な拷問にも耐え抜いた博士でした。忘れ得ぬ精神の盟友であり、戦友でありました。
「外の資源は有限ですが、人間の内なる富は無限です。未開発です。それを引き出していくのが人間革命です。われわれは人間革命を推進するために、ありとあらゆる手を尽くさなければなりません」
一貫して博士が志向されていたのは、本来、人間自身が具えている無限の可能性を開く、「人間革命」の哲学です。
それは、「人間よ、汝自身の尊貴さに目覚めよ!」「民衆よ、胸中の無限の可能性を開け!」との発迹顕本の法理と深く響き合うものであると確信します。
今日より、いよいよ偉大な前進を!
御義口伝には、傅大士の釈を引いて仰せです。
「朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」(0737:02)と。
発迹顕本とは、今この時に「本因妙」の信心に立つことです。「出発は今」です。今、戦いを発すのです。その生命に、久遠元初の大生命力が満々とたぎっていく。その瞬間瞬間、末法の闇を照らす「太陽の仏法」が赫々と昇りゆくのです。
さあ、今日より、いよいよ前進です。
自他共の「無限の可能性」を晴れ晴れと開きゆく「人間革命の太陽」を輝かせながら!