顕仏未来記 2008:01月号大白蓮華より。先生の講義

顕仏未来記 2008:01月号大白蓮華より。先生の講義

世界広宣流布 地湧の勇士よ!立ち上がれ!!

流罪地佐渡から全人類救済の大宣言

「顕仏未来記」は、私の大好きな御書です。「仏が予言した広宣流布を実現せん」との日蓮大聖人の広大なる御境涯を拝することができるからです。

そして、「未来の我が弟子よ、仏の心のままに世界広布に立ち上がれ!」との、御本仏の御遺命の叫びが、私の生命に響きわたってやみません。

大聖人直結の学会精神の源流は、この一書にあるといっても過言ではありません。

ゆえに戸田先生も、力を入れて幾たびも本抄を講義してくださっています。あの「大阪の戦い」の折にも、先生は弟子の勝利のために本抄を講義してくださった。この大恩は決して忘れません。

昭和31年(1956)の1月17日、戸田先生が大阪で初めて、一般講義をされるにあたって選ばれた御書が「顕仏未来記」でした。

戸田先生は講義の後に質問会をもってくださった。ある質問に答えて、先生は断言された。それはまさに獅子吼でした。

「法華経で南無妙法蓮華経を受けとった地湧の菩薩が、広宣流布のときに生まれて集まってくる。だから皆さんは貧乏なんかしていられないのだよ。「南無妙法蓮華経」という題目の力、無限の福運の力をもっているのだ!題目を唱え、人にも題目をとなえさせることによって、この力を開くのだ

常勝関西の不滅の歴史。あの“まさかが実現”と言わしめた昭和31年(1956)の「民衆の大行進」は、先生の獅子吼に呼応した「地涌の同志」の決起から始まったのです。

「人材・拡大の年」の年頭にあたり、「顕仏未来記」を謹んで拝読し、創価の原点たる「広宣流布の大願」に立ち、この一年も、連続勝利の凱歌の「勝ち戦」を全地区から繰り広げていきましょう。

本文

  法華経の第七に云く「我が滅度の後.後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云,予一たびは歎いて云く仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ何なる罪業に依つて仏の在世に生れず正法の四依・像法の中の天台・伝教等にも値わざるやと、亦一たびは喜んで云く何なる幸あつて後五百歳に生れて此の真文を拝見することぞや、在世も無益なり前四味の人は未だ法華経を聞かず正像も又由し無し南三北七並びに華厳真言等の学者は法華経を信ぜず、天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」等云云 広宣流布の時を指すか、伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云 末法の始を願楽するの言なり、時代を以て果報を論ずれば竜樹・天親に超過し天台・伝教にも勝るるなり。

現代語訳

法華経の第七の巻、薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に、この閻浮提に広宣流布して断絶することがないであろう」等と述べられている。

日蓮が一たびは歎いていういは、今は仏滅後、すでに2220余年も経っている。一体いかなる罪業があって、仏の在世に生まれあわすことができず、また正法の時代に生まれて、人の四依といわれる迦葉・阿難・竜樹・天親等の諸の菩薩に会えなかったのだろうか。またさらに、像法時代の天台・伝教にも会えなかったのであろうかと。

また、一たびは歓喜していう。一体いかなる幸があって、後の五百歳に生まれて、この薬王品の真実の文を拝見することができるのであろうかと。釈尊在世に生まれたとしてもこの真文にあうことはなかった。なぜならば乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味の前四味の説法を受けた人は、いまだ法華経を聞いていないからである。また正法・像法時代に生まれたとしても、少しも意義がない。なぜなら、法華経はすでに説かれてはいたが、南三北七ならびに華厳・真言等の学者は法華経を信じなかったからである。

天台大師は法華文句巻一に「後の五百歳、すなわち末法の始めから、遠く末法万年・尽未来際にいたるまで妙法が流布し、一切衆生がその功徳に沾おうであろう」等といっているが、この文は広宣流布の時を指すのであろうか。また伝教大師は守護国界章上に「正像二千年は、ほとんど過ぎおわって、末法が、はなはだ近づいている」といっているが、これは末法の始めに生まれることを願い慕っている言葉である。ゆえに、時代の比較によって、身に備えた果報の優劣を論ずるならば、日蓮は正法時代の竜樹・天親を超えているばかりでなく、像法時代の天台・伝教にも勝れているのでる。

講義

未来記 後世の門下への遺命

題号の「顕仏未来記」とは、「未来を予見し、記した仏の言葉を実現する」という意味です。

「仏の未来記」とは一往は釈尊の未来記を指しますが、本抄の元意は、末法の御本仏としての「日蓮大聖人の未来記」を明かされるところにあります

釈尊の未来記とは、本抄冒頭に引用されている法華経薬王品の経文です。釈尊の滅後の悪世、とりわけ末法においては、あらゆる魔性の跳梁と戦い、全世界への法華経広宣流布を断絶させてはならないとの仏意・仏勅が示されています。

本抄では、この釈尊の未来記を現実のものとしたのは、大聖人ただお一人であることが示されています。

そのうえで、大聖人御自身の未来記として、法華経の肝要である南無妙法蓮華経の大法が世界中に流布することが明かされていきます

本抄は文永10年(1273)閏5月、流罪の地・佐渡の一谷で執筆されました。

本抄には、特定の対告衆が存在しません。それは、現在と未来の全門下に与えられた御遺命とも拝される重書であることを示しているのではないでしょうか。

同じく佐渡で著された「開目抄」「観心本尊抄」には、人・法の本尊をめぐる法門が明かされています。本抄は、この深義を踏まえ、宇宙根源の妙法と一体の尊極の生命を万人に開いていく日蓮大聖人の仏法こそが、末法の全世界の人々を救いうる大法であることが示されていいきます。

末法に生まれ合わせた喜び

本抄の冒頭では、末法に生まれたがゆえに、法華経を説いた釈尊にも、正法・像法時代に法華経を弘めた天台・伝教と巡り合ことができないのは、実に嘆かわしいことであると言われています。

釈尊の在世から遠く隔てられた末法の時代は、衆生を教化する師たる釈尊の影響力が薄れ、残された教えも形骸化し、仏教全体の救済力が弱まっていく時代です。

本抄では、末法は形だけは釈尊の教えが残っているが、実践も実証もなくなってくる時代であると、末法の本質を示されています。

このような仏教の衰えとともに、人々の生命力も衰え、時代全体も濁ってしまう。したがって、末法は、法の上からも、時代相の上からも、嘆くべき時代であると、当時の人々は受け止めていたのです。

しかし、大聖人は一転して、実は末法に生まれることは喜ばしいことだと仰せです。それは、この薬王品に説かれた釈尊の一閻浮提広宣流布の遺命を実現すべき時代こそが、「後の五百歳」とあるように、まさに末法であるからです。

更に、傍証として、末法に生まれることを願い求める天台・伝教の言葉を引かれています。

一見すると、末法は生き詰まりの時代です。しかし、大聖人は法の上から、むしろ末法は真実の法が広まる喜ぶべき時代であると言われているのです。

究極の妙理と尊極の生命

では、末法が法の上からは、むしろ喜ぶべき時代であると言えるのは、なぜでしょうか。

本抄では、末法という時代の様相と、この時に、いかなる法が、いかなる人によって弘められるかを示されています。その結論として、次のように述べられていいます。

「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」

すなわち、末法にひろまるべき法は「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」です。弘める主体者は「法華の行者」です。この二つの要件が揃ったとき、末法は、嘆くべき「法滅濁世」から一転して喜ぶべき「法華経広宣流布の時代」へと転換するのです。

「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」とは、一切衆生を救済する根源の妙理です。また、妙理と一体になった尊極なる仏の生命でもあります。

また、これは、あらゆる仏の成仏を可能にした究極の法であり、成仏の種子という意味で「仏種」ということできます。

この仏種は、万人の生命に本来、具わっています。しかし生命が無明によって覆われているために、その働きは容易には現れてきません。そこで、無明と戦う道を示す「教法」が必要になるのです。

その師が末法においては「法華経の行者」であり、その「教法」が「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」です。

人間に本来具わっている仏種を触発する「成仏の直道」が、末法の衆生を救うためには不可欠となります。

日蓮大聖人は、そのための「師」と「教法」を「開目抄」と「観心本尊抄」で明かされました。そして、師と教法が確立された時に、本抄「顕仏未来記」を著され、世界広宣流布を宣言されたのです。

魔性と戦う「法華経の行者」こそ末法の師

さて、末法流布の「時」たる存在を「法華経の行者」と言われていることは、大聖人仏法において限りなく重要なポイントとなります。

なぜなら、生命の法である仏種の働きを我が身に現すのも人間であり、仏種の顕現を妨げる無明と戦うのも人間であるからです。

一人の人間が無明と戦いうること、そして、仏種を現しうることを、自らの身をもって実証し、それを人々に教え伝えていいける人こそが「末法の師」でありうるのです。

その人こそ大聖人が仰せの「法華経の行者」です。法華経を研究するだけ、あるいは法華経を形のうえで読誦するだけの人は法華経の行者とは言えません

法華経の行者の本質は、仏種の力を生命に現す実践と実証にあります。特に、すべての人が現実に仏種を現していける道を確立するためには、あらゆる魔性に打ち勝っていく信念と実践が不可欠です。

創価の戦いも、まさに、魔性との戦いから始まりました。牧口先生は喝破されました。

「現在の如き恐怖悪世の相を現出し釈尊の三千年前の御予言たる『末法濁悪』の世が現実に証明されるのは、強盗殺人等の大悪よりも(中略)社会的な大悪よりも高官高位に蟠踞して賢善有徳の相をしてゐながら、大善を怨嫉し軽蔑して大悪に迎合し加勢し、以てその地位の擁護と現状の維持とに力を尽す高僧大徳智者学匠によるといわねばなるまい」

社会的に善人と思われている人が、大善を怨嫉し、大悪に迎合する。こうした逆説的な事実が必ず起きることが、末法弘通の困難さの根源にあるのです。

末法の師である「法華経の行者」とは、この困難さと戦い抜く人でなければなりません。創価の三代の会長は、この戦いを貫いたがゆえに、現代広宣流布の指揮を執ることができたのです。

本文

  問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何、答えて曰く仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり、

現代語訳

問うて言う、釈尊の未来記があなたの身の上にあてはまることはよくわかった。それではあなたの未来記はどうなっているのか。

答えて言う、釈尊の未来記にしたがってこれを考えてみるに、今はすでに後五百歳の始め、すなわち末法の始めに相当している。末法の真の仏法は、必ず東土の日本から出現するはずである。

講義

日蓮大聖人の未来記 仏法西還

大聖人御自身の未来記が明快に示されています。問いも明確です。大聖人の未来記は何かと、真っ直ぐに問いを立てています

大聖人の答えも、明快です。

「仏法西還」 世界広宣流布です。末法万年、一閻浮提の全民衆を救う大法が、今出現し、平和と楽土を築いていく、というのが大聖人の未来記です。

大聖人は次のようにも仰せです。

「月は西から出でて東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまたこの通りである。正法・像法時代は、釈尊の仏法が西のインドから出て東の日本へと次第に伝わり、末法においては、南無妙法蓮華経の大法が東の日本から西へと流布していくのである」と。

戸田先生は、この御文を拝して記されています。

「もしこの御予言を実現せずんば、仏の未来記を虚妄にするの罪、われら仏弟子にあるのではなかろうか。おそるべし、つつしむべしと、思わざるをえないのである」

先生は、大聖人の仏法西還の未来記を受けて「東洋広布」と叫ばれ、青年に世界広布の舞台を指し示してくださった。

今や妙法を根本とした平和の連帯は、世界の190ヵ国・地域へと広がりました。私は戸田先生の心を、我が胸に抱しめて、世界に道を開きました。

大聖人が御宣言された仏法西還・世界広布。 これを受けて、創価の父・牧口先生は、全世界の人類の即身成仏の実現を熱望されていました。

戸田先生は、師匠の熱き思いを、真っ直ぐに受け継いでおられた。逝去の直前には、メキシコへ行った夢を見たと言われ、こう語られました。

「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな。世界へ。広宣流布の旅に」

この言葉は永遠に私の耳朶から離れません。戸田先生を世界にお連れし、一閻浮提広宣流布の発展を見ていただく、その思いで私は世界を駆け巡り、対話行動に邁進してきました。

私は、海外へ行く時は、常に、戸田先生の写真を携えました。そして今、戸田先生に私は堂々と勝利のご報告ができます。初代、2代の悲願を、私が実現してきました、と莞爾とされる戸田先生の慈眼が浮かびます。

世界広宣流布の第2幕は、絢爛たる地湧の友の乱舞によって、仏法に基づく価値創造の華が万朶と咲き誇っていく時代です。

私は、そのための舞台を完璧に整えてきました。世界の各界の人々が、私たちの平和と文化の行動に期待を寄せております。

この勝利と栄光の福徳は、世界の同志の皆さまを晴れやかに包みゆくことでありましょう。私は全同志に心から感謝を申し上げたい。

本文

  日蓮此の道理を存して既に二十一年なり、日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり、世の人疑い有らば 委細の事は弟子に之を問え、幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ、願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん、我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん、

現代語訳

日蓮はこの道理を覚知して、すでに21年になる。そのために日ごとに災いを受け、月ごとに難をこうむってきた。とくにこの二・三年の間の難は大きく、すでに死罪にまで及ぼうとした。今年また今月は、万が一にも助からない生命である。世の人々はもし私のいうことについて疑いがあるならば、詳しいことは弟子に問われるがよい。

生涯のうちに無始以来の謗法の罪業を消滅できるとは、なんと幸福なことであろうか。また、いままでに、見聞できなかった教主釈尊にお仕え申しあげられるとは、なんと悦ばしいことであろうか。私はこのような大利益を得たのであるから、願わくは私を害した国主等を先ず最初に化導しよう。私を助ける弟子等のことを釈尊に申し上げよう。また私を生んでくださった父母には、死なないうちにこの南無妙法蓮華経の大善をおすすめしよう。

講義

「御本仏のすみきった御心境」

「この道理」とは、法華経で釈尊が予言した通りに、末法に広宣流布を実現する法華経の行者が出現する、という道です。大聖人は、立宗21年、この道理を自覚されていた。

その間、大難は激しさを増し、流罪の地・佐渡に至っても、明日をも知れぬ身命であられながら、正法流通と民衆救済へ、いやまして挑まれる御心境を記されています。

当時、佐渡流罪は、斬首に次ぐ重罪であり、一度流されたならば生きて帰ることはないと言われていた。

まさに「今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり」とは、誇張などではありません。「世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え」との仰せからも、餓死、凍死、謀殺の危機という極限状態のなかで、後世のために残すべき法門を、また門下への激励を「これが最後の一遍になるか」との思いで認められたのではないかと拝されます。

「顕仏未来記」を拝して戸田先生は「御本仏日蓮大聖人の澄みきった心境が如実にうかがわれる」と記されました。

「成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片もなき虚空のごときものである。大聖人の佐渡御流罪中の御境涯はこのようなご境涯であったと拝される」

宿命転換と民衆救済の慈悲の大闘争

障魔との戦いである広宣流布の闘争は、各人の宿命転換を実現する力に漲っています。

それが、一国の宿命転換、そして全人類の宿命転換へと広がっていいきます。仏の大願に生き、自他の仏界の生命を涌現していく戦いであるからこそ、人類の境涯を高める大道になるのです。

大聖人は、「幸いなるかな」「悦ばしいかな」と、仏界の生命を実現された歓喜を述べられています。

また、自他ともの幸福を目指す広宣流布の闘争においては、慈悲の生命力が増進します。本抄で大聖人は、国主、弟子、父母に対して、その慈悲の生命で大きく包まれていきます。

私を迫害した国主を第一に救おうとの仰せは、慈悲の極致を示されていると拝することができます。

私を支えた弟子を仏に報告し、讃嘆していこう。私を生んだ父母には、成仏という大善を送り、報恩を尽くそう、とも仰せです。

これらの歓喜と感謝と慈愛に満ちた透徹した宣言は、法華経の行者として戦い抜いた大境涯から迸り出たお言葉であり、いかなる迫害も打ち負かすことができなかった「仏界の生命の勝鬨」「御本仏の闘争の大勝利宣言」であると拝されるのではないでしょうか。

本文

 但し今夢の如く宝塔品の心を得たり、此の経に云く「若し須弥を接つて他方の無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為難しとせず乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん是れ則ち為難し」等云云、伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し・叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

現代語訳

この数々の大難によって、今、夢のように、宝塔品の要である六難九易の文意を証得することができた。

宝塔品には、つぎのように説かれている。「もし須弥山をつかんで、他方の無数の仏土に投げようとも、それはむずかしいことではない。乃至、もし仏の滅度の後、悪世末法においてよくこの法華経を説くということはこれこそ非常にむずかしい」等と。

伝教大師は法華秀句に次のように述べている。「浅い爾前権教につくことはやさしいが、深い法華経を持つことはむずかしいというのは釈尊の教判である。しかし浅い小乗を捨てて、深い大法につくことこそ、丈夫の心である。この教えにしたがって天台大師は釈尊に信順し、法華宗を助けて中国に法華経を宣揚した。叡山の一家は天台大師の法を承けて法華宗を日本に弘通した」と。

安房の国の日蓮は、おそらくは、釈尊、天台大師、伝教大師の三師に相承し、法華宗を助けて、末法に南無妙法蓮華経を流通するのである。ゆえに釈尊、天台大師、伝教大師の三師に日蓮を加えて三国四師と名づけるのである。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

講義

「浅きを去って深きに就くのは丈夫の心」

ここで大聖人は法華経宝品第11の六難九易に言及されています。

「須弥山を手にとって他の国土に投げ置く」「枯れ草を背負って劫火の中に入っても焼けない」等よりも、滅後に法華経を弘通することは難事中の難事である。釈尊は、この六難九易を通して何を示したかったのか。それは末法広宣流布が難事であることを強調することで、民衆救済の強い請願を起こすべきであることを菩薩たちに勧めるためです。

「宝塔品の心」。それは全人類の幸福を実現しようとする仏の誓願の心です。そして、この仏の誓願を受け継ぎ、いかなる大難があっても末法広宣流布を断固実現しようと立ち上がった地湧の菩薩の誓願の心でもあります。

「開目抄」に示されているように、大聖人は、立宗宣言のときに、この宝塔品の六難九易の意義を深く知って、地湧の誓願をたてられました。そして、その誓願のままに相次ぐ大難をすべて勝ち超えてこられた。

そして、最後の大難である佐渡流罪においては、全民衆救済の大法を確立し、その世界広宣流布を本抄において宣言されたのです。それは、末法の御本仏としての偉大なる勝利宣言であると拝することができます。

ゆえに「今夢の如く宝塔品の心を得たり」と記されております。すなわち、誓願のままに大難に耐え、末法弘通に生き抜いてこられたがゆえに、「宝塔品の心」すなわち「仏の心」を会得なされたと仰せです。

ともあれ、いかなる大難をも越えて、法華弘通の誓願に生き抜くことが、「仏の心」を我が心としていく唯一の道なのです。

どんなことがあっても、広布の誓願に生き、自身の使命を果たし抜こうとする「強き心」「深い心」を貫けば、我が生命を仏の生命へと鍛え上げていくことができる。

そのことを大聖人は「浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり」との伝教大師の言葉をもって示されています。

「丈夫の心」とは、法華経に示された「仏の心」のままに、敢然と広宣流布の信心に立ち上がる「勇者の心」にほかなりません。

勇敢に広布に戦い抜くならば「仏の心」が我が生命に満ちあふれてこないわけがない。

法華宗とは「人間宗」

本抄の末尾で大聖人は、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師という法華経の三国師を受け継いで、末法に妙法を弘通してきたと述べられています。したがって、御自身を加えて「三国四師」と名づけると宣言されています。

この「三国四師」は、法華経の行者の系譜です。それは、万人の成仏という、究極の理想を実現する真の正統であり、その道を開きゆく創造的開拓者が法華経の行者です。

妙法という無間の力を自他ともの胸中に湧き立たせ、濁悪の世にあっても蓮華のように価値の花を咲かせ切っていく、その勝利の人華を陸続と開花させ、自分も蓮華と咲き、万人をも蓮華と輝かせていくのが「法華宗」です。言い換えれば、「法華宗」とは、万人に尊極の生命を開く「人間宗」であり、「価値創造宗」です。

ここで、大聖人は「日本の日蓮」ではなく「安州の日蓮」すなわち「安房の日蓮」と言われ、身近な郷土に根ざした一人の人間の立場を示されている。これは、御謙遜であられるとともに、国を超えて全世界に広まりゆく普遍的な正法を確立されたお立場を示されているとも拝されます。

創価学会は、この三国四師の系譜において創立された、真の法華宗を世界に弘通している唯一の仏勅の教団です。

そして、無数の地湧の菩薩を全世界に呼び覚まし、万年の未来にわたる堂々たる平和への大行進を続ける尊貴な和合僧団であります。

戸田先生は「広宣流布のさきがけをしようではないか」と叫ばれ、「創価学会は宗教界の王者である」と宣言されました。

私は、私とともに戦ってくださった皆様とともに、「我らこそ御本仏の未来記の主人公なり」と、誇り高く宣言したい。

そして「私は勝った!我らは勝った!」と言える輝かしい人生を、愉快に、朗らかに、はるかな未来へ向かって共々に生き切っていいきましょう。

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