遠藤左衛門尉御書

遠藤左衛門尉御書

 文永11年(ʼ74)3月12日 53歳 遠藤左衛門尉

 本文

日蓮、この度赦免を被り、鎌倉へ登るにて候。「我が昔の願いしところのごときは、今、すでに満足しぬ」、この年に当たるか。遠藤殿御育み無くんば、命永らうべしや。また赦免にも預かるべしや。日蓮一代の行功は、ひとえに左衛門殿等遊ばし候ところなり。御経に「天の諸の童子は、もって給使をなさん。刀杖も加えず、毒も害すること能わじ」と候えば、有り難き御経なるかな。
 しかれば、左衛門殿は梵天・釈天の御使いにてましますか。霊山への契約にこの判を参らせ候。一流れは未来へ持たせ給え。霊山において「日蓮、日蓮」と呼び給え。その時、御迎えに罷り出ずべく候。なおまた鎌倉より申し進らすべく候なり。
  文永十一甲戌三月十二日    日蓮
 遠藤左衛門尉殿

現代語訳

日蓮は今度赦免をうけ、鎌倉へ登ることになりました。わたしにとって、方便品第二の「我が昔の所願の如き、今者は已に満足しぬ」とは、この年にあたるといえようか。遠藤殿の守護がなければ、はたして私の命は永らえられたであろうか。また、赦免を受けることができたであろうか。日蓮一代の行功は、ひとえに左衛門殿等のおかげである。法華経安楽行品第十四に「天の諸の童子、以って給使を為さん。刀杖も加えず、毒も害すること能はず」とあるが、なんとありがたい経文であることか。

それゆえ、左衛門殿はきっと梵天・帝釈天のお使いであろうか。霊山浄土への契約に、この判形を差し上げます。ひとつは未来世へ持っていきなさい。霊山で「日蓮・日蓮」と呼びなさい。その時はお迎えに出ていきましょう。

なおまた、鎌倉からお便り申しあげましょう。

文永十一甲戌三月十二日

語釈

赦免

罪や過失を許すこと。

如我昔所願今者已満足

法華経方便品第2に「舎利弗当に知るべし。我本誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき、我が昔の所願の如き、今者已に満足しぬ。一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ。若し我衆生に遇えば、尽く教うるに仏道を以ってす」とある。

遠藤殿

遠藤左衛門尉のこと。佐渡の住人。流人の身であった日蓮大聖人に数々のご供養をしているが、詳細は不明。

行功

仏道修行によって積んだ功徳のこと。

梵天

仏教の守護神。色界の初禅天にあり、梵衆天・梵輔天・大梵天の三つがあるが,普通は大梵天をいう。もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされた「ブラフマン」を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。

釈天

帝釈天のこと。梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。

霊山えの契約

霊山浄土へ生まれることができるという約束。

印鑑・実印。

霊山

釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。

講義

佐渡へ赦免状が着いたのは、3月8日、日蓮大聖人の佐渡出発は3月13日である。いよいよ明日出発という時に、大聖人が、世話になった遠藤左衛門尉に対し、これまでの佐渡流罪中、世話になったことの御礼と、御本仏としての御確信に裏づけられた大慈の言葉をのべられている御書である。

日蓮此の度赦免を被むり鎌倉へ登るにて候、如我昔所願今者已満足此の年に当るか

この一文には、非常に晴れやかなお気持が伺われる。とくに「如我昔所願今者已満足」といわれているその背景には、今度こそ鎌倉幕府が目覚めたであろう、いわゆる大聖人の流罪を赦したということは、当然大聖人の正義がいよいよ受け入れられる時が来たという希望を抱かれていたことがうかがわれる。

遠藤殿御育み無くんば命永らう可しや

これまで佐渡流罪の間、社会的環境の点でも自然的条件の上からも、非常に厳しい状況の中で、大聖人が命を永らえることができたのは、遠藤殿のおかげであると、心から礼をいわれたところである。

日蓮一代の行功は偏に左衛門殿等遊し候処なり

「日蓮一代の行功」とは、ここでは、大聖人が佐渡流罪中に「観心本尊抄」「開目抄」またその他、御本仏としての確信と法門が述べられた数々の重要な御書等の執筆である。そうしたことができたのは、ひとえに遠藤殿等のおかげであると仰せである。

御経に「天諸童子以て給使を為し刀杖も加えず毒も害すること能はず」と候得ば有難き御経なるかな、然ば左衛門殿は梵天釈天の御使にてましますか

諸天善神が法華経の行者を守るとの法華経安楽行品の文を引いて、遠藤左衛門尉等がこの経文通りの働きをしたことを述べられている。このことからも遠藤左衛門尉は、大聖人のために、食事のお世話をはじめ、さまざまな身の回りのお世話をし、あるいはまた、大聖人が念仏者達に刀杖で狙われたのに際しては懸命にお護りしたことが推察される。

この経文を引用されていることの背景には、一つには遠藤左衛門尉が、経文に記されている通りの働きをしたということを示して、仏法上の自覚を喚起して激励される意味と、もう一つ奥には、大聖人が真実の法華経の行者であることを通して、仏法が決して観念的なものではないことを教えられたと拝することができよう。

霊山えの契約に此の判を参せ候、一流は未来え持せ給え霊山に於て日蓮日蓮と呼び給え、其の時御迎えに罷り出ず可く候

佐渡を離れるにあたって、おそらく形見として花押あるいは判を遠藤左衛門尉に渡されたのであろう。それはまた、佐渡流罪という最大の苦境にあった大聖人を真心こめて供養し、外護申し上げたことへの謝意とその証の印でもある。ゆえに、未来、必ず仏土に迎えるとのお約束でもある。

「一流は未来に持せ給え」とは、死後に持って行きなさいということであるが、それは、今生において、日蓮大聖人の結縁を何よりも大事にし、その教えを守りぬいていきなさい、生涯護持していきなさいということでもある。そうすれば、死んで必ず霊山に行ける。すなわち成仏できる、ということである。

ここは、この大聖人の判を霊山浄土に入るための通行証にたとえて仰せられているところである。そして、もし玄関口で番人にとどめられるようなことがあれば、そこから大声で「日蓮・日蓮」と呼びなさい。そうすれば、すぐ飛んで行って、あなたを迎えてあげよう、と。

「流罪中、あなたは、あれだけお世話をしてくれたのだから、それだけの資格がある。また日蓮には、あなたのために返さねばならない恩がある」とのお心と拝せる。慈愛に満ちた仰せではないか。

いうまでもなく、これを更に考えてみれば、大聖人自身が必ず霊山にいるということであり、しかも、たとえば番人がむずかしい顔をしても、一言、通してくれる本仏であるとの大確信を秘められているのである。

霊山において大聖人が迎えに出てあげるということは、ドラマ的な表現であるが、また、生命論的にいえば、遠藤左衛門尉自身の生命の中に、大聖人の無作三身の仏の命が厳然としていることである。それは、日寛上人が当体義抄文段で述べられている「我れ等妙法信受けの力用に依って蓮祖大聖人と顕るるなり」ということに相通ずると拝することができよう。

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