松野殿御返事(十四誹謗の事)

松野殿御返事(十四誹謗の事)

【背景解説】

背景と家族構成

1276年(建治2年)の末に認められたこの書状は、入道である松野六郎左衛門への返信です。松野家では、彼自身、妻、息子、そして義理の娘の4人が大聖人からお手紙を受け取っています。彼の娘の一人は南条兵衛七郎と結婚し、大聖人とその弟子・日興上人の熱烈な支持者であった南条時光を産みました。松野が入信したのは、この南条家との縁がきっかけであったと考えられています。

十四誹謗と題目の功徳

この書状では、妙楽大師の『法華文句記』を引用し、**「十四誹謗(じゅうしひぼう)」**について解説されています。これらの誹謗は、もともと法華経「譬喩品(ひゆほん)第三」に説かれているものです。「聖人が唱える題目と、凡夫が唱える題目に功徳の差はあるのか」という問いに対し、大聖人は「差はない」と答えられました。しかし、「もし法華経の意(こころ)に背いて題目を唱えるならば、そこには差が生じる」と続け、その「経の意」を十四誹謗に言及することで説明されています。

十四誹謗の内訳

十四誹謗のうち、最初の10項目は**「法」(仏の教え)に対する態度や行動に関するものであり、残りの4項目は、その法を信じ修行する「人」**に対するものです。

信者間の団結

大聖人は信者同士の団結の重要性を強調し、「法華経を信じる者たちは、互いに決して誹り合ってはならない」と戒められました。その理由は、「法華経を信じ持つ者は誰もが間違いなく仏であり、仏を誹ることは重大な罪になるから」です。つまり、十四誹謗の後半4つである「軽善(きょうぜん)・憎善(ぞうぜん)・嫉善(しつぜん)・恨善(こんぜん)」(軽んじ、憎み、嫉み、恨むこと)を強く警告されているのです。

雪山童子の物語と僧侶の在り方

次に、仏教の教えを学ぶために、自らの体を荒れ狂う鬼に捧げた**雪山童子(せせんどうじ)の物語を詳しく引用されています。大聖人は松野に対し、この菩薩の精神を自身の信仰と修行の模範とするよう促されました。さらに、仏法を真摯に学び修行し、誹謗する者を正そうとする精神を持たない僧侶は、「衣を着た畜生」**であり、僧侶の名を語る泥棒にすぎないと明確に述べられています。

結論:門下としての実践

最後に、大聖人は松野に対し、在家の信徒としての修行の在り方を教示されました。

  • 南無妙法蓮華経と唱えること。
  • 供養をもって僧侶を支えること。
  • 法華経の説く通り、**弘教(法を広めること)**に尽力すること。

ここで言及されている「僧侶」とは、決して誰でもよいわけではなく、この書状で示された精神のままに修行に励む「大聖人の弟子たち」を指していることは、前後の文脈からも明らかです。

 

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