撰時抄
撰時抄 第一章(時の要なるを標す)
本文
撰時抄 建治元年 五十四歳御作
釈子日蓮述ぶ
夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし、過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一経も説き給はず経に云く一坐十小劫又云く「仏時の未だ至らざるを知り請を受けて黙然として坐す」等云云、今の教主釈尊は四十余年の程法華経を説き給はず経に云く「説く時未だ至らざるが故」と云云、老子は母の胎に処して八十年、弥勒菩薩は兜率の内院に籠らせ給いて五十六億七千万歳をまち給うべし、彼の時鳥は春ををくり鶏鳥は暁をまつ畜生すらなをかくのごとし何に況や仏法を修行せんに時を糾ざるべしや、
現代語訳
釈迦仏の弟子・日蓮が述べる。
一体、仏法を修学するの道は、必ず時を習わなければならない。
このことを三世の諸仏について考えてみるならば、過去三千塵点劫の昔に出世した大通智勝仏は、出世してから十小劫の間、一経も説かなかった。このことを、法華経化城喩品第七には「一坐十小劫」と説き、また「仏は法を説くべき時が、いまだ来ていないことを知っていたから、説法を請い願われても黙然と坐していた」等と説かれている。次に、今の教主釈尊は、成道してから四十余年の間、出世の本懐たる法華経を説かなかった。このことを法華経方便品第二には「説く時がいまだ来ていなかったから、真実の無上道たる法華経を説かなかった」といっている。
外道の法でも、老子は母の胎に八十年いて時を待ったという。次に未来仏たる弥勒菩薩は兜率の内院にこもり、五十六億七千万歳の間、出世の時を待っているといわれている。彼の時鳥は、春の終わろうとする初夏を待って鳴き、鶏鳥は暁を待って鳴く。畜生すら、このように時を違えないのであるから、まして仏法を修行しようとする者が、時を糺明しないでよいだろうか。必ず時というものを、はっきりと認識してかからなければならないのである。
語釈
時
ここでいう時とは、現代人の考える時間をいうのではなくて、「一時、仏は王舎城の耆闍掘山の中に住したまい……」等と説かれる時であり、衆生の機と仏の応とが相応ずる時をいう。
大通智勝仏
三千塵点劫の昔に出現して法華経を説いた仏。法華経化城喩品第七に説かれる。大相劫、好成国に出現し、出家する以前に十六人の王子がいた。道場に坐して魔軍を破し終わった後、十小劫じっと坐ってついに悟りを得た。成道後、十六王子や諸梵天王の請いによって四諦・十二因縁の法を説き、十六王子もまた出家した。更に二万劫を経て十六王子の請いによって八千劫の間、法華経を説いた。この時、法華経を信受したのは十六王子と少数の声聞以外はだれも信解せず、ついに静室に入り八万四千劫の間、禅定に住した。その間、十六王子はそれぞれの国で広く法華経を説き、おのおの六百万億那由佗恒河沙等の衆生を信解させた。これを大通覆講といい、この時、法を聞いた衆生は大通結縁の衆という。大通智勝仏は八万四千劫の禅定の後、法座に登って十六王子の法を信受した者は成仏すると説いた。この十六王子の第十六番目が釈尊である。なお三千塵点劫とは、法華経化城喩品第七において、釈尊が衆生との結縁を明かすなかで述べられている。すなわち、三千大千世界(一人の仏の教えが及ぶ範囲とされる)の国土を粉々にすりつぶして塵とし、千の国土を過ぎるごとにその一塵を落としていって塵を下ろし尽くし、今度は一塵を下ろした国土も下ろさない国土も一緒にしてまた粉々にすりつぶして、その一塵を一劫とし、その膨大な数えきれない劫以上の無量無辺の長い時間をいう。
老子は母の胎に処して八十年
玄妙内篇に「李母懐胎八十一歳、李樹下を逍遥し乃ち左腋を割って生まる、生まれて白首、ゆえにこれを老子という」とある。中国・六朝時代の道教の書籍にある文。
時鳥
ホトトギスは、夏に日本に飛来する夏鳥。日本では古来、ホトトギスは夏の到来を告げる鳥とされ、時鳥などと書かれ、その初音(その年初めて鳴く声。忍音という)を聞くことが待ち望まれた。カッコウと混同され、「郭公」と表記されることもある。
鶏鳥
「くたかけどり」とも読む。鶏は古名を「かけ」「くたかけ」「くだかけ」という。鳴く声からの命名という。鶏鳥もまた、時を知る鳥である。
講義
この章は、仏法を修学するものが、必ず時を習うべきことを明かされている。その理由として、過去の大通仏、現在の釈迦仏、未来の弥勒菩薩について明かし、また外道の聖賢たる老子と、畜生たる時鳥、鷄等も時を待つことを例証に引かれている。
なにゆえに「必ず先ず」と時を重視するかといえば、次のように、宗教の五綱がことごとく時代によって相違するゆえである。すなわち、第一に教についていえば、正法時代が小乗教、権大乗教であり、像法時代は法華経の迹門、末法は独一本門の流布すべき時である。第二に機を論ずれば、正像は本已有善の機であり、末法は本未有善である。第三に時は今の論点であり、第四に国を論ずれば、正像にはインドの釈迦仏法が東に流れ、末法に入っては日本の日蓮大聖人の仏法が西へ流れる。第五に教法流布の先後とは、末法においては正像に流布した大小権実がことごとく無益となり、ただ寿量品文底下種の大白法が流布すべき時である。このように時によってすべてが決定されるゆえに「必ず先ず時を習うべし」とおおせられるのである。
如説修行抄にいわく「されば国中の諸学者等仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず四節・四季・取取に替れり、夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし秋種子を下して春菓を取らんに豈取らる可けんや、極寒の時は厚き衣は用なり極熱の夏はなにかせん、凉風は夏の用なり冬はなにかせん、仏法も亦復是くの如し小乗の流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり、然るに正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり」(0503:08)と。
以上のように、時の一時を離れては、五綱を論ずることもできないし、また次のように判教の浅深も論ずることができないのである。すなわち、正法の始めの五百年はもっぱら内外相対を用い、次の五百年はもっぱら大小相対を用い、像法一千年はもっぱら権実相対を用いた。もししからば、末法はもっぱら本迹相対を用いるのである。如説修行抄の「純円一実の法華経」とは、本門寿量品の文底秘沈の大法である。
機根もまた同じである。正像二時の機は本已有善であり、末法は本未有善である。国もまた同じで、正像弘通の権迹は月氏・震旦を始めとし、末法流布の本門は、日本国を始めとするのである。諌暁八幡抄にいわく「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(0589:01)と。
このように、すべて時をもって本となして論ずるのである。時を知らずして、何を論ずることができようか。日蓮大聖人の滅後においても、その時代を大きく分けて、逆縁の広宣流布の時代と、順縁の広宣流布の時代とに分けられるであろう。
日蓮大聖人御在世時代の弾圧迫害に始まり、数百年にわたる悲運の時代が続いた。この時代は逆縁の衆生のみが日本国中に充満し、国をあげて正法流布を妨害した。
最後の迫害と日本国民の受けた総罰は、太平洋戦争であった。創価学会の牧口初代会長は、みずから折伏戦の陣頭に立たれて、国難を救い、世界人類の平和と幸福のために、三大秘法の広宣流布を叫ばれた。しかるに軍部と神道主義者たちは、誕生して間のない創価学会に弾圧を加え、昭和18年(1943)7月に幹部21人が投獄され、牧口会長は19年(1944)11月18日に、牢死なされて御身を御本尊に捧げられたのであった。その謗法の結果は、日本の国は戦いに敗れ、数百万にのぼる戦死者を出し、国土は爆撃を受けて廃墟と化し、指導者たちは戦争犯罪人として死刑等の極刑に処せられ、国民大衆は苦痛のどん底へ落ちたのである。
しかし、これを転機として、いよいよ順縁広布の時が来た。牧口会長の御意志を受け継いだ戸田会長は、創価学会を再建し、昭和33年(1958)の春までに、80万世帯を突破する大折伏を達成し、かくて広宣流布の基盤を築かれた上で、昭和33年(1958)4月2日、御逝去なされた。
私は恩師の御遺命のままに、第三代会長に就任して、さらに一歩前進すべく、活動を開始した。しかして昭和39年(1964)には、折伏数は五百万世帯を突破し、日本国内はもとより、遠く世界の各国に学会員ができて、日夜、信心に折伏に励みつつある。
いまや創価学会員のいない町や村はない。どこの町にも、どこの職場にも学会員がいるようになった。これこそ、順縁の広宣流布ではないか。観心本尊抄文段にいわく「兼ねて順縁広布の時を判ずるか」と。ここで「順縁広布の時」とは、観心本尊抄の「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(0254:01)の文である。
この文を日寛上人は、法体の折伏と化儀の折伏に判ぜられた。すなわち日蓮大聖人の行じられた折伏は法体の折伏であって、化儀の折伏に相対する時は摂受といえるのである。化儀の折伏とは、権力との戦いである。この場合には、昔は「威儀を修せず応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」(0028:立正安国論:09)というように武力を持って戦い、今日ではあらゆる文化活動を通じて、広宣流布を実現していくのである。今こそ順縁広布の時代であり、化儀の折伏を行じ、化儀の広宣流布を実現すべき時代なのである。
時間について
仏法において「時」を論じている中に、衆生の機根と仏とが相応ずる時、正像末の三時、五時八教等の「時」がある。そのほか、生命は永遠であり無始無終であるという哲理、あるいは法華経涌出品における「五十小劫、半日の如し」等、まことに仏法では多種多様にわたり時間について説いている。
一般の人は、時とか時間といえば、すぐ時計の動きを思い、哲学者は時間と空間等について観念的に思索し、天文学者や科学者は天体間の相対運動や光速度や相対性理論などを考えていく。古来、時間の問題は、哲学や自然科学等の分野でも、ひじょうに難解とされ、いまだに解明されきってはいないのである。
しかし、仏法においては、すでに三千年前から深遠なる時間論を説いており、仏法で説く時間こそ、真実の時間であるといっても過言ではない。とくに日蓮大聖人の仏法で説く、久遠元初、久遠即末法、久末一同等の時間に対する考え方は、それ自体、偉大なる最高の哲学である。そしてアインシュタイン博士が提唱した有名な相対性理論等で説く時間も、仏法で説く、これらの時間論の一部であると思われるのである。
仏法では、生命活動を中心とした時間を深く説ききっている。すなわち、実際生活で感ずる時間を重視する。ここから時間の本質が究明されている。そして、時間とは、生命活動にそなわる特性であり、宇宙生命の活動や変化によって感ずるものであるとしている。そして、いわゆる物理的時間は、これらの考え方の上にたって、用いていくのである。
ここで、第一に物理学的時間から定められて、日常生活に用いられている時間を論じ、第二に物理学的時間の中でも、アイザック・ニュートン(Isaac Newton)の絶対時間と、アルベルト・アインシュタイン(AlbertEinstein)の相対時間とを論じ、第三に仏法で説く時間の本質について、かんたんに論じてみよう。
第一に、われわれが、ふつう日常生活で使っている時間とは、どんなものであろうか。時間は、第一に「午前八時十分に出勤した」というような一瞬間の時刻と、第二に「試験時間は三時間である」というような継続した時間とがある。いずれも、地球の公転と自転とによって定めた時間である。
われわれの日常生活は、ニュートンの絶対的な数学的な時間を考えて、ほとんど不自由はない。すなわち時間は同じ速さで経ち、もし外界からの力がなければ地球は同じ速度で自転、公転をつづけているとして、約束の上で定めた共通な時間である。太陽のまわりを地球が公転し、春夏秋冬をくり返すのを一年と定め、地球の自転で昼と夜をくり返すのを一日と考え、これを等分して時間を定めた。
現代のように、一日を24時間に分けたのは、古代エジプト人である。すなわち太陽を中心に生活した古代エジプト人は、西紀前4000年ごろ、三六五日を一年とする太陽暦を用い、西紀前3000年ころには、昼と夜を、それぞれ十二時間に分けた。同じくバビロニアにおいても西紀前八世紀ごろには昼夜をおのおの12時間に分けて、時間を定めていた。また一日を十二時に分ける方法も行われた。これらの思想がギリシャ、ローマにおいて発展して、いろいろな形をへて今日にいたっている。日本や中国でも、いわゆる子丑(等の十二支による二倍時間が長い間使われてきた。
現在の時間は、同じように、一日を24時間として、一時間を六十分、一分を60秒としているが、一日の時間、一時間の時間に、それぞれ平均太陽日、平均太陽時を用いている。なぜなら、昔のように、太陽がある地点の子午線(北極と南極を結ぶ大円)を経過してから、また同じく子午線を経過するまでの時間を一日とする真太陽日を用いることは、地球の軌道が円ではなく楕円であるため、一日の長さが一年を通じて一定でないからである。平均太陽日は、一年を通じて同じ速さで黄道上を運動している仮想の太陽を考えて作った時間であり、平均太陽時は、その1/24の時間である。実際には、恒星を観測してえた真恒星時から、平均恒星時を算出し、平均太陽時に概算している。一年は365.2422平均太陽日であり、365日5時間46分48秒となる。
また、最近では、地球の自転速度には、なお原因不明の変動があるため不規則をまぬがれず、より正確を期して、地球の公転周期にもとづく定義にかえられた。すなわち1900年初めの時点ではなかった一太陽年(太陽が春分点から春分点までかえる時間)の31556925.9747分の一を一秒ときめた。さらに正確な時間の決定のために、アンモニア分子の中の窒素原子の振動や、セシウム原子の中での振動の周期を利用した原子時計の研究等も進められている。いずれにしても、地球の公転と自転、あるいは原子の振動などとによって定めた時間であるから、絶対的な客観的な時間とはいいがたい。
次に平均太陽がイギリスの有名なグリニジ天文台にあるグリニジ子午線を通過する時刻の十二時間前を0時として、これをグリニジ標準時間といい、全世界の地方標準時の基準としている。各国では、グリニジ標準時と整数時間の差をもつ標準時を定めている。日本では東経一三五度を標準時としているため、グリニジ標準時より九時間だけ早い。
ジェット機の発達につれて、海外旅行の際、よく時差のために悩まされる。時差とは地球上の各地方の標準時が示す時刻に、10時間とか15時間とか差があることである。24時間を単位とした規則正しい生活が、時差のある新しい生活に身体がなれるまで大変なわけである。
第二に相対性理論というものは、いかなるものであろうか。ニュートンいらいの古典物理学では、時間、空間は絶対的なものとされてきた。ところがアインシュタインの特殊相対性理論、つづいて一般相対性理論によって、時間、空間はすべて絶対的なものではなく、相対的なものであるという、新しい概念におきかえられた。
アインシュタインが相対性理論を発表するまでは、ニュートンの古典力学が、用いられていた。ニュートンはプリンシピア(Principia)という有名な著書に、時間と空間の絶対性を説いて「①絶対的な、真の、かつ数学的な時間は、ひとりでに、それ自身の性質として、外界のどんなものとも無関係に、いちように経っていく。②絶対な空間は、それ自身の性質として、外界のどんなものとも無関係に、つねに同一であり、かつ不動である」といっていた。そして、これを誰も疑うものはなかった。
しかるに、アインシュタインは、時間と空間は、決してこのように無関係に別個に独立して存在するのではなく、きわめて密接に関係しあっている。すなわち、時間も空間も、どちらかの一方だけでは存在できないで、おたがいに関係しあっているものである。そして、宇宙のすべてのものは、時間と空間をもちながら、つねに休むことなく運動と変化をつづけており、われわれも時間を第四の次元とする四次元の世界に住んでいるという。四次元とは、空間が、タテ、ヨコ、高さを持つ三次元で、時間の概念を加えると四次元になるわけである。
これを具体的にいえば、時間は相対的であり、あらゆる場所で、全く同様には測定されないのである。相対性理論の世界は、高速度に関係が深い。光速度は一秒に約30万㌔であるが、宇宙のかなたの星は何万何億光年も遠い先にある。すなわち十万光年の星の光は、十万年前に輝いた星の光を今われわれがようやく眺められるわけである。しかし地球上では、この光速度が、われわれの生活の各速度とくらべてあまりにも大きいので、ほとんど相対性理論の影響を感じないが、光速度が関係して、実際には、わずかでも次のような奇妙なことがおこるという。
すなわち特急列車の中で、二人の人が同時に別の場所で、それぞれタバコに火をつけたとする。しかし地面に立っている人から見れば、決して火のつけ方は同時ではないというのである。これは宇宙の天体間の事件に拡大して考えれば納得できるであろう。このように、異なった場所におこった二つの事件が、ある場所からみて同時であったとしても、他の場所からみれば同時ではなくなり、一定の時間だけへだたっていることになる。
そのほか、光速度以上の速度は絶対に出せない。また、速度が増すにつれて、時間はおくれるようになり、光速度に近づけば、ひじょうに時間がおくれるようになり、光速度の速さの物体では生命の変化や運動が感ぜられないから時間も感ぜられないことになる。また、科学解説者ガモフ(George Gamow)によれば、将来いつか宇宙船が地球から発船して太陽系の他の惑星や、われわれの銀河系内でも近くの恒星の惑星を訪れて地球に帰ってきた操縦士や乗客は、ずっと地球上にいた人よりも年をとらないで若いこともありうるという。そして、これは帰ってくるときの方向転換のために大きな加速度をうけることを考えれば、数学的に証明できるという。
かくして、非現実的ではあるが、八光年離れているシリウス星まで、一年間で光速度の九十八㌫に達する宇宙船にのれば、九年で帰ってこれるが、地球上に住む人からみれば、十六年後にやっと帰ってくるという計算になるという。また銀河系宇宙の中心まで一定速度で往復旅行をすれば、地球上の暦では四万年かかるが、宇宙船自体の時計では、わずか三十年しかかからぬという。
もちろん、これらは時間と空間の相対論的性質を示す一つの話にすぎない。現実には、いかにイオンロケットや原子力をもちいても、遠い恒星や惑星まで旅行できるような宇宙船は作ることはできないからである。
しかし、このような時間と空間の相対性は、もはや否定することができない。そして、宇宙時代の発展と共に、種々の分野に影響をあたえずにはおかないであろう。また、この相対性理論における時間、空間の問題は、哲学、思想上にも、大きな影響をあたえずにはおかなかった。ただ、東洋仏法の真髄のみが、相対性理論いな、それ以上の時間空間論を説ききってきたことは、偉大なる大仏法哲学を究明することによって知れるのである。
時間は、宇宙生命の変化、運動によって、われわれが感ずるものであり、また地球の公転や自転のように、ほぼ規則正しい運動を利用して、われわれが決定したものである。このように、相対性理論が唱えられたことによって、仏法の説く時間の正しさが、証明されることになったのである。そして、あくまでも宇宙生命の存在、変化、運動が主体であるから、光速度以上の速度を考えて、歴史を逆行させるというような空論が、事実として成立するわけのものではないことは当然である。すなわち仏法哲学よりみれば、因果の二法によって成り立つ現象界が、逆戻りすることはありえないから、とうぜん時間の可逆性は成り立たない。また公転や自転の速さが異なる他の天体においては、当然、地球で感ずる時間とは異なるわけである。とくに仏法哲学においては、客観的な時間ではなく、生命活動を中心にした主観的な時間を説いている。これは現代科学における時間の考え方をリードする思想といえよう。
すなわち、第三に、仏法においては、それぞれの生命の感ずる時間をもって、その時間としている。しかして、ひじょうに楽しい境涯のとき、たとえば十界の中では天界の境涯の時には、じつに時間の進みが早い。このような時には、たしかに三時間、四時間も、三分四分ほどにしか感じないものである。ゆえに、このことは、われわれの生活感情から、容易に首肯できるであろう。
その反対に、ひじょうに苦しい悩みの多い日常生活にあっては、苦痛の一日が早く終わればよいと感じながら、一日がひじょうに長く感ぜられるものである。すなわち時間の経つのが遅く感ぜられる。ゆえに、地獄界にあっては、時間が経つのが遅く感ぜられ、それだけ苦痛が多いわけである。
このように、生命活動の果報としてえられる時間は、時計ではかる時間とは、違って、すべての時間の長短は、その時の十界三千の果報によって決定されてくる。たとえば、深い眠りに入っているような時は、生命活動の上に意識が消えてしまって、時間がまったく感ぜられない。死んだ後にわが生命が宇宙生命に冥伏した時も同様である。そして、翌朝眠りから覚めて、縁によって思い出す中に、過去を感ずるのである。
御義口伝にいわく「第三我実成仏已来無量無辺等の事 御義口伝に云く我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり……仏とは此れを覚知するを云うなり已とは過去なり来とは未来なり已来の言の中に現在は有るなり、我実と成けたる仏にして已も来も無量なり無辺なり」(0753:第三我実成仏已来無量無辺等の事:01)と。
同じく御義口伝下にいわく「久遠とははたらかさず.つくろわず.もとの儘と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の侭なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云」(0759:第廿三 久遠の事:01)と。
過去、現在、未来という時間について「已とは過去なり来とは未来なり已来の言の中に現在は有るなり、我実と成けたる仏にして已も来も無量なり無辺なり」とおおせである。これは現在の一念、現在の一瞬の中に、過去も未来も、すべて含まれているという重大な御教示と拝するのである。また、総勘文抄にいわく「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり」(0562:08)と。過去、現在、未来と表面的に区別することはできるが、生命の本源からみれば、区別できないとおおせられている。
生命活動の本源をたどれば、究極は現在の瞬間の生命にあることがわかる。過去というものを考えれば、あるものを縁として過去を思い出すゆえに、過去の実在を知りうるのである。思い出すということがなかったら、過去があったのか、なかったのか、全くわからない。記憶を再現することは、一瞬間の生命の働きであり、一瞬の生命を成(ひら)いて過去の生命活動を涌現したのである。ゆえに現在の一瞬の生命活動があるゆえに過去があり、過去は現在の一瞬にすべて包含される。また、将来起ころうとすることを考え、未来を認め、未来を確信するのも、現在の一念の働きであり、現在の一瞬の生命活動の用といいうる。たしかに、いま現在と思った刹那はすぐに過去となり、未来もたちまち現在となり、過去となる。したがってこの瞬間の生命に、過去、現在、未来があるのである。
さらに一瞬の生命に因果を有しており、過去のすべての因が現在の果となり、現在の因が未来の果を生ずる。そして因果俱時不思議の一法を南無妙法蓮華経と名づけたのである。御義口伝には「元初の一念一法界より外に更に六道四聖とて有る可からざるなり所謂南無妙法蓮華経は三世一念なり」(0788:02)とある。百六箇抄に「久遠一念元初の妙法……」(0867:01)また本因妙抄に「久遠一念の南無妙法蓮華経」(0871:09)等とある。
かくして、過去も未来も、すべて現在の一瞬に含まれ、一瞬一瞬の生命活動が変化しつつ連続するのが永遠である。現在の一瞬の生命のうちに、過去永遠の生命を包含し、未来永劫の生命を包含する。久遠の生命も一念の生命におさまるのである。次に久遠即仏法とは、すなわち「久遠とははたらかず・くつろわず・もとの儘」であり、生命活動の本質をたどってみれば、究極は一瞬であり、それをさして久遠元初ともいい、末法ともいうのである。しかして、久遠元初も末法も、ともに三大秘法の南無妙法蓮華経のみがひろまる時なるがゆえに、すなわち久遠即末法、久末一同ではないか。
所詮、仏法哲学よりみれば、われわれの生命活動なくして、時間はない。われわれの生命活動を根本として、宇宙生命の運動、変化から感じ取っていくのが、真実の時間であるといいうるのである。このように、仏法で説く時間こそ、時間の本質なりと主張するものである。
第二章(仏法は時によるを明かす)
本文
寂滅道場の砌には十方の諸仏示現し一切の大菩薩集会し給い梵帝・四天は衣をひるがへし竜神八部は掌を合せ凡夫・大根性の者は耳をそばだて生身得忍の諸菩薩・解脱月等請をなし給いしかども世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし即身成仏・一念三千の肝心、其義を宣べ給はず、此等は偏にこれ機は有りしかども時の来らざればのべさせ給はず経に云く「説く時未だ至らざるが故」等云云、霊山会上の砌には閻浮第一の不孝の人たりし阿闍世大王座につらなり、一代謗法の提婆達多には天王如来と名をさづけ五障の竜女は蛇身をあらためずして仏になる、決定性の成仏は燋種の花さき果なり久遠実成は百歳の叟・二十五の子となれるかとうたがふ、一念三千は九界即仏界・仏界即九界と談ず、されば此の経の一字は如意宝珠なり一句は諸仏の種子となる此等は機の熟不熟はさてをきぬ時の至れるゆへなり、経に云く「今正しく是れ其の時なり決定して大乗を説かん」等云云。
現代語訳
仏教は相手の衆生(機)によって法を説くよりも、むしろ時によって説くべき教法が決定されてきている。
すなわち釈迦仏が最初成道して華厳経を説法した寂滅道場の時には、十方の諸仏が示現し、いっさいの大菩薩はその会座に来集せられ、大梵天・帝釈天・四天王は衣をひるがえして集まり、竜神・八部衆は掌を合わせて仏を礼拝し、凡夫、大根性の者は耳をそばだてて仏の説法を聞かんと欲し、無生忍を証した生身得忍の諸菩薩・解脱月菩薩が墾ろに説法を請うている。このような華厳経の会座においてさえ、仏は法華経の肝心たる二乗作仏・久遠実成をば隠してその名字すら説かなかった。また即身成仏・一念三千の法門は、じつに一代仏教の肝要であり、極理であるが、華厳経にはその義を説き明かさなかったのである。このように、爾前四十余年の諸経では、上根上機の衆生があったけれども、いまだ法華経を説くべき時がこなかったので、述べなかったのである。ゆえに法華経方便品第二では「説く時いまだ至らざるゆえ」と説いているのである。
さて、いよいよ霊鷲山において法華経を説くにあたっては、父の頻婆沙羅王を殺して世界第一の不孝者となった阿闍世王も、その会座に連なり、一生の間、謗法を犯しつづけた提婆達多には天王如来の記を授けられ、女人として罪深い五障の竜女は、蛇の身を改めないで畜生のままで即身成仏の現証を示した。決定性の二乗は、永遠に二乗の境地から抜け出ることができないはずだったのに、その二乗すら成仏すると説かれたことは、あたかも燋れる種がふたたび芽を出し花が咲き果がなったようなものであり、また本門へ入って久遠実成を説く時には百歳の老人が二十五の若い子供になったかと疑わしめた。すなわち老人とみられた地涌の大菩薩たちを、実は釈尊が五百塵点劫のその昔に成道して已来教化してきたのであると説いた。しかして、一念三千は九界即仏界・仏界即九界と説いて本有常住の十界互具を説き明かした。されば、この法華経の迹門も、本門も爾前経に対すれば、その一字が如意宝珠であり、法華経の一句は諸仏の種子となっている。
さて、このように爾前四十余年と法華経八年が相違するのは、衆生の機根の熟・不熟はさておいて、時のいたれるゆえである。法華経方便品第二に「今正しくこれその時なり、決定して大乗を説く」と説いているのは、この意である。
語釈
寂滅道場
寂滅は覚りの境地。道場は覚りを得る場所。釈尊が今世ではじめて覚りを開いた、伽耶城(ガヤー)の菩提樹の下のこと。華厳経が説かれた所としても知られる
生身得忍
現在の身(生身)のままで無生法忍を得ること。無生法忍とは、一切のものは空であり固有の実体をもたず生滅変化を超越しているという道理を受け入れること。大智度論などでは、この生身得忍は不退の菩薩の段階で得られるという。
解脱月
華厳経の会座に来集した菩薩の一人。金剛蔵菩薩が菩薩の修行の階位である十地の名を説いた後、詳説しなかったので、解脱月菩薩は聴衆を代表して金剛蔵菩薩にその義を説法することを請うたとされる。その要請によって十地品が説かれている。
阿闍世大王
梵名アジャータシャトル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳す。釈尊在世における中インド・マガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って釈尊を殺そうとするなどの悪逆を行った。後、体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど仏法のために尽くした。
提婆達多
梵名デーヴァダッタ(Devadatta)の音写。また調達とも書く。漢訳して天授・天熱という。大智度論巻三によると、斛飯王の子で、阿難の兄、釈尊の従弟とされるが異説もある。出生のとき諸天が、提婆が成長の後、三逆罪を犯すことを知って、心に熱悩を生じさせたので、天熱と名づけたという。釈尊が出家する以前に悉達太子であったころから釈尊に敵対し、悉達太子から与えられた白象を打ち殺したり、耶輸陀羅女を悉多太子と争って敗れたため、提婆達多は深く恨んだ。また仏本行集経巻十三によると釈尊成道後六年に出家して仏弟子となり、十二年間修業した。しかし悪念を起こして退転し、阿闍世太子をそそのかして父の頻婆沙羅王を殺害させた。釈尊に代わって教団を教導しようとしたが許されなかったので、五百余人の比丘を率いて教団を分裂させた。また耆闍崛山上から釈尊を殺害しようと大石を投下し、砕石が飛び散り、釈尊の足指を傷つけた。更に蓮華色比丘尼を殴打して殺すなど、破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢の三逆罪を犯した。最後は、王舎城の中で、大地が自然に破れて生きながら地獄に堕ちたとされる。しかし法華経提婆達多品第十二で釈尊が過去世に国王であった時、位を捨てて出家し、阿私仙人に千年間仕えて法華経を教わったが、その阿私仙人が提婆達多の過去の姿であるとの因縁が説かれ、未来世に天王如来となるとの記別が与えられ悪人成仏が説かれた。
竜女
海中の竜宮に住む娑竭羅竜王の娘で八歳の蛇身の畜生。法華経提婆達多品第十二には次のように説かれている。竜女は、文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、不退転の境地に達していた。しかし智積菩薩や舎利弗ら聴衆は竜女の成仏を信じなかったので、竜女は法華経の説法の場で「我れは大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん」と述べ、釈尊に宝珠を奉った後、その身がたちまちに成仏する姿を示した。竜女の成仏は、一切の女人成仏の手本とされるとともに、即身成仏をも表現している。
決定性の成仏
法相宗では、衆生が本来そなえている仏法を理解し信じる資質を五種類に分ける五性を説いた。そのうちの三つは、声聞・縁覚・菩薩の境地を得ることが定まっているので決定性と呼ばれた。この決定性の二乗(声聞・縁覚)は、法華経以外の大乗経では、自身が覚りを得ることに専念することから利他行に欠けるとして、成仏の因である仏種が断じられて成仏することはない(永不成仏)とされた。それに対し法華経迹門では、二乗にも本来、仏知見(仏の智慧)がそなわっていて、本来、成仏を目指す菩薩であり、未来に菩薩道を成就して成仏することが、具体的な時代や国土や如来としての名などを挙げて保証された(二乗作仏)。
如意宝珠
意のままに宝物や衣服・食物等を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭魚の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状、芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」、また御義口伝には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」と仰せである。
一句は諸仏の種子
法華経の一字一句は一念三千の宝珠である。ゆえに三世の諸仏を出生する種となる。普賢経にいわく「此の大乗経典は、諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」というのがこの意である。しかるに末法においては、寿量品文底下種の一念三千こそ唯一の即身成仏の仏種である。開目抄上にいわく「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(189:02)と。秋元御書にいわく「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072:06)と。
講義
この章では、仏が説法するにあたって、どのような法門を説くかは、衆生の機根によって決定されるのではなく、むしろ時が来たか来ないかによって決定されることを明かされている。
その例として、この章では、寂滅道場すなわち華厳経の説法と、霊山会上すなわち法華経の説法とを比較されている。華厳経の時は、十方の諸仏、一切の大菩薩、梵帝四天等が集まったにもかかわらず、二乗作仏、久遠実成、一念三千等の肝要の法門は一つも説かなかった。
法華経の説法の時には、この世界中で第一の不孝者といわれる阿闍世王や、一代を通じて仏を誹謗した提婆達多や、畜生の竜女さえ、その座につらなって説法を聞いている時に、二乗作仏、久遠実成、一念三千と説いて、一切衆生の即身成仏を説き明かしたのである。要するに華厳経の時には「説く時いまだいたらざるゆえ」に説かなかったのであり、法華経の時には「今正しくこれその時なり」で、時が来たゆえ、一念三千即身成仏という釈尊出世の本懐、一代聖教の肝要・真髄を説き明かしたのである。このように、仏は、善人のためには大法を説かず、悪人のために大法を説くゆえに、仏法は機によらず専ら時によるというのである。
このように、仏は時に相応する経法を説き、また時代相応の教法を定めておいてある。仏道修行者は、まずその時代相応の教を求め、時代相応の修行をしなくてはならない。爾前四十余年に法華経を修行したり、後八年に爾前経を修行しても、得道のできるわけがないのである。仏滅後においても、次のように、時代によって機感相応の相違がある。三大秘法抄にいわく「正法一千年の機の前には唯小乗・権大乗相叶へり、像法一千年には法華経の迹門・機感相応せり、末法の始の五百年には法華経の本門・前後十三品を置きて只寿量品の一品を弘通すべき時なり機法相応せり」(1021:14)と。
このように教法の流布は、時を知り、時代に応じなければならないのである。
「今正しく是れ其の時なり」との法華経方便品の文は、正しく化儀の広宣流布を達成すべき現代のための経文であることを痛感する。政治の根底に、教育の根底に、あらゆる文化の根底に、偉大なる思想理念、偉大なる窮境哲学を求める声が、今日ほど強い時はない。
しかして、悠久なる大河のごとく、峨峨たる大岳のごとく、伝承されてきた東洋仏法の真髄のみが、よく人類を救う指導理念たりうることを確信して止まない。この大理念が、いよいよ時に応じて、すべての民衆の宝珠として用いられる黎明の時代がきたのである。
一字は如意宝珠・一句は諸仏の種子等
語訳の項で説明したように、法華経には一念三千を説いてあるから、法華経は如意宝珠であり、諸仏の種子となるのである。爾前経には一念三千がないから、どんなにりっぱなことが説いてあっても、成仏の種子とはならないのである。しからば、法華一部八巻が、そのまま末法の下種本門となるかというに、そうではない。およそ末法下種の正体とは、久遠名字の妙法・事の一念三千である。これすなわち文底深秘の大事で、日蓮大聖人の出世の御本懐であらせられるのである。それは次の御抄に明らかである。開目抄上にいわく「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189:02)と。
本章の御文は前に示すとおり、権実相対の文であって、華厳と法華経とを比較して、勝劣浅深を判ぜられたのである。同様の御文で、観心本尊抄に「爾前迹門の円教尚仏因に非ず」(0249:07)と判ぜられているのは、本迹相対である。さらに同抄に「彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249:17)の御文は正しく種脱相対である。
秋元御書にいわく「種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072:05)と。曾谷入道殿許御書にいわく「而るに今時の学者時機に迷惑して……題目の五字を以て下種と為す可きの由来を知らざるか」(1027:15)と。
以上の御抄のうちで、観心本尊抄では「但」と判じ、秋元抄では「必ず」と判ぜられているが、いずれも日蓮大聖人御内証の寿量品によってのみ成仏がかなうことをお示しになっているのである。観心本尊抄にいわく「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず」(0250:09)と。これすなわち末法の下種本門の御事であり、末法における妙法弘通は地涌の菩薩にこそ託されたことを明かされているのである。
第三章(機教相違の難を会す)
本文
問うて云く機にあらざるに大法を授けられば愚人は定めて誹謗をなして悪道に堕るならば豈説く者の罪にあらずや、答えて云く人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや良医・薬を病人にあたう病人嫌いて服せずして死せば良医の失となるか、尋ねて云く法華経の第二に云く「無智の人の中に此の経を説くこと莫れ」同第四に云く「分布して妄りに人に授与すべからず」同第五に云く「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり、諸経の中に於て最も其の上に在り長夜に守護して妄りに宣説せざれ」等云云、此等の経文は機にあらずば説かざれというか、今反詰して云く不軽品に云く「而も是の言を作さく我深く汝等を敬う等云云四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り、悪口罵詈して言く是の無智の比丘○又云く衆人或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云、勧持品に云く「諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん」等云云、此等の経文は悪口・罵詈・乃至打擲すれどもととかれて候は説く人の失となりけるか、求めて云く此の両説は水火なりいかんが心うべき答えて云く天台云く「時に適うのみ」章安云く「取捨宜きを得て一向にすべからず」等云云、釈の心は或る時は謗じぬべきにはしばらくとかず或る時は謗ずとも強て説くべし或る時は一機は信ずべくとも万機謗べくばとくべからず或る時は万機一同に謗ずとも強て説くべし、初成道の時は法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵・文殊・普賢・弥勒・解脱月等の大菩薩、梵帝・四天等の凡夫・大根性の者かずをしらず、鹿野苑の苑には倶鄰等の五人・迦葉等の二百五十人・舎利弗等の二百五十人・八万の諸天、方等大会の儀式には世尊の慈父の浄飯大王ねんごろに恋せさせ給いしかば仏・宮に入らせ給いて観仏三昧経をとかせ給い、悲母の御ために忉利天に九十日が間籠らせ給いしには摩耶経をとかせ給う、慈父・悲母なんどにはいかなる秘法か惜ませ給うべきなれども法華経をば説かせ給はずせんずるところ機にはよらず時いたらざれば・いかにもとかせ給はぬにや。
現代語訳
問う、大法を聞くべき機根でないものが、いきなり大法を授けられるならば、愚人は定めて誹謗し、そのために悪道へ堕ちるならば、それこそ説くものの罪ではないのか。
答う、ある人が大衆の便利をはかって路を作った。その路に迷うものがあるからといって、路を作るものの罪だといえるだろうか。良医があって、大良薬を病人にあたえた時に、病人は薬を嫌って服しないで死んだならば、それが良医の過失となるであろうか。すなわち、苦悩のどん底にある衆生に対して、御本尊を信じて幸福になれといった時、衆生は信じないで、さらに大きな苦悩へ陥っていった場合に、御本尊の大利益を説くものの罪となるであろうか。決して、そうではない。
尋ねていわく、法華経の第二巻、譬喩品第三には「無智の人のなかにおいて、この経を説いてはならない」とあり、同じく法華経の第四巻、法師品第十には「この経を分布して妄りに授与してはならない」と。また同じく法華経の第五、安楽行品第十四には「この法華経は諸仏如来の秘密の蔵であり、諸経の中において、もっともその上にあり。ゆえに長夜に守護して妄りに宣説してはならない」と、このように説いてあるのは、相手が法華経を聞く機根でなければ説いてはならないというのではないかとの疑問を生ずる。
今その疑問に対して反詰していわく、同じく、法華経の不軽品には「不軽菩薩が会う人ごとに我れ深く汝を敬うと礼拝した。これに対し四衆の中には不軽菩薩に対して瞋恚を生じ、心が不浄の者があり、不軽を悪口罵詈して無智の比丘だといい、又衆人は杖木瓦石をもって不軽菩薩を打ち迫害した」とあり、また勧持品には「仏の滅後に、この経を弘めるならば、多くの無智の人が悪口罵詈等し、および刀杖を加えて迫害する者があるであろう」と説かれている。これらの経文は悪口罵詈され刀や杖で打ち斬られても強いて法を説けといっている。相手が信じないからといって、どうして説法者の失となるであろうか。
求めていわく、その両説は水火のごとく相容れないものであるが、どのようにこれを心得ていたらよいのであろうか。
答えていわく、天台は「時に適うのみ」といって、摂受を行ずるか折伏を行ずるかは、時代によって異なると説き、章安は「取捨宜しきを得て、一向にしてはならない」といっている。すなわち、この釈の心は、ある時は謗ずるならば、しばらく説かないでいる。ある時はどんなに誹謗しても強いて説き聞かせる。またある時は、わずかに一機が信じても、万機の大衆が謗るならば説いてはならない。ある時は万機が一同に謗っても強いて説くべきである。このように、摂受と折伏とは、時によって異なるとの意である。
さて、釈尊の初成道・華厳経の説法の時には、法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵・文殊・普賢・弥勒・解脱月等の大菩薩を初めとして、梵天・帝釈・四天王等の諸天や、凡夫・大根性の者が数知れず集まっていた。また阿含経を説いた鹿野苑の苑には、倶鄰等の五人の比丘・迦葉等の二百五十人・舎利弗等の二百五十人・八万の諸天が集まってきた。またついで説かれた方等大会の儀式には、釈迦牟尼世尊の慈父たる浄飯大王が、ねんごろに仏を恋い慕われたので、仏は王宮へお入りになったが、観仏三昧経を御説きになっている。また悲母のためには、忉利天に九十日の間こもらせたまいて、摩耶経をお説きになった。自分の慈父・悲母のためならば、どんな大法をも惜しむわけではないけれども、法華経をばお説きにならなかったのである。結局のところ、爾前経の間は、大菩薩や声聞や諸天や両親にさえ、法華経を説かなかったということは、仏の説法というものが、衆生の機根によって差別されるのではなくて、法華経を説くべき時がいまだこなかったゆえである。
語釈
法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵
華厳経の説法の場に来集した菩薩。華厳経では、成道間もない釈尊の前に、この四菩薩を上首とする六十余りの菩薩たちが、十方の諸仏の国土より来集し、賢首菩薩・解脱月菩薩などの要請に応じて、菩薩の修行段階である五十二位の法門を説いた。すなわち、法慧菩薩は十住を、功徳林菩薩は十行を、金剛幢菩薩は十回向を、金剛蔵菩薩は十地を説いた。華厳経では、釈尊自身は何も法を説かず、菩薩たちが仏の神力を受けて説いたとされる。仏の覚りは言葉では表現できないほど深いものであるから、菩薩の修行段階とその功徳を示すことによって、それより優れた仏の境地を間接的に明かしている。
鹿野苑
梵語ムリガダーヴァ(Mṛgadāva)の訳。古代インドの波羅奈国(ヴァーラーナシー)にあった園林。現在のヴァーラーナシーの北方にあるサールナートに位置する。釈尊が苦行を捨てて菩提樹下で初めて覚りを開いたのち、この鹿野苑において阿若憍陳如ら五人の比丘に初めて法を説いたので、初転法輪の地といわれる。この地は早くから仏教徒の巡拝が行われ、それに伴って仏塔や僧院などが建造され、付近からインド彫刻史上の傑作といわれるアショーカ石柱の獅子柱頭も出土している。
倶鄰等の五人
釈尊から最初に化導された五人の比丘。倶鄰は梵名アージュニャータ・カウンディンニャ(Ajñāta-Kauṇḍinya)の音写、阿若倶鄰の略。阿若憍陳如とも音写する。釈尊が出家したとき、王の命によって五人の比丘が随行し苦行をともにしたが、釈尊が苦行を捨てたとき、決別し鹿野苑に去った。釈尊が成道後、鹿野苑で再会し、最初の弟子となった。
観仏三昧経
仏説観仏三昧海経の略。中国・東晋の仏陀跋陀羅の訳。十巻。仏が迦毘羅衛城(カピラヴァストゥ)の尼拘楼陀精舎で、父の浄飯王や叔母の摩訶波闍波提らのために、観仏三昧(仏を心に観察する瞑想)によって解脱を得ることを教えている。
忉利天
梵語トラーヤストゥリンシャ(Trāyastriṃśa)の音写。三十三天と訳する。六欲天の第二天。須弥山の頂上、閻浮提の上、八万由旬の処にある。城郭は八万由旬、喜見城と名づけ、帝釈天が住む。城の四方に峰があり、各峰の広さが五百由旬、峰ごとに八天があり、合わせて三十二天、喜見城を加えて三十三天といわれる。この天の有情の身長一由旬といわれる。倶舎論巻十一には、忉利天の衆生の寿命について「人の百歳を第二天(即ち三十三天)の一昼一夜とし、此の昼夜に乗じて、月及び年を成じて彼れの寿は千歳なり」と説いている。この天の寿命を人間の寿命に換算すると、100歳×360日×1000年で、3600万歳にあたる。
摩耶経
詳しくは、摩訶摩耶経とも仏昇忉利天為母説法経ともいう。斉の曇景訳。二巻。仏が母の摩耶夫人の恩を奉ずるために、忉利天に四月十五日に昇り七月十五日に帰るまでの九十日間に説法し、初果の益を得させた。この経には貧者の一灯の教えがある。すなわち願って多くの財を布施しても信心が弱くては仏に成ることはできないが、たとえ貧しくても信心が強く志が深ければ、仏に成ることは疑いないということである。のちに、仏が入滅したことを聞いた摩耶夫人は急ぎ忉利天より下り、涅槃の場にかけつけ仏の鉢と錫杖とを抱いて泣いた。そのとき、仏は大神通力をもって金棺の蓋をあけ、身を起して毛孔から千百の光明を放ち、一一の光明中に千百の化仏を現じて、母子が相いまみえた。仏は母のために世の無常の理を説き、説き終って再び棺の蓋を閉じたと説かれている。後半では、釈尊滅後千五百年までの法を広める人の出世年代・事跡などが記されている。
講義
この章は、仏教が機によらず、もっぱら時によることを明かす中で、本節は初めの「問うて云く機にあらざるに……」からが料簡であり、次に「初成道の時は……」からが結文となる。
料簡の項では、初めに機教相違の難を会す。すなわち大法を聞くべき機根でない衆生に対しても、なぜ強いて大法を説き聞かせるか。また強いて大法を説き聞かせても、決して説法者の罪ではないことを明かす。次に「尋ねて云く法華経の第二……」からは経説相違の難を会す。すなわち同じ法華経の中にも、摂受と折伏の両説が説き示されているのは、時代によって異なるのであり、例せば正像二千年は摂受、末法は一向に折伏であるようなものである。しかして「釈の心は或る時は……」と四種の或時を挙げている。初めの三箇は未謗已謗の機に配し、未謗の者には摂受、已謗のものには折伏なることを明かし、時に適うべきことを明かす。次の二箇は、釈尊は本已有善の衆生に対して小をもってこれを将護し、不軽は本未有善に対し大をもってこれを強毒するの意である。
次に「初成道の時……」以下は「寂滅道場……」よりの意を結する文となる。
機にあらざるに大法を授けられば……
折伏をした場合に、相手が入信しないのみか、かえって誹謗をし、罰を受けてさらに苦悩へとおちていく人がある。こういう人を見ると、初めから折伏されないほうが、幸福だったのではないかなどという疑問も生ずる。しかし日蓮大聖人は、はっきりと「人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや」等の譬えをあげて、折伏する者に罪はないと断定されている。ゆえに、われら正信の者こそ、確信をもって折伏を行ずべきである。
摂受と折伏については、次の各御抄にも詳しく論じられ、末法には折伏を行ずべきことをお示しになっている。
佐渡御書にいわく「仏法は摂受・折伏時によるべし譬ば世間の文・武二道の如しされば昔の大聖は時によりて法を行ず雪山童子・薩埵王子は身を布施とせば法を教へん菩薩の行となるべしと責しかば身をすつ、肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし」(0957:02)と。
開目抄下にいわく「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし」(0235:10)と。
如説修行抄にいわく「末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり、此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり、敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し敵無き時は弓箭兵杖何にかせん、今の時は権教即実教の敵と成るなり、一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり、天台云く『法華折伏・破権門理』とまことに故あるかな」(0503:13)と。
このようにして折伏を行ずる時は、一国の迫害を受けることは必至であり、迫害を加える者が謗法の現罰を受けることもまた必定である。しかし結局は、地によって倒れた者が地によって立ち上がるのと同じで、御本尊を誹謗して悪道へおちた者は、ふたたび御本尊の功徳によって救われるのである。これを逆縁の功徳とも、毒鼓の縁ともいい、御抄には次のとおりにお示しになっている。
教機時国抄にいわく「謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり、例せば不軽菩薩の如し」(0438:12)と。上野殿御返事にいわく「天竺に嫉妬の女人あり・男をにくむ故に……年来・男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり・両の足にてさむざむにふみける、其の後命つきて地獄にをつ・両の足ばかり地獄にいらず・獄卒鉄杖をもつて・うてどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による、今日蓮をにくむ故にせうぼうが第五の巻を取りて予がをもてをうつ・是も逆縁となるべきか」(1555:06)と。
さらにいったんは罰を受けても、それがかえって功徳に変ずるという御本尊の功徳がある。これを変毒為薬といい、御抄には次のようにお示しになっている。太田入道殿御返事にいわく「『……譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し』云云、天台此の論を承けて云く『譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く乃至今経の得記は即ち是れ毒を変じて薬と為すなり』」(1009:10)と。始聞仏乗義にいわく「竜樹菩薩・妙法の妙の一字を釈して譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し等云云、毒と云うは何物ぞ我等が煩悩・業・苦の三道なり薬とは何物ぞ法身・般若・解脱なり、能く毒を以て薬と為すとは何物ぞ三道を変じて三徳と為すのみ」(0984:01)と。新池殿御消息にいわく「毒薬変じて薬となり衆生変じて仏となる故に妙法と申す」(1437:12)と。
無智悪人の国は摂受を先とする
創価学会においては、日蓮大聖人の御遺命のままに折伏を行ずべきことは当然であるが、ここでまた重要なことは、その国によって折伏を前とすべき国と、摂受を前とすべき国のあることである。
開目抄下にいわく「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、……末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし」(0235:09)と。
要するに、日本の国のように、邪智謗法の者が多く、真言、念仏、禅のごとき権教をもって実教の法華経を破り、法華経の中においても、本迹相対、種脱相対のあることを知らず、せっかく末法の御本仏日蓮大聖人が三大秘法を御建立あそばされているのに、かえって正法を破り、折伏を行ずる人に怨嫉をいだく。このような邪智謗法の多い国においては、折伏を行じなくてはならないのである。
しかるに、最近は、とくに欧米諸国や、東南アジア諸国に御本尊が流布し、題目を唱える者が多くなってきた。これ、宗教に国境なく、正しい仏法は、あらゆる民族、全人類を幸福にしきっていくという一大現証というべきである。しかして、これらの諸国においては、謗法ばらいすべき対象となるような神や仏の像などがほとんどなかったり、民衆の間に慣習的な宗教行事が少しばかり行なわれていても、その宗教の教義を基として、権実、本迹、種脱を迷乱させるような、教義も信仰もない。このような場合を、無智悪人といって、邪智謗法と区別される。しかして、このような諸国においては破折すべき対象もないので、折伏の上の摂受を前としていかなければならない。折伏精神を根本とすることは当然であるが、相手の立ち場を尊重しつつ、次第に誘引していくのである。
ゆえに、先年来「海外における信仰のあり方」として、海外における御本尊流布にあたって、各国の国情や習慣等も考慮し、できるだけ信心しやすいように、学会として指導をつづけてきたのである。たとえば、具体的には、第一に御本尊の絶対の御力を教え、入信したい人には、そのまま御本尊を受けさせてよろしいわけである。第二には、海外の諸国には、日本のように謗法物はないし、謗法払いは本人が御本尊の功徳がわかってきた後に、自分の意志でやっていけばよいわけである。第三には、真心こめて仏法を教え、まだ仏法を知らない人々であるから、決して邪宗うんぬんということばをいう必要はなく、ひたすら御本尊の功徳を知らせるべきだ等である。
しかして、わが学会は、あくまでも各国の国是や立ち場を尊重しつつ、かつ各国の国民がみずからの手で、正法による幸福と繁栄をうるよう努力している。これらは決して信心の妥協ではない。折伏精神を根本にした、折伏の上の摂受である。最近の海外発展が、とくにめざましいゆえんも、このように、日蓮大聖人のおおせのままに実践し、慈悲の精神を根底としているからにほかならないと確信するものである。
なお、この点について、日寛上人は、宗教の五義に約すのであると、次のように、開目抄文段のお示しになっている。まず第一には教法に約す。法華は正しく折伏の教法である。これすなわち法華の開顕は爾前の権理を破し、法華の実理を顕わすのである。玄文第九には「法華折伏・破権門理」といっているが、同じように、本迹においても、種脱においても、本、種をもって、迹、脱を破するのである。
第二には機縁に約す。本已有善の衆生のためには、摂受門をもって、これを将護するのであり、本未有善の衆生のためには折伏門をもってこれを強毒するのである。このゆえ、に疏の第十には「本すでに善あり、釈迦小をもってこれを将護す、本未だ善あらず、不軽は大をもってこれ之を強毒す」といっている。
第三には時節に約す。顕仏未来記にいわく「末法に於ては大小の益共に之無し、小乗には教のみ有つて行証無し大乗には教行のみ有つて冥顕の証之無し……小を以て大を打ち権を以て実を破り国土に大体謗法の者充満するなり、仏教に依つて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり、此の時に当つて……本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し……彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ」(0506:18)と。開目抄下にいわく「設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁(わきま)へずば・いかでか生死を離るべき」(0236:09)と。末法に折伏を行ずべしという御文は限りなく、末法に生まれているわれわれが、折伏を行じなければならないのは当然である。
第四には国土に約す。開目抄の「末法に摂受折伏あるべし」の御文は、国土に約す文である。末法は折伏の時代であるといいながら、もし横に余国を尋ねるならば、悪国があるであろう。その悪国においては摂受を前とするのである。日本の国は破法の国であるから、折伏を行じなければならない。日寛上人の時代には現代のような地理的な知識もなかったのに、横に余国を尋ねるといわれている。今日、わが学会によって全世界に三大秘法が流布されてみると、あらためて開目抄の御予言の正確なことに驚かざるをえないのである。
第五には教法流布の先後に約す。すでに竜樹、天親、天台、伝教等は前代流布の教法を破して、当機益物の教法をひろめた。いま日蓮大聖人もまた、前代流布の爾前迹門を破して、末法適時の法華本門の大法、本門寿量の肝心をひろめられるのである。
第四章(正像末に約して滅後の弘教を明かす)
本文
問うて云くいかなる時にか小乗・権経をときいかなる時にか法華経を説くべきや、答えて云く十信の菩薩より等覚の大士にいたるまで時と機とをば相知りがたき事なり何に況や我等は凡夫なりいかでか時機をしるべき、求めて云くすこしも知る事あるべからざるか、答えて云く仏眼をかつて時機をかんがへよ仏日を用て国土をてらせ、問うて云く其の心如何、答えて云く大集経に大覚世尊・月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固・次の五百年には禅定堅固已千上年一 次の五百年には読誦多聞堅固・次の五百年には多造塔寺堅固已千上年二 次の五百年には我法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん等云云、此の五の五百歳・二千五百余年に人人の料簡さまざまなり、漢土の道綽禅師が云く正像二千・四箇の五百歳には小乗と大乗との白法盛なるべし末法に入つては彼等の白法皆消滅して浄土の法門・念仏の白法を修行せん人計り生死をはなるべし、日本国の法然が料簡して云く今日本国に流布する法華経・華厳経並びに大日経・諸の小乗経・天台・真言・律等の諸宗は大集経の記文の正像二千年の白法なり末法に入つては彼等の白法は皆滅尽すべし設い行ずる人ありとも一人も生死をはなるべからず、十住毘婆沙論と曇鸞法師の難行道・道綽の未有一人得者・善導の千中無一これなり、彼等の白法隠没の次には浄土三部経・弥陀称名の一行ばかり大白法として出現すべし、此を行ぜん人人はいかなる悪人・愚人なりとも十即十生・百即百生・唯浄土の一門のみ有つて路に通入すべしとはこれなり、されば後世を願はん人人は叡山・東寺・園城・七大寺等の日本一州の諸寺・諸山の御帰依をとどめて彼の寺山によせをける田畠郡郷をうばいとつて念仏堂につけば決定往生・南無阿弥陀仏とすすめければ我が朝一同に其の義になりて今に五十余年なり、日蓮此等の悪義を難じやぶる事はことふり候いぬ、彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり。
現代語訳
問うていわく、仏教は時に依るというが、しからば、どのような時に小乗経や権経を説き、どのような時に法華経を説くのであるか。答えていわく、下は十信の菩薩から上は等覚の大菩薩にいたるまで、時と機とをば知り難いのである。ましてわれらは凡夫であるから、どうして時機を知ることができようか。
問うていわく、少しも知ることができないのか。答えていわく、仏眼たる経文を借りて時機をかんがえよ。衆生の闇をはっきりと照らす仏日を用いて国土をてらしてみよ。そうすれば、はっきりとわかることである。
問うていわく、それはどういう意味なのか。答えていわく、釈迦仏は大集経において月蔵菩薩に対して未来の時を定めている。それによれば釈迦滅度の日から最初の五百年は解脱堅固であって、仏教を修行しては皆よく解脱することができる。次の第二の五百年は禅定堅固であって、修行しては盛んに禅定に入る時代となる。已上一千年。次に第三の五百年は読誦多聞堅固であって、経典をよく読み誦し多く聞くことが盛んとなる。次に第四の五百年は多造搭寺堅固であって、多くの塔寺を盛んに造立する時代となる。已上二千年。さて次に第五の五百年はわが仏法の中において闘諍言訟が盛んとなり、闘諍に明け暮れて白法(善法)が隠没してしまうであろうと予言している。
ところがこの五の五百年・二千五百余年について人々の料簡がさまざまである。中国の道綽禅師がいうには正像二千年・四箇の五百歳には小乗と大乗の白法が盛んに流通するが、末法に入っては彼等の白法が皆消滅して浄土の法門たる念仏の白法を修行する人ばかりが生死が離れるであろうと。日本の法然が料簡していうには今、日本国に流布するところの法華経・華厳経を初め大日経や諸の小乗教、天台・真言・律等の諸宗は大集経の予言に記された正像二千年の白法である。末法に入っては彼等の白法は皆滅尽するであろう、たとえ行ずる人はあっても一人も生死を離れることはできない。竜樹菩薩の十住毘婆沙論と曇鸞法師の言っている難行道というのがこれであり、道綽は念仏以外の教ではいまだ一人も得者する者がないといい、善導が念仏以外では千人の中に一人も得道することができないといっているのもこの意である。彼らの白法が隠没して終った次には浄土の三部経・阿弥陀の名号を称えるわが念仏の一行ばかりが大白法として出現するのである。これを修行する人人はいかなる悪人・愚人であっても十即十生・百即百生であってことごとく極楽浄土へ往生することができる。すなわちただ浄土の一門のみあって路に通入すべしというのである。
されば後世を願う人人は比叡山・東寺・園城寺・七大寺等の日本一州の諸寺や諸山の御帰依をやめて、さらに彼の寺山に寄進した田畠郡郷を奪い取り念仏堂へ寄進するならば決定往生疑いなし、ただひたすら南無阿弥陀仏を唱えよとすすめたので、わが日本国は一同にその義に染まって今に五十余年となる。日蓮はまた立宗以来この念仏の悪義を難じ破りつづけて年月を経ている。
彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳であり今日・当世であることには疑いがない、ただし彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる寿量品文底の南無妙法蓮華経こそ大白法として広宣流布する。一閻浮提の内に八万の国があり、その国々に八万の王があり、これらの王が全部・また王の臣下・万民までも、ことごとく今日本国に弥陀の称名を口口に唱うるごとく南無妙法蓮華経が広宣流布するのである。
語釈
道綽禅師
(0562~0645)。中国の隋・唐代の僧。中国浄土教の祖師の一人。并州汶水(山西省太原)の人。姓は衛氏。14歳で出家し涅槃経を学ぶが、玄中寺で曇鸞の碑文を見て感じ浄土教に帰依した。曇鸞の教説を承け、釈尊の一大聖教を聖道門・浄土門に分け、法華経を含む聖道門を「未有一人得者」の教えであるとして排斥し、浄土門に帰すべきことを説いている。弟子に善導などがいる。著書に「安楽集」二巻等がある。
正像
正法と像法のこと。仏の滅後を正法、像法、末法の三種の時にわけて、これを正像末の三時という。正法とは仏の教法が正しく信心修行されて証果を得る時である。像法の像とは似るということで、形式的に流れ精神はなくなるが、まだ正法に似ている時である。末法とは仏の教法がすたれ証果のない時である。年次については諸経典によって異説があるが、日蓮大聖人は大集経巻五十五に説かれる五五百歳を正像末の三時にあてはめ、第一の五百年(解脱堅固)と第二の五百年(禅定堅固)の一千年間を正法とされている。像法は正法一千年のつぎに到来する時代をいい、像は似の義とされ、形式が重んじられる時代といえる。年次については諸経典によって異説があるが、日蓮大聖人は、大集経巻五十五の五五百歳の中の第三の五百年(読誦多聞堅固)と第四の五百年(多造塔寺堅固)の一千年間を像法とされている。
法然
(1133~1212)。平安時代末期の僧。日本浄土宗の開祖。諱は源空。美作(岡山県北部)の人。幼名を勢至丸といった。9歳で菩提寺の観覚の弟子となり、15歳で比叡山に登り功徳院の皇円に師事し、さらに黒谷の叡空に学び、24歳の時に京都、奈良に出て諸宗を学んだ。再び黒谷に帰って経蔵に入り、大蔵経を閲覧した。承安5年(1175)43歳の時、善導の「観経散善義」及び源信の「往生要集」を見るに及んで専修念仏に帰し、浄土宗を開創した。その後、各地に居を改めつつ教勢を拡大。建永2年(1207)に門下の僧が官女を出家させた一件が発端となって、勅命により念仏を禁じられて土佐(実際は讃岐)に流された。同年11月に赦があり、しばらく摂津国(大阪府)の勝尾寺に住した後、建暦元年(1211)京都に帰り、大谷の禅房(知恩院)に住して翌年、80歳で没した。著書に、「選択集」二巻をはじめ、「浄土三部経釈」三巻、「往生要集釈」一巻等がある。
十住毘婆沙論
十七巻三十五品。竜樹の著とされる。鳩摩羅什訳。華厳経十地品(十地経ともいう)に説かれる菩薩の十地(修行の位)のうち初地(歓喜地)と二地(離垢地)を注釈したもの。十住とは十地と同意で、毘婆沙は梵語の音写で広説・広解と訳される。三十五品から成り、このうち発菩提心品第六から阿惟越致相品第八まで難行道が説かれ、巻第五の易行品第九に易行道が説かれる。すなわち菩薩が十地の第一、不退地(初地、歓喜地ともいう)に至るのに、自ら勤苦精進して行く道を陸路の歩行にたとえて難行道とし、ただ仏力を信ずる道を水路の船行にたとえて易行道とする。故に難易二行を立て分けて易行道を重んじる浄土宗では特に重視している。
曇鸞法師
(0476~0542)。中国・北魏代の僧。浄土教の祖師の一人。初め竜樹系統の教理を学び、のち神仙の書を学んでいた時、洛陽で訳経僧の菩提流支に会って観無量寿経を授かり、浄土教に帰した。竜樹造とされる十住毘婆沙論にある難行道・易行道の義を曲解し、念仏を易行道とし、その他の修行を難行道として排した。晩年は汾州(山西省)の玄中寺に住み、平州の遥山寺に移って没した。著書に「浄土論註」(往生論註)二巻、「略論安楽浄土義」一巻、「讃阿弥陀仏偈」一巻等がある。
未有一人得者
道綽の安楽集巻上の文。「未だ一人も得る者有らず」と読み下す。まだ一人も成仏した者がいない、との意。本書では悪世末法において、真実に利益のある教えは、聖道門・浄土門のうち、ただ浄土門のみであり、他の一切の教えでは、いまだ一人として得道した者はないと説く。
善導
(0613~0681)。中国・初唐の僧。中国浄土教善導流の大成者。姓は朱氏。泗州(安徽省)(一説に山東省・臨淄)の人。若くして密州の明勝法師について出家。初め三論宗を学び、法華経・維摩経を誦したが,経蔵を探って観無量寿経を見て、西方浄土を志した。貞観年中に石壁山の玄中寺(山西省)に赴いて道綽について浄土教を学び、師の没後、長安の光明寺等で称名念仏の弘通に努めた。正雑二行を立て、雑行の者は「千中無一」と下し、正行の者は「十即十生」と唱えた。著書に「観経疏」(観無量寿経疏)四巻、「往生礼讃偈」一巻などがある。日本の法然は、観経疏を見て専ら浄土の一門に帰依したといわれる。
千中無一
「千が中に一無し」と読む。善導の往生礼讃偈の文。五種の正行(極楽に往生するための五種類の修行)以外の教えを修行しても、往生できる者は千人の中に一人もいないとする。
十即十生・百即百生
善導の往生礼讃偈に「十は即ち十ながら生じ、百は即ち百ながら生ず」とある。念仏以外の雑行・雑修を捨てて、念仏を称えれば、十人が十人、百人が百人とも極楽浄土に往生できると述べたもの。
七大寺
南都(奈良)の七大寺のこと。東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺の七か寺をいう。このうち、元興寺と大安寺は現存しない。
講義
この章からは、正像末に約して滅後の弘経を明かす中で、この章は略して末法は三大秘法広宣流布の時なることを明かしている。最初の問で「いかなる時にか法華経を説くべきや」という法華経は、元意の法華経に約し、下種の法華経たる三大秘法である。
五の五百歳・二千五百余年に人人の料簡さまざまなり
正像末の三時についての異説は序講に述べたとおりである。さてここで問題になるのは、大集経によれば、仏滅後二千年過ぎて、白法穏没の末法となる。日蓮大聖人の時代は二千二百年のころであるから、末法の初めであり、今日はすでに末法にはいって九百余年となるはずである。しかるに、西洋哲学の研究や、小乗教の伝説では、これと約五百年の相違があって、現在が二千五百年になり、日蓮大聖人の時代はまだ滅後千八百年くらいで、末法には、入っていなかったなどとの、説をなす者もある。これが問題にならないことは、すでに三千年にわたる歴史を通じ、五箇の五百歳のそれぞれの堅固なることが、まったく仏の予言どおりであったことによって、疑問の余地はなくなるのである。
次いで、念仏でも時をよく論ずるので、道綽と曇鸞、善導等をあげてその邪智を破折なされている。念仏では権教を以て実教を破し、法華経を難行道といい、聖道門といい、雑行といい、千中無一などといっている。守護国家論にいわく「道綽禅師の安楽集の意は法華已前の大小乗経に於て聖道浄土の二門を分つと雖も 我私に法華・真言等の実大・密大を以て四十余年の権大乗に同じて聖道門と称す『準之思之』の四字是なり」(0052:11)と。つまり道綽は法華経を破折してはいなかったが、法然の選択集には、法華経をも爾前権経と一まとめにして、聖道門なりと破している。
又次に、念仏のごまかしがたくさんある中で、ひどいのは、双観経の下には、「此の経を留めて百歳ならん」といっているのに、念仏宗では末法万年に念仏が流布して、衆生を救済するなどといっている。一代五時継図にいわく「雙観経の下に云く当来の世に経道滅尽せんに我慈悲を以て哀愍して特に此の経を留めて止住すること百歳ならん」(0687:15)、またいわく「往生礼讃に云く万年に三宝・滅して此の経住すること百年」、またいわく「慈恩大師の西方要決に云く末法万年に余経悉く滅して弥陀の一教のみ」と。
法華初心成仏抄にいわく「本経には『当来の世・経道滅尽し特り此の経を留めて止住する事百歳ならん』と説けり、末法一万年の百歳とは全く見えず」(0549:04)と。
念仏はこのように邪宗であるが、念仏以外にも邪宗が数多いのに、なぜここで特に念仏を破折されるのか。これについて、日寛上人は、次の総別ありとなされている。すなわち、総じていえば念仏がもっぱら盛んであったからである。別していえば、次の三意がある。第一に所破のためである。第二に一分所有となすのである。大集経の白法隠没、第五の五百歳は当世であるゆえである。第三は所例となす。すなわち日本国中が念仏を唱えているように、南無妙法蓮華経を唱えるようになるのである。日蓮大聖人の仏法こそ報恩抄にお示しのとおり、万年のほか未来永遠に流布していくのである。
法華経の肝心たる南無妙法蓮華経
これについて他宗派では、如是我聞の上の妙法蓮華経であるとか、本地甚深の南無妙法蓮華経である等といっているが、みな謬りである。正意は法華経本門寿量品の肝心・久遠名字の南無妙法蓮華経である。久遠名字の南無妙法蓮華経とはすなわちこれ本門の本尊・中央の南無妙法蓮華経である。顕仏未来記にいわく「此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」(0507:06)と。
八万の国あり、八万の王あり
これこそ全世界広宣流布の予言である。日本の国ばかりならば「八万の国」とはおおせられないであろう。
撰時抄を学ぶということは、過去の歴史において、機感相応の仏法により、民衆の平和と幸福が実現されてきたということを知ることも大切であるが、その元意、御内証は、実に日蓮大聖人の仏法が、未来において「時」が来るならば、全世界に広宣流布するという予言書として拝さなければならない。
しかして、その「時」は今であり、創価学会によって実践されつつあることも、現証の示すところである。学会の目的とするところは、あくまでも三大秘法の広宣流布すなわち慈悲と道理による平和無血革命によって世界の平和と民衆の繁栄を達成する以外にはない。心ある士は勇躍して、この広布の大業に参加すべきであると叫ぶものである。
第五章(経文を引いて証す)
本文
問うて云く其の証文如何、答えて云く法華経の第七に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云、経文は大集経の白法隠没の次の時をとかせ給うに広宣流布と云云、同第六の巻に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」等云云又第五の巻に云く「後の末世の法滅せんとする時」等・又第四の巻に云く「而も此経は如来現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」又第七の巻に第五の五百歳闘諍堅固の時を説いて云く「悪魔魔民諸の天・竜・夜叉・鳩槃荼等其の便を得ん」大集経に云く「我が法の中に於て闘諍言訟せん」等云云、法華経の第五に云く「悪世の中の比丘」又云く「或は阿蘭若に有り」等云云又云く「悪鬼其身に入る」等云云、文の心は第五の五百歳の時・悪鬼の身に入る大僧等・国中に充満せん其時に智人一人出現せん彼の悪鬼の入る大僧等・時の王臣・万民等を語て悪口罵詈・杖木瓦礫・流罪死罪に行はん時釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌の大菩薩らに仰せつけ大菩薩は梵帝・日月・四天等に申しくだされ其の時天変・地夭・盛なるべし、国主等・其のいさめを用いずば鄰国にをほせつけて彼彼の国国の悪王・悪比丘等をせめらるるならば前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし其の時・日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ或は身ををしむゆへに一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば彼のにくみつる一の小僧を信じて無量の大僧等八万の大王等、一切の万民・皆頭を地につけ掌を合せて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし、例せば神力品の十神力の時・十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。
現代語訳
問うていわく、第五の五百歳白法隠没の次には、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経が広宣流布するという証文はどこにあるのか。
答えていわく、法華経の第七の巻薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、この閻浮提に於て断絶することがないであろう」と。このように経文には大集経の白法隠没の次の時を説き示して広宣流布といっている。同第六の巻分別功徳品には「悪世末法の時能く是の経を持つ者」とあり、また第五の巻安楽行品には「後の末世の法が滅せんとする時」とあり、また第四の巻法師品には「而も此の法華経は如来の現在にすらなお怨嫉が多い。いわんや滅度の後には、さらに大怨嫉が競い起こるであろう」と。また第五の巻安楽行品には「一切世間に怨が多くて信じ難い」と。また第七の巻薬王品第二十三には第五の五百歳・闘諍堅固の時代の世相を説いていわく「悪魔や魔民や諸の天竜・夜叉・鳩槃荼等が其の便を得て悩ますであろう」と。大集経にいわく「我が仏法の中に於て互いに闘諍言訟するであろう」と。法華経の第五の巻勧持品には「悪世の中の比丘」とか「或は閑静の処に居て悪事をたくらむ」とか、また「悪鬼が其の身に入って正法の行者に迫害を加えるであろう」等と、末法の世相を説いている。
さて、これら諸文の意は、次のような次第を説いているのである。すなわち、第一に、勧持品に示すごとく、第五の五百歳・白法穏没の時、悪鬼がその身に入ったところの高僧名僧が出現する。第二に、その時に智人が一人出現する。これは「悪世末法の時能く此の経を持つ者」に当たり、すなわち地涌の菩薩である。第三に、彼の悪鬼の身に入る大僧等が、時の王臣・万民等を語らいて、一人の智人を悪口罵詈し杖木瓦礫を加え流罪死罪に行なうであろうと。これすなわち「況や滅度の後をや」に当たる。第四に、その時に釈迦・多宝・十方の諸仏が地涌の大菩薩らにおおせつけ、大菩薩はまた梵天・帝釈・日月・四天等に申し下されて、その謗法を責めるから天変・地夭が盛んに起こるであろう。それでも国主等が其の諫めを用いないで謗法をつづけるならば、隣国におおせつけて彼々の国々の悪王・悪比丘等を責めるならば、前代未聞の大闘諍が一閻浮提に起こるであろう。これすなわち大集経の「闘諍堅固」の文にあたる。第五に、その時に日月所照の四天下の一切衆生は、この大闘争に襲われて、あるいは国を惜しみ、あるいはわが身を惜しむゆえに、一切の仏菩薩に祈りをかけるとも、一向にそのしるしがなく、ますます不幸のどん底へ沈むならば、ついに彼の憎んでいた一人の小僧を信じて、無量の大僧・八万の大王・一切の万民等ことごとく頭を地につけ、掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱うるであろう。すなわち「後の五百歳広宣流布」の文意である。
この広宣流布の時に天下万民が一同に南無妙法蓮華経と唱えるさまは、例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生が、一人も残らず娑婆世界に向って大音声をはなち、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同に叫んだのと同じである。
語釈
夜叉
梵語ヤクシャ(Yakṣa)の音写で、薬叉とも書き、暴悪等と訳す。森林に棲む鬼神。地夜叉・虚空夜叉・天夜叉の三類あって、天・虚空の二夜叉は飛行するが、地夜叉は飛行しないといわれている。仏教では護法神となり、北方・多聞天王(毘沙門天)の眷属。
鳩槃荼
梵名クンバーンダ(Kumbhāṇḍa)の音写。陰嚢・甕形・冬苽・厭眉と訳す。人の精気を吸う、馬頭人身の鬼神。仏教では護法神となり、南方・増長天王の配下にある。
阿蘭若
梵語アランニャ(araṇya)の音写。阿練若、阿蘭那、阿練茹などとも書く。無事閑静処という意味で、人里はなれた山寺などのこと。勧持品の意は、僭称増上慢のものが静かな山寺などにこもって、人々に邪法を説く姿をあらわしている。
地涌の大菩薩
法華経従地涌出品第十五において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第二十一で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩という。
講義
前節は、第五の五百歳に、法華経の肝心たる大白法が広宣流布すると決定されたのに対し、今節はその証文として十箇の経文を引きその意を釈している。その証文の意は、大略五意となる。
第一に、大集経の白法隠没の時は、即法華経広宣流布の時となることを顕わす。これは法華経薬王品第二十三の「後五百歳中、広宣流布」の文である。第二に、後の五百歳末法の始め地涌の菩薩が出現すべきことを顕わす。これは分別功徳品第十七の「悪世末法の時よくこの経を持つ」の文である。第三に、この末法の始めに地涌の菩薩が弘経するには、怨嫉の多きことを顕わす。これは第五の巻、第四の巻・第七の巻等と引き続き挙げられている文である。第四に、怨嫉によって闘諍の起こるべきことを明かしている。これは大集経の闘諍言訟の文である。第五に、その怨嫉の人は悪鬼入其身の大悪僧なることを明かしている。これはすなわち、引用されている勧持品の三文である。
前代未聞の大闘諍……の小僧を信じて
これまた広宣流布の予言の御文である。前代未聞の大闘諍とは何を指すか。日蓮大聖人の時代にも蒙古襲来という大闘諍があった。しかしこの時には「一切の万民皆頭を地につけ掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱うる」ようにはならなかった。
それでは広宣流布は虚妄なのかというに、そうではない。日寛上人は逆縁の広布と順縁の広布を説かれ、日蓮大聖人の御在世時代は逆縁の広布であって、日本国中が大聖人に対して怨嫉を懐き謗法を犯したのである。その後、大聖人の御入滅後においても、わずかに折伏がなされても、すぐに迫害され弾圧された。鎌倉時代に引き続き、南北朝時代、室町時代、戦国時代と、日本国中は戦乱に次ぐ大戦乱が続いた。わずかに江戸時代は三百年の泰平が続いたけれども、それも表面だけであって、民衆が真に平和と幸福を楽しめるような時代ではなかった。こうしてみると、前代未聞の大闘諍はまだ起きていないし、広宣流布もまだ実現されなかたといえるであろう。
しかるに、第二次世界大戦は、実に全世界を挙げて戦乱の惨禍にまきこまれた。とくに広島と長崎に原子爆弾を投下され、東京、大阪を始め大都市が悉く焼き払われた敗戦国日本の惨状は、実に目をおおわせるものであった。創価学会もまたこの大戦中に弾圧を受け、初代牧口会長は昭和19年(1944)11月18日に牢死なされた。昭和20年(1645)7月3日、二年の間投獄されていた第二代戸田会長が釈放された。戸田会長は今こそ広宣流布の時が来たとの御確信のもとに、創価学会の再建にとりかかられた。国が亡び去ってすら、広宣流布ができないような宗教なら、それは真の宗教ではない。仏語が真実ならば、必ず広宣流布できるはずであるとの御確信であった。
その後の創価学会の発展の経過を見るに、実に順縁広布の時が来たと確信せざるをえないのである。すでに五百万世帯の学会員が誕生し、三大秘法の信行に励んで、御本尊の功徳に浴しつつある。しかもなお将来にわたって、どこまで発展を続けていくか際限もないのである。
しかしまた、わが国の広宣流布はこのようにして実現しても、たとえば米、ソ等の各国にまで広宣流布していくには、さらに原水爆戦争のような、未曾有の大闘諍が起きるのではないかという人もある。しかしわれら創価学会員としては、そのような惨禍のあらわれることのないよう御本尊に御祈念し、人類の平和と繁栄とを祈願してゆかねばならない。
次に「一の小僧を信じ」とは、いうまでもなく末法の御本仏、本門寿量の当体蓮華の仏、本因妙の教主、日蓮大聖人であらせられる。それでは、すでに大聖人は入滅せられて、七百年も過ぎた今日、どうすればよいのかとの問題がある。しかし、日蓮大聖人は、「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ」(1124:経王殿御返事:12)とおおせになっている。
このように日蓮大聖人は、未来永遠の衆生をお救いになるのである。邪宗の開祖たちが、大聖人の仏法はすでに尽きて新しい仏法が起きるとか、大聖人の滅後何百年過ぎれば、大聖人が再び生まれてくるなどというのは、すべて邪義であり妄説である。われらは創価学会員として、御本尊を信じ奉り、仏意、仏勅のまま折伏を行ずる者のみが、御本仏日蓮大聖人の眷属として即身成仏がかなうのである。
南無釈迦牟尼仏……南無妙法蓮華経……と一同にさけびし
次に「例せば神力品」の下は在世をもって末法に例するのである。しかし、経の神力品には、一同に南無釈迦牟尼仏と唱えているが、南無妙法蓮華経と唱えた文はない。これについて、諸宗では、次のような異解を生じている。日寛上人は、これらの異解を挙げてのち、さらに正義をお示しになっている。
一には、能例所例合してこれを挙ぐ。二には、すでに人法体一なりゆえに仏名即経名なるゆえなり。三には、法子なおこれを敬う、いわんや仏母の経をや。四には空中の勘信すでに人法あり、帰命の文あにしからずや。五にはすでに能説の教主を信じてその名を唱う、何ぞ所説の法体を信じて、その名を唱えざるやと。
以上のような謬解は、みなこれ人情であって、日蓮大聖人の御正意には何の関係もない。今ここに正意を示すならば、釈迦牟尼仏に大小権実迹本等の違いがあり、神力品の文は正しく寿量品の意をもって消すべきである。さて寿量顕本に略して二意があり、一に文上の意は、すなわち久遠本果の三身を顕わす。この仏は色相荘厳の尊容であって、在世脱益の教主である。この仏の名号を南無釈迦牟尼仏というのである。彼の十方世界の一切衆生は文上本果の三身を信ずるがゆえに南無釈迦牟尼仏と唱えたのである。二に文底の意は本地無作三身を顕わす。この仏は凡夫の当体本有のままであられる。すなわちこれ本因妙の教主であり、この仏の名号を南無妙法蓮華経というのである。彼の十方世界の一切衆生は、文底の無作三身を信じて南無妙法蓮華経と唱えたのである。
今はこの第二の意をもって末法に例しているのである。ゆえに、末法下種の仏、教主日蓮大聖人は即本地無作三身の南無妙法蓮華経仏である。ゆえに一の小僧を信じて南無妙法蓮華経と唱うべしと判じ給う。
御義口伝にいわく「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752:第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事:06)と。また三大秘法の大御本尊を信じ奉る者は、みなことごとく無作三身の南無妙法蓮華経仏である。御義口伝にいわく「無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり」(0754:07)と。
また寿量顕本に二意ありとなす証文如何と問うのに対し、日寛上人は「天台いわく『此の品の詮量・通じて三身と名づく』とは久遠本果の三身にして文上の意なり。もし『別意に従えば正しく報身に在り』とは、すなわちこれ本地無作の報身にして久遠元初の自受用報身なり。これ文底の意なり。これは是れ天台の内鑒冷然の意なり、是れ深秘の相伝なり云云」とおおせられている。
広宣流布実現の時
日蓮大聖人の御仏意を拝し、世界の動向を見るに、今こそ広宣流布実現の時であると断ぜざるをえない。すなわち化儀の広宣流布を今、達成しなければ、世界動乱、人類滅亡の恐れが十二分にあることを憂うるのである。
広宣流布に二意がある。いわゆる法体の広宣流布と化儀の広宣流布である。日寛上人は、観心本尊抄の「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(0254:01)の御文において、聖僧と成って正法を弘持するのは法体の折伏であり折伏家の摂受である。賢王と成って愚王を責め誡めるとは化儀の折伏であるとおおせである。化儀の広宣流布とは、三大秘法の御本尊を広宣流布していくことであり、かつ全世界の民衆を救済していくことである。
不思議にも、法体の広宣流布の時にも、化儀の広宣流布の時にも、全世界にわたる一大闘諍が広布の先相として、まきおこったのである。思えば一国の政治革命にも、フランス革命、明治維新、ロシア革命等にみられるごとく、血を血で洗う動乱と外国からの干渉が大なり小なり、つきまとった。われらの宗教革命は、慈悲と道理による無血革命である。しかして人類の興亡をかける世界的動乱の時に、必ず大仏法が流布して人類を救わんとの御金言である。
観心本尊抄にいわく「此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254:08)と。これ法体の広宣流布の時の闘諍、すなわち北条幕府の内乱と、大蒙古国の襲来をさすことは明らかである。
しかして、撰時抄の前章には「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり」(0258:14)とおおせである。「八万の王」とは、現在においては世界各国の政治家、指導者をさすといえよう。
さらに本章に入って、法華経の多くの文証をあげられて後に「文の心は第五の五百歳の時」云云と仰せられ、この三大秘法の南無妙法蓮華経が広宣流布する時には「前代末聞の大闘諍・一閻浮提に起こるべし」と仏法の一大哲理を示されたのである。すなわち、これ、七百年前における法体の広宣流布の時にも、さらに今日における化儀の広宣流布にも通ずるのである。
七百年前の法体の広宣流布の時における大闘諍とは、いうまでもなく、文永、弘安の二回にわたる蒙古襲来である。蒙古は後に元と称し、有史いらいの最大国家といわれるほど強大な国家であった。すでに武力によって、中国大陸を中心にヨーロッパ方面はオーストリヤのウイーン、ロシアのモスクワまでも版図をひろげ、中央アジア、満州、インドの北部、東南アジア等すべて手中におさめ、最後に国をあげて日本を席捲せんとして襲いかかったのである。まさに前代未聞の大闘諍であり、一閻浮提(全世界)をおおう闘諍というべきであった。
しかし、当時は八万の国々に、全世界の国々に三大秘法の南無妙法蓮華経をひろめることは、交通や通信の未発達という社会情勢からも所詮は無理であった。すなわち法体の広宣流布なるがゆえに、日蓮大聖人は「万里の波濤を渡らずとも」とおおせられ、厳然と日本にとどまられながら全世界を中心におさめられ、御本尊を建立あそばされたのである。しかして、世界広布は「前代未聞の大闘諍」における化儀の広宣流布の時に、ゆずられたといえよう。
「国主等・其のいさめを用いずば鄰国にをほせつけて彼彼の国国の悪王・悪比丘等をせめらるるならば」とは、正しく一つには法体の広宣流布における、隣国の蒙古の襲来である。さらに、今一つには、このたび第二次世界大戦の一環たる太平洋戦争の姿といえよう。日蓮大聖人の仏法を聞こうとしないばかりか、創価学会を弾圧、迫害した日本の軍部は、隣国たるアメリカ、ソ連、中国に敗れ去る結果になったではないか。同じく日蓮大聖人の仏法を信ぜず、謗法を犯す、いかなる国々の指導者も、必ずや隣国等よりせめられ戦火をあびねばならぬという方程式といえよう。
「或は国ををしみ或は身ををしむゆへに一切の仏菩薩にいのりをかくともしるしなくば」とは、時の軍部や為政者等が、国を惜しみ身を惜しむゆえに、あるいは天照大神に、あるいは高野山で大日如来に、あるいは神社仏閣にと、一国をあげて祈りをかけたけれども、少しもしるしなく日本は敗れたのである。しかし敗戦後、創価学会の再建とともに「彼のにくみつる一の小僧」日蓮大聖人を信ずる人々は、急激に倍増している。今こそ、正に日本の広宣流布の姿でなくてなんであろうか。
世界の情勢は、今なお第二次世界大戦の余燼はくすぶり第三次世界大戦の危機さえ、はらんでいる。現在においても、世界の各地に戦火が絶えず、毎日多くの人命が失われているのだ。東洋の民衆に、全人類に、早く御本尊の大功徳を知らせ、あたえてあげたいと思うのは当然であろう。
このように、世界広布の先祖たる「前代未聞の大闘諍」とは、第二次世界大戦であり、今こそ化儀の広宣流布の時であると、強く主張するものである。
「前代未聞の大闘諍」とは、第三次世界大戦が、今後、一閻浮提(全世界)におこることであると考えられぬこともない。また一知半解(いっちはんげ)の邪宗の徒の中に、かくのごとき無責任な言辞を弄するものもいる。しかし、原水爆やミサイル等による全面的な第三次世界大戦が始まれば、三十数億の人類は滅亡せざるをえないではないか。また、かかる苦悩を断じてあたえないためにも、われわれは、第二次世界大戦をもって「前代未聞の大闘諍」であると決定する。そして、第三次世界大戦は、いかなることがあっても、おこさないことを、御本尊に強く願い、死身弘法、必ずや化儀の広宣流布を達成せんことを誓うものである。
化儀の広宣流布が実現するならば、第三次大戦等が絶対におこらぬ、恒久的な世界平和、人類の幸福は約束されるのである。しかし、今、万が一、化儀の広宣流布が実現できえなかったならば、御仏智に照らして大仏法哲理に徴して第三次大戦は必至なりといわざるをえないのである。わが創価学会が、あらゆる迫害、弾圧に屈せず、毅然として前進するゆえんも、実にここにあり、ただただ世界の恒久平和、人類永遠の幸福を願う止むに止まれぬ活動であることを知るべきである。
立正安国論にいわく「先難是れ明かなり後災何ぞ疑わん・若し残る所の難悪法の科に依つて並び起り競い来らば其の時何んが為んや」(0031:15)と。七百年前の大聖哲の警告「其の時何んが為んや」は、正しく正法を用なかったために、日本の敗戦、亡国となってあらわれた。しかし、なお化儀の広宣流布が、御仏意としてあたえられ、変毒為薬することができた。しかるに、全民衆が日蓮大聖人の仏法を信ぜず、化儀の広宣流布を達成できなかった時「其の時何んが為んや」の御金言を恐れるものである。
立正安国論に、またいわく「国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(0031:18)と。四表の静謐とは、真実の世界平和をさすのである。北条時宗への御状にいわく「身の為に之を申さず神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上せしむる所なり」(0170:13)と。わが一身を省みず、一創価学会のためでもなく、全人類の幸福のため、世界平和のために立ち上がったのが、わが創価学会であり、これこそ学会精神である。
日蓮大聖人の仏法は、日本人の仏法にあらずして全人類の仏法である。日本民族の安泰を願うのにあらずして、世界全民衆の幸福と平和と繁栄を築くべき大仏法、大哲学である。吾人が「核兵器の絶対使用禁止」「地球民族主義」を叫ぶゆえんも、ここにある。地球民族主義とは、全世界の民族が一民族として相互扶助の精神で、共に繁栄すべきことをいうのである。
世界は狭くなった。交通、通信の発達、各民族の交流は、あたかも世界が一国のごとき様相を呈している。そして、民族の如何を問わず、過去に仏法の縁の深かった東洋諸民族は申すにおよばず、欧米の諸民族にも、東洋哲学を求める声が、日々に強まっている。このことは、私が海外諸国を歴訪して、直接に見聞したことによっても、確信をもって、いいうることである。
欧米先進国は、一応キリスト教によって、その文化が支えられてきたといえるが、すでに過去の宗教であり、その非科学性は、現代科学との矛盾を克服しえず、唯物論に対しては説得力を失い、いたずらに自己の堡類を守るために力の政策による結果となって、現在の国際的対立危機をまねくにいたった。
共産主義諸国は、思想の根底が唯物論であるがゆえに、人間性の抑圧は、心ある人は憂えている。権力至上主義ともいうべきイデオロギーが、民衆を蹂躙しているといっても過言ではあるまい。
このように、いかなる社会体制も、矛盾をかかえて、相克を示し、人間疎外、人間性の抑圧という共通的な致命的な欠陥は、ついに今日の世界的危機を招来するにいたったといえよう。思想哲学の貧困こそ、現代社会における病理の根源であって、今こそ失われたる人間性を恢復し、現代科学を指導して、あらゆる人々に幸福をあたえ、世界に恒久平和の秩序を築きうる大思想、大哲学の出現をまたねばならぬ重大な時がきたのである。
この大思想こそ、東洋仏法の真髄、日蓮大聖人の仏法であり、全人類の求める最高唯一の大生命哲学であることを、強く訴えるものである。
別言すれば仏法民主主義ということである。民主主義は政治の正統理念として待望されながら、西欧民主主義、人間民主主義等いずれも完全なる民主主義とは、いいがたい。いずれも民主主義とは名ばかりで、現実には人間的に政治的に経済的に、不平等と束縛と生命軽視の風潮が支配的ではないか。人間生命の尊厳と慈悲を根底とする仏法民主主義こそ、真の自由、真の平等を達成する真実の民主主義である。
また、現在、いかなる国々も社会福祉をとなえる社会主義的な政策をとろうとしている。しかし、今までの社会主義は、機構、制度のみを重視し、人間性は全く無視されていた。われら創価学会の理想は、大衆福祉であり人間性社会主義である。個人の尊厳を自覚し、真の人間形成をはかりつつ、すべての大衆の福祉を達成する新社会主義である。
いよいよ、人類の新しき時代は到来した、真実の民主主義、真実の社会主義をかかげて、全民衆の永遠の平和と幸福を確立していかねばならない。