妙一尼御前御消息(冬必為春事) 2008:2月号大白蓮華より。先生の講義)

妙一尼御前御消息(冬必為春事) 2008:2月号大白蓮華より。先生の講義)

冬は必ず春となる 大信力を奮い起こせ

わが友よ!全民衆を鼓舞する御本仏の大確信

「素晴らしい仏典の言葉をうかがいました」

長年、オーストリアの元文部次官、ユッタ・ウンカルト=サイフェルトさんが、晴れやかな笑顔で語ってくださったことがあります。

その言葉とは「冬は必ず春となる」との、日蓮大聖人の御書の一節でした。

オーストリアにも「雨の後には必ず太陽が輝く」などとの言葉があるという。そういう、人々を希望の光で包む「太陽」の生き方を、彼女は、目がご不自由であった両親から学んだと語られました。

世界の人々に勇気を贈り続ける大聖人のお言葉。その迸る慈愛と大確信を、我が胸に響かせ、どれほど多くの人々が蘇生の人生を歩んできたことか。

戸田先生は法華経講義の際、二十八品の経文の中で、一ヶ所でも完全に色読できれば、あとはすべて理解できるのだと、よく語っておられた。

同じように大聖人の御書のどこか一節を、自らのものとして体得し、実証し、確信できた人は強い。

もちろん、五大部をはじめとして、重書を徹して拝し、あらゆる角度から大聖人の法門に迫り、学んでいくことも大切です。特に青年は、大いに求道心を燃え上がらせて挑戦していただきたい。

そのうえで、どの御書の一節でもよい、悩み格闘し困難と闘いながら、深く心に刻み、祈り、身読しきっていく。 これが、創価学会の「実践の教学」の真髄です。

「この御文が、私の人生を変えた!」

この一節を読みきって、私は勝った!

世界の同志を常に励まし、勇気を鼓舞してくださる御金言 その代表的な一つが、今回拝読する「妙一尼御前御消息」の「法華経の行者は冬のごとし冬は必ず春となる」との一節です。

この一節の中に、日蓮大聖人の仏法の真髄である希望の哲学が凝結しているといっても過言ではありません。今回も、大聖人のお心に、さらに一歩深く迫りゆく思いで本抄を拝し、ともどもに学んでいきましょう。

本文

   しかるに聖霊は或は病子あり或は女子あり・われすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり此の子どもをいかに心ぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ、かの心の・かたがたには又は日蓮が事・心にかからせ給いけん、仏語むなしからざれば法華経ひろまらせ給うべし、それについては此の御房はいかなる事もありて・いみじくならせ給うべしとおぼしつらんに、いうかいなく・ながし失しかばいかにや・いかにや法華経十羅刹はとこそ・をもはれけんに、いままでだにも・ながらえ給いたりしかば日蓮がゆりて候いし時いかに悦ばせ給はん。

  又いゐし事むなしからずして・大蒙古国もよせて国土もあやをしげになりて候へばいかに悦び給はん、これは凡夫の心なり、

現代語訳

  それについても、亡くなった御主人は、あるいは病気の子があり、あるいは女の子がいます。その子供達を残して死んでいったならば、枯れ朽ちた木のような老いた尼が一人残って、この子供達のことをどれほどいたわしく思うでしょうかと、嘆かれたでしょうと思われます。

亡き御主人は子供たちの行く末を心配されるとともに、その一方では、また日蓮のことが心にかかっておられたのでしょう。仏語が虚妄でないなら法華経は必ず流布するでしょう。とすれば、この日蓮御房は、何か素晴らしいことがあって、立派に敬われるようになられることと思われていたでしょうに、はかなくも佐渡に流罪されてしまったので、いったい法華経や十羅刹の守護はどうなったのかと思われたでしょう。

せめて今まで生きておられたら、日蓮が佐渡から赦免になった時、どれほどか喜ばれたことでしょう。

また、立正安国論で予言していたことが事実となり、大蒙古国も攻め寄せて、国土も危うくなっているのを眼のあたりに見たなら、いよいよ大聖人の予言が的中したといって、さぞ喜ばれたことでしょう。このような心は、凡夫のこころです。

講義

仏法は苦しんでいる人の最大の味方

本抄は建治元年(1275)5月、身延から鎌倉に住む妙一尼に与えられたお手紙です。大聖人が流罪地・佐渡から帰還されて一年ほど後にあたります。

本抄から4年ほど前のことです。竜の口の法、佐渡流罪と大難が打ち続くなか、鎌倉の門下にも激しい大弾圧が加えられました。妙一尼とその夫も、所領を没収されるなどの難を受けました。しかし夫妻は、法華経の信仰を貫き通しました。どこまでも大聖人とともに戦い続けようとする、真実の弟子だったのです。

残念ながら、夫は、大聖人が佐渡流罪を赦免される前に亡くなっていました。

そのうえ、残された妙一尼は、自身も体が強くないうえに、病気の子らをかかえていた。そうした厳しい状況のなかでも、妙一尼は、佐渡へ身延へと従者を送り、大聖人にお仕えさせるなど、師匠を守ろうとされたのです。

本抄は、この妙一尼が大聖人に、さらに「衣」を御供養したことに対するご返信です。

仏法は、苦しんでいる人の最大の味方です。最も苦しんでいる人が、一番、幸せになれる。そのための仏法です。そして、その最高の応援をすることが、仏法の指導者の責務です。

「妙一尼御前御消息」は、徹底した励ましの一書です。本抄を送られた時点で、妙一尼自身が、健気に信仰を貫き通していることは間違いありません。佐渡流罪、蒙古襲来という、教団も社会も激動の変化を続ける中、妙一尼が一点のぶれもなく大聖人とともに、純真に信心に励んできたことは、御消息の文面からも推察されます。

しかし、その置かれている環境は、まさしく冬のような逆境でした。大聖人は妙一尼に「絶対に幸せになってほしい」「必ず成仏してほしい」との思いから、妙一尼の心に潜む悲哀や不安を一掃させようと、本抄で全魂の激励を重ねられていると拝察されます。

「心こそ大切」です。これまで信心を貫いてきたからこそ、大事なのは、“いよいよ、これから”なのです。

妙一尼が、どんなことがあっても、一切の迷いを打ち破り、一点の曇りもなく、力強く前進できるよう、生命の奥底に永遠に消えることのない信心の希望の炎を灯しておきたい。一文一句のすべてから、大聖人の励ましの御一念が伝わってくる大慈悲の御書です。

阿闍世の蘇生が釈尊入滅の願い

本抄の冒頭には、夫が亡くなる時に、どれほど深く、残された家族のことを気にかけていたことであろうかと、まず、夫の臨終の時の気持ちを再現するかのように認められています。

“病気の子もいる。愛娘もいる。自分がいなくなり、独り残される妻は、子どもたちをどう育てていくのか” 大聖人が察せられた夫の気持ちは、残された妙一尼自身の悩みを表現されたものであったでしょう。

しかし、仏法には感傷はありません。悲観主義もありません。亡き夫の心境を再現される大聖人の筆に、尼御前はむしろ、自分や家族を見守ってくださる大聖人のお心を感知し“大聖人様はすべてわかってくださる”という大きな安心感に包まれていたにちがいありません。

また、大聖人は本抄の前半で、臨終にあたっての気がかりは釈尊であったとされ、具体的に阿闍世王の事例を挙げられています。

釈尊は、入滅する時に阿闍世王のことを大変に心配していた。もちろん、仏が一切衆生を思う気持ちは平等であり、差別があるわけではない。しかし、例えて言えば、親の愛情も、すべての子どもたちに平等に注がれていても、とりわけ病気の子をいっそう心配するものです。

同じように、仏もまた、悪道に堕ちようとしている衆生が心配で仕方がない、ということが示されています。

本抄で大聖人は、この釈尊の事例に照らし、次元は違っても、亡くなった夫が家族のことを本当に心配していた気持ちを推し量られています。

その中で、妙一尼のことを「かれたる朽木のやうなるとしより尼」とまで表現されています。これは、妙一尼が実際に高齢で、枯れた木のようになっていたということではないでしょう。先立つ夫から見れば、妻が心配でそのように感じたということかもしれません。あるいは、妙一尼自身が、自分に自身がなく、不安の気持ちに襲われていたことを大聖人が代弁されたかもしれません。

仏の言葉に嘘はないのだから、法華経は必ず広まずはずだ。そうなれば大聖人様も、きっと何らかの形で尊ばれるようになるだろう。そう思っていたのに、大聖人様は、佐渡へ流罪されてしまった。いったい、どうしたことか。法華経の行者を守護するという十羅刹の誓いはどうなったのか。

また、せめて、今まで生きておられたならば、大聖人が佐渡から赦免になったとき、そして、蒙古の襲来の予言が的中したときに、どれほど喜ばれたことでしょうか、とも言われています。

畳み掛けるように、妙一尼の心のひだに入っていくような一節一節が続きます。妙一尼自身の魂を奥底から揺さぶり、一点でも曇りを見逃すまいと、弟子の無明を破ろうとされる師匠の真剣な慈愛の闘争が伝わってきます。

ここで大聖人は「凡夫の心」を強調されています。大聖人が流罪されたと言っては嘆き、大聖人の予言が的中したと言っては喜ぶ。それは確かに、現実の出来事に一喜一憂する「凡夫の心」です。

しかし、この「凡夫の心」には、「信心」が貫かれていることを忘れてはなりません。この「凡夫の心」には、法華経が広まることを喜ぶ「広宣流布の心」があります。また、法華経の行者であられる大聖人を思う「師弟不二の心」があります。

師のために一喜一憂する、この「凡夫の心」を仏の眼から見れば、妙一尼の夫は、大聖人と共に戦い抜き、悔いなき、一生を勝ち飾ったと言えるのです。ゆえに大聖人は、このあとに「冬は必ず春となる」と言われて、妙一尼の夫が必ず成仏していることを明かされているのです。

大聖人がここで「凡夫の心」に言及されているのは、その心に貫かれている夫の信心を讃えるとともに、妙一尼に故人の成仏を確信されるためであったと拝することができます。

人間の心は千変万化です。例えば妙一尼は“ああ、夫は大聖人の赦免の時を待たずに亡くなってしまった”と残念に思う心を持っていたかもしれません。このような感情に浸る「凡夫の心」は、確かに人情として仕方がないことかもしれません。しかし、それが信心を曇らせる「迷いの心」になってしまうこともありえます。

妙一尼が希望をもって前進していく信心の息吹を失わないように、信心を最後まで貫いて亡くなった故人は必ず成仏していることを教えられているのです。

「悔い」や「愚痴」「不平」があれば、信心が停滞してしまう。どこまでも純粋にして勇敢な「前進の心」を持つことです。「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ」(1124:経王殿御返事:11)です。

最後の勝利を確信して人間革命していけば、必ず大きく境涯を開いていける。現実の苦しみ、悲しみをすべて大海原のように包み込んでいける自在の大境涯になっていく。後で必ず意味が分かる時がきます。

そのためにも、苦しい時も、楽しい時も、唱題を根本に進んでいくことが肝要です。そうすれば、苦しい時には変毒為薬しゆく智慧が生まれ、楽しい時には、さらに朗らかに前進していけます。苦をば苦と悟り、楽をば楽と開く「大境涯の凡夫」となることができるのです。

本文

   法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。

現代語訳

  法華経を信ずる人は冬のようなものです。冬は必ず春となります。いまだかって冬が春とならずに秋に戻ったなどということは、聞いたことも見たこともありません。

同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が凡夫になってしまったなどということも聞いたことがありません。法華経方便品には「もし法を聞くことができた者は、一人として成仏しない者はない」と説かれています。

講義

冬は必ず春 凡夫は必ず仏になる

「法華経を信ずる人は冬のごとし」と仰せです。春を迎える前には、必ず「冬」を越えなければなりません。

自身の一生成仏の途上には、宿命転換の激闘があり、三障四魔・三類の強敵が競い起こってきます。信心によって大いなる春に飛翔していくためにこそ、試練という冬を越えることが必要なのです。

「法華経を信ずる人は冬のごとし」それは、一切の宿命と戦い、乗り越え、「成仏への厳然たる軌道」を歩んでいきなさいとの厳父の慈言と拝することができます。

その成仏への軌道を「冬は必ず春となる」と示されているのです。

冬は春となる。秋に逆戻りすることはない。これは誰も動かすことのできない自然の法則です。同じように、成仏の大法である妙法を受持しきった人が仏になれず、まして、凡夫の迷いのままで終わるはずがない。妙法を聞いて信受した人は「無一不成仏」一人ももれなく成仏する。これが法華経に説かれた仏のお約束です。生命の大法則です。

仏の眼から見れば、誰人にも幸福になる権利がある。誰もが、歓喜勇躍の人生を送ることができる。いわんや胸中の妙法を涌現する方途を知っているのが、日蓮仏法を持った私たちです。ゆえに私たちは、幸福になる権利があるだけでなく、真の幸福を万人に開いていく大いなる使命もあるのです。

「冬は必ず春となる」とは、「信心の試練を勝ち越えた凡夫は必ず仏となる」ということです。本来、誰もが胸中に仏の生命を持っています。それを開き現していく人生の軌道に入った大聖人門下が成仏できないわけがない、との獅子吼が轟きます。

ここで大事なのは、冬があるから春の喜びがある、ということです。「冬のごとき信心の戦い」があってこそ「勝利の春」が開かれるのです。

たとえば、春に咲く桜の花。

つぼみのもとにある「花芽」は、夏までに形成され、秋には、いったん「休眠」状態に入ります。この「花芽」が眠りから覚め、開花へ向けて本格的に成長を開始するには、冬の寒さに、さらされなければならない。

これを「休眠打破」と言います。冬の低温が刺激となり、「花芽」の生長を促すのです。そして眠りから覚めた「花芽」は、早春の気温上昇とともに、さらに膨らみ、やがて開花していくのです。

「冬」には、もともと持っていた力、眠っていた可能性を目覚めさせる働きがある。人生も仏道修行も、原理は同じです。

衆生の生命は「仏性」という「仏の種」をはらんでいます。大宇宙の広がりと可能性を秘めたその種を「休眠打破」するものこそ、冬のごとき法華経の信心 すなわち、仏道修行の途上に競い起こる「難」との戦いです。

正しき法に則って、試練の冬に耐え、戦い抜いてこそ、勝利の花を爛慢と開かせることができるのです。

逆に、冬の大変な時に、信心の向上のための戦いを避けたり、信心を疑って退いたりしてしまえば、すべてが中途半端となってしまう。桜も「休眠打破」の時期が不十分であれば、開花が遅れ、花が不揃いになるといいます。冬の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず春を確信し、どう深く生きるか そこに勝利の要諦がある。

法華経の信心は「冬」のようなものです。その厳しい宿命転換の戦いがあって初めて「春」を到来させ、福運を築くことができる。ゆえに試練の冬を避けてはならない。鍛錬の冬に挑戦しゆく勇気があれば、私たちは、成仏という「偉大な春」へ、広宣流布という「最高の春」へと、無限に前進していくことができます。

「法華経は冬の信心なり!」

そして「冬は必ず春となる!」

この「冬から春へ!」の実践を、たゆみなく繰り返し、持続していくことが、人生を最も充実させ向上させていく根本の軌道となる。

この生命の軌道を力強く進みゆくなかに一生成仏の道が開け、無量の福運に輝く「春爛慢の大境涯」を、三世永遠に満喫していくことができるのです。

本文

   故聖霊は法華経に命をすてて・をはしき、わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや、彼の雪山童子の半偈のために身をすて薬王菩薩の臂をやき給いしは彼は聖人なり火に水を入るるがごとし、此れは凡夫なり紙を火に入るるがごとし・此れをもつて案ずるに聖霊は此の功徳あり、大月輪の中か大日輪の中か天鏡をもつて妻子の身を浮べて十二時に御らんあるらん、設い妻子は凡夫なれば此れをみずきかず、譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし、御疑あるべからず定めて御まほりとならせ給うらん・其の上さこそ御わたりあるらめ。

現代語訳

  亡くなられた御主人は、法華経のために身命を捨てた方です。わずかの身命を支えていた所領を、法華経の故に召し上げられたということは、法華経のために命をすてたのと同じではないでしょうか。

かの雪山童子は仏法の半偈を聞くために身を捨て、薬王菩薩は七万二千歳の間、ひじを焼いて仏前を照らして仏に供養しました。かの人達は、聖人ですからそれらの修行も火に水をいれるようなものでそれほど厳しいものには感じなかった。しかし、あなたの御主人は凡夫ですから、紙に火をいれるようなもので、その難は厳しくかんじられたでしょう。

このことから考えると、法華経のために所領を没収されたあなたの御主人は、命を捨てて仏になった雪山童子や薬王菩薩と同じ功徳があるのです。大月輪の中か、大日輪の中か、天の鏡に妻子の姿を浮かべて昼夜十二時に見守っておられることでしょう。

たとえ妻子は凡夫ですから、ちょうど耳の聞こえない人が雷の音を聞いて目の見えない人が日輪を見ないように、これを見ることも聞くこともできなかったとしても、決して疑ってはなりません。必ず主人はあなた方を守っていられることでしょう。それだけではなく、さぞかしあなた方のところへ来られていることでしょう。

講義

妙法に戦い抜く「偉大な凡夫」

どこまでも信心を根本に、不惜身命の実践をした人は「偉大な凡夫」になれます。

ここでは、雪山童子と凡夫を比較しています。聖人である雪山童子にとって、自身の命と引き換えに永遠の真理をもとめることは、さして難しいことではありませんでした。

それに対して、凡夫が不惜身命の信心を貫き、妙一尼の夫のように命に等しい所領を捨てることは、難しいことです。したがって、雪山童子が身を投げて法を求めた功徳と、凡夫が不惜身命の信心を貫く功徳は変わらない。

戸田先生は、「久遠の凡夫」と言われたことがあります。妙法に生き抜いた凡夫は、久遠の世界に住することができる。

妙一尼の夫が、命の支えである所領を奪われても不屈の信心を貫いた「不惜身命」の大功徳によって、霊山浄土という「大宇宙の仏界」に溶け込み、広大無辺なる境地を自在に遊戯していることは、御聖訓に照らし、間違いありません。

その永遠なる世界から、太陽のように、月のように、亡き夫は、いつも、あなたや子どもたちのことをご覧になっていますよ、守ってくださっていますよ、と仰せられています。

もはや故人の成仏は間違いない。大聖人にとって気がかりなのは、残された夫人である妙一尼のほうです。病子をかかえ、苦闘している夫人に対して“何も心配する必要などありません。必ず霊山にいる故人が守ってくれますよ”と温かく語りかけられています。母と子を包む大聖人のお心が、春風のごとく伝わってきます。

また、「御疑いあるべからず」との厳たる一節に、すべての母と子、すべての苦しむ人を幸福にせずにはおかないとの大聖人の大慈悲を、雪を溶かす春の陽光のように拝するのは、私一人ではないでしょう。

妙一尼夫妻の一途な信心を、なんとしても讃えてあげたい。残された一家を、なんとしても守りたい。苦難をともにしてきた門下の人々が、最後まで胸を張って朗らかに進んでもらいたい。必ず「信心してよかった!」と言える大勝利の境涯になってほしい 確信と慈愛に満ちあふれた渾身の激励が続けられていきます。

本文

   力あらばとひまひらせんと・ をもうところに衣を一つ給ぶでう存外の次第なり、法華経はいみじき御経にてをはすれば・もし今生にいきある身ともなり候いなば尼ごぜんの生きてをわしませ、もしは草のかげにても御らんあれ、をさなききんだち等をばかへり見たてまつるべし。

現代語訳

  できることならば、こちらから訪ねようと思っていたところへ、かえって衣を一ついただいたことは、全く思いがけない次第です。

法華経はありがたいお経ですから、もし今生に勢いのある身となったら、尼御前が生きておられるにせよ、もしくは草葉の陰からご覧になっているにせよ、幼い子供達は、日蓮が見守って育てるでありましょう。

講義

師弟は三世の絆法に

弟子は、師匠の恩に生涯かけて報いていくものです。私も戸田先生の恩に報じる一生を送っています。

妙一尼も、大聖人の側に使用人を遣わし、また「衣」一枚を御供養された。

しかし、大聖人はそれ以上に、大難を共に戦い抜いた「広布の母」に対して、恩を今世と来世で返していきましょうと仰せです。

いざとなったら、幼い子どもたちのことも私が見守っていきましょう このようにお言葉をかけられ、尼御前の一家を温かく包容されています。

仏法の師匠ほど、ありがたいものはありません。妙法に生きる師弟と同志の麗しき「心の世界」に勝る、心の交流はありません。師弟は三世の心の絆です。師と弟子が、共に大難を乗り越え、共に広宣流布に生き抜く。冬を乗り越えた弟子の闘争によって、永遠の師弟の絆が結ばれます。

昭和26年(1951)の2月、戸田先生の事業が最悪の状態に陥っていた渦中のことです。質素な事務所の小さな庭の一角に、大地を割って出る「若芽」を見つめながら、先生はこう語られました。

「春がついにやってきた。春がくれば、このように若々しい生命力が出てくるのだ。冬は必ず春となる。法華経の信心は冬のごとし」

そのころ、私も日記に綴りました。

「春だ。春だ。

もうじき、希望に燃える春が来る。

大志も、情熱も、草木と共にのびてゆく」

「若人よ、起て。若人よ、進め。若人よ、行け。前に、前へ。岩をも、怒濤をも恐れずに」

「今は、罵詈罵倒されている師、学会、而し、吾等の成長せる、十年後、二十年後を見るべしと、心奥に、岩の如く感情が涌く」

そして、この通りの創価学会を築きました。師弟不二に生きたゆえに、今、我が心が戸田先生とともに、世界広布の春を迎えることができました。世界中から、称賛と期待の声が花盛りです。学会はすべてに勝ちました。SGIには、功徳が春爛慢と薫り、人材の百花が咲き誇っています。

広布第2幕が開幕した今、世界各界の方たちが「人類の春」を告げゆく私たちの前進を見つめています。戦争と悲惨の「冬の時代」から、全人類が平和と幸福を満喫する「春の時代」へ。 その時代変革の太陽の存在として、私たちに対する期待は高まっています。

私たちは、堂々と朗らかに、また楽しく賑やかに、「冬は必ず春となる」との希望の哲学を語り、仏法の慈悲と智慧の陽光で人類を照らし、「平和の春」「文化の春」「人間世紀の春」を、断固として築いていきましょう。

全世界

太陽 昇りて

晴れ晴れと

妙法ありて

輝く幸福あり

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