広宣の旗高らかに!仏勅の使命を確信
2月は、日蓮大聖人の御生誕の月です。
大聖人は「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし」(0587:諫暁八幡抄:09)と仰せです。
この御金言に象徴されているように、大聖人の御生涯を貫くものは、人々の苦悩をどこまでも同苦され、万人を幸福にせずにはおかないという「民衆救済の大慈悲の誓願」でした。
いかなる迫害にも屈しない御胸中には、常に広宣流布の大願が赤々と燃え盛っていました。それは、極寒の佐渡にあっても、決して変わることはありませんでした。
むしろ「喜悦はかりなし」(1360:諸法実相抄:17)との歓喜の大確信に立たれ、佐渡から遠く離れた弟子たちに対して、「私と共に大願に生き抜け!」激励を送り続けられています。
広宣流布とは、仏意仏勅の使命であり、人類救済の壮大な旅路です。御聖訓に照らし、その過程には、さまざまな障魔や苦難が必ず競い起こります。その時にこそ、本当の信心が試されるのです。
だからこそ、師匠は常、常に弟子が大成するように祈り、激励していきます。
共に誓願を成就しようと、勇気と希望を絶えず送ってくださいます。ほんとうにありがたいことです。
師弟の世界・同志の世界
わが師・戸田城聖先生もまた、常に弟子に励ましを送ってくださいました。2月は、恩師・戸田先生の誕生の月でもあります。今年は、満115歳の誕生日ともなります。
励ましを重ね、共々に、妙法流布へ前進していく、それが、広布の師弟の世界であり、同志の世界です。
御書には、大聖人が厳しい状況下の門下を励まされるお言葉が満ちあふれています。
世界広宣流布新時代の勝利を開くこの時に、今回拝読する「呵責謗法滅罪抄」に大聖人が込められた御心情を学び、仏勅の師弟の使命を確認していきましょう。
本文
呵責謗法滅罪抄 文永十年 五十二歳御作
御文委く承り候、法華経の御ゆへに已前に伊豆の国に流され候いしもかう申せば謙ぬ口と人は・おぼすべけれども心ばかりは悦ば入つて候いき、無始より已来法華経の御ゆへに実にても虚事にても科に当るならば争か・かかる・つたなき凡夫とは生れ候べき、一端は・わびしき様なれども法華経の御為なれば・うれしと思い候いしに少し先生の罪は消えぬらんと思しかども無始より已来の十悪・四重・六重・八重・十重・五無間・誹謗正法・一闡提の種種の重罪・大山より高く大海より深くこそ候らめ、
現代語訳
お手紙、委しく承りました。法華経ゆへに已前、伊豆の国に流されたのも、こおようにいえばへらぬ口人は思うであろうけれども、心のなかでは悦びにひたっていたのである。
無始から今に至るまで、法華経の信仰のために、真実にして虚事にしても、罪を被ったことがあるならば、どうしてこのような拙い凡夫として生まれてくることがあろうか。
したがって、流罪の身は、一端はわびしいようであるが、法華経のための受難であるから、嬉しいと思い、少しでも先生の罪が消えるであろうと思った。しかし無始から今に至るまでの十悪・四重・六重・八重・十重・五無間・誹謗正法・一闡提の種々の重罪は、大山よりも高く、大海よりも深いであろう。
講義
法難こそ法華経の行者の証明
本抄は、文永10年(1273)、大聖人が流罪地である佐渡から鎌倉の四条金吾に送られたお手紙であるとされてきましたが、詳細は不明です。ただ、本抄を送られた門下が、鎌倉の在住で、激しい迫害にさらされていたことは、間違いありません。
本抄は随所に「開目抄」に通じる仰せが拝されます。同志と共に「開目抄」を繰り返し拝しながら、忍耐強く信心に励んでいた人ではないかと推察されます。
その厳しい状況の中で、この門下は、亡き母の追善のために、大聖人に御供養をお届けしました。本抄は、その真心に対する御礼のお手紙です。
御供養に添えられていた手紙には、迫害の厳しさや信心に十分な理解のない親族の状況、その中でも師匠の教えを守り、信心を貫こうとする決意などが縷々、綴られていたことでしょう。
それに対して、大聖人は冒頭、「お手紙、詳しく承りました」と応えられています。そして、ご自身の迫害の半生を振り返られます。
大聖人は続いて、伊豆流罪の時から、法華経の故に難に遭うことを「心ばかりは悦び入って候いき」と仰せです。なんという大境涯でしょうか!
そして、そのように言われた理由を三世の生命観から示されています。
――私たちは無始という遠い過去から、法華経に巡り合う機会は無数にあった。そのたびに成仏できるはずだが、いまだに成仏できず、この悪世に生まれたということは、命を賭して法華経への信を貫くことができず、その無数の機会を逃してきたということなのである。
だからこそ、今度ばかりは、命懸けで信心を貫いて成仏するのだ――
それゆえ、「流罪の身は、一端はわびしいようであるが、法華経のための受難であるから、うれしいと思っていた」と述べられ、法難こそが法華経の行者の証明であるとの大確信を示されているのです。
これは、まさに開目抄で「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(0200-09)と示された、立宗の時の誓願を再度述べられた仰せです。
さらに、本抄で大聖人は、謗法こそが、私たち凡夫が苦悩に喘ぐ根本原因であることを明かされています。
この苦悩の根本原因である謗法を根こそぎ断ち切るのは、信心の利剣、すなわち正法に対する堅固な信心です。
強盛な信心を起こし、不信謗法の根を断つて正法を護持・弘通すれば、護法の功徳力で転重軽受して、この一生で必ず成仏できると仰せです。
転重軽受・宿命転換の大功力
大聖人は、佐渡期の御書で、幾度も転重軽受・宿命転換の法理を教えられています。
とりわけ、大聖人自らが凡夫の姿で重い宿業を必ず転換できる道を示してくださっています。
宿業の重さを嘆くことも、罪障消滅への道の険しさを憂える必要もない。その反対である。妙法こそが宿命を完璧に転換できる法であり、三世にわたる永遠の幸福境涯を今、築くことができると教えられているのです。
謗法が充満し、迫害が絶えない時代は、むしろ、罪を消し去っていける千載一遇の機会なのです。それゆえ、「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(1091:兵衛志殿御返事:16)なのです。
本抄では「此の時此の重罪を消さずば、何の時をか期すべし」と記され、“この時を逃すな!今が「まことの時」である。難が連続するこの時こそ、またとない宿命転換の機会だ”と教えられています。
開目抄では「鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、 度度せむれば・きずあらはる」(0233:02)と仰せです。一つ一つの障魔や難こそが、生命という鉄を鍛錬し、罪障という傷を責め出していく。それによって、何ものにも敗れない立派な宝剣へと鍛え上げられるのです。
逆境の中でこそ大願に生きる
本抄で大聖人は「心ばかりは悦び入って候いき」「法華経の御為なればうれし」と繰り返し仰せです。
流罪の地にあって、むしろ、喜んで、今こそ末法広宣流布の時であり、御自身と門下の使命がいかに甚大かを教え、ますます信心の折伏行に邁進していこうと、わが一門に呼びかけられています。この佐渡期の大聖人の御境涯と熱鉄の如き大願に触れて、門下の一人一人が勇気を湧き立たせ、境涯を広げていきました。それが、大難を乗り越え、逆境をはね返す根源の力になったであろうことは想像に難くありません。
大聖人は、「開目抄」で示されている通り、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232:01)と忍難弘通を開始され、「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべ からず」(0232:05)と民衆救済の「大願」を立てられました。
末法の教主として南無妙法蓮華経の法旗を高く掲げられ、未来永遠の揺るぎない幸福の軌道を、この現実世界に確立するため、広宣流布の大闘争を展開されたのです。この精神を拝さずして日蓮仏法は存在しません。
この大願を現在に蘇らせ、不惜の闘争で実現してきたのが、創価の師弟です。
本年、第二次世界大戦終戦70年を迎えます。70年前、恩師戸田先生は焼け野原に一人立たれました。
国家神道を精神的支柱とする軍部政府の不当な迫害に、勇敢に抗して殉教された先師・牧口常三郎先生。その師と共に投獄され、2年後に出獄した戸田先生は、弟子として仇を討つこと、すなわち、師匠の偉大さと正義を宣揚することを誓われました。
そして、日蓮仏法の人間主義に基づく「創価」の思想を広げ、世界を「悲惨」の二字から解放しようと、一人一人を蘇生させながら、大民衆運動を開始されたのです。
わたしもまた、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232:01)との「開目抄」の誓願を深く胸に刻み、第3代会長に就任しました。昭和35年5月3日のことです。
その日の日記には、「生死を超え、今世の一生の法戦始む」と綴りました。「開目抄」の一節は、会長就任の時の私の決意であり、以来、55周年を迎える本年まで、片時も、わが胸から離れたことはありません。
本文
然れども凡夫なれば動すれば悔ゆる心有りぬべし、日蓮だにも是くの如く侍るに前後も弁へざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ給わぬが何程か日蓮に付いてくやしと・おぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は 偏に只事にあらず、教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば感涙押え難し、妙楽大師の釈に云く記七「故に知んぬ末代一時も聞くことを得聞き已つて信を生ずる事宿種なるべし」等云云、 又云く弘二「運像末に在つて此の真文を矚る宿に妙因を殖うるに非ざれば実に値い難しと為す」等云云。
現代語訳
しかしながら凡夫であるので、ややもすれば後悔するこころであった。日蓮でさえも、このようであるのに、物事の前後をつきかねる女の人などの、あなた方、仏法を理解していない方が、どれほどか日蓮に付き従ったことを後悔しているかと思うと、実に心苦しかったのである。しかし案に相違して強盛の信心であると聞きましたが、これは全くただごとではない。教主釈尊があなた方の心に入り替わられたのではないか、と思えて感涙押えがたいほどであった。
妙楽大師の法華文句記の七に「末代において一時でも正法を聞くことができ、聞き已つて信を生こすことは、過去世において、法華経の下種であった故であると知ることができる」といっている。また弘決も二にも「像法の末に生まれて、法華経の真文をみることができた。宿世に妙因を殖えたのでなかれば、実に妙法は値いがたいのである」と述べている。
講義
共に戦う門下を最大に賞讃
ここで仰せのように、私たちは凡夫であるので、ややもすれば後悔する心も起こるものです。
時には、こんなに大変なら信心しても意味がないとか、信心しなければこんな苦しい思いをしなくてすんだのにとか、ついつい目先の苦しみに負けてグチをこぼしてしまうことがあるかもしれません。
そうした凡夫の特性をよくご存じのうえで、その凡夫が偉大な成仏への道を歩む方途を教えてくださったのが大聖人です。凡夫に内在する仏性への根本の信頼と尊敬があるのが、真の仏法です。
とりわけ大聖人は本抄で、女性の信心を讃えられ、激励されています。
師弟共に大変な迫害の中で、「大聖人以上に法華経を深く信じている」と思われるほどの信仰を貫き通す女性門下がいたのです。大聖人は、これは、「只ごとにあらず」と励まされています。
流罪地で食料の調達もままならないところに、自らも大変であろう鎌倉の地から、命をつなぐ御供養をお届けした、健気な女性門下に対する、大聖人の最大の賞讃のお言葉であると拝されます。
一人一人へ感謝の思い
こうした門下たちの行動に対して「教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思えば感涙押え難し」とも仰せです。
地涌の菩薩の棟梁として、仏勅の広宣流布を不惜身命で進める大聖人を支えていることは、教主釈尊の御心を身に体されているのかと思われ、感涙を抑えがたいことですと言われています。
大聖人は、本抄以外の御書でも、「涙を抑えがたい」と御心情を綴られています。
「貴辺と日蓮とは師檀の一分なり然りと雖も有漏の依身は国主に随うが故に此の難に値わんと欲するか感涙押え難し」(1069:曾谷二郎入道殿御返事:09)あるいは「これはなみだをもちて・かきて候なり。」(1535:南条殿御返事:15)「なみだもとどまらず」(1595:衆生身心御書:13)等と仰せです。
これらの御文には、門下の激闘を讃える感謝の思いが綴られています。
「法華経の行者である師匠を支え、広宣流布に生き抜く人生がどれほど偉大か――。
大聖人は末法広宣流布という御自身の大使命に連なる門下を最大に賞讃されるとともに、末法に法華経を自ら信じ、他の人にも弘める一人一人が、使命深きそんざいであることを強調されています。
師弟の絆は過去からの宿縁
続いて、妙楽大師の釈を引いて、「聞きがたき妙法を今、この時に聞くことができ、しかも聞いた後に信ずることができたのは、過去世からの深き縁に結ばれているのだ」と、宿縁が深厚であることを述べられています。
そして、現実に、末法で妙法を弘める大聖人こそが、久遠の仏の本弟子であり、滅後弘法の付嘱を受けた地涌の菩薩の使命を果たしていくことを説かれていきます。
大聖人とその一門の使命が、どれだけ仏教上、重要な存在なのか、釈尊の真意を示しながら、妙法を唱え弘める行動が、いかに仏法の正統の実践であるかを明らかにされていきます。
そこでまず、「釈迦仏は妙法蓮華経の五字を四十余年の間、秘密にされたばかりでなく、法華経迹門十四品に至っても、なお妙法五字を抑えて説かれず、法華経本門寿量品にして、初めて本因・本果の蓮華の二字を説き顕されたのである」と述べられています。
滅後末法に妙法五字を流布
そして、「此の五字」の弘通は、末法になって初めて、教主釈尊の本弟子である地涌の菩薩が出現して行うことが明かされているのです。
さらに実際に、釈尊滅後、正法・像法の2000年間に、さまざまな菩薩が偉大な正師となって出現したものの、法華経の流布は行わなかったことを指摘されています。
そして、いよいよ末法に入り、地涌の大菩薩が出現する時を迎えたことを宣言され、「法華経の滅不滅の大難を明かされて、地涌の菩薩による妙法流布の時代が到来されたことを示されます。
しかし、悪世末法ゆえに迫害も尋常ではありません。その嵐を突き抜けて、一国に仏法流布の時を創ってきた大聖人の大闘争が、次に綴られていきます。
本文
二千余年の間・悪王の万人に訾らるる謀叛の者の諸人に・あだまるる等日蓮が失もなきに高きにも下きにも罵詈毀辱刀杖瓦礫等ひまなき事二十余年なり、唯事にはあらず 過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間・罵詈せられしに相似たり、而も仏・彼の例を引いて云く我が滅後の末法にも然るべし等と記せられて候に近くは日本遠くは漢土等にも法華経の故にかかる事有りとは未だ聞かず人は悪んで是を云はず、我と是を云はば自讃に似たり、云わずば仏語を空くなす過あり、身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す、日蓮は彼の不軽菩薩に似たり、国王の父母を殺すも民が考妣を害するも上下異なれども一因なれば無間におつ、日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども 同業なれば彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑うべきや、
現代語訳
仏滅後二千余年の間、悪王の万人に訾られたり、謀反の者が諸人にあだまれたりした。しかし、日蓮は世間の失もないのに身分の高い人からも、また下い人からも、悪王や謀反人のように罵詈され、毀辱され、刀や杖で打たれ、瓦礫を投げられるなど、迫害のひまないこと二十余年である。これはただ事ではない。
過去の不軽菩薩が威音王仏の末世に、多年の間罵詈されたことに似ている。しかも釈迦仏は不軽の例を引いて、我が滅後の末法にもそうなると記されている。だが、近くは日本、遠くは漢土等にも、法華経のゆえにそのような事があったとはいまだ聞かない。人は日蓮を憎んでこれをいわないのである。
自分からこれをいえば自讃に似ている。しかしこれを言わなければ仏語を虚妄にする過がある。身を軽んじて法を重んずるのが賢人であるというのである。
日蓮は彼の不軽菩薩に似ている。国王が父母を殺すのも、民が父母を害するのも、身分の上下は異なるけれども同一の業因なので無間地獄に堕ちる。日蓮と不軽菩薩とは名字凡夫と初随喜というように位の上下はあるけれども、同じ業なのだから彼の不軽菩薩が成仏されるならば、日蓮が仏果を受けることを疑えるだろうか。
講義
不軽と同じ民衆尊敬の仏因
「民衆が苦悩に沈む濁世」を「民衆凱歌の時代」へと変革するには、前代未聞の大難を乗り越え前進していく地涌の菩薩が必要です。この大偉業を遂行する根本の哲学こそ、万人の仏の生命を呼び覚ます法華経の法理です。それは不軽菩薩の行動にあります。
本抄で大聖人は、御自身のお振る舞いが、不軽菩薩と全く同じであると指摘されます。
そして、不軽菩薩が成仏して釈迦仏となったのだから、同一の因を行じている大聖人の成仏も疑いない、と御断言なさっています。
ここで「悪口罵詈」「猶多怨嫉」が強調されています。
なぜ、難が起こるのか、それは、悪世で、煩悩に駆られ迷える人々は、自らを幸福へと導く正法を正法として認識できず、かえって反発・敵対・怨嫉し、謗法を犯すからです。
大難こそが、法華経の行者の証明です。言い換えれば、人々の無明を転換する根本の変革を促してこそ真の法華経の行者です。
そのうえで、仏法の精神の崇高さは、自身を迫害してきた人々をも救い、全ての民衆を成仏させようと戦うことにあります。
流罪地で命を狙われている状況にありながら「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(0509-05)と、迫害する人々を真っ先に救おうとされたのが、大聖人の御境涯です。本抄の「日本国の一切衆生の慈悲の父母なり」との御文に、大聖人自身が覚知なさった大使命が浮き彫りになるとともに、その大慈大悲が迫ってきます。
法華経は、万人に具わる尊厳性を開く人間主義の教えです。それに反発する謗法とは、人間蔑視、差別主義、生命破壊の悪を孕むものです。そうした悪は、どこまでも破折しぬかなければなりません。そのうえで、大聖人は、御自身を迫害する国主などを断じて救おうとされたのです。
先に触れた不軽菩薩の実践に象徴されるように、「万人に仏性があることを確信すること」が仏法の根本です。相手の地位や立場に関係なく、等しく皆を尊厳なるそんざいとして敬い、相手の仏性に向って法を説く――これが、広宣流布を目指す仏法者の姿勢です。
この大聖人の大慈悲の折伏精神を現代に受け継ぎ、広宣の旗を高らかに掲げているのが、創価学会です。
偉大なる運動の五つの段階
かつてマハトマ・ガンジーは、偉大なる運動は、「無関心」「嘲笑」「非難」「抑圧」「尊敬」の五つの段階を必ず経ると語っています。
この通り、草創の学会員は信仰ゆえの無理解な非難、中傷、迫害を受けてきました。特に沖縄や奄美をはじめとした、離島メンバーの艱難辛苦は、筆舌に尽くしがたいものがありました。
そうした多くの地で、粘り強く地道な対話と献身的な地域貢献の活動によって、今では周囲から信頼を勝ち取り、学会への理解を大きく深めていきます。離島でも、山間地でも、広宣流布への模範の楽土を築いています。地域に根を張り、周囲から賞讃され、私たちの民衆運動が喝采される宝土が増えています。
まさしく、ガンジーが言うところの「尊敬」を集める地涌の連帯が全国に、そして世界に広がる時代を迎えました。逆縁の人々を救い、順縁広布の時を切り開いてきたのです。
学会員の祈りと行動には、「万人尊敬」の哲学があります。どんな人も宇宙大の可能性をもっている。だから、懸命な人、苦しんでいる人を見たら、はげまさずにはいられない。この境地を確立しているからこそ、たとえば、かつて誤解ゆえに批判してきた人でも、大きく包み、その人の幸福を祈らずにはおられないのです。常に「人を敬う」振る舞いに徹してきたがゆえに、いかなる地をも、立正安国の仏国土へと転換してきたのです。これほど尊い、これほどの偉業を成し遂げた方々はいません。
まさしく「偏に只事にあらず」です。御本仏が「感涙押え難し」と大賞讃されることは間違いありません。
皆様の人生の見事な勝利の実証です。
偉大な人生の逆転劇のドラマです。
人間王者の堂々たる凱歌の舞台です。
この広宣流布の大勝利は、もはや誰人もとめることはできません。民衆史に残る大偉業であると、世界の人々から賞讃される段階を迎えたのです。
本文
是へ流されしには一人も訪う人もあらじとこそ・おぼせしかども同行七八人よりは少からず、上下のくわても各の御計ひなくばいかがせん、是れ偏に法華経の文字の各の御身に入り替らせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ。
何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり、事繁ければ・とどめ候。
四条金吾殿御返事 日蓮花押
現代語訳
日蓮が佐渡へ流された時は一人も訪ねてくる人はないと思っていたが、同行する者は七・八人を下らない。上下の資糧もあなたがたのお計いがなければどうにもならない。これはひとえに法華経の文字があなた方の身に入り替って日蓮を助けているのだと思う。
どのような世の乱れにも、あなた方を法華経・十羅刹よ助け給へと、湿っている木より火を出し、乾いた土より水をだすように強盛に祈っている。事が繁多となるので止めて置きます。
四条金吾殿御返事 日蓮花押
講義
不可能を可能にする強盛な祈り
広宣流布を担いゆく大事な門下だからこそ、乱世の中、断じて守りたい。本抄の結びには、その大聖人の思いが留められています。
まず、鎌倉よりも「百千万億倍」も、人々が大聖人を憎んでいる佐渡にあって、今日まで命を永らえているのは、門下の真心の御供養によるのであり、その一人一人の身に法華経の文字が入って、法華経の行者の命を助けられていると思われてならないと感謝し、讃嘆さえてしています。
その心を綴られたのが、末尾のお言葉です。「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹女・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」
鎌倉から遠く離れた佐渡の地で、弟子を思われる大聖人の御真情が烈々と迫ってきます。
世の中が乱れているからこそ、わが門下たちの無事を真剣に願っているとの熱いメッセージが込められています。湿った木より火を出し、乾いた土より水を得るように、強盛に祈っているとの強いメッセージがつたわります。“弟子を断じて守り抜かずにおくものか!”との温かいメッセージが贈られています。
大聖人の祈り、それは御自身の一念が、あらゆる状況を変えていくとの誓願の祈りです。自身の祈りで、あらゆる苦難を断じて突破し、全ての同志を守り切ってみせる――。
私も、あの不可能を可能にした関西の戦いで、真っ先にこの御文を共に拝し、一緒に挑戦を始めました。私たちは、これからも、この大聖人の大確信を胸に、強盛なる祈りから出発し、前進してまいりたい。
「創価の師弟に一生をかけていけ」
人生における最大の喜びとは何か。それは、人生の師匠に巡り合うことです。自身の全てを受け止め、守り、教え導き、育ててくださる師匠は、人生の最大の宝です。胸中に師をいだき、師と共に生きる中、無限の挑戦と成長があります。師と共に生きる人生に行き詰まりはありません。
恩師・戸田先生と共に戦った青年時代が、私の一生を決めました。恩師は厳しくも温かく教育してくださり、広宣流布のために、人生と社会を勝ち抜く根本の道を教えてくださった。
「創価の師弟に、一生をかけていけ!後悔は絶対ない」
「まず自分自身が変わることだ。絶対に人を頼るな!自分自身が戦え!」
「今が勝負だぞ。難があった時に、信心し抜いていけば、あとは功徳は大きい。題目を唱え切れ!」
「肚を据えるのだ。人は人、自分は自分である。何があっても、私は戦うんだ!――こそ精神が一番、だいじなのだ」
これらの言々句々は、今も私の耳朶から離れません。私は今も、戸田先生と心の中で対話しながら、世界広布の指揮を執っています。
かつて世界的な国際法学者で、米・デンバー大学副学長のナンダ博士が、今日のSGIの大発展を理由として、創価の師弟に注目され、こう語られていました。
「師弟の関係ほど、人々の心に深い共鳴と啓発を与えるものはありません。真の弟子の関係は、自分が何をすべきかを、弟子に目覚めさせるものです。そして、弟子に真に求められるものは、師匠の教えの実現であり、実証です。
わが地域に平和と友情の連帯を
本年、SGIは発足40周年の佳節を迎えました。また、10月は、私の初の世界平和旅から55周年にも当たっています。訪問した一国また一国で、また一地域で、地涌の菩薩の出現を祈り、「仏の種」を植える思いで唱題を続けました。あれから半世紀余り――。今やSGIは、世界中で、平和と友情の花を咲かせる地球市民の大連帯へと発展しました。
師弟が力を合わせて祈る時、広宣流布への大きなうねりが巻き起こります。仏勅の使命のわが地域に、共々に創価の師弟の勝利劇を綴っていこうではありませんか。