是日尼御書

是日尼御書

 文永12年(ʼ75)または建治2年(ʼ76)の4月12日 54歳または55歳 是日尼

 ぬ。さどの国よりこの甲州まで入道の来りしかば、あらふしぎやとおもいしに、また今年来って、なつみ、水くみ、たきぎこり、だん王の阿志仙人につかえしがごとくして、一月に及びぬる不思議さよ。ふでをもちてつくしがたし。これひとえに、また尼ぎみの御功徳なるべし。また御本尊一ぷくかきてまいらせ候。霊山浄土にては、かならずゆきあいたてまつるべし。恐々謹言。
  卯月十二日    日蓮 花押
 尼是日

 

現代語訳

佐渡の国からこの甲州の身延まで、夫の入道が来たので、実に不思議だとおもっていたところ、また今年も来て、菜を摘み、水を汲み、薪を取りして、須頭檀王が阿私仙人に仕えたようにして、一ヵ月にも及んでいるのは、何と不思議なことであろうか。筆で書き尽くすことは難しい。これはひとえに、また、尼君の御功徳となるであろう。

また、御本尊を一幅書いて差し上げます。霊山浄土では、必ず行き逢いましょう。恐恐謹言。

卯月十二日                         日蓮

尼是日

 

語句の解説

 

 

講義

本抄は、弘安元年(1278)一説によると文永12年(1275412日、日蓮大聖人が身延でしたためられ、佐渡の国是日尼に送られた御消息である。現存するのは断簡2紙のみで、全体の内容は不明である。

佐渡の国からはるばる身延の大聖人のもとに来て、菜を摘み、水を汲み、薪を取り、こまごまと大聖人の身の回りのお世話をする是日尼の夫君、入道殿の真心に対して、心から讃嘆の言葉を述べられているところである。

大聖人のもとには、家事全般を御弟子が交替で行っていたのであろう。はるばる佐渡から来た入道は、自分のできる最大の奉仕をしようという気持ちで、こうした細々とした仕事を心をこめてしたにちがいない。

そうした入道に対し「ふでをもちてつくしがたし」と、真心を賞でておられる。

「これひとへに又尼ぎみの御功徳なるべし」全部、妻である是日尼にも功徳として帰っていくであろうということである。

「又御本尊一ふくかきまいらせ候、霊山浄土にてはかならずゆきあひたてまつるべし」この御本尊を受持していけば、霊山浄土で必ずお会いできる。すなわち必ず成仏できるとの仰せである。それは御本尊こそ成仏のための根本の鍵であることを指南された御文でもある。

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