要文
法華経と申すは、手に取ればその手やがて仏に成り、口に唱うればその口即ち仏なり。譬えば、天月の東の山の端に出ずれば、その時即ち水に影の浮かぶがごとく、音とひびきとの同時なるがごとし。
弘安3年(ʼ80)11月15日 59歳 上野尼
麞牙一駄四斗定・あらいいも一俵、送り給びて、南無妙法蓮華経と唱えまいらせ候い了わんぬ。
妙法蓮華経と申すは、蓮に譬えられて候。天上には摩訶曼陀羅華、人間には桜の花、これらはめでたき花なれども、これらの花をば法華経の譬えには仏取り給うことなし。一切の花の中に、取り分けてこの花を法華経に譬えさせ給うことは、その故候なり。あるいは前花後菓と申して、花は前に菓は後なり。あるいは前菓後花と申して、菓は前に花は後なり。あるいは一花多菓、あるいは多花一菓、あるいは無花有菓と、品々に候えども、蓮華と申す花は菓と花と同時なり。一切経の功徳は、先に善根を作して後に仏とは成ると説く。かかる故に不定なり。法華経と申すは、手に取ればその手やがて仏に成り、口に唱うればその口即ち仏なり。譬えば、天月の東の山の端に出ずれば、その時即ち水に影の浮かぶがごとく、音とひびきとの同時なるがごとし。故に、経に云わく「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」云々。文の心は、この経を持つ人は、百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。
そもそも、御消息を見候えば、尼御前の慈父・故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云々。子息多ければ孝養まちまちなり。しかれども、必ず法華経にあらざれば、謗法等云々。
釈迦仏の金口の説に云わく「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」と。多宝の証明に云わく「妙法蓮華経は、皆これ真実なり」と。十方の諸仏の誓いに云わく「舌相は梵天に至る」云々。
これより、ひつじさるの方に、大海をわたりて国あり。漢土と名づく。彼の国には、あるいは仏を信じて神を用いぬ人もあり、あるいは神を信じて仏を用いぬ人もあり。あるいは日本国も、始めはさこそ候いしか。しかるに、彼の国に烏竜と申す手書きありき。漢土第一の手なり。例せば、日本国の道風・行成等のごとし。この人、仏法をいみて経をかかじと申す願を立てたり。この人死期来って重病をうけ、臨終におよんで子に遺言して云わく「汝は我が子なり。その跡絶えずして、また我よりも勝れたる手跡なり。たといいかなる悪縁ありとも、法華経をかくべからず」と云々。しかして後、五根より血の出ずること泉の涌くがごとし。舌八つにさけ、身くだけて十方にわかれぬ。しかれども、一類の人々も、三悪道を知らざれば、地獄に堕つる先相ともしらず。
その子をば遺竜と申す。また漢土第一の手跡なり。親の跡を追って法華経を書かじという願を立てたり。その時、大王おわします。司馬氏と名づく。仏法を信じ、殊に法華経をあおぎ給いしが、同じくは我が国の中に手跡第一の者にこの経を書かせて持経とせんとて、遺竜を召す。竜申さく「父の遺言あり。こればかりは免し給え」と云々。大王、父の遺言と申す故に、他の手跡を召して一経をうつし畢わんぬ。しかりといえども、御心に叶い給わざりしかば、また遺竜を召して言わく「汝、親の遺言と申せば、朕まげて経を写させず。ただし、八巻の題目ばかりを勅に随うべし」と云々。返す返す辞し申すに、王瞋って云わく「汝が父というも我が臣なり。親の不孝を恐れて題目を書かずば、違勅の科あり」と勅定度々重かりしかば、不孝はさることなれども、当座の責めをのがれがたかりしかば、法華経の外題を書いて王へ上げ、宅に帰って父のはかに向かって血の涙を流して申す様は、「天子の責め重きによって、亡き父の遺言をたがえて、既に法華経の外題を書きぬ。不孝の責め免れがたし」と歎いて、三日の間、墓を離れず、食を断ち、既に命に及ぶ。
三日と申す寅時に、すでに絶死し畢わって夢のごとし。虚空を見れば、天人一人おわします。帝釈を絵にかきたるがごとし。無量の眷属、天地に充満せり。ここに竜問うて云わく「いかなる人ぞ」。答えて云わく「汝知らずや。我はこれ父の烏竜なり。我、人間にありし時、外典を執し、仏法をかたきとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に、無間に堕つ。日々に舌をぬかるること数百度、あるいは死し、あるいは生き、天に仰ぎ地に伏してなげけども、叶うことなし。人間へ告げんと思えども、便りなし。汝、我が子として遺言なりと申せしかば、その言炎と成って身を責め、剣と成って天より雨り下る。汝が不孝極まり無かりしかども、我が遺言を違えざりし故に、自業自得果、うらみがたかりしところに、金色の仏一体、無間地獄に出現して、『たとい、法界に遍き、善を断ちたる諸の衆生も、一たび法華経を聞かば、決定して菩提を成ぜん』云々。この仏、無間地獄に入り給いしかば、大水を大火になげたるがごとし。少し苦しみやみぬるところに、我合掌して仏に問い奉って『いかなる仏ぞ』と申せば、仏答えて『我は、これ汝が子息・遺竜が只今書くところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字なり』と言う。八巻の題目は八八六十四の仏、六十四の満月と成り給えば、無間地獄の大闇即ち大明となりし上、無間地獄は、『当位は即ち妙なり。本位を改めず』と申して、常寂光の都と成りぬ。我および罪人とは、皆、蓮の上の仏と成って、只今都率の内院へ上り参り候が、まず汝に告ぐるなり」と云々。
遺竜云わく「我が手にて書きけり。いかでか君たすかり給うべき。しかも我が心よりかくにあらず。いかに、いかに」と申せば、父答えて云わく「汝はかなし。汝が手は我が手なり。汝が身は我が身なり。汝が書きし字は我が書きし字なり。汝、心に信ぜざれども、手に書く故に、既にたすかりぬ。譬えば、小児の火を放つに、心にあらざれども、物を焼くがごとし。法華経もまたかくのごとし。存外に信を成せば、必ず仏になる。またその義を知って謗ずることなかれ。ただし在家のことなれば、いいしこと故大罪なれども、懺悔しやすし」と云々。
このことを大王に申す。大王の言わく「我が願、既にしるし有り」とて、遺竜いよいよ朝恩を蒙り、国またこぞってこの御経を仰ぎ奉る。
しかるに、故五郎殿と入道殿とは、尼御前の父なり、子なり。尼御前は彼の入道殿のむすめなり。今こそ入道殿は都率の内院へ参り給うらめ。この由をはわきどの、よみきかせまいらせ給い候え。事々そうそうにて、くわしく申さず候。恐々謹言。
十一月十五日 日蓮 花押
上野尼ごぜん御返事
背景と大意
この手紙は弘安4年(1281年)11月に身延で南条時光の母である上野尼御前に宛てて書かれたものです。 大聖人がこの手紙を送られたのは60歳の時であり、彼女の父である松野六郎左衛門入道の命日を記念して供養をしたことを感謝するものでした。
上野尼御前の夫は、駿河国・上野の地頭、南条兵衛七郎でした。 名前の「上野」は上野郷に由来し、上野尼御前は時光ら9人の子をもうけました。
この書状の中で大聖人は、まず蓮が花と実を同時に結ぶように、法華経を信じる者は必ず成仏できると教えられています。 次に、大聖人は、古代中国の高名な書道家、烏竜と遺竜の親子の物語を引用しながら、息子や娘が法華経を信仰するとき、その両親は必ず仏になると上野尼御前に保証されています。 烏竜は法華経を憎んで地獄に落ちましたが、息子が法華経八巻の題目を書写したことによって苦悩から救われたといいます。 この物語は、唐代の僧侶・僧祥の著書『法華伝記』に登場します。
現代語訳
烏竜と遺竜
私は白米一馬荷(四斗)と里芋一俵を受け取り、謹んで南無妙法蓮華経を唱えました。
妙法蓮華経を蓮華に喩えます。 天上の大曼荼羅も人間界の桜も、どちらもめでたい花ですが、お釈迦様はどちらも法華経に匹敵するものではありませんでした。 数ある花の中から、法華経を象徴する花として蓮の花を選びました。 これには理由があります。 最初に花が咲いてから実を結ぶ植物もあれば、花より先に実が生まれる植物もあります。 花は一つしか咲かないが多くの実を結ぶものもあれば、花はたくさん咲いても実は 1 つしかないもの、さらには花が咲かずに実を結ぶものもあります。 このように、あらゆる種類の植物が存在しますが、花と実を同時に結ぶのは蓮だけです。 他のすべての経典の功徳は不確かです。なぜなら、それらの経典は、最初に善い行いをしなければならず、そうして初めて、後で仏陀になれると教えているからです。 法華経は、手に取ればその手は即成仏し、口で唱えればその口自体が仏です。例えば東の山々の背後から月が現れる瞬間に水に映り、または音とその反響が同時に発生するように。 この経典に「法を聞く者あれば成仏できない者なし」と説かれているのはこのためである。つまり、百人、千人は一人の例外もなく全員が仏陀となるのです。
あなたは手紙の中で、慈悲深い父である松野六郎左衛門入道の命日について言及しています。 「彼は多くの息子を残したので、さまざまな方法で彼の供養が行われるでしょう。」とあなたは言います。 しかし、そのような儀式は厳密に法華経に基づいて行われない限り、誹謗中傷となることを私は危惧しています。 釈迦牟尼仏の黄金の教えには、「世尊は久しくその教義を説かれ、今こそ真理を明らかにしなければならない」とあります。多宝仏は証しをして「妙法の法華経は… あなた(釈迦牟尼)が説いたことはすべて真実なのです!」 そして十方の仏陀たちは、梵天に舌を伸ばして経典の真実性を認めました。
日本から海を隔てた南西に中国という国があります。 その国では、仏陀は信じても神は信じない人もいれば、まったく逆のことを信じる人もいます。 おそらく、私たちの国の初期にも同様の状況が存在したのでしょう。それはともかく、かつて中国に烏竜という書道家がいました。 彼は書道においては、日本の道風・行成等と同じように、全国で比類のない人物でした。 彼は仏教を憎み、仏典は決して書写しないと誓いました。 死期が近づくにつれて、彼は重篤な病気に陥りました。 死の床で、彼は息子への最後の願いをこう述べました。「あなたは私の息子です。 あなたは私の技術を受け継いでいるだけでなく、私よりも上手に字を書くのです。たとえどんな悪影響が及んでも、絶対に法華経を写してはいけません。」 と。すると、彼の五感から血が噴水のように噴き出し、舌は八つに裂け、体は十方向にバラバラになりました。 しかし、彼の親戚たちは三悪道のことを知らず、これが彼が地獄に落ちる前兆であるとは気づきませんでした。
息子の名前は遺竜。 彼も中国で最高の書道家であることが証明されていましたが、父の遺言に従い、法華経は決して書写しないと誓っていました。 当時の統治者は司馬氏と名付けられました。彼は仏教を信仰し、特に法華経を重んじました。 彼は、この経典を全国で最も熟練した書道家に書写してもらい、自分の写本を手に入れたいと考えました。 そこで彼は遺竜を呼び出しました。 遺竜は、父親の遺言でそのようなことは禁じられており、統治者にその任務から免除してくれるよう懇願しました。 これを聞いた統治者は別の書道家を呼んで経文を全部書写させました。 しかし、結果は満足のいくものとは程遠いものでした。
君主は再び遺竜を呼びにきて、「父上の遺言で禁じられているというので、私は無理に写経をさせません。 ただし、少なくともその 8 巻のタイトルを書くという私の命令には従ってほしい」とおっしゃいました。 遺竜は何度も許しを請いました。 しかし支配者は激怒してこう言いました。「あなたの父親もあなたと同じくらい身近な私の臣下でした。 親不孝を恐れて題名を書くことを拒否するなら、勅令不服従の罪で告発します。」と。 統治者は彼の厳しい命令を何度も繰り返した。 遺竜は親不孝をしたくありませんでしたが、王の命令にはもう背けないと悟り、法華経の題目を書き上げて君主に献上しました。
家に帰った遺竜は父の墓に向かい、血の涙を流しながら「君主が私に厳しく命じたため、私はあなたの意に反して法華経の題目を書きました」と報告しました。 彼は親不孝の罪から逃れられなかった悲しみのあまり、3日間続けて墓のそばに残り、死の間際まで断食を続けました。 3日目の寅の刻(午前3時から5時)には、彼はほとんど死にそうで、まるで夢を見ているかのようでした。 彼が空を見上げると、帝釈天の絵画のような天上の存在が見え、その大勢の信者が天と地を満たしていました。 遺竜は彼に何者なのか尋ねました。 天の存在はこう答えました。 私はあなたのお父さん、烏竜です。 私は人間界にいる間、非仏教の経典を信仰し、仏教、特に法華経に対して敵意を抱いていました。 このため、私は絶え間なく続く苦しみの地獄に落ちました。
「毎日、私は何百回も舌をひねりました。 今私は死んでいたが、今再び生き返りました。 私は苦しみのあまり叫び続け、天を仰ぎ、地面に身を投げ出すことを繰り返しましたが、私の叫びを聞いてくれる人は誰もいませんでした。 自分の苦悩を人間界に伝えたかったが、通信手段がなかったのです。 あなたが私の意志に従うと主張するときはいつでも、あなたの言葉は炎となって私を苦しめるか、天から私に降り注ぐ剣に変わるかのどちらかでしょう。 あなたの行動は極度に親不孝でした。 しかし、あなたが私の意志に従ってそのように行動したのですから、あなたを恨むことはできません。私は自分の行為に対する報いを受けるだけですから。
そう思っていると、苦しみの絶えない地獄に突然金色の仏様が現れて、『現象界を埋め尽くす程の善因を滅ぼした者も、一度法華経を聴けば決して失敗することはない』と宣言されました。 この仏陀が絶え間ない苦しみの地獄に入ったとき、それはあたかも大火の上に大水が注がれたかのようでした。 苦しみが少し和らぎ、私は合掌してどんな仏様なのか尋ねました。 仏陀は、「私は妙という字であり、あなたの息子、遺竜が今書いている法華経(八巻)の題目を構成する六十四字の一つです。」と答えられました。 八巻それぞれの題名に合わせて六十四体の仏様が現れ、六十四の満月のように輝き、苦しみの絶えない地獄の真っ暗闇が、たちまちまばゆいばかりの輝きの世界に変わりました。 さらに、いかなる場所もその性質を変えずに仏土であるという原則に従って、絶え間ない苦しみの地獄はたちまち常寂光の都となりました。 「私と他の受刑者全員は蓮の花の上に座る仏となり、今、都率の内院に昇っています。 このことは誰よりも早くあなたに報告します。」と。
遺竜さんは「タイトルを書いたのは私の手です。 どうして救われることができたのでしょうか? しかも、本気で書いたわけではありません。 それがどうしてあなたを助けることができたでしょうか? 彼の父親はこう答えました。 あなたの手は私の手、あなたの体は私の体です。 あなたが書く文字は私が書く文字です。 あなたは心に信仰を持っていなかったにもかかわらず、それでも手でタイトルを書きました。 したがって、私はすでに救われています。 まったく意図せずに、何かに火をつけて、それを燃やしてしまう子供のことを考えてください。 法華経も同様です。 それを信じて告白すれば、たとえまったく期待していなかったとしても、人は必ず仏陀になれるのです。 この道理を理解した以上、決して法華経を誹謗してはいけません。 しかし、私たちは信徒の一員であるため、それがどれほど重大なものであったとしても、過去の中傷的な言葉を悔い改めるより良い立場にあります。」
遺竜はこのすべてを統治者に報告しました。 統治者は「私の願いは素晴らしい結果で応えられました。」と言いました。 それ以来、遺竜はますます王の恩恵に浴し、国民全体が法華経を崇敬するようになりました。
故七郎五郎殿と故松野入道は、それぞれあなたの息子と父親でした。 あなたは信徒である入道の娘です。 したがって、彼は今この瞬間にも都率の内院にいるに違いないと私は信じています。 伯耆房がこの手紙を読んで説明してくれるでしょう。 急いで書いたので詳細はお伝えできませんでした。
深い敬意を表しつつ、
日蓮
11月15日
在家尼僧上野への返信