大夫志殿御返事(付法蔵列記の事)第二章(仏の使いに供養する功徳を説く)
弘安3年(ʼ80) 59歳 池上宗仲
三論宗の云く「道朗吉蔵は仏の使なり」法相宗の云く「玄奘慈恩は仏の使なり」華厳宗の云く「法蔵・澄観は仏の使なり」真言宗の云く「善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使なり」。
日蓮之を勘えて云く全く仏の使に非ず全く大小乗の使にも非ず、之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん、問う汝の自義か答えて云く設い自義為りと雖も有文有義ならば何の科あらん、然りと雖も釈有り伝教大師云く「誰か福を捨て罪を慕う者あらんや」云云、福を捨てるとは天台大師を捨てる人なり、罪を慕うとは上に挙ぐる所の法相・三論・華厳・真言の元祖等なり、彼の諸師を捨て一向に天台大師を供養する人の其の福を今申すべし、三千大千世界と申すは東西南北・一須弥山・六欲・梵天を一四天下となづく、百億の須弥山・四州等を小千と云う、小千の千を中千と云う、中千の千を大千と申す、此の三千大千世界を一にして四百万億那由佗国の六道の衆生を八十年やしなひ法華経より外の已今当の一切経を一一の衆生に読誦せさせて三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字・一句・一偈持つ人と相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事・百千万億倍なり、天台大師此れに勝れたる事五倍なり、かかる人を供養すれば福を須弥山につみ給うなりと伝教大師ことはらせ給ひて候、此の由を女房には申させ給へ、恐恐謹言。
大夫志殿御返事 花 押
現代語訳
しかるに三論宗がいうには「道朗・吉蔵は仏の使いである」と。また法相宗がいうには「玄奘・慈恩は仏の使いである」と。華厳宗がいうには「法蔵・澄観は仏の使いである」と。また真言宗がいうには「善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使いである」と。
日蓮がこれを勘えてみるに、このうち三論、法相、真言等の人々は全く仏の使いではない。また大乗・小乗の使いでもない。このような人々を供養すれば、かえって災いを招き、逆にこれを謗ずれば福を得るのである。
問う、それは汝の自義なのか。答う、たとえ自義であっても、文があり、道理があるならば、何の科があろうか。しかりといえども、自義ではなく、これについて釈がある。伝教大師は「誰か福を捨てて、罪を慕うものがあろうか」といっている。この「福を捨てる」とは、伝教大師のいわんとする心によれば、天台大師を捨てることであり、「罪を慕う」とは、上に挙げたところの法相・三論・華厳・真言の元祖等を慕うことである。これらの諸師を捨てて一向に天台大師を供養する人の受ける福について、今から述べてみる。三千大千世界というのは東西南北・一の須弥山・六欲天・梵天を合わせて一つの四天下と名づけ、百億の須弥山・百億の四州すなわち四天下を集めたものを小千世界といい、この小千世界を千集めたものを中千世界、そして中千世界を千集めたのを大千世界といい、また三千大千世界という。
この三千大千世界を一つにして、四百万億那由佗もの国の六道の衆生を八十年間養い、法華経以外の已に説き、今説き、当(まさ)に説かんとする一切経を、一人一人の衆生に読誦させて、三明智六神力を得た阿羅漢や辟支仏や等覚の菩薩となした一人の檀那と、このような世間・出世間にわたる財の施を少しも施さず、法華経計りを一字でも、一句でも、一偈でも持つ人と、この二人を相対して、その功徳を論じてみるに、法華経の行者すなわち法華経の一字・一句・一偈を持つ人の功徳が勝れていること百千万億倍である。
しかも天台大師はこれより勝れていること五倍である。したがって、このような天台大師を供養すれば福を須弥山のごとく積むことになるのであると、伝教大師がはっきりといわれているのである。この仏法の道理をあなたの奥さんにも話してあげなさい。恐恐謹言。
大夫志殿御返事 花 押
語句の解説
道朗
道朗は中国北涼の人で生没年は不明。三論宗を講じた。曇無讖が河西王沮渠蒙遜のため翻訳した経蔵にあい涅槃経を筆致し、さらに曇無讖に願って諸経を出さしめた。
吉蔵
(0549~0623)。中国隋代から唐代にかけての人で三論宗再興の祖。祖父または父が安息人であったことから胡吉蔵と呼ばれ、嘉祥寺に住したので嘉祥大師と称された。姓は安氏。金陵の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論宗を学ぶ。後、嘉祥寺に住して三論宗を立て般若最第一の義を立てた。著書に「三論玄義」「中観論疏」「法華玄論」をはじめ数多くある。
玄奘
(0602~0664)。中国唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」六百巻をはじめ75部1,335巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
慈恩
(0632~0682)。中国唐代の僧で、法相宗の第二祖。諱は窺基。長安に生まれる。姓は尉遅氏で、字は洪道。17歳のとき玄奘三蔵がインドから帰ると、その弟子として出家。大慈恩寺に入りもっぱら玄奘に師事し、梵語を習い、ついで大小の経の翻訳に従事した。著書に「成唯識論述記」「成唯識論掌中枢要」等がある。
法蔵
(0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の批判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
澄観
(0738~1839)。華厳宗の第4祖。清涼大師。11歳のとき出家し、南山律、三論等を学び、妙楽湛然について天台の止観等を学んだ。五台山清涼寺に住して華厳宗を弘めた。「華厳経疏」60巻、「華厳経随疏演義鈔」90巻等と著述が多い。
善無畏
(0637~0735)。中国・唐代の真言宗の開祖。宋高僧伝によれば、東インドの烏荼国の王子として生まれ、13歳で王位についたが兄の妬みをかい、位を譲って出家した。マガダ国の那爛陀寺で、達摩掬多に従い密教を学ぶ。唐の開元4年(0716)中国に渡り、玄宗皇帝に国師として迎えられた。「大日経」「蘇婆呼童子経」「蘇悉地羯羅経」などを翻訳、また「大日経疏」を編纂、中国に初めて密教を伝えた。とくに大日経疏で天台大師の一念三千の義を盗み入れ、理同事勝の邪義を立てている。金剛智、不空とともに三三蔵と呼ばれた。
金剛智
(0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
不空
(0705~0774)。不空金剛のこと。北インドの人。15歳の時唐の長安に入り、金剛智に従って出家した。開元29年、帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、6年後、ふたたび唐都の洛陽に帰った。玄宗皇帝の帰依を受け、尊崇が厚かった。羅什、玄奘、真諦と共に中国の四大翻訳家の一人に数えられ「金剛頂経」など多くの密教経典類を翻訳した。
慧果
(0746~0806)。照応の人で、俗姓を馬という。不空の弟子で、真言宗東寺派では、大日如来から法を受けついだ第七祖とする。唐の代宗、徳宗、順宗の三朝に国師として尊敬された。日本から留学生として渡唐した弘法にその教えを伝えた。
弘法
(0774~0835)。日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。讃岐(香川県)に生まれ、15歳で京に上り、20歳のとき勤操にしたがって出家した。延暦23年(0804)渡唐し、長安青竜寺の慧果より胎蔵・金剛両部を伝承された。帰朝後、弘仁7年(0816)から高野山に金剛峯寺の創建に着手した。弘14四年(0823)東寺を賜り、ここを真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰「弁顕密二教論」「十住心論」などがある。
三明
小乗の仏、阿羅漢果の聖者がもつ三つの明智。①に宿住智証明で過去のことに通達する。②に死生智証明で未来のことに通達する。③に漏尽智証明で現在のことに通達する。
辟支仏
梵語プラティエーカ・ブッダ(Pratyeka-buddha)の音写。辟支迦羅、畢勒支底迦とも書き、独覚・縁覚・因縁覚と訳す。「各自に覚った者」の意。十二因縁の理を観じ、また、飛花落葉等の外縁によって自ら覚った者をいう。
講義
日蓮之を勘えて云く全く仏の使に非ず全く大小乗の使にも非ず、之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん
三論、法相、華厳、そして真言宗等が、それぞれ自宗の開祖達が「仏の使い」であるなどと宣伝しているのに対して、厳しく破折されたところである。彼らは一往、権大乗を弘めているかにみえる。しかし、仏に敵対し法華経をさげすむ彼等は仏の使いどころか大小乗の使いでもない。その本性は魔の使いである。ゆえに「之を供養せば災を招き」と仰せになっているのである。
「之を謗ぜば福を至さん」とあるのは、邪義を破折することが正法を護ることであり、絶対の功徳があるとの道理を示されたものである。涅槃経にいわく「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駆遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり」と。謗法の者に対しては、その罪を指摘し、責め、追い払ってこそ、真の仏弟子であるとの意であり、彼らを謗ずることが、すなわち「福を至さん」行為になるとの仰せである。
この大聖人の教え、仏法の根本精神は永久に忘れてはならない。いかなる時代が来ようとも、仏法を破壊する動きに対しては戦いを挑まねばならぬ。非難・中傷、不当なる国家権力による干渉・弾圧、そして、ひそかに内部から組織を乱そうとする動きも看破しなくてはならない。それが即、民衆に幸福をもたらす源泉であり、また法をして久住せしめる根源である。
三千大千世界について
文中、天台大師への供養の功徳を示すにあたって、三千大千世界という宇宙観を示され、四百万億那由佗の三千大千世界の衆生を八十年間養うよりも、比較にならないほど功徳が大きいことを示されている。ここで三千大千世界という宇宙観について考えてみたい。
仏法では、須弥山を中心に日月を配し、人間が住んでいる世界を一つの単位としこれが一千集まったものを一小千世界という。一小千世界が千集まったものを中千世界、中千世界が千集まったものを大千世界、または三千大千世界という。一四天下、または一小世界は、現代でいえば一つの恒星系と考えれば、一つの三千大千世界には十億の恒星系があることになる。
現代の天文学においては、次のようなことが明らかになっている。一つの恒星系とは太陽やアルファ・ケンタウリなどの恒星、そのまわりを回る惑星、衛星を含むものである。この太陽系などの恒星が千億個から二千億個ほども集まって構成しているのが島宇宙といわれるもので、われわれの太陽系のある銀河系宇宙やアンドロメダ大星雲などがこれにあたる。そしてこうした島宇宙が観測可能な範囲においても、数千億個あるともいわれるのである。実に壮大な宇宙である。
ここで仏法における宇宙観と、現代天文学のそれとが極めて似かよっていることに気づくであろう。本抄でも、三千大千世界が四百万億那由佗以上あることが説かれている。法華経寿量品に説かれている宇宙観はさらに広大であり、「五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界を抹して微塵となして」と説いているのは、そのような宇宙観を前提としていると考えられまいか。
数値そのものは違っても、考え方、すなわち恒星系から島宇宙、島宇宙から大宇宙という展開と、小世界から小千世界、小千世界から中千世界、中千世界から大千世界あるいは三千大千世界へ、という展開の図式は全く同じである。この「累乗」的な把握は現代天文学の発想と似かよっている。科学による実証などなにもない三千年も昔に、このような大胆な、しかも極めて的確な宇宙観が展開されていたとは、実に驚嘆すべき事実といわねばならない。古代の同じころの他の諸民族では、たとえばカルデア人は宇宙は釣り鐘のような形をしていて昼は太陽、夜は星が光ると考え、エジプト人は天が世界を覆い、天井から星がつるされていると信じていた。ギリシャ人ですら、その宇宙観は円盤である大地を囲んでいる大河に星がちりばめられているといったものであった。これらに比べ合わせると、いかに仏教に示されている古代インド人の宇宙観がすぐれていたかがわかろう。
受持の意義
さらに本抄では四百万億那由佗の三千大千世界のなかの衆生を八十年間養い、法華経よりほかの経を読誦させて阿羅漢、辟支仏、等覚の菩薩とする人と、法華経の一字一句を持つ人との功徳を比較するなら、法華経を持つ人が百千万億倍、大きいことを示され、天台は第五品の位に居する故に、天台を供養する人は、その五倍の功徳があると仰せになっている。
受持とは受領憶持の義で、正法をよく信じ持って、どんなことがあっても退転しないということである。大智度論には「信力の故に受け、念力の故に持つ」とある。受持・読・誦・解説・書写の五種の妙行も受持の一行のなかに含まれるのであり、これを総体の受持という。これに対し、五種の妙行のなかの一つである受持を別体の受持という。
さて、末法のわれわれにおいては、妙法を受持することが、信心修行の究極であることを「観心本尊抄」で次のように示されている。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)と。釈尊が仏になるために修行した因位の万行、そして得た果位の万徳、これらは全て五字七字の南無妙法蓮華経に含まれているのであり、妙法を受持することによって、そのまま、かの釈尊の因果の万徳を我が身に備えることができるとの意である。
南無妙法蓮華経は宇宙のいっさいの法則の本源であり、宇宙のリズムそれ自体であるともいえる。したがって、この妙法を受持するということは、そのままわが身が宇宙のリズムに合致するということを意味するといえる。故に、わが一念は大宇宙に遍満して、我即宇宙、宇宙即我の大なる当体と顕われることができるのである。
受持とは、文字通り受け持つことである。生命それ自体は、様々なものを受け入れ、それを持続させていく働きを持っている。誰しも何らかのものを受持して生活している。しかも、その受持したものが、生命の奥深く定着していけばいくほど、その人間の行動と品格ににじみ出てくるのである。
例えば、子供にとって、母親は受持の対境である。しかして、その母体の生命は、子供の人間形成にとって、甚大な影響がある。
されば、何を受持するかが大事である。魔の生命の波動を強く受け、それを持続していけば、魔に支配された生命を形成していく。その生命は、さらに外に働きかけ、周囲の人々を不幸におとしいれていくのである。
いま、受持即観心の受持とは、妙法を生命それ自体に受け持っていくことである。大御本尊という偉大な正境に向かうとき、自身の生命のなかにも、妙法が顕われてくる。その対境に強く縁すれば縁するほど、妙法は、その人自身の本性を形成していく。そして、それは、その人格に、生活に、強く、はっきりとにじみ出てくるのである。
しかして、受とは信である。信ずることによって対境の生命の力、福徳、智慧を受けることができる。また、それを持続させていく力は、その人自身の、決意であり、常に念うて忘れぬ、汝自身の戦いである。「信力の故に受け、念力の故に持つ」とは、このことである。
よく人は、信念が大切であることを強調する。この信念というのは、もとは仏法用語である。しかし、ほとんどの場合、何を信じ、何を念ずるかは少しも明確でない。信ずるに足るものを知らないがゆえである。真実最高の信念とは、妙法受持の信念であり、この信念こそ、人生を、最も力強く、清浄な、光輝に満ちたものとすることができるのである。
なお、本抄は一貫して、天台大師の徳を賞揚されているがゆえに、あたかも、天台その人を賛嘆されているように拝せられる。一応は、三論、法相、華厳、真言等の邪師に対して、仏法の正統である天台を宣揚されたものといえる。
だがその奥底のお心は、ではなぜ天台がすぐれているかといえば、それは、伝教の釈にもあるように「法華経を説き法華経を釈す」がゆえであり、また「法華経の御使」なるがゆえである。すなわち「法妙なるが故に人貴し」の原理に立って申されているわけである。
このことは、本抄の元意が、決して天台個人を賛嘆することにあるのでなく、法華経を受持し、法華経を弘めることを宣揚することにあると拝すべきである。