————————————-(第三章から続く)———————————————
かかるふしぎの者をふびんとて御くようの候は、日蓮が過去の父母か、また先世の宿習か。おぼろけのことにはあらじ。その上、雨ふり、かぜふき、人のせいするにこそ、心ざしはあらわれ候え。これもまたかくのごとし。ただなる時だにも、するがとかいとのさかいは、山たかく、河はふかく、石おおく、みちせばし。いおうや、とうじはあめはしのをたてて三月におよび、かわはまさりて九十日。やまくずれ、みちふさがり、人もかよわず。かってもたえて、いのちこうにて候いつるに、このすずの物たまわりて、法華経の御こえをもつぎ、釈迦仏の御いのちをもたすけまいらせさせ給いぬる御功徳、ただおしはからせ給うべし。くわしくは、またまた申すべし。恐々謹言。
七月七日 日蓮 花押
御返事
現代語訳
このような不思議な者を不憫と思って御供養下された貴殿は、日蓮の過去の父母であろうか。または過去世からの因縁であろうか。いずれにしても、浅い因縁ではないであろう。そのうえ、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志はあらわれるものである。今、貴殿が種々の物をお送りくださったこともまた同じである。平穏な時でさえ、駿河と甲斐との境は、山は高く、河は深く、石は多く、道は狭い。まして今は豪雨が三か月も降り続き、河は増水して九十日、山は崩れ、道は塞がり、人も通わず、食糧も絶えて、命もこれまでというときに、この種々の物をお送りくださり、法華経の御飢えをもいやし、釈迦仏の御命をも助けられたのである。その功徳は計り知れないものがある。くわしくはまた申し上げよう。恐恐。
七月七日 日 蓮 花 押
御 返 事
語句の解説
先生
前生のこと。前世・過去世のこと。
宿習
宿世の習い、くせのこと。過去世で身心に積み重ねてきた善悪の潜在能力のこと。なおここでは宿縁の意で用いられている。
するが
駿河国のこと。東海道15ヵ国のひとつ。現在の静岡県中央部。駿州ともいう。富士の裾野の要衝の地で、古代から農耕文化が開け、平安時代には上国となり、伊勢神宮の荘園が設けられた。鎌倉時代には北条得宗家の領地となっている。日興上人はこの地の四十九院で修学されている。身延入山後の布教の展開地でもあり、熱原法難の起こった地域でもある。
かい
甲州ともいう。山梨県のこと。
講義
これまで述べられたように、末法に唯一人、仏法のために立ち上がり、大難にあわれている大聖人を御供養し外護申し上げる南条平七郎の信心をたたえ、その功徳の無量なことを示して本抄を結ばれている。
御自身を「かかる不思議の者」といわれているのは、一往は、国中から憎まれている者との意であるが、また再往は仏法のために身命をなげうっておられることが世間的に見れば思議しがたいとの意でいわれたと拝せられる。
そして、国中から憎まれておられる大聖人に心を寄せ御供養するということは、過去世に深い因縁があったからに違いないと述べられ、とくに困難な状態のときにこそ志の強弱が顕れるものであるといわれ、悪天候で交通困難のなかを、種々の品を御供養申し上げた真心をおほめになっている。
当時、駿河から甲斐への交通は、平時でも困難であったのに、この時は大雨が降り続いて洪水になり、道路は寸断されて交通途絶の状態になっていたのである。そのため、身延山中の大聖人の御生活は、種々の品が欠乏していたのであろう。そこへもたらされた南条平七郎からの御供養の品々は、大聖人の御生命をつなぐものであった。
「法華経の御うえをもつぎ・釈迦仏の御いのちをも・たすけまいらせ給いぬ」とは、大聖人が人法体一の御本仏であられることを意味していると拝せられる。その大聖人の御命をつないだ御供養の功徳は言葉であらわせないほど大きいのである。