四恩抄

四恩抄

  1. はじめに
    1. 第一 本抄御述作の由来
      1. (二)本抄の背景
      2. 第二 本抄の大意と元意
        1. (一)本抄の題号
        2. (二)本抄の大意
        3. (三)本抄の元意
      3. 第三 報恩思想の現代的意義
        1. (一)東洋と西洋の思考法
        2. (二)西洋の倫理思想
        3. (三)真実の報恩とは
  2. 第一章 流罪について二つの大事を標示
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 此の流罪
      2. 娑婆
      3. 能忍
      4. 須弥山
      5. 丑寅
      6. 十悪
      7. 五逆
      8. 誹謗賢聖
      9. 三悪道
      10. 沙門
      11. 毒薬を食に雑て奉り
      12. 刀杖
      13. 悪象
      14. 悪牛
      15. 悪狗
      16. 卑賎の者
      17. 殺生の者
      18. 大集経
      19. 涅槃経
      20. 第六天の魔王
      21. 三悪道
      22. 三善道
      23. 三乗
    3. 講義
      1. 此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる
  3. 第二章 流罪と仏記との合致を挙げる
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 五濁
      2. 邪見
      3. 杖外道は神通第一の目連尊者を殺し
      4. 阿闍世王は悪象を放て三界の独尊ををどし奉り
      5. 提婆達多は証果の阿羅漢・蓮華比丘尼を害し
      6. 瞿伽利尊者は智慧第一の舎利弗に悪名を立てき
      7. 戒行
      8. 比丘
      9. 犯僧
      10. 螻蟻
      11. 無戒
    3. 講義
      1. 今こそ仏の御言は違はざりけるものかなと殊に身に当つて思ひ知れて候へ
      2. 是れ偏に法華経を信ずることの余人よりも少し経文の如く信をも・むけたる故に云云
  4. 第三章 法華経の行者の立証を悦ぶ
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 懈怠
      2. 昼夜十二時
      3. 行住坐臥
      4. 菩提心
        1. 後生
      5. 六道
      6. 四生
    3. 講義
      1. 是れ程の心ならぬ昼夜十二時の法華経の持経者は末代には有がたくこそ候らめ
  5. 第四章 悪逆の国主に約して知恩を述べる
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 止事なく
      2. 大臣・関白
    3. 講義
      1. 若し爾らば国を給り財宝・官禄の恩を蒙けるか
  6. 第五章 四恩を示し真実の報恩を述べる
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 心地観経
      2. 衆生無辺誓願度
      3. 菩薩
      4. 悪律儀
      5. 四大天王
      6. 転輪聖王
      7. 三界
      8. 四天
      9. 四衆
      10. 三光
      11. 五穀
      12. 生死を離るべき国主
      13. 六十四分
      14. 果地の三分の功徳云云
      15. 五濁雑乱
      16. 非法
      17. 守護の善神
      18. 天竜
      19. 地神
      20. 十善
      21. 六親
      22. 四大海
      23. 五箇の五百歳
      24. 雪山童子
      25. 常啼菩薩
      26. 薬王大士
      27. 普明王
      28. うちかひ
      29. 梵網経
      30. 円頓の戒
      31. 血肉の身
      32. 三惑
    3. 講義
      1. 仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候か
      2. 今六十三分をば此の世界に留め置きて五濁雑乱の時……比丘比丘尼の命のささへとせんと誓ひ給へり
      3. 法は諸仏の師なり諸仏の貴き事は法に依る
      4. 仏宝法宝は必ず僧によりて住す
  7. 第六章 大慈悲に立脚し謗者の堕獄を歎く
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 一劫
      2. 一生の業
      3. 不軽菩薩
      4. 大梵王
      5. 禁戒
      6. 欠犯
    3. 講義
      1. 我一人此の国に生れて多くの人をして一生の業を造らしむることを歎く

はじめに

 

四恩抄の講義にあたり、まずその序講として、

第一に、本抄御述作の由来を明かし

第二に、本抄の大意と元意を論じ

第三に、報恩思想の現代的意義

について論ずることとする。

 

第一 本抄御述作の由来

 

本抄は、弘長2年(1262116日、日蓮大聖人が聖寿41四歳のとき、ご流罪の地、伊豆の伊東から、安房の国(千葉県)天津の領主工藤左近尉吉隆に与えられた御抄である。別名、伊豆御勘気抄とも呼ばれている。建長5年(1253428日の立宗宣言以来9ヵ年にわたる御化導、とくに2年前の「立正安国論」による第一回の国家諌暁から起きたところの伊豆ご流罪について、ご自身のお振舞いが仏記と合致することを大いなる悦びとされ、一方大聖人を迫害する者が、自業自得とはいえ厳しい仏罰を招くことを歎かれている本抄は、末法の御本仏としての体験を述べられた御抄の最初のものである。

 

(一)本抄の由来、対告衆について

 

本抄の対告衆である工藤左近尉吉隆は、大聖人の直壇であり、建長から正嘉の頃にかけて、四条金吾、池上宗仲らと相前後して入信した。大聖人が伊豆ご流罪中にも、御供養を欠かさず信心の誠を尽くし、文永元年(1264)の小松原法難のとき、身命を捨てて大聖人をお護り申し上げ、難に殉じた純真な大信者である。工藤家は父祖代々天津の領主であった。吉隆は、工藤民部大輔小四郎行光の子と伝えられている。

本抄には前後のいきさつ、大聖人と工藤吉隆との個人的関係などについては全く触れられていないが、吉隆から大聖人へのお見舞いに対する御返事か、御供養を携えてきた者に託して法門を述べられた御抄と考えられる。

大聖人は伊東において、本抄のほかに「教機時国抄」、「顕謗法抄」、「船守弥三郎許御書」などを著わされている。「教機時国抄」は、大聖人の教判として初めて宗教の五綱を整足して述べられたもので、本抄より約一か月あとの御作である。これは本抄において伊豆流罪を、ご自身が末法の法華経の行者であるとの立証として喜悦されていることと表裏一体をなすものである。

翌弘長3年(1263223日、幕府は日蓮大聖人を赦免、大聖人は鎌倉へ帰られた。これは最明寺に出家していた前の執権・北条時頼が、この流罪を執権長時が念仏者であった父の重時と計っての弾圧であると見抜いて断を下したものである。「聖人御難事」には「故最明寺殿の日蓮をゆるししと此の殿の許ししは、禍なかりけるを人のざんげんと知りて許ししなり」(1190:09)と述べられている。

翌文永元年(1264)の秋、大聖人は故郷安房の国へお帰りになり、安房の小湊で病床にあった御母・妙蓮尼病気平癒を祈られたのである。まもなく妙蓮尼は全快され4年の寿命を延べられた。

その後、日蓮大聖人は西条華房の蓮華寺に滞在されていたが、ここに再び、大聖人のご生命が危機にさらされる大難がまき起こった。小松原の法難がそれである。

1111日、工藤吉隆は、華房蓮華寺より、日蓮大聖人を天津の自邸に招待申し上げた。法難は、この道中のことである。大聖人の一行数名が、天津の西方約4㌔の小松原にさしかかったとき、東条の地頭・東条景信が一隊の兵を率いて大聖人一行を要撃してきた。念仏の強信者であった景信は、大聖人が建長5年(1253)に立宗されて以来、ことごとに敵視して、虎視眈々と大聖人殺害の機会をうかがっていたのである。

急報を受けた吉隆は、僅かの手勢を率いて駆けつけ、よく奮戦し大聖人をお護りしたが、景信の多勢に圧され、遂に鏡忍房とともに乱戦のなかに壮烈な最期を遂げた。大聖人ご自身も、景信の太刀で眉間に傷を受け、左手を折られるなどの難を受けられた。「聖人御難事」には、このときの様子を「文永元年甲子十一月十一日頭にきずをかほり、左の手を打ちをらる」(1189:13)と述べられている。大聖人は、吉隆に妙隆院日玉上人と諡され、僧礼をもって吉隆を弔われた。このとき、吉隆の夫人は懐妊中であったが、この子は、のちに出家し、刑部阿闍梨日隆と称した。念仏者、東条景信は、その後、狂死したと伝えられる。

工藤吉隆へ賜わった御書は四恩抄一篇のみであるが、日蓮大聖人が法華経弘通のゆえに大難に値われていること、また、法華経の真文を身読することの悦びを述べられていることなど佐渡以前の御抄とはいえ、御本仏の確信に立たれた重要な御抄であることから、工藤吉隆の信心が、いかに純粋なものであったかを知ることができよう。

本抄の御正筆は現存しない。なお、付言すれば、本抄の後半が大段第二のはじめ、引文のみで終わっており、前半に比較して極端に短い点からすると、後の部分を後世に欠失したとも推察される。

 

(二)本抄の背景

 

建長5年(1253428日午の刻、日蓮大聖人は末法万年尽未来際の一切衆生を救済する大仏法の立宗を宣言され、三大秘法のうちまず本門の題目を建立された。このときの状況は「聖人御難事」(1189)に「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、安房の国長狭郡の内、東条の郷・今は郡(なり……此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり」と述べられている。この立宗宣言を契機として、種々の大難が日蓮大聖人の身にふりかかってきたのである。

その先鋒が東条郷の地頭、東条左衛門尉景信であった。景信は強盛な念仏者であり、鎌倉幕府の連署・北条重時の権勢を背景に得ていたこと、地頭としては大きな兵力を擁していたことなどもあって、相当の自信家であったと思われる。その慢心家が、日蓮大聖人によって、自分の帰依している念仏を徹底的に破折されたために激しく大聖人を憎み、迫害を加えるにいたったのである。大聖人が立宗宣言、初転法輪を終え清澄寺を下山する際にも、種々、事をかまえたが、浄顕房、義浄房らの必死の努力によって大聖人は事なきを得たのである。

その後、日蓮大聖人は、鎌倉松葉が谷に草庵を結び、法華弘通の法戦を開始された。そのため、念仏・禅・律等の諸宗の輩、なかんずく、念仏者、律宗の極楽寺良観などの迫害が日ごとに激しさを加えていったが、他方では、四条金吾・富木胤継・池上宗仲・工藤吉隆等大聖人門下の強信者といわれる人々が入信していったのである。

当時の世相は打ち続く飢饉、疫病、地震などにより、餓死、病死する者も多く、人心は極度の不安におののいていた。いつの時代でも同じように、こうした民衆の心の動揺につけこんで、雑草のように新興邪宗教が跋扈していった。とくに念仏の流行は激しく、全国を覆い、幕府の要人にとりいった極楽寺良観の律宗も鎌倉を中心に民衆に深く浸透していった。不幸のよって来たる原因を知らず、救いを求めてすがりついたものが、人々の生命力をその根源から蝕んでいくという全く悪循環の姿そのものであった。

まさに世相は経文の予言に違わず、「世間の罪に依って悪道に堕つる者は爪上の土・仏法によって悪道に堕つる者は十方の土」という正法滅尽の姿を呈していたのである。

日蓮大聖人が身命を捨てて諸宗の非を説き、正法の理を述べても、無智な民衆はいよいよ邪義・邪師に親近して、大聖人の正義には耳を傾けようともしない。かえって日本国中の上下・万人が大聖人を憎むありさまである。この世相と仏法の原理との合致から「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(0998:12)との決意で国家諌暁に踏み切られ、「立正安国論」の上書となったのである。安国論上書に対しては、なんの沙汰もなく、約1ヵ月の沈黙が続いたが、827日になり、鎌倉松葉が谷にある大聖人の草庵が、突如として念仏僧を中心とする暴徒に襲撃され、焼き打ちにあったのである。このとき大聖人は裏山に逃れ、危くこの難を免れられている。大聖人は、安国論の御正筆を富木殿の許に送られ、どのような最悪の事態にも立正安国論が失われないよう慎重な配慮をなされていた。この事は裏を返せば、身命に及ぶ大難を覚悟の上の国諌であったことを示唆するものである。「日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに・にたりと思惟するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべし」(0200:09)との開目抄の御文は、このご決意を述べられたものと拝することができる。

文応元年(12608月の松葉が谷法難より翌弘長元年(1261512日の伊豆伊東配流までの九か月余のご事跡については明確な記録は残されていない。しかし、鎌倉にはとどまるべくもないことは容易に推察されよう。一般には霊記の説により、下総の富木胤継の邸内の、法華堂において百日説法を行なったとされている。

伊豆流罪は、鎌倉幕府という権力が表だって迫害を加えてきた最初のものであった。松葉が谷の法難では、幕府がこれを企てた首謀者を詮索しなかったという点で、自ら御成敗式目の権威を落したという事実は指摘されても、幕府直接の弾圧ではなかった。松葉が谷の草庵を襲撃した暴徒が念仏僧によって指揮されていたということは、事件の裏に、前の執権北条時頼が積極的に大聖人を罰しようとしないことに業をにやした連署北条重時の画策があったものと推察される。重時は強盛な念仏者であり、正元元年(1259)には良観を開基として極楽寺を創建したところから、極楽寺殿とも呼ばれ、幕府にあってはその子、長時とともに大聖人迫害の急先鋒であった。こうした事情について御書には次のように仰せである。

「下山御消息」にいわく「先ず大地震に付て去る正嘉元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る御尋ねもなく御用いもなかりしかば国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん念仏者並に檀那等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん其の夜の害もまぬかれぬ、然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も科なくて大事の政道を破る日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ、されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもかへりみざるか御式目をも破らるるか」(0355:03)と。

また「妙法比丘尼御返事」に「念仏者等此の由を聞きて上下の諸人をかたらひ打ち殺さんとせし程に・かなはざりしかば、長時武蔵の守殿は極楽寺殿の御子なりし故に親の御心を知りて理不尽に伊豆の国へ流し給いぬ、されば極楽寺殿と長時と彼の一門皆ほろぶるを各御覧あるべし」(1413:01)と。

北条重時、長時父子が大聖人迫害の急先鋒となった背景としては、

① 重時父子が強盛な念仏者であり、四箇の格言で念仏無間と強折された大聖人を強く憎んだこと。

② 重時が忍性良観を開基として極楽寺を創建しており、良観房もまた、四箇の格言により徹底的に破折されたことから大聖人を憎み背後から重時・長時を動かしたこと。

③ 北条一門で寛元4年(1246)に執権時頼に謀反を企て伊豆に配流された名越光時の一族が、元来、安房の国東条郷の領家であったことから、名越家の大尼、新尼が大聖人に帰依し、また松葉が谷の草庵を御供養していた。重時は連署として過去に謀反を行なった名越家を厳しく監視する立ち場であったが、名越家が大聖人に帰依したことから一層、大聖人を敵視するようになった。

④ 建長5年(1253)の立宗以来、日蓮大聖人を憎んでいた地頭・東条景信が、東条領家、名越家の寺である清澄・二間の二箇寺を奪い、念仏宗に改宗させようとして清澄寺の飼鹿を狩り取るという暴挙に出た。このとき、大聖人は「領家のかたうどとなり清澄・二間の二箇の寺・東条が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじやうの起請をかいて日蓮が御本尊の手にゆいつけていのりて一年が内に両寺は東条が手をはなれ候いしなり」(0894:15、清澄寺大衆中)との御文のように、問注所への訴訟にもちこんで徹底的に景信と戦われた結果、勝訴となった。このため景信は、大聖人を憎むこといよいよ激しく、この事件が小松原法難の遠因となったとする見方もある。また、景信を背後から操って東条領家を圧迫しようとした重時も面目をつぶされたことで、いよいよ感情を害したことであろう。

こうした諸事情がからみ合って、くすぶりつづけてきた大聖人迫害の火が一挙に燃え上がり、弘長元年(1261512日の伊豆流罪となったのである。同じ年の113日、北条重時は64歳で死去している。弘長3年(12632月伊豆流罪は赦免となり大聖人は鎌倉へ帰られた。翌文永元年(1264821日執権長時が35歳で病死している。その他、長男の為時は早死、次男長時は35歳、三男時茂は30歳、四男義政は39歳でそれぞれ死んでいる。ただ一人五男の業時だけが越後の守に任ぜられているのみである。「兵衛志殿御返事」には「極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし、念仏者等にたぼらかされて日蓮を怨ませ給いしかば我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う・ただいまは・へちごの守殿一人計りなり」(1093:03)とある。「聖人御難事」にいわく「過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず、日蓮又かくのごとし」(1190:02)と。いまさらのように正法誹謗の恐ろしさを知る思いである。

流罪の地、伊豆における大聖人の生活については、本抄のほかに船守弥三郎許御書などにも述べられているように、船守弥三郎夫妻の生命がけの御供養や、大聖人の御祈念によって地頭伊東祐光の病悩が平癒し、大聖人に帰依したことなどがある。

 

第二 本抄の大意と元意

 

(一)本抄の題号

 

本文に「仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候か」とあり、心地観経の四恩を述べられているところから、一般に「四恩抄」と題されている。また、伊豆ご流罪を通じて法華経の行者としての確信を述べられていることから「伊豆御勘気抄」と称されることもある。まれに対告衆にちなんで「工藤左衛門御書」とも称する。

 

(二)本抄の大意

 

本抄では冒頭に全体の標示として「抑此の流罪の身になりて候につけて二つの大事あり」と述べられ、続いて「一には大なる悦びあり」とその理由を説かれている。

大なる悦びとは大きく二つに分けられる。その一つは、日蓮大聖人が法華経の行者であるとの立証の悦びであり、仏記との合致、身業読誦に約してこれを述べられている。

二には、伊豆流罪を通じてご自身の知恩報恩の悦びを述べられ、報恩の実践を勧められている。

次に「第二に大なる歎きと申すは」と流罪にあたって、かくまで大聖人を迫害した者の堕獄の罰を経文を引いて述べられ、謗者の身を歎かれている。

以上の大段を分科すると、本文は次の六章に分けられる。

第一に、流罪について二つの大事を標示。

第二に、流罪と仏記との合致を挙げる。

第三に、法華経の行者の立証を悦ぶ。

第四に、悪逆の国主に約して知恩を述べる。

第五に、四恩を示し真実の報恩を述べる。

第六に、大慈悲に立脚し謗法の堕獄を歎く。

以上が本抄の大要である。

次に、各章の大意を略して述べる。

第一章では、冒頭に本抄全体の標示があり、大なる悦びの理由を述べるなかに、まず在世の悪逆を、娑婆世界と第六天の魔王とに約して述べ、後に仏記と大聖人の御身との合致を述べる前堤とされている。

第二章では、在世の悪逆の相と末法における悪逆の相との相対の上に、釈迦仏の予言と日蓮大聖人の御身との符合を明かし、大聖人が末法における正法弘通の行者であることを悦ばれている。

第三章では、流罪地、伊豆伊東における日蓮大聖人のお振舞いを述べられ、それが法華経を身をもって読んでいるのであり、またよく難を忍ばれることにより法華経の行者であることを立証されている。

第四章では、日蓮大聖人を讒言し流罪に処した悪逆の国主こそ善知識であるとして、その恩を述べ、四恩を標示し、真実の報恩を説き明かす序分とされている。

第五章では、四恩の名目を方等部の心地観経に借り日蓮大聖人が伊豆流罪という値難によって、真実の報恩を実践される示同凡夫のお姿に約し、三大秘法への報恩を示唆されている。

第六章では、法華経、大集経などの文を引き、在世と末法を相対して、正法弘通を妨げる者の重罪を示し、謗法を厳誡することにより御本仏の大慈悲を顕わされている。

 

(三)本抄の元意

 

純真な信心を貫いていた工藤吉隆に対し、御本仏の内証に立って、伊豆流罪中のお振舞いを示されたものと拝することができよう。この伊豆流罪における大いなる悦びと大いなる歎きとは、終始一貫して、御本仏の大慈悲のお振舞いであることが瞭々としている。本抄を拝すれば明らかな如く、四恩の中心が三宝の恩であり、他の三恩というも、この一恩が根本であることはいうまでもない。しかして、この三宝の恩を報ずるとは、いかなる難が来ようと三大秘法の御本尊を信受し、折伏を行ずることであり、それが真実の四恩を報ずることになるのである。「棄恩入無為・真実報恩者」とはこれである。

 

第三 報恩思想の現代的意義

 

妙法を根底とした報恩の意味については、「本抄の元意」に述べたとおりであり、さらに根源的には池田会長の「報恩抄講義」に説かれているので熟読していただきたい。

ここでは、従来の倫理学に検討を加え、仏法に説かれた報恩思想の現代的意義を明らかにしたい。

本来、報恩という徳義は、洋の東西を問わず深く人間性に根ざした倫理観であった。しかし、さまざまな思想、哲学、宗教によって、また、生活環境の違い、生活感情の相違によって、千差万別の相を示している。

わが国においては、長い封建時代の間、儒教倫理が封建的な主従関係を維持するために利用されてきた。これは、そのまま明治維新ののちも、皇恩と称して、天皇から受けた恩を生命がけで報いてゆくことが臣下たる国民の最高の徳義であるという教育が徹底され、富国強兵のスローガンのもとに、強固な軍国主義の体制を築く精神的な基礎とされた。このゆえに、敗戦によって、天皇絶対主義が崩壊すると同時に、この倫理は根底から崩壊し、報恩という言葉も、むしろ、こうした古くさい前時代的な道徳観であるとして排斥されるようになったのである。そのため、人間として不可欠の真実の報恩をも軽蔑する結果となり、表面的な繁栄とはうらはらに、正しい倫理観、価値観の欠如から社会秩序の混乱を招いている現状である。

それでは、日本も含めて、世界に氾濫する、いかなる思想、哲学、宗教が正しい力ある倫理観を持ち、混迷する現代を指導しゆくことができるだろうか。現今の世界情勢を見るに、残念ながら、そうした思想、宗教は期待できないといわざるを得ない。ここで具体的な検討に入る前に、いわゆる西洋と東洋の倫理思想を生み出した思考力法について考えてみよう。

 

(一)東洋と西洋の思考法

 

西洋文明は、その源をたずねれば、厳しい自然環境との不断の戦いのなかから生みだされたものだった。そこでは激しい自然との戦い、グループ同士での牧野と牧獣の奪い合い、徹底した生活の計画的分析、分解的全利用を必要とした。そのため、西洋人の世界では全てが計算的に物質科学的にそして精神上では権利伸展主義的・克服主義的に発達せざるを得なかった。こういう生活態度は、必然的に帰納的思考法と帰納的約束づけによる力の社会へと発展する。こうした生活態度からは、報恩思想は育たない。そこから生まれるものは報恩ではなく、権利思想であり、その裏返しとしての義務でしかありえない。

今日、西洋から発して世界を二分するかに見える唯心、唯物の両思想が共に、権利・義務の概念に終始し、倫理学の不毛をきたしているのも、あながち理由のないことではない。

これに反し東洋は、高温多湿の風土であり、牧畜にはむかず農業適地の世界であった。したがってとくに日本も含めて、主体は稲作農業の社会となった。農業という生業は自然を克服したり制覇したりしてやれるものではない。なぜならば、寒冷温暖という温度、降雨の過不足など、極力、自然に順応することによってのみ、よりよき収穫を期待できる生業である。

そのなかで、人々は相互に協力し、協業社会での義務を守り合わなければ生産に重大阻害が起こるという条件下で生きてきた。だからその生活は、まず植物の生命を見つめ、天地の霊に加護を願い各人が信仰的に身を慎んでも自然との調和を祈る風習が発達した。そこで、とうぜん西洋にたいしてみたときに、東洋人は内的な精神面が発達し、偉大な父母である天地へ、尊敬の念を払って、深い観察をこころみ、生命論的に見ていくようになった。こうして、東洋の思考はつねに宗教、哲学において、宇宙の実相と生命の根源を究めて、最高の哲理に裏づけられた大宗教を生むに至ったのである。

 

(二)西洋の倫理思想

 

西洋思想の流れをたどってゆくとき、西洋精神に特有な人間の原理が明確に自覚されるようになったのは近世に入ってからである。

デカルト、スピノザ、ライプニッツと続く大陸の近世合理主義の流れは、独断論のそしりを受けるほどに人間の思惟の権能を拡大し、人間主義を基礎づけていった。18世紀に入って啓蒙主義のベーコンもカントもまた「人間の原理」の追究に偉大な業績を残している。

この流れをうけて、18世紀後半から19世紀前半にかけて、活性化してきた市民階級の活動の上に、理想主義による倫理体系を築いたのがヘーゲルであった。彼は、世界を絶対者としての理念の自己展開であるとし、いっさいをその弁証法的発展の一段階として位置づけ、歴史を自由意思の自己展開としてとらえたのである。

しかし、こうした「人間的自由の原理」はそのまま、豊かな人間性に溢れた社会を実現する力とはなりえなかった。市民社会を支える資本主義の経済体制が、しだいに発展して独占資本が形成されるようになると、近代市民社会は、本来、人間的な自由の原理を根本として出発したにもかかわらず、逆に人間の自由を束縛するような体制となってしまった。こうした社会の変貌のなかから、やがて新しいヒューマニズムを標榜するマルキシズムや実存主義哲学が台頭してくる。

一方、新大陸アメリカにおいては、イギリスの経験論、功利主義などの影響を受けながら、これをさらに徹底して現実に即した、プラグマティズムの倫理思想を生みだし、新しい社会の建設が進められていた。しかし、ヨーロッパ大陸の理想主義的合理主義の倫理も、アングロ・サクソンの現実主義的自然主義の倫理も、ともに20世紀の世界を平和に導くことはできなかった。二度にわたる大戦は、これらの倫理思想の矛盾、いいかえると西洋的思考法の行きづまりを露呈したものといえよう。

たとえば、自由国家の代表であるアメリカにおいては、過剰生産と大量失業の問題に悩んできた。その手っとりばやい解決策が戦争であることは周知の事実で、第二次大戦前の経済恐慌からアメリカを救ったものは、ニュー・ディール政策ではなく、実は第二次大戦そのものであったとさえいわれている。ベトナム戦争の場合も、それを非難する国際世論や反動運動の高まりにもかかわらず、その経済体制を維持するために容易に手を引けなかったことが指摘されている。この辺にプラグマティズムの倫理観の限界が顕われているといえよう。

結局、理想主義的合理主義も、現実主義的自然主義も、ともに、人間の自由を標榜しながら、人間存在の究極たる生命の本質を解明した哲理の上から自由を論じていないために、その実践にあっては、逆に人間の自由を著しく束縛する結果に終わっている。

要するに実践の学として倫理学を成立させるには、真実の生命論が絶対不可欠の条件となるのである。

一方、マルキシズムでは、人間の平等を強調し、平等な社会を建設するための教育宣伝は強引に進められていても、自由については極端なまでの抑圧が行なわれている。平等といっても、それは人間性を無視した形式の平等のみであって、かえって実質的不平等を生んでいるともいえる。

今日、核兵器の発達、宇宙開発の進展によって、すでに世界は運命共同体として一体化している。かかる事態にありながら、階級闘争のためには武力行使もいとわないとするマルキシズムの倫理は、全人類を滅亡へと導きかねない戦争の論理であって、これは人倫の敵といわなければならない。事実、ソビエト社会に内在する差別と平等の矛盾は深刻な内政問題となっている。また、人間性を無視した生産機構のため、農業生産の危機を招き、部分的にでも利潤方式の導入を認めざるを得なくなっている。

また、ハンガリー事件、チェコ事件などもマルキシズムの平等の倫理が大きな崩れを見せたものとして象徴的である。結局、マルキシズムにおける倫理学の不在は、人々への説得力を欠き、社会主義社会を実現する上に、大きな蹉跌をきたしているといえよう。

実践の学としての倫理学不在は、実存主義哲学や分析哲学では、さらに顕著となり、全く説得力を失ったものとなっている。実存主義哲学の強力な担い手であるハイデッガーは、「存在と時間」という主著を書き上げてから、「倫理学」の執筆を依頼されたが、もし書物として著わされた倫理学があったとしたら、それは生命なき死物であるとして、これを拒んだという。また分析哲学の創始者として著名なヴィトゲンシュタインにしても、その言語分析という分野の仕事のなかで、言語をもってしては表現できないもの、ただ示されるほかない神秘的なものがあることを述べ、倫理学もその一つであるとしている。

このような西洋思想における倫理学不在は、何を意味しているのであろか。思うに、倫理を人間生活に密着した、必然の実践として理論づけることは、深い人間存在の洞察に基づかなければ不可能である。ハイデッガーにしても、ヴィトゲンシュタインにしても、この不可解な人間存在という深淵を前にして、口をつぐむ以外になかったのであろう。

 

(三)真実の報恩とは

 

これに対して、仏法は演繹的に、しかも具体的な生活のなかから、人間生命と宇宙の本質とを解明し、説き明かしたものである。そして仏道修行によって自己の生命に冥伏している仏界という至高の宝を現実生活の上に開き顕わすことを教えたのである。人間生命を最も尊厳な妙法の当体と開覚することは最高の人間性の確立であり、これこそ至高の倫理観といわなければならない。十界三千の生命哲理からみれば、知恩とは生命に本然的に具わる菩薩界の自覚に通じ、平和な社会を実現しようとする一念といえよう。所詮、権利と義務に終始する限り、その境涯は餓鬼界・畜生界であり、六道の範疇を出ることはできないであろう。

フランス哲学界の雄アンリ・ベルグソンは、民主主義について「それは理想的人間を前提とする」と警告しているが、彼の指摘をまつまでもなく、人間性の基盤を失った現代世界にあって、民主主義はその成立基盤を失ったかに見える。機能的、物質的な現代社会は、マス・メディアの発達と共に、画一的な文化を生み、画一化した生活を大衆に強いるようになった。こうした生活環境のなかから、政治的無関心の大衆が生まれ、大衆の政治参加という民主主義の基礎が揺らいできている。

妙法によって、人間生命の尊厳を確立し、生命の尊重の上に立った自由、平等を、この世界に実現することが今日ほど重要になったときはない。故ジョン・F・ケネディは「人類は戦争に終止符を打たねばならない。さもなくば、戦争が人類に終止符を打つであろう」との言葉を残した。まことに至言というべきであろう。だが惜しいかな彼は、その方途をもたなかった。

人類は五千年の文明が終焉の危機に立ちいたったことを知り、深刻な模索をくりかえしている。そして、その暗黒に差し込んだ生命尊重という一条の光明を指向して時代は、ようやく開けつつあるかに見える。その光明の源をなす実体こそ、東洋哲学の真髄、三大秘法の仏法なのである。

 

 

第一章 流罪について二つの大事を標示

四恩抄   弘長二年正月十六日    四十一歳御作   与工藤左近尉吉隆    於伊豆伊東

  抑此の流罪の身になりて候につけて二つの大事あり、一には大なる悦びあり其の故は此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる、此の娑婆世界の内に百億の須弥山・百億の日月・百億の四州あり、其の中の中央の須弥山・日月・四州に仏は世に出でまします、此の日本国は其の仏の世に出でまします国よりは丑寅の角にあたりたる小島なり、此の娑婆世界より外の十方の国土は皆浄土にて候へば人の心もやはらかに賢聖をのり悪む事も候はず、此の国土は十方の浄土にすてはてられて候・十悪・五逆・誹謗賢聖・不孝父母・不敬沙門等の科の衆生が三悪道に堕ちて無量劫を経て還つて此の世界に生れて候が、先生の悪業の習気失せずしてややもすれば十悪・五逆を作り賢聖をのり・父母に孝せず沙門をも敬はず候なり、故に釈迦如来・世に出でましませしかば或は毒薬を食に雑て奉り或は刀杖・悪象・師子・悪牛・悪狗等の方便を以て害し奉らんとし・或は女人を犯すと云い・或は卑賤の者・或は殺生の者と云い、或は行き合い奉る時は面を覆うて眼に見奉らじとし、或は戸を閉じ窓を塞ぎ、或は国王大臣の諸人に向つては邪見の者なり高き人を罵者なんど申せしなり、大集経・涅槃経等に見えたり、させる失も仏には・おはしまさざりしかども只此の国のくせ・かたわとして悪業の衆生が生れ集りて候上、第六天の魔王が此の国の衆生を他の浄土へ出さじと・たばかりを成して・かく事にふれて・ひがめる事をなすなり、此のたばかりも詮ずる所は仏に法華経を説かせまいらせじ料と見えて候、其の故は魔王の習として三悪道の業を作る者をば悦び三善道の業を作る者をば・なげく、又三善道の業を作る者をば・いたうなげかず三乗とならんとする者をば・いたうなげく、又三乗となる者をば・いたうなげかず仏となる業をなす者をば強になげき事にふれて障をなす、法華経は一文・一句なれども耳にふるる者は既に仏になるべきと思ひて、いたう第六天の魔王もなげき思う故に方便をまはして留難をなし経を信ずる心をすてしめんと・たばかる、

 

現代語訳

抑日蓮がこの伊東流罪の身となったことについて、二つの大事がある。

その第一には大いなる悦びがある。そのゆえはこの世界を娑婆と名づける。娑婆というのは忍ぶということである。故に仏をば能忍と名づけるのである。この娑婆世界の内には百億の須弥山と百億の日月と百億の四州とがあり、そのなかの中央の須弥山・日月・四州に、仏は出現されたのである。この日本の国はその仏が出現された国からみて丑寅の角にあたっている小島である。この娑婆世界以外の十方の国土は皆浄土であるから人の心も穏やかで賢人や聖人をののしったり憎悪することもない。しかしながら、この国土は十方の浄土から捨て果てられてしまった、十悪を犯した者・五逆罪を犯した者・賢聖を誹謗した者・父母に不孝をした者・僧侶を敬わない者などの悪科をなした衆生が、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちて無量劫を経てから、かえって、この娑婆世界に生まれてきたが、前世の悪業の習気が消えないで、ややもすると十悪・五逆罪を作り、賢聖を罵り、父母に孝行をせず、僧侶をも敬わないのである。

故に釈迦如来が世に出現されたところ、ある者は毒薬を食物のなかにまぜて奉ったり、ある者は刀杖・酒で酔わせた狂暴な象・人を食う師子・獰猛な牛・人を害する狂犬などの手段を使って仏を害そうとし、またある者は瞿曇は女人を犯すといい、ある者は身分の卑しい者といい、ある者は瞿曇沙門は殺生をした者であるといい、ある者は仏に行き合うと顔を覆って見まいとしたり、ある者は戸を閉じ窓を塞いだり、ある者は国王・大臣など諸人に向かっては瞿曇は邪見の者であり、高貴な人を罵る者であるなどといったのである。これらのことは大集経や涅槃経などに見えている。これという失も仏にはあるわけはなかったけれども、ただ、この国の悪癖や片輪として、悪業を持った衆生が生まれ集まったうえに、第六天の魔王がこの世界の衆生を他の浄土へ出すまいと謀をなして、このように、事にふれては、非道なことをするのである。

この謀も詮ずるところは仏に法華経を説かせまいとの料簡と見える。その理由は第六天の魔王の常の習いとして三悪道の業を作る者を悦び、修羅、人、天の三善道の業を作る者を嘆く。また三善道の業を作る者にはそれほど嘆かず、声聞、縁覚、菩薩の三乗になろうとする者を大変に嘆く。だがまた三乗となる者にはそれほど嘆かず、仏となる業を作る者を非常に嘆き、事にふれてその妨害をなすのである。法華経は一文一句であっても、それを聞く者は既に仏になるであろうと思って、大変に第六天の魔王も嘆き思うゆえに、方法をめぐらして、種々の難をなし法華経を信ずる心を捨てさせようと企むのである。

 

語釈

此の流罪

伊豆流罪をさす。弘長元年(1261512日~弘長3年(1263222日まで。大聖人が文応元年(1260716日、立正安国を北条時頼に上呈されたがそれから40日あまりの後の827日の夜半、暴徒は松葉ケ谷の草庵を襲撃した。大聖人は幸い難を逃れ、一時鎌倉を離れて下総若宮の富木邸に身を寄せられたが、弘長元年(1261)鎌倉に戻られたところを幕府は逮捕し伊豆の伊東に流罪したのである。

 

娑婆

雑会の意で忍土、忍界と訳す。権教の意においては、もろもろの煩悩を忍受していかねばならないということであるが、妙法を弘通する立場からは、いま「本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを娑婆と云うなり」と仰せのごとく、三障四魔・三類の強敵を耐え忍び、これを乗り越えていかねばならない。

 

能忍

釈迦如来のこと。「能く難を忍ぶ」の意で、仏が誹謗・迫害を忍んでなお一切衆生を救わんとする大慈悲の精神をいう。善無畏三蔵抄には「釈迦如来の御名をば能忍と名けて此の土に入り給うに一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給ふ故なり」(0885:08)とある。

 

須弥山

古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。

 

丑寅

①午前2時~午前4時をいう。②方位・北東を意味する。

 

十悪

十種の悪業のこと。身口意の三業にわたる、最もはなはだしい十種の悪い行為。倶舎論巻十六等に説かれる。十悪業、十不善業ともいう。すなわち、身に行う三悪として殺生、偸盗、邪淫、口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌、心の三悪としては、貪欲、瞋恚、愚癡がある。

 

五逆

五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。

 

誹謗賢聖

仏の教えを弘めていく人を謗ること。誹謗、悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢.・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」(1382)とある。賢聖、賢人と聖人。(1)賢人、賢明で高い人格をもった指導者。聖人が独創的な開拓者であるのに対し、賢人はそれをひきついでいく人を指す。仏法の上では聖人である仏の教えを守り、弘めていく人が賢人といえる。(2)聖人、①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。

 

三悪道

三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。

 

沙門

梵語(śramana)勤足と訳す。勤とはつとめる、励む、息とはとどめる、禁止すること。善を勤め悪を息めること。出家して仏門に入り、道を修める人。僧侶・桑門・出家と同意。

 

毒薬を食に雑て奉り

大方等大集経月蔵分忍辱品に、釈迦の出世に対して、第六天の魔王、悪業を持った衆生などが、毒薬を食事の中に混入したり、悪口・殺害しようなど、種々の難をなしたとある。

 

刀杖

刀杖の難のこと。①勧持品第13に出てくる三類の強敵の第一類、俗衆増上慢が起こす難。②文永元年(1264年)1111日、日蓮大聖人が安房国東条郡(千葉県鴨川市)天津に住む門下、工藤氏の邸宅へ向かう途中、東条の松原大路で、地頭・東条景信の軍勢に襲撃された法難。東条松原の法難とも呼ばれる。門下が死亡し、大聖人御自身も額に傷を負い、左手を折られた。その時の模様は「南条兵衛七郎殿御書」(1498㌻)に記されている。(小松原法難)。

 

悪象

性質狂暴で人畜を殺害する凶悪な象。阿闍世王が提婆達多にそそのかされて、象を酒に酔わせて放ち、仏を殺させようとした。

 

悪牛

凶悪な牛。無間の業をもつ衆生が悪牛をもって釈迦を殺害しようとしたと大集経にある。

 

悪狗

人を殺害する狂暴な犬。無間の業をもつ衆生が悪犬をもって釈迦を殺害しようとしたと大集経にある。

 

卑賎の者

身分の卑しい者。

 

殺生の者

生命を奪う者。十不善業の第一。

 

大集経

方等部に属する経典で、欲界と色界の中間・大宝坊等に広く十法の仏・菩薩を集めて、説かれた大乗教である。欲界とは、下は地獄界から上は天上界までのすべてを含み、食欲や物欲、性欲などの欲望の世界である。色界とは、欲界の外の浄妙の色法、すなわち色質だけが存在する天上界の一部、十八天をいう。これに対して、精神の世界で、天上界の最上である四天を無色界という。大宝坊は欲界と色界の中間にあるとされたのである。漢訳には六種ある。①大方等大集経三十巻、北涼の曇無識訳。②大乗方等日蔵経十巻、高斉の那連提耶舍訳。③大方等大集月蔵経十巻、高斉の邦連提耶舍訳④大乗大集経二巻、高斉の邦連提耶舍訳⑤仏説明度五十校計経二巻、後漢の安世高訳⑥無尽意菩薩経、宋の智厳・宝雲共訳.大聖人の引用は③大方等大集月蔵経。法滅尽品には仏滅後における仏法の推移を五箇の五百歳に分けて説いた予言がある。すなわち「わが滅後に於いて五百年の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固(已上一千年)、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固(已上二千年)、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とある。

 

涅槃経

釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。

 

第六天の魔王

他化自在天王のこと。欲界の天は六重あり、他化自在天はその最頂・第六にあるので第六天といい、そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。三障四魔のなかの天子魔にあたる。

 

三悪道

三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。

 

三善道

三善趣ともいう。六道のなかの修羅・人・天の三趣のこと。三悪道に対する語。悪は苦悩をさし、善は楽しみ、幸せを意味する。自身の業因によって趣く所のゆえに〝趣〟という。修羅は善悪両方に通ずる。

 

三乗

十界のうち声聞・縁覚・菩薩の三をいう。それぞれ、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗という。声聞乗は仏説中の四諦の理を観じて自らの成仏を願い、精進するもの、三生または六十劫の後に解脱する機類をいう。縁覚乗は辟支仏乗ともいい、三界の迷いの因果を十二に分けた十二因縁を観じて、この十二因縁を順次滅し、最後に根本の無明を打ち破り、煩悩を断じ灰身滅智して四生または百劫の後に真の寂滅に帰するものをいう。菩薩乗とは一切衆生を済度することを願い、無上菩提を求め、三阿僧祇百大劫または動踰塵劫などの無量無辺の長い劫の間、六波羅蜜を行じて解脱するものをいう。

 

講義

冒頭にあたって流罪について大いなる悦びと大いなる嘆きの二つの大事があることを標示されている。この章では大いなる悦びを述べられるに際し、正法を行ずる者に対するさまざまな悪逆を、第一は娑婆世界に約し、第二には釈迦仏と第六天の魔王の関係に約してこれを述べ、第二章で末法悪逆の衆生が日蓮大聖人を迫害することの道理を述べられるための下地とされている。

 

此の世界をば娑婆と名く娑婆と申すは忍と申す事なり・故に仏をば能忍と名けたてまつる

 

娑婆世界という国土に約して、難を受けることの道理を示されているのである。

娑婆とは梵語で、訳して忍、勘忍という。したがって、娑婆世界とは、苦悩に満ちた世界であり、人生は、これに堪え忍び、不断に戦っていかなければならない。仏を能忍というのは「能く忍ぶ」すなわち、この苦悩と積極的にとりくみ、師子王のごとく敢然と生きぬいていく力強い人生というのである。

この「忍」とは、苦悩に勝つことを諦め、なるがままにまかせていく、消極的・受け身な弱々しい態度をさすのでは決してない。力強い生命力を湧現し、毅然と、あらゆる苦悩に立ち向かい、これを打ち破っていくことが真実の仏法で説く「忍」であり「能忍」なのである。

「報恩抄」にいわく、「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(0329:05)と。

仏道修行といっても、この現実世界にある苦しみを離れてはありえない。むしろ、苦しみが大きければ大きいほど、そこで戦いきったときの功徳は偉大なのである。

「御義口伝」には「本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを娑婆と云うなり、忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり娑婆とは堪忍世界と云うなり」(0771:第六娑婆是中有仏名釈迦牟尼仏の事)と説かれている。

すなわち、末法において、大仏法を弘通するには大忍辱の力が必要であり、この大忍辱の力をもって妙法を弘通することを娑婆という。しかして、この大忍辱力をもって、大仏法弘通のために戦っていくとき、娑婆世界は即、寂光土とあらわれるとの仰せである。

 

 

第二章 流罪と仏記との合致を挙げる

而るに仏の在世の時は濁世なりといへども五濁の始たりし上仏の御力をも恐れ人の貪・瞋・癡・邪見も強盛ならざりし時だにも竹杖外道は神通第一の目連尊者を殺し、阿闍世王は悪象を放て三界の独尊ををどし奉り、提婆達多は証果の阿羅漢・蓮華比丘尼を害し、瞿伽利尊者は智慧第一の舎利弗に悪名を立てき、何に況や世漸く五濁の盛になりて候をや、況や世末代に入りて法華経をかりそめにも信ぜん者の人に・そねみ・ねたまれん事は・おびただしかるべきか、故に法華経に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」と云云、始に此の文を見候いし時は・さしもやと思い候いしに今こそ仏の御言は違はざりけるものかなと殊に身に当つて思ひ知れて候へ。
  日蓮は身に戒行なく心に三毒を離れざれども此の御経を若しや我も信を取り人にも縁を結ばしむるかと思うて随分世間の事おだやか・ならんと思いき、世末になりて候へば妻子を帯して候・比丘も人の帰依をうけ魚鳥を服する僧もさてこそ候か、日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず只法華経を弘めんとする失によりて妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れり、恐くは在世に釈尊を諸の外道が毀り奉りしに似たり、是れ偏に法華経を信ずることの余人よりも少し経文の如く信をも・むけたる故に悪鬼其の身に入つて・そねみを・なすかとをぼえ候へば是れ程の卑賤・無智・無戒の者の二千余年已前に説かれて候・法華経の文にのせられて留難に値うべしと仏記しをかれ・まいらせて候事のうれしさ申し尽くし難く候、

 

現代語訳

およそ日蓮は身に戒を行ずることもなく、心に貪・瞋・癡の三毒を離れてはいないが、この法華経を多分自らも信じ、人にも縁を結ばせることになると思って……、したがって正しいことをやっているのであるから世間の自分に対する扱いもかなり穏やかであろうと思っていた。いまは世が末になってしまったので、妻子を持っている比丘も人の帰依を受け、魚や鳥を食べる僧でも帰依を受けるのが当たり前となっているではないか。ところが、日蓮はそうした妻子も持たず、魚や鳥をも食べず、ただ法華経を弘めようとしているだけで、それを失にされて、妻子を持たずして犯僧の名が国中に満ち、螻や蟻さえも殺さないのに悪名は天下にはびこってしまった。恐らくは在世に釈尊を諸の外道が毀ったことに似ている。これは偏に法華経を信ずることが、人よりも多少経文通りに正しく信を向けたゆえに悪鬼が世間の身に入って、嫉妬するのであるかと思われる。そう考えればこれほどの卑しく無智・無戒の僧である自分のことが、二千余年も以前に説かれた法華経の文に載せられ、法華経の行者は必ず留難に値うであろうと仏が記し遺されたことの嬉しさはいい尽くし難いことである。

 

語釈

五濁

劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」とある。

 

邪見

仏教以外の低級・邪悪な教え。総じて真理にそむく説のこと。外道の輩が仏教を誹謗していう言葉。

 

杖外道は神通第一の目連尊者を殺し

目連尊者は摩訶目犍連のことで、釈迦十大弟子の一人、神通第一といわれた。釈尊の入滅前、日連は羅閲城に入って托鉢していたが、このとき、仏教徒を憎んでいたバラモンの一派、竹杖外道に囲まれた。いったんは脱出したが、過去の宿業と知って自ら戻り、殺されることによって宿業を消した。竹杖外道はこの罪により無間地獄に堕ちた。増一阿含経十八巻第十八の四意断品第二の十六の一にある。

 

阿闍世王は悪象を放て三界の独尊ををどし奉り

阿闍世は梵語。未生怨、法逆と訳す。頻婆沙羅王の子。仏在世及び滅後における摩訶陀国の王。ここにあるのは、釈迦の九横の大難の一つで、阿闍世王が提婆達多にそそのかされて、仏弟子である父王を殺して王位につき、さらに釈尊を殺して提婆を新仏にしようとし、酔象を放ち仏を殺させようとしたことをいう。釈尊は城内に五百人の弟子を連れ、乞食行をしていた。阿闍世王は悪象に酒を飲ませ、鼻に利剣を結び付けて放った。酒に酔った悪象は、はるかに釈尊をみると耳をふるい、鼻を鳴らして走ってきた。阿難を除き、余の弟子はみな逃げ散った。阿難は早く遠ざかることを願ったが、逆に釈尊に「如来を信じないのか」とたしなめられ、慈心三昧に入り、神通力をもって如来の五指より五師子王を化作し、左右から酔象に飛びかからせた。また象のうしろに大きな火が燃えたぎる坑を作った。悪象は進むことも、退くこともできず、地にひざまずいてしまった。そして「汝よ竜を害することなかれ、竜の現わるるはなはだ難し、竜を害せざるによりて、なんじ善所に生まるるをえん」との仏の偈を聞き、象は自ら剣を解き、釈尊に向かってひざまずき、鼻を仏の足にすりつけたという。如来は金剛身であり、いかなる怨敵も仏身を害することはできないことに譬えたもの。涅槃経にある。

 

提婆達多は証果の阿羅漢・蓮華比丘尼を害し

提婆達多は調達ともいい、天熱と訳す。斛飯王の子、阿難の兄であり、釈尊の従弟にあたる。その出生のとき、諸天は提婆が成長してのち、三逆罪を犯すことを知って、心に熱悩を生じたので、天熱と名づけられたという。外道の六万蔵を誦持し、出家して神通を学んだが、心が憍慢で大衆の前で釈尊に叱責されたのを恨み、師に敵対し、三逆罪を犯した。その第一に、大衆に囲繞されれば仏と同じであると考えて、釈尊の和合僧団を破り五百の弟子を得た。破和合僧の罪である。第二に、山石を押して仏を圧死させようと、耆闍崛山の上から釈尊めがけて大石を落としたが地神がそれをうけとめた。その砕石が飛び散って釈尊の足指を傷つけた。出仏身血の罪である。第三がここに述べられているもので、摩訶摩耶経巻下にある。はじめ提婆にだまされて謗法を犯した阿闍世が、ついには改心して釈尊に帰依した。あるとき、提婆は王に会うために王舎城にやってきた。ところが王に城へ入ることを拒まれ苦悩しているとき、王宮よりでてきた蓮華比丘尼に、面と向かって謗法を責められたので、提婆は怒り蓮華比丘尼をなぐり殺してしまった。蓮華比丘尼は、蓮華色比丘尼ともいい、目連の化導によって釈尊に帰命し、修行の末、阿羅漢果を得た。したがって、彼女を殺すことによって、五逆罪の一つ、殺阿羅漢の罪を犯したのである。

 

瞿伽利尊者は智慧第一の舎利弗に悪名を立てき

瞿伽利は梵語。悪時者、守牛と訳す。釈迦族の出で、浄飯王の命により出家して仏弟子となるが、のちに提婆達多を師匠とする。提婆達多の弟子瞿伽利は常に舎利弗・目連の過失を求めていた。二人はある夜、雨に値って陶師の家に雨宿りした。暗中だったので、先に女人が雨宿りしているのを知らないでいた。女人が朝、洗濯しているのを証拠として、瞿伽利は、男女三人で不浄行をしたと二人を謗った。梵天はそうでないことをさとし、釈尊もまた三度、瞿伽利を呵責したが受けつけなかった。瞿伽利はのちに、全身に悪瘡を生じ、叫喚しながら死んで堕獄した。竜樹の大智度論巻十三にある。

 

戒行

戒律を守って仏道修行すること。

 

比丘

ビクシュ(bhiku)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。

 

犯僧

破戒の僧。

 

螻蟻

ハチとアリのこと。取るに足りない小さなもの。

 

無戒

「戒」とは戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。もともと戒を受けないものをいう。

 

講義

この章では第一章をうけて、在世と末法とを相対し、「猶多怨嫉」の予言をご自身が身をもって読んでいることを述べられている。そして、この大聖人のお振舞いを、二千余年も昔に仏が予言しておいてくれたことに深い悦びを述べられているのである。

 

今こそ仏の御言は違はざりけるものかなと殊に身に当つて思ひ知れて候へ

 

伊豆流罪によって、今こそ「猶多怨嫉況滅度後」との法華経法師品の経文を色読しているのであるとの仰せである。

いうまでもなく、日蓮大聖人の御本仏としての開顕は、文永8年(1271912日、竜の口の法難における発迹顕本である。しかし、これは一往の上のことであって、再往より拝するならば日蓮大聖人のご生涯は、あくまでもはじめから御本仏としてのお振舞いなのである。

弘長年間の御書、とくに伊東における御述作には、その御確信にあふれた御抄と拝されるものが多いが、明らかに御自身の内証を述べられた御書は「船守弥三郎許御書」(1446)である。「過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり、法華経の一念三千の法門・常住此説法のふるまいなり、かかるたうとき法華経と釈尊にてをはせども凡夫はしる事なし(中略)凡夫即仏なり・仏即凡夫なり・一念三千我実成仏これなり」(1446:04)と。

 

是れ偏に法華経を信ずることの余人よりも少し経文の如く信をも・むけたる故に云云

 

過去にも法華経を信じ持った人は多い。しかし「経文のごとく」すなわち、「正直捨方便」また「不受余経一偈」の仏の教えのとおりに信じた人はなかった。したがって、法華経を讃すと雖も還って法華の心を死す結果となり、成仏の道とはならなかったのである。

この文は「余人よりも多し」と、謙遜したいい方をされているが、これは、大聖人が初めて法華経を正しく読み、成仏の大道を確立された御本仏であることを示されていると拝すべきである。

このことは、また次下の文に「仏記しをかれ・まいらせて候事のうれしさ」とあるように、所詮、法華経といえども、末法に凡夫僧として御出現になる、日蓮大聖人への予言書なのである。ここに、法華経の実義は、日蓮大聖人のお振舞いを証明することにあり、大聖人こそ、末法の御本仏であることが明瞭であろう。

 

 

第三章 法華経の行者の立証を悦ぶ

此の身に学文つかまつりし事やうやく二十四五年にまかりなるなり、法華経を殊に信じまいらせ候いし事はわづかに此の六七年よりこのかたなり、又信じて候いしかども懈怠の身たる上或は学文と云ひ或は世間の事にさえられて一日にわづかに一巻・一品・題目計なり、去年の五月十二日より今年正月十六日に至るまで二百四十余日の程は昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候、其の故は法華経の故にかかる身となりて候へば行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ、人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき。
  凡夫の習い我とはげみて菩提心を発して後生を願うといへども自ら思ひ出し十二時の間に一時・二時こそは・はげみ候へ、是は思ひ出さぬにも御経をよみ読まざるにも法華経を行ずるにて候か、無量劫の間・六道・四生を輪回し候いけるには或は謀叛をおこし強盗・夜打等の罪にてこそ国主より禁をも蒙り流罪・死罪にも行はれ候らめ、是は法華経を弘むるかと思う心の強盛なりしに依つて悪業の衆生に讒言せられて・かかる身になりて候へば定て後生の勤には・なりなんと覚え候、是れ程の心ならぬ昼夜十二時の法華経の持経者は末代には有がたくこそ候らめ、

 

現代語訳

この身に仏法を学ぶこと漸く245年になる。そのうちでも法華経をとくに信じまいらせたのはわずかにこの67年以降のことである。また信じてはいたけれども懈怠の身である上に、あるいは研究のことやあるいは世間の事に妨げられて法華経に打ち込むことは一日にわずかに一巻・一品・題目ばかりであった。だが去年の弘長元年(1261512日伊豆流罪の日から今年の正月16日に到るまでの240余日の間は、昼夜ひまなく法華経を修行していると確信している。そのゆえは法華経のゆえに、このような流罪の身となったのであるから、これこそ、行住坐臥に法華経を身で読み、行じていることになるのである。人間世界に生を受けて、これほどの悦びがほかにあるであろうか。

凡夫の習いとして、普通の人は、自ら励んで菩提心を発して、後生を願うといっても、自ら思い出して十二時のうちには一時か二時ぐらい励むにすぎないであろう。だが日蓮は、思い出さなくとも法華経を読み、口に読まなくとも法華経を行じていることになっているのである。考えてみれば過去無量劫の間・六道・四生を輪廻していた時には、あるときは謀叛を起こし・あるときは強盗・夜打ちなどの罪でこそ国主から処罰を受け、流罪・死罪に処せられたことであろう、ところがこのたびの処罰は法華経を弘めようと思う心が強盛であったことによって、悪業の衆生に讒言されて、このような流罪の身となったのであるから、必ず後生の成道のための勤めになるだろうと確信する。これほど作為のない、昼夜十二時休むことなく、法華経を行じている持経者は末代にはほかに絶対にないことではないか。

 

語釈

懈怠

おこたること、なまけること、低い教えは民衆を幸福にすることを怠る懈怠の法である。

 

昼夜十二時

昔のひと時は2時間になる。したがって24時間・一日中。ひままく。

 

行住坐臥

①行く・住む・坐る・臥す。②行・住・坐・臥。③日常の生活のすべて。

 

菩提心

悟りを求めて仏道を行ずる心。菩提は梵語ボーディ(bodhi)の音写で、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種ある

 

後生

三世のひとつで、未来世、後世と同じ。未来世に生を受けること。今生に対する語。

 

六道

十界のうち、前の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を六道という。

 

四生

四生は、衆生の四種の産生の意と、四たび生を受けるの意とがある。ここでは四種の産生の意で、卵生・湿生・胎生・化生をいう。①卵生は鳥のように卵から生まれ、②湿生は虫のように湿気の多い処から生まれ、③胎生は人間や獣のように母胎から生まれるもの、④化生とは諸天、地獄、中有及び劫初の衆生のように、他に託するところがなく、過去からの自らの業の力によって忽然と生まれるもの。倶舎論巻八に「何が化生なる、謂わく有情の類い生ずるに所託なし、是れを化生と名づく」とある。なお阿毘達磨集異門足論巻九によると、地獄界は化生、餓鬼界は胎生・化生の二生、畜生界・修羅界・人界は卵生・胎生・湿生・化生の四生、天界は化生とされている。

 

講義

この章では日蓮大聖人のお振舞いが、自然のうちに一切、法華経を身読していることになっていると申されている。

すなわち、大聖人が法華経を読まれるのは天台・伝教等の読み方とは全く異なる。天台や伝教のような学問のしかたからいうならば、一日にわずか一巻・一品・題目ばかりで、とうてい比較にならない。そのような理の学問は、大聖人においては問題とするに足りないのである。

いま本文で「去年の五月十二日より今年正月十六日に至るまで」と仰せられているのは、弘長元年五月十二日、伊豆配流より、この御抄をしたためられているときに至る、流罪地での御生活をいう。この流罪それ自体が、法華経のゆえの難であるから、毎日の行住坐臥は全て、法華経を読み、行じていることになっているとの仰せである。

したがって、われら末弟も、大聖人と同じく不惜身命の決意と実践に立ったときには、その全ての振舞い、言動が、自然のうちに、妙法に叶い、大宇宙のリズムに合致した、絶対的幸福の境涯となっていくことを知るべきである。

 

是れ程の心ならぬ昼夜十二時の法華経の持経者は末代には有がたくこそ候らめ

 

「心ならぬ」とは、自分で、そのように振舞おうと努力したり、作為したりしないで、自然に、法華経の行者としての振舞いになっているという意味である。

かつて、第二代戸田会長は「仏の慈悲とは、頭で考えて、慈悲を与えようなどとするものではない。仏の一切の活動が、無意識のうちに慈悲の行動となっているのである」との意味のことを教えられたことがある。

いまの「心ならぬ法華経の持経者」というも全く同じである。大聖人の生命のリズムそれ自体が、知らず識らずのうちに、妙法となっているのである。

「三世諸仏総勘文抄」にいわく「一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可らず思うと思い言うと言い為すと為し儀いと儀う行住坐臥の四威儀の所作は皆仏の御心と和合して一体なれば過も無く障りも無き自在の身と成る此れを自行と云う」(570:01)と。

自行とは、仏の随自意の振舞いであり、この総勘文抄の御文と考え合わせるとき「心ならぬ法華経の持経者」と申されている、本抄のお言葉のなかに、すでに御本仏としての境涯が現れていると拝せるではないか。

しかして「末代には有りがたくこそ候らめ」とは、末法今時において、そのような法華経の行者は、他にはないということであり、すなわち、末法の御本仏であるとの御確信と拝察することができるのである。

 

 

第四章 悪逆の国主に約して知恩を述べる

又止事なくめでたき事侍り無量劫の間六道に回り候けるには多くの国主に生れ値ひ奉りて或は寵愛の大臣・関白等ともなり候けん、若し爾らば国を給り財宝・官禄の恩を蒙けるか・法華経流布の国主に値ひ奉り其の国にて法華経の御名を聞いて修行し是を行じて讒言を蒙り流罪に行われまいらせて候国主には未だ値いまいらせ候はぬか、法華経に云く「是の法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得べからず何に況んや見ることを得て受持し読誦せんをや」と云云、されば此の讒言の人・国主こそ我が身には恩深き人には・をわしまし候らめ。

 

現代語訳

また、格別に悦ばしいことがある。それは無量劫の間、六道を輪廻してきた間には、多くの国主に生まれ値い、あるいは国王に寵愛された大臣や関白等にもなったであろう、もしそうであれば領国を賜わり財宝や官禄の恩を受けたことであろう。だが法華経流布の国主に値い、その国において法華経の御名を聞いて修行し、法華経を行じて人に讒言され、流罪に処してくれた国主には、いまだに値ったことはなかったのである。法華経安楽行品には「この法華経は無量の国中において、その名字をも聞くことができない。ましてや見ることを得て受持し読誦することのできないのはいうまでもない」と述べられている。それゆえ、この讒言の人や国主こそ、わが身にとっては法華経を身読させてくれた恩の深い人であるといえよう。

 

語釈

止事なく

止事は「やむこと」「やんごと」の当て字。格別に、との意。

 

大臣・関白

大臣とは律令制における最高機関で、太政官を統括する上官であり、太政大臣、左・右大臣、内大臣のこと。関白とは律令に規定されない令外官で、天皇を補佐して政務を執行した重職であり、太政大臣の上に位した。関白の語は宇多天皇の世に発せられた詔にはじまり、江戸時代末にまで及んだ。ここでは最高の官職の意で使われている。

 

講義

大聖人は、いま伊豆流罪という難にありながら、この難に処した当時者である国主について「恩深き人」と申されている。そのゆえは、法華経を身読させてくれた人だからである。

ここで、国主とは、いうまでもなく、北条執権をさしておられる。決して、天皇のことを述べられているのではない。この時代、実権の権限は鎌倉幕府にあり、京の朝廷は、全くの有名無実であったからである。形式主義や名目にはとらわれず、実質主義に立って論じていかれるのが大聖人の御精神であることを知らねばならない。

いま大聖人を讒言した念仏者や執権長時等は、正法を弘通する大聖人に対し迫害を加えた者であるから、一往は、魔の働きであり、悪知識とみなすことができよう。しかし、再往、これを考えるならば、この難を受けることによって正法を修する者は、過去遠遠劫の罪障を消滅し一生成仏することができるから、これ善知識の働きとなるのである。

「種種御振舞御書」には「されば国主等のかたきにするは既に正法を行ずるにてあるなり、釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり(中略)日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(0917:04)と善知識についてのご教示がある。

翻ってわれわれの信心に約すならば、創価学会の真の目的も知らずわれわれの信心を妨げ、悪口したり、いやがらせをする者は、皆、善知識であり、われわれの仏道修行を全うさせてくれる働きをなすのである。

およそ、今日まで創価学会の歴史のなかで、折伏を行じたときに讃嘆され、感謝されることはほとんどまれであった。のちに入信し功徳に浴したときは感謝されるが、折伏にあたっては、ほとんどの場合、怨嫉され、悪口されたのであった。また、一家にあっても、一生懸命まじめに信心しようとするわが子を両親が反対したり、あるいは逆に親が信心したがっているときに、子供達がこれを妨げるなどの、さまざまな姿がある。

しかし、仏法の生命論よりこれを見るならば、これこそ善知識であり自己の偉大な人間革命をなしとげる機縁なのである。したがって、決して怖れたりひるんだりしてはならない。

むしろ、妨害されればされるほど信心に励むことによって、自己の宿命転換も成しとげられ、また反対し妨害した人々も最後には必ず信心を起こし、成仏への道を歩みゆくことができるのである。

峻厳な尾根を登らずして、高峰をきわめた登山の醍醐味は味わえない。同様に障魔の嵐が激しければ激しいほど、その激闘のなかで磨かれた信行学の力は大きい。結局、激しい障魔といえども、信心があるならば大きな善知識となるのである。

日々の生活にあっても、希望にあふれた忍耐強い実践をつみ重ねてゆくことが、信心即生活の偉大な勝利をもたらすことを確信して前進してゆくべきである。

 

若し爾らば国を給り財宝・官禄の恩を蒙けるか

 

人生において、真に尊いものは、権力や財産、栄誉などではない。これらは無常の福徳であり、やがて、はかなく消えさってしまうものである。妙法を受持し、人々から悪口され、迫害を受けながら、しかも身命を惜しまず流布していくことこそ、無上最高の福徳であり、永遠に消えることのない財産であり名誉なのである。

「宝軽法重事」にいわく、「一切の仏を尽して七宝の財を三千大千世界にもりみてて供養せんよりは・法華経を一偈或は受持し或は護持せんはすぐれたり」(1475:01)と。

三千大千世界に山盛りに満たした金・銀等の宝を、一切の仏のそれぞれに供養するよりも「法華経の一偈」すなわち、南無妙法蓮華経の大白法を受持し護持することの方が、はるかに勝れているとの仰せである。

いま、三大秘法の御本尊を受持し、末法化儀の広布に邁進する、われらの福運と栄誉こそ、至高無上であり、他のなにものにもかえられないことを深く自覚すべきであろう。

 

 

第五章 四恩を示し真実の報恩を述べる

仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候か、四恩とは心地観経に云く一には一切衆生の恩、一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき、二には父母の恩、六道に生を受くるに必ず父母あり、其の中に或は殺盗・悪律儀・謗法の家に生れぬれば我と其の科を犯さざれども其の業を成就す、然るに今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり、梵天・帝釈・四大天王・転輪聖王の家に生まれて三界・四天をゆづられて人天・四衆に恭敬せられんよりも恩重きは今の某が父母なるか、三には国王の恩、天の三光に身をあたため地の五穀に神を養ふこと皆是れ国王の恩なり、其の上今度・法華経を信じ今度・生死を離るべき国主に値い奉れり、争か少分の怨に依つておろかに思ひ奉るべきや、四には三宝の恩、釈迦如来・無量劫の間・菩薩の行を立て給いし時一切の福徳を集めて六十四分と成して功徳を身に得給へり、其の一分をば我が身に用ひ給ふ、今六十三分をば此の世界に留め置きて五濁雑乱の時・非法の盛ならん時・謗法の者・国に充満せん時、無量の守護の善神も法味をなめずして威光・勢力減ぜん時、日月光りを失ひ天竜雨をくださず地神・地味を減ぜん時、草木・根茎・枝葉・華菓・薬等の七味も失せん時、十善の国王も貪瞋癡をまし父母・六親に孝せず・したしからざらん時、我が弟子無智・無戒にして髪ばかりを剃りて守護神にも捨てられて活命のはかりごとなからん比丘比丘尼の命のささへとせんと誓ひ給へり、又果地の三分の功徳・二分をば我が身に用ひ給ひ、仏の寿命・百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩をば四大海の水を硯の水とし一切の草木を焼て墨となして一切のけだものの毛を筆とし十方世界の大地を紙と定めて注し置くとも争か仏の恩を報じ奉るべき、法の恩を申さば法は諸仏の師なり諸仏の貴き事は法に依る、されば仏恩を報ぜんと思はん人は法の恩を報ずべし、次に僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す、譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず、故に大集経に云く五箇の五百歳の後に無智無戒なる沙門を失ありと云つて・是を悩すは此の人仏法の大燈明を滅せんと思えと説かれたり、然れば僧の恩を報じ難し、されば三宝の恩を報じ給うべし、古の聖人は雪山童子・常啼菩薩・薬王大士・普明王等・此等は皆我が身を鬼のうちかひとなし身の血髄をうり臂をたき頭を捨て給いき、然るに末代の凡夫・三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん、然るに心地観経・梵網経等には仏法を学し円頓の戒を受けん人は必ず四恩を報ずべしと見えたり、某は愚癡の凡夫・血肉の身なり三惑一分も断ぜず只法華経の故に罵詈・毀謗せられて刀杖を加えられ流罪せられたるを以て大聖の臂を焼き髄をくだき・頭をはねられたるに・なぞらへんと思ふ、是れ一つの悦びなり。

 

現代語訳

仏法を習う身としては必ず四恩を報ずべきが道理であろう。四恩とは心地観経によれば、一には一切衆生の恩である。一切衆生がいなければ菩薩の四弘誓願の一つである衆生無辺誓願度の願いを発すことは難しい。また正法誹謗の悪人がいなくて菩薩に留難を加えないならば、どうして功徳善根を増していくことができようか。

二には父母の恩である。われらが六道に生まれるためには必ず父母がある。そのなかにおいて、殺生や盗みを犯した家、畜類の屠殺を職業とする家、謗法の家等に生まれたならば、自分でそれらの罪を犯さなくとも、その宿縁によって、悪業を作ってしまう。しかるに、今生の父母は私を産んで法華経を信ずる身としてくれたのである。故に梵天・帝釈・四大天王・転輪聖王の家に生まれて欲界・色界・無色界の三界や四天下をゆずられて、人界・天界の四衆に鄭重に敬われるよりもさらに恩の重いのは、現在の私の父母である。

三には国王の恩である。天に輝く日、月、星の三光によってわが身を暖め、大地に育つ米、麦、粟、黍、豆の五穀で生命を養っていくことができるのは皆これは国王の恩によるのである。そのうえ今度法華経を信じ、このたび生死の具縛を離れることができる善知識の国主に値えたのである。どうして多少の怨によってこの国王の恩をおろそかに思うことができようか。

四には仏・法・僧の三宝の恩である。はじめに仏の恩を述べれば、釈迦如来は無量劫の間、菩薩の修行を立て給うときに、その修行によっていっさいの福徳を集めて、これを六十四に分けて功徳を身に得られたのである。だがそのうちの一分だけを自分のために用いられ、今残りの六十三分をこの娑婆世界に留め遺して、末法の五濁雑乱のとき、非法が盛んになるであろうとき、謗法の者が国中に充満するとき、無量の守護の諸天善神も正法の法味を受けることができずに威光勢力が減ずるであろうとき、日や月は光りを失い、天竜は雨を降らさず、地神は大地の養分を滅ずるとき、草木の根、茎、枝、葉、華、菓、薬等の七つの味もなくなるとき、過去世に十善戒を持った果報で今生に国王と生まれたその国王までもが貪瞋癡の三毒を増し、衆生は父母に孝を尽くさず六親が互いに不和になるとき、そうしたなかで仏の弟子が無智で無戒のまま髪ばかりを剃り、形式だけの出家となったため守護の諸天善神にも捨てられて、生命をつないでいく手段のない僧や尼僧に対して、その六十三分の福徳によって、かれらの命を支えようと誓われたのである。また仏は、成道によって得た果徳の寿命を三つに分け、その功徳の三分の二を自身のために用いられ、本来仏の寿命は百二十歳までこの世にいられるところであったが、八十歳で入滅し残るところの四十年の寿命を後世に留め置いて、われらに与えられたのである。したがって、その恩というものは四大海の水を硯の水とし、いっさいの草や木を焼いて墨を作り、いっさいのけだものの毛を集めて筆とし、十方世界の大地を紙として書き残しても、どうして仏の恩に報いることができようか。

法の恩を述べるならば、法はいっさいの諸仏の本師である。諸仏が貴いことは法によるのである。それゆえに仏の恩に報いようと思う人は法の恩を報いるべきである。

次に僧の恩についていえば、仏宝、法宝の二宝は必ず僧によって、後世に伝えられるのである。譬えば薪がなければ火はあり得ないし、大地がなければ草木は生えることができない。仏法があっても、真実の僧がいて習い伝えなければ正法・像法二千年を過ぎて末法へも伝わるということはできない。故に仏は大集経に「五箇の五百歳の後の末法に無智無戒の僧に対して罪があるといって、その僧を悩ますならば、この人は仏法の大燈明である正法を滅ぼすと思いなさい」と説かれている。したがって真実の僧の恩を報ずるのは実に難しい。

それゆえなおのこと三宝の恩を報じなさい。昔の聖人には雪山童子、常啼菩薩、薬王菩薩、普明王などという人々がいるが、これらの人は皆、わが身を鬼神の餌食とし、身の血液と骨髄を婆羅門に与え、臂を燃やして供養し、頭を捨てたのである。そのようにして三宝の恩に報いようとしたのである。しかるに末法の凡夫は三宝の恩を受けるばかりで、三宝の恩を報じない。それでは、どうして仏道を成ずることができようか。しかるに心地観経や梵網経等には「仏法を学び、大乗円頓の戒を受ける人は必ず四恩を報じなさい」と説かれている。

日蓮は愚癡の凡夫で人と変わらぬ血肉の身である。見思・塵沙・無明の三惑の一分も断じていないが、ただ法華経を弘めるゆえに、罵詈・毀謗され、刀杖を加えられ、流罪されたことをもって、昔の大聖が臂を焼き髄をくだき頭をはねられたことに、なぞらえようと思う。これが第一の大いなる悦びなのである。

 

語釈

心地観経

唐の般若訳、8巻。大乗本生心地観経の略称。報恩の道について四恩が示され、次に出家の修行が説かれ、阿練若の静かな所に住して心を観ずる功徳が明かされている。また、心地の理について、三界の中には唯心を以て主とし、心を名づけて地とするとされている。

 

衆生無辺誓願度

「衆生の無辺なるを度せんと誓願す」と読む。いっさいの衆生を全て済度しようと誓うこと。菩薩の四弘誓願の一つ。

 

菩薩

菩薩薩埵(bodhisattva)の音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。

 

悪律儀

律儀とは身口意の過失を防護するための禁戒。善律儀に対する語。ここでは屠畜等を職業とする者をさす。

 

四大天王

帝釈天の外将。須弥山の中腹に由健陀羅やまがあり、この山に四頭あって、ここを四天王といい、東方に持国天、南方に増長天、西方に広目天、北方に多聞天が位置する

 

転輪聖王

インド古来の伝説で武力を用いず正法をもって全世界を統治するとされる理想の王。七宝および三十二相をそなえるという。人界の王で、天から輪宝を感得し、これを転じて一切の障害を粉砕し、四方を調伏するのでこの名がある。その輪宝に金銀銅鉄の四種があって、金輪王は四州、銀輪王は東西南の三州、銅輪王は東南の二州、鉄輪王は南閻浮提の一州を領するといわれる。

 

三界

欲界・色界・無色界のこと。生死の迷いを流転する六道の衆生の境界を三種に分けたもの。欲界とは種々の欲望が渦巻く世界のことで、地獄界・餓鬼界・修羅界・畜生界・人界と天界の一部、六欲天をいう。色界とは欲望から離れた物質だけの世界のことで、天界の一部である四禅天をさす。無色界とは欲望と物質の制約を超越した純然たる精神の世界のことで、天界のうちの四空処天をいう。

 

四天

四天王、四大天王の略。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。

 

四衆

比丘(出家の男子=僧)、比丘尼(出家の女子=尼)、優婆塞(在家の男子)。優婆夷(在家の女子)をいう。

 

三光

太陽、月、明星の三つをいう。

 

五穀

主食として用いられた五種類の穀物。米・麦・粟・黍・豆。

 

①心の働きを司るもの。霊魂・精霊。②精神・気力。③心識・神識・霊妙な働き。④素質・天分。

 

生死を離るべき国主

大聖人のための善知識となり、成仏を成就させた国主。大聖人を迫害した北条執権のこと。種種御振舞御書には「日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。」(0917:07)とある。

 

六十四分

大方等大集経巻五十に「一々の花果・衆味・精気に於いて六十四分の中、其の一分の精気を取りて以て身命を活し、余の六十三分を留めて衆生を活し、安楽を受けしむ」とあるが、これをさしている。

 

果地の三分の功徳云云

大集月蔵経十に「先の仏の作さざる者、我れ今衆生の為に、身・寿命を棄捨し、三精気を増さん為に衆生を悲愍す。故に寿の第三分を捨て、法が法海をして満たしめ、諸の天人を洗浴す。過去の諸の如来、寿に依って滅度したまへり」との文を転用して、仏の果報として受けた三分の功徳、すなわち寿命百二十歳を、自らのためにその三分の二の八十歳を、残りの三分の一の四十歳を滅後の衆生のために残されたとの意。

 

五濁雑乱

五濁が入り乱れていること。五濁は劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」(717:15)とある。

 

非法

仏の正法にそむく行為や制法。社会の道理に反した行為、制度。

 

守護の善神

諸天善神のこと。梵天・帝釈・天照太神・八幡大菩薩・四天王をはじめとする一切の諸天・諸菩薩の総称。法華経の行者を守護し、民衆・国土を守り、福をもたらす働きを持つ。安楽行品には「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し」とあり、法華経の行者の守護を誓っている。立正安国論には「倩ら微管を傾け聊か経文を披きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る」(0017:12)とあり、世の人々が正法に背く時には、善神は法味に飢えて守護の国土を捨てて天界の本地に戻ってしまい、その代わりに神社・仏閣には悪鬼・魔神が住んで、種々の災禍が起こる。

 

天竜

天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅迦等の八部衆。

 

地神

大地をつかさどる神のこと。地祇、地天ともいう。仏教では守護神とされ、釈尊が降魔成道の時、地中から現れ出でて、その証明をし、また転法輪を諸天に告げたりしたと伝えられる。

 

十善

十善戒のこと。正法念処経巻二に説かれている十種の善。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。身・口・意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で、十善道ともいう。大乗在家の戒。十善戒を持った者は、天上に生じては梵天王となり、世間に生じては転輪聖王となる等と説かれている。

 

六親

妻(夫)・父母・子供・兄弟等。一般には六親等までの血縁者。

 

四大海

古代インドの世界観で、須弥山をめぐる四方の大海。須弥山を中心としてそれぞれに一つの大洲を浮かべ全体を鉄囲山に囲まれた大海をいう。

 

五箇の五百歳

釈尊滅後の時代を500年ごと5つに区切って、仏法流布の時代的推移を説き明かした中の第5番目。この時代は、仏法者が互いに自宗に執着して他人と争い、釈尊の正しい仏法が隠没する時代でありこれを「闘諍言訟・白法隠没」という。また、この時代は末法の正法たる日蓮大聖人の仏法がおこる時代でもある。

 

雪山童子

釈尊が因位の修行をしたときの名。涅槃経巻十四等にある。釈尊は過去の世に雪山で法を求めて修行していた。ここで木の実を食べ、思惟坐禅して無量歳を経た。ある時、帝釈天が羅刹に化身して現れ、童子に向かって過去仏の説いた偈を「諸行無常・是生滅法」と半分だけを述べた。これを聞いた童子は喜んで残りの半偈を聞きたいと願い、この身を捨て、羅刹に食せしめることを約束して半偈の「生滅滅已・寂滅為楽」を聞いたのである。童子はその偈を石、壁、樹、道に書写してから高い樹に登り、身を投げた。その時、羅刹は帝釈天の姿に戻り、童子の体を受け止め大地に置き、その不惜身命の姿勢をほめて、未来に必ず成仏するであろうと説いて姿を消したという。

 

常啼菩薩

梵名サダープララーパ(Sadāpralāpa)。薩陀波倫と音写する。大般若波羅蜜多経巻三百九十八に「常啼菩薩摩訶薩は本・般若波羅蜜多を求むる時、身命を惜まず珍財を顧みず名誉に徇わず恭敬を希わずして、般若波羅蜜多を求む」とある。常啼の名の由来については、大智度論巻九十六に「其の小時に喜んで啼きしを以ての故に常啼と名づく」とあり、衆生が悪世にあって、貧窮し、老病し、憂苦するのを見て悲しみ、啼いて法を求めたゆえにこの名があるという。

 

薬王大士

薬王菩薩。法華経薬王菩薩本事品第二十三にある。過去、日月浄明徳仏の世に一切衆生憙見菩薩が出現し、仏から法華を聞いて、現一切色身三昧を得た。日月浄明徳仏の入滅を悲しみ、身を以って供養しようと、自らの臂を七万二千歳のあいだ焼き、供養した。釈尊は、一切衆生憙見菩薩とは今の薬王菩薩であると明かし、この供養は三千大千国土の珍宝を供養するよりも勝ると説いた。

 

普明王

梵名シュルタソーマ(Śrutasoma)。須陀須摩と音写し、須陀摩と略す。普明王は意訳。釈尊が過去世で国王として尸羅波羅蜜の修行をしていた時の名。普明王は、精進してつねに些細な約束事でも破らず、持戒波羅蜜を修したという。あるとき、斑足王に捕われ、他の九百九十九人の諸王とともに首を斬られるところであったが、一人の僧への供養をする約束をはたすために七日間の猶予を乞い、斑足王は帰国を許した。普明王は、彼の僧に供養をし、王位を太子に譲って約束の七日目に王のもとにもどった。斑足王はその正直さにうたれて、普明王のみならず他のすべての王をも許したという。賢愚経巻十一、大智度論巻四等にある。

 

うちかひ

昔、旅人などが、食糧や金銭その他貴重品を入れて腰に巻きつけた袋のこと。ここでは鬼の餌食となるとの意。

 

梵網経

「梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十」上下2巻の略。下巻を特に「菩薩戒経」とよぶ。梵網経すべてを翻訳すると12061品となるが、鳩摩羅什が長安で同経中の菩薩心地戒品第十のみを訳出した。梵網とは仏が衆生の機根に合わせて教を設け、病に応じて薬を与えて、一人も漏らさず彼岸に達せしめることが、あたかも大梵天王の因陀羅網のようであるということから名づけられた。この経の教主は蓮華台蔵世界において成道した報身仏の盧舎那仏であり、釈迦応化身の覆述によるのである。大乗律の経典で、衆生の戒は仏性の自覚によって形成されるとしている。上巻には菩薩の階位の十住・十行・十回向・十地の四十法門が、下巻には菩薩戒の十重禁戒、四十八軽戒が説かれている。

 

円頓の戒

円頓の円とは円融円満、頓は頓極、妙戒とは最高の戒、すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。教行証御書には「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持つて後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持つて法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」(1282:10)とある。

 

血肉の身

功徳の法身に対する語で、六道輪廻・三惑末断の凡夫をいう。

 

三惑

見思・塵沙・無明惑のこと。①見思惑、三界六道の苦果を招く惑で、分けて見惑(五利使・五鈍使からさらに細分化し三界の四諦にあてて88使となる)と思惑(倶生惑といって、生まれて同時についてくる煩悩、欲界の貧・瞋・癡・慢、色界の貧・瞋・癡・慢、無色界の貧・瞋・慢と合わせて81品)になる。②塵惑、二乗菩薩が修行の過程で、小果に著し、あるいは化導の障りとなる等の惑で、その数が無量のところから塵沙と呼び、大乗の大菩薩のみがよくこれを断破するとされる。③無明惑、中道法性を障えるいっさいの生死煩悩の根本であり、別教には12品、円教には42品を立てている。42品のうち最後の無明惑を元品の無明といい、これを断じ尽くせば仏になれる。④以上の三惑は釈迦仏法において、浅きより深きにいたる立て分けであるが、末法の今日においては根本の惑はただひとつ、元品の無明惑である。三大秘法の大御本尊を信じ奉るときに、無明惑はたちまちに断破して、煩悩即菩提・生死即涅槃と開覚するのである。御義口伝には「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(0751:15)とある。

 

講義

ここでは心地観経に準じて四恩を表示されている。いわゆる一切衆生の恩、父母の恩、国王の恩、三宝の恩がそれである。これら四恩については、名目を心地観経に借りてはいるが、その義はあくまでも御本仏の文底深秘の大法によるもので、権大乗方等部の心地観経とは天地の開きがある。

本抄では四恩のうち、一切衆生の恩、父母の恩、国王の恩については、知恩という立場が強調されており、それに対し、三宝の恩は、報恩という立ち場からこれを述べられている。三宝の恩を報ずることは非常に難しいことであるが、三宝の恩を報ずるということに、前の三恩に報ずることはすべて含まれてしまうのである。ゆえに「されば三宝の恩を報じ給うべし」と勘誡されているのである。

さらに、雪山童子、常啼菩薩そのほかの先例を挙げて、三宝に対する報恩の実践を述べ、いま大聖人が凡夫の身として、法華経のゆえに難にあっていることこそ、これらの昔の聖人に匹敵する報恩の実践であることを述べられ「是れ一つの悦びなり」と結論されている。

 

仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに候か

 

仏法を習うとは、正しい仏法の実践である。それは、さらに現代的に約していえば、人間完成への実践であり、人間としての正しい生き方である。

正しい仏道修行は、社会から離れてあるのではない。「一切衆生の恩」とは、全ての人々が、自分と何らかの関係があり、自己の生命に恩恵を与えてくれているのである。「父母の恩」とは、自分を生み、育ててくれた父母の恩恵である。「国王の恩」とは、社会・国家の主権者である。また、これを拡大していえば、社会機構、政治体制、秩序ともいうことができよう。

したがって「国王の恩」に報ずるとは、一国の広宣流布である。「一切衆生の恩」に報ずるとは、あらゆる人々に妙法を受持せしめ、救いきっていくことである。

一般的にいっても、あらゆる生命体にとって、社会・仲間・同類の存在は、ほとんど絶対的なまでに不可欠であるといわれる。あるハツカネズミの実験によると、一匹だけ孤立して箱に入れておいたところ、一週間ぐらいで気違いのようになり、肉体的にも著しい変調をきたしたという。そこで、元の仲間と一緒にすると、たちまち、前のように元気になったのである。

これは、人間の例とは違うから、そのまま人間にあてはめて論ずることはできないかも知れない。だが、生命の本質として、社会ないし仲間の存在それ自体に、どれほど大きい恩恵を受けているか、はかりしれないものがあることは事実である。

社会と個人の関係について、従来の西洋思想では相反する二つの考え方がある。いわゆる「社会実在論」と「社会名目論」である。社会実在論とは、個人を超越して客観的な統一性をもつ実体としての社会を認める立ち場であり、コント、スペンサー等の社会有機体説に代表される。これが極端に進むとファシズム的、全体主義的社会観となり、個人の主体性は全く否定されてしまう。

一方、社会名目論は個人のみを実在として認め、社会はたんなる名目上の存在にすぎないとしている。そして社会は個人の契約によって成り立つゆえに第二義的なものであるという。この立ち場は、ホッブス、ロック等の社会契約説に代表される。

しかして、今日の社会学によれば、これら両者の考え方はいずれも両極端であって、一方のみを正しいとすることができないとされている。事実、現実に存在する個人はさまざまな社会的な関連のなかに生活している個人であり、いわば社会的人間ということができよう。

このように、一般的に生活論、社会論のうえからいっても、社会の恩恵は測り知れないものがあるのだが、なお、そのように、大聖人の御身にあたって、大なる恩がある。それは、一切衆生の場合は大聖人にさまざまの悪口、誹謗し、留難をなしたからであり、国王の場合は、権力をもって弾圧してきたからである。

 

今六十三分をば此の世界に留め置きて五濁雑乱の時……比丘比丘尼の命のささへとせんと誓ひ給へり

 

一往は仏の慈悲を述べられたと拝することができるが、再往は釈迦仏はあくまで迹仏であり、末法に大聖人が出現され、文底深秘の大法を弘められるときのための準備をすることに、本義があったことを示されていると拝せられる。

同じ伊豆御流罪中で、前半の弘長元年六月に船守弥三郎に与えられた御抄には「しからば夫婦二人は教主大覚世尊の生れかわり給いて日蓮をたすけ給うか」(1446:14)と申されている。

末法の世に、釈迦仏が自身の福徳を残して僧尼の命の支えとするとの、今の御文と同じ意味である。ここで、末法の世の「比丘比丘尼」とは、別しては、末法の法華経の行者であり、日蓮大聖人御自身を指していわれていることは明らかである

 

法は諸仏の師なり諸仏の貴き事は法に依る

 

法宝の恩について述べられているこの御文は、いかにも短かい。だが、先に述べられた仏宝に比して、法は仏の師であると申されているこの御文から、法宝の重さを知るべきである。

天台大師は法華文句の十に「法は是れ聖の師なり能生能養能成能栄・法に過ぎたるは莫し故に人は軽く法は重きなり」といっている。

日蓮大聖人は「宝軽法重事」に「人軽しと申すは仏を人と申す法重しと申すは法華経なり夫れ法華已前の諸経並に諸論は仏の功徳をほめて候・仏のごとし、此の法華経は経の功徳をほめたり仏の父母のごとし」(1475:06)と仰せである。

したがって「法は諸仏の師」と申された、その法とは、とりもなおさず、法華経すなわち、三大秘法の南無教法蓮華経であることを知らなければならない。ゆえに、三宝の恩を報ずるといっても、その究極は、法宝の恩であり、三大秘法の大仏法を受持し、折伏を行じていくことに尽きるのである。

 

仏宝法宝は必ず僧によりて住す

 

令法久住のために、身命をなげうって活躍していく人が真の僧の宝であるとの仰せである。次下の譬えにあるように、薪がなくなってしまえば、火は消えてしまう。また、大地がなければ草木は生じない。火は仏と法であり、薪は僧である。また、草木は仏法であり大地は僧である。この譬えのなかに、正しい法を伝える僧、すなわち後継者を重んじなければならないとの道理は、あまりにも明瞭である。

今、大聖人の大仏法を根底にした未曽有の大文化建設の事業にあっても、何よりも大切なことは、後継者の問題である。否、この事業においては、単に先人の業を継いでいくだけではなく、あらゆる分野にますます発展させ、栄えさせていく無量の人材が輩出しなければならないであろう。

 

 

第六章 大慈悲に立脚し謗者の堕獄を歎く

第二に大なる歎きと申すは、法華経第四に云く「若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し、若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を毀呰せん其の罪甚だ重し」等と云云、此等の経文を見るに信心を起し身より汗を流し両眼より涙を流すこと雨の如し我一人此の国に生れて多くの人をして一生の業を造らしむることを歎く、彼の不軽菩薩を打擲せし人現身に改悔の心を起せしだにも猶罪消え難くして千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、今我に怨を結べる輩は未だ一分も悔る心もおこさず、是体の人の受くる業報を大集経に説いて云く「若し人あつて千万億の仏の所にして仏身より血を出さん意に於て如何・此の人の罪をうる事寧ろ多しとせんや否や、大梵王言さく若し人只一仏の身より血を出さん無間の罪尚多し、無量にして算をおきても数をしらず阿鼻大地獄の中に堕ちん、何に況や万億の仏身より血を出さん者を見んをや、終によく広く彼の人の罪業・果報を説く事ある事なからん但し如来をば除き奉る、仏の言はく大梵王若し我が為に髪をそり袈裟をかけ片時も禁戒をうけず欠犯をうけん者をなやましのり・杖をもつて打ちなんどする事有らば罪をうる事・彼よりは多し」と。

       弘長二年壬戌正月十六日                       日蓮花押

     工藤左近尉殿

 

現代語訳

流罪の身になったことについて、第二に大いなる歎きがある。というのは、法華経第四の巻・法師品第十に「もし悪人がいて、邪悪な心をもって、一劫の間、現実に仏前において、つねに仏を毀り罵ったとしてもその罪はなお軽い。だが、もし人がただ一つの悪言であっても、在家・出家の法華経を読誦する者を毀ったならば、その罪ははなはだ重いのである」等と説いている。わが身にあてて、これらの経文を拝見するとき、ますます信心を起こし、身より汗を流し、両眼から涙を流すことは雨のようである。そのわけは日蓮一人がこの日本国に法華経の行者として生まれたために、多くの人々を法華誹謗のために一生の悪業を造らせてしまうことを歎くのである。彼の不軽菩薩を打ちたたいた人々は、その生きている間に悔い改める心を起こしてさえも、なおその罪が消え難くて千劫という長い間阿鼻地獄に堕ちてしまったのである。ところが今、日蓮に怨をなした徒輩はいまだに少しも悔いる心も起こさない。

こうした人の受ける業報を大集経に説いていうには「仏が問うに『もし人がいて千万億の仏の所で仏の身より血を出そうとしたならばどうなるか。またこの人の受ける罪は多いかどうか』と。大梵王が仏に申すには、『もし人あって、ただ一人の仏の身から血を出しただけでも無間地獄に堕ちて沢山の劫を経なければならない。その罪は算木をもちいても数えることができないほどの無量劫の間、必ず阿鼻大地獄のなかに堕ちるであろう。まして万億の仏の身体から血を出だした者においては、それよりはるかに罪が重いのである。それは、仏を除いては誰人も、その人の罪業と果報をことごとく説き尽くせる人はないであろう』と。仏のいわく『大梵王、もしわがために、髪を剃り、袈裟をかけている者なら、片時も禁戒を受けず無戒であっても、その者を悩まし、ののしり、杖で打ったりなどすることがあれば、罪を受けることは、万億の仏の身より血を出だす者よりも多いのである』」と。

弘長二年壬戌正月十六日   日 蓮  花 押

工藤左近尉殿

 

語釈

一劫

一つの劫のこと。劫は梵語のカルパ(Kalpa)で劫波・劫跛ともいい、分別時節・大時・長時などと訳す。きわめて長い時限の意で、仏法では時間を示す単位として用いられる。劫の長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を一小劫としている。

 

一生の業

謗法の罪業は一生の間のいかなる善悪の業をも覆い尽くしてしまい、阿鼻獄に落ちる罪業であるのでこういう。

 

不軽菩薩

法華経常不軽菩薩品第二十にでてくる菩薩で、威音王仏の滅後、その像法時代に二十四文字の法華経を弘めて、いっさいの人々をことごとく礼拝してきた。ときに国中に謗法者が充満しており、悪口罵詈また杖木瓦石の迫害をうけた。しかし、いかなる迫害にも屈することなく、ただ礼拝を全うしていた。こうして不軽菩薩は仏身を成就することができたが、不軽を軽賤した者は、その罪によって千劫阿鼻地獄に堕ちて、大苦悩をうけ、この罪を畢え已って、また不軽菩薩の教化を受けることができたという。なお、不軽菩薩を末法今時に約して、御義口伝(0766)に「過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類は不軽なり云云」とある。

 

大梵王

大梵天王のこと。梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。

 

禁戒

悪事・悪行を禁止する戒律。

 

欠犯

戒律を犯し、戒体を欠くこと。

 

講義

流罪について、これまで「大なる悦び」を述べてこられたのに対し、本章は「大なる歎き」を示されている。ただし、大聖人のお歎きとは、普通の凡夫のような、流罪地の生活がつらいとか、認めてくれないことが悲しいなどという歎きとは、次元が全く違う。

大聖人に敵対し、迫害した人々が、仏法の道理として、無間地獄に堕ち、苦しむことを憐れんで「大なる歎き」といわれているのである。このお心こそ、まさに御本仏ならではの大慈悲ではないか。

今日、世界的宗教といわれるキリスト教やイスラム教に比べ合わせるとき、仏法の慈悲が、いかに広大であり、絶対的なものであることか。キリストは、十字架にかけられたが、聖書には、キリストを死刑にしたユダヤ人を憎んで、ユダヤ人を殺せと命じている個所さえある。

ヨーロッパ中世史、さらにルネサンス、宗教改革時代の近世は、異教徒と異端弾圧の嵐の連続であり、悲惨と残虐をきわめた時代であった。なかんずく、ユダヤ人に対する迫害は、非人道の限りを尽くし、執拗に繰りかえされたのである。二十世紀における、ナチスのユダヤ人大虐殺も、こうした一連の惨劇の一幕に過ぎないとすらいわれる。その最も根本の原因は、聖書にある〝命令〟であり、キリスト教の本質的な矛盾に求められるのである。

ある学者は、このような〝憎悪〟の宗教が恐るべき科学文明と結びついているところに現代世界の危機の本源があるとさえ述べている。極端な論議のようであるが、まことにその通りといわざるを得ない。

敵対し、迫害する者すら包容し、憐れみ、救っていく、絶対的な仏法の慈悲こそ、真の世界平和を具現する理念である。生命をあくまでも尊重し、信頼と調和の理想社会を建設する源泉は、何よりもまず、この仏法によるべきことを叫びたい。

 

我一人此の国に生れて多くの人をして一生の業を造らしむることを歎く

 

日蓮大聖人が末法の御本仏であることを、この文の底に厳然と示されていると拝すべきである。なぜかならば、次下の文に述べられるように「一生の業」とは無間地獄の罪であり、日本国の一切衆生の堕無間の業は、大聖人を境として起こったところの罪であるからである。したがって、このことは、逆に、日蓮大聖人に信順し、正法の信心修行に励んでいくならば、それが即、一生成仏への大道であることの明証でもある。

いま、本抄のしめくくりとして、無間地獄の文証をあげられたのも、衆生をして無間地獄へ堕墜せしめないための大慈悲である。

「御義口伝」にいわく、「不軽礼拝の行は皆当作仏と教うる故に慈悲なり、既に杖木瓦石を以て打擲すれども而強毒之するは慈悲より起れり、仏心とは大慈悲心是なりと説かれたれば礼拝の住処は慈悲なり」(0769:第廿六慈悲の二字礼拝住処の事)と。

所詮、大聖人が強いて折伏を行じ、人々の誹謗をあえて呼び起こされたのも、毒鼓の縁によって救わんがためであって、全ては大慈悲の一念に包含されることを知るべきである。「報恩抄」の「無間地獄の道をふさぎぬ」(0329:04)の御文を合わせ拝するとき、大聖人の民衆救済の広大な御精神が、ひしひしと胸を打つではないか。

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