兵衛志殿御返事(深山厳冬の事)第三章(身延での御生活とその所感)

兵衛志殿御返事(深山厳冬の事)第三章(身延での御生活とその所感)

 弘安元年(ʼ78)11月29日 57歳 池上宗長

—————————————–(第二章から続く)—————————————–

其上兄弟と申し右近の尉の事と申し食もあいついで候、人はなき時は四十人ある時は六十人、いかにせき候へどもこれにある人人のあにとて出来し舎弟とてさしいで・しきゐ候ぬれば・かかはやさに・いかにとも申しへず・心にはしずかに、あじちむすびて小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かかるわづらはしき事候はず、又としあけ候わば・いづくへもにげんと存じ候ぞ、かかる・わづらわしき事候はず又又申すべく候。
  なによりもえもんの大夫志と・とのとの御事ちちの御中と申し上のをぼへと申し面にあらずば申しつくしがたし、

       十一月廿九日                    日 蓮 花 押

     兵衛志殿御返事

現代語訳

そのうえ、衣服のみならず、あなた方兄弟からといい、右近尉からのことといい、食糧も相ついで到着しました。この庵室は、人が少ないときでも四十人、多いときには六十人にもなる。いくら断わっても、ここにいる人の兄といってきたり、舎弟といって尋ねてきたりしては腰を落ち着けているので、気がねして何ともいえずにおります。

自分(大聖人)の気持ちとしては、心静かに、庵室で、小法師と二人だけで、法華経を読誦したいと願っていましたのに、こんなに煩わしいことはありません。また、年が明けたならば、どこかへ逃げてしまいたいと思っています。こんな煩わしいことはありません。また、申しあげることにしましょう。

なにはともあれ、右衛門大夫志とあなた(兵衛志)とのこと、また御父との間のことといい、主君の信任といい、お会いした上でなければいい尽くすことができません。恐恐謹言。

十一月二十九日           日 蓮  花 押

兵衛志殿御返事

語句の解説

右近の尉

池上兄弟の親戚にあたる人ではないかと思われるが、詳細は不明。

 

かかはやさ

まばゆい、はずかしい、気がねして等の意で、一般に、面と向かっていい得ないことの意味である。

 

小法師

所化小僧の意。

講義

すでに第二章まででくわしく述べてきたが、身延の庵室がいかに山中奥深くあったとはいえ、多くの人が訪れて、活気に満ちあふれていたかを、本抄で知ることができる。

「人はなき時は四十人ある時は六十人」との一節は、狭い庵室が、大聖人を中心としてゆれ動いていた様子を如実に物語っている。

文中「としあけ候わば・いづくへもにげんと存じ候ぞ」等とあるのも、本来ならば、世間の人と同じように、静かに余生を送りたいというのが、人間の心情であろうが、それができない大聖人の立ち場がにじみ出ている。令法久住のために、弟子を養成する責任、末法万年尽未来際にわたって一切の人々を救わなければならない責任、大聖人の肩にかかるものは、あまりに重く、あまりにも大きい。

大聖人の身延での御生活は、決して、世間でいうような人里離れた隠居生活ではなく、最後の一瞬まで広宣流布をめざしての戦いの連続であったことを知るべきである。大聖人の門下たる者、生涯、この姿を手本とし、広布に邁進していかなければならない。

タイトルとURLをコピーしました