—————————————–(第二章から続く)—————————————-
又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆぜにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむには・かたきはゆるさじ、我がために・いのちをうしなはんずる者ぞかしと・をぼして、とがありとも・せうせうの失をば・しらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでも・あるべからず、ましていさかうことなかれ、涅槃経に云く「罪極て重しと雖も女人に及ぼさず」等云云、文の心はいかなる失ありとも女のとがををこなはざれ、此れ賢人なり此れ仏弟子なりと申す文なり、此の文は阿闍世王・父を殺すのみならず母をあやまたむと・せし時・耆婆・月光の両臣がいさめたる経文なり、我が母心ぐるしくをもひて臨終までも心にかけし・いもうとどもなれば失を・めんじて不便というならば母の心やすみて孝養となるべしと・ふかくおぼすべし、他人をも不便というぞかし・いわうや・をとをとどもをや、もしやの事の有るには一所にて・いかにもなるべし、此等こそとどまりゐてなげかんずれば・をもひでにと・ふかくをぼすべし、かやう申すは他事はさてをきぬ、雙六は二ある石はかけられず、鳥は一の羽にてとぶことなし、将門さだたふがやうなりし・いふしやうも一人は叶わず、されば舎弟等を子とも郎等とも・うちたのみて・をはせば、もしや法華経もひろまらせ給いて世にもあらせ給わば一方のかたうどたるべし。
現代語訳
また、御舎弟達に対してはいつもよくめんどうを見ていきなさい。つねに湯銭や草履の代金などに気をくばっていきなさい。もしもの事があった時には敵は彼らを許さないであろうから、自分のために命を失おうとする者であると心得て、欠点があっても、少々の欠点は見ても知らないようにしていきなさい。
また女性にはどのような罪があったとしても、教訓をする必要はない。まして争ってはならない。涅槃経にいうには「その罪が極めて重いといっても女人には及ぼさない」と説いている。経文の心は「どのような罪があっても女人の罪をとがめてはならない。これが賢人の行ないであり、これが仏弟子である」という文である。
この文は、阿闍世王が父を殺したばかりでなく母まで殺そうとした時に、耆婆と月光の両臣が阿闍世王を諌めた経の文である。
わが母が心苦しく思って、臨終の時までも心にかけていた妹・弟達であるから、その罪を免じて、かわいそうだと思うならば、さぞかし母の心はやすまり、母への孝養となることであろうと、深く思っていきなさい。他人のことでさえ不便なことだという。ましてや舎弟達のことではないか。もしもの事がある場合には一緒にいて生死を共にする人々である。この人々こそ万一あなたが先立つ時に、後に残って嘆く人々であるから、その時の思い出にと深く慈愛をかけなさい。
このようにいうのは他の事はさて置き、双六は二つ並んだ石は破られず、鳥は一枚の羽では飛ぶことができない。将門や貞任のような勇将も一人では望みが叶わない。それゆえ舎弟達をわが子とも郎等とも憑んでいれば、もしや法華経も弘まり、あなたも健在であれば立派な法華経の味方になるであろう。
語句の解説
涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
阿闍世王
梵語でアジャータシャトル(Ajātaśatru)の音写。釈迦在世の中インドのマカダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希。初めは提婆達多を師として釈尊に敵対したが、身に悪瘡がでてからは悔悟して釈迦に信順し、大いに仏教を宣揚した。
耆婆
梵語でジーヴァカ(Jīvaka)の音写。釈迦在世の名医。阿闍世王の侍医。画期的な外科療法を行なったといわれる。
月光
阿闍世王の臣下で、耆婆と力を合せて王を諌め、釈迦に帰依させた。
将門
(~0940)。平安時代中期の武将。領地問題等から、伯父の国香を殺して主導権を握り、下総、常陸、下野を破りその一円を治めた。天慶2年(0839)、下総国猿島に王城を建て自ら新皇と称したが、平貞盛、藤原秀郷に討たれた。
さだたふ
安倍貞任(1019~1062)のこと。平安時代の奥羽地方の武将。岩手の厨川柵を本拠に安倍一族を率い強大な地盤を持ち朝廷に従わずにいたため、朝廷は源頼義、義家親子に討伐を命じた。これが前九年の役である。貞任は抵抗をやめずいったん義家を破ったが、康平5年(1062)、清原一門に討たれた。
講義
まさかの時をつねに念頭に置き、兄弟に対する思いやり、婦女子に対する心がけを説かれ、家族の団結を促された段である。
すなわち、弟達に対しては、つねに深い思いやりをかけて、決して不自由をさせないよう、些細なことまで気を配るよう指導なされている。また、婦女子に対しては、女性の微妙で繊細な心理を配慮し、どんなことがあっても、とがめたりせぬこと、まして争いなど起こさぬことを指摘され、つねに、最悪の事態に対処できるよう、家族の団結を通して万全の構えをするよう指導されたところである。