四条金吾殿御書
文永8年(ʼ71)7月12日 50歳 四条金吾
第一章 盂蘭盆の由来を明かす
雪のごとく白く候白米一斗、古酒のごとく候油一筒、御布施一貫文、わざと使者をもって盆料送り給び候。
殊に御文の趣有り難く、あわれに覚え候。そもそも盂蘭盆と申すは、源、目連尊者の母・青提女と申す人、慳貪の業によりて五百生餓鬼道におち給いて候を、目連救いしより、事起こりて候。しかりといえども、仏にはなさず。その故は、我が身いまだ法華経の行者ならざる故に、母をも仏になすことなし。霊山八箇年の座席にして、法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり給い、この時、母も仏になり給う。
また施餓鬼のこと仰せ候。法華経第三に云わく「飢えたる国より来って、たちまちに大王の膳に遇うがごとし」云々。この文は、中根の四大声聞、醍醐の珍膳をおとにもきかざりしが、今経に来って始めて醍醐の味をあくまでになめて、昔うえたる心をたちまちにやめしことを説き給う文なり。もししからば、餓鬼供養の時は、この文を誦して、南無妙法蓮華経と唱えてとぶらい給うべく候。
現代語訳
雪のように白い白米を一斗、古酒のような油を一筒、御布施を一貫文、これらの品々をわざわざ使者をもって盆料としてお送りいただきました。とくにお手紙の趣まことに感銘深く覚えました。
そもそも盂蘭盆というのは、もと目連尊者の母・青提女という人が慳貪の業によって五百生の間、餓鬼道に堕ちたのを目連が救ったことから起こったのである。
しかしながらその時は母を成仏させることはできなかった。そのわけは目連自身が、まだ法華経の行者でなかったために母を成仏させることができなかったのである。その後、霊山八箇年の説法の席で、目連は法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋栴檀香仏となり、このときに母も仏になった。
また、お手紙に施餓鬼のことをいわれているが、法華経第三の授記品第六には「飢饉の国から来て、いきなり大王の膳に遇うようなものである」と。この文は、中根の四大声聞が醍醐の珍膳の名さえ聞かなかったのが、法華経に来て始めて醍醐の味を飽きるほどなめて、それまでの飢えた心をたちまちに止めることができたことを説いた文である。それゆえ餓鬼供養の時には、この文を誦して南無妙法蓮華経と唱えて弔うべきである。
語釈
盆料
盂蘭盆の回向をお願いして差し上げた御供養のこと。
盂蘭盆
目連尊者
釈尊の声聞十大弟子の一人で、神通第一。摩竭陀国・王舎城の近くの婆羅門種の出で、幼少より舎利弗と共に六師外道である刪闍耶に師事したが、釈尊の教えを求めて二百五十人の弟子とともに弟子となる。迦葉、阿難とともに法華経の譬喩品の譬えを聞いて得道する。授記品で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。
慳貪
欲が深く、自分の物を慳み、他人の物を貪ること。清浄心をおおう六種の悪心の一つ。
霊山八箇年の座席
「霊山」は霊鷲山のこと。法華経の説処。八年は説法の期間。法華経説法の会座をいう。
多摩羅跋栴檀香仏
目犍連が授記品で受けた未来成仏の授記の名号。同品に「是の大目・連は当に種々の供具を以て八千の諸仏に供養し、恭敬尊重……号を多摩羅跋栴檀香如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と曰わん」とある。
施餓鬼
餓鬼に施す、餓鬼供養のこと。
如従飢国来忽遇大王膳
法華経授記品第6の文。「飢えたる国より来って 忽ちに大王の膳に遇うが如し」と読む。中根の四大声聞が法華経の説法を聞きえたことは、飢えた国からきて、たちまちに醍醐味である大王膳に遇うようなものであるということ。
中根の四大声聞
釈尊の十大弟子を上中下根に分かち、譬喩説で領解した須菩提・迦旃延・迦葉・目連を中根とする。このゆえに喩説周ともいう。これに対し、方便品で十如実相の説法で得道した舎利弗を法説周といい、上根とする。また大通智勝仏以来の因縁を聞いて得道する富楼那を因縁周といい、これを下根とする。
醍醐の珍膳
一切経の中の最上の教法である法華経を、最上の味である醍醐味にたとえたもの。
講義
本抄は、盂蘭盆の由来及び施餓鬼について指導されたお手紙である。
7月12日が母の命日にあたる四条金吾は、亡き母の追善供養のため、種々の品々をとりそろえて大聖人に御供養した。それに対し、大聖人は盂蘭盆についての由来、また、餓鬼供養について述べられ、南無妙法蓮華経と唱えてこそ、真の供養になることを教示されている。
そして、邪法の僧は、食法餓鬼といって、仏法を弘めるふりをして名聞名利のために法を利用したり、あるいは欲心深くして、自分一人で供養をむさぼっている。また、在家にも僧の中にも父母師匠の命日を弔う人はまれである。
四条金吾の母は日蓮大聖人の弟子として正法を純真に信じ行じた人であり、餓鬼道に堕ちているはずがない。まして子の四条金吾が法華経のために、このように活躍しているのだから、霊山において、さぞ諸仏から大事にされていることであろうと述べられ、信心をいっそう深くしていくようにと指導されているのである。
盂蘭盆について
7月15日の盂蘭盆は、亡くなった人々の冥福を祈るための行事として、わが国でも、広く民間に行なわれてきた。
盂蘭盆とは、その語源及び意味について、いろいろの解釈があるが、古くから伝えられているところによると、梵語のウランバナ(Ullambana)という発音を、そのまま漢字で書いたものだといわれている。また烏藍婆拏とする説もあるが、盂蘭盆のほうが用いられることが多い。
この盂蘭盆の意味について、諸説があるが、救倒懸と訳す説が一般的である。倒懸とは倒さづりの苦しみをあらわす、といわれている。また中国の俗説から盂蘭と盆をきりはなして、盂蘭だけが倒懸の意で、盆はものをのせる器という解釈をしている場合もある。
また、ウランパナ(Ullampana)が語源ではないかという説もある。これは訳すと救済の意となる。また身近では、仏教が中央アジアを通って中国に入ってくる途中で、仏教の中に入りこんできたと思われるイランの古い言葉で、霊魂の意味をもつウルヴアン(Urvan)というのが語源であるとの新説もでている。
このように、盂蘭盆の語源や、その意味については、種々の説があり、いずれが正しいとも決めがたい。
さて、わが国や中国にある盂蘭盆会の行事倒さづりの苦しみを救うために、百味の飲食を盆に盛って、供養するというのは、盂蘭盆経によっている。
仏説盂蘭盆経に、盂蘭盆について大要次のように説かれている。
「釈迦仏が祇園精舎にいる時、弟子の一人目連尊者が六神通を得た。目連は、すでに亡くなっていた父母に恩返しをしたいと思って、天眼通をもって亡母の在所を見ると、餓鬼道に生じ、飲食も自由にならず、骨と皮になっていた。その姿に目連は大いに悲しみ、早速、鉢に飯を盛り、餓鬼道にいって母に与えた。
母は悦んで、左手にもった鉢の飯を右手でとって食べようとしたが、その食がまだ口に入らないうちに火炭と化し、どうしても食べることができない。
それを見た目連は悲しんで啼泣し、馳せ返って釈迦仏にこの事を陳べた。
釈迦仏がいわれるには『汝の母は罪根が深いから、汝一人の力ではいかんともすることができない。汝の孝順の声が天地を動かすとも、天神・地神・外道・道士・四天王神が寄り合っても、どうすることもできない。母を救うには、十方の諸衆僧の威神の力をかりれば、母の罪障を消して救うことができる。今まさに、汝のために救済の法を説き、一切の難、全ての苦しみを逃れて罪障の消滅をさせてあげよう』と。
さらに釈迦仏が目連にいうには『十方の衆僧が、七月十五日の自恣の時に集ってくるから、七世の父母、及び現在の父母の厄難に在るもののために、百味の飲食と五菓を汲み灌ぎする盆器と香油錠燭と床敷臥具とを具えて、世の全てをつくして盆中に備え、十方の大徳衆僧に供養しなさい』と。
目連尊者は仏のいわれた通りに種々に盂蘭盆の御馳走を衆僧に供えた。十方の衆僧大菩薩もこの食をうけて、大会の衆とともに悦びに満ちたとき、目連尊者の泣き声も止み、悲しみもとけたのである。そのとき母は、一劫の間餓鬼の苦しみを逃れることができた。
そこで目連尊者は、喜んで、後々の人々も盂蘭盆供養を以て現在の父母過去七世の父母のために孝養を為すようにしてはどうであろうかと、釈迦仏にうかがったところ、釈迦仏は悦んでこれを受け入れ、一会の衆に盂蘭盆会を勤むべきことをすすめられた」。
この他、仏説報恩奉盆経という経にも、これと同様のことが略して説かれており、また般泥洹後灌臘経には阿難尊者に対して、仏滅後には、4月8日の灌仏会と7月15日の盂蘭盆会に斎会を行なうべき事がいわれている。このほかにも、法苑珠林第六十二の大盆浄土経にも盂蘭盆のことが説かれている。
さて、この盂蘭盆経については、古来より疏釈、註抄などが数えきれぬほど、中国にも日本にもあり、盂蘭盆の語源と同様、その起源や訳者にまつわる、いろいろな説がある。
一般に、西晋の武帝の時代(0265~0290)に竺法護の訳したものとされているが、訳者不明との説もあり、漢訳のみで原典がないこと、またその内容が中国の「孝」を中心とした思想であるところから、盂蘭盆経は中国でつくられたものとする説もある。
インド伝来説をとる人は、目連尊者が母を救うという、盂蘭盆経をはじめとする前述の経々の内容が古代インドの大叙事詩にもこれと似た説話があること、あるいはインドから南伝した南方仏教すなわち小乗仏教の国々にも、それらしい行事があることを、その理由として挙げている。しかし、盂蘭盆経そのものが作られたのは、中国ではないかというのが、今日、歴史学者等の間では有力な説となっている。
ところで、この盂蘭盆会はいつ頃から行なわれるようになったのであろうか。
今日のインドでは、盂蘭盆会の習慣はないし、かつて行なわれたかどうかも不明である。
中国で盂蘭盆会が公式に行なわれたのは、梁の武帝の初めという説と、唐の代宗の時に宮中で盂蘭盆会の儀式を行なったのが最初だという説がある。
おそらく、先祖崇拝の伝統の強い中国社会にあわせて、こうした行事が盛んになったのであって、民間では仏教が徐々に広まっていくとともに盂蘭盆会も始められていったと推定されている。それは、晋の歳時記の中に、盂蘭盆会が民俗行事の一つとして残っていること、また他の書にも晋隋の間に寺僧が自恣の時、供養を受けたとあるからである。
盂蘭盆にあたる7月15日は中国独自の宗教・道教の中元にあたっている。道教は晋の時代に最も盛んであった。中国の仏教は道教の中に交わって民間に広まっていったという歴史的事実の上からも、晋の時代あたりから盂蘭盆会も道教の中に入りこみ、中国の習慣となっていったのであろう。
我が国で初めて盂蘭盆会が行なわれたのは推古天皇の14年とされている。日本書紀第22推古天皇14年4月の条に「是年より初めて寺毎に、四月の八日、七月の十五日に設斎す」とある。次いで日本書紀第二十六斉明天皇三年七月の条に「辛丑に、須弥山の像を飛鳥寺の西に作る。且、盂蘭瓫会設く」とある。
宮中で盂蘭盆会が行なわれるようになった記録は、続日本紀第11天平5年7月の条に「庚午、始めて大膳職をして盂蘭盆の供養を備へしむ」とある。すなわち聖武天皇の天平5年(0733)7月14日のこの時に行なわれたのが始めで、以後、宮中の常例となり、続いて位官の家、さらに民間にと令されて、7月15日を前後にして盂蘭盆会が孝養のための仏事となっていったようである。
このようにして、盂蘭盆会は、中国やわが国で、先祖の追善供養として、古くから行なわれてきた。だが、仏法の本義からする真の追善供養とは、何かということを知らなければならない。
大聖人は盂蘭盆御書に「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし・いわうや他人をや」(1429:05)といわれ、本抄にも、目連尊者の例をあげて「我が身いまだ法華経の行者ならざる故に、母をも仏になす事なし」と指摘されている。
そして「盂蘭盆御書」には「しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて正直捨方便とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてて南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す、此の時こそ父母も仏になり給へ、故に法華経に云く我が願既に満ち衆の望も亦足る云云、目連が色身は・父母の遺体なり目連が色身仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ」(1429:07)といわれている。
一時的に餓鬼道の苦しみから逃れるだけでなく、成仏という最高の境涯にしていくことこそ真の追善供養であり孝養なのである。南無妙法蓮華経と唱えて、初めて自身が成仏し、三悪道に苦しむ親や先祖を供養することができるのである。
妙法を持つものが、まず人生の勝利の道を開き、自身の成仏をなすことによって、先祖を三悪道から救い、成仏させることが、子孫としての最高の供養といえよう。
第二章 餓鬼の修因を明かす
総じて餓鬼にをいて三十六種類・相わかれて候、其の中に鑊身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候、是は何なる修因ぞと申すに此の世にて夜討・強盗などをなして候によりて候、食吐餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候・是も修因上の如し、又人の食をうばふに依り候、食水餓鬼と云うは父母孝養のために手向る水などを呑む餓鬼なり、有財餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがきなり是は今生にて財ををしみ食をかくす故なり、無財がきと申すは生れてより以来飲食の名をも・きかざるがきなり、食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人・我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり、当世の僧を見るに人に・かくして我一人ばかり供養をうくる人もあり是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり、是は未来には牛頭と云う鬼となるべし、又人にしらせて供養をうくるとも欲心に住して人に施す事なき人もあり・是は未来には馬頭と云う鬼となり候、又在家の人人も我が父母・地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをば・とぶらはずして我は衣服飲食にあきみち牛馬眷属・充満して我が心に任せて・たのしむ人をば・いかに父母のうらやましく恨み給うらん、僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人は・まれなり、定めて天の日月・地の地神いかり・いきどをり給いて不孝の者とおもはせ給うらん形は人にして畜生のごとし人頭鹿とも申すべきなり、
現代語訳
総じて餓鬼においては三十六種類に分かれている。そのなかの鑊身餓鬼という餓鬼は、目と口とがない餓鬼である。これはいかなる過去の修因によるかというと、この世で夜討ち、強盗などをしたことによるのである。食吐餓鬼という餓鬼は、人が口から吐き出す物を食べる。これも過去の修因は前と同じようなものである。また、他人の食を奪ったことによるのである。
食水餓鬼というのは、父母孝養のために手向ける水などを呑む餓鬼である。有財餓鬼というのは、馬の蹄の水をのむ餓鬼である。これは今生で財産を惜しみ食べ物をかくしたためである。無財餓鬼というのは、生れてよりこのかた飲食の名をも聞かない餓鬼である。
食法餓鬼という餓鬼は、出家となって仏法を弘める人のうちで、自分が法を説けば人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって人よりも勝れようと思って今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない人を食法餓鬼というのである。
当世の僧侶をみると、人には隠して、自分一人ばかり供養を受ける人もある。この人は狗犬の僧であると涅槃経に説かれている。この者は未来世には牛頭という鬼となるのである。
また人に知らせて供養を受けたとしても、欲心に住して、人に施すことのない人もある。この者は未来世に馬頭という鬼となる。
また在家の人々でも、自分の父母が地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちて苦患を受けているのを弔わないで、自分は衣服、飲食に飽き満ち、牛馬、眷属は充満して、自分の心に任せて楽しむ人を、どれほど父母は羨み恨まれるであろうか。
僧のなかにも父母、師匠の命日を弔う人はまれである。定めて天の日月、地の地神は怒り、憤って不孝の者と思っておられるであろう。このような不孝の人は、形は人間であっても畜生のようなものである。人頭鹿ともいうべきである。
語釈
餓鬼にをいて三十六種類
正法念処経第16餓鬼品第4の1で説く36種の餓鬼をいう。1.迦婆離。鑊身餓鬼。2.甦支目佉。針口餓鬼。3.槃多婆叉。食吐餓鬼。4.毘師咃。食糞餓鬼。5.阿婆叉。無食餓鬼。6.揵陀。食氣餓鬼。7.達摩婆叉。食法餓鬼。8.婆利藍。食水餓鬼。9.阿賖迦。悕望餓鬼。10.區伊反吒。食唾餓鬼。11.摩羅婆叉。食鬘餓鬼。12.囉訖吒。食血餓鬼。13.瞢娑婆叉。食肉餓鬼。14.蘇揵陀。食香烟餓鬼。15.阿毘遮羅。疾行餓鬼。16.蚩陀邏。伺便餓鬼。17.波多羅。地下餓鬼。18.矣利提。神通餓鬼。 19.闍婆隸。熾燃餓鬼。20.蚩陀羅。伺嬰兒便餓鬼。21.迦倶邏反摩。欲色餓鬼。22.三牟陀羅提波。海渚餓鬼。23.閻羅王使。執杖餓鬼。24.婆羅婆叉。食小兒餓鬼。25.烏殊婆叉。食人精氣餓鬼。26.婆羅門羅刹餓鬼。27.君茶火爐。燒食餓鬼。28.阿輸婆囉他。不淨巷陌餓鬼。29.婆移婆叉。食風餓鬼。30.鴦伽囉婆叉。食火炭餓鬼。31.毘沙婆叉。食毒餓鬼。32.阿吒毘。曠野餓鬼。33. 賖摩舍羅。塚間住食熱灰土餓鬼。34.毘利差。樹中住餓鬼。35.遮多波他。四交道餓鬼。36.魔羅迦耶。殺身餓鬼。
鑊身餓鬼
迦婆離鑊身餓鬼という。私利私欲で動物を殺したにも関わらず、全く反省しなかった人が堕ちる餓鬼。手足が細く、身長が普通の人間の二倍もあるという大柄な餓鬼で、この餓鬼の最大の特徴は、常に火の中で焼かれていること。飢えで苦しい上に熱さでさらに苦しいという哀れな餓鬼で後々登場する餓鬼と比べればこれでもまだいい方。
食吐餓鬼
槃多婆叉食吐餓鬼という。自分は美味しい物を食べていながら、家族にはそれを分け与えなかった人間がこの餓鬼に堕ちる。荒野に住んでいる餓鬼で、食べ物を食べること自体はできるが、鬼たちによって無理やり吐かされてしまうので結局食べることはできない。 身長は約3.6kmと巨大。
食水餓鬼
婆利藍食水餓鬼のこと。お酒を水で薄めて売ったり、蛾やミミズを混ぜたりするなどの、酒に関する悪行を行った人間が堕する餓鬼。この餓鬼は水を飲むことができないので、水に入って上がってきた人間から滴り落ちてくる水や、子供が親の墓前に供えた水をわずかに飲む。
手向る水
神仏や父母孝養のために具える水。
有財餓鬼
①飢えに苦しむ餓鬼の中で、物を食することのできる餓鬼。膿・血などを食う小財餓鬼と、人の食い残しや、祭祀などで捨てられた物を食う多財餓鬼とをいう。②財産を多く持ちながら、欲深い人。
無財がき
わずかの食物もない餓鬼。わずかの食物もない餓鬼。
食法がき
出家の身となって仏法を弘める者のうちで、自分が法を説けば人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって、人よりも勝すぐれようと思って、今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない者。
狗犬の僧
犬のような下劣な僧侶のこと。名聞名利に執着し、心が曲がっている。邪見・謗法の僧のこと。
涅槃経
釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
牛頭
地獄の極卒のこと。体が人間で頭が牛の形をしている鬼。
馬頭
地獄に住む馬頭人身の獄卒。馬頭羅刹のこと。死後の衆生が冥途へ行くとき、その前後で鉄棒をもって追いたてながら引導するという。首楞厳経卷八に「亡者の神識大鉄城を見る。火蛇火狗・虎狼獅子・牛頭獄卒・馬頭羅刹・手に槍矟を執り、城内に駆け入る」とある。
講義
餓鬼に、さまざまの種類があることを示し、その餓鬼道に堕ちる原因を明かされている。餓鬼道に堕ちる原因は、要するに利己主義である。そして、このようなエゴイズムの人びとの姿は「形は人にして畜生のごとし。人頭鹿とも申すべきなり」と仰せられるように、人間らしさの喪失にほかならない。この段は、言葉の表現から、現代とは無関係の、古い時代の考え方のようであるが、じつは、現代にこそ、最も深刻な形であらわれている人間性喪失の根源をなしていることを知るべきであろう。
鑊身餓鬼・食吐餓鬼・食水餓鬼について
鑊身の鑊とは「かなえ」で、その姿が「かなえ」に似ているところから名づけられたものである。胴が丸くふくれあがり、手足は不釣り合いに細い。飢餓による栄養失調が、ちょうど、このようになることを考えると、興味深い譬えといえよう。しかも、この鑊身は食を激しく求めながら、それを摂りいれる口がないというのである。餓鬼の苦しみが、いかにはなはだしいかをあらわしているのである。
食吐餓鬼とは、他人の吐き出した物を食べる餓鬼と説明されているが、なにも好んで他人の吐いた物を食べるのではない。食を求めても得ることができず、その飢えの極限において、かろうじて、他人の吐き出した物を食べてまでも、飢えをしのぐのである。食水餓鬼についても、同様である。
このように、餓鬼界というのは、求めてなおかつ得られず、得られないがゆえに、ますます激しくつのる欲望に身をさいなまれる苦悩の境涯をいうのである。それは、代表として食についての欲をもって示されているが、他の衣・住についても、金銭、名誉、権力などについても、みな、同じことである。食にのみ限定すると、現代の高度産業社会においては、このような〝餓鬼界〟は縁遠いように思いがちであるが、欲望の対象は、食だけに限られるものではない。金銭、名誉、権力などをめぐる醜い欲望に思いをいたすとき、まさに、こうした護身・食吐・食水等の餓鬼は、現代社会の本質をいっているのだということが理解されよう。
有財餓鬼・無財餓鬼について
餓鬼とは〝もの〟がない状態ばかりではない。〝もの〟の有無にかかわりなく、激しい欲望にさいなまれる状態である。往々にして、人間は〝もの〟があればあるほど、なお一層多くを欲求し、貪るようになる。それが有財餓鬼である。
この餓鬼道に堕ちるのは「今生にて財ををしみ、食をかくす故なり」といわれているように、みずからは〝財〟や〝食〟をあり余るほどもっているのであるが、他人に施すこともしないし、取られることを恐れて、窮々としているのである。そして、さらに多くを得ようとして、あくどく貪るのである。この業因によって「馬のひづめの水をのむ」という有財餓鬼となるのだとの仰せである。
「馬のひづめの水をのむ」とは、元来、馬のひづめには、水分はきわめて乏しいはずである。そういうなかからさえ、しぼりとろうという餓鬼道なのであろう。俗に、ケチンボの譬えとして「爪に火をともす」という言葉があるが、これなども、共通する表現のように思われる。
この有財餓鬼に対して〝もの〟がないために苦しむのが無財餓鬼である。「生れてより以来、飲食の名をもきかざる」餓鬼である。名をも聞かぬくらいだから、口にしたこともないことは、いうまでもなかろう。
ともあれ、この有財餓鬼・無財餓鬼の考え方のなかから、餓鬼とは、物質的な豊かさや貧しさによって決まるのでなく、人間の心のなかの欲望の強弱によることを知らねばならない。欲望に支配され、ひきずりまわされていく人生は、それ自体、餓鬼道なのである。
食法餓鬼について
民衆救済という仏法の根本精神を忘れ、自己の名聞名利のために仏法を説く者を食法餓鬼というのである。大事なことは、その根本の精神、思考と行動の原点がどこにあるか、である。この一点の違いによって、真の菩薩か、餓鬼道に堕ちるかが決まるからである。
この文は、仏法について述べられているのであるが、ひろく論ずれば、学問や芸術、社会事業、政治など、いっさいの道についても同じことがいえる。真理を究め、それによって人類に貢献しようというのが、ほんとうの学者であろう。美を創造し、人々に勇気と希望を与えようというのが、真の芸術家でなければならない。いわんや、社会事業や政治は、人々を利益することが、その目的である。
これらは、そうした利他の仕事であるがゆえに、人々から尊敬を受け、社会的にも高く評価されるのである。しかるに、人間の心は、醜い欲望に毒されると、人々を救うという目的を忘れて、尊敬されることのみを求め、名聞名利を目的とするに至る。こうした醜悪な欲望に穢された生命を食法餓鬼というのである。
現代の社会にあって、本来、尊敬されるべき仕事にたずさわる多くの人びとが、名聞名利に穢されて食法餓鬼と呼ばれるような様相を呈していることは悲しむべきことといわなければならない。ここに、末法濁悪の世相があると共に、民衆の不幸の根源があるといわなければなるまい。
第三章 親を救う原理を示す
日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず、かかる日蓮が弟子檀那となり給う人人・殊に今月十二日の妙法聖霊は法華経の行者なり日蓮が檀那なりいかでか餓鬼道におち給うべきや、定めて釈迦・多宝仏・十方の諸仏の御宝前にましまさん、是こそ四条金吾殿の母よ母よと同心に頭をなで悦びほめ給うらめ、あはれ・いみじき子を我はもちたりと釈迦仏と・かたらせ給うらん、法華経に云く「若し善男子善女人有つて妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄餓鬼畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん、所生の処には常に此の経を聞かん、若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け、若し仏前に在らば蓮華より化生せん」と云云、此の経文に善女人と見へたり妙法聖霊の事にあらずんば誰が事にやあらん、又云く「此の経は持つこと難し若し暫も持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如きの人は諸仏の歎めたもう所」と云云、日蓮讃歎したてまつる事は・もののかずならず、諸仏所歎と見えたり、あらたのもしや・あらたのもしやと・信心をふかくとり給うべし・信心をふかくとり給うべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。
七月十二日 日 蓮 花 押
四条金吾殿御返事
現代語訳
日蓮は法華弘通によりこれらの業障を消し果てて未来は霊山浄土に往くことができると思っているから、種々の大難が雨のようにふり、雲のようにわいても、それは法華経のためであるので、苦をも苦とは思わない。
このような日蓮の弟子檀那となった人々、とくに今月十二日が命日にあたる妙法聖霊は法華経の行者であり、日蓮の檀那である。どうして餓鬼道に堕ちることがありましょうか。きっと釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏の御宝前におられるであろう。そして、これらの仏は「これこそ四条金吾殿の母よ母よ」と皆同じ慈愛の心を込めて頭をなで、悦びほめておられることであろう。妙法聖霊は「ああなんとすばらしい子を私は持ったことでしょう」と釈迦仏と語られているであろう。
法華経提婆達多品に「若し善男子、善女人がいて妙法華経の提婆達多品を聞いて浄い心で信敬して疑惑を生じない者は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちないで十方の仏前に生まれるであろう。しかも生まれる所には常にこの法華経を聞くことであろう。若し人天のなかに生まれれば勝妙の楽を受け、若し仏前にあるならば蓮華から化生するであろう」と。この経文に善女人とある。妙法聖霊のことでないならば誰のことであろうか。
また宝搭品にいわく「此の法華経は持つことは難しい。若ししばらくも持つ者は、我は歓喜する。諸仏もまた同様である。このような持者は諸仏の歎められるところである」と。日蓮が讃歎することはものの数ではない。十方の諸仏が歎めるというのだから、まことにたのもしいことであると信心を深くとりなさい。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
七月十二日 日 蓮 花 押
四条金吾殿御返事
語釈
業障
三障のひとつ。悪業によって生じた障害。
霊山浄土
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757:06)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。
釈迦
釈迦仏、釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
多宝仏
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。
十方の諸仏
十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。
御宝前
仏のおわします御前。
勝妙の楽
すぐれた快い感情のこと。楽は苦に対する語で、身心における快い感情。
化生
四生の一つで、業力によって、忽然として生ずることをいう。「倶舎論」等によれば、諸天、地獄の衆生、及び劫初の衆生が化生の形をとるとされている。
講義
以上のように、種々の餓鬼界があるが、それは貪欲の罪によるものであって、四条金吾の母は、自らも法華経の信者であり、しかも息子の金吾が大聖人の弟子として信心に励んでいるのであるから、必ず霊山において、釈迦・多宝・十方の諸仏から誉められ、大切にされているであろうと述べられている。
日蓮此の業障をけしはてて、未来は霊山浄土にまいるべし云云
まず、日蓮大聖人御自身が、雨とふり雲とわく大難をものともせず、法華経のために戦っておられることを示されている。
「法華経の御故」とは、妙法を全民衆に教え、一切衆生の幸せを願っての活動であることを意味する。そのために、種々の大難を受けているのであるから、自己の名聞名利のためでは全くないし、貧欲とはまさに正反対である。もっとも本源的な利他の行動なのである。
およそ、人間として生きていくためには、少なくとも物質的な必要条件の充足を求めざるを得ない。慳貪の業を消滅するためには、他人に施せといっても、施す余力をもたない場合には、これは、きわめて至難である。しかも、物質的な布施は、必ず限界があって、あらゆる人に施すなどということはできないであろう。
こうした福運うすく、他に何の施す余力のない衆生であっても、人々に最高の布施をし、利益していけるのが、妙法の弘通である。すなわち、法の布施こそ、幸福の種子を分かち与えることであり、それは、無限に与えても尽きることがない。過去に、いかなる餓鬼道に堕する重業をもっていたとしても、法の布施という最大の利他によって、罪業を消し、無上の福運を積んでいけるのである。
「かかる日蓮が弟子檀那となり給う人人」とは、そのような最大の利他をなす大福運の師の弟子檀那となった人人は、共にその福徳を分かち与えられることができるということである。しかも、四条金吾の母は、そればかりでなく、自らも「法華経の行者」であった。つまり、みずから妙法を実践し、折伏行=法の布施に励んだのである。したがって、どうして、餓鬼道などに堕ちていることがあろうかと、大確信をもって断言されている段である。
法華経に云く「若し善男子善女人有つて云云」の文
この文について、若干、解釈を要する。それは、なぜ「妙法華経の提婆達多品を聞いて」というのかという点である。提婆達多品とは、提婆達多の悪人成仏、竜女の女人成仏を明かし、妙法の即身成仏の大功徳を説いた品である。したがって、この提婆品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生じないということは、妙法の功力の絶大なることを純信に信ずることにほかならない。
悪道の提婆達多が成仏するとか、畜身で女人の竜女が成仏するなどということは、それ以前の経説からは想像さえできないことで、文字どおり惑耳驚心の説なのである。しかるに、それを信じて疑わないということは、仏の金言、なかんずく法華経への絶対の確信があってはじめて可能なのである。その強い、しかも法華経をまっすぐに信ずる信仰なればこそ、必ず三悪をまぬかれて仏前に生ずるという大功徳を得ることができるのである。
また、この提婆達多の悪逆の心、竜女の愚痴の生命は、そのまま末法濁世の衆生の本質ともいえる。ゆえに、提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生じないということは、いいかえると、わが身の即身成仏を信ずることであり、その信の一念が、己心の仏界となるのである。
若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け、若し仏前に在らば蓮華より化生せん
一往は、人天という六道に生を受けたときには、最高の幸福生活を営み、仏前にあるときは仏となるだろうと、立て分けて述べられた文と拝してよい。
しかし、再往は、これは別々に分けられるものではなく「人天の中に生れば」とは、現実社会のなかにあっては、ということであり、「仏前に在らば」とは、内証の辺、生命の内なる境地をいったものと考えるべきであろう。「蓮華より化生」とは、仏界の生命の湧現することであり、成仏の境涯ということである。ただし、内心には仏界の境地があるといっても、現実の社会にあってあらわれてくるものは、あくまでも、人天等の六道の範疇におさまるのである。
なお、もう一歩これを進めていえば「人天の中に生れば」とは、生死の流転のなかの生の姿であり、「仏前に在らば」とは、死の姿ということもできよう。
ともあれ、妙法の大功徳を、浄らかな心で信じきって、疑惑を生じないならば、このように、大果報を受けるのであるとの仰せである。