上野殿御返事(山中に財の事) 第一章(供養の品々の尊さを述べる)

上野殿御返事(山中に財の事) 第一章(供養の品々の尊さを述べる)

 弘安2年(ʼ79)8月8日 58歳 南条時光

 鵝目一貫・しお一たわら・蹲鴟一俵・はじかみ少々、使者をもって送り給び了わんぬ。
あつきには水を財とす。さむきには火を財とす。けかちには米を財とす。いくさには兵杖を財とす。海には船を財とす。山には馬をたからとす。武蔵・下総に石を財とす。この山中には、いえのいも・海のしおを財とし候ぞ。竹の子・木の子等候えども、しおなければ、そのあじわいつちのごとし。
 また金と申すもの、国王も財とし、民も財とす。たとえば米のごとし、一切衆生のいのちなり。ぜに、またかくのごとし。漢土に銅山と申す山あり。彼の山よりいでて候ぜになれば、一文も千文もみな三千里の海をわたりて来るものなり。万人、皆、たまとおもえり。これを法華経にまいらせさせ給う。

————————————-(第二章に続く)————————————————

 

現代語訳

鵞目一貫文、塩一俵、サトイモ一俵、薑少々を使者を立てられて送っていただいた。

暑い時には水を財とし、寒い時には火を財とする。飢饉には米を財とし、戦いには武器を財とする。海では船を財とし、山では馬を財とする。武蔵や下総では石を財とする。これらと同じように、この身延の山中では芋や海の塩を財とするのである。筍や茸は沢山あっても、塩がなければその味は土をかむようなものである。

また、金というものは国王も財とし、民も財とする。たとえば、米のようなものである。一切衆生の命である。

銭もまた同様である。中国に銅山という山がある。この銅山で産出された銭であるなら、一文の銭もすべて三千里の海をわたって日本に来るのである。万人がこれを珠と思って大事にしている。あなたはこの銭を法華経に供養されたのである。

 

語句の解説

鵞目

鎌倉時代に使われていた通貨のこと。ふつうは銭といったが、鵞目、鳥目、鵝眼、青鳧ともいった。鵞目とは、当時流通していた孔のあいている通貨の形が鵞鳥の目のようであるところから、こう呼ばれた。日蓮大聖人御在世当時は、奈良・平安時代頃に輸入して通貨とした唐宋銭が使用されていた。唐銭では開元通宝・乾元重宝、五代十国時代の後漢の漢元通宝・南唐の唐国通宝、宋銭では宋元通宝・太平通宝・景徳元宝・祥符元宝・祥符通宝等である。

 

蹲鴟

いえの芋。ヤツガシラ、里芋の塊茎のこと。蹲はうずくまる、鴟はトビで、芋の形がトビのうずくまった姿に似ているので、この名があるとの説もある。

 

はじかみ

生姜の別称。歯蹙の義、辛味が強く、歯に疼く意であるという。

 

武蔵

東京を中心に埼玉・神奈川の一部地域

 

下総

現在の千葉県北部および茨城・埼玉の一部を含む地域。

 

漢土

漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。

 

銅山

中国・江蘇省揚州の西方にある山で、銅を産する山。

講義

本抄は、弘安2年(1279)8月8日、聖寿58歳の時、南条七郎次郎時光に送られた御手紙で、南条時光が御供養の品々をお送り申し上げたことに対する返書である。

なお、御真筆の所在は明らかではないが、大石寺に日興上人の写本が伝えられている。

はじめに、南条時光が大聖人に御供養申し上げた品々を挙げられ、それらが、身延の山中でどれほど貴重な財宝であるかを説かれている。

暑い時には水が財宝であり、逆に寒い時には火が宝となる。また、飢饉の時には、米が何よりの財宝となり、戦争の際には武器が財宝となる。さらに、海では船が、山では馬がそれぞれ宝となり、武蔵や下総の地方では、石が宝となる。

このように、時や状況や場所により、人間が財宝とするものに異なりのあることを述べられている。この個所の内容をとって、本抄の別名を「財御書」ともいうのであるが、ここで示されているのは、現代的にいえば、「価値」の問題であるといえよう。

すなわち、〝もの〟の価値は、どこまでも〝もの〟と人間との関係、さらには、人間の置かれた時や状況や場所との関係から決まってくるものであり、その意味で相対的なものであると述べられているのである。さらに言い換えれば、その時、その状況、その場所で、人間が最も必要とし、不可欠とする〝もの〟こそが価値ある財宝ということができる。この観点から「此の山中には・いえのいも・海のしほを財とし候ぞ、竹の子・木の子等候へども・しほなければそのあぢわひつちのごとし」と仰せである。日蓮大聖人のおられる身延の山中では、いえのいも、海の塩が最も貴重な財宝であり、価値あるものであると述べられ、時光の供養の品々が適宣なものであると称賛されている。

次に「又金と申すもの国王も財とし民も財とす、たとへば米のごとし・一切衆生のいのちなり。ぜに又かくのごとし」と述べられているのは、金銭と米の場合は、時、状況、場所にかかわらず、万人にとって価値ある財宝であるということである。つまり、前述したように、〝もの〟の価値は大方において相対的なものであるが、そのなかでも比較的、普遍的な価値をもつものが、米と金銭であるとの仰せである。とくに、当時、銭は、中国から移入されたものが主に流通し尊ばれていた。そこで、漢土の銅山で産出した貴重な銭を御供養した時光の志をめでられている。

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