凡そ行智の所行は法華三昧の供僧・和泉房蓮海を以て法華経を柿紙に作り紺形を彫り堂舎の修治を為す、日弁に御書下を給い構え置く所の上葺榑一万二千寸の内八千寸を之を私用せしむ、下方の政所代に勧め去る四月御神事の最中に法華経信心の行人・四郎男を刄傷せしめ去る八月弥四郎坊男の頸を切らしむ、日秀等頸を刎ぬと擬する事を此の中に書き入れよ無智無才の盗人・兵部房静印より過料を取り器量の仁と称して当寺の供僧に補せしめ、或は寺内の百姓等を催し鶉狩・狸殺・狼落の鹿を取りて別当の坊に於て之を食らい或は毒物を仏前の池に入れ若干の魚類を殺し村里に出して之を売る、見聞の人・耳目を驚かさざるは莫し仏法破滅の基悲んで余り有り。
此くの如き不善の悪行・日日相積るの間日秀等愁歎の余り依つて上聞を驚かさんと欲す、行智条条の自科を塞がんが為に種種の秘計を廻らし近隣の輩を相語らい遮つて跡形も無き不実を申し付け日秀等を損亡せしめんと擬するの条言語道断の次第なり、冥に付け顕に付け戒めの御沙汰無からんや、
現代語訳
だいたい、行智の行いというものは、法華三昧堂で給仕する僧の和泉房蓮海に命じて、法華経をほぐして渋紙とし、それを切り取り、型紙として建物の修理に使っている。日弁に書き下した状をたまわって準備しておいた上葺き用の板材・一万二千寸のうち八千寸をかってに私ごとに使ってしまった。下方荘の政所の代官をそそのかしている。去る四月、大宮浅間神社で行われた流鏑馬の神事の最中に、法華経を信心している四郎を刄物で切りつけ、去る八月には弥四郎の頸を切らせた。(日秀等が頚を刎たように言い立てたことを書き入れる)
智慧なく才能のない盗人である兵部房静印より罰金を取り、優れた才能の持ち主であると言いふらして、当滝泉寺の供僧に任じ、あるときは寺域内の農民を使って鶉を取り、狸を狩り、猪用の罠にかかった鹿を殺して、別当である院主の坊で、これらを食べ、あるいは本堂前の池に毒仏を投げ入れて多くの魚類を殺し、村里に出してこれを売っている。これを見たり聞いたりした人は、耳や目を疑わないものはなかった。仏法を破滅させる根源であり、これほど悲しむべきことはない。
このような不善そのものの悪行が日々積み重なるので、日秀等は嘆きのあまり上に訴えようとした。そこで行智は数々の自分の罪を隠そうとして、種々の計略をめぐらし、近隣の人々を誘い入れて、何の根拠もないうそを言いつけて、日秀らを陥れようとはかったのであり、これは言語道断である。仏法上の罪においても国法上の罪においても、これを懲らしめる処置がなくてよいはずがない。
語句の解説
法華三昧
①法華経に基づく禅定修行。②天台宗の「摩訶止観」に説く四種三昧の一つ半行半座三昧のうち,「法華経」に基づいて行うもの。21日間にわたって仏像の周囲を歩く行と座禅を中心に修行し,精神を集中させて仏の智慧を得ようとすること。③法華三昧懺儀のこと。懺儀は仏教における懺悔の行法、または法会の儀式およびその儀則。諸仏菩薩に礼拝して自らの罪過を仏前に告白して容認を乞い、罪業を免れることが基調で、懺悔・悔過の行法を内容とする経論から抄出したものが、中国仏教で4、5世紀ころから治病除災などの現世得益のため行われた。それらは梁の武帝により、仏名経典と合して『慈悲道場懺法』10巻に編集されたが、天台智は止観の行法として、在来のものを『法華三昧懺儀・方等昧行法・請観世音懺法・金光明懺法・方等懺法・敬礼法』とつくり直して類形化し、『円覚経道場修証儀』18巻、『華厳経礼懺儀』42巻など膨大なものまでつくられた。日本では、法華三昧懺儀の抄出である法華懺法をさし、宮中で先帝の御忌に用いられ、天台宗勤行儀ともなっている。東大寺の御水取に用いる「吉祥悔過法」や勅会の御仏名会も懺法であり、舎利懺法、薬師懺法、弥陀懺法などがある。
和泉房蓮海
熱原・滝泉寺に何らかの縁のある僧と思われる。詳細は不明。
書下
配下の者に命令を下す書状。
政所代
政所を束ねる代官。
神事
神を祭る儀式。
四郎男
大聖人御在世当時、富士・熱原に住んでいた農民信徒。浅間神社の流鏑馬神事の折に、何者かに切り付けられ負傷している。
弥四郎坊男
(?~1279)日蓮大聖人御在世当時、富士・熱原に住んでいた農民信徒。弘安2年(1279)8月、行智の陰謀により、何者かに殺害されている。
無智無才
才能も知恵もないこと。
兵部房静印
日蓮大聖人御在世当時の熱原・滝泉寺の供僧。僧侶としての資質がないのに行智が僧として利用したものと思われる。
過料
罰金のこと。
器量の仁
優れた才能の持ち主。
別当
僧官名のひとつ。諸大寺の長官として一山の寺院を統べるもの。
言語道断
言葉で表現することが断たれること。
冥に付け顕に付け
目に見える部分であろうと、目に見えない部分であろうとの意。
沙汰
① 物事を処理すること。特に、物事の善悪・是非などを論じ定めること。裁定。また、裁決・裁判。②決定したことなどを知らせること。通知。また、命令・指示。下知。③便り。知らせ。音信。④話題として取り上げること。うわさにすること。⑤問題となるような事件。その是非が問われるような行為。
講義
「凡そ知行所行は」以下、行智の非法・悪行の数々を列挙したうえで、これを愁えた日秀らがこの実情を訴えようとしたことを察知した行智が、阻止しようとして今回、ありもしない罪で日秀・日弁を訴えたのであり、「言語道断の次第なり」と断じている。
ここで挙げられている行智の一つ一つのいくつかをかいつまんで述べると、先に「法華経の読誦を停止し」とあったのと併せて、「法華経を柿紙に作り紺形を彫り堂舎の修治」に使ったというのであるから、行智の法華経嫌いは徹底しており、天台寺院の院主代としては不適格であることが明らかである。
「上葺榑」の横領に関しては「日弁に御書下を給い構え置く所の」とあって、日弁が上層部のだれかからの指示で保管していたということであるが、この「御書下」を出したのがだれであったかは不明である。院主代行智が不正に流用したということからいえば、院主であった人と考えるのが妥当であろう。おそらく行智は、保管責任者であった日弁を放逐したあと、この木材を自分勝手に流用したと考えられる。
次の「神事の最中」の刀傷事件、8月の弥四郎殺害事件が記されている。このなかで、本文に「日秀等に頚を刎ぬる事を擬して此の中に書き入れ」とある一文は、その前にある「弥四郎坊男の頚を切らしむ」の脇に、大聖人の御筆で書き込まれたもので「このことを書き入れなさい」と指示する意味で加筆されたものである。この意味は、殺害の張本人は行智の一味であるのに、その罪を日秀等になすりつけようとしたことも、彼らの悪辣さを明らかにするために、書いておきなさいということである。
そのほか、盗みを働いた男を僧として寺内に入れたり、仏教、特に天台宗では禁じられている殺生・肉食の罪を平気で犯したり等々の悪行を指摘し、憂慮した日秀ら良識ある僧を葬りさろうとして、このたびの行智の日秀らに対する告訴となった次第が明かされている。
そしてその結論として「冥に付け顕に付け戒めの御沙汰無からんや」とある。この部分は原本では第9紙の末尾で、文字の左半分が剥げ落ち、判読が難しいが、上記のように読むのが正しいとすると、先に列記された行智の悪行は、仏法上、僧としてあるまじき行いと、国法・世法のうえで明らかな非法を含んでいる。そのいずれの立場からも、断固たる処分があってもしかるべきであるという日秀等の訴えである。
なお、この段の文について大聖人は原本の末尾に、この個所はこのように書き換えてはどうか、という意味で御文をつけたれている。「法華三昧の供僧・和泉房蓮海を以て法華経を柿紙に作り紺形を彫り堂舎の修治を為す」の部分に対して、次のように書かれている。(原文の漢文を書き下している)
「法華三昧の供僧・和泉房蓮海、法華経を柿紙に作り紺形を彫ることは重科たる上、謗法なり。仙予国王は一閻浮提第一の持戒の仁、慈悲貴捨を具足せる菩薩の位なり。然りと雖も法華経を誹謗する婆羅門五百人の頭を刎ねその功徳に依って妙覚の位に登る。歓喜仏の末に諸の小乗・権大乗の者、法華経の行者・覚徳比丘を殺害せんとす。有徳国王、諸の小権の法師等を、或は射殺し、或は切り殺し、或は打ち殺して迦葉仏等と為る。戒日大王・宣宗皇帝・聖徳太子は此の先証を追って仏法の怨敵と討伐す。此れ等の大王は皆持戒の仁なり。善政未来に流る。今行智の重科□□□(三字判読不明)からず。然りと雖も日本一同、誹謗を為すの上は其の子細は御尋ねに随って之を申す可し」
ただし、この大聖人の加筆は、必ずしもこのとおりに改めなさいということではなかったようである。この部分の筆遣いは文字どおりの走り書きになっており、また、どこをどのように改めよという御指示もない。もし、この加筆のように改めた場合、そのあと、どのように続けばよいのか、このままでは明確ではない。ゆえに、ここではあくまで参考として書くにとどめておく。