立正安国論1

立正安国論

 文応元年(ʼ60)7月16日 39歳 北条時頼

  1. 第一段(災難由来の根本原因を明かす)
    1. 第一章(災難の由来を問う 1)
      1. 現代語訳
      2. 語釈
        1. 七難即滅・七福即生
        2. 五瓶
        3. 七鬼神
        4. 五大力
        5. 四角四堺の祭祀
        6. 二離
        7. 五緯
        8. 百王
      3. 講義
        1. 当時の三災七難
        2. 目をおおう惨状
        3. 大法興廃の瑞相
        4. 世界史上の三災七難
        5. 大聖人仏法の世界的意義
        6. 大聖人の御一生と蒙古軍
        7. 西欧の三災七難とキリスト教の堕落
        8. 交通・通信の発達と仏法の伝播
        9. 日本に全人類救済の大宗教誕生
        10. 安国とは一往は日本、再往は全世界
    2. 第一章(災難の由来を問う 2)
        1. 当時の宗教界
        2. 僧侶の堕落
        3. 念仏への徹底破折
        4. 時代要求の大白法
        5. 是れ何なる禍に依り是れ何なる誤りに由るや
        6. 防災技術と災害
        7. 科学技術の限界
        8. 悪政と災害
        9. 大聖人の時代
        10. 室町中期・後期
        11. 江戸末期
        12. 軍閥時代の中国とスターリン治下のソ連
        13. 現代の最大の災害
        14. 世界的な飢饉
    3. 第二章(災難の根本原因を明かす 1)
      1. 現代語訳
      2. 語訳
        1. 円覆・方載
        2. 微管
        3. 聖人
      3. 講義
        1. 夫れ出家して道に入る者は法に依つて仏を期するなり
        2. 十一通御書の弟子檀那中への御状にいわく、
        3. 人生の目的と幸福論
        4. 一般の幸福論
        5. 仏法で説く幸福論
        6. 観心本尊抄にいわく、
        7. 現世利益について
        8. 現世の幸福は永遠の幸福の実証
        9. 世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず
        10. 生活とは生命幸福の発露
        11. 人間生活への思想・宗教の影響
        12. 西欧におけるキリスト教の影響
        13. 共産主義思想とスターリン治下のソ連
    4. 第二章(災難の根本原因を明かす 2)
        1. 誤れる人種観・民族観=ナチ・ドイツ
        2. 東南アジアに見る宗教の害毒
        3. 太平洋戦争における神道
        4. 現代の日本における邪宗教
        5. 謗法の人の死後
        6. この地上に展開される地獄絵巻図
        7. 真の宗教による宿命打界
        8. “目に見えぬ敵”
        9. 諸天善神と神天上
        10. 三種類の「神」
        11. 諸天善神について
        12. 仏法における天照大神と八幡大菩薩の意味
        13. 神天上の現証
        14. 創価学会の前進と諸天の加護
        15. 偉大なる宗教の個人への影響

第一段(災難由来の根本原因を明かす)

第一章(災難の由来を問う 1)

旅客来って嘆いて曰わく、近年より近日に至るまで、天変地夭・飢饉疫癘、あまねく天下に満ち、広く地上に逬る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、悲しまざるの族あえて一人も無し。
 しかるあいだ、あるいは「利剣即是(利剣は即ちこれなり)」の文を専らにして西土教主の名を唱え、あるいは「衆病悉除(衆病ことごとく除こる)」の願を持って東方如来の経を誦し、あるいは「病即消滅、不老不死(病は即ち消滅して、不老不死ならん)」の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、あるいは「七難即滅、七福即生(七難は即ち滅し、七福は即ち生ぜん)」の句を信じて百座百講の儀を調え、あるは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、あるは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、もしは七鬼神の号を書して千門に押し、もしは五大力の形を図して万戸に懸け、もしは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て、もしは万民百姓を哀れんで国主・国宰の徳政を行う。
 しかりといえども、ただ肝胆を摧くのみにして、いよいよ飢疫に逼められ、乞客目に溢れ、死人眼に満てり。臥せる屍を観となし、並べる尸を橋と作す。観んみれば、夫れ、二離璧を合わせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在し、百王いまだ窮まらざるに、この世早く衰え、その法何ぞ廃れたる。これいかなる禍いに依り、これいかなる誤りに由るや。

 

現代語訳

旅客が来て嘆いていうには、近年から近日に至るまで、天変、地夭、飢饉や疫病があまねく天下に満ち、広く地上にはびこっている。牛馬はいたるところに死んでおり、その死骸や骸骨が道路にいっぱいに満ちている。すでに大半の者が死に絶え、これを悲しまない者は一人もなく、万人の嘆きは、日に日につのるばかりである。

そこで、あるいは浄土宗では「弥陀の名号は煩悩を断ち切る利剣である」との文を、ただひとすじに信じて念仏を称え、あるいは天台宗では「すべての病がことごとくなおる」という薬師経の文を信じて薬師如来の経を口ずさみ、あるいは「病がたちまちのうちに消滅して不老不死の境涯をうる」という詞を信じて、法華経の経文をあがめ、あるいは「七難がたちまちのうちに滅して七福を生ずる」という仁王般若経の句を信じて、百人の法師が百か所において仁王経を講ずる百座百講の儀式をととのえ、またあるいは真言宗では秘密真言の教えによって、五つの瓶に水を入れて祈禱を行い、あるいは禅宗では坐禅を組み、禅定の形式をととのえて、空観にふけり、さらにある者は七鬼神の名を書いて千軒の門に貼ってみたり、ある者は国王、万民を守護するという仁王経の五大力菩薩の形を書いて万戸に掲げ、あるいは天の神、地の神を拝んで四角四堺のお祭りをし、あるいは国王、国宰など、時の為政者が万民一切大衆を救済するために徳政を行っている。

しかしながら、そのようなことをしているけれども、ただ心を砕き、夢中になって努力するのみで、ますます飢饉や疫病にせめられ、乞食は目にあふれ、死人はいたるところにころがっている。そのありさまはあたかも、うずたかく積まれた屍は物見台となしたようにみえ、道路に並んでいる死体は橋となしたように見えるのである。

よくよく考えてみれば、太陽も月も星もなんの変化もなく、きちんと運行し、仏法僧の三宝も世の中に厳然とある。また、かつて平城天皇の御代に八幡大菩薩の託宣があって、かならず百代の王を守護すると誓ったというのに、いまだ百代にならないが、この世は早くも衰えてしまい、王法はどうして廃れてしまったのか。これはいかなる過失から生じたものであり、またいかなる誤りから、このような状態になってしまったのであろうか。

 

語釈

七難即滅・七福即生

仁王経巻下・受持品第七に「其の国土の中に七つの難とすべき有り、一切の国王は、是の難の為の故に般若波羅蜜を講読せば、七難即ち滅し、七福即ち生じ万姓安楽にして帝王歓喜せん」とある。七難は仁王経、薬師経、金光明経等に説かれるが、仁王経の七難は①日月失度難(太陽や月の異常現象)②星宿失度難(星の異常現象)③災火難(種々の火災)④雨水難(異常な降雨・降雪や洪水)⑤悪風難(異常な風)⑥亢陽難(干ばつ)⑦悪賊難(内外の賊による戦乱)をいう。七福とは、これらの七難を滅すること。また仁王経疏巻下に説かれる悪竜・鬼を鎮める徳などの七徳をさす。

 

五瓶

密教で災難を除くための祈禱を行う際、大壇の中央と四隅に置く五個の宝瓶で、五智・五部・五仏などを表示する。法門を師から弟子へ伝える儀式(灌頂)の際には、この五瓶に香水(各種の香を加えた清浄な水)を入れ、その水を受者の頭頂に智水として注ぐ。

〈五瓶の修法〉

五瓶の修法は、壇の上に五瓶(白・青・赤・黄・黒)を置き、それぞれに五宝(金・銀・瑠璃・真珠・水晶)、五香(沈香・白檀・丁字・鬱金・薫陸または龍脳)、五薬(赤箭・人参・茯苓・石菖蒲・天門冬)、五穀(米・麦・粟・黍・豆)の二十種を混ぜ、五色の絹布で包んで瓶に入れ、これに水をそそぎ、花をさして行う。真言宗は、教義の探求や哲学的解明より、こうした呪術的な修法を本領とした。

 

七鬼神

却温黄神呪経に疫病を起こすと説かれる七種の鬼神。同経には、①夢多難鬼、②阿佉尼鬼、③尼佉尸鬼、④阿佉那鬼、⑤波羅尼鬼、⑥阿毘羅鬼、⑦婆提梨鬼の七鬼神の名を書いて門に貼っておけば、鬼魔が近寄ることはなく、疫病や流行病を対治することができると説かれている。日蓮大聖人の御在世当時、災厄から免れようとして七鬼神の名を書いた紙を門に貼ることが行われていた。

 

五大力

五大力菩薩のこと。国王が仏法僧の三宝を護持すれば、この五菩薩が国土の四方と中央で国王を守護するとされる。鳩摩羅什訳の仁王経巻下の受持品第七に説かれる仁王会の本尊である。中世には、五大力菩薩が天災地変や疫病などを除くという信仰が一般にも広がり、その図像が守り札として門戸に貼られるようになった。

 

四角四堺の祭祀

陰陽道の攘災儀式の一つ。鎌倉時代においては、幕府の四隅で祭るのを四角祭、鎌倉の町の四堺にあたる小袋坂、小壷、六浦、片瀬で祭るのを四堺祭といった。

 

二離

太陽と月のこと。「離」は明らか、並ぶ、連ぬの意があり、易の卦で「火」に配当され「明」である。ここから日月にあてられるようになった。

 

五緯

五つの惑星、すなわち歳星(木星)、熒惑星(火星)、鎮星(土星)、太白星(金星)、辰星(水星)の総称。緯とは、天体のなかにあって、動くことをいう。

 

百王

百代にわたる天皇、または百代目の天皇のこと。平安末期から鎌倉時代、天皇は百代で尽きるという一種の終末思想が広まっていた。これを百王思想、百王説という。「諫暁八幡抄」に「平城天皇の御宇に八幡の御託宣に云く『我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり百王を守護せん誓願あり』等云云」(0587:10)とあり、当時、百王を守護する八幡神に対する信仰が盛んに行われた。「立正安国論」御執筆当時の天皇は第九十代とされていた。

 

講義

 

タイトルとURLをコピーしました